海の彼方で、カナタを想う   作:おぴゃん

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6.豚の鳴かない町(4)

 その場で誰より早く状況を理解して、誰より早く焦ったのはフミオだった。

 

(ちょ、お前! そういうのはマメに処分しとけよなああ!)

 

 ──と、いうことを叫びたくてたまらないのだと思われる。

 

 あらん限りの罵詈雑言を浴びせる代わりに親指を下げたり中指を立てたりと懸命にサインを送るが、レイジには伝わっていない。

 カナタは不思議そうに首をかしげている。その手には赤黒い汚物でパンパンに膨れ上がった袋。それは、彼女の同居人が朝晩励む自傷行為の、どうしようもない証拠品だ。

 

「これ、血か?」

 

 血どころじゃない。カナタからは見えないのだろうが、ルリコの目には、袋の底に乾いた棒状のものが何本か見て取れた。

 彼女が隣のフミオに目配せすると、彼もプロジェクターの光に額の汗を輝かせながら、コクリと小さくうなずいた。

 

 ミイラ化した指だ。

 

 このレイジという生活破綻者は不滅の肉体をいいことに、折れたり取れたりした自分の指を魚の骨でも捨てるような感覚で始末しているのだ。

 

「ああ……俺がやった」

「あ?」

「よせ、バカ、レイジ!」

 

 素直に頷いてしまうレイジを見て、ついフミオも叫んでしまう。

 

 レイジは、ウソがつけない男だ。

 

 そこが彼らしいと言えば聞こえだけはいいだろうが、実際は気を利かせるほど頭が回らないだけだ。部屋の中には息の詰まるような緊張が徐々に満ちていく。

 

「ンだよ。オマエら。顔引きつってんぞ」

 

 それに気づいていないのはカナタだけだ。今のところは。

 

「ええとね、カナタ……それは……」

 

 全校集会で教師を言い負かした逸話持ちの生徒会長も、こんな状況では黙って唇を噛むことしかできない。

 

 口数少ないマッチョの同級生は、自傷癖持ちの異常体質。

 

 いつも半笑いで受け止めてきたが、そんな野郎と一つ屋根の下なんて彼女もごめんこうむる事態だ。カナタは彼のどうしようもない”衝動”を知って、それを受け入れるだろうか――と思って、ルリコはカナタを見つめる。白いドレスの少女は袋の中のにおいをかいで、顔をくしゃくしゃにしている。

 

「べええ。く、くせえ」

 

 ルリコの目には、カナタは悪い奴には見えない。むしろ善良に見える。だが、どう考えてもこれは分の悪い賭けだ。

 

 正真正銘、擁護のしようがないほど『キモい』ものを見せられたカナタが拒絶反応を起こしたら、彼女に残された場所は、もう公園の茂みくらいしかない。

 

 そして夜の西町の治安は、お世辞にもいいとは言えない。

 

 だからこそ慎重になる。だからこそ押し黙る。

 その静けさが、カナタの疑念をいっそうあおる。

 

「オマエたち、やっぱりアタシになんか隠してねー?」

「カナタ……聞いてくれ。俺は」

「あ……あーあ、あーあー、バレちまったら仕方ねえ!」

 

 徐々に沈黙の重みが増していく中──レイジを遮って大声を張り上げたものがいた。フミオだ。明らかに上ずった声だった。

 

「白状するっきゃねえなあ! そっ……それっ、こないだのブタじゃねえかあ!」

「はァ?」

 

 この、いつでもテキトーな金髪男があまりに突拍子も無いことを抜かした気がして、思わずルリコが聞き返した。

 

「アンタ、何言ってんの?」

「こないだ。たまたま俺ら二人のとき、そこの養豚場から逃げたブタ突っ込んできたんだよ。それ、レイジがシメて捌いて、バーベキュー……を……」

「……そんなことは」

 

 ドガシャァァ

 

 マシンガンのような勢いで吐き出される出任せ。そこにレイジが口を挟んだ瞬間、フミオがパイプイスを蹴倒した。

 

「おっとわりい。でけえ音を出しちまった」

 

