海の彼方で、カナタを想う   作:おぴゃん

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3.まぶたの裏で蝶が羽ばたく(1)

 

「頼むからいい加減ベッドで寝てくれないか」

「いやだ。アタシは絶対に床で寝る」

 

 カナタが来てから、寝る時間が近づくと必ずこの話題で議論になる。

 

「汗臭いのがイヤならシーツもマットレスも新品に換えた。これ以上カナタを床で眠らせるなら、俺は自分が許せなくなる」

「あぁ? レイジがベッドで寝れば済む話だろ」

「カナタを床に寝させて俺がベッドで? ダメだダメだ。バチが当たる」

「なんのバチだよ。ムダ使いしやがって!」

 

 手狭な部屋の中、二人はケットを抱えたまま、檻に閉じ込められた猛獣のようにお互いを睨んでぐるぐると回り続けた。

 

「ムダ? ムダではない。カナタは俺に運命を与えてくれた大事な相手だ。快適に過ごしてもらえるように、せいいっぱいもてなすのが礼儀というものだろ」

「だからアタシはそんな気持ち悪いモンじゃねえって。だいいち、下が柔らかいと落ち着かないの。コンクリとか板とか、そっちの方がよく眠れるの!」

「どういう体質だ!」

「知らねえよ。記憶無くす前のアタシに聞け!」

 

 ヒートアップしてそろそろ本気のぶつかり合いをおっぱじめそうなあたりで、二人同時に壁掛けの時計に目をやった。時間はもう深夜。そろそろ寝ないと明日に響く時間だ。

 

「…………寝ちまおう。明日もガッコーだろ」

「…………そうだな」

 

 今日も決着が付かなかったので、結局真新しいベッド一式は使われない。

 

 トレーニング機材が片付けられてフローリングがむき出しになった場所に無造作に腰を下ろしたカナタは、毛布を被って猫のように丸くなった。明らかに窮屈で背骨に悪そうな姿勢で、それでも彼女はこれが一番よく眠れるのだと言って聞かない。

 ため息をついて、レイジが蛍光灯からブラ下がるヒモを引っ張った。

 

 蛍光灯の明かりに照らされていた部屋が、一瞬で夜の世界に切り替わる。

 

 分厚いカーテンの隙間から差し込む細い月光が、カナタの白い頬を、その青い瞳を、縦一文字に切り取っている。

 

「電気を消す前に、しばらく天井をじっと見てるとさ」

「ウン?」

 

 レイジはカナタの横顔をちらりと見る。彼女と目が合う。

 

「目ェつむったときに、明かりの形した緑色の蝶みたいのが暗い中飛び回ってたり、しない?」

 

 言われたとおりにしてみる。けれどレイジの分厚い瞼の裏で、暗がりに舞っていたのは蝶じゃない。カナタの、あの青い瞳だった。

 

「俺が隣で寝ていて、ヘンな感じしないのか?」

 

 カナタが床で寝るならレイジも床で寝続けるしかない。

 この限られたスペースの中で寝床を求めれば、必然的に並んで寝ることになる。

 

「ヘンな感じ? どんなだ?」

「あ…………ほら。男と女だし。本当は、ダメだと思う。こういうのは」

 

 沈黙が、あった。

 レイジが気まずい思いをしながらちょっとだけカナタから距離を取り始めたあたりで、くつくつという笑い声が隣から聞こえてきた。

 

「ンだよ。レイジはアタシでそういう気持ちになんのか?」

「いやそれは──」

「違うんだろ。なら問題なんざねえ」

 

 いたたまれなくなって背中を向けようとしたレイジの腕を、カナタが引いて戻す。

 振り払ったり、抗う選択肢はレイジには無い。おずおずとしている彼のことを、カナタは面白そうに見守っていた。

 一方のレイジは、居心地が良くない。おかしなことを口走ったせいで、おかしな雰囲気になってしまった。それでもなんとか平静を装って目を瞑る。だが横顔に、カナタの鼻息がかかる。

 

「ど──どうした」

「頼むから襲うなよ~?」

 

 噛んでやるからな。そう付け足して、カナタが歯をカチカチと打ち鳴らす音が響いた。

 

「俺はカナタを傷つけるようなことは絶対しない」

「昼間いじわるした仕返しだ」

「あれは本当に、そういうやつではなくて……」

「はいはい。いいよ。もう許す」

 

 隣からクスクス笑いが聞こえてきて、レイジはうなることしかできない。

 

「昼間っつえばさ……なんかスっとしたなあ、アレ」

 

