海の彼方で、カナタを想う   作:おぴゃん

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7.絶対的中天気予報(2)

 

「────で?」

 

 広々とした会議室に、フミオの声がこだました。

 

「ンだよォ、このVIP待遇はよォ」

 

 ホコリが積もったじゅうたんの上に、パイプ椅子が三脚。

 フミオを挟むように、カナタとルリコ。彼らの手はイスの後ろで手錠に繋がれ、身じろぎするのが精一杯だ。

 

「俺らはただ夏を満喫してた、罪のねえ少年少女だってー!」

「うっさいわね、アンタ……」

 

 フミオは相変わらず騒がしい。

 こんな状況でもいつもどおりの彼を見ていると、ルリコは安心感すら覚える。

 

「ぐー」

 

 そして、彼の顔越しに見えるカナタは、半開きの口から透明なよだれを垂らして居眠りを決め込んでいた。あのレイジと一緒に住んでいるだけあって、大物だ。

 

「フミオ、ここに来る前のこと覚えてる?」

「イヤってほどな。クソ、こかされた時にケツ打っちまった」

 

 フミオはイスの上で尻をズラそうとした。

 

「あの雨ン中でさ。気付いたらスターシップ・トゥルーパーズみたいな連中に囲まれて、思いきり一本背負いからの首締めでK.Oよ」

「ダッサ」

「うるせえ。お前だって前に言ってたろ。素人じゃ、プロ相手に手も足も出ねえって」

「まったく……やっぱアンタたちに着いてきたの失敗だったわね。一体全体どういうワケよ。ここどこよ。あとコレ──」

 

 ルリコのイスがガチャンコと派手な金属音を立てた。

 フミオがVIP待遇ならルリコはVVIPだ。彼女は両足首を手錠で繋がれ、悪さができないよう、手にはミトンのような袋まで被せられている。

 

「不公平でしょお!?」

 

 ルリコが大きく叫んだせいで、会議室に充満したホコリが舞い上がった。

 今やイスと一体化した彼女が激しく体を揺する。

 

「外しなさいよ! 私は犯罪者かっ────」

 

 ガタンッ

 

「わあっ!」

 

 イスが耳障りな音を立て、彼女はそのまま、前にのめって床に倒れた。ホコリとチリにまみれた床がその体を受け止める。

 自慢の髪も、その制服も、一瞬でモコモコのホコリにまみれて、ルリコは灰色のエビフライのような姿になってしまった。

 

「ブッ」

 

 それを見ていたフミオは、こんな危機的状況にも関わらず、吹き出してしまう。

 

「は、ははははっ! ンだよお前! さすがのルリコもカタ無しかァ~!?」

「笑うんじゃないわよバカ! こちとら必死なのよ!」

「手も足も出ねえ生徒会長サマなんて滅多に見れねえレアもんだぜ! よーっく拝んで記憶に焼き付けとかなきゃなあ!」

「あ、アンタ覚えてなさいよ……!」

 

 二人は、もはや自分たちが捕まっていることなど忘れていた。

 

「ん……んん……」

 

 そんな風にいつもどおり騒がしくやっていたせいで、ようやくカナタが目を覚ます。

 

「あ……オハヨ。二人とも」

 

 ズズっとヨダレをすすって、彼女は寝起きの頭で室内を見渡した。

 目に入ってくるのは窓のない薄暗い部屋。天井で静かにうなりを上げるエアコン。イスに縛り付けられた自分とフミオ。そして──

 

「…………うわっ、ルリコめっちゃキタネー!」

「がははは!」

「アンタら二人揃って、うるさいわねえ!」

 

 床の上で、ルリコが打ち上げられた魚のように跳ねた。その動きが更にフミオの笑いを誘う。

 しばらくイスをギシギシ鳴らして体をひねっていた彼女だったが……たっぷりと自分の無力感を味わった後「くそ……」と吐き捨てると、横倒しになったままを受け入れた。

 

 コツ──

 

