海の彼方で、カナタを想う   作:おぴゃん

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7.絶対的中天気予報(1)

 

 機関銃に撃たれるような雨だった。

 地面は煮え立ち、真っ白に煙る水のカーテンで十メートル先も見えない。

 

「フミオ! ルリコ! いるかーッ!」

 

 すべてが灰色に濁った世界に、カナタの声が響き渡る。

 

「俺ァすぐ近くにいる! でくのぼうは!?」

 

 すぐにフミオの声が返ってきて、カナタは安堵の息をついた。

 そして、すぐ横を見る。彼女の手を固く握ったレイジが、力強くうなずいて来る。ベットリ垂れ下がった前髪から、破れた雨どいのような勢いで水が滴っていた。

 

「俺はカナタといっしょだ! 何が起きても絶対手を離さん!」

「へえへえ、こんなクソ天気の中でも仲がよろしいこって!」

「オイ!」

 

 カナタが拳を振り上げるが、聞こえるのはフミオの声だけだ。

 地面でポップコーンが弾けるような雨音に紛れて、彼のいる方角すら掴めない。

 

「フミオ、この──」

 

 雨の中を一条の光が走り、あたりを真っ白に染め上げた。

 直後、爆発のような雷鳴があたりを席巻し、思わず「うあっ」とカナタが声を漏らす。

 

「ええい、クソッタレのバカ天気が! ひでえ雨に加えて雷たあな! ルリコはそっちいるか!? 声が聞こえねえ!」

「フミオのトコにいるんじゃねーのかよ!?」

 

 カナタが目を見開いて、相変わらず何も見えない雨の中を見渡した。

 

 七月四日。金曜日。午前から夕方にかけて快晴。夕方からやや空模様が崩れるが、おおむね晴れ──遠出には絶好の日。

 

 そのはずだった。

 

 西町の天気予報は、外れたことがない。

 それが、町から五百メートル離れた瞬間崩れた。

 

 どんどん空気が湿り気を帯び始め、気の早いフミオが「海の風だねハハン」などとうそぶいていた頃が懐かしい。

 

 それからまもなく空は雷鳴に引き裂かれ、雨が叩きつける地面はあっという間に泥沼と化した。

 引き返そうにも、こんな雨の中では方向感覚が狂う。

 おまけにみんなバラバラにはぐれてしまい、ヘタに動くことすらできない状態だ。

 

 カナタが、もう一度大声を張り上げる。

 

「おいフミオ。ルリコ、一緒にいるか!」

「だからいねえって言ったろ! はぐれた! さっきまで元気にぎゃあぎゃあ言ってたのに!」

 

 大嵐の中、風と雨の轟音にかき消されないように必死に声をあげ続ける。

 

「今そっちに行く! それからルリ────」

 

 騒々しくガナっていたフミオが、不自然に言葉を切った。

 

「…………なん、お前……どわあ!?」

 

 ばしゃあ、と音を立てて、近くで重いものが引き倒された気配があった。

 

「フミオ……? フミオ! おーい、今やめろよ、そういうのーッ!」

 

 カナタが叫ぶ。

 

 返事はない。

 

「転んだのか!? 大丈夫か!?」

 

 レイジも、必死に声を上げて呼びかける。

 

 だが沈黙だけ。

 

 地面を打ち砕く雨粒の音がやけに大きく響く。二人の足元では畦道に張り巡らされた水路がゴボゴボと怪物のうがいのような音を立て、激しく泥水を吐いている。

 

 フミオからの返事は、いつまで待っても返ってこない。

 

 恐怖と困惑に引きつった声を最後に、彼の存在は忽然と消えてしまった。

 雨に、さらわれたようだった。

 

 レイジのシャツの袖を、カナタがぎゅっと握る。

 気がつけば右も左も分からない水の壁の中に、二人っきりで取り残されてしまった。

 

「カナタ、俺の傍にいてくれ」

「頼まれたって離れるモンかよ」

 

 カナタが呟いた直後、『それ』が雨の音に混じり始めた。

 電気自動車の駆動音だ。

 ヒイイィ……という特徴的なモーターの唸りが、雨の中、彼らの元に向かってくる。

 レイジがカナタを背後に庇って雨の中に目を走らせた瞬間──突如として肉食獣の眼光めいたヘッドライトの灯かりが豪雨を丸く切り取り、目を灼いた。

 