 アレといえばアレしかない。レイジが引き起こした()()()()()()事件は、今後西高の伝説として、連綿と語り継がれていくのだろう。

 シャツと下着をビリビリに引き裂いた上、パンプアップした剥き出しの上半身を晒したまま午後の授業を丸ごと受けるハメになったレイジ本人としては、今すぐ消し去りたい記憶だ。

 

「忘れてくれ。頼む」

 

 レイジにしては珍しく、その声色が本当に情けなく消え入りそうだったので、カナタは暗闇で大声を上げて笑ってしまう。忘れてくれと言いながら、彼自身は昼間の出来事を反芻している最中なのだろう。

 

「ヤだね。アタシの頭に永久保存版ってヤツだ。オマエも好きだろ、そういうこと書いてある映画」

「勘弁してくれないか」

 

 月影がレイジの表情の輪郭を浮かび上がらせる。

 目をギュっと瞑って、具合が悪そうに唇を引き結んで、最悪に気持ちの悪い無視をテイシティングしている最中のような表情だ。

 悪いと思いながら、カナタは笑ってしまった。

 

「嬉しかったんだ、アタシ」

「嬉しい? どうして?」

「ドレスのこと言われたの結構ムカついたし……ああいうのって、普通だったら言われっぱなしで終わるもんだろ」

 

 レイジはようやく、カナタを見た。

 

「奴らの言ったことは、あんまり気にしないほうがいい」

「気にしてなんかいねえって。下着の代え気にしなくていいし、細かいとこに目瞑りゃ、いい体だ。ただ──」

 

 カナタはその先を言おうとしなかった。代わりに隣から、彼女の髪が頭を振る動きに合わせてサラサラと流れる音がした。

 口で強がりを言っていても、やっぱりカナタは悔しそうだ。

 学校に通えると分かったときにあれだけ喜んでいた彼女にとって、そこの制服に袖を通すということに特別な意味があることは、レイジにも分かる。

 そう考えていると、昼間の廊下での一件がますます浅はかだったように感じた。制服にあこがれる彼女の前で、ワイシャツを粉々に引き裂いた自分はいったいどう見えたのだろう──と。

 

「ムカつくな……」

 

 レイジはカナタの口調を真似して呟いてみる。

 

「おっ」という、少し驚いたようなカナタの声が聞こえた。

 

「オマエも怒ったりするんだな。なんか、意外だぞ」

「俺はいつも怒ってる。いつも。本当にいつもだ」

「ハハ。今日聞いた中で一番おもしれージョーク。いっつもヘージョーシンってやつだろ」

 

 カナタがいくら面白そうにしても、嘘偽りなく、この瞬間もレイジの胸の中では黒い炎がくすぶり続けている。

 聞こえよがしにカナタのことをあざ笑って通り過ぎていった生徒たちの顔がレイジの脳裏をぐるぐる回り続けている。

 

(あいつらを……)

 

 黒く燃える腕を、妄想の中で彼らに伸ばす。

 

(そうしたら、カナタは胸を張って学校に行けるだろうか……)

 

 物騒な考えをしているうちに強張ったレイジの腕を、軽くカナタが引っ張った。

 

「優しいヤツだなあ、オマエ」

「…………どうかな。俺はそう思わない」

 

 もっと正しい形で怒りを発散できたら。レイジは常々そう思う。

 こんな気持ちを引きずったままでよく寝付けるはずも無い。そう思っていたレイジだったが、意外にも、すぐに心地よい眠気が波のように押し寄せてきた。

 

「…………ありがとな。アタシのために怒ってくれて」

 

 そのまま眠りという広大な海にさらわれていくように、カナタが漏らした一言がぼんやり遠ざかっていくのを感じながら、彼の意識はそこで途絶えた。

 カナタの見つめる先で、猛々しい筋肉の塊が静かに寝息を立て始めた。その持ち主の精神が眠りについたことで、猛獣のような肉体も、いくらか小さくなったように見える。

 いまだに彼の顔に差したままの月明かりが、がっしりした顎のラインを銀で燃え上がるように浮かび上がらせていた。

 カナタはそこに、指で触れてみる。親しみを込めてそっとなぞると、剃り残した髭がざらざらとした感触を彼女の指に残す。

 

「おやすみ。いい夢見ろよ」

 

 それをこそばゆく感じながら、カナタも目を閉じた。

 

 ■

 

