海の彼方で、カナタを想う   作:おぴゃん

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4.その名は『焼失』(3)

 

 黄色いテープで封鎖された扉が立ち並ぶ長い廊下に、レイジの声が響き渡っている。

 

「──つまり予算の事情というわけだ」

「その情報、何もつまってないから」

 

 ようやくレイジに手を離してもらったルリコのテンションは最悪だった。いくら水を差そうが、今の彼には通用しない。

 

「特に影響を大きく受けたのがトリガーというキャラだな。予定されてたアクションの大半がカットされて、体にくっついてる翼はその名残。観るときは、そのへん意識して見ると、終盤の不自然なカットの理由が──」

 

 普段は無口で無骨なレイジが、まるで解説マシンのように喋り倒している。

 脳内にこれ以上“クソ映画情報”を押し込まれたくないルリコとフミオは、両手で耳をふさいで、逃げるような早足で先を急ぐ。

 

「レイジがこんなにしゃべるの、ブキミすぎんだけど」

 

 ポカンと口を開いて、カナタがレイジを見上げている。彼の目は焦点が合っていない。完全にイッちゃっている。

 

「そういえば、カナタは初めてだったな」

「レイジのアホンダラはね、この映画の話になると毎回これ。覚悟しときなさい」

 

 フミオがレイジの目の前で手を振ってみるが、やはり反応はない。

 彼は相変わらず誰にも届かないプレゼンを続けながら、唯一開いている劇場のドアを押し開けた。そして片手を伸ばしポッカリ口を開けた暗闇の中へと入るよう促してくる。

 その仕草は、彼にしては気味が悪いほど紳士的だった。

 だが、これから見せられる映画のアレさを熟知しているフミオとルリコにとっては、その姿は地獄の水先案内人さながらだ。

 

「アタシ一番乗り!」

 

 中に飛び込んでいったカナタは、キンキンに冷やされた空気に思わず肩を縮めた。

 ロビーの冷房なんて、ここと比べたら生ぬるいゾウの鼻息みたいなもんだ。やりすぎなレベルで冷房が効いた空気に二の足を踏んでいると、背後からふわりと何かが肩にかけられた。

 

「これを」

 

 レイジが立っていた。

 

「あ、ありがとよ……」

 

 毛布かと思ったそれは、プール用に持ってきた分厚いバスタオルだった。となりで同じようにタオルを受け取ったルリコが、意味ありげな目つきでこちらを見てくる。

 

「こういう気づかい、アイツらしくなくて、マジでキモいんだけど……」

「たぶん、気を散らさず映画に集中して欲しいんでしょ。あんなクソ映画に──」

「クソ映画ではない!」

 

 聞き捨てならない一言に、レイジの声が劇場に轟いた。

 ルリコは肩をすくめて、さっさとその場を離れる。

 

「はあ……寝てていいかしら」

 

 シャツにタオルを引っ掛けたまま、さっきのケロイド男が面倒くさそうに映写室へ入っていく。その背中を見送りながら、彼らはどの席に座ろうかとシートを見回した。

 

「レイジ、お前はいつものとこだよな」

「ああ」

 

 さっそくド真ん中に陣取ったレイジが、最後列で寝やすそうな席を選んだフミオにサムズアップを返す。

 あまり場所にこだわりのないルリコが中央列の端あたりに腰掛けてボンヤリしていると、すぐ横のシートがギシリと軋んだ。

 

「となり、座らして」

 

 ポップコーンを抱えたカナタが、返事を聞く前に体をねじ込んできた。そんな彼女に、ルリコは見向きもしない。

 

「ここからが長いのよねえ」

 

 ルリコの言葉は、まるで独り言のようだった。カナタが何か聞き返す前に、劇場がブザーとともに溶暗し、彼女のうんざりした横顔は闇に沈んだ。

 

 まずは予告編だ。

 何十年も昔に公開された映画の予告。

 寝ると言っておきながら、空腹と騒音で寝付けそうになかったので、一応ルリコも目を向ける。

 それは、時系列が複雑すぎて悪名高いシリーズ映画の、エピソード4が上映された年のものだった。

 

「何、もう、始まったの?」

 

 いきなりスクリーンに登場したマーク・ハミルが奇妙なロボットたちと言葉を交わすのを、カナタは少し困惑して見つめていた。

 

「アンタ、映画館はじめて?」

「ウン……だと思う」

「これは予告編ってやつ。他の映画の内容とか、これから上映される映画のこととか、紹介してくれるの」

「へえ、いいじゃん。サービス精神っつーの?」

「いつまでそんなこと言ってられるかしらね」

 

 古ぼけた座席のクッションにルリコが深々と体を沈めた。その隣に座ったカナタは十数年前の新作映画の予告に目を奪われている。

 

「あのさ、カナタ」

「うん」

 

 暗がりの中、ルリコは心底面倒なものでも見るような目でカナタを見つめる。

 

「『好きな席に座りましょう』って感じだったでしょ?」

「だから、好きなところに座った。ルリコの隣」

「アンタのせいで私はこの席が嫌いになった」

 

 ルリコが一席ずれて逃げた瞬間、カナタも当然のように隣へ詰めてくる。

 

