二人の呼吸が、フットワークがリズムを刻む。
機械式の義手が、レイジに向かって手招きする。
「キミに私を倒せるかな──だって、あのヘナチョコにも歯が立たないんだろ」
「誰のことだ」
「師匠だよ。樋口キリエってダメ女」
弾丸のようなスピードで、レイジの体が発射された。
叩き折れたテーブルを踏み台にし、一気に天井まで飛び上がる。そこから放たれるのは、急角度の飛び蹴りだ。
レイジの巨体の重量、そして加速。すべてを乗せたその足先は、並みの交通事故を軽く凌駕する破壊力を秘めてニンジャを襲う。
が──
「ほらな」
ニンジャは必殺の一撃を、左手ひとつで受け止めた。
「ぐうっ!?」
チタンの爪が靴を突き破り、レイジの肌に食い込む感触。
次の瞬間、彼は床に叩き伏せられていた。
「ダメ女にはダメ弟子がお似合いだな。アイツから何を学んだ? 三角比か? 連立不等式? それとも人生のブっ壊し方か?」
そこからは、レイジでも信じられないほどの怪力ショーの始まりだ。
黒いファイバーで形作られた人工筋肉が唸りを上げ、ニンジャの左腕が二倍近くに膨れ上がる。
「あ、おい、だからボコりすぎは──」
ブンタはこの状況で、とことん置いてけぼりだ。
ニンジャの怪力で、レイジの体が軽々と持ち上げられる。手足をバタつかせる彼を、手近な壁めがけ、バットのスイングのように叩きつけられる。
「──かっ」
メシ、と骨が軋む音がして、レイジの口から大量の血が溢れた。
飴細工のようにひしゃげた彼の足から、ニンジャが手を離す。190センチを超えるレイジの巨体は、壁に深々と埋め込まれていた。
「いつもいつも、まっすぐ突っ込むだけだな」
レイジを圧倒しながら、ニンジャの声には深い苛立ちが漂う。
二人がこうして激突するのは、これが二度目だ。だが、彼はまるで、何度も何度も彼と立ち会ってきたような物言いをする。
「不死身の体はいい。だが頼りすぎると、ただでさえ少ない”人間”を忘れるぞ」
「ク……」
「その点、あの女は真逆だったな……」
割れたタイルとテーブルの残骸を踏みつけ、ニンジャが左腕を振りかぶる。
「なんの間違いか、あの酒びたりのカスが──ッ!」
悪魔の左腕が霞んだ瞬間、レイジのうめきが破砕音と衝撃波の中に消える。
レイジの腹のド真ん中に直撃したストレートが、彼ごと壁を突き破る。その先は廊下だ。
じめっとした湿り気と、砕けたコンクリートの砂煙が冷房の効いた、清潔な廊下に流れ出す。
「努力だ?」
ニンジャは瓦礫を蹴り分け、うずくまるレイジを掘り返す。
「研鑽だァ!?」
立ち上がろうとするレイジの腹を、思い切り蹴り上げた。
その衝撃で、彼の巨体が数十センチも浮く。
ボキョキョキョと音を立てて粉砕される肋骨の音を聞きながら、火のついたような勢いで、彼は技を繰り出し続ける。
「素っ裸から這い上がったからなんだ!? ずいぶん思い上がったなァ!?」
「おい……ッ!」
いまだに煙に包まれた部屋の中から、ブンタの声がかかる。ニンジャはそれを無視した。
「だったら生徒の一人でも救ってみろ!」
地べたにはいつくばったレイジめがけ、鋭いヒールが振り下ろされる。
しかし串刺しにされる前に、彼が体をひねった。度重なる重打でへし折れた手首を軸に、床を舐めるように低い姿勢から足を払う。
「それがどうだ!」
メキョッ
足首を刈り、形勢を逆転させるはずだった一撃を、ニンジャが無慈悲に踏み潰す。ほとんど千切れかかったレイジの右足をひねって、膝のあたりからもぎ取る。
「貴様の目は過去に向いたままだ!」
ゴッ
レイジの頭めがけ、血が滴る足首を斧のように振り下ろす。
彼は衝撃で軽く宙をあおぎ──ぐったりとする。
「コイツに誰を重ねてる?」
ゴッ
「いつまでもいつまでも、取り返しのつかないことでメソメソと!」
ゴッ、ゴッ、ゴッ──そして五発目。レイジの首が無抵抗に跳ねた。
「おい」
太く、ごつい指が肩にかかって、ニンジャはハっとした。
「それ以上はやめとけ。お前さんのためにもな」
ブンタはそう言って、ひどい破壊の嵐が駆け抜けた辺りの様子を示した。もうもうとホコリがたちこめ、けたたましい非常ベルの音の中に、レイジの咳き込む声が響く。
「……るせえよ、ハゲ。てめえも私も、同じ穴のムジナだろうが」
ニンジャは彼の手を振り払った。
