海の彼方で、カナタを想う   作:おぴゃん

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5.ウイスキーは薄めで(2)

「うっす。またくるっス~~」

 

 甲高い声で、どっかの誰かのモノマネをする。

 

「──じゃ、ねえんだよ、あほんだらッ!」

 

 渾身の力でボウルに叩きつけたハンバーグのタネが花のように咲いた。やり直しだ。昨晩のことを考えながら弁当を作っていると、やたらと手に力がこもる。

 

「どこがルリコの妹だよ。なにが『おねえはウチを愛してる~』だよ。ふざけるな、ふざけんじゃねえ」

 

 早朝の台所に、カナタのボヤきと勢いよく肉をこね回す音が反響する。普段はもう少しローテンションだが、今日は既にエンジンが温まりきっている。フルスロットルで怒りを発散しながら、手際よく料理を仕上げていく。

 

「っ、ルリコは!」

 

 パン。たねをボウルにぶつける。

 

「オマエの!」

 

 パン。炸裂した塊ができる。

 

「サイフじゃねえ────っつーの!」

 

 ドスッ。最後の一発は、ほとんど拳ごと叩きつけた。

 

 そしてべちゃべちゃの塊で埋め尽くされたボウルの中を見て、カナタは我に返った。

 

「はあ、はあ……クソ。なんだよ、イライラするな、今日は……」

 

 肉をまとめてこねて形を整えながら、カナタにはイラ立ちの理由がよく分かる。

 ルリコの石頭と、そして底抜けの人の善さが原因だ。

 ぶっ倒れるほど自分がギリギリのくせに、カナタが周囲となじめるようにタダの弁当を断っていた。

 そのくらいイイヤツで、軽く引くほど意固地な女。

 

「イコジつっても限度があるだろうが……!」

 

 せっかく丸くしたハンバーグに指を食い込ませながら、カナタが眉間にしわを寄せる。その視線の先には、積み重ねられた弁当箱の山があった。

 一食二百円。選べるA、Bメニューはアレルギー対策有。今や2-A全員が、カナタの格安弁当サービスを利用していた。

 クラス全員分の弁当箱が、この台所にある。もちろん──ルリコのために勝手に用意したものも。

 山から離れて、少し離れた所に、小ぶりなピンクの弁当箱がある。

 2-Aに居るのに、いつも一歩退いた場所から皆を眺めている。誘われても諭されても、かたくなに自分のポジションを動こうとしない。

 

 そんなルリコと、彼女のための弁当箱のたたずみようは、よく似ていた。

 

 彼女の悲しいまでの頑固ぶりは、プライベートでも変わらない。

 細かいことまでは分からないが、なにやら彼女によくないことをしている『ママ』と、そのママをダシに使ってカネをせびってくるマリコ。

 

 妹と実家の両方に虐げられるポジションに座り込んで、ルリコは何も言わずに耐えている。

 あんなに細った体を見たのに。何様みたいな口をきいたくせに。

 結局、自分は何一つできやしない。それが悔しくて仕方なかった。

 

 そうしているうちになんとか形になったハンバーグをフライパンに並べてから、カナタは振り返ってリビングを見た。

 二人の譲り合い戦争に決着がつかないまま、結局誰にも使われないベッドが部屋の隅で朝日を受けて、積もらせたホコリを金色に光らせている。

 床ではレイジがケットに包まって、疲れたようないびきをかいていた。

 

(──あいつはルリコのこと、どれだけ知ってんだろ)

 

『レイジもフミオも、人の問題を重たく考えすぎなのよ──』

 

 劇場で聞いた言葉だ。

 レイジとフミオはきっとルリコの問題を知っていて、きっと彼らなりに動いている。カナタはそれを知らされていなかったし、傍で見ていることしか許されない。

 

「なっ、なあレイジ。ルリコ、なんか家でひでー目に遭ってるみたいなんだけど。知ってたか……?」

 

 ためしに小声で口にしてみてから、あまりに無神経な響きに自分で腹が立った。こんなんじゃダメだ。人の不幸を外から見下ろす無責任なヤジウマと、何も変わらない。

 

