「ほォン」
三人、並んで廊下を歩く。朝のごった返す時間に、迷惑極まりない。
「妹ちゃんを殴ろうと思ったら、ねェ」
爪に挟まったオイルのカスをほじりだしながら、フミオが間延びした調子で言った。
彼らが肩でどかすまでもなく、みんなカナタの顔を見るなりギョっとして避けていく。その生徒たちの中に、彼女は見覚えのある顔を見つけた。
「おう! オハヨ!」
端をこそこそ通り抜けて行くところだった集団が、カナタの言葉で飛び上がった。
へばりつく皮のようだったドレスよりも、丈の短いスカートのほうが、ずっと身軽だ。勢いよく駆けだしたカナタはあっというまに彼らの行く手を塞ぐように立ちはだかる。
「いいだろ~、アタシのおニューの制服。カッコいいだろ~?」
ピカピカのセーラー服をカナタが見せびらかす前で、彼らの顔色は青くなっていく。
「あ……ええっと……」
数日前にカナタの服をあざ笑った結果、骨の髄までトラウマを刻み込まれている。しかも彼女を追いかけてレイジたちがやってくると、もはやライオンに追い詰められたウサギのように震えあがるしかない。
「な。似合ってるよな、カナタの制服」
おまけに、西高指折りの素行不良児のフミオもいる。
「ドレスもいいが、コッチもコッチでキマってるよなあ?」
カナタの肩越しに首を伸ばした彼は、屈託がなさすぎて逆に意地の悪さすら感じる笑顔を浮かべていた。
「なんだかお前も嬉しそうだな、レイジ」
「ああ。カナタが喜んでると、俺も嬉しい」
そして数日前『血の金曜日事件』を引き起こしたレイジが、反対側から顔を出す。相変わらずの無表情だが、それを見上げるカナタとフミオには、別のものに映るようだ。
「ツイてんな、お前ら。さっそく
「これでもう、カナタに文句を言わないでくれるな」
「ホラ、ほめろ。オラオラ」
威圧感バリバリの三人から詰め寄られて、人数で勝る彼らはすでにたじたじだ。
「お、お、俺らもう笑ったりしないんで! 命ばかりは!」
「命乞いじゃねえ! ホメろって言ったろアタシは!」
「おいおいおいおい。ダメダメだな、コイツら!」
大げさに肩をすくめて見せたフミオが、隣に立って静かな圧を放つレイジに顎をしゃくった。
「おうデカブツ、いっちょ手本見せてやれ! お前的にどうだ、カナタのどのへんがグっとくる?」
「そうだな。ちょうど、この角度からだと、特に背中から腰にかけてのラインが──」
全て言い切る前に、ぐふぅお、と呻き声をあげてレイジが体をくの字に折った。彼の腹に、カナタの肘が深々と突き刺さっていた。
「きっしょ」
レイジと目を合わせもしないままでカナタが吐き捨てた。
一瞬の沈黙。それを破ったのはフミオだった。
「ぶははははは! レイジお前、いい加減カナタの扱い学習しねえと腹に穴開くぞ!」
彼が腹を抱えて笑い始めると、カナタが拳を振り上げて威嚇する。
「あ? アタシにトリセツとかねえから」
「い、言うんじゃなかった……」
「ざけんなレイジ、オマエはひれ伏してアタシのイイトコどんどん言え。セクハラ以外でな」
早朝一番で絡んできたかと思えば、今度はこちらを放ったらかしにしてじゃれ合い始めた不良三人組。絡まれた方はただただ恐れおののくしかない。
「あ、あの、ホームルームあるんで、僕ら、もう行きますね……」
「待ってくれ。忘れたフリはよくない」
これ幸いと逃げ出そうとした瞬間、どんな恫喝よりも恐ろしいレイジの平坦な声が、彼らの心臓を鷲掴みにした。
「だなあ。俺サマもしつこいのは好きじゃねえ。さっさと言うコト言って失せろ」
ちぢれた茶髪の先をいじっていたフミオも、レイジの言葉にうなずく。それまでヘラヘラ笑っていた彼がすっくと背筋を伸ばすと、その顔から一瞬で笑みが消えた。
「おいコラ。てめーら、さっさとケジメつけろや」
「いやいやいやいや、い、今考えてたところで! あの、その……き、着こなしてますね!!」
「テキトーなこと言いやがって」
大きなため息をつくカナタの横から、レイジが前に出る。
「俺に手本を教えてくれないか。どうしたら、カナタは喜んでくれるのか」