赤い夢だった。

 俺は波打ち際に立っている。

 海が血に染まったような色をしているのは、無数の赤い魚が泳いでいるからだ。

 俺の足元にすがりつくように少女の死体がぷかぷか浮いている。

 その頭は割れてからっぽで、波がその中身を洗っていた。

 

 ■

 

「がはあ!」

 

 毛布を跳ね除けてレイジは飛び起きた。

 

「ん……うん……」

 

 隣でカナタが身じろぎする。

 水を被ったように汗で濡れた胸元を押さえながらあたりを見回すと、そこは見慣れた彼のねぐらだ。真っ赤な海ではないし、少女の死体もない。

 ただ、午後二時の静けさに包まれた四畳半でしかない。

 カナタにタオルケットをかけてやる彼の手が、ひどく震えていた。

 

「戻ってきたか……」

 

 それからレイジは両手で顔を覆って、しばらく動けなかった。

 

 また──またあの夢が戻ってきた。

 

 より鮮明でグロテスクな姿になって、あの悪夢が戻ってきてしまった。

 立ち尽くすレイジの前で少女が海に入っていくシーンは何千回も見たが、その後に起こることを見せ付けられたのは、これが初めてだ。

 七年見続けた夢から離れていられたのは、ほんの数日。だというのに、レイジが受けたショックは相当なものだった。

 そっと寝床を抜け出したレイジは壁のポスターをめくりあげた。物音でカナタを起こさないように細心の注意を払って、隣家に通じる大穴を潜り抜ける。

 そこは彼の秘密の映画館だ。

 並べられたパイプイスのひとつを軋ませて座り込むなり、彼は深くうなだれた。

 ようやく逃げ切れたと思い込んでいた例の悪夢に再び捕まってしまったという事実が、生暖かい暗闇と一緒に背中に覆いかぶさっているような気がした。

 

 傍らに置かれたリモコンに手を伸ばし、電源ボタンを押す。

 

 いつも映画を映しているスクリーンの傍らでブラウン管に幽かな明かりが灯り、半ばホワイトノイズとブレンドされた、画質の悪い映像が流れ始めた。お気楽なイージーリスニングは、今の彼の毛羽立った心には何の役にも立たない。

 

「どうすればいい」

 

 また、怪物を惨たらしく殺せば、悪夢を見ずに済む夜が戻ってくるだろうか? 

 また、溺れている誰かを助ければ。いっそ誰かを沈めてみれば。

 疲れた頭のせいか、あまりにばかばかしいことを考えていた。レイジはイスの背もたれに体を預けてみた。三時。まだまだ夜明けは遠い。

 

『ウオワーッ!』

 

 甲高い声がレイジの黙考を妨げた。

 彼が力なく顔を上げて画面を見ると、そこではニュースの真っ最中だ。

 西町の特色を取り上げるだけのローカル番組で、今放送しているのは日中に放送した分の再放送。おまけにその映像は数年前に撮影したものを延々と使いまわしているように、白飛びしてボヤけている。

 

『──は十七区にある『ウオワーッ』……っちょ、ニッシーくん、顔……あっ、フラワーガーデンに──』

 

 なんでもいいから頭をカラッポにしたかった。

 そこに抱える問題を解決するためのヒントなんてあるはずもないのに、いつしか、レイジは食い入るように画面を見つめていた。

 

『見てください、この一面の『ウオワァーッ!』、花畑、えと、園内には放蝶をしている温室もあって、市民のみなさんの憩いの『ウオォ──ッ』くそ……』

 

 やたらとハイテンションな市のマスコットに容赦なく体当たりを食らって笑顔を引きつらせる女性リポーターを見ていて、働くのは大変だな、とレイジは薄呆けた頭で思った。

 

 青白くて気の抜けた小太りなイルカのようなマスコット、それが『ニッシーくん』だ。

 

 遠くの海からやってきたUMA界の親善大使で、『ウオワー』という掛け声は(ウオ)とワールドを掛け合わせたものらしい。

 自転車講習の授業で、ゲッソリした顔の指導員についてきて『きみたちに危険運転の恐ろしさを教える』と言うなり甲高い声で叫びながら爆走する軽トラに突撃していった光景が強烈過ぎて、レイジは今でも名前を覚えている。

 

『とっ、とにかく、あ、ニッシーくん、ニッシーくん邪魔ッ! ……さ、最近この……ッ、フラワーガーデンを訪れる人たちが増えているそうです!』

 

 ニッシーは西町のニシとネッシーを組み合わせた名前。なぜUMAが水場とは縁遠い西町のマスコットになっているかというと、この町で祭られているとある神に特徴があって────という逸話があったような気がするが、さすがに細かいディテール思い出せなかった。

