海の彼方で、カナタを想う   作:おぴゃん

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8.1999からのラブレター(2)

「レイジくんのあの力、お前さんも見たな」

「ああ……忘れるもんかよ」

 

 レイジが操る”黒い光”について以前本人の口から聞いたことはある。

 ただ、実物を目にしてフミオの認識が変わった。あれは良くないものだ。理屈云々を抜きにして、その輝きを見た瞬間に背筋が引きつった。

 

 ──あれは良くないもので。そしてあれが『ある』ことは、もっと良くないのだと。

 

「線香花火が一番輝く瞬間がいつか、お前さん知ってるか?」

「そりゃ、燃え尽きる寸前だろ」

 

 釈然としないまま、フミオは答えた。

 

「あいつは人類(ニンゲン)って線香花火が燃え尽きる瞬間に出てくる切り札なんだとさ」

「レイジが? 切り札? あんなドブみたいな色の黒い炎が?」

 

 ブンタは構わず続ける。

 

「ガソリン担いで火元に突っ込んで、その輝きを長らえさせる存在──だと。昔ここにいた、ある研究員が抜かしてやがった」

 

 研究員。その言葉を出すとき、ブンタの顔に確かな苦味が走る。

 

「は。ずいぶん都合いいマッドサイエンティストが登場したもんだな……」

 

 フミオが茶化しても、ブンタは口を真一文字に結んで見つめるだけだった。

 てっきり肩をすくめるとか、「るせえ」と言って背中をバシンとやってくるとか期待していた。

 それだけに、彼はいつもと違う父の様子に面食らう。

 

「ケツで梅干し食ってるみてえなツラだぜ、オッサン」

 

 その『研究員』の話がよほど癇に障るのか、ブンタの顔といったらひどいものだ。例えるならば憤死寸前の鬼瓦のような表情だった。

 

 ブンタは一瞬何か言いかけて──やめた。

しばらくして、ようやく「うるせえやい」と返してくれる。

 この会話を続けていると、親子の関係が際限なく悪化していくような気がした。

 なのでフミオは、あまり『研究員』に触れないように言葉を考えて、たった一言だけ確認した。

 

「……俺らの世界、終わっちまうの?」

「その原因を撃って風穴を開けるためのレールガンだ。だが……」

 

 そこで、ブンタは口ごもった。

 意気揚々とフミオを連れてここまできたくせに、真実を語る彼はどことなく辛そうで、投げやりだった。

 まるで、初デートに誘った相手とレストランに入ったら、予想外に重い話題ばかり振られて意気消沈──そんな感じだ。

 

「じゃあ、ちょっくら俺の相談乗ってよ」

 

 こういうときは、息子が何とかしなきゃかね──フミオは軽くブンタに肩を当て、外に繋がるゲートを顎でしゃくった。

 夕日に明々と染め上げられた水田が見える。乾いて閉ざされた”外側”の空気より、西町の草いきれが恋しくて仕方なかった。

 

「若者の話に、俺サマがついていけるかね」

 

 今度はブンタがフミオの後を追う番だ。

 前掛けのポッケに両手を突っ込み、少し前傾して歩く彼は、いつもの暮酒店のオッサンだ。

 境界防衛局のお偉いさんの固い面持ちは、すでに消え去っている。

 

「レイジのことだよ」

 

 スクリーンを支える支柱の一本に、フミオが寄りかかった。

 

「ガキの友達付き合いに口出しすんのって、うるせえ父親の義務だろ?」

「はは。父親って呼んでくれんの? だったら俺サマのこと」

 

 そこまで言ってブンタは口をつぐんだ。

 察しの悪いフミオでも、流石にその先は分かる。彼の言いたかったこと。できるなら言ってやりたい。だが──

 

「お……オッサンは笑うかもしれないけど、さ」

 

 照れくささが勝ってしまった。

 夕日は暮れてゆき、水田も、その間に渡された電線のシルエットも、作り物の夜の闇の中に(ナズ)んでゆく。

 

 シボッ……

 

 ブンタが、自前のライターでタバコに火を点けた音だった。

 しわと、無精ひげの剃り跡に残された口元を覆うようにして、彼はタバコを咥える。

 彼の表情を伺うのは難しい。だが、赤紫色の夜の影の中で揺れるタバコの火は、ホタルのように儚げだった。

 

