「どあああッ! ケツがつかえちまったあああ!」
フミオの魂からの叫びが、ダクトからほとばしった。
「な。ルリコってさ」
酒屋の息子、一世一代のSOSを黙殺して、カナタは隣に座ったルリコに声をかけた。
ポッカリ開いたダクトの横で、彼女はコックリコックリと首を揺らしていた。
「……なあに?」
半分寝言のように彼女は返してきた。ここまでの疲労のせいで、ひどく眠そうだ。
「フミオとレイジと、どうしてトモダチやってんのかなって思って」
敵地のド真ん中で話すようなことかね──カナタは自分でもそう思うが、今はオトリ、もとい特務隊員フミオが頼りだ。
彼が”なんとか”してくれるのを壁に寄りかかって待つこの時間は、ずっと抱いていた疑問を投げかけるにはうってつけのタイミングだった。
「意外?」
ルリコが、割れた爪の先をいじりながら言った。
「意外つーか……チグハグ? 口下手筋肉マンに、バイクいじりが好きな酒屋のセガレだろ。でもってスゴウデ生徒会長。どうやって知り合ったのかなって」
「ンー」
ルリコは腰を浮かせ、ダクトを覗いた。
不衛生なホコリの舞う暗黒の中に、フミオの尻も、彼が握るライターの火も見えなかった。
それからしばらく黙り込んだ後に、彼女は小さな小さな声で答えた。
「殴った」
「殴ったァ?」
思わず、カナタはそのまま聞き返した。
「うん。入学式の最中に暴力沙汰」
「それって、レイジがフミオを? フミオがレイジを?」
ルリコが、親指を立てる。それを彼女はゆっくり自分に向けた。
「スピーチの最中に私がブン殴った。得物は四十キロのバーベル」
「ふーん……」
カナタはとりあえず頷く。
頷いてから、その口があんぐりと開いた。
「……って、は!? なんで!?」
納得はしたものの、これは後から効いてくるタイプのパンチだ。
入学式──スピーチ──ルリコ──バーベルー ──考えれば考えるほど、カナタの表情はこんがらがっていく。
その顔を見て、ルリコは喉を鳴らすようにして笑った。
「でもって緊急搬送よ。私もそん時に左の薬指折って、骨がびよーんて出てきちゃって。あたりは血の海。レッドオーシャン」
「え? え? アタシ、担がれてる? マジなの!?」
「マジのマジよ」
ルリコは白く細い薬指をカナタの前に突きつける。半月型の古傷が、その根元に見える。
「で、まあ……みんな大ケガしたから、被害者と加害者がうやむやってカンジ」
「そんなコトあったら、むしろこじれるだろ。どうしてそんなんでトモダチ続けてこれたワケ?」
「確かにね。でも、そういうモンじゃない。友達って」
おかしいことは彼女も分かっている。とりあえず、カナタに肩をすくめて見せた。
「わっかんねえなあ……」
「脚色ナシ。事実100パーセントでのお届けでした」
カナタはまだ話のディテールを聞きたそうにしていたが、ルリコは意味深な笑顔を見せるだけだった。
彼女はダクトに首を突っ込み、声を張り上げる。
「ねえフミオ、アンタやる気あんのー!?」
「だからケツがハマってんだっつーの! ダクトと一体化してんのー!」
声は、綿ホコリと一緒に天井から降ってきた。
「アンタ……本当に使えないわ……」
見上げたルリコがため息をつく。フミオの目元が、エアコンの換気口の隙間から覗いている。
「使えない? シッカリつかえてんだろ、俺のデカいケツが」
「しばらくそのままでいなさい」
「しょんなあ」
ひょっとすると、俺は一生このままかもしれない──ただでさえ監禁されて心が弱っているときだ。普段なら鼻で笑って飛ばすようなアホな妄想に、フミオはズブズブ囚われてしまう。
「へ、へへ。へへへ……っ!」
半泣きのフミオを見て、思わずカナタは笑ってしまう。
「なあー、助けてくれよう。カナタも笑ってんじゃねえよお」
フミオは必死で脱出しようとしているが、ダクト内で体が完全に詰まっているせいでどうにもならない。
「待って。今アンタを出す方法考える」
こういうときに頼りになるのはルリコだ。
彼女は腕組みして瞬き一回分ほどの間考えた後、静かにダクトを見上げる。
「……さようなら、フミオ。三日くらいは忘れない」
「おいおーい! フリにしてもチョイ時間取れやァ~~!」
