海の彼方で、カナタを想う   作:おぴゃん

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2.クリープ(2)

 

「ねえ、期末二週間前って知ってたかしら?」

 

 弁当のタコさんウインナーを口に運びながら、ルリコが言い放った。

 

「なるほどね。あの魂抜けた残骸みたいな状態でテスト受けさせるって? 大した作戦思いついたわねえ。そんなにアイツ留年させたいの?」

 

 最近は栄養が足りてるおかげで、ルリコの皮肉にはキレがある。

 彼女の真向かいに座ってそれを全部浴びせられるカナタとしては、たまったもんじゃない。

 

「アタシ、イヤミも分からないくらいアホだと思われてる?」

「あーら驚き。違ったの?」

「しかたないだろ。ああでもしなきゃ……」

 

 二人は、どちらからともなく教室の端に目を向けた。

 窓際。レイジは机にへばりついていた。まるで浜に打ち上げられたクジラの死骸だ。

 いつも彼がフンフン言いながら上げ下げしてきた四十キロのダンベルが、床に転がされている。それをカナタは一瞥して、すぐに目を逸らした。

 四六時中鍛え続けてきた男の中で、何かの火が消えてしまったようだ。

 

「アンタらのことにグチグチ言いたくないけど、とにかく、あのままじゃ──」

 

 ルリコの机の上でケータイが振動を始めた。

 それをチラと見て、彼女は何事も無かったようにハシを進める。

 

「ママから」

 

 ややあって、ルリコが口を開いた。

 

「ふうん。出なくてよかったワケ」

 

 一分ほどして静かになったケータイの背面液晶を、頬杖ついてカナタが見つめる。

 着信:ママ 82件──それはルリコにとって、恐怖と束縛の象徴である相手からのものだ。

 それをよく、ここまで溜めたものだとカナタは感心する。

 

「出たいけど。出ないことにした。なるべく」

 

 うつむき加減のルリコが呟いた。

 再度、着信。それからまた。十秒くらいの感覚を置いて、また。

 

「電源、切ってやろうか」

 

 カナタがそう言うと、ルリコはイヤイヤするように首を振った。

 

「そんなことしたらママに嫌われる」

「おいおい……結局好かれたいのかよ」

「…………どうだろう。最近は、よく分からない」

 

 いつもキレたり怒鳴ったり大笑いしているルリコが無表情になるのは、本当に困っている時だ。今の彼女も言わずもがなそんな顔で、携帯を握りしめていた。

 型落ちの、赤のカメラ付きケータイは、いつになっても着信が終わらない。

 

「……仕方ない。やるか」

 

 ため息をついて、ルリコは通話ボタンを押した。

 そのまま間髪をいれずに、ケータイを机の上に伏せる。とたんに声にならない怒声がビリビリと空気を振動させる。

 

「めちゃめちゃ怒ってるな」

「ずっと何かに怒ってないと不安になるんでしょうね。ちょっと前の私もそうだったから」

 

 通話口を指で塞ぎながらルリコが囁いた。

 その怒りの激しさに反して、彼女の母の声は徐々に勢いをなくしていく。やがて途絶え途絶えの息切れになり──完全にすすり泣きに変わった。

 

「なんなんだ、ルリコの母さん……」

 

 カナタが耳を疑っているとルリコが「ゴメンね。今生徒会」と短く言って強引に通話を打ち切った。

 

「……はあー、肩、こるわ……」

 

 ルリコがその言葉通りほとんど首と垂直に持ち上げていた肩を下げると、彼女の全身に満ち満ちていた緊張が少しずつほぐれていくのが分かった。

 

「カナタ」

「うん。なんだよ」

「三日。三日家に帰ってない。超ド級の問題が起こって、生徒会が終わらないってゴリ押しして」

 

 カナタが少し驚いて眉を上げると、ルリコは「ふふん」と得意そうに笑った。

 

「私だって現状を変える努力くらい、するわ?」

「人生、なんとかなりそう?」

「どうかなあ。だって私、今までにも何度か──」

 

 そこでルリコは話すのをやめた。大勢の足音が机に近づいてきたからだ。

 

「ああ。ヘンなもん聞かせて悪かったわね」

 

 ほとんどクラス全員が、机の周りに集まってきていた。

 しかし、彼らの関心の向く先はルリコの家庭環境ではない。

 落ちこぼれたちが目配せしあった後──男子生徒が一人、輪の中から出てきた。ザワちんだ。

 大きく膨らんだコンビニ袋を抱えている。

 