 わざとらしく謝るフミオの額が汗に濡れている。

 イスを立たせてやっていると、パンツの中まで冷や汗でビチョビチョになっていることに気づいた。どうしてここまで、レイジのために必死になっているのか、彼自身さっぱりだが──ショーを始めてしまったのなら、最後まで走り抜けるしかない。

 

「ブタ……だァ?」

 

 当然カナタは訝った。男子高校生が二人でブタをしめてパーティーなんて言い訳を、はいそうですかとホイホイ信じるなら、そいつの頭の方がどうかしている。

 

「一応俺らは被害者だけど、ブタ殺して食ったのは窃盗──みたいなモンだからな。おおっぴらにはできねえじゃん?」

 

 フミオは、自分が早口になっていることに気づく。

 

「……んで、これはその時の?」

「血抜きな? こいつがブタ殴り殺したあと。あたりが真っ赤になるくらい血がドバドバ出やがって、ハエもたかってきて。くせえし、やべえし。いやマジ、バッチイから」

 

 トサ。

 

 床に下ろされた袋が乾いた音を立てた。

 

「確かに……レイジなら、やるかもしれねえ……」

 

 ──いける。

 

 顔を引きつらせるカナタを見て、フミオは手ごたえを感じる。

 まだまだ半信半疑といったところだが、彼女はドレスの裾で手を拭いながら後ずさりしている。

 

「腐ったブタの皮と血だ。あんま触るなって。病気するから」

 

 ここぞとばかりに、フミオがまくし立てる。

 

「いやあ、ルリコさんにも見せたかったなあ。レイジの野郎、ダンプカーみてえなブタを一本背負いして、絞め落としてんだぜ」

「調子に乗りすぎハナシ盛りすぎ」

 

 天井の片隅に目を向けたまま、ルリコがボソリと囁いた。フミオは調子に乗ると、すぐに話を丸めて転がすクセがある。

 冷静なツッコミにはっとした彼の横を通り抜けて、カナタが歩いていく。目指す先は、ホームシアターの一番奥だ。そこには部屋の中で一番濃く闇がはびこっていて、ここまで会話に入ってこなかった部屋の主がうずくまっている。

 

「ってコトらしいけど。そうなのか?」

 

 椅子の上で大きな体を丸めたレイジは、カナタが目の前に来ても顔を上げようとしなかった。苦しげに、かすかにうめいただけだ。 

 

「アタシのこと、傷つけないって言ってたよな。だから、オマエのことを信じるよ……ブタ、マジで殺したの?」

「な、なあ、レイジくんよォ……?」

 

 ここで口を挟むのは、どう考えてもお邪魔虫だ。

 そんなことフミオは分かっていても、やらずにはいられない。千切れた手足ならいくらでも生え変わるくせに、二枚目の舌を生やすことだけはできないレイジに、ヘタを打たれたくない。

 

「カナタって、お前のなんだっけ」

「ンだよ。アタシ……レイジに聞いてんだけど」

 

 カナタは肩越しに、ヘラリと笑ったフミオを一瞥する。

 

「やっぱ様子がヘンだぞ、フミオ」

「口下手なレイジの代わりにがんばってんだよ」

「いらねえ。アタシ、レイジの口から話してほしい」

「なんでそうコダワるかねえ。やっぱ、コイツのこと警戒してんの?」

「あ? ンなわけねえよ。なんでアタシがレイジをケーカイしてんだよ」

 

 とげとげしい口調でフミオに詰め寄ろうとするカナタのことを、ルリコが「どうどう」と諫める。彼女の目が離れた瞬間に生まれた息継ぎのような間で、レイジは鈍い頭を必死に回す。カナタが何か──決まっている。彼の運命だ。

 

「ただ……トモダチとハラ割って話さねーやつとは、一緒にいたくない。そんだけだ」

 

 うなだれたままのレイジは、目の前で揺らめく、白いドレスの裾を見つめる。自分を信頼してくれるカナタにそばにいてもらうためには、カナタの信頼を裏切らなければいけない。

 