フミオが珍しくツッコミに回るが、簀巻きになった状態では手も足も出ない。
あっはっは。三人分のヤケクソな笑い声が会議室に響いた次の瞬間、ズン、と、胃を突き上げるような振動が床に、壁に、天井に突き抜けた。
「何の揺れかしら……地震?」
ズン、ズン。
そのたび、天井のパネルが踊り、埃が舞う。震源は──確実に、この部屋に近づいている。
「ちくしょう、今度は一体全体なにが────」
ド派手な破砕音がフミオの声をかき消す。
会議室の壁──今までルリコが睨みつけていた廊下側とは正反対──が派手に吹き飛んだ。
まるで戦車が突っ込んだ跡のような大穴の端がパラ……と崩れる中、大量の瓦礫の中から、大柄なシルエットが立ち上がってくる。
「おお、レイジ、愛すべき筋肉ゴリラ!」
室内に転がり込んできた友人の姿を見て、フミオが声を上げた。
「お前ならきっと助けに来てくれると……」
しかし土ぼこりが薄れてレイジの姿があらわになるにつれ、フミオの言葉は尻すぼみになっていった。
「……救急車呼ぶ?」
「レイジッ!」
カナタがレイジに駆け寄った。
彼は全身ズタズタだった。
壁の中を通り抜けてきたせいで、彼の全身にはパイプが突き刺さり、大蛇のようなケーブルが巻きついている。
その隙間から血がとめどなく流れ落ち、床に小さな水溜りを作っていた。
「血だらけじゃないかっ、ひどいことされたのか!?」
両手が赤く染まるのも構わず、カナタがレイジの体にしがみついた。
治りかけの傷が、あぶくを吹きながら修復を続けている。彼がここまでの道のりでいったいどんな修羅場を潜り抜けてきたのか──カナタには想像も及ばない。
「動くな!」
ドアが蹴破られた。
カナタ、ルリコ、フミオ──レイジを除いた三人に緊張が走る。
この部屋の見張りには、どういうワケかダイ・ハードごっこくらいならお目こぼしするように指令が出ていたらしいが、さすがにこの大騒動は想定外といったところか。
震える銃口はレイジと、彼に寄り添うカナタに向けられていた。
「よせ──」
レイジの言葉が半端なうちに、タタタ、と銃声が迸った。
「あうっ」
悲鳴を上げながら、カナタは理解する。アレはホンモノの銃だ。テーザーガンとは銃声の迫力も殺意も、何もかもが違う。
ぎゅっとまぶたを閉じる。
熱と激痛。そして死を覚悟しながら──いつまでたっても、カナタの体に弾が届くことはない。
「……あ」
顔に飛んだ生ぬるい液体の感覚に目を開いて、彼女は思わず声を漏らした。
とっさに彼女を抱きしめ、肉の盾となったレイジの体にいくつもの赤黒い花が咲いていた。
肉をえぐり、爆ぜさせる銃弾を何発も何発も受け、彼は顔色一つ変えない。
漂いだした硝煙の中で、彼は胸元のカナタの無事を確認する。
「あっあっ──」
カシャリ。レイジと目が合ってしまった兵士が、銃を取り落とした。
彼と、カナタ。レイジの視線は二人の間を何度か往復する。
「……いい。気にするな」
脱兎のごとく駆け出した足音は、その言葉を半分も聴いていなかったに違いない。
レイジの興味もまた、そこにはない。
「カナタが無事で、ほんとうによかった」
今はただ、カナタの無事を噛み締めたかった。
レイジは深々と跪き、彼女の肩に鼻をうずめた。
「オマエって、マジで……」
すん、と鼻を鳴らして匂いを嗅ぐ彼のことをどう扱って良いか、カナタは悩む。
ここまでひどいケガをしたことを叱り付ければいいのか。汗でぐちょぐちょになったうなじの匂いを嗅ぐのにキレたらいいのか。
とにかく気持ち悪いが──そのキモさに触れられて、今は安心する。
「ばかだな、レイジは」
そう言って、カナタは彼の頭を抱えるように腕を回した。
「大丈夫だ。俺は、何があっても」
「────だいじょばないだろ、このバカたれ!」
カナタが即座にいつもの調子を取り戻した。
「少し目を離したスキに、また傷だらけになりやがって。約束しただろ、アタシの見てないところで──」
血だらけの胸板をドスドス殴りつけられるたびに「うっ、うっ」と声を漏らしながら、レイジは壁の向こうを警戒していた。
「い、今はそんなことを言っている場合ではなくて……」
困ったようにするレイジの背後で瓦礫を踏んだ音が大きく響く。ルリコが、フミオが、その異様な存在を目にして息を呑んだ。
