海の彼方で、カナタを想う   作:おぴゃん

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3.まぶたの裏で蝶が羽ばたく(2)

 

 

「男と女が思いつめた顔でスコップ借りてくってさ……」

 

 放課後、暮酒店の店先には父と子。黄色い日差しの下でフミオが電動バイクの配線にてこずる傍で、丸イスに座ったブンタが足の爪を切っている。

 

「……どういう状況だろうな。なんかヤベー事件の片棒担いじゃったかな、俺様」

「なんじゃそら。うわちちっ! あっぶねえ!」

 

 派手に手元が狂って配線をミスったフミオの顔を、眩しいスパークが一瞬白く染め上げた。焦げ臭いニオイが漂ってきたのを、ブンタは鼻をしかめながら手であおいで追いやる。

 

「いじり回す前に電源切れって!」

「切れねえからいじってたんだよ!」

 

 フミオを軽く突き飛ばして、ブンタが露出したバイクの心臓部を覗き込む。

 

「なんじゃこりゃ。グロ画像だろ、もはや」

「こんなでも大事にしてきたんだよ。どっかの誰かさんみたいに機嫌がコロコロ変わるし、気味の悪い汚れまみれだけど……アンタの愛車だろ、こいつ」

「ああ……」

 

 フレームの内側にこびりついた黒い汚れを、ブンタが指でなぞる。

 

「こいつは本当に、よく走った」

「あんたって、昔はどんな仕事してたんだ?」

 

「んー」ブンタはすぐに答えないで、指先についた黒い煤のようなものを見つめていた。彼が軽く指を摺り合わせると、それは風に乗って、煙のように消え去っていった。

 

「まあ。言いたくないってんならいいんだ。ただちょっと、興味が沸いただけで」

「俺様は軍隊にいた」

 

 その思いがけない言葉に、フミオは一瞬言葉を失い、じっとブンタを見つめた。

 

「僻地の基地でそれなりに楽しくやってた。でも世紀末にでっかいバケモノがやってきて、世界を滅ぼした。俺は後方にいて、このバイクにしがみついて、なんとか生き延びた」

「それ、なんかの例え話か?」

 

 ブンタはかすかに笑みを浮かべ、わずかに肩をすくめる。

 

「だったらオッサン、これはなんだよ。このクソみたいな田舎町は。世界は滅んだんじゃねーのか」

 

 フミオが顔を上げ、午後の穏やかな商店街を眺める。日差しが柔らかく射し込むアーケードの下、下校する子供たちの笑い声が響いていた。

 

「おう」ブンタが、向かいの八百屋のオヤジに手を振り返した。

 

 ひさしの作る薄暗さの中で、ガリガリの男が目元にしわを寄せて笑っている。彼は遊園地のアトラクションの飾りの骸骨のように、ギシギシと音が聞こえそうな機械的な動きで手を振っていた。

 それを、フミオが冷ややかに睨み付けている。

 

「おいフミオ、ご近所さんには愛想よくしとけって」

 

 ブンタが彼の脇腹を小突いた。

 

「あれ、ヨシんとこの暴力クソオヤジじゃねえか。好きになれねえ」

「…………お前さんの言うとおり、例え話だよ。ほら、例えば俺サマがデカい会社の重役で、左ウチワでやってたけど、ある日監査が入って全部失って、ただの酒屋のオヤジになっちまった……みたいな」

 

 パン屋から漂う香ばしい匂いを胸いっぱいに吸い込んで、ブンタは、重々しく吐き出した。

 

「ンだよ。またフカしたろ」

「へへ」

 

 ブンタは笑うだけだ。

 

「こっちはマジメに聞いてるのによ」

「わりいな。年寄食ったいい男ってな、ふざけないと格が保てないのよ」

 

 伸びをして、ブンタは店の中に入っていく。フミオは配線を繋ぎ直すふりをしながら、振り返った。光の加減で真っ暗闇になった店の奥に消えていく彼の後姿が見える。

 

