海の彼方で、カナタを想う   作:おぴゃん

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2.クリープ(4)

 フミオの父がイカれてないという保証はどこにも無い。

 だが彼の言葉がすべて真実であるとするのなら、町の外ではすでに世界が滅びかけており、巨大な怪物と、『終わり』が待ち構えている。

 地下2000メートルに再現された90年代、カーボンとスチールの兵隊。そして世界そのものに穴を穿つようなレールガン──

 

『外側』で見た、ドームの天井から吊られて揺れる超巨大な砲身のことを思い出すたび、フミオの脳ミソは打ちのめされる。

 

 ブンタの抱える巨大な使命、その力のスケールの大きさに。

 

 天気ですら操作可能な絶対の管理者。それだけの力が自分にもあれば。

 車椅子の上で頭をかきむしりながら、フミオは赤と青の薬剤のことを思い出す。

 

 ……俺は選択していない。まだなにひとつ、選べていない。

 

 ブンタの言葉にカチンときたが、そのとおりだ。

 赤か青か。忘れるか、進むか。誰にも相談できない決断が目の前にブラ下がっている。

 それは、導火線に火のついたダイナマイトだ。保留は、結局のところ自分の失望を先延ばしする手段でしかない。

 伸ばせば伸ばすだけ、状況は悪化していく。

 

「レイジ。今度は俺から聞くぜ」

 

 その焦りに突き動かされたように、フミオは口を開いた。

 いちいちレイジの了承を待ったりしない。いままで浪費した時間の重みを急に思い出したように、彼は次の言葉を継ぐ。

 

「お前は、どうやって選んだ?」

「選ぶって……何を?」

 

 手すりに寄りかかったままの巨漢が、ぬぼっとした顔で首をかしげた。

 車椅子のフレームがきしむ。

 

「あ、おい──」

「カナタの、ことだ……」

 

 立ち上がって、フミオは顔をしかめた。

 いくらVIP待遇で最新の医療を受けられたといっても、彼の右足はプレッツェルのように砕けたのを繋ぎなおしたばかりだ。

 それでも、このままレイジに見下ろされている形でいるのが我慢ならなかった。

 

「それも、お前がだ。怖いとか、不安だとか──あいつ引き取るつった時、感じなかったのか?」

 

 まるで、太股の中で銃撃戦を繰り広げているような痛みだ。それに耐えながらヒョコヒョコ歩いていって、フミオはレイジの隣に立つ。

 彼は探るような、静かな眼をしていた。

 岩のような男は、彼を押しとどめようと半端に持ち上げていた手を下げた。

 フミオは、何よりも答えを必要としていた。だからレイジは、それに応えてやりたかった。

 

「何も感じなかった」

 

 ゴウ。

 

 旅客機が──もちろんそれは、リアリティのために天蓋に投影された演出にすぎないのだろうが──二人の頭上を飛び過ぎる。

 

「溺れているカナタを助けた時、俺はこの七年間で初めて死んでいいと思えた」

「はじめて?」

「そうだ。記憶がなくなっても、言葉が話せなくなっても、一度もそんなことを考えなかった俺が、だ」

 

 間延びした白昼の空気にエンジン音が轟き、遠ざかっていく。

 不意に屋上に吹き付けた風。動かないはずのレイジの前髪が、わずかになびいた。それはほとんど、陽炎の揺らぎのように小さなものだったが。

 

「カナタと引き換えになれるなら、死んでいいと思った。だがどういうわけか、俺は生き延びてここにいる。だから、残り全て使いたいんだ。カナタのために」

 

 レイジは、シャツの胸元を軽く握った。

 不滅の黒い炎の中で煮えたぎる心臓が、フミオの目に見えるようだった。

 

「俺は言葉がうまくないから……伝わり辛いと思うが、運命ってやつだ」

「は、はは」

 

 くつくつと、俯いてフミオは笑う。

 

「いつからそうなっちまったんだ。お前」

「俺はただ、俺に意味をくれたカナタのために頑張りたいだけだ」

 