「うっ」

 

 レイジはとっさに、カナタを抱きかかえた。

 二人が近くの用水路に飛び込んだ瞬間、モーター音が獰猛にうなりをあげる。泥だらけになった彼らの頭上を、何台もの大型バイクが飛び越えていく。

 

「ぺっ……」再び雨の向こうに消えていくバイクの集団を睨み付けて、カナタが泥を吐いた。

 

「ンだありゃ。暴走族(ゾッキー)か?」

 

 そんなわけがない──カナタには分かっている。

 すっかり濡れてしまったリュックサックを水路から引き揚げながら、彼女はレイジを見上げる。

 見つめ返す彼はいつもどおりの固い表情。だが、その目元に険しさが見える。

 

「アイツら、どうやって前見てるわけ?」

 

 カナタがレイジの疑問をそのまま言葉にした。

 この瞬間も、鉛筆のような雨が視界を打ちつけていた。手元すらまともに見えない中で、さっきの集団は全開でバイクを飛ばし、用水路を越えて見せたのだ。

 

「あったよなあ。おっかない()()()()()に追っかけられる映画」

 

 カナタは口につけた両手を巨大なアゴのように開いてみせる。

 

「アイツだって、泥かぶったら見失ってくれたのにな……」

 

 指をうぞうぞ動かして「キシャー」と言ってみる彼女から目を離して、レイジはもう一度雨に包まれた世界を見渡す。

 サーマルビジョン、暗視ゴーグル、音波探知(ソナー)──ハイテクに頼れば、たしかに方法はいくらでもある。

 ただの暴走族がそこまでの装備を手に入れる方法も、そこまでしてただの高校生集団を追跡する理由も分からないが。

 

「水路沿いに移動しよう」

 

 短く、はっきりとレイジが言った。

 

「フミオとルリコが心配だ。早く見つけてやんなきゃ」

 

 彼に従いながら、カナタは不安そうだ。

 ようやくカタブツ意固地の生徒会長を説得して、楽しい夏の冒険が始まるはずだったのに。

 的中率100パーセントの予報が外れ、謎のバイク集団に襲われ、今はドブネズミのように用水路を這い回るハメになっている。

 

「クソ……うまくいかねえモンだな……」

 

 ボヤくカナタを飲み込むように、不意に巨大な影が地面に落ちた。

 

「カナタ!」

「どわ!」

 

 トップスピードで駆け出したレイジがカナタを掴んで地面の上を滑るのと同時に、凄まじい重量物が元いた場所に降ってきた。

 それは雨中に一瞬橙色の噴射炎を投げかけ、減速したようだったが衝撃はかなりのものだ。

 地面が踊り、レイジたちを空中に投げ出す。

 わずかな浮遊の後、 二人は泥水の上に叩きつけられた。

 その激しさに、カナタは一瞬呼吸すらできなくなる。視界がぐるぐると回る。

 

 ボシュッ

 

 立ち上がる暇も与えず、強烈なスポットライトが投げかけられた。

 じんわりと熱を感じるほどの強烈な光が平衡感覚を狂わせ、動くことすらままならない。

 レイジは泥まみれのまま、カナタを抱き込んで身を固くした。

 

「────あのさァ」

 

 加工された気だるげな声を聞いた瞬間、レイジがカナタを抱く手に力が入った。

 雨脚が弱まっていく。

 まるでそいつの登場を引き立てる演出のように。

 

「海水浴ってのは、諦めちゃくれないかな?」

 

 タイムラプスで撮影した映像のように早回しで雲が割れ、西町を出発したときと何も変わらない七月の日差しが、さんさんと降り注ぐ。

 遠くに西町を望むあぜ道には、ヘタリ込んだレイジとカナタ。

 天空から降り立ち、彼らに対物ライフルの銃口を突きつける二体のパワードスーツ。

 

 そして──

 

「おひさァ……つっても、二週間ぶりってカンジ?」

 

 全身をスチールカーボンの外骨格で覆い、髑髏のヘルメットを纏う殺戮者──

 装甲車も、重厚なパワードスーツも、何もかもがバックダンサーに見えるほどの威圧感を放つサイボーグ忍者は、手にしたブレードに金属の爪を走らせる。

 舞い散る火花が、その悪魔じみた容貌を照らし出す。

 