「……な、オッサン!」

 

 フミオが声を張り上げたが、ブンタの返事が返ってくることは無い。

 

「ンだよ……いい男ってやつが、クソガキの軽口で気分悪くしちまったワケ……?」

 

 一向に言うことを聞かないバイクのモーターを軽く蹴り飛ばして、フミオは立ち上がって店の奥に入っていった。今日はカナタが休みを取っていた。いつもメイド服を着た彼女がちょっかいかけてくるカウンターは無人で、きっちり閉じてあるハッチが、珍しく開いたままになっていた。

 

「品出しか? たまには手伝うかー?」

 

 中に声を掛けるが、返事はない。

 肩をすくめて、フミオはハシゴを降りていく。地下のひんやりした空気の中に、いくつものセラーが立ち並んでいる。ブンタはいい加減な男だが、本当に価値のある酒を店先に並べないくらいの分別は持っている。

 バイクの整備に使っていたペンライトを点けて、フミオは薄暗い地下室の中を照らした。しかし、ブンタの姿はない。

 薄闇の中にただ静寂だけが存在していた。

 

 ■

 

 ガードレールに激しく車体を擦り付け、クリーム色のバンが曲がってきた。オレンジ色の火花を派手に散らせる姿はハリウッド映画の撮影のような迫力だったが、カナタは見慣れたもので、いちいち驚いたりしない。

 

「ウゲーッ!」

 

 毎回曲がるのに利用されてベコベコになったガードレールと同じくらいのダメージを受けたバンの中から、キリエがデロリと転がり出てきた。

 不摂生な生活と連日連夜の深酒。おまけに自分の雑な運転にトドメを刺されて、その顔は青を通り越して白い。

 駐車場の白線を完全無視したヤクザ停めをかました彼女は、エクソシストじみたブリッジの姿勢から腹筋の力だけで起き上がると改めてマンションの植え込みを見た。

 

「今日も相変わらず白いですねえ。化粧品何使ってんですか? ペンキ?」

「顔色のコトならキリちゃんに言われたくねーんだけど」

 

 そこに腰掛けたカナタが、ジトリと睨んでくる。

 彼女のすぐそばには大きな穴が開いていた。穴の底からはザクザクと音が聞こえ、湿って泥の塊のようになった土が次々と吐き出されてくる。

 穴はマンションの基礎すらブチ抜いてしまったようで、二人の足元には土くれに混じって、砕けたコンクリートの塊がいくつも転がっていた。

 

「死体でも埋めてるんですかー?」

 

 飛んできた子供の頭ほどもある土の塊をヒョイと避けてから、キリエが穴を覗き込んだ。

 

「そういうの案外すぐ見つかりますよー、オススメはミキサーを買ってですね」

「……なんですかー?」

 

 垂直に五メートルほど掘り下げられた穴の底にはレイジがいた。それまで一心不乱にシャベルを振るっていた彼がキリエに気づいて見上げると、その顔はまるで炭鉱労働者のように真っ黒に染まっていた。

 

「パンジー」

 

 穴のすぐそばに積み上げられた園芸用土のパッケージに、カナタが腰掛けた。わけのわからないことをいきなり言われて、キリエは首をひねるしかない。

 

「へ? あんですって?」

「パンジー植えンだって。ヘンな店員にあれこれ買わされて、今、ドジョーのカイゼンとやらをしてるとこ」

 

 キリエはもう一度穴の底を見下ろした。

 土の入れ替えはそれなりに根気の要る作業だろうが、これでは井戸掘りだ。どこの誰が、この疑うことをまるで知らない高校生男児にテキトーなこと吹き込んだのか──キリエには、心当たりがあった。

 

「もしかしてホームセンター行きました? 草まみれになってるトコ」

「ウン、刃物持ったオッサンが出てきてさ。マジでビビった」

 