 彼らの関係がどうやって始まったのかも、どれほど深いものなのかも、彼女には分からない。それを知るには、一緒に過ごした時間があまりに短い。

 

 しょせんオマエは夏の始まりにポッと現れた新参者で、どこまで行っても彼らの仲間にはなれないよ、と言われている気がして、カナタの気持ちは重たくなっていった。

 

 ■

 

 料理が楽しくない。

 

 カナタにとって初めてのことだった。ため息つきながら手を洗って、ぐったりしながら包丁を洗う。こころなしか、ステンレスの刃も、そこに映る自身の顔も、曇っているように見える。

 

 たまに鍋ブタを開けて、肉の火通りを確認していると、匂いにつられたのか、レイジが起きてきた。

 180cmの筋肉ダルマが起き上がるのは何度見ても圧巻だ。タオルケットを振り落として立ち上がるだけなのに、冬眠から覚めたクマが根雪の下から現れるような迫力がある。

 

「おはよう……カナタ……」

 

 そして、カナタの教育もあって、最近の彼は挨拶をよくするようになった。

 

「……ああ。おはよう、レイジ。気持ちよさそうに眠りやがって」

 

 床睡眠プロのカナタと違って、レイジはまだまだ冷たく硬い床に馴染めないようだ。ゴキゴキと派手な音を立てて節々をほぐすレイジを見ているうちに、カナタの苛立ちも、少しずつ冷めていった。

 意地悪く笑いながら、カナタが言う。

 

「なあ~、いいんだぞぉ。背中痛いなら、そろそろベッド使ってもぉ?」

「前にも言ったが、カナタを床で寝かせておいて、俺だけ楽はできない」

 

 そう言って、レイジは目やにを擦りながら洗面所に入っていく。

 

「レイジ、あの夢、まだ見てんの?」

 

 フライパンを見つめたまま、カナタは聞いてみた。洗面所の様子は見えない。ばちゃばちゃという水の音だけが聞こえてくる。

 

「……いいや」

 

 顔を洗う音がふと途切れ、レイジの声が返ってきた。

 

「昨日は…………久しぶりに、別の夢を見たよ。あの映画館でもう一度”焼失”を見るんだ。今度は、カナタといっしょに、隣同士で」

「ハハ。何だそれ。キモ」

 

 レイジが返事する前に挟んだ僅かな間が、カナタの心にひっかかる。

 ウソつくなよ──と言ってやりたかった。

 彼は多くを語ってくれないが、すべての記憶を失ってから七年見続けた悪夢は、もはや彼の人生の大半と言っても過言ではない。

 そして、その七年間は見殺しの七年間だ。

 海に飛び込んで死ぬ少女を黙って見つめることしかできなかった。だから、少女に対して、執着のような愛着のようなものがあることは、分かる。

 

(あんなガキのこと忘れて、ラクになっちゃえよ……)

 

 そう思ってしまう自分が、なんだか卑しい人間のようで、ますます胸がつかえた。

 

 レイジがどう思っていようが、カナタはあの少女が好きになれない。

 理由は分からない。ただ、自分のことを親しげに『カナタちゃん』と言って手を差し出された時、レイジの体に触れられた時。

 自分でもよく分からないくらい、モヤモヤしたのを覚えている。

 

「カナタ。俺……今から……」

 

 何かを言いかけて、喉の奥で飲み込んだような声だった。

 洗顔から戻ってきたレイジの手には、包帯の束が握られている。

 あの鉄骨を殴りにいくのだろう。そして、自分を壊しに。

 彼が抱える破壊衝動。自傷癖。なんとかしてやる、と言ったカナタだが、何一つ問題は解決していない。

 

「時間というか。余裕、あるか?」

 

 手をこまねいて、傷ついていくレイジを見ているだけなのがイヤだった。

 とっさにカナタが彼を引き止めたのは、そういう焦りもあった。

 

「約束したろ。ちっこい約束だけど。待ってて」

 

 怪訝を顔に浮かべたレイジの前で、ボウルを手にしたカナタが冷蔵庫を開ける。

 

「ほら、そこのベランダで。覚えてっか?」

 

 しばらくゴソゴソやっていたカナタが、戻ってくる。彼女がレイジに押し付けた赤いプラスティックのボウルの中には卵が三つ。二人分の材料。

 