レイジが、大きな体をぐっと折って彼らを覗き込んだ。
威圧しているのか、それとも心の底からカナタの褒め方を聞いているのか、誰にも分からない。
ただ、彼の背後で、カナタとフミオが必死に笑いを堪えている。
「すみません! 腰です! 腰が最高です!」
「だから本体じゃなくて制服を褒めろっつってんだろ!!」
その場の全員が足を止めるほどの声量でカナタが一喝した。
傍に控える大柄な男子二人の迫力も上乗せされて、ひい、という声が上がった。
もはや恐怖に駆られた彼らは、一人が泣き出しそうな顔で、もう一人は汗だくで、さらに一人は土下座しそうな勢いで、最後の一人は口から泡を吹いて気絶しかけていた────
「すみませんでした!」「二度としません!」「お許しをぉ……」
それでも皆、言っていることの本質は一緒だ。謝罪だ。
「…………カナタ。どうする? 俺はこのくらいでいいと思う」
レイジがカナタを見据えて、言った。
「ま……いいよ。行けば」
……なんて強がってはみたものの、制服の感想ひとつももらえなかったのは、ちょっとだけ、やっぱり残念だった。
フミオも言っていたように、彼女だってネチネチやるのは好きじゃない。
これ以上突きまわして、彼らと同じような加害者になってしまうのはゴメンだった。
「行こうぜ、ファッションアイコン」
ふっと笑って、フミオが軽くカナタを小突いた。
「──ああ、最後に」
すれ違いざまに、フミオは足を止める。
自然と彼に合わせたレイジと一緒に、床にヘタリ込んだ一団に、冷たい睨みを浴びせ掛ける。
「次ウチのモンにケチつけたら、コイツがテメーらのシャツをビリビリにすっからな。家族のも含めて。全部だ」
彼らは見えないムチで追い立てられたようにスックと立ち上がると、尻に火がついた勢いで、振り返らずに走っていく。
「よかったぞ、オマエら」
何度も何度も、もんどりうって転げる彼らを見送りながら、カナタは清々しく笑う。グラウンドを望む窓から差し込む朝日の下で、その笑顔が輝いていた。
「やっぱ、デケーのが後ろにいると迫力違うわ。アイツらビビッてたもん」
「何言ってんだ。すげえ怖ェツラしたヤツがいたからだろ」
「ん?」
背後のレイジをカナタが指差して、首を傾げる。
「違うって。お前だ、カナタ」
「あぁ!? このアタシのどこがおっかないってんだ!」
そんなことワザワザ説明する必要あるか? と、フミオとレイジが顔を見合わせた。
二人に睨みを効かせて見上げるカナタの顔は、まるでお岩さんだ。
激戦を潜り抜けたボクサーよろしく、カナタの右まぶたは青々と腫れ上がっている。派手に裂けた唇が痛々しい。
「お前スゴいよ。ルリコの妹と殴り合いしたんだもんな。俺、ちょっとリスペクトよ」
「はん」
そうやって鼻を鳴らして、カナタは腕組みする。
二の腕にも、ウロコの上から透けて見えるほどの青アザがいくつも見て取れた。
「キリちゃんが止めるまでに七発顔面に入れてやった。だからアタシの勝ちだ。向こうより一発多い」
「よく警察沙汰にならなかったものだ」
レイジの表情が、ちょっと崩れる。彼にしては珍しく、呆れている様子だ。
「隠れてコソコソ酒飲んでるヤツらが? ケーサツに泣きつく度胸なんざねえだろ」
「そういうのはどうか、俺の見ているときにやってくれ」
カナタが半笑いで廊下をツカツカ歩いていると、横顔にレイジの視線が突き刺さってくる。
彼はいつでも、ちょっと心配し過ぎなくらい、彼女のことを気にかけている。カナタはそれがイヤではないが──本気でキレさせた時、一番危険なのは彼だ。
「アタシはオマエがいなくて良かったって思ってるよ……」
(だってオマエ、アレ見てたらマリコのこと殴り殺してたろうし)
そんな思いをそっとしまって、カナタはレイジを見つめた。
「オマエ。アタシの家族ってんなら、もっとドーンと構えてろ。アタシは何があってもゲンキだから。信じろ」
「かぞく……? 俺が、カナタの……?」
いきなりそんな言葉をかけられてレイジは目をおっぴろげた。