「あー……ドーモ」
軽く体をかがめて、サイボーグ忍者が入ってきた。
無機質なヘルメットに隠れた彼の頭が小さく揺れる。不気味な侵入者の会釈に合わせて、全員が後ずさった。
「ふむ」
彼はブレードを弄びながら、室内を見渡す。
「カナタ!」
ルリコがカナタの手を掴んで、部屋の隅に引っ張っていく。
一人足りない気がして天井に目をやると──換気口の隙間から「ヒッ!」という悲鳴が聞こえた。
そして──
「追いついちゃったけど。ここからどうする? 白旗でも上げる?」
ニンジャの目の前に、友人たちを守るように立ちはだかったレイジ。
「お前を倒す。そして出て行く」
レイジの腕が音もなく燃え上がった。
古傷をなめるように湧き出した炎が、やがて彼の右腕全体を覆う。その色は黒い。かつて一区画を丸ごと消滅させた破壊の光だ。
「使わないって言ったろ、それ!」
カナタが声を上げた。
「おわああああ! タイムタイムタイム!」
しかしカナタ以上に騒がしくそれを制止しようとするものがいた。
なんだかんだで心配になって、息せき切ってこの場に駆けつけてきたブンタだ。彼にしてみれば、穴から飛び出した瞬間目の前に大砲の筒口があったようなイキナリ感だ。
「はァっ! オッサンどうして!?」
エアコンと一体化したフミオが素っ頓狂な声を上げた。
「あらあ。こんな時に来ちゃったの────」
張り詰めた緊張の中でニンジャが呑気に言ってのけると同時に、レイジの手から破滅の光が放たれる。
それと同時に鋭く身を翻したニンジャが、ブンタを思い切り蹴り飛ばした。
「ぐえおっ」
ひしゃげた声を上げてキルゾーンの外にボテボテ転げていったブンタを確認して、ニンジャは蹴りを放った姿勢のまま──軽く首を傾げただけだった。
ギインッ
彼に向かって飛んできた一発の弾が、ヘルメットの側面をかすめ、黄色の火花を散らす。
それを皮切りに、破滅が室内を吹き荒れる。
棚を粉々に削り、ドアを消し去り、会議室のガラスに大小の水玉模様の穴を一瞬で刻み込む。
(ああ──)
頭を低く伏せたまま、カナタは小さな光弾がテーブルの方に飛んでいったのを見た。
古ぼけたリュックサックが、シュッと音を立てて蒸発する。
布地の欠片が宙を舞う。それは瞬きの間に端から黒く燃えて消滅した。
暴れ狂う右腕と、そして黒い光の反動を必死に抑えるレイジには、それが見えていない。
ニンジャの被ったヘルメットの一部が剥がれ落ちる。圧迫から解き放たれた黒髪が破壊の風に舞った。
サイボーグ忍者は動かない。その必要はない。
やがて全ての黒い光が小爆発を起こして消え失せたあとも──彼は平然と、その場に立ち続けていた。
「じゃ、今度はこっちの番ね」
彼は、発射の瞬間に完全に弾道を読みきっていた。
「あ────くっ」
つい、見とれていたレイジが第二射の構えに入る。が、時すでに遅し。既にニンジャは彼の懐にもぐりこんでいた。
とっさに迎撃に回るレイジだが、苦し紛れに振り回す拳が最強無敵のサイボーグ忍者を捉えることなど、何がまかり間違ってもあり得ない。
彼が繰り出されたのは左腕──チタンとカーボンの塊が、まるで地を這う蛇のようにレイジの下腹をえぐる。
インパクトと同時に、その場に居合わせた全員の鼓膜を打つような衝撃波が炸裂した。
「が」
破城槌のような一撃に打ち据えられ、レイジの姿が霞んで消える。
ブンタの飛びっぷりなんてかわいく見えるほどの勢いだった。
あっと口を開いてそのさまを見守るカナタとルリコには、その姿は灰色の残像にしか見えない。
冗談のように吹っ飛んだレイジが、部屋の中央にある長テーブルの上に叩き付けられる。
彼はゴロゴロと派手に転げ、数メートルにわたって赤い血の跡をテーブルの上に引きずった。
「レイジ……!」
「ダメよ。こらえて……」
ルリコに羽交い絞めにされたまま、カナタが彼に手を伸ばす。
彼が心配だった。
こんな状況で、自分でもおかしいと思ったが。ケガのことなんかより──リュックのことを、教えてやりたかった。
中に入っていた弁当は作り直せばいい。海の旅がダメになっても、次がある。
だが、彼の過去に繋がる痕跡は永遠に失われてしまったのだ。