 ■

 

 道端の雑草の葉先から滴る水滴が陽光に輝いている。

 巨大なライトを背負った装甲車の上から二人を見下ろしていたニンジャが、ヒラリと降り立った。

 一見雑で無頓着な着地にも関わらず、漆黒の装甲に一滴の泥すら跳ねない。

 死神が地に下りてきた──そんな錯覚を覚えるほどの静かさだった。

 

「お前の狙いは何だ?」

 

 カナタを庇いながら、レイジがゆっくり立ち上がる。

 遠ざかる雨雲の遠鳴りのように、四方八方からモーター音が響いてくる。青々と茂った水田をお構いなしに踏み荒らしてくる電動バイクの群れが見えた。

 

「セーシュンを邪魔しにきた。そう言ったら、キミら納得できる?」

「ワケねーだろ」

 

 顔半分泥をこびりつかせたまま、カナタが言い放った。

 

「だろうな。コッチとしてもガキのやることにイチイチ首突っ込みたくないワケ。でも──」

 

 十……二十……ニンジャの姿を中央に捉えたまま、レイジは視界の端でバイクを数える。

 

「──でも。海だけはイタダケないんだわ」

「そういうワケだ。悪いねぇ、坊や」

 

 バイクの総数は三十。そこから降り立った強化服の兵士も同じ人数。

 アリの大群のように統制の取れた動きで展開し、レイジたちを包囲する兵士の輪から、一人が歩み出てくる。

 

「坊や。それにお嬢ちゃんも。ここで観念してくれや。オトナしくしてれば、こっちもヒデぇことはしない。保障する」

 

 彼はライフルを軽く掲げて見せる。その素顔はバリスティックマスクに覆われて見えない。

 分厚いマスクの上から、わざとらしく右目の下を掻く。その動作が、妙にカナタのしゃくに障る。

 

「何の権利があって俺たちの邪魔をする?」

 

 それはレイジも同じようだ。彼の声には、カナタの夢である海に続く道を塞ぐ軍団への苛立ちが滲んでいた。

 

「権利……権利っつーか……権力かね。俺ら、国のイヌってヤツだから」

 

 レイジが拳を持ち上げた瞬間、彼の全身に赤色の光点が灯った。

 ヒマさえあればホームシアターにこもってアクション映画を見続けた二人は、その意味を一瞬で理解する。

 容赦のない殺意だ。

 赤いレーザーサイトの輝きは「おかしなことをしてみろ、蜂の巣にしてやる」という、万国共通の言語だ。

 

「超ピンチじゃねえか……」

 

 レイジの背後で、胸元で拳を握り締めたカナタが喉を鳴らす。

 

「あー待て待てお前ら。こいつらガキだぞ。無粋なマネすんなって」

 

 男が手を振って制する。

 

「またコイツ、何を酔狂してんだ……」

 

 ニンジャがシリンダーの動作音を響かせ、大げさに肩をすぼめる。

 包囲を敷く兵士たちは顔を見合わせ────やがて、レイジに向けられた赤い点がひとつ、またひとつと消えていった。

 同じ装備を纏っているように見えても、レイジたちを「坊や、お嬢ちゃん」と馴れ馴れしく呼ぶ男の階級は上のようだ。

 

「『姉御』だって知ってるでしょ。俺ァ」

「オイ」

「おっと」

 

 ニンジャが鋭く制し、今度は男が肩をすくめる番だった。

 

「……俺ァ酔狂が好きでね。俺と()って勝ったら、ここはノータッチで帰してやるよ」

「はァ?」

 

 兵士たちも、カナタも、同じように声を裏返す。

 

「分かった。やろう」

 

 白けきった空気が陽炎といっしょくたにぐるぐる渦巻くあぜ道に、スッとレイジが踏み出した。

 

「あっ、オイ、乗るなって! ぜってー何かあるだろ!」

「俺は強い。俺を信じてくれ」

 

 彼のシャツを掴んで必死に引き止めるカナタの手を、レイジがそっと握った。

 

「……そ、そんな問題じゃねえ、銃だぞ! 勝てるワケねーだろ、アホか!」

「いいよお。おニイさん、素手で戦ってやるよ」

 