「レイジはアタシの卵焼き好き、好きだろ?」

「あぁ!」

 

 元気な返事が部屋中に響いた。

 

「よおし。今から特別に作り方を教えてやる。特別だぞ!」

「あぁ……」

 

 次の返事は、露骨にテンションが下がった。カナタは思わずズッコケそうになったが、ぐっと踏ん張って引きつった笑顔を保つ。

 

「カナタ。俺は、何かを壊したりすることは得意だが……」

「あー、あー、待て待て待て」

 

 カナタはレイジの言葉をさえぎった。

 眉を八の字に寄せてレイジが次に言うことは想像がつく。

『壊すことしかできない。なにかを生み出すことなんて無理なんだ』とか、しょぼくれた破壊神のようなことを口にするつもりなのだろう。

 

「アタシが映画をなんで好きになったか分かるか?」

 

 レイジが首をかしげる動きに合わせて、ボウルの中でタマゴがころりと音を立てた。

 

「──レイジが見せてくれたからだろ! つまり、やってみなきゃわからない。ってコト。ほら、タマゴ割ろうぜ。まずはオマエの得意ワザだ。壊すの、得意だろ?」

「……わかった」

 

 頷いて、不安そうな顔をしたレイジが卵をひとつ摘み上げる。普通の鶏卵が、彼の手の大きさもあって、まるでウズラの卵のようだ。

 

「む」

 

 掴んだ瞬間、くしゃっと音を立てて卵がバキバキにヒビ割れた。

 

「カナタ。やはり……」

「諦めるの早すぎ。アタシが来る前は毎朝タマゴ飲んでたんだろ? その時の力加減だよ」

 

 ボウルの中に散らばった殻の欠片をカナタが手際よく取り出していく。

 

「殻が入っても……一緒に飲んでたが……」

「何だよそれ。ドン引きだぞ。ホラ、もう一回やってみろ」

 

 カナタが腕組みする前で、レイジは震える手で卵をつまみあげた。

 ……そこに、棘皮人間を殴り殺しているときの迫力など微塵も感じられない。フォークリフトで外科手術をしているような不器用さだ。

 

「ホラ。時間、なくなるぞ。はやく」

 

 ──おっと。ヤベ。

 

 まだるっこしいレイジの作業を見守るのは、思っていたより心が削れる。カナタの胸の中ではイライラ爆発間近だ。

 それをグッとこらえて、彼女はフォローをする。

 

「はやく……しなくてもいいぞ。じっくりやれ。オマエならできる。ウン。ダイジョブ」

「ああ……」

 

 気の遠くなるほどの時間と、神経が擦り切れるほどの集中力を使って卵をボウルに割り入れたレイジは、ちらりとカナタの顔色を伺ってくる。

 叱られることを恐れているような、『もうこんなんでいいだろ』と妥協を欲しているような目が、カナタのイラつきを加速する。

 

「いいんじゃないか」

 

 細かい白いものが浮いているような気がするが、たぶん早起きして目が疲れているせいだ。

 

 とりあえず(比較的)キレイにタマゴが割れたのでヨシとする。こんなもんで合格にしておかないと、カナタの神経がもたない。

 

 予め用意しておいた調味料をボウルにぶち込んでかき混ぜてるレイジを見ていてカナタが感じるのは、小さな一歩を踏み出したことに対する達成感や喜びよりも、疲労と苛立ちだ。

 

「カナタ、この泡ってこんな感じで潰せばいいのか」

「かき混ぜてるだけだろ。ちがう。かせ。そうじゃない、手出せ」

 

 レイジから差し出された菜箸をもう一度彼に握らせて、カナタが自分の手をそこに添える。

 

「なんも難しくねえんだよ。いいか、こうやってボウルをちょっと傾けて──」

 

 カナタの手が触れた瞬間、ボウルをひっくり返す勢いでレイジの体が跳ねた。

 

「──何ビクっとしてんだよ! オマエは少女マンガか! 気持ち悪ィな!!」

 

 怒鳴りながらカナタは台所の時計に目をやる。ギリギリだ。

 