 部屋の外から、靴音が響いてくる。フミオの顔が、とたんに引きつった。

 

「ルリコよォ……」

「静かに」

 

 ケガの功名というか、災い転じて、というか。派手に転げたルリコからは、二人の背側の様子がハッキリと見えた。

 廊下に面した壁は、一面曇りガラスに覆われている。

 部屋に差し込む光はそこからのものだ。ブーツの音を響かせて歩いてくる見張りの姿が、黒くボヤけた姿でそこに映りこむ。

 

「動きからして銃、持ってるわね。数は一人。見える範囲では」

「子供だからって、ナメてんのかね……」

 

 フミオは強がっているが、外からの光が彼の首筋に浮いた脂汗を照らしている。

 いつメンを前に落ち着き払ったところを見せたかったようだが、見せ掛けの余裕はたった一つの足音で粉砕されてしまった。

 

 今、三人は囚われの身。身動きは利かず、時間も場所も不明。おまけに、ガラス一枚隔てた場所に完全武装の兵士がいる──改めて状況を整理すると、かなりのピンチだ。

 

「ガキ相手に、ここまでするワケ?」

 

 ガシャ。カナタが手錠を鳴らす。

 

「ホントよね! しかもこちとら、カワイくてか弱い女の子よ!?」

「あっ、オイ、馬鹿!」

 

 ルリコが床の上から、聞こえよがしに大声を張り上げた。思わずフミオが顔をしかめる。曇りガラスに映る人影は──無反応だ。

 この部屋の構造が音を吸収するのか、それとも無視を決め込んでいるのか。

 

「少なくとも、おしゃべりくらいは許してくれるか……フン。お優しいわねえ」

 

 ルリコの鼻息に吹かれて、ホコリが宙を舞った。

 床に転がっていようが、ライオンを縛り付けるように扱われていようが、彼女のふてぶてしさは変わらない。

 そんな様子を見て、カナタが首をかしげた。

 

「なんでルリコだけレクター博士みたいになってんだ?」

「……私には猿ぐつわも鉄格子もねーわよ。ただアンタら以上にイスと仲良しさせられてるだけ」

 

 ルリコはそう言って、フミオに向かって顎をしゃくる。

 

「縛るなら品行方正な美人より、未成年でヤニ吸ってる不良にしろっての」

 

 ニヤニヤ笑っていた不良は、今まさにタバコが吸えたらなあと思っていたところだ。しかし文字通り手も足も出ないので、肩をすくめて見せる。

 

「じゃ、お前がヤニよりヤバいことやったんだろ」

「ルリコ、心当たりあるか?」

「はん……そりゃ捕まるのはヤだったし。ホンキで逃げ回ってやったわよ」

 

 ルリコの腹がぐう、となった。

 彼女の真面目面が崩れる。ホコリにまみれたその頬が、見る見る赤らんでいく。

 

「ホンキで走って、ホンキでハラがすいた。と」

「うっ、うるさいわねえ!」

 

 また騒がしくやり始めた二人をよそに、カナタは長テーブルの端に置かれたリュックサックに目を留めた。

 用水路に落ちてそのままだったが、中の弁当は無事だろうか。

 キャンバス地の青いリュックには古ぼけたワッペンが貼られている。

 カナタが欲しいと言った時、彼は『ああ』と言ってヒョイとくれたが、そんなに軽く扱っていいものではない気がした。

 それは、レイジが『施設』とやらに入る前から持っていたという、唯一の私物だからだ。

 

 バッターベースのような下地に銀の十字が刺繍されたワッペンは、全てを失ったレイジに残された──たった一つの過去だった。

 

「鬼ごっこでハラ減ったんでちゅか~? ルリコちゃんは元気いっぱいでちゅね~」

「こ、殺すわ、アンタ……! これでも捕まる前に二人……じゃなくて、三……いや、五人くらい返り討ちにしたし! 私が一番がんばったし!」

「はいはいスッゲーな……ンなワケねえだろ」

「レイジ」

 