「言ってみな」

 

 その火にしばらく見入っていたフミオは、ブンタの言葉でハっとした。

 

「……いや、いい。やっぱ重い話って、苦手だ」

「俺サマはお前さんの父親。だろ」

 

 フミオの言葉を、ブンタは優しく遮った。

 

「最近のレイジ見てると………………なんかモヤる」

 

 吐き出すように言ったフミオのことを、ブンタは決して茶化しはしない。

 

「レイジは俺のダチだ。でも何かが特別ってワケじゃねえ。ただのダチだ。ただ偶然。マジで偶然、絡むことが多いだけで」

 

 フミオは、レイジとの間に特別な絆を感じたことはない。

 あくまで友達だ。単なる知り合いから一歩踏み込んだ、心地よいだけの関係。

 

「それだけ、だったはずなんだけどなァ」

 

 照れ隠しでも、なんでもない。

 フミオはレイジと、せいぜい高校こっきりの付き合いになると思っていた。

 卒業後にヒマだからって理由で何回か一緒に飲みに行ったりして「じゃ、またな」と言って別れたっきり、二度と会わなくなる。

 そんな相手だと思っていた。

 

「カナタが来て、アイツの一番って俺じゃないんだって分かっちまったんだ。アイツってホラ、トモダチできるようなヤツじゃないし。だからずっと……」

 

 ブンタは、何も言わない。ただ目線で彼に先を促すだけだ。

 

「……認めるわ。俺、寂しい」

 

 ふっと、風が吹いた。

 自分の放った言葉の余韻にくすぐられたように「アーっ!」と叫んで、フミオは自分の頭をかき乱した。

 支柱に背を預けたまま、ずるずると腰を落とす。うんこ座りで地面を見つめるフミオを、ブンタは優しい目で見守っていた。

 

「クソ。オッサンのせいだ。ダセーこと言わせやがって!」

「ある知り合いからヨォ。ヘタに古典持ち出すと恥ずかしいぜって言われたんだけど……」

 

 それまで黙っていたブンタが、ようやく口を開いた。

 

「は?」

 

 ブンタはタバコを放って、かかとで揉み消す。

 フミオはこれでも真剣に悩んでいるつもりだ。

 仲のいい友達。

 俺だけが理解してやれると思っていた友達。

 俺がいなければ、何もできないと思っていた友達──それがどうやら、口うるさくて世話焼きで、おまけにかわいい女との間に絆ってやつを見つけて、離れていく。

 普段強がって「ダセー」と言ってばかりの父親にやるせなさを吐き出すほど弱ったフミオを見守るブンタは、何故か微笑を浮かべていた。

 

「『変身』ってハナシがある。あれに出てくる男は、ある朝目が覚めたら気色悪い虫になっていたワケだが──やっこさんが一番不幸だったのが何か、お前さんには分かるか?」

 

 フミオは首をひねる。そもそも、そんな話、初めて耳にする。

 

「あいつは、自分が虫になっちまったことよりもな。仲のいいヤツらに気持ち悪がられて、誰も一緒にいてくれなかったことが一番、不幸だったと思うよ」

「あいつは虫ケラじゃねえ」

「例えだっつの……お前さん、レイジくんが変わっても、友達でいたいんだろ?」

 

 フミオは答えない。

 答えられないのではない。答えたくないのだ。これ以上みじめになりたくない。

 

「だったら、あの虫男とレイジくんは違ェだろ。どんなに変わっても、お前さんが寄り添ってくれんだから」

「おっ……俺がどうかってワケじゃねえんだ」

「だったら?」

「カナタと一緒にいるときのほうが、アイツは……」

 

 フミオの視線に気づいて、ブンタはタバコを一本くれてやった。二人で支柱に背中を預けて、作り物の町と、作り物の空と、作り物の平和を眺める。

 

「……オッサンには親友っているか?」

 

 ややあって、フミオがつぶやいた。

 

「いねえ!」

 

 元気よく答えたブンタの声が、吹きぬけた空間に大きすぎるほど響いた。

 何事かと足を止めてこちらを見やるスタッフたちに「おうおう、散れ散れ!」と怒鳴ってから、彼は眉間を抑えた。

 