 こーんなの、とカナタは右目の下をなぞって、そこの店員の顔にあった特徴的なケロイドを表して見せる。それで完全に合点がいったようで、キリエは口を半開きにして呆れ顔だった。

 

「…………あいつかぁ。まだヘンなシノギやってんのかあ……」

「あのオッサンって、センセーの知り合い?」

「本職の方の同僚って感じです。おーい、レイジくーん。そんな深く掘らなくても大丈夫ですよー!」

「……なんですかー?」

「園芸ってそういうのじゃないと思いますー!」

「もっと掘ればいいんですねー」

 

 やる気を出して土をどんどん掘り続けるレイジ。さっきよりも彼が深くに掘り進んだように見える。傍らの脚立がもう役に立たないことに彼が気づくのはいつになるだろうか。

 

「ところでセンセー今帰り? 今日、早いんだな。ウチでメシ食ってく?」

「そうしたいところですがね。急に本業の方から呼び出し食らって、緊急会議ですよ。私がいた所で、どうせ酒飲むか暴れるかしかやることないのに」

「ここには何しに来たワケ?」

「そりゃ決まってるでしょ。問題児どもの様子見ですよ」

 

 いつもの銀のスキットルを取り出して、キリエは思い切りあおった。青白かった彼女の顔に、にわかに血の気が戻り、恍惚とした顔が赤みを帯びる。が、それは一瞬にして蝋のような白に逆戻りした。

 

「う」

 

 空を見上げたまま、キリエが固まった。

 

「……センセー?」

「う……おお……げぷ……よし……口の中にちょっと吐いたけど……セーフ……」

「キリちゃん!?」

 

 見ているカナタのほうまで胸を悪くしそうな光景だった。酒でうがいをして、それを飲み込んで始末してから、彼女はまた、へろへろとバンに戻っていって、エンジンをかけた。

 

「じゃ、健康な青春の様子をしっかりと見させてもらったので……えーと、アクセルとブレーキはと……右と左が……おハシを持つのが左手で、おわんを持つのも左の手……ありゃりゃ」

「飲酒運転って言葉、知ってるか」

「知ってますよ。先生の職業知ってますか? 先生ですよ?」

「なおさらヒデーよ」

 

 何を言ってもムダな酒乱に、うんざりしたカナタがブラブラ手を振って見せる。それを見て愉快そうに笑っていたキリエだったが、すぐにピタリと動きを止めると、じっと見つめてきた。

 

「レイジくんと暮らしてみて、どうです?」

 

 キリエにいきなり真面目な顔をされると、カナタは面食らう。

 

「うまくやれてます? うまく、やっていけそうですか?」

「なんだよマジな顔になって──『うまくやる』って、どういう意味?」

「そのままの意味ですよ。ほら……」

 

 そこで一度言葉を切って、キリエは駐車場の片隅の、錆びた鉄骨を視線で示した。

 

「……彼、ちょっと変わってるでしょ」

 

 意味深な間を持たせられたが、カナタにはあの赤錆まみれの汚物とレイジの関係がまったく分からない。それを問いただす代わりに、腕組みして、じっとキリエを見つめ返す。

 エンジンの音、穴から放り出される土が落ちる音、鳥の鳴き声。それらを聞きながらしばらくカナタは考え込んでいたが、しばらくして、首を縦に振った。

 

「それなりに楽しくやってるよ。キリちゃん、心配しすぎなんじゃね」

「痛い目、辛い目、見てません?」

「レイジが守ってくれるから。大丈夫だ……ゲ。アイツの口グセ、うつっちまった」

 

 こっちのほうが深刻だっつーの──と顔をしかめるカナタに、キリエはヘニャリといつもの酔っ払いらしい笑みを見せて、バンを急発進させた。ハザードつけっぱなしのクルマが夕日が差した駐車場をぐるりと巡ってから出て行くのを、カナタは手を振って見送る。