 それまで激しくやりあっていた二人は、カナタの呟きで黙り込んだ。

 

「レイジ、ぶじかな……」

 

 カナタはむしょうに、レイジの声が聞きたかった。

 彼女の隣で、フミオがいたたまれない様子で顔をそむけた。

 

「……あの野郎、他のトコに連れてかれたか」

「カナタ、最後までアイツと一緒にいたんでしょ。どうだった?」

「最後見たとき撃たれてたからな。死んだかも」

 

 あくまで軽口だ。

 彼を仕留めたのは電撃銃だった。装甲車に運び込まれていく瞬間も元気に──と表現していいのかどうかは疑問だが、ビクビクと痙攣しているのが見えた。

 だが「死んだ」と自分で口にしておきながら、カナタの心の中には暗雲が立ち込めていた。

 

「ふーん。レイジよ?」

 

 直後、ルリコのリアクションがその雲を一撃で粉砕したのだが。

 

「アイツ殺す方法なんて、ノーベル賞モンでしょ」

 

 ルリコが鼻で笑い飛ばした。無理してカナタを元気付けようとか、そういう気遣いではない。

 かけ算がおぼつかないカナタが苦労の末にひねり出した答えを「違うわよ」と切り捨てる時と同じだ。至極当然の事実を、超豪速球で叩き付けた。それだけ。

 

「もうカナタも知ってると思うが……レイジの体ってフツーじゃねえだろ?」

 

 そんなルリコに呆れつつ、フミオも加わってくる。

 

「オマエら、アタシに隠し事してたよな……」

 

 今度は別の理由で顔を曇らせたカナタに向かって、ルリコが面倒くさそうにため息をついた。

 

「今はそういう場合じゃないでしょ。でも悪かったわね。あの時はそれがベストって思ったのよ。アンタのためにも」

「あのデカブツ、さすがに頭吹っ飛ばしたら死ぬだろうな」

「ゾンビ扱いかよ! オマエのトモダチだろ!」

「むしろそれで死んでくれなきゃ逆に怖いわね……」

 

 とにかく、そのくらいレイジは頑丈だ。

 二人のおかげでカナタの心はかるくなったが、身動きできない事実は変わらない。

 会議室のドアを睨んで、カナタはイスを揺さぶってみる。ほとんど動かない。床とイスが擦れてイヤな音が響いただけだ。

 

「さすがに、賑やかしすぎると見張りが入ってくるぜ」

 

 フミオがたしなめた。

 ルリコは床の上で首を伸ばしてみる。外に立つ兵士は動かない。時折腕を口元に持っていって、あくびをかみ殺している様子さえある。

 

「どうかしら……あっちが本命なのかも」

 

 ルリコはしばらく考えてから、口を開いた。

 

「レイジが? あの筋肉ダルマから何を引き出すってんだ」

 

 しばらく沈黙して、二人は自然とカナタを見つめる。碧眼に困惑をたたえて、カナタは首をかしげることしかできない。

 

 ■

 

 レイジは、歯医者の待合を思い出していた。

 もっとも彼が虫歯になってもポロリと歯が抜けて生え変わるだけ。歯医者に行ったのは「こええよォ……」とフミオに泣きつかれて付き添った一回きりだ。

 それでも奥から聞こえてくるドリルの音と、待合に溜まった無言の緊張感をよく覚えている。

 薬品の充満した部屋の中で、イスに縛り付けられた彼の前で机をポッカリ切り抜く白いライト。

 この一面グレーのタイル張りの小部屋に漂う空気は、歯医者によく似ていた。

 フミオは、こんな恐ろしげな状況で歯の神経を引っこ抜かれたのだろうか──と、レイジは考える。

 だとしたら、大の男が赤ん坊のように泣き喚くのも納得だ。

 

「よぉ」

 

 これから俺は何をされるのだろう――――ボンヤリ思っていると、不意に部屋のドアが開いた。

 