 

『ですから――ええい! 『ウオワーッ!』誰だ、誰だ、こんなんにゴーサイン出したヤツは! あぁ? オンエア中なんて知ってるわ! いいぜ辞めてやるよ! いいか、ストレス社会には植物が効くって『ウオワーッ』心の安らぎが──ちっ、目障りだな。この野郎……!』

 

 レイジが口を半開きにして見守る前で、画面の中の情報番組は予想外の展開を迎えていた。

 とうとう心の何かがハチ切れてしまったリポーターが、助走をつけて飛び掛ってきたニッシーくんに足払いをかますなり、しなやかな身のこなしでマスコットの巨体を担ぎ上げたのだ。

 

『ウラーッ!! これが真の安らぎじゃーい!』

 

 咲き乱れる花畑と飛び交う蝶の中、リポーターがニッシーくんに壮絶なアルゼンチン・バックブリーカーを食らわせたところで映像は途切れた。

 

「心の安らぎか……俺にほしいが……」

 

 騒々しい場面から一転『しばらくお待ちください』のメッセージが映し出された画面の前に取り残されたレイジが、膝を握り締めてポツリと呟く。

 

「安らぎ……?」 

 

 ようやくニュースの内容が頭に染み込んできたように、ハッとしてレイジが立ち上がった。

 

「そうか……これか!」

「どれだよ」

 

 思わず叫んだレイジは、背後から即座に飛んできた返事に固まってしまった。

 

「かっ…………カナタ?」

 

 度肝を抜かれてのけぞったレイジの視線の先には、壁の穴。そこで腕組みをして、明らかに機嫌の悪いカナタがフンと鼻を鳴らした。

 

「ゴチャゴチャ聞こえて起きちまった。そしたらお前が隣の部屋で何かやってるじゃねえか。深夜の映画なんて絶対楽しいだろ。誘えよな…………」

「あ。い、いや、これは映画を見ていたのではなくてな」

『──以上が十七区フラワーガーデンの特集でした。お休みの日には皆さんも足を伸ばして、かわいらしいお花を愛でてはいかがでしょうか』

 

 二人の視線はテレビの画面に吸い寄せられていった。

 どこかの高原が映し出されていて、白飛びした映像の中で、風に揺れる一輪の可憐な花が大写しにされている。

 

「はな?」

「そう。お花だ」

 

 画面にへばりつくような様子のレイジに、何がそんなに面白いのかとカナタが首をひねる。しばらく彼の様子を見守っていると、彼は、疲れた顔に屈託の無い笑みを浮かべて振り返った。

 

「俺はお花を育てようと思う」

 

 ■

 

「じゃ、パンジーだな。ボウヤみたいな不器用さんには、パンジーの一択だ」

 

 翌日──町内にあるホームセンターの園芸コーナーを訪れたレイジに、店員は、まるでこの世の摂理でも語るように言い放った。右目の下に、引っかき傷のようなケロイドのある男だった。

 

「パンジーって、あの小さくてかわいいお花のことか?」

「イエス、パンジー」

 

 摂理。

 それを物語るのはこの建物も同じだ。

 店員の世話のたまものか、それとも何か別の原因があるのか、異常成長を遂げたツタが園芸コーナーの大半を飲み込んでしまっていた。

 まるで文明崩壊後の廃墟のような風情を漂わせる中で、店員は近くの支柱に絡みついたツタが顔の前に伸びてちょっかいを出すのを何度も払いのける。

 

「パンジーって初心者でも育てられるのか」

「パンジーはいいぞ。強いし、冬以外ならずっと咲いてるし、色も形もきれいだ」

「なんで花なんていきなり育てたがるかね」

 

 カナタは、パンジーパンジーと壊れたレコードのように繰り返す男たちを気味悪そうに見上げていた。

 しゃがんだ彼女の前には、雑多に積まれたケージがある。このホームセンターでは、ペットコーナーが園芸ゾーンのど真ん中にあり、当たり前だがツタによる容赦ない侵食に晒されていた。

 

「レイジの映画でこんなん見たな……ジュ……ジュなんだっけ。罰ゲームみたいなスゴロクやるやつ……」

 

 やりたい放題に繁殖した植物はケージの中まで枝葉をのさばらせており、緑の侵略者の魔の手に晒された動物たちの視線にこめられた「連れ出して」という切実さは並のものではない。

 

「でさ。オマエはどう思う? 部屋を片付けられない筋肉モリモリのマッチョに花なんて育てられるモンかね?」

 

 ケージに突っ込んだ彼女の指などお構いなしで必死に植物の茎をかじり続けるハムスターに、彼女はいつしか語りかけていた。

 

「花の前にシャツの畳み方くらい覚えてほしいでチュよねー、マッチョくぅん────はっ!?」

 

 ついついハムスター語を使ってから我に返ったカナタは、弾かれたように振り返った。

 

(今の聞かれたら、殺すしかねえ!)

