等間隔で並んだ非常灯、そして微かな水の音。
それが世界のすべてだった。
ホコリっぽい空気が漂う、平成初期の面影を残す地表とはかけ離れた雰囲気がそこにあった。
セラミックホワイトで塗装された長大な地下通路は無風で、そして冷たい。
明かりを掲げて先をゆくキリエの背中を見失えば、カナタは一瞬で闇を吸ったような黒い水の中に溶けて消えてしまいそうな感覚に襲われる。
「ついてきてますね」
白い光といっしょに、キリエの声が投げかけられた。
「ああ──キリちゃん」
「なんですか。もよおしたんなら、離れたところでお願いします」
「違うわ!」
カナタのとっさに叫び返した声が、分厚い強化壁で囲まれた空間に、わわわわーわーわーわ──と反響する。
どこまでもどこまでも、遠ざかっていく声が聞こえていた。
まるでもう一人の自分が先に広がる無限の闇に落ちていくような気がして、カナタは薄ら寒くなる。
「病院の地下って、こんな広いもんかよ?」
チラ、と背後の闇を振り返って、カナタが首をひねった。
手術室、霊安室。病院にアリガチなものは、ここまで一切見なかった。
ただまっすぐ。不安になるほどまっすぐな道が、どこかに向かって伸びている。
「ここはもう、病院じゃありませんよ」
「え?」
キリエがポケットから端末を取り出す。
全面が液晶。指の動きにセンサーが反応して操作できるハイテクガジェット──なのだが、持ち主の性格を現すように画面がバリバリに割れていた。
不具合も抜群に起きまくっているようで、操作中のキリエはずっと悪態をついていた。それをイマイチ盛り上がらない気持ちで、カナタが眺めている。
「場所的には……ここ。だいたい、西高の地下ですね」
非常に見づらいことになってる画面に映した地図を指差して、キリエが言った。
「ふうん」
「あんま驚かないですね」
病院にあった扉を見た瞬間から、カナタはなんとなく察していた。あれと同じものを、フミオの家の地下でも見たことがある。
「ヒミツの隠し通路ってワケか」
「この先は、中心街の下に通じています」
「そこには何が?」
パチャ。
キリエが再び歩き出した。カナタもあわてて、彼女に続く。
「着いてからのお楽しみ、です」
「楽しいモノなんかあるのかあ?」
歩幅の大きいキリエの後ろをいっしょうけんめい追いながら、カナタは水底にこびりついた汚泥を見つめた。
それはあの少女の足跡だ。
幻覚に足跡があるなんてはなはだ不思議なことではあるが──どうやらあの少女も、この通路の先にあるものを見せたいらしい。
「センセー、今のうちに聞いておきたいことあんだよね」
「うん」
キリエが、かすかに返事した。
どうやら「オーケー」ということらしい。
「施設に来てたってレイジから聞いた。あいつにお姉さんの話したって」
「あー……ありましたね、そんな……」
ランタンを持っていないほうの手で、キリエは軽く頭をかいた。
軽く天井を仰ぐ姿は気まずそうにも見える。
「これ、聞いておかなきゃいけないコトですが…………施設にいたときの話、どれだけ知ってます?」
「うんこ垂れ流し」
「じゃあいまさら隠すこともないか」
キリエの手元にある明かりの揺れが、こころなしかさっきよりも大きくなった。
バスが三台は並んで通れそうな広い通路の様子がよく見える。湾曲した壁や天井を無数のケーブルとパイプが走っている。
道の先から聞こえる微かな胎動のような音とあわせて、カナタはだんだん、ここが建物というより生物の腸の中のような気がしてくる。
「そんなことまで話したのか。ホント心許してんだな」
ボソリとキリエが漏らした一言は、その有機的なうねりの音にかき消されてしまった。
「それで、何が知りたいんですか?」
「センセーがやってきて、そんで映画を見せられてーってトコから先のハナシ。レイジ、そこで寝ちゃってさ」
「ハハハ……」
キリエの乾いた笑い声が、通路に響いた。
「ンだよ、キリちゃん。なんかあんのかよ」
「そうですねえ……よりによって、そこ聞きますか……」
映画の話を持ち出されてからのキリエは、どことなく歯切れが悪い。
歩調もハッキリと強まり、蹴散らされた水が、明かりの中で激しくきらめいた。
「アッチにとっては心温まる思い出かもしれませんが……こっちはサル並みに頭が退行したガキの再教育にほとほと手を焼きましてね……」
「そんで?」
「めんどう臭くなってクソ映画で情操教育しました」
「は? ──うぎゃっ」