「素直に『ああ』って言っとけよ。俺の言うとおりに『ああ』って言え。マジで。じゃないと、そいつ出て行っちまうぞ」

 

 カナタは、レイジの前に立って、静かに見下ろした。怒っているわけでも、責めているわけでもない。その背後で、フミオは余裕のなさを隠そうとしない。笑っているのは、声だけだ。

 

「あ…………」

「どした?」

 

 レイジが、喉を詰まらせたように呻いた。だが、カナタはただ、そんな彼の姿をじっと見つめているだけだった。

 

「アタシ、キモいのはがまんできる。でも、うそと隠し事はキライだぞ」

 

 青い瞳をまっすぐ直視することができないのなら、その原因はレイジにある。カナタの漂白されたような、それでいて抜けるように白い容貌は、磨き抜かれた鏡のように彼の心を反射してしまう。

 いつもボンヤリして、何を考えているか分からなくて、憤怒以外の感情を知らないレイジの中に芽生えはじめた──何かを。

 

「…………ああ。そうだ」

 

 ──重大な過ちをしてしまったような気がした。

 

「それは、俺が殺したブタの血だ」

 

 言って、レイジがガックリうなだれる。

 

 沈黙が生まれた。

 

 西町で一番うそがヘタな男の口から吐かれた嘘。それを受けて、カナタがいったいどんなリアクションをするのか──

 

 

「えんがちょ」

 

 

 その果てに、カナタは短く言い放ってブルっと震えた。

 

「うわ、やっぱマジなのかよ──うわうわ。もっかい、えーんがちょ!」

 

 そしてレイジのシャツに両手をこすりつける。何度も、何度も。

 

「きったねえなァ! ンなもん体キレイにする場所に置いとくんじゃねえよ!」

「そ……そうだぜレイジ! ホントお前、俺に感謝しろ!」

「アタシもさ、あんなコトがなかったら、ブタ殺しなんて信じてねえからな……」

 

 とうとうカナタにウソをついてしまった後ろめたさで、レイジは顔を上げることができない。そんな彼の様子をちらりと見て、カナタは小さく肩をすくめ、それから袋を拾い上げた。中の”ブタの血”に極力触れないようにしながら器用にその口を結んでいく。

 

「あんなこと? 何があったの」

「だってこいつ、バケモンの首蹴って飛ばしたんだよなあ。バンって。ボールみてえに」

 

 軽い気持ちで聞いたルリコは、カナタの言葉で度肝を抜かれた。

 

「アンタ、ホントにそんなことしたわけ」

 

 返事はなかった。

 最終ラウンドまで泥沼のような殴り合いを繰り広げたボクサーのように、レイジはイスの上でぐったりしていた。

 

「で、さ」

 

 カナタがその前にちょこんとしゃがんで、彼の顔を覗き込む。黒目がちな彼の目は、いつにも増して暗い色を宿している。巨大な穴のような瞳孔を前にしても、彼女は決して臆したりはしない。

 

「オマエ、満足してるのか?」

「まん、ぞく……?」

 

 逆にたじろいだのはレイジの方だった。カナタの視線はまっすぐすぎる。彼の巨大な闇に、光を投げ込もうとするかのように。

 

「キタネー部屋。クソみたいな台所。ゲロよりひでえ風呂場──映画館はけっこうドキドキしたけど──あとは、口にするのもイヤなアレコレに囲まれて、オマエ、満足してるか?」

 

 レイジは、自分の手を見下ろす。

 まるで樹皮のような質感の、古傷に覆われた巨大な手。壊して殺すことしかしない手。

 憤怒に年中振り回され、生活すらままならないほどに荒れ果てた、彼を象徴するパーツ。

 

「……すまない。これが俺なんだ」

「ちゃんとアタシを見てくれ。頼む」

 

 その声で顔を上げた瞬間、彼はガタっと音を立てて体を退こうとした。だが、できなかった。目の前にカナタの顔があった。息がかかるほどの距離から、彼女は何も言わずに手を伸ばして、彼の頬を両側から包み込んだ。

 

「辛くないかって聞いてるんだ、アタシ」

 