「てめーは”アッチ”を選んだ。だから、
二人の足元では、血まみれになったレイジが肘をついて、懸命に立ち上がろうとしていた。
「うぐっおっ」
レイジの口から何リットルもの血が吐き出される。
破壊された内臓、使い物にならなくなった組織片を作り直すために、彼の体はまずいらないものを排出することにした。
虫のように這いつくばるレイジは、口の端に臓器の破片をへばりつかせながら──それでも、黒い炎のチラつく瞳で見上げてくる。
「ああそうだ。俺サマは最低だろう。人間やめて、父親になりたがったんだ」
ブンタはアッサリ言い放つが、その表情は陰鬱だ。
彼はひざまずき、レイジに手を差し出す。
「何──おっ、ごっ、げっ」
レイジはその手を何がなんだかよく分からない様子でしばらく見つめて、また体を折って吐き始めた。
理解不能な状況で、理不尽に振るわれる暴力にも。
意味不明に差し伸べられるやさしさにも。
レイジは、うまく対応できない。
しかし──彼は見た目ほど苦悩していないのだろう。
破裂した胃袋が口からハミ出ることも、足が生え変わるとき、むき出しの神経をタイルの破片で切り刻まれるのも。
レイジと苦痛は決して分けて隔てることのできない、背中合わせに接着された双子のようなものだ。
血が出ること。手足が千切れること。彼にとっては当たり前の日常動作だ。
味の無い食事をただ噛み砕いて飲み込むように、途方も無い量の苦痛を代謝する。
彼は『そうせよ』と命令された機械のように何度でも立ち上がろうとするのみだ。
「ほんとうに、どうしようもないでくのぼうだ」
その背を踏みつけて、ニンジャは伏せさせた。
「立つな。そしたら、丁寧に扱ってやる……カナタさんのことも。みんなのことも」
■
『こんにちは~』
虫の視点で見る視界に、白く輝く足が歩いてきた。
『いきなり、つらそうだね……』
灰色のワンピースの裾が揺れ、黒髪の少女がレイジの前にしゃがみ込んできた。
『痛いね。痛いね』
ところどころフジツボの張り付いた手のひらが、彼の頭をなでる。
それは、レイジにしか見えない幻覚だ。この瞬間も頭上で何やら言い合っているニンジャとブンタには、彼女の存在など知りようもない。
「あ……」
背中を踏みつけにされたまま、レイジはかろうじて無事な右手を動かした。遠のきかけた意識の片隅でニンジャの声を聞きながら、床に撒き散らされた破片を払う。
『ねえ。私ってマボロシなんだよ──』
「すあしが、いたそうだ……」
少女の目に映るレイジのほうが、よほど痛そうだ。
血混じりの唾を垂らし、片足は生えかけ。体の中があちこち潰れたり無くなったりしている。
『優しいね、レイジは』
藻屑のような手で「よしよし」をされながら、レイジは不思議な安心感を覚えていた。
幻覚に撫でられている頭がどうこうではなく、体の中が温かかった。
少女のもみじのような手がレイジの髪をなぜるたび、心臓の辺りが熱を帯びていく。一度──二度──ふいごで空気を送り出すように。
冷え切った黒い殻の中で、炎が熾る。レイジの手足に力がこもる。
『私は、いつだってレイジといっしょだよ。約束。絶対に離れない』
「ああ──」
レイジが熱い息を吐いた。
胸の中で黒い火花を散らすのは、憤怒だ。
殴り飛ばされても足蹴にされても沸かなかった感情が、ようやく彼の中で目覚めようとしている。
のどが、ぐっと鳴る。投げ出した手足の先に、赤くたぎる鉄が流れ込む。
『レイジ、どうしたい?』
「どうって?」
少女の指が、レイジの口元をなぞる。
彼は笑っていた。険しい目元に、切れた頬。いつもどおりの、岩のような無骨な表情に、口元だけ限界まで引きつったような笑みが張り付いている。
彼は、自分でそれに気づけない。
『なおしてあげることは出来るよ。でも、それだと……』
少女は『うんん』と限界までのけぞって、電柱のようなニンジャの長身を見上げた。彼の右手には、折れ曲がったレイジの右脚がチキンレッグのように握られたままだ。
『……立ったら、レイジはこの人と戦うでしょ』
半端に再生の終わった手を地面について、レイジは立ち上がろうとする。
それをニンジャの足が無慈悲に払う。彼は顔面から床に激突する。それを何度も繰り返す。
復讐心がそうさせるのではない。
彼が何度も何度も立ち上がろうとするのは、根性や執念からではない。