 それから植え込みに目を戻すと、飛び出してくる土砂が止まっている。カナタは穴を覗き込んでみた。

 

「どした、レイジー!」」

「水だ! どんどん滲み出てくる!」

 

 およそ十メートルほど掘ったあたりで、レイジはしゃがみ込んでいた。

 あたりの地中からかなりの勢いで水が滲み出てきている。土の匂いの中に別のものを感じて、レイジはすくった水に顔を近づけた。生臭い。例えるものが見つからないが、確かにどこかで嗅いだことがある。

 

 それを、軽く舐めてみる。

 

「塩辛いな」

「もう十分だろ! 上がってこい。土入れて、植えちまおうぜ!」

「ところでパンジー、見ていてくれたかー!」

「…………パンジー?」

 

 ややあってから、彼女は振り返って、園芸用土の脇に置かれたパンジーだったものを見つめた。あたりには転々と花びらが散らばり、鳥のフンが落ちている。

 

 ■

 

「フミオ、どう思う?」

「それ、本当にコメントしなきゃダメ?」

 

 翌朝、いつものようにフミオがカナタを迎えにマンションを訪れると、惨状が広がっていた。

 暮酒店から借りたスコップがヘタるほど頑張って土を入れ替えた植え込みは、水のやりすぎで泥沼のようになっている。コンクリートの建物が落とすひんやりとした影が落ちた茶色い水の中で、しおれたパンジーが漂っている。その姿が、なんとも物悲しい。

 

「アタシたちで、何か力になれないかな」

 

 カナタが言った。

 

「あのヤロウに遠回しに園芸やめるように勧めるとか?」

「ダメ。せっかくレイジがやろうと思ったんだから、応援しなくちゃだろ」

「アイツにこういうのはムリだって……」

 

 ぼやきながら顔をしかめるフミオ。その時、背後から聞き慣れた声が響いた。

 

「おはよう、フミオ」

 

 五十株のパンジーを見事に全滅させた直後だというのに、レイジはいつもと同じ、何を考えているのかサッパリ分からない無表情だ。ノシノシ歩いていって、花壇の前で立ち止まる。顎に手を当て、しげしげと泥沼を見下ろす彼を指差して、フミオは肩をすくめた。

 

「ほら。さして気に病んでもいねえだろ?」

「これだけ派手に失敗したら、レイジも流石に落ち込むよな……」

「ああ。そうだな────そっ、ええ!? あれ、落ち込んでんのかよ!?」

 

 カナタの言葉に半分くらい頷いてから、フミオは引っくり返らんばかりの勢いで仰天した。彼女は彼女で、彼の言葉が信じられないと目をぱちくりさせている。

 

「何言ってんだ。トモダチだったら、そんくらい分かっとけよ」

「つっても、アイツの顔ってテレビの砂嵐みたいなもんだろ」

「なにそれ」

「同じ表情、同じ返し、同じテンション。会うたびデジャヴ」

 

 フミオは大股にレイジのところまで歩いていくと、その顔を覗き込んだ。右、左、ブロックに上って上から、しゃがんでローアングルから──いろんな方向から確認したが、それはやはり、いつもの無表情の再放送でしかない。

 

「な? 悲しそうだろ?」

「すまん。撤回するわ、砂嵐見てるほうがまだマシ……」

 

 前衛芸術を鑑賞しているような顔でフミオがうなっている。レイジはというと、顔の周りでどれだけうるさくやられても微動だにせず、じっとパンジーの成れの果てを見つめていた。

 

「一緒に暮らしてると、分かるようになってくるのか?」

「なあ、レイジ立ち直るの時間かかるから、早くいこ」

 

「あ、ああ」カナタに急かされてフミオは腕時計で時刻を確認した。のんびりやっていたが、気づいたら結構ギリギリだ。

 

「じゃあなデカブツ。先行ってるぞ」

 