横幅のデカい彼が急に立ち止まったので、廊下をゆく生徒たちの流れが変わる。迷惑そうに彼を避けていく人々と、ひょっとこのような顔をして笑いをこらえるフミオを見て──ようやくカナタは口を滑らせたことに気付いた。
「あっ、やっ、いやっ、い、今のは間違いだ! 間違い!」
「おおっ、マジかよカナタ……!」
思わず口を押さえたカナタの顔を覗き込んで、フミオが囃し立てた。
「ずっと一緒にいると、やっぱそーいう感じになっていくんだなあ」
「ちっ、違う! そんなじゃねえっ!」
カナタが思わず声を荒げた。
全てキリエのせいだ。新しい家族がなんだのと妙な話をしてくれたせいで、しょせん海に行くまでの協力者でしかないレイジのことを、そんな風に呼んでしまった。
「…………違う、のか」
そして、シュンとするレイジ。
何が面白いのか、傍から見ているだけのフミオは腹を抱えて笑い出した。だが、カナタは気が気じゃない。何気ない照れ隠しが、彼を傷つけてしまった。
「あっ、あ~~っ、もう!」
思い切り振りかぶって、うなだれているレイジの背中を強く叩く。
レイジは驚いたように顔を上げたが、カナタは目を逸らしたままだった。
「……だから。アタシを信じろって。レイジがそれでいいなら……」
一瞬、黙る。
「家族でもなんでも、なってやっから」
「あ……」
カナタの言うことと表情が目まぐるしく変わるせいで、レイジはポカンとしてしまう。
「イヤか!? イヤじゃねえよな。よかったな、レイジ!」
そんな彼の背中を照れ隠しで更に数回、廊下中に響くほどの強さでバンバンぶっ叩いて、カナタは2-Aのドアに手を掛ける。
「朝からオナカ一杯だぜ~」
茶化すようなフミオの言葉は、聞こえないことにした。
「うっわ、すげえ顔だなカナタちゃん。オハヨ」
「おはようございます。斬新なメイクですねー」
教室に入るなり、ドレスから西高のセーラーに着替えたカナタに注目が集まった。それまで持ち込んだマンガに熱中していたヨシたちも、彼女に挨拶してくる。
「うるせえなあ、アタシも問題児らしく、問題ってのを起こしてみたの。おはよさん」
カナタが制服のスカーフを引っ張ってアピールすると、ヨシとザワちんはサムズアップでそれに応えた。
新しい制服に着替えただけで、カナタの足取りは弾むように軽くなる。
自分の居場所。自分の教室。そんな変化を受け入れてくれるクラスメートたち。ホコリとチョークの匂いが甘く感じる。
カナタの席は窓際から二列目の、レイジの隣。ミルク色のカーテンがひるがえる下にある自分の机もいつもと違って見えて──
「あら。着替えたの。それ、似合ってるわよ」
この日、カナタの席には先客が座っていた。
スキップしてやってきた彼女の足は、そこに近づくにつれ淀んでいった。
机の上に置いていた何かの袋を掴んで、ユラリとルリコが立ち上がる。目の下に青黒いクマ。腫れぼったいまぶた。突き刺すような眼光────どう見ても、上機嫌とは程遠い。
「よお、ルリコ。だいぶお疲れみたい……だな」
カナタの背筋を、汗が一滴伝った。教室のざわめきが、遠のいていく。
「どっかの誰かのおかげで地獄みたいな寝不足なのよ」
カナタの弁当で健康状態が改善されたとはいえ、ルリコの脚はまだ細い。しかし、彼女が一歩一歩床を踏みしめて近づくたびに学校が揺れるようだった。
「昨日さあ、私の妹ブン殴ったわよね」
「はは。どったの。マリコに泣き付かれた?」
「ちがーう。逆よ、逆」
ルリコは、後ろ手に持ったコンビニ袋をブラブラ揺らした。パンパンの袋は、まるで重石でも詰まっているように見えて、不気味だ。
「四六時中ちょっかいかけてくるマリコが鼻血も拭かずに帰ってきたと思ったら、何時間もぼーっとしてんのよ。アンタの名前聞き出すまでに、だいぶ時間食ったわ」
「そっか……アイツのこと心配してやったのか」
「は?」
どうしてカナタの声色が穏やかになったのか、ルリコには分からない。
分からないまま立ち上がって、ズイ、と顔を寄せてくる。
「なんで?」
レイジとフミオはお互いに目配せし合った。やるか? 停めるか? ここでルリコが全開でブチ切れたとして、俺たちの力で止められるのか?