「クソッタレが……今死ぬほど頑張って思い出してるが、マジでいねえっぽいわコレ……腐れ縁のサイボーグ忍者なら、すぐ思い浮かぶんだがな……」

「忍者って、電柱みたいにでかくて刀ブン回してた、あの?」

 

 ブンタが、顔面を揉みこすりながらうなだれた。

 

「旧政府時代からの知り合いでさ。多分、一番長いわ。歴が」

「それなら親友のよしみで病院ブチ込んでやれよ!」

「いや、そうしたいのよ? 俺サマも!」

 

 そう言って身を乗り出してくるブンタは、父親というよりは息子の旧友のように態度が気安い。

 

「あのダメダメ女に原子プリンターで印刷したクソ丈夫な骨入れたのが間違いよ! おかげでどんな拘束服着せてもブッちぎって脱走するんだからよお!」

「ははっ」

 

 二人は声を上げて、腹の底から笑った。

 

「へっへへ……困ったなあ、はあ。笑い事じゃねえのになあ」

「だよなァ。あんなじゃ、あの人本当に早死にしちまうよ」

 

 二人とも彼女に悪いと思いつつ、笑いが止まらなかった。

 それはここまで重苦しい雰囲気に包まれてやってきたことの反動のようなものだったのかもしれない。

 それでも、世界の終わりが近づいていると告げられた後でさえ「来てよかったな」と思うくらい、フミオは安心していた。

 

 彼は重厚なモーター音に気づいて顔を上げる。すっかり暗くなった田園風景の中を一台のバスが走ってくる。

 夜闇にポッカリ浮かぶヘッドライトを見ていると、彼は不意に西町の田舎臭い町並みが恋しくなった。

 

「おう。こっちこっち。テキトーに停めといてくれ」

 

 ポケットから取り出した端末片手に、ブンタがバスに手を振った。

 ルリコの型落ちケータイとは比べ物にならない。薄型で、前面は液晶一枚。ボタンのない表面にブンタの太い指が触れると、通話状態が解除される。

 

「おお……ナウでヤングなガジェットじゃん……」

 

 フミオは思わず口走った。

 表面はつややかに光り、指差し(スワイプ)一つで指示が飛ぶ。まるで魔法の小道具だ。

 

「いいだろォ?」

 

 自分のことを褒められたわけでもないのに、ブンタは得意げだった。

 

「局長、少しだけお時間を」

 

 ブンタがバスに向かって歩きながら、息子にサポートAI付きの液晶端末──お利口電話(スマートフォン)──を見せびらかしていると、道中、何人もの職員が”局長”を呼び止めた。

 

「トメさんねえ。実はさっきのコードCで首いわしててさァ……」

 

 ベレー帽とグレーの戦闘服を身に着けた男が、ブンタの前で背筋を伸ばしている。

 顔立ちはいかめしく、余計なことは一言も口にしない。フミオの目には、よく躾けられた猟犬のように映る。

 まったくフミオに脇目を振らないのも、上司の息子に払う彼なりの敬意なのだと感じた。

 

「……んじゃ、その訓練の教官役は俺サマが適当に見繕っとくわ。いい機会だし、新人に任せてみるってのも──」

 

 そうしてテキパキ指示をこなすフミオの父は、目つきも態度も、酒屋の座敷に転がっている時と同じだ。

 だというのに、まるで別人のように感じる。

 

「すげえんだな、アンタ……」

 

 打ち合わせに夢中のブンタの耳に、その呟きが届いたかは疑わしい。

 

「どした? ボーっとして」

「あ……うん……」

 

 一瞬怪訝そうにしたブンタは、すぐに先に立ってバスの誘導を始めた。

 見慣れたベージュ色のくたびれた市バスが、合成されたエンジン音をスピーカーから鳴らしながらプラットフォームに滑り込んでくる。

 

「そら、迎えが来た。今日は疲れたろ。話の続きは帰ってからにしようや」

「ああ……」

「おうい、どうしちまった?」

 

 おかしなものだ、と。フミオは思った。

 ブンタの隠れた偉大さを見せつけられるほど、ここで突っ立って気の利かない返事ばかりしている自分がどうしようもないマヌケに感じられて仕方ない。

 