 フミオはレイジの前でヒラヒラと手を振るが、当然のように無反応だ。彼はもともと、まともな反応を期待していないが──カナタの目には、立ち尽くした大男の姿が、どうしようもなく痛ましく映るらしい。

 

「……またパンジー買ってきて、やり直そうな。アタシも手伝ってやるから」

 

 彼女の言葉にすら、レイジは答えなかった。

 

 レイジの手は、小刻みに震えていた。

 傷跡だらけのごつごつした両手をそっと伸ばして、水溜りの中からパンジーの花弁を拾い上げる。くすんだ黄色をしばらく見つめた彼は、それを何の躊躇もなく潰した。

 

 ヒタリ。

 

 渦巻く泥の上に赤黒い血が滴った。

 握り締める力があまりに強すぎて、彼の指先が裂けてしまっていた。自分の体と心を圧搾するように血を流していると、次第に、両手に刻まれた無数の古傷が白く浮かび上がってくる。

 彼は、いまにも傷を突き破って、おぞましいものが飛び出してくるような感覚を覚えていた。

 

 ■

 

「アタシの記憶さあ、戻るかなあ」

 

 いつもの交差点でいつものように信号につかまったフミオに、カナタは投げかけた。

 

「詳しくねえけど、そういうのって、じっくり焦らずやってくのが大事なんじゃねえか?」

「じっくりゆっくりって言っても、やっぱり焦るぞ。自分の名前しか思い出せないクセして、わけも分からず海に行きたいんだ。どうなっちゃってんだよ」

「どうなっちゃってんのって。それ、こっちが聞きたいんだよね……」

 

 フミオはハンドルにへばりつきながら幽霊屋敷のほうを見やる。

 

「おん?」

「どした?」

 

 もはや慣れ親しんだ動作で、振り返そうとした手を中途半端に上げたままの格好でフミオが固まっている。

 

「今日、いないなって……」

 

 いつもの交差点、いつもの屋敷、いつもの窓、そこに白いカーテンが揺れている。彼にとってありふれた朝の風景に、例の『お嬢さん』の姿だけがない。

 

「そりゃ、そういう日もあるだろうよ。向こうさんだってヒマじゃねえだろ」

「でもよお!」

「ほら信号、青になった。フミオ、ゴー」

 

 カナタから背中を叩かれ、そして後続のバンからクラクションを鳴らされて、フミオがヘルメットの上から頭をかきむしった。「ぐおおお。くそ、出発進行!」

 

「えっ、ちょ!?」

 

 バイクが、カナタが予想したのと、てんで違う動きを始める。タイヤから白煙を上げ、正反対の方向へ転換するバイクの荷台で彼女はフミオの腰にしがみつくのでいっぱいいっぱいだ。

 

「なんだよこれ! なんなんだこれ!」

「いいコト教えてやる。いつかカナタがバイクに乗るとき、後ろからガナってくるヤツにどうやり返すかってのを!」

 

 攻撃的な笑い声を上げながら、フミオはアクセルを全開で吹かした。

 

「そういう時は中指だッ! ホラ中指立ててやれ! ダブル中指スペシャルだ!」

「ええ……」

 

 恐ろしく汚いハンドサインを強要されて、渋々カナタが応じる。すれ違いざまに二人は後ろの車に四本の中指を突き出した。

 

「あ」「げ」

 

 フミオとカナタの表情が固まった。

 運転席から、ハンドルを抱えたキリエが三白眼で睨んでいるのが見えたような気がするが、確かめるまもなく、バンはバイクの加速に合わせてあっという間に後方に流れていく。

 

「……今の、センセーだよな」

 

 フミオは答えない。

 

「今のセンセーだよな! なあっ!?」

 

 フミオは沈黙を保つ。カナタも無言になるしかない。

 どんどん車を追い越しながら、バイクは快調に道を逆戻りしていく。カナタにはフミオの向かう先の見当がなんとなくついていた。

 