飢えだ。
ジリジリと焦げ付く様な熱が宿った胸に片手を当てて、レイジは息をつく。
吐息に混じる黒い火花が割れたタイルの上で弾ける。それは彼の持つ破滅の力を帯びている。目の前で破片はグズグズに分解され、崩れ去った。
ごろり。
レイジが仰向けになろうとするのを、ニンジャは咎めなかった。
「ああ──」
────俺はずっと、こいつに会いたかった。
俺の体をいくらでも破壊してくれる。
俺の怒りをいくらでも飲み干してくれる。
「やろう。続きを。俺を壊してくれ」
「……ッ」
あれほど残酷で容赦のなかったニンジャが、どういうわけか迷ったようだった。
サッカーボールでも蹴るように振り上げた片足が空中で引きつったかと思うと──見る見る失速し、力なく、レイジの頭をコツンと小突いた。
『レイジ』
天井から降り注ぐ照明が眩しいほどだった。
逆光で黒々と染め上げられたニンジャが、レイジの墓標のように突き立っている。鋭く、刃物のように研ぎ澄まされた義足に、少女が静かに寄り添っていた。
『また私の姿が、はっきりしてきたね』
フジツボに侵されているのは、少女の腕だけではない。
顔も、足も、灰色の甲殻がビッシリと張り付いている。薄い皮膚の下に食い込んだ根が透けて見え、痛々しい。
『それはうれしい。とっても嬉しい。でもね……レイジ、私のことをよく見て』
少女はレイジの目の前にひざまずいて、彼の頬に手を添えた。
彼女はしょせん幻。その手は彼の顔をすり抜けるだけだ。
それでも、不気味なギラつきを秘めてニンジャを
『大事なこと、忘れてる。何のためにここにいるの?』
「だいじな、こと……」
レイジは少女の声を反芻する。
戸惑ったのはニンジャだ。少女の幻影は、彼にしか見えない。虚空を見つめて呟くかれは、壊れかけの人間にしか見えない。
「何をブツブツと……」
「何のため……俺は……ああ、そうか…………なんで、忘れてた……?」
ニンジャの猛撃によって心折れて、いよいよ本格的におかしくなりかけている──わけではない。
うつろだった彼の目は、徐々に現実の輪郭を捉え始める。
まるで、目の前にいる誰かと言葉を交わしながら、立ち直っていくようだった。
「…………そうだったな。ありがとう…………また、会おう」
レイジの目が、ニンジャをまっすぐ見据えた。
ギシュッ
レイジが立ち上がるそぶりを見せた瞬間、ニンジャは冷酷さを取り戻した。彼の踵に装着されたスパイクが火を噴き、太い杭がレイジを貫く。
「ごぶっ」
彼の口から鮮血がほとばしる。
だが──スパイクが打ち抜いたのは彼の右脇腹だ。釘付けにするには、あまりに浅い。
ニンジャの体勢がわずかに崩れる。
こぼれ落ちた腸の束を無理やり引きちぎり、レイジは足の下から滑り出た。
彼は大穴の開いた脇腹からいろいろなものをこぼしながら、大きく跳んで着地する。ふつうの人間では、到底立っていられない。
致命傷だ。だがレイジにとってはさしたる問題ではない。
「俺の…………邪魔は……させん……誰にも……」
「やめとけよお」
ズズズ……とノンキにコーヒーをすすって、ブンタはその場に中身を吐き出した。激闘で降り注いだススとホコリとチリが舞い降りて、水面で渦巻いている。
「ぺっ……痛いだけだろよ、そんなん。どうあっても、今のお前さんは詰んでるぜ」
彼は視線で周りを示した。
細長い廊下の両端を固めるように、大きな盾を構えた警備がひしめいている。
この即席の『檻』の中にはレイジとブンタ──そして、どんな猛獣よりも残忍な、サイボーグ忍者が放たれている。
「勝ち筋も、逃げ道も見えねえ」
「カナタだ」
惑いのない目でレイジが告げた。
その名前を口にした瞬間、彼女の香りが目の前をよぎったような気がした。
──潮に彩られた、花の香り。
破けた腹の中に、はみ出した臓物がリールを巻き戻すように取り込まれていく。耳障りなベルも、血と臓物のにおいも、彼の世界から消えていく。
「俺は俺の運命のために、全力を尽くす」
レイジがファイティングポーズを取る。構えた拳から、黒い熱がじわりと立ち上る。
だが、ニンジャは構えなかった。
「あの子が……そんなにか」
私には到底理解できない。そんな声音だった。
「キミが、そんなにロマンチストだとはな」
「俺に
「……来るがいい」
そうしてニンジャは、レイジの背後をちらりと見た。