「やっぱり俺、疲れてんのかな。今日はイスに縛り付けられたりダクトに詰まったり、ひでえ一日だったし……」

 

 バスのパネルに表示された行き先は第一区。

 以前脱法焼き肉屋のトイレでやらかし、命からがら逃げ延びたあのバス停に行き着くようだ。

 

 バスの窓際に、大きな人影が見えた。あの騒動の原因となったレイジだ。

 

 ニンジャに弄ばれて血ダルマになった体は洗浄され、衣服もきれいなものに交換されていた。

 どこからどう見ても、海で遊んで疲れて眠る、健康優良児でしかない。

 

「職場見学、悪くなかった」

「そうかい」

 

 ブンタが満足そうに頷く。バスの運転手が乗れ、と、あごをしゃくってきた。

 

「オッサン……どうしてだ?」

「あ?」

 

 バスのステップに足を掛けたところで、フミオは振り返った。

 

「どうして俺に、西町の外を見せてくれたんだ。これ、かなりヤバい秘密だろ」

「おう。ガチガチにヤバい秘密だぜ」

「だったら」

「俺サマはな、選んで欲しいのよ」

 

 ブンタは近くで控えていた兵士に合図して、ケースを運ばせた。タバコのパックと同じくらいの黒い小さなケースだ。

 

「ほかの誰でもない、お前さんの意思で。イカれた夢から今すぐ醒めるか、ワンダーランドで面白おかしく生きていくのかを」

 

 ブンタに促されるまま、フミオはケースを開ける。

 薬剤を装填した二本の注射器が、金属パーツを冷たく光らせている。

 

「赤い薬と青い薬ってヤツだろ、これ」

 

 あれは、何の映画だったかね──

 

 フミオは赤い薬剤の入った注射を手に取りながら考えた。

 サエない男がある日世界の裏側を覗き見たせいで追われる身になる。

『ヒーローってこんなしんどいもんかよ』と、地下鉄で黒服と殴り合う主人公を見て思ったものだ。

 

「ただし作用は逆。お前さんが今持ってる赤はおなじみの記憶消去だ。少しの間気分が悪くなるが、海でハメを外し過ぎたとでも思え。明日から世界の滅びまで、楽しく過ごせるだろう。んで青は……」

「青を選べば、俺は夢からさめる」

 

 得体の知れない青い液体をフミオは見つめた。

 

「そうだ。お前さんは今後一切、記憶消去を受け付けない体になる」

 

 重々しく、ブンタが頷いた。

 

「俺サマのもとで一緒に働いてもらうことになる」

 

 ドロリと濁った血のような赤に比べて、青の薬剤は透き通るような淡いブルーだ。

 

「これ体に入れちまって大丈夫なモンなの?」

 

 夜の闇にうっすら燐光を放つ注射器を見ていると、フミオはどうしても思い出すものがある。

 

 カナタの瞳だ。

 

 彼女と一緒に暮らし始めたレイジが挨拶をするようになり、あの堅物不機嫌クイーンのルリコはよく笑うようになった。

 そして今、フミオは世界の果てで父親に選択を迫られている。

 

『いつもどおり』が続いていくように見えて、めまぐるしく変化する日常の中心にはカナタがいる。

 

 そのことに気づくと、軽く足元が揺れるような錯覚があった。

 

「第三の選択ってのは、アリ?」

「ほう?」

「クスリは使わない。俺はコイツを家の神棚に飾って、今日の思い出にしとく」

 

 ブンタはとても面白いことを聞いたように、笑った。

 

「ダメだね」

 

 目は、本気だった。

 

「俺サマが選んだバイクに乗るのもよし。決めきれずにズルズル引き伸ばすのも、まあいい。

 だけどお前さん、もうオトナなんだろ? ……楽じゃねえよなあ、誰かのせいにできねえってのは」

 

 ■

 

『……は、西1、次は1区。終点です。お降りの際は、お忘れものの無いよう……』

 

 車窓の外を夜の暗闇が流れていく。

 バスの車内は、明るく切り取られた箱だ。うだるような暑さも、水田に響き渡るカエルの大合唱も、ここには届かない。

 濡れたような白緑の照明が落ちた車内は、悪ガキ四人の貸し切りだった。

 

「ん……」

 