キリエの足が、急に止まった。ウェーダーに包まれた彼女の背中に、カナタは正面衝突してしまう。
「で、暴れてニワトリぶち殺してるレイジくんのところに、持っていったんです。あの悪名高いやつ。バカ男とバカ女とバカ馬が砂漠歩いてるの」
「”焼失”……」
その名前は、ほとんど無意識にカナタの唇から解き放たれた。
半身振り向いてカナタを見ていたキリエは小さく頷き、再び通路の先を目指して歩き始める。
「この際だから言っちまいますけど、ヘンなヤツでしょレイジくん。言葉覚えなおしたっても、グレた
「オイ……」
野生児と化したレイジを拾い、後見人まで引き受けた女とは思えないほど乱暴な言い方だった。
カナタは思わず、杖代わりにしていたパイプレンチで床をガツンとやってしまう。しかし、キリエは振り返らない。ひょろ長い体をフラフラ振って、遠ざかっていくだけだ。
「結果的には良かったんでしょう。あの映画にハマって、毎日見てました。そうして覚えなおしたんですよ、言葉……でもやっぱり足りない。
「ゴイ?」
「頭の中の辞書って言ったらいいんですかね」
「へー。アタシまた賢くなっちゃった」
「いいじゃないですか。
キリエの瞳に宿った光が、にわかに鋭さを増す。
「ムナカタのクソあんぽんたんが余計なことをしなければ……」
「むなかた? それって確か、施設の──」
聞き覚えのある名前がキリエの口から出てきて、カナタは耳を疑った。
「ヤツのハナシはひとまず置いときましょ」
それだけ言って、キリエはただでさえ広い歩幅をいっそう大きくして歩き出す。もはやカナタは追いかけるだけでも必死だが──施設の話を出したなら、もうひとつ聞いておかなければいけないことがあった。
「なっ、なあ、キリちゃん。それはそれとして、いっこ、聞いていい?」
「なんすか」
キリエがここまで不機嫌なのは珍しい。
『ムナカタ』の話題は、彼女の中の地雷原に踏み込むのと同義だ。
息を切らせてついてきたカナタは、ぶっきらぼうに返すキリエに若干気圧されながら、問いかける。
「レイジ、あの映画でコトバ覚えたんだろっ」
キリエのスピードが速い。カナタの息は切れ切れだ。
「はい」
「じゃ、じゃあ『運命』ってやつもそこから?」
「ええ。たぶん」
「ど、ど、どのへんで。出てきたかなあ!?」
じゃば、と大きく一歩踏み込んだまま、キリエの動きが止まった。
あのムナカタという名前が出てからずっと背中から放たれていた剣呑な気配が和らいでいく。
その肩が小刻みに揺れていた。おそらく、笑っているのだろう。
「うふふう。興味深いこと聞いてくれちゃいますねえ」
青白い照明の下で、キリエの首がグルリンとカナタの方を向く。まるで妖怪だ。
「運命。へえ、運命ね……彼、キミに言ってたんですか?」
「あ、ああ。アタシと初めて会った時に……」
ニンマリ笑ったキリエの顔が、カナタの前まで降りてくる。
ウェーダーの尻を半分ほど水に浸けたまま、彼女は生暖かい目で見つめてくる。酒臭い息を吹きかけられながら、カナタは目を泳がせる。
アル中の女教師は「そっかそっかあ」と呟いて勝手に納得したようすで頷くだけで、カナタの問いに答えを寄越そうとはしなかった。
「な、なあ、センセー……」
「知ってますが、教えません。私がそれやったら、マジで野暮なんで」
「なんなんだよ……」
「別に悪い意味じゃないから安心してくださいよ」
何事も無かったように、キリエはまた歩き始めた。
その後姿を見ながら、カナタは無意識に首をさする。
ざり。無数のウロコが彼女の手のひらを擦る。真珠のウロコは逆立ち、カナタは、今の自分がまっとうな人間の体ではないことを、強く意識させられる。
「ばかだな」
ポツリ。カナタの呟きは、思った以上に大きく響き渡った。
「レイジが何度もあの映画一緒に見ようって言ってくれてたの、キモいって。サイテーな言葉で断っちまった」
みんなで映画を見に行った日のことが、とても昔の出来事のように思われた。
『俺の、原点なんだ』
ホコリ臭いロビーの中でポスターを見上げるレイジの瞳は輝いていた。
文字通り、『焼失』は彼にとって第二の人生のスタート地点だったのだ。
映画のことになると多弁になるのではない。ほかに何も無いから、語れるようなものがそれしかないからだ。
レイジは自分を取り戻させてくれた映画が大好きだから、自分の大好きな友達にも映画のことをよく知ってほしい。