「熱心すぎると嫌われるぞー」

 

 予想通り、例の幽霊屋敷が近づいてきていた。

 

「いいじゃねえか、ちょっと行って見てくるだけだ。付き合え。別に皆勤賞目指してるってワケでもねえだろ」

「アタシ退学になりたくない」

 

 背後で体を前後に揺するカナタに、フミオはバイザー越しにちらりと目をやった。

 

「一度や二度の遅刻で退学にはならねえと思うぞ」

「思うじゃダメなんだって。せっかく高校に通えるんだから、しっかり卒業したいんだよ」

「高校に通える……」

 

 ブレーキ音を響かせてバイクが急停車したので、カナタはフミオの背中で顔面を強打するハメになった。

 

「いでえ!」

 

 彼女が鼻を押さえる間もなく、オンボロバイクのモーターが不安定なうなりを上げ──フミオはそれを殴りつけた。そして再び方向転換する。

 

「やっぱやめ。ガッコ行こ」

「お、お、お、お前なあ! アタシのことバカにしてんのか!」

「ああ。だってカナタ中学の内容もロクにできないバカだろ。しっかり勉強しなきゃな」

「フ、フミオ……本気でアタシとケンカするか……?」

 

 鼻どころではなく、顔を真っ赤にしたカナタが、フミオの腰に回した腕に力を込める。

 

「ぐええ」

 

 フミオが呻いた。

 

 それから二人はしばらく何もしゃべらずに朝の通学路を走り続けた。

 モーター駆動の電動バイクはひたすら静かで、黙っていると風を切る音がやけに大きく聞こえてくる。

 この沈黙はカナタにとって苦痛ではなかった。まだ土地勘のない西町の風景を眺めて覚えるのには絶好のタイミングだったし、何より山奥の地方都市の朝の雰囲気が好きだ。

 

 少しひんやりとした空気の中、うっすらと白い霧が街全体を覆っている。霧の隙間に淡い朝焼けが差し込み、商店街の錆びた看板を柔らかく照らしている。遠くから電車の音と、踏切のカンカンという音が聞こえた。

 

 そんな風景に、渋滞に捕まって苛立っている様子のバンや、ぼんやりと走ってくるレイジの姿が混ざる。だんだんと近づいてくる学校のベランダから、ルリコらしい人影がグラウンドを見下ろしているのが見えた。

 

「ダセー町だよな」フミオはそう言う。

「アタシはそうは思わない」カナタはそう返す。

 

 カナタの目の前で、フミオの肩が大きく下がった。

 

「はー、お前もかよ。どいつもこいつも、オラが村が一番、ってか」

「フミオはこの町が嫌い?」

「嫌いじゃねえよ。ダセーもんがイヤなだけだよ、俺は」

「じゃあやっぱり嫌いなんだろ」

「違うんだよなあ……そこんとこ、俺もうまくは言えないんだけど」

 

 シャッターの立ち並ぶアーケードを覗き込みながらフミオが呟く。ヘルメット越しに見える彼の目が、朝日を受けて琥珀色に輝いている。

 

「なんつーか……ハッキリ好きになるきっかけがない、みたいな」

 

 カナタは黙って、ライダースジャケットに覆われたフミオの背中を優しく撫でた。

 

「ンだよ」

 

 困ったようにフミオが身をよじった。

 

「さっき、引き返したじゃん?」

「あ? ────ああ。そうね」

「フミオって、いいやつだな」

「……どうだろう。優柔不断なだけだろ」

「おっと」

 

 カナタが、わざとらしく声を上げた。

 

「送ってもらったお礼に、今日のお弁当は卵焼きか肉団子、好きな方を選ばせてやろうと思ったけど。困らせちまうな」

「バカにしてんのはどっちだっつーの。それくらい自分で選べるわ」

 

 フミオは笑った。笑ってから真顔になった。

 

「で、カナタ的にはどっちがオススメ?」

 

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