「くそ……ルリコみたいなツッコミしちまった……」

「と、ところでカナタ。それ、大丈夫か?」

 

 レイジが、コンロを指差した。

 

「は? それって……あわっ!」

 

 そこでようやく、カナタはヒーターに掛けっぱなしのハンバーグ軍団のことを思い出した。

 慌ててフタを開けた瞬間、白い煙とコゲ臭さがあたりに広がる。

 頭上で煙探知機が目覚める『ピッ』という音まで聞こえて、すでにギリギリ限界でブレイクダンスしていたカナタの神経をさらに追い詰める。

 

 ピーッ、ピーッ、ピッー……

 

 煙が立ち込め、探知機が耳障りな電子音を奏で、何をしていいか分からず、レイジがぼおっと立ち尽くす。

 そんな中、額にぶっとい青筋を浮かべて、カナタはフライパンを揺する。

 小ぶりなハンバーグには、焦げ目では言い訳できないくらいの真っ黒な根性焼きが入ってしまっていた。

 

「香ばしいでごまかせるか、これ……」

「大丈夫だ。カナタの料理はいつでも、どうなってもおいし──」

 

 そこにレイジの不器用なフォローが入る。いつもだったら苦笑して済ませるところだが、今日はあまりにタイミングが悪い。

 

「うるせえ、オマエはさっさとそれ切れ!」

「それって」

「ホーチキだよ、ホーチキ!!」

 

 

 彼が高い背を生かしてあっさり騒音の元をオフにするのを脇目に、カナタはシンクに両手をつく。そしてぐつぐつ煮えたぎる頭でこの後の段取りを決める。

 この段階でハンバーグが全滅した以上、いつも通りに弁当を作るのはムリだ。

 クラスのみんなには悪いが、今日はお値段半額のデッチ上げで我慢してもらうとして──

 

 そこで、レイジをチラリと見る。

 

「すまん……」

 

 前かがみになって、まるで親に理不尽に叱り付けられる気配を察した子供のような顔で、彼は謝ってくる。

 

「ぐ……」

 

 それを見ていて、ほんの少しだけカナタのボルテージが下がる。あくまでほんの少し、だが。

 

「オ……オマエは悪くねえ。アタシが気を抜いたせいだ。マジで……」

 

 正直レイジに構っているべき時ではないが、自分からやらせたものを途中で切り上げられるほどカナタは無責任ではない。

 

「マッハでいくぞ、マッハで。いいか、ここからはな────」

 

 カナタは勢いのいいことを言いながら、既にダメな気がしていた。

 そして、それは見事に的中する。

 

 ■

 

「はーっ、はーっ……くそ。手ごわいな、オマエ……」

 

 ひどい有様だ。戦争映画のラストシーンのようだ。

 三角コーナーには潰れたタマゴと真っ黒に焦げた残骸が散らばり、きれいに掃除したばかりのシンクには調味料が飛び散っている。

 

 あれから三十分。

 

 ハンバーグは全滅。

 お弁当の進捗、不振。

 レイジの成果──なし。

 お互い、ムダに汗だけかいていた。

 

「はは……もう、そこでパン買って配るか……」

 

 ほとんどヤケクソになって、カナタが言った。

 

「カナタ。そのう……」

「つっ──次だ、次! フライパン握るところまではいけたろ! あとは火加減を調節して、ハシ使って、炭になる前に皿に取って、切り分ければ……」

 

 そこで黙った。

 カナタにとって、ほとんど自動でできることでも、頭に『レイジが』とつくだけで、彼女は膝から力が抜けそうになる。

 

「すまない……」

 

 声と一緒に、彼の肩がストンと落ちる。

 彼はあれから、どんどん、どんどん申し訳なさそうになっていった。

 ついに消え入りそうな声で試合終了を告げようとするのを必死にさえぎって、カナタは次の材料を準備する。

 投げ出すのは簡単だ。だが、これはカナタが始めたことだ。

 レイジに人間らしくさせる。そして、あの悪夢から開放されてほしい────滴る汗をぬぐいながら当初の目的を思い出す。

 それで、カナタは折れかけた心を繋ぎとめることができた。

 