 涼風を送り出すエアコンの吹き出し口に向かって、ウロコの生えた腕が伸びた。

 

「あふ……よく寝た……」

 

 伸び上がりながらあくびをかいて、カナタは車内を見渡した。

 隣ではレイジが大口を開いて爆睡中だ。通路を挟んで向かい側では、ルリコが肩に首を埋めて寝息を立てている。

 

「起きたか」

 

 フミオはルリコの隣で、窓枠に肘をついていた。

 

 ルリコの隣で、窓枠に肘をついていたフミオが振り返った。

 

「次、終点だとさ。死んだみてえに眠ってたぜ」

「うう……なんか目の裏側がズキズキするぞ……」

 

 ゴットン。大きな石に乗り上げて、バスが跳ねた。

 記憶消去の閃光を食らった後遺症か。痛む目頭を揉んでいたカナタはその衝撃で瞳にズブリと指を突き刺してしまう。

 

「うぎゃっ」

「はしゃぎすぎだろ。ガキかよ」

「いってえ……フミオだってハメ外してたろ。もうすぐサメに食われるところだったじゃないか」

「サメぇ」

 

 気を失っている間にどんな記憶を埋め込まれたのやら。

 サメと聞いてフミオの脳裏に蘇るのは忘れたくても忘れられない、黒いヘドロまみれのプールの底だ。

 呪わしいプール掃除の記憶がありありと思い出され、一瞬だけフミオの顔に浮かんだ憂いが薄らぐ。

 

「なんでどこ行ってもサメが出てくるかね……」

「アタシがヤメロって言ってんのに沖まで泳いでったのはフミオだろ。レイジがパンチしてサメ倒さなきゃ、オマエがバーベキューの具だったぞ」

「なるほど……そういう感じになんのか」

 

 海で楽しいバーベキュー。アホが暴走してサメを呼び寄せ、大激闘の開始。

 サメとのタイマン。確かにレイジならやりかねない気もするが──そんなB級映画のシナリオのようなニセ記憶を脳に突っ込まれて、彼女は疑いもしない。

 

「ンだよ。サトったような顔しちゃって」

 

 恐るべし、記憶消去。

 静かに戦慄するフミオに肩をすくめて見せると、カナタは隣のレイジに取り付いた。

 

「ほらレイジ起きろよ、おーきーろー」

 

 カナタが一生懸命揺さぶって起こそうとしているレイジも、フミオの隣で静かに寝息を建てているルリコも、海へ行って、バーベキューをして、サメと戦ったことを輝かしい夏の思い出だと思い込んで生きていく。

 

 フミオは笑えない。

 

 ド派手なイリュージョンに拍手喝采の会場で、舞台袖からマジックの裏側を見つめているようだった。

 目の前にあるのは、魔法ではなく拍子抜けするほどシステマチックでチープなトリック。この場でそれを知っているのは自分だけ。

 

 ────とことん孤独な気分だった。

 

「フミオも手伝えよ。このデカいの引きずってくなんてゴメンだぞ」

「カナタ」

 

 いつになく真剣な声でフミオに呼びかけられて、カナタはレイジをビンタしようとした手を下げた。

 

「海、楽しかったか?」

「あ?」

 

 キョトンとして自分を見てくるカナタに、フミオは続ける。

 

「何か、思い出したか。カナタの欲しかったものは、手に入ったか?」

「うーん。どうしてそんなコト聞くんだ?」

 

 カナタを見つめるフリをして、彼は彼女の背後のガラスに映りこんだ自分の顔に目をやる。

 目つきは鋭く、眉は薄い。どこか気の抜けた兄ちゃん風。

 前はそこそこ気に入っていたツラだが、今はそいつが平然とウソをついて座っていることに腹が立つ。

 ペラペラと海帰りの学生の演技を続けることに後ろめたさを感じているくせに、かといって真実を話す決断もできない。

 

「フミオ? だいじょぶか」

 

 心配そうに聞いてくるカナタを前にしていると、胸の奥が少し痛い。

 ブンタと話しているときの高揚感は、もう無かった。

 

「カナタは楽しみにしてたろ、海。リフレッシュできたか?」

「…………わかんね」

 