 覚悟はすでに済んでいた、ということだ。

 フミオが車椅子の上に体を乱暴に投げ出して、ドッチャリという音が鳴った。それは古びた車椅子の悲鳴だったのか、自分の体から出たものなのか。

 

「お前、長生きできなそうだな」

 

 どうでもよくなっていた。悩み、苦しんでいる最中のフミオにとって、レイジの語った覚悟は、遠い外国の出来事のようだ。

 

「好きなんだ、カナタのことが」

「おやおや。ビックリだぜ」

 

 意外そうに声を上げて、フミオは車椅子を前後に揺すった。

 彼にとっては別に驚くことではない。()()()()()()が上手いレイジは忘れているかもしれないが、こうなることはフミオが一ヶ月前に予言済みだ。

 

「俺、言ったもんな……男と女がいたら、ただではいられねーって。さ」

 

 レイジが、キョトンとした。

 わざとらしく白目を剥いてみせるフミオをしばらく見ているうちに、彼はようやく、たった今自分の口から転げ出た言葉の意味を理解する。

 

「あっ、いや、今のは、その……!」

 

 彼に強い力で握り締められた鉄製の手すりが軽くねじれて、耳障りな音を立てた。

 

「恥ずかしいコト抜かしやがって。ガキがよ」

 

 手を振り回して必死に弁解するレイジのことを、フミオは遠い目で見つめている。

 

 恥ずかしいのは、ガキの特権。

 

 だと言ったばかりにも関わらず、どうして今日はレイジの姿が大きく見えるのか、フミオは不思議でたまらない。

 明らかに人間として不出来で、不細工なものとして、いっそ見下していた時期もあった。

 だが今、彼の姿はずっとずっと大きく、そして遠い。

 

「い、いいか……フミオ。このことは、カナタには」

「言わねえよ。言って俺に何の得があるってんだ」

 

 フミオはレイジから目を逸らし、青空を見上げる。気温三十二度。ムカつくくらい爽やかに晴れ渡った、いい日だった。

 

「この好きは、そういうのではなく……弁当の、卵焼き的なやつで……」

 

 太陽に向かって翳した手の下で、フミオは目を細めていた。

 いつもの彼ならニマニマしながらレイジの純情をほじくってくるのだが、彼はそれ以上、ウンともスンとも言おうとしなかった。

 なんとなく調子を狂わされながら、レイジも彼の見つめる先を追って、空を仰ぐ。

 

 レイジの中で、カナタと卵焼きは直結している。

 うっすら茶色の焼き目がついて、ほのかに醤油が香る、甘辛い卵焼き。

 朝食と昼食。毎日オーダーする度に「よくもまァ、飽きねえな」と笑いながら、嬉しそうに卵を巻いてくれるカナタの顔が思い浮かぶ。

 

「とにかく、大事なんだ……カナタが」

 

 七年間。

 真っ白な画用紙に、失った『じぶん』の姿を必死に殴り書きし続けるような、死にもの狂いで、そしてからっぽだった年月。

 だから七年という短い人生で、初めて抱いた『好き』の意味は、目の前の雲と空の変わり目のように曖昧模糊(アイマイモコ)としている。

 

「大事なら、大事にすりゃあいいだろ」

 

 突き放すような口調で、フミオが言った。

 

「大事にすればいいってワケでもない。らしい」

 

 空の青さに幻惑されそうになりながら、レイジが返す。

 

「そりゃまた、どういうこった」

「分からない。分からないんだ」

 

 彼の手足や臓器は、どれほどひどく吹き飛ばされてもすぐ治る。

 だが、カナタとの絆は? ──それは、あまりに掛け替えがなく、そして脆い。朝の一件で、レイジはそれを理解してしまった。

 

「俺は、カナタのために傷つくことしかできない」

 

 そんなことならいくらでも。

 言うたびに、カナタがどうして不機嫌になるのか。レイジには分からない。

 過去は失われ、そして未来を描くことすらできない。彼にとって、現在(いま)の痛みを捧げることが、出来るすべてだ。

 それすら拒絶され、ますます彼女との距離が広がっていくのが、途方も無く怖い。

 荒れ果てた部屋の中で、血まみれになって転がるだけの何もない人間に戻ってしまうことが。

 