「あの、これ……受け取ってもらえませんか」

 

 ドチャリ。

 カナタの前に置かれた袋が、重い音を立てた。体の弱い彼にとっては重労働だ。汗で額に張り付いた髪を軽く払って、彼は続ける。

 

「ゲヘッ、ゴホッ…………ふう。タダ飯なんてやっぱダメです。これ、かき集めたカネ。ちょっと、だいぶ……いや、かなり足りないかもしれないけど」

「五円と十円ばっかりね」

「かき集めたので」

 

 袋を覗き込んだカナタの目の前にあったのは、茶色い小銭の海だった。やたらとズッシリくるのは、そのせいだ。

 

「パス」

 

 そして、カナタはそれをあっさり返してしまった。

 

「ルリコ、嫌がるから」

 

 それを押し付けられたザワちんはじめ、クラスメートたちは微妙な表情で顔を見合わせる。彼らには彼らのケジメがあるように、カナタも一度決めたことは簡単に曲げない。

 なによりそれは、トモダチの──ルリコのためだ。

 

「そもそもだよ。どうしてルリコちゃんは弁当代払いたくないんだい?」

 

 スカートから覗く、太く、健康的な太腿をさすりながらボタ子が聞いた。彼女の指先は、そこにうっすら残された縫い目をなぞっている。

 

「イイトコのお嬢さんなんだろう? 隠れてバイトもしてんだろ? リクツってのが通らないよ」

「よく言ってくれたなボタ子。そりゃカンタンなハナシだ」

「ちょっと」

 

 カナタがイスの上でふんぞり返った瞬間ルリコが鋭く制止したが、やめない。

 ルリコはいつでも、クラスメートの輪から一歩引いたところにいる。頼らず、寄りかからずは彼女の意思なのだろうが、そんな意地を通せるような段階ではない。

 

「こいつ、妹にカツアゲされてる。だからカネなんて一円もないし、メシ食えないし、制服のほかに着れるものもない」

 

 思い切って、カナタはブチ撒けてしまった。

 

「おい、カナタ、コラッ!」

 

 飛んできたルリコのチョップを、カナタがヒョイとかわす。

 顔を真っ赤にしたルリコが両手を振り回していると、困惑した様子のクラスメートたちの様子が目に入ってくる。

 

「マジ……なんですか。カイチョーさん」

「う、ウソに決まってんでしょ! カナタ、アンタ調子に乗って──」

 

 愕然とするザワちんに向かって何か言おうとしたルリコの前に、別のクラスメートが菓子パンの袋をそっと置いてくる。

 ほかにも飴玉、ジュース、おなじみのチューインガムまで──もはや、どう言い繕っても、彼女のピンチを『なかったこと』にする方法はない。

 

「なんなのよ、アンタら……この私をなんつー目で見てくるのよ……!」

 

 今や、クラスで一番困ったことになっている子はルリコで確定した。

 涼しい顔で麦茶をすすっているカナタに、言ってやりたいことはいくらでもある。そして心なしか、ルリコに向かって輪を縮めてきたような気がする級友たちにも。

 

「ヨシも……家でいろいろあるっつーんで。一度アイツも混ぜて、話し合いませんか」

「やめろ」

 

 剥き身のナイフのような目で、ルリコがザワちんを睨み付けた。

 

「なんだい……そういうことなら、あたいら、ちょっとは助けられるよ」

 

 そして、いきり立つルリコの肩をポンと叩くボタ子。

 クラス全員から浴びせられる視線の意味は明白だ。思いやりだ。同情ともいう。強くてカッコよくて完全無欠の生徒会長が、下々から生暖かく見られている──

 

「それがイヤなのよ! それが!」

 

 そして反射的にルリコがキレた。

 クラスがシン……と静まり返る。胸の中で起こった核爆弾級の大爆発に一番驚いたのはルリコ自身だった。

 しかしもう止められるようなモンじゃない。彼女はボタ子の襟首を掴んだまま続ける。

 

「アンタらと一緒にいるだけで内申ボロボロなのよ。私をチームバカに引き込むな!」

「ンなこと言っても、とっくの昔にあたいらの仲間でしょ。ねェ?」

 

 ボタ子は涼しい顔で周囲に同意を募った。

 みんなが、ほとんど同時にコックリうなずいた。

 