その血にまみれた背を、さすってやりたかった。
「ブッ」
カナタの呼びかけにも応えず、死んだように転がっていたレイジが赤い霧を吐いた。
彼の上に天井のパネルが次々と降り注いだ。
長年放置された会議室はレイジの黒い光でこそげられ、ニンジャの大暴れによって引き裂かれ、とうとう終わりの時を迎えようとしていた。
ダクトや配管がむき出しになった天井めがけ、レイジは血まみれの手を伸ばす。ここまで痛めつけられて、まだ彼はやるつもりだ。
その姿は奇しくも、彼の友人たちが冗談交じりに話したゾンビそのものだった。
彼をここまで痛めつけたニンジャでさえ、呆れたように肩をすくめ、追撃の手を休めていた。
ギシリ──立ち上がろうとするレイジの頭上で、不気味な音を立てたものがある。
「うおっ、おっ、おあっ!?」
ボルトが外れ、片側だけで天井からブラ下がるダクトが、悲鳴を上げている。
ポカンと口をあけて、レイジがそれを見つめる。
端から、ブーツの足裏がハミ出ている。
バイクを乗り回すと決めた日から履き続け、雨の日も夏の日も欠かさず足を突っ込んだせいで、中がだいぶアレなことになっている──フミオのブーツだ。
「フミオ!? どうしてそんなトコに──」
彼がかろうじて再起動した脳みそを使ってその言葉をひねり出した瞬間、ついにダクトが大きく傾いた。
フミオの体重を支えきれなくなったダクトごと、天井が崩落する。耳障りな金属音は、まさにこの会議室の断末魔だった。
避けなければ──レイジはとっさにそう思った。だが体がうまく動かない。
延々とニンジャにボコされ続けたツケがきた。
彼の再生力は実質無限大だが、千切れた腱や筋肉を繋ぎ直すスピードが、目の前に迫った危機に対してほんの少し追いつかない。
「あ」
トドメ前の一言にしては、嫌になるほど間抜けだった。
フミオがピッチリとハマったダクトが、完璧なコースでレイジを下敷きにする。レイジの体がくの字に折れる下で、テーブルも真っ二つに割れる。
床とダクトに挟み込まれる形になった彼は、今度こそ動けなくなってしまった。
「よお……生きてるか……」
窮屈そうにダクトから頭を出して、フミオが囁いてくる。
「どいて……もらえないか……」
「すまん。ムリ」
ぶくぶくぶく。レイジが非難がましい目をして、口から血の泡を噴く。ふざけているように見えるが、かなりマジでイラ立っている様子だ。
「おい睨むなって……」
フミオはつい顔を背ける。
石の仮面を被ったようなレイジが、そんな感情をむき出しにしてきたのは初めてだった。
「なあ……テンチョー、どうしてここにいるわけ?」
半ば呆然としたカナタの声にあわせて、全員の視線がレイジとフミオから、部屋の隅に転がったままのブンタに向いた。
「ああ……よう……なんか気まずいな……」
蹴り飛ばされ、でんぐり返ったまま、彼は股の間から片手を上げて見せた。
「────ッ、いかん!?」
その手に握られたものを見つけて、レイジが声を上げる。
それは、一見して何の変哲もない太軸のペンだった。しかし、そのキャップには奇妙な構造が見える。
小型のストロボだ。
徐々に明かりを増す機構からは、彼に言われるまでもなく、何か不穏な予感が漂っている。
「海辺のピクニック、楽しんできな」
「それを見る──」
レイジの必死の静止は、バシュ、という破裂音によって途絶えた。
ストロボから発せられた光は目蓋を貫き、網膜を、そして記憶を真っ白に漂白する。
室内を閃光が舐め尽くした後、あたりは不気味な静寂に包まれた。
■
「……これで終わりだな、ハゲ」
「ああ。十分だ。クズ」
ダクトの上に跨っていたニンジャが、フミオの目を覆っていた両手をどけた。
彼は瓦礫から降りざま、ブレードを軽く翻す。
「は?」
キン、と音が聞こえた直後、フミオを締め付けていた圧力が消えうせる。
金属のダクトは縦一文字に切り裂かれ、身を引きつらせる彼を残してバッカリと二つに割れた。
フミオはあわてて、自分の体をまさぐる──どこも切れていない。
何をされたのかは分かるが、どうやったのかは分からない。ニンジャの一太刀は、神速の域だった。
尻の下にレイジの血の生暖かさを感じたまま、フミオは呆けた顔で室内を見渡す。