 

 しかし、巨岩のような大男は、依然として店員と並んでカラフルなパンジーを選んでいる最中だ。カナタは小さくため息をついて、拾い上げたレンガを元の位置に戻した。

 

「手ごろトコならここらへん、どうよ」

 

 カナタの安堵など知らぬ店員は、コーナーの端に寄せられた園芸ポットの山を顎でしゃくった。黄色いパンジーが植えられているが、カナタの目には、その花弁の端が茶色くちぢれているように見えた。

 

「分かった。とりあえず五十株もらおう。いくらだ」

「オマエはマンションをパンジーまみれにするつもりか」

 

 耳を疑う量だったが、レイジの金はレイジのもの。小首をかしげるハムスターを見下ろしながら、彼女は小さくため息をつく。

 

「これだから野郎の買い物は……」

「ちょうど商品の入れ替えがあってな。値下げしてやるよ」

「本当か? 助かる……カナタ! この人、いい人だぞ! この人いい人!」

 

 レイジがすぐ横から大声を張った。レイジの大声が、うっそうとした園芸コーナーに響き渡る。それを捕食者の咆哮と勘違いした臆病なモルモットはカナタの指の間をすり抜けて、ケージに敷き詰められたおがくずの中にもぐってしまう。

 

「うるせえ! 声がでけえ!」

 

 自分の声もじゅうぶんデカいということに、カナタは気づいていない。

 

「ンー、ただなあ。坊やのマンションの植え込みってのは、だいぶ放置されてるんだろ? すっかり土が不健康になってるかもしれんなあ」

 

 大きなケロイドがつっぱるのか、そこをポリポリかきながら、店員は足元に詰まれた園芸用土のパックを蹴って見せた。

 

「悪いことは言わんから土買っとけ。あと害虫と鳥避け」

「虫はわかるけど、鳥が悪さをするものか?」

「花むしっちまうんだよ。きっと甘くてウマいんだろうな。ちょうどここで売ってるから、防鳥ネットをかけとくといい」

「やっぱり親切だな」

 

 カナタにはこの店員の魂胆が手に取るように分かる。あほな学生を引っ掛けて、在庫処分ついでに売り上げを伸ばすつもりだろう。だが、こんな手に引っかかるレイジの方が問題だ。ここはいい教訓として、あえて黙って彼女は見守ることにする。

 

「あとはスコップだろ。スプリンクラーだろ」

「ジョウロでいいだろ」

 

 ぼそりとツッコむカナタなど気にも留めず男は続ける。

 

「道具を運ぶ台車に、なんだったらスプリンクラーの設置工事も手配してやろうか?」

「本当か? 助かる。どのくらいかかる?」

「オトモダチ料金でかまわないぜ。ま規模によるが、大体五十くらいから──」

「おいオッサン。あんま調子乗るなよ!」

 

 さすがにそればかりはアウトだ。あわててカナタが止めに入った。

 

「ぶー。お兄さんだもーん」

 

 唇を尖がらせて、店員は制服のベルトからスチャリと大きなマシェット(大ナタ)を引き抜いた。

 唐突な凶器の登場に、学生ふたりに戦慄が走る。

 ……が、彼はそれで、秘境と化した植物売り場にはびこるツタや枝をバサバサ切り落としながら、頼まれた品物を取りにバックヤードへ向かっていくのだった。

 

「この町、ヘンなのばっか!」

 

 慌てて立ち上がった拍子に持ってきてしまったケージを、カナタがそっと元に戻す。ハムスターは完全に震え上がってしまい、影も形もない。

 彼女は名残惜しく「ばいばい」と手を振ってみる。

 

「あの人はせっかく親切にしてくれてたのに、カナタの言い方はよくない」

「オマエってさ、素直すぎるし、金の扱いヘタすぎ」

 

 あやうく騙されて数十万の大工事をやらかすところだったとも知らず、レイジの態度は能天気そのものだった。こんなニブちんにつくづく花の世話が出来るのかと、改めてカナタは重たい息を吐く。

 

「買うのは必要最低限。いいな。あとはアタシに任せろ」

 

 

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