断られてしょんぼりするレイジのことを思い出すと、カナタは胸のあたりがぎゅっとなって、苦しくなる。
「だったら今度は、カナタさんの番ですよ」
唇を固く結んで、カナタがついてくる。
その様子を見かねたキリエは、思い付きを口にしていた。
「そっちから誘ってみりゃあいいじゃないですか。映画、見ようぜって」
「アタシ……が……?」
「でもって、二人で確かめてくださいよ。『運命』ってやつの出番をね」
一度はパっと顔を輝かせたカナタだったが、すぐに、その表情はドンヨリした陰気さの下に沈んでいく。
「もういいって断られたらどうすっかな……」
「それはそれで、いいんじゃないですか」
キリエが楽しそうに足元の水を蹴散らした。
「断られる勇気も、きっと必要。傷つく覚悟でガンガンいくのが、案外、一番の近道ですからね」
キリエの肩からズリ落ちた銀のケースが、派手に音を立てて水に沈んでいく。
彼女はそれに見向きもせず、まだ不安そうにしているカナタの元へ歩いていった。
黒い皮手袋に包まれた左手をゆっくり白い頭に伸ばして──どうやら、拒絶されていないことを確かめてから、優しく撫でた。
「うーん柔らか」
「ンだよ……恥ずかしい」
「レイジくん、カナタさんのこと大好きじゃないですか? 断られたりしないと思いますがねえ」
「は!?」
それまで不安一色で塗りつぶされていたカナタの顔に、一瞬で赤味が差した。
「だだだ、だからアタシとレイジは違うンだよ! 海行くまでの関係!」
「ほォ────ン?」
ニヨニヨと嫌な笑いを浮かべた顔を、キリエが近づけてくる。カマボコのような形の目で探りを入れてくるのが嫌で、カナタは思わず目突きを繰り出した。
ずぶり。
「おぎゃあ!」
半分くらいまで指が入ったような気がするが、どうせキリエなので、カナタは心配しない。
両目を押さえてうずくまった彼女の上をわざわざまたいで、カナタはため息つく。案の定、すぐに足音が追いかけてきた。
「なあキリちゃん。ついでにもういっこ、いいか」
「ハイハイ」
水の滴るケースを担いだキリエが、カナタの顔を覗き込んだ。
「レイジのねーちゃんの話は?」
「ああ……」
短く漏らしてから、次の言葉まで間があった。
「それは大事にしておきたいんですが」
「わかった。じゃ、いいや」
彼女が話したくないのなら、カナタも深く掘り下げたりはしない。
てっきり根掘り葉掘りとしつこく聞かれると思っていたのか、キリエはチョイと首をかしげて、意外そうにカナタを見やる。
そんな目で見られても、カナタは肩をすくめるだけだ。
「いい思い出なんだろ。やめとく。トモダチのことしつこく聞かれるのって、超イヤだもんな!」
「はい……」
キリエの声はいくらかトーンダウンしたが、歩くペースは相変わらずだ。
カッコいいと思って作った水かきが受ける抵抗が思いのほか強く、苦労するカナタをサッサと追い越して進んでいく。
足元の塩水のかさが増していた。
いまや膝の辺りまで上ってきた水の中に、カナタは目を凝らす。幻の少女の痕跡である汚泥が、水底で揺らいで見えた。
「カナタさん」
足を止めたキリエが、少し先で待っていた。
「センセーがさっきレイジをロボって言ったの、イヤだったけどさ」
慌てて足を進めながら、カナタは言う。
「でも、分かるよ」
ヘンなやつ。
だれも彼もがそう言うように、カナタも初対面で同じ印象を受けた。
芝居がかった言い回し──本当に芝居の引用だとは思わなかったが──をしたかと思えば、自分の気持ちを伝えるときは子供のようにたどたどしくなる。
べらぼうに強く、そして、どうしようもなく空虚の男。
警戒した。ぜってーヤバイやつだと思った。
「楽しくないから笑わないんじゃない。痛くないから苦しまないんじゃない。どうしたらいいか分からないから気持ちを自分の中に閉じ込めて──それって、マジ、辛いと思う」
レイジから聞いた、施設の話。
キリエが語った彼と映画の関係。
カナタの中で、ようやくピースがはまった気がする。
そうして現れたレイジの全体像は────ただ必死に生きている普通の人間だ。
七年分の記憶を失って、人間らしさすら落っことして。
それでも無表情という分厚い仮面の下で、血が出るほど歯を食いしばって、取り戻そうとしている再中なのだ。
石動黎時という、自分自身のカタチを。
「だからアタシ、アイツに卵焼きを作らせたいんだ。夏のうちに。カンペキに」
「おお、
キリエが、ランタンをブラブラと