「手荒になってすまんな。なんか飲んで、一息つけるか」

 

 湯気を立てるマグカップ片手に入ってきた男の頭は、見事なまでのハゲ頭だ。それを見て、レイジが眉を動かした。

 

「あ?」

 

 よく知った顔だった。

 

「ここは俺サマの店とは違ってメニューはないが、リクエストにはなるべく答えるぜぇ。カネだって取らねえ。タダさ」

 

 おやっさん(ブンタ)の様子は、暮酒店に訪れた時と同じだった。

 トレードマークの前掛けで両手をぬぐってイスを引くと、レイジの向かいに座る。

 こんな、いつコトが始まってもおかしくないような状況で、彼は相変わらず人のよさそうな笑顔を振りまいている。

 何度目を瞬かせても、そこにいるのは暮酒店のオーナーで、キリエと折の悪いハゲで、フミオの父ちゃんその人でしかない。

 まるで、悪趣味なコラージュ写真だ。

 

「なあ、レイジくん」

 

 レイジは、後ろ手の手錠をガチャリと鳴らしてみた。

 

「……拷問?」

「は?」

 

 その言葉にブンタは驚いた様子だった。

 彼が、そのまん丸な”自称坊主頭”よりも更にまん丸に目を見開くのを、レイジはじっと見つめた。

 

「おやっさん。始めるならさっさとしてくれ。最初はやさしく聞いて、いきなりブン殴るヤツだろ。そして俺が黙っていると、テーブルに俺の手を置いて──」

「い、いやいやいや、別に痛いコトなんかしねえよ! ちょっとお前さんとサシで話したいだけで……」

 

 拷問の話なんてコッチの心が折れそうになるからやめてくれ──そうボヤきながら、ブンタが耳を覆う。

 

弛緩(シカン)? ってやつだな。こうして普通に話していると、あのドアからゴツい男がペンチ片手に入ってくるんだろう」

「だからやらんがな! 何に影響されてんだ、オイ!」

 

 思わず叫んでから、ブンタはマグカップを手に取った。

 ズズズと音を立てて中身をすすって、彼は改めてレイジを見据えた。

 ほんの少し言葉を交わしただけで、もはやどっちが尋問されているのか分からないほど、その顔に色濃い疲労が浮かんでいた。

 

「最近の子供ってコエー……」

 

 そんなブンタの様子を見ているうちに、さすがにレイジも怪訝な顔になってきた。

 こめかみを揉むブンタから目を外して、入り口のドアに視線を移す。白衣の人間が、慌しく掛けて行くのが見える。

 

「おおお、おおおおぉぉぉ……いってえ……マジで……」

 

 そのうち数人の兵士たちがストレッチャーに乗せられて廊下を運ばれていくのが見えた。

 レイジは彼らの装備に覚えがある。強化服にマスク、大量のセンサーを載せたゴーグル。ゲリラ豪雨の中で追いかけてきた兵士たちのものだ。

 

「あううう、信じられるかよ。あんなお嬢ちゃんが、涼しい顔で俺の首……あっ! いででで! やめてそっと運んで! 死ぬ死ぬもげちゃうもげちゃう!」

 

 雨の中ではあれほど不気味に感じられた相手でも、中身はただの人間だ。

 意外と情けない悲鳴がドップラー効果で遠ざかっていくのを聞きながら、レイジは奇妙な肩透かしを覚える。

 

「ケガ人の収容は終わりました」

 

 すぐ、白衣の男が部屋に入ってきた。こちらは、どうやら医者らしい。

 

「いやはや。存外ヤバかったな……やっぱ、あの子が例の?」

 

 そうボヤくブンタが、チラリとレイジを見た。

 

「はい。噂に聞く、ムナカタ研究員の置き土産でしょう。厄介ですね」

「だなあ。アレがあと何人隠されてるやら……死人は?」

「いません。ハチャメチャですが、かなり理性的な暴れ方です」

「やさしい子だったのが、不幸中の幸いだな……」

 