 カナタは眉を寄せる。

 マスクで隠れていても、その下でヘラヘラ笑う顔がカンタンに思い浮かんだ。

『マスク男』がフイと手で合図を送ると、ぐるりと取り囲む兵士たちは動き、全員がレイジたちを阻む壁のように一列に並んだ。

 

「映画好きなヤツ撃つのって、気が引けるしな」

「そうか。俺もあんたを殴りたい」

「あっ」

 

 カナタの手の中から、レイジのシャツが消えた。

 何の抵抗も感じさせず、テーブルクロス引きのような瞬発力で、レイジが男に踊りかかる。

 

「やれ」

 

 男が手を掲げた瞬間、レイジの上半身が踊った。

 

「……ハァーッ……」

 

 額を覆ったニンジャのため息が、スピーカーで増幅される。

 禍々しい殺意を解き放って空中に踊りあがったレイジの体が、その場でぴんと伸びる。

 

「なっ──あっ!?」

 

 彼は地面にドサリと落ち、硬直し、奇妙な姿勢で引きつり──痙攣する。

 

「失われたアークっつー映画あるだろ」

 

 マスク男がライフルをブラブラ振りながら歩いてきて、レイジの前にしゃがみ込んだ。

 

「……俺がインディアナで、坊やがターバン野郎だったな。今回は」

「ど、どう……して……?」

「レーザー切っただけで、安全装置が掛かるわけじゃねえだろ」

 

 レイジは力なくマスク男を見上げる。

 彼の体越しに、こちらに銃を向ける兵士たちの姿が見える。彼らの銃口から伸びた無数のケーブルが、レイジの体に繋がっていた。

 それらはこの瞬間も、彼の肉体に突き刺さった電極に高電圧を流し込んでいる。

 

「『俺は撃たない』──もうチョイ頭使えれば、手垢のついたバカの引っ掛けなんて食らわず済んだのによ」

 

 それを見つめていたカナタは、そっと諸手を上げる。

 

「仕方ねえだろ、そいつバカなんだから……」

 

 どうやら海に行けないこと。捕まった先で起こること。

 いろいろ不安は尽きないが、カナタは少し安心していた。

 非殺傷性のテーザー銃でなかったなら──肉をこそげ、骨を砕く実弾であったら、レイジは痛みなんて構わず血まみれの殺戮を始めたはずだ。

 自分のために傷つく彼を見るのは、もうイヤだった。

 

「わっ」

 

 不意に突風が吹き、次の瞬間白い肌を焼く日光が鈍った。

 カナタがおずおずと目を開けると、隣にサイボーグ忍者が立っていた。髑髏の眼窩で緑に輝くカメラアイから、その感情を読み取ることはできない。

 彼はチタンの爪が光る左手を、そっと彼女の肩に乗せる。

 

「じゃ。行きましょうか」

 

 ヘルメットの奥から発せられたのは、相変わらず無機質に加工された声。

 しかしカナタは、冷たいノイズの向こう側に驚くほど柔らかな声音を感じ取っていた。

 

「アタシ……オマエとどこかで会ったことある?」

「だから、二週間前に七区で────おいそこの、やりたい放題マン」

「アイ?」

 

 マスク男が顔を上げた。

 彼は周りの兵士と、数人がかりでレイジの巨体を装甲車に乗せる最中だ。

 

「これでガキ共は全部?」

「いや……それが……パツキン君はすぐ落としたんですがね」

 

 男はまた、マスクの上から頬を掻く。

 

「細くて黒髪のきれいな、栄養足りてなさそうな子。いたでしょ? あれがどうしても見つからなくって」

「すぐ捕まえて。それと絶対ケガさせないで」

「レイジをギタギタに撃ちまくったヤツらがそんなこと気にするワケ?」

 

 カナタが吐いた憎まれ口に、ニンジャは反応しなかった。

 

「あの子はもうこれ以上、傷ついちゃいけない。そうだろ……」

 

 憂いを帯びたニンジャの口調に気づいて、カナタは顔を上げる。

 ニンジャの機械の目は遠くを見つめていた。青く見える山すそまで、ずっと伸びる水田。

 青空をたゆたう入道雲を彼がどんな気持ちで見据えているのかと、カナタは考えてしまった。

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