押しかけた大勢の警備員の間からどよめきが沸く。
手出ししたら、お前らだろうが容赦はしない──無言のままに放たれたプレッシャーは空気を伝わり、彼らの背筋を冷やした。
ぐらり。ニンジャが前傾する。
ギャラクティックテコンドー。馬鹿みたいな名前と、馬鹿みたいな構え。
そして、どうかしているとしか思えないほどの破壊力を秘めた蹴り主体の戦闘スタイル。
ここにきてようやく構えたニンジャを前に、レイジの顔にも緊張が走る。
先に仕掛けたのはレイジだ。
踏み出す一歩で床を派手に陥没させ、ニンジャに向かって突撃する。
圧倒的包囲状態。圧倒的な戦力差。
そんなことを気にしてイチイチ立ち止まるような男ではない。
レイジの作戦は相変わらずシンプルだ。ダメージ覚悟で突っ込んで、再生力にモノを言わせて全てをブチ壊す。
対するニンジャはスっと足を構え、待ち受ける。前蹴りの予備動作だ。
シンプルだが、そこに秘められた殺意と破壊力は極限まで引き絞られた弓の弦によく似ている。
そしてそれは、レイジがキックの射程に収まった瞬間、風切りの音を立てて解き放たれた。
グオッ
まるでトップスピードの新幹線が横っ面を掠めていったような衝撃波だ。
だが、レイジは成し遂げた。殺人キックを見事にかわした彼の前にあるのは、片足立ちで無防備を晒すニンジャの姿。
あとはこちらの番──レイジはその全身に力をみなぎらせ、真正面から激突する。
ドズンッ
ブンタの持ったコーヒーの水面がさざなみ立つ。
廊下全体に激震が走り、ズラリと並んだ盾の列がよろめく。
「──は」
レイジが、声を漏らした。
ニンジャは小揺るぎもしない。
目立ったダメージもなく、レイジを見据えて首をかしげる様子は、まさに鋼鉄の悪魔だった。
「それで?」
離れようとしたレイジの両腕を、ニンジャがガッチリと掴む。肉に潜り込むほど強く指が食い込み、身動きできない。
あとは煮るなり、焼くなりというやつだ。
ニンジャが覆いかぶさるように上半身を折って、彼に顔を近づけてくる。
レイジは思わず、身を硬くした。
「……カナタさんは、あっちだ」
「あ?」
ヘルメットの隙間から、どこか嗅ぎ慣れた臭いが漂う。
「何も考えないで、まっすぐ走りなさい。曇りガラスの、大きな部屋が見えてくるから」
「うぐ」
ニンジャにその真意を確かめる間もなく、レイジの鳩尾に鋭い膝蹴りが食い込んだ。
レイジの体は十数メートルもの距離を、床とほぼ平行にスッ飛んだ。
その先には盾を構えた警備員が立ち並んでいる。
受け止められるのか? そもそも、あんな恐ろしい人間砲弾を受け止めて大丈夫なのか──彼らが冷や汗と共に浮かべた問いに、すぐ答えが突きつけられた。
レイジの肉体という超重量物が、パッコォーンと音を立て、彼らの列をなぎ倒した。
重厚な防具に身を包んだ男たちが「わああ」と情けない悲鳴を上げて弾き飛ばされる。
「おお、ストライク……」
ブンタのつぶやきで、ニンジャは我に返った。
折り重なるように倒れた男たちの中から、よろめきながらレイジが立ち上がる。
そのまま彼は何かに突き動かされるように、脇目も振らずに駆け出した。ニンジャではなく廊下のずっとずっと先へ。
他の誰でもない、ニンジャ自身の口から語られた場所を目指して。
「っ……あっ、しまった……!?」
「おーやおやあ。あの方向、マズいんでないのお」
すぐ傍で見守っていたブンタには、何もかもが聞こえていた。
確実にトドメを刺せるタイミングで、ニンジャが手心を加えたこと。優しく語りかけたこと。
「お前さん、ガキに感情移入しない主義じゃねえのかよ?」
ブンタはマグカップを放り捨て、室内からイスを引き寄せて座り込む。
彼の口調に責めるようなところはない。
「気の迷いだ……!」
壁の一部からブレードを引き抜き、ニンジャが逆手に構える。
「どうせ、行き先は分かってる……これだからガキってのは……ッ」
もつれ合ってうまく立てない警備たちを踏み越えて、ニンジャがズンズン歩いてく。彼の足取りには、ここ数年見せたことのない、ハッキリとした焦りが浮かんでいた。
「ガキねえ。いいよな、若いって」
残されたブンタは、まるで台風が通り抜けた後のような荒れ果てた廊下に取り残された。
「忘れちまったか? 俺らにもあったろ、ああいう時期が……」