「俺が傷つくと、カナタが嫌がる」

「そりゃそうだろ。あいつ、フェアな付き合いじゃないとイヤがりそうだもんな」

 

 レイジは、深く首をひねる。

 こういう時ばかり相変わらずの察しの悪さを見せ付けられて、フミオは思わず乾いた笑いが出てしまう。

 

「なんつうか……俺にも上手く言えねえけど。あいつ、お前と一緒に乗り越えたいんだろ。痛いのもつらいのも、全部一緒に……」

 

 ────なんで俺は、コイツに恋愛指南みたいなコトしてんだ? 

 

 フミオは自分の言葉を苦々しく思う。

 

「なんにせよ俺にはできなかったことだ。俺と、ルリコではな」

 

 男二人、向かい合って、湿ったため息を吐く。

 それは一陣の風にさらわれて、泳ぐシーツの群れに吸い込まれていった。風音の後に訪れた静寂が、祭囃子の音をいっそう際立てた。

 

「ルリコに幸せになってもらいてえ。そんだけだよ、俺は」

「ああ……そうだな。俺も、そう思う」

 

 ■

 

「カナタ! エロ本よ! この店でいちばんドギツいの! 探すの手伝って!」

 

 階下。

 受付すぐ横の売店には、ルリコの大声が響き渡っていた。

 

「がってん! ……おお、やっべ、これ……ルリコ、これすげえぞ!」

 

 そして負けじと、カナタも声を張り返す。

 彼女の手には輪ゴムのかかった一冊の雑誌が握られ、うすぼやけた光を投げかける照明の下に高々と掲げられていた。

 ビニールの下からうっすらと見え隠れするブツを見て、ルリコの表情が思いっきり引きつった。

 

「うっわ、想像以上にキツいんですけど……よし買い! カナタ、全部カゴにぶっこんで!」

 

 ビニ本を物色しながら大騒ぎする女子高生たち。

 当然それには年齢制限がつけられているが、彼女たちの勢いに恐れをなして、誰も口出ししてこない。

 

「いいぜえ。そっちのドギツいのたくさん持ってこう!」

「全部根こそぎにするわよ。この私を心配させたバツなんだから。せいぜいもてあませばいいわ、性欲を。あのスケベ」

 

 ところで『あのスケベ』は今、屋上でルリコのことを考えて青息吐息なのだが、そんなことを、当の本人は知るよしも無い。

 

 ルリコの持った買い物カゴが、スケベ本の重みで歪んでいる。

 それ以上にカゴを軋ませているのはカナタだった。

 うんしょうんしょと言ってレジに買い物を持っていくルリコの横で、彼女はパックの牛乳をケース丸ごとカゴにブチ込んでいる。

 

「カルシウムは骨にいい。らしいぞ」

「半信半疑ね」

「でもフミオだぞぉ? 信じ込ませたら、ケガすぐ治っちゃうかもだ」

「あ~、確かに~?」

 

 ルリコも、一度ワル乗りが始まるとブレーキが利かなくなるたちだ。

 カナタに負けちゃいられないわよと、近くの棚に並べられていたティッシュの箱を、豪快に掴み取る。

 

「入院生活のお供といったらコレよね」

「いる」

 

 勢いよくカナタが頷き、彼女もエロ本の隙間に液体の入ったボトルを詰めていく。

 

「はい。そしたらローション(ぬるぬる)も」

「いるいる」

「あとは、替えのパンツとかァ?」

「いるいる絶対いる! カナタ、そっちの普通のはダメよ。そこの、薄ブルーのこっぱずかしいやつにしましょ!」

 

 そしてレジで大量の買い物の会計を済ませた二人は予想以上の金額に腰を抜かすことになるのだが、それはまた、別の話。

 

 本当の因果応報は、その直後に訪れた。

 

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