 ブンタはなんともいえない渋面で何度も頷いた。

 

「連中、一週間休みをやっとけ。子供にいいようにやられちゃ、さすがにヘコむだろ」

「子供って──」

 

 レイジの両頬に、ヒタリと冷たいものがあてがわれた。

 

「余所見はゲンキンだ。いいね」

 

 頭上から伸びてきたのは、金属の爪を持つ真っ黒な義手だった。

 下ろしたてのシューズのようなシリコンとナイロンの無機質な匂い。

 そっと、しかし抗いようのない力でブンタの方に向き直らせてくる相手の姿は見えない。だが、レイジはよく知っている。

 

「またお前か……」

 

 レイジは見上げる。

 いつからそこにいたのか。それとも、彼が気付かなかっただけで、ずっと部屋にいたのか。

 サイボーグ忍者が、まるで鋼の柱のようにそびえていた。

 

「こっちのセリフだ。面倒ばかり増やしやがって」

 

 白い面頬の下の感情は、まったく読めない。

 ただひとつ確かなのはニンジャの強さと冷酷さだ。彼が何かの気まぐれを起こせば、次の瞬間レイジの頭は腐ったカボチャよりも容易くブッ潰される。

 

「あんま脅すな、バカ」

 

 医者を見送って、ブンタが振り向いた。

 

「レイジくんが騒いだり暴れたりしないだけで、こちとら万々歳よ。丁寧にオモテナシしなきゃだろ」

「機密保持は?」

「しらね。どうせ最後には全部忘れちまうんだ」

 

 レイジの耳に、くぐもった溜息が届く。彼の頬から両手を離したニンジャは、金属製のヒールの音を響かせながらブンタの隣まで歩いていって、壁に寄りかかる。

 

「──繰り返しになっちまうが、俺サマは穏やかに話しがしたいだけだ。ちょっくらオッサンの世間話に付き合ってくれりゃ、直行便で町に帰してやる」

「知ったことか。俺はカナタと海に行く」

 

 レイジの言葉は短く、そして断固とした響きがあった。

 

「西町から南に五十キロ。浜辺でバーベキューをして、泳いで、カナタの記憶を取り戻す。それだけだ。なぜ邪魔をされなければいけない」

「まさにそのカナタちゃんが問題なんだ」

 

 ブンタが背筋を伸ばし、マグカップを傾けた。

 いつも猫背気味で低い位置にあるのでルリコがツッコミのついでにスパンスパンとハゲ頭を叩いているが、実際の彼は相当に上背がある。

 どう見てもただの酒屋のオヤジではない。

 

「”ある朝グレゴール・ザムザが目を覚ますと一匹の毒虫になっていました”とさ」

「ヘタに古典を引用すると頭悪く見えるぞ」

 

 ニンジャが入れた茶々に「るせえ」と吐き捨て、ブンタは続ける。

 

「一年は三百六十五日。それが七年なら二千五百日とちょっと。目覚めはそれだけ用意されている」

「どういうことだ」

 

 レイジが目を細める。

 

「変化の機会はたくさん与えられているということさ。良くも、悪くも」

 

 ブンタの目が、レイジを探るように見つめていた。

 

「だがチャンスが人を変えるわけじゃねえ。必要なのはきっかけなのさ」

 

 ブンタはマグカップの中身をあおった。コーヒーだ。いい香りがする。

 

「やっぱ飲む?」

 

 レイジの様子を伺って、ブンタがカップを掲げて見せた。

 

「いい。おやっさんは酒好きだと思ったんだが」

「酒屋のオヤジだからっていつも飲んだくれてるなんて、ひでえ偏見だぜ。オトナってのはTPO(てーぺーおー)を守らなきゃな。なあ?」

 

 ブンタは途中からレイジでなく、サイボーグ忍者の方を振り向いて話していた。

 自分たちの組織のリーダーが尋問の最中に説教臭くやり始めたのを見て、スチールとカーボンの怪物はうんざりしたように肩を下げた。リアクションはそれだけだ。

 