「バ──バカ特有の連帯感やめてよ!」

「カイチョー、意固地も行き過ぎるとかわいげ無くしますよ」

「うんうん。ザワちんはいいこと言うな」

 

 神妙な顔で腕組みしたカナタと、ちょっと褒められただけがそんなに嬉しいのか「てへへ」と笑うザワちん。

 

「なんなのよ……アンタたちは……」

 

 生徒会長のツラが通用しない。少なくとも2-Aでは、もう。

 呆然としたルリコの手から、自然に力が抜けていく。ボタ子のスカーフがシュルリと指の中からスリ抜けていく。

 

「カネがダメっつーんなら、(カラダ)で払うってのはどうですかね」

 

 ザワちんだった。

 彼がフラリと揺れたのに気づいた生徒が、素早くイスを持ってくる。

 

「……カラダでって……どんな?」

 

 われに返ったルリコは、ボタ子の襟元を整えている最中だった。彼女に聞き返されて、イスの上でぐったりしながら、ザワちんはこめかみを叩いた。

 

「そうですねえ……」

 

 そして、少し考える。

 

「なんでもいいんじゃないですか。カナタさんの肩揉むとか、荷物持ちするとか、感じてる恩の分だけ働けば」

 

 ルリコは考えこみ、目の前の小銭と弁当と、交互に見て、唸って、そして頷いた。

 

「先に言っておくけど、アタシ別に肩とか凝ってないぞ」

「じゃあ……そうね。アンタ、悩みは?」

「ない」

「でしょうね。分かりきってたけど」

 

 ノータイムで返されて、カナタの顔が僅かに引きつった。

 

「アンタの弁当にね、私、すっごく助けられてるのよ。こんな言葉じゃ足りないくらい」

 

 何を言っているのかイマイチ掴み切れない様子のカナタの前でルリコは銀色のヘアピンを引き抜いた。

 だいぶ前にお気に入りと言いながら一本ダメにして、残った最後の一本だ。もっともその記憶はもう彼女の中にない。いつのまにか無くなった母親のヘアピンを惜しむ気持ちも、ない。

 

「これは約束のしるし。この先アンタがどうしようもなく困ったら、私が全力で助けてあげる」

「なまあたたかい」

 

 受け取って、カナタはクラスメートたちとルリコを見つめた。カナタの弁当を抱えるようにして食べながら、生徒会長はばつが悪そうにしていた。

 

「なんでも?」

「ええ。なんでも」

 

 おお、と周りが沸き立った。

 

「すげえですよ。ウチの学校で最強のジョーカーを引き当てましたね」

 

 ザワちんは鼻息荒くしているが、カナタにはあまり実感がわかない。

 

「そっかあ。じゃあ一年間掃除免除」

「はー、そういうのは対応してないから」

「おい! 聞いたか聞いたか!!」

 

 鬼の首でもとったように騒ぎ始めるクラスメートたちを尻目にルリコがため息ついていると、この場に唯一いなかった生徒があわただしく教室のドアを開け放った。

 

「あ、お前、どこいたんですか」

 

 そちらの様子をちらりと見て、ザワちんが聞いた。

 敷居のところで躓いて文字通り転がり込んできたヨシは、ワイシャツからハミ出た派手な赤い下着を仕舞うのも忘れて息を切らしていた。

 

「いや、追試の結果もらいに行ったときにちょっと立ち聞きしてさ……フミオがバイクで事故ったって」

「────あら。アイツとうとう死んだ?」

 

 ルリコが茶化したが、箸を握る手に僅かに力が入っていた。

 

「いや。足の骨折っただけらしいよ。だけっつーのもアレだけど」

 

 クラスメートたちは顔を見合わせた。いつも眠たげで無関心なフミオが、わざわざレイジのグループを外れて同級生と絡むことは少ない。それでも、彼がどれだけバイクを大切にしているかはみんな知っていた。

 

『どわーっ、このポンコツ!』

 

 放課後、駐輪場に響くスパーク音や罵声の出どころは、決まってフミオだった。

 

『……よう。けっこう遅いんだな。俺も、さっさと帰りたかったんだけどさ』

 

 気まずそうに、真っ黒になった手で茶髪をかくフミオの姿は、クラスの誰もが一度は目にしている。

 

「よりによってフミオが、バイクで事故?」

 

 再確認するように誰かが呟いた。

 ガタリ。教室の向こうからイスが倒れる音が響いた。

 

「あら。抜け殻が立ったわね」

 