 カナタの背が立ちはだかって、フミオたちからレイジの顔を見ることはできない。暗闇でカナタが見据えるレイジの顔は、あくまで、いつものぬぼっとした無表情でしかない。

 だが彼女は感じる。

 両手で触れた頬の下で、痛いほど強く打ちつける、彼の脈を。

 

「この暮らしを続けてえか? やめにしたいのか? 教えてくれないか。レイジの正直を」

「おいおい。何、シリアスムード浸ってんだ?」

 

 異様な雰囲気に耐えられなくなって、フミオが口を挟んだ。

 

「そこのターミネーターにツラいとか楽しいとかあるワケ──」

「変わりたい」

 

 レイジの一言が静寂の帳を下ろした。

 

「……できるなら、せめて、もう少し人間らしく生きてみたかった」

 

 そんな風に途切れ途切れで続けるレイジの姿が、カナタの目には、信じられないほど弱って映る。こんな大きな体の男が、まるで雨に濡れた捨て犬だ。

 

「…………ん。分かった。しゃーねえなあ」

 

 何をそこまで深刻になってんだか──そう思いながら、カナタはレイジの頭をポンと軽く叩いてやる。上目遣いに見てくる仕草まで犬のようで、悪いと思いながら笑いそうになる。

 

「イソーローのお礼だ。アタシがなんとかしてやるよ!」

 

 ならいっそ、思い切り笑いかけることにした。

 

「カナタ、が?」

「魔法使いカナタさまが、ちちんぷいぷいってな!」

 

 眩しいほどの笑顔をレイジの目に焼き付けて、カナタが立ち上がる。

 

「まずは魔法のタワシで地道にゴシゴシ台所掃除からだ──」

 

 カナタは軽やかに壁の穴を飛び越え、袋を抱えたまま去っていった。

 弾むような足音がどんどん遠ざかっていく。汚れたシンクの前を通り越し、墓場のような脱衣所を過ぎ、その先の玄関へ。

 

 ギキキイィ

 

 赤ん坊の泣き声のような玄関の軋み音。それは、彼女が袋いっぱいに詰め込まれた汚物を放り投げに行ったことを告げていた。

 

 イスルギレイジの生活改善。そして彼が人間らしくなるための、第一歩として。

 

「カナタ……行った?」

「ああ。どーやらな……」

 

 直後、残された三人の肩から力が抜けた。

 

「あ、あッぶねェ~」

 

 フミオの大声が響き渡る。

 

「なんだか知らないけど、納得してくれて助かったわね……」

 

 途中からフミオの言葉に頷く役に徹していたルリコが、目の前のテーブルに伏せた。

 

「……というか隠し事はよくない、なんて。いけしゃあしゃあと」

「仕方ねえだろ。このゴリラの家がダメなら、カナタはホームレスだ」

 

 思い切りイスの上にふんぞり返ったフミオが、背もたれの上で首をゴロゴロ転がした。頭を回しすぎたし、気をもみすぎた。冷却が必要だ。

 

「ところで、養豚場なんて近場にあったかしら?」

「ねェ」

 

 飛んできた素朴な質問にフミオが即答する。

 

「近所どころか、そもそもこの町に、そういう所はねェ。ブタは肉になって町の外から運ばれてくるって。ウチのオッサンが言ってた」

「はあ……こンの大嘘つきが……」

「ところで、ウソがドヘタなレイジにしちゃあ、いい感じに話合わせてたな。悪くなかったぜ」

 

 フミオの言葉にレイジは答えない。カナタに触れられていた時と同じポーズで彼女が消えていった壁の穴を見つめていた。リビングから差し込む明かりが、暗闇の中で彼の顔を白く浮き上がらせている。

 

「……へぇ」

 

 思わずルリコは呟いた。

 不機嫌クイーンが感心して、驚いて声まで声を上げるのは、とても珍しいことだった。

 

「アンタ、本気なんだ」

 

 イスのクッションに、レイジの指が深々と食い込んでいた。固く、固く握り締められた彼の拳が、小刻みに震えている。

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