 それだけでレイジの首筋が、波打ったように粟立つ。

 

 ──勝てない。

 

 動物的本能と、長い格闘技の鍛錬で培われた経験の両方がレイジの耳元で警鐘をブっ叩いていた。

 一方で壁に背中を預けたまま、つまらなそうにレイジを見ているニンジャが、何かをレイジに感じ取っている様子はない。完全に獲物を前にした捕食者だ。

 

「やたらジロジロ見てるな。ゴム臭いボンデージが好きとか、そういうタイプか?」

 

 髑髏のようなヘルメットの奥から差す緑色のセンサー光がレイジを射抜く。

 

「レイジくんが手に入れた『きっかけ』は……カナタちゃんだったかな」

 

 レイジは、はっとしてブンタを見た。

 そうだ。カナタ──ブンタの語りやニンジャの存在で気がそれていたが、気を失ってから彼女の姿を見ていない。

 思わず立ち上がろうとした彼だったが、手錠とイスがそれを許さない。ギギュ、と嫌な音を立て、合金製の鎖が手首に食い込んだだけだった。

 

「大丈夫だ。ヒデぇことはしてねえ。だから、話を聞いてくれ」

 

 ブンタの目は、手首から静かに血を流すレイジに向く。

 彼は息をつく。

 言うべきか、言うまいか────彼はその言葉を口にするまで、ずっと悩んだようだった。

 

「…………オモトカナタ」

 

 上目遣いにブンタが口走った言葉は、はじめはピンとこなかった。

 レイジの耳には、何かの呪文めいていた。

 

「オモト……?」

 

 そこまで口にして言葉を切ったのが、かえってレイジの気付きを早めた。

 

 オモト、カナタ。

 

 ────カナタ。

 

万年青彼方(オモト カナタ)……カナタちゃんの……少なくとも、八年前に実在した女子高生のフルネームだ」

 

 呪文が頭の中で解けるにしたがって、レイジは、得体の知れない塊がぞわぞわと背中で触手を広げていくような寒気を覚えた。

 カナタの本名。カナタの過去。

 

 八年前。

 

 だいぶ前に世間話のついでにカナタが口走っていた時代が、ちょうど一致する。

 

「訂正すると、女子高生にはなれなかったみたいだがな」

 

 それまで半分眠るように俯いていたサイボーグ忍者が冷たいマスクの向こうから冷たい声を放つ。

 緑色に光るカメラアイは、ブンタでなく、レイジに向けられていた。

 

「きみには伝えておいた方がいいと思った」

「どうして」

「彼女の一番そばにいて、彼女が心を許しているのが、お前だからだ」

 

 言うべきことは言った。とばかりに再び緑色の眼光が床に向けられた。

 まるで幽霊のような男だと、レイジは思う。おそろしいほどの存在感を放つくせに、その実態が掴めない。突き放したかと思えば、こちらを慮るような言葉を口にする。

 

「……まあ、どこの町にも地獄ってのはあるもんだ。今はそれを深堀りしても仕方ねえ」

「お前ら、何者だ。どうしてそんなことを知っている」

 

 レイジが椅子を軋ませた。

 

「俺様たちは……俺ら、一体なんなんだろうな?」

 

 心底からの疑問といった様子で、ブンタは眉を寄せてニンジャを見上げた。

 

「こっちに振るな。この装備で喋ると疲れる」

 

 助け舟を出してもらえずに、ブンタは頭を抱えて考えるそぶりを見せた。レイジもニンジャも、黙って彼の動向を見守る。

 

「政府の真似事をしてるボランティアみたいなモン、かな」

 

 ブンタはおどけたりしない。いたって真面目に、レイジを見据えて言った。

 

「悪の秘密結社じゃなかったのか?」

 

 だが、全身を電極で撃たれて泥の中を転げまわるハメになったレイジとしては、嫌味のひとつでも言っておかなければいけない。

 