 かろうじて立ち上がれたレイジが、ふらふらと彼らのもとにやってきた。

 

「見舞い、いこう」

「そりゃ行くけど。無理してついてこなくてもいいわよ」

「フミオは大事な友達だ」

 

 レイジなりに必死なのだろう。

 それでも、どこかカナタを避けるような伏し目の彼を見ていると、無理をしていることは明らかだった。

 朝キリエに散々ボコされた体が治っても、心に追ったダメージまでは消えない。

 

「レ……」

 

 カナタはそこまで口にして、黙った。

 彼にトドメを刺したのは自分だ。彼がいまだに立ち直れていないのも、『お前の(ロマン)って何?』と残酷な問いを投げつけてしまったせいだ。

 

「あー……そんじゃ、オマエら」

 

レイジと向き合うことを避けて、代わりにカナタは全員の顔を見渡した。

 

「アタシたちで代表して病院に行ってくるから……分かるな?」

「さっきルリコちゃんにいろいろあげちゃった後だから、どうかねえ」

 

 彼らだって余裕があるわけではない。

 しかし次の瞬間、ボタ子にあわせてその場の全員がポケットの中身をひっくり返し始めた。

 数枚の小銭におはじき。丸まった定期券とむしりとられたプルタブ。そして何に使うのか──おびただしい量のセミの抜け殻が机の上に広がっていく。

 

「ちょっと」

 

 ルリコの机の上に。

 

「アンタたち。見えないかしら。こっちはご飯してるんだけど」

 

 誰かのポケットから飛び出したてんとう虫が箸に飛び乗ってくると、さすがにルリコは顔をしかめた。

 

 ■

 

「ダメって、なんでだ。俺ァあんたの息子だろうが」

「フミオぉ」

 

 身動きできないフミオに向かって、ブンタが丸イスごとにじり寄った。ギョギギギゴキと耳障りな音を引きずりながら。

 

「お前さん、あのクスリどうした?」

 

 ブンタは何も言わなかった。

 しばらく、頭をペチペチ叩きながら息子の答えを待った。

 

「……まだだ。まだ使ってない」

 

 フミオは、ベッドサイドに置かれた旅行かばんに目をやった。

 雑多に積み重なった下着やパジャマの隙間から、黒いケースがハミ出ている。中身は最強の記憶消去薬と最強の記憶固着剤。

 

「あのなあ」

 

 言うまでもなく、西町のトップシークレットだ。

 そんなものをあくまで雑に扱うフミオの前で、ブンタはミラーボールのような禿頭をかきむしる。その動きに合わせて、午後の日差しが二人っきりの病室中に乱反射した。

 

「元サヤに元気出してほしいってお前さんの気持ちは、痛いほどよく分かる。だがな……ダメなもんはダメだ」

 

 聞き分けの無い子供にそうするように、ブンタはゆっくり、はっきり言って聞かせる。

 

「お前さんは何も決断しちゃいない」

「心は決まってんだ」

 

 親にそうされる子供のほとんどがそうするように、フミオは苛立ちを募らせた。そう言ってやると、ブンタは大げさに「やれやれ」と肩をすくめて見せる。

 フミオの体温がいっそう上がる。

 エアコンの効かない病室の中で、ベッドに預けた背中がじっとり汗ばむのを感じた。

 

「決めたんだ。ただ、まだクスリを使ってないだけで……」

「つまり、何も状況は変わってねえ。ってこった」

「そんなことは──」

「いいか、フミオ。オトナになれ」

 

 ベッドのスプリングが微かに軋む。ブンタが、フミオの前に身を乗り出してきていた。

 

「防衛局で働く。全部忘れて90年代に戻る。どちらもお前さんの道だ。だがな、何も選ばないで局長(俺サマ)の力を借りようなんてムシがいいとは思わねえか」

「じゃあオッサンは……」

「あ?」

 

 シーツの上で、フミオは強く拳を握った。オイルで汚れた指先が、手の平に食い込む。

 これから言おうとすることは、今まで散々やってきた軽口や小突き合いの応酬に比べれば、屁でもないようなことだ。

 もっと酷いケンカなら散々やってきた。

 だから分かる。仲のいい父と息子の間だからこそ、言ってはいけない一言、踏み入ってはいけない領域というものを自然にわきまえるものだ。

 

「オッサンは。あんたはキチンと選んでこれたのかよ」

 

 ――――それを、あえて口にした。

 