「ねえ。なんで?」
ルリコはもう一度聞いた。
「あんなんでも、一応私の妹なの。何してくれてるワケ?」
ルリコが手を出そうと思えば、いつでも届く距離だった。
「ムカついたから殴った。そんだけだ」
「私、生徒会長だけど。その前にアイツの姉なの。そこまでしろって、アンタに言った?」
「ルリコ……いや、オマエってマリコの裸、見たことある?」
一度見たら忘れようもない、絆創膏に覆われた胸元を思い出して、カナタが聞いた。彼女の背後ではレイジとフミオが、その意味を掴みかねて首を捻っている。
カナタが見つめる先のルリコは──同じく、怪訝そうにしただけだった。
「ああ、そうか。やっぱアレ見てねえな」
カナタの目に浮かぶものは複雑だ。軽蔑ともとれるし、哀れみとも取れる。
「……何。いっしょに風呂でも入って仲良くしろって、そういうこと?」
「もっともっとマリコのこと、見てやれよ」
「あ? ケンカ売ってんのかしら?」
「お、おい……」
フミオが間に入ろうとするのを、ルリコが視線だけで射すくめた。
「勘違いだったらごめんね。だけど、アンタまるで私がダメ姉貴って言ってるみたいじゃない?」
「そう聞こえたんなら、ルリコがそう思ってるってことじゃないのか」
「ロクに事情も知らないくせに」
決然とした足取りで、ルリコが向かってくる。
足音がどんどん大きくなる。
カナタは覚悟を決めるしかない。
どんな事情があったとはいえ、マリコをブン殴ったのは間違いない。ルリコのことは好きだが、ギクシャクした関係だったのも否めない。
一発殴られて、それで全部終わりにしよう。
いたたまれない関係よりも、アイスピックを打ち込むように全部粉々にしてせいせいと終わった方が、お互いにとってずっといい────
「……なに、『これから殴られマス』みたいな顔してんのよ」
しかしルリコのアクションは、カナタの予想とは違った。
「耳が痛いわね。反省するわ。すっごく」
ルリコはカナタを抱き寄せる。
いちど、きゅっと抱きしめた後、今度はその頭をぐりぐりと撫でまわした。
「うあ、ちょ、なに」
「はいコレ、お詫び。マリコが──それと私も。入学早々、いらん迷惑かけたわね」
最後にもう一回、骨の軋むようなキツいハグ。
ルリコはカナタを放してやって、ズシリと重いコンビニ袋を押し付けた。彼女が去っていくと、カナタの鼻腔には、微かな香水の匂いだけが残された。
「お、怒らせたかな」
席に戻ったルリコは、三人の方を見向きもしない。
彼女は教科書を机の上に並べていく。それをやさしく見守るフミオの口元で、火のないタバコが揺れた。
「レイジ、オメーどう思う? あれ、キレてっか?」
「ルリコはそう簡単に間違いを認めない……すごいな、カナタは」
彼らに促されてカナタが袋の中を覗き込むと、中にはお菓子やらアイスやら、カナタが好みそうなものが沢山入っている。
ルリコの手持ちがいつも少ないのは皆が知っている。だからこそ、これが彼女にできる精一杯の贈り物だ。
「気が変わったわ。私も海に行く」
目を黒板に向けたまま、ルリコが言った。
「アンタのおかげで久しぶりにスッキリしたいい気分よ。どうしてくれんの?」
フミオが、レイジが、祝福を込めてカナタの背中をそっと小突いた。