「違うって。ゴーモンしなかったし。もうちょっとカッコいい言い方をすると、風前の灯同然の人類を、明日に引き継ぐ頑張り屋さんたちの──」

「長いって。聞くほうの身にもなれ」

 

 ニンジャが頭を振った。

 ブンタは近くの机に放り出していた書類を引き寄せた。

 

「まあいい。万年青彼方。見てのとおり女性、住所はK県K市、東青林地区のアパートだ。まあもっとも、そこは今頃水の底だろうが──当時の年齢は十七歳」

「青林……」

 

 さっきから、聞き覚えのある名前のオンパレードだ。

 それがレイジの心をひどくかき乱す。

 貧乏ゆすりが止まらない彼の前に、ブンタは一冊の書類束を滑らせた。

 

 その形式は履歴書によく似ていた。

 記入欄はビッシリと文字で埋め尽くされ、わずかな余白は公的書類であることを示す大量のスタンプとサインにまみれている。

 

 その中に、特に目を惹くものがあった。

 

『再建機構 境界防衛局』

 

 枝を咥えた鳥の絵が絵があしらわれた大きなスタンプが、書類のフォーマットに印刷された『日本国』を塗りつぶすように捺されている。

 まるで、その名前はもうこの世界に存在しないと言うかのように。

 

 だが、スタンプへの興味は一瞬でレイジの中から霧散した。

 書類の端に、クリップで閉じられた証明写真が彼の視線を鷲掴みにして引き寄せたからだ。

 

 それは陰鬱な雰囲気を漂わせる、長い黒髪の女性の顔を正面から捉えたものだった。

 

 ありふれた証明写真だというのに、レイジは言いようのない不安を覚える。

 おそらく、口が半開きになっているからだろう。

 歯はところどころ抜け落ち、灰色に濁った瞳には生気を感じない。ただ彼女の肌の色には見覚えがある。

 漂白したような白。紙のような白────

 

「あっ!! ううっ!?」

 

 ──レイジは呻いて、イスを大きく揺らした。

 

 

 それは、濡れそぼった水死体の写真だった。

 

 

「ああ。そうだ。オモトカナタはもう死んでんだ。八年前に」

「オッサン、最初にそれ見せるか。このサディストが」

 

 心底ウンザリ、といった様子でニンジャが呟く。しかしブンタは、両手の間でマグカップを転がすだけだった。

 

「こういう話に順番もクソもねえだろ。どうやっても、ショックのはずだ」

 

 そして、テーブルの向かいをチラリと見る。

 無表情の仮面を突き崩され、打ちのめされ、吐きそうな顔でレイジが座っている。

 彼の胸の中では、未だに心臓が跳ね回っていた。写真の中で無残な死に顔を晒しているのは、いつも自分に卵焼きを作ってくれるカナタだ。

 うまいと言うと「そうかよ」と照れたように笑ってくれる少女が。彼が運命と呼んだ相手が、裸にひん剥かれて冷たい検死台の上に寝かされている。

 

「オモトカナタは見ての通り故人だ」

 

 頭に手を突っ込まれて、脳みそを引っこ抜かれたようだ。考えがまとまらない。

 まるで自分のものではないような首を動かして、レイジはブンタの声に耳を傾ける。

 

「かつてはこの町に死体があって、確認もしている。そして先日、カナタちゃんがウチの店にバラ撒いたヒレからDNAを採取して照合したが──本人だ。間違いねえ」

「だったら……」

 

 ようやく搾り出した自分の声のか細さに、レイジは驚く。

 ニンジャは壁に深々ともたれ、ブンタは重々しくうなずく。

 

 だったら。

 

 この部屋にいる人物たちは、みな同じ疑問を抱いていた。

 

「顔、声、表情。性格も遺伝子も。何年も前に死んだ人間とまったく同じ……」

 

 ブンタの声だけが、部屋に反響する。

 

「──カナタちゃんが一体何者で、何をするためにこの町に来たのか……俺サマは興味が尽きないね」

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