「いいさ。やってやろう。レイジ、次だ。アタシは何度だって」

「無理だ。俺はハシだってうまく持てないんだ」

 

 頬に飛んだ卵液に気づかないほどムキになっていたカナタに、冷水をぶっかけるような言葉が飛んできた。

 

「ハ、ハナっから上手くいくわけがねえだろうが」

 

 怒鳴りたいのを必死に我慢して、カナタが続ける。

 

「ほ、ほら、もう一回。タマゴなら心配すんな。昨日、ザワちんの母ちゃんが沢山持たせてくれたんだ。ありがたく使わせてもらおう」

 

 強引にボウルを押し付け、カナタは精一杯笑いながらレイジが動くのを待った。

 しかし、待てども暮らせども、レイジは丸太のような両手をたらしたまま、フライパンを手に取る気配がない。次第にカナタは業を煮やしていく。

 

「レイジ、しっかりしろって!」

「その気持ちは本当にありがたいが、止めておいたほうがいい」

 

 カナタの手の中で菜箸がしなる。いよいよアタシは爆発するぞという時に、レイジが、達観した顔で言い放った。

 

「わかるだろう。カナタだって、本当はもう諦めてるはずだ」

「そん──」

 

 カナタは言葉に詰まる。これまでニコニコ我慢してこらえていたことに、レイジはとっくの昔に気づいていたのだ。

 

「俺はカナタを海に連れて行くと約束した。そのためなら、どんな敵が現れても、この力できっと、絶対倒してみせる」

 

 一瞬、キッチンが静寂に包まれた。ぐわんぐわんと音を立てる換気扇の下で、カナタは下唇を噛んだ。

 

「だが、それ以外を俺に期待しないでくれ。きっと、それはきみを傷つけてしまう」

 

 こんな風に──とでも言うかのように、焦げた鍋の山を見た。それだけで十分だった。

 

「なんだよ。じゃあここまで嫌々アタシに付き合ってくれてたってワケか」

「台無しにするだけだ」

「壊したりすることしかできない、って?」

 

 表情を険しくして、カナタがぐっと顔を近づける。

 鼻先が触れる。カナタの、息の温度が伝わる。彼女の青い瞳の中に落ちるような気がして、レイジの腰が引ける。

 が、背後は壁だ。

 

「そんなつまらねー奴が、アタシとの約束を守れんのかよ?」

 

 カナタの舌打ちと失望を、超至近距離で浴びせられる。

 レイジにできることといえば、目をそらす事だけだ。

 

「っ……行けよ。もういい。アタシが最強にフワフワの卵焼き作ってやるから」

「すまん」

 

 その一言を聞いた瞬間、怒りと失望と哀れみがぐちゃぐちゃになってカナタの胸の中にあふれ出してきた。

 

「あ……」

 

 レイジの背中に、声をかけようとする。言葉が出るより先に、喉の奥が痛くなった。

 しかしそれは彼女の喉の中で潰れてしまった。大きな背中を揺らして玄関に向かうレイジは、まるで捨て犬のようだ。

 当たり前に弁当を作って、穏やかにバイクに揺られて登校して、一日楽しく過ごせたはずのカナタの朝をブチ壊して────

 

「オマエは……オマエは外で何かブっ壊して遊んでろ、バカたれ!」

 

 そうすべきじゃないと思いながら、カナタは叫んでいた。

 

「……すまん」

 

 平坦な口調でもう一度だけ同じことを繰り返してレイジが部屋を後にすると部屋は一気に静かになった。

 

「あーッ!! くそったれが! くそったれのバカレイジが!」

 

 カナタは三角コーナーに突っ込んであった卵の殻を拾い上げて、握り潰した。

 手のひらに突き刺さる殻の感触で、彼女は少しだけ冷静になってくる。

 

「やべえぞ、こんなことしてる場合じゃねえ」

 

 あと十分足らずでクラスメート全員の弁当を仕上げなければいけない。手は抜かない主義だが、今日だけは別だ。

 駐車場から響いてくる、鉄骨を殴りつける音を聞きながら、カナタは自分が恐ろしく冷静さを欠いていることを自覚した。

 

「……なんで、こんなにイラついてんだ、アタシ……」

 

 

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