 レイジの分厚い胸板に片手をついたまま、カナタは困ったように笑った。

 笑っているが、いつもと調子が違って見えるのは気のせいじゃない。

 

「でも。ちょっとガッカリ、かもな」

 

 彼女が見てくれよりもずっと困惑して、ずっとガッカリしていることが、フミオには手に取るように分かる。

 なくした記憶が戻るはずもない。

 そもそも行っていないのだ、海へなど。

 フミオはバッグの中にしまってある薬剤のケースを強く握り締めた。

 

「フミオはどうだった?」

「あんまり。なんか、パッとしなかったな」

 

 同じ問いを投げかけられたフミオの方も、テキトーな言葉を返すのが精一杯だった。

 

 ガタン。バスがもう一度、大きく揺れた。

 

「う……あ。もう終点?」

 

 深い眠りに落ちていたルリコが揺れで目を覚ました。

 彼女の切れ長の目元を青黒く彩るクマが最近濃さを増してきたようにフミオは思う。母からの怒号と、遊びまわるばかりで思い通りに動かない妹。

 あの町で、彼女を縛り付ける重圧はあまりに多い。

 

「何ジロジロ見てんのよ。カネ取るわよ」

 

 寝起きのせいか、その声には力がない。

 

「わり」

 

 フミオは自分で言っておいて、それが何に対しての謝罪なのかハッキリしなかった。

 疲れて弱りきった自称”カワイイ系”の顔をつぶさに観察したことなのか。

 それとも彼女に束の間の開放感すら得られずに、町にとんぼ返りさせることについてか。

 ふん、と鼻を鳴らしたルリコが彼から視線を逸らして外の景色に目を向ける。

 

「レイジ。あとは家で寝てくれ。オマエ重いんだから、せめて自分の足でバス降りろ」

 

 フミオは通路の反対側を見た。レイジが目をこすりながら起き出したところだ。

 

「……よかった。フミオ、ケガしなかったか?」

 

 相変わらず、マイペースなやつだ。

 思わずフミオは笑い出しそうになる。

 

「ハイハイ。問題ねえよ。お前さんのおかげでサメは大爆発。俺はケツ噛まれずに済んだからな」

 

 実際フミオの中には、サメとニンジャのどちらが手ごわい相手だったのか、聞いてみたい気持ちがあった。

 大雨でパンツまで水浸しになり、サイボーグ忍者にサッカーボールにされ、ダクトごと落ちてきたフミオの下敷きに。

 そして記憶を奪われ、あったこともないストーリーを埋め込まれて町へ戻る。

 同情を通り越して、もう笑うしかないようなドタバタっぷりだ。

 

「サメって? なんのことだ?」

 

 いっそ赤い薬ブチ込んで、こいつらの仲間入りしちまうか──そんなフミオの思考を、レイジが放った一言が凍りつかせた。

 

「フミオが沖までザバザバ泳いでって、サメに食われかけたじゃん」

 

 自分のほうに身を乗り出してくるレイジを邪魔そうに押しのけながら、カナタが言った。

 

「沖で襲ってきたのは、ニンジャでは……?」

「は、はあ!?」

「なあに、それ。クソ映画の筋書き?」

 

 笑い半分、呆れ半分でカナタが大声を上げたので、隣でルリコまでくつくつと笑い声を上げ始めた。

 

「アンタの映画好きもそろそろビョーキね」

「ま、待ってくれ……おかしいな。フミオが襲われて、俺たちは地下で……いや、海だったな……」

「オマエ、記憶なくしすぎだろ。今度アタシと一緒に診てもらお。な?」

 

 バスの中にあっという間に笑い声が満ちた。

 その中で冷たい汗を額にかいているのはフミオだけだった。

 

「どういうことだ」

 

 彼の呟きを聞いて、カナタたちに翻弄されていたレイジが振り向いた。

 

「フミオ?」

 

 ……効いていない。

 

 受けた瞬間棒立ちになるようなショックを受けてなお、彼の記憶は上書きされたものと混ざり合いながら元に戻ろうとしている。

 引きつった笑いを浮かべながら、なんどはぐらかそうとしても、フミオの乾いた喉からはしゃがれた声しか出てこない。

 

 記憶操作。

 西町の秩序を守る絶対の処置を、レイジの体は受け付けないのだ。

 

 

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