次々と銃を構えた兵士がなだれ込んでくる中で、ルリコとカナタが立ち尽くしている。
頭、両腕、肩。重みに負けたように垂れ下がり、ダラリとうつむく姿は廃墟に残されたマネキンのようだった。
恐る恐る、フミオは下敷きにしたレイジに目をやる。
彼は白目を剥いて、昏倒していた。今度こそ、完全に動かなくなった。
フミオはおずおず立ち上がる。
兵士たちは一人として、彼がそうすることについて口出ししたり、銃口を向けたりしない。
目の前で荒れ果てた現場の処理が粛々と進行しているのを見て、フミオは自分が幽霊にでもなったような錯覚に囚われる。
背中にブンタの視線を感じながら、彼は部屋を横断して女性たちの元へと向かった。
「おい」
カナタの目の前で手をヒラつかせてみた。瞬きすらしない。
濁った青い瞳は、ずっと床に向けられている。
フミオは少し迷って──その肩をポンと押してみた。
カードを積み上げたタワーが唐突に崩れ落ちるように、彼女の体がへたり込んだ。まっすぐ床に吸い込まれるその体を、黒い義手が抱き留めた。
「コラ」
「うわっ」
サイボーグ忍者だった。
音もなく、気配もなく。フミオの目の前に移動した彼は、カナタの体をそっと床に下ろした。
「ダメだろ。女の子は丁寧に扱わなきゃ」
大きくのけぞったまま、フミオは耳を疑った。
威圧感バリバリの黒い強化外骨格から放たれたのは、女の声だ。多少ガラガラで、何かに焼かれたようにカスレた声だが、不思議と耳に馴染みがある。
目を白黒させる彼を見て、ニンジャはようやく、ヘルメットの音声変換に起きた故障に気付いたようだった。
「──ん? ああ、くそ。さっきのでブッ壊れたか。これだから精密機器ってやつは……」
「女かよ、お前」
「そりゃ女の声出すんだから女に決まってんだろ。あーあ。ネタがバレる時って、いっつも唐突だな」
しばらくヘルメットの外装を撫で回していた”彼女”は、装甲のスリットに尖った爪を差し込む。
ドクロの眼窩から緑の灯がフっと消え、巨大な二本のボルトがうなりを上げて回転する。強化外骨格の首輪状のパーツとメットを固定するための機構だ。
わずかに内部に残ったガスが排出されると、その勢いに乗って黒髪が完全に解放された。
「…………は? ………………はあッ!?」
絡み合った前髪の合間から、見下ろしてくる瞳。
わずかに緑の機械光を宿す双眸を目の当たりにしたフミオは、顔に浮かぶ困惑をますます深めていく。
「なんで、なんであんたがここにいるんだよ!」
「なんでって言われても。ここが私の職場だし。仕事しないと人間食ってけないし……おいハゲ。お前が説明しろよ」
ニンジャが肩越しに放ったヘルメットが、床に落ちて転がる。それをブンタが拾い上げた。
彼は困ったように、しかしどこか誇らしげにフミオに笑いかける。
「お前さんにダサいオッサンって思われたままは、ちょっと悲しいからなあ」
「あ?」
「してみるだろ、ガチの職場見学」
ブンタは、フミオの肩を乱暴に抱いた。中年男性の体臭、午後バージョンがじっとりと彼の全身を包み込む。
「おい、ちょっ……!」
「オッサン。この子らは?」
否応なしの力で息子を引きずって廊下に出るところだったブンタを、ニンジャが引き留めた。彼女の視線は、部屋の隅に川の字で寝かされた学生たちに向けられている。
「いつも通りのコードCだ。”外”の記憶を上書きして、バスに乗せて帰してやってくれ」
「へいへい。でもって私は楽しい始末書ね……」
「ああ、それと!」
瓦礫を蹴り転がして室内に戻っていくニンジャを、今度はブンタが呼び止めた。
「シナリオはバーベキューの思い出が入ってるやつで頼む。じゃ、俺サマはカワイイ一人息子と楽しいデートだから」
ニンジャは背を向けたまま、金色に塗装された脊椎ユニットを見せびらかすように肩をすくめただけだった。
廊下も室内も荒れ放題。自分の『悪の根城』がメチャクチャだというのに、彼女が背中で聞くブンタの足音はウキウキと弾んで聞こえた。
ニンジャの視線がテーブルの残骸に留まる。
端に、溶けかけた破片が引っかかっていた。銀の十字が刺繍された、盾形の黒いワッペン。
それをそっと握り締めた彼女は、額に拳を当てて瞑目した。