「なによ」

「アタシの作った弁当、そんなにイヤだった? ニガテなもんとかアレルギーあるなら、言ってくれれば──」

「そういうわけじゃないってば……ッ、マジで面倒くさい!」

 

 ルリコは自分の舌打ちがスクリーンの爆音にかき消されたと信じていた。

 だが、隣のカナタにはしっかり聞こえていた。

 カナタは手元のポップコーンをじっと見つめる。

 映画を見るなら、バケツ一杯のポップコーンが絶対に必要──ケロイド男が、たしかそんなことを言っていた気がする。

 けれど、一人で食べていると、発泡スチロールのように味気ない。

 

「おらよ。あげる」

「やめてよ馴れ馴れしい!」

 

 スクリーンの中でぶつかり合うライトセーバーが、火花を散らす。乱暴に押しのけられたポップコーンの容器から、はじけた粒がスパークの光に照らされた。しばらく黙っていたカナタだったが、不意に顔をしかめた。

 

「ンだよ、アタシそんなにルリコに嫌われるようなことしたか!?」

 

 ついにカナタも声を張り上げる。

 ルリコが険しい顔で振り向き、叫び返した。

 

「アンタは何もしてないわよ────ごめんね!」

 

 ちょうど、予告編と予告編の切れ目だった。劇場が一瞬、静寂に包まれる。

 

「あ……おう」

 

 てっきりもっとキツい言葉が返ってくると思っていたカナタは、呆気にとられる。その沈黙の中、もう一度だけルリコが小さく「ゴメン。どうかしてた」と謝ってきた。

 

「もういいよ……アタシも、なんかごめん」

「食べないとイライラするわね。やっぱ」

 

 深々と溜息をついて彼女はスカートを握り締めた。

 

「なんでそうなっちまってんだ」

「なんでそんなに私に構うの」

 

 二人の視線が交差した。

 

「じゃあ同時に打ち明けで」

「おう」

 

「丸二日食べてない」

「初日に握手してくれたから」

「それだけ!?」

「そんなに!?」

 

 二人は、同時に目をそらした。それから視線のやり場に困った二人は、どちらからともなく自然とスクリーンへ目を向ける。まだ予告編は続いていた。

 

「ところで、予告っていつまで続くんだ」

「ヤバいでしょ。これが毎回。どこの映画館行っても」

「ウソだろ……なんかの刑かよ……」

「だから私は映画が嫌いなの」

 

 しばらく、無言になる。

 カナタは手元のポップコーンを、そっとルリコの膝の上に置いた。

 今度は、払いのけられなかった。

 

「これ甘いやつじゃん……いいセンスね」

 

 ルリコはそれをしばらく見つめたあと、おにぎりほどの塊を、豪快に掴んで一気に口に放り込んだ。

 

「ポップコーンってさ、そういうペースで食べるもんじゃねえだろ……」

 

 ルリコは返事もせず、夢中で口を動かしている。じっと見つめるのも悪い気がして、カナタは目をスクリーンに戻した。

 

「うま……やっぱ映画館はこれよね。クソ映画も予告編もカンベンだけど」

 

 ルリコは甘いソースのついた指を舐める。劇場の薄暗さのせいか、いつもキレてる彼女が普段よりずっと素直に振舞っているように見えた。カナタは、どう反応すればいいのか分からなくなった。

 

「……そのくらい素直にアタシの作った弁当も食べればいいのに。タダだぞ」

「だから私を特別扱いするのはダメよ。みんなが見てるんだから」

「どうして」

「アンタならどう思う? アンタが金出して買ってるもんを、仲いいって理由でタダで渡してるところ見たら、なんかモヤモヤしない?」

「そんな下らないことで意地張ってんのかよ!?」

「下らなくなんてない。アンタ、学校来るの久しぶりなんだって?」

 

 カナタの曖昧な頷きを見て、ルリコは困ったように笑った。

 

「だったら、友達ができるのも久しぶりでしょ。せっかく仲良くなったのに、そいつらとアンタをギスギスさせたくないのよ」

「つまり……ルリコはアタシのことを考えて?」

「そう言われるとなんだか恥ずかしいけどね」

 

 居心地悪そうに身じろぎして、ルリコはポップコーンのバケツを抱え込むように背中を丸めた。

 

「転入生が早くクラスに馴染めるようにするのは、生徒会長の仕事でしょ」

「てっきりカッコ悪いとこ見せたくないとか、プライド高いだけだと思ってた」

「張り倒すわよ……ま。私も、しょうじきアンタのこと好きじゃないから、おあいこってカンジか」

 

 カナタは軽くうつむいた。

 

「なんで?」

「だってアンタ、強引じゃん」

「……海のこと?」

「そう。ああいうの」

「だって……最初に握手してくれたろ。ルリコ、いいやつだと思ったし、一緒に行きたかったんだ。それだけだよ」

 

 カナタはふと視線を横に流し、ルリコの様子をそっと伺った。

 

「ふうん。そっか」

 

 ここ数日、張り詰めた雰囲気を纏っていた彼女とは思えないほど、やわらかな顔で小首を傾げてくる。

 