 風に膨らんだカーテンが、黙り込んだブンタの頭を撫でさすった。

 

「へっ……まあ、そうだな」

 

 それから彼が浮かべた笑いの、苦々しさったらなかった。

 

「だからこそだ。だからこそ、お前さんにしてほしいのさ。たとえ後悔するにせよ、うだうだしてたせいで『始まる前から終わっちまった』なんて、イヤだろ」

「なんだよ、それ。結局オッサンは何もできなかったってことだろ」

「だな……」

 

 舞い上がったカーテンの向こうに目をやるブンタは、遠い目をしていた。

 偽りの空の下に広がる1999の夏。彼の父が何を思い、何を後悔して、こんな大掛かりな舞台セットを作り出したのか、フミオには分からない。

 

「お……見舞いに来たのかな。お前さんと仲良しのダチんこが見えるぞ」

 

 病院前のバスターミナルに目をやって、ブンタは軽く手を振る。いい歳こいたオトナが、自分の友達でもないのにどうしてそんな嬉しそうなのか──それも、フミオには分からない。

 

「俺はオトナだ……」

 

 ブンタから、答えは来ない。

 分からない。分からないことずくめだ。フミオには。

 どうしてルリコばかりがあんなに苦しい家で暮らしているのか。親のくせして、力もあるくせして、どうしてブンタは力を貸してくれないのか。

 

 どうして、俺ばかりが──

 

「フミオ」

 

 彼のために持ってきた着替えや小物の確認をしながら、ブンタが言った。

 父親の顔ではなかった。そこにいたのは『境界防衛局』のトップに立つ男だった。無数のパワードスーツとサイボーグ兵士を侍らせて、この小さな世界を支配する親玉が彼を静かに見据えている。

 

「あの事故現場、お前さんの他に誰かいなかったか?」

 

 その機械的な口調に、フミオの背筋が一気に冷えた。

 

「誰か。って?」

「現場でブっ壊れたドローンの回収したヤツがな、首かしげてんだよ。事故前後数分間の記録が丸ごと抜かれてたってな」

「ンだよそれ……俺、なんか疑われてるワケ?」

「疑ってるわけじゃねえが」

 

 うそだ。フミオは直感する。

 ブンタは──局長はどんな可能性だって考慮している。

 自分の身内が何かを隠していること。それがとんでもない爆弾であること。

 優しい父親と、冷酷なリーダーの顔。相反する二つの面を使い分けることができなければ、町ひとつを支配することなんてできないからだ。

 

「例えば……」

 

 ブンタのブーツの底が、病室に乾いた靴音を響かせた。

 

「いてはいけないないヤツが、()()()()()()()()()()()()()()()()()──とか」

「は、は?」

 

 はぐらかすように笑いながら、フミオは口の端が引きつるのを感じる。

 てめえの息子に尋問する気かよ──なんて、言う資格は彼にはない。事実、あの場にはカナタと同じ顔をした女がいた。

 そして、忘れもしない男のIDカードを押し付けられ、それは今、彼のパジャマのポケットにねじ込まれている。

 

「俺がオッサンに隠しゴト? マジかよ。もしかして、隠れてタバコ吸ってんのバレた?」

 

 ブンタは腕組みして、フミオを見下ろす。

 イヤ参ったね、という様子を必死に演技しながら、フミオは色が褪めてきた茶髪をかいた。ポケットがやけに重い気がした。

 

 彼は待つ。十秒……三十秒……これまで二人で騒がしくやってきた分、こういう沈黙は、逆に堪える。

 

「なあ、オッサン……」

 

 あの女の目論見がなんであれ、その存在をブンタにチクるのは今ではない。町の奥深く、A-6500シャフトという謎めいた場所を探索するまで、カードを手放すつもりは無い。

 

「…………あのなあ。ずっと前から一緒にヤニふかしてきたろうが」

 

 それから唐突に、ブンタが両肩から力を抜いた。

 いつもの撫で肩の店主の姿に戻った彼は、曇ったため息をつきながら、頭をボリボリ搔いた。

 

「なあに今更言ってんだ、この悪ガキが!」

「あッ……あ、あ、改まって聞かれるとビビんだって! は、ははは、はははは──」

「あ、そうだ、フミオ。ひとつやり忘れてたわ。歯ァ食いしばれ」

「あん?」

 

 緊張から開放された反動で笑っていたフミオだったが、ブンタに向き直ったとき、すでに目の前に彼の拳が迫っていた。

 

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