「そういうの、ちゃんと言ってよね」

 

 ぽん、と軽く肩を小突かれる。

 今なら、少し突っ込んだことを聞いても、ルリコは怒らなさそうな気がした。

 

「なあ、お前の妹……」

 

「クソだったでしょ」

 

 カナタが口を開けたまま固まったのを、ルリコはおかしそうに見ている。

 

「トモダチ。ってやつじゃん? 私たちって」

 

 なんとか彼女の気分を害さないように、丸い言葉を探していたカナタをルリコは見透かしていた。

 だから、先に気遣いぶっ壊してやったわよ──と、スクリーンの光を反射した彼女の瞳が、語っていた。

 

「あんなんでも、私の家ではかなりマシな方」

 

 スクリーンのフラッシュと、映画館の暗闇。明暗が交互に訪れるたび、彼女の吐露がふわりと漂う。

 

「ママに好きでいてほしいから……がんばって勉強して。未来のある子供って思ってほしいから生徒会やって……あることないこと吹き込まれたくないから、マリコの小遣い稼ぎにバイトして……」

 

 半ばで言葉を切って、ルリコはシートの上に手足を投げ出した。

 

「ああ、なんだろ。暗いと、言わなくていいことまで言っちゃうわね」

 

 スクリーンで炸裂した大爆発の残響に、彼女の静かな吐露が重なった。

 

「そんなの……ふつうじゃねえよ……」

 

 バカやろうが。

 言葉にはせず、カナタは自分に毒を吐きかける。そんなことは賢いルリコには当然分かっている。だけど抜け出せないのが、泥沼というものだ。

 

「わりい。アタシ」

「またそれ。西高生徒会長サマのトモダチってんなら、チラチラ顔色見ながら話すんじゃないわよ」

 

 ルリコは、胸に詰まっていたものを一気に吐き出すように言った。

 

「家のほかに、私に居場所はない」

「……縛られてるのは、居場所じゃねえだろ」

「へえ。なんか、立派なこと言うのね」

「別に、説教たれるつもりじゃ……」

 

 座席の軋む音。

 ルリコが覆いかぶさるように身を乗り出して、カナタの目を覗き込んだ。

 

「もしかして、アンタも”複雑な家庭”ってやつで育った?」

 

 スクリーンの光が、彼女のブラウスを透かす。ぼんやりと浮かび上がる体のライン。思っていた以上に弱々しい輪郭に、カナタは不意に動悸が激しくなる。

 

「……ああ、そっか。アンタ、記憶ないんだったね」

 

 言葉を詰まらせたカナタに、ルリコはそれ以上追及しようとしなかった。

 

「いいね。いっそ。そういうほうが」

 

 彼女は何事もなかったかのように自分の席に戻って姿勢を正す。

 

「確かにウチはイカレてる。だからって、子どもに何ができるわけ? 

 マリコなら、カネ渡してる間はヘラヘラ笑っててくれる。

 泥水すすって、ママの股ぐら舐めて。それでも、耐え続けてれば。いつか、きっと、何とかなる。レイジも、フミオも、そしてアンタも──みんな、他人のことを重たく考えすぎなのよ」

 

「そんなんだと、いつか死ぬぞ」

 

 口をついて出た言葉に、カナタ自身がぎょっとした。

 ルリコも、予想外だったようだ。

 

「死ぬ? 私が?」

 

 まるで不意に殴られたように、目を見開いている。

 カナタはどうして、そんなことを言ったのか分からない。口の奥がヒリヒリと痛んだ。とてつもなく恐ろしいものを、思い出しそうになった気がした。

 

「……わりい。映画、見よう」

 

 しばらく、ルリコは何か言いたげに黙っていたが──

 

「えぇ……そうね」

 

 吐き出すように呟いて、スクリーンに向き直った。

 カナタも意識を画面に向ける。ルリコと話し始めたとき敵と殴り合っていた黒髪痩躯の男が、倒れた敵たちを前に満足げにポーズを取ったところだった。

 

 

 

  

暗転

 

 

 

 

一瞬の無音

 

 

 

 その後、破裂するような情熱的なファンファーレと一緒にスクリーンに映し出されたのは、赤い”焼失”の二文字だった。

 

 □

 

 ”焼失”はジャック・ブレイザーという名前のインディアナ出身の俳優が、監督と演出と脚本を兼業しながら同名の宇宙賞金稼ぎを演じる『総天然色感動アクションコメディサスペンススペクタクル大巨編』である。

 

 目でなぞっているだけで舌がもつれそうになるほど長いジャンル名を掲げたこの映画は、実際見ればこの売り文句にまったく偽りない怪物映像であることが分かるだろう。

 

 複雑怪奇で混沌とした内容は、絶対に何が間違っても一般受けするようなものではない。

 

 スポンサーの気まぐれによって小金を手にした落ち目の映画俳優と有志が徹頭徹尾やりたい放題して作り上げたものは、映画界のサグラダ・ファミリアか、はたまたアリ塚か──そんなムチャとクチャが奇跡的に絡み合って形作られた一本の問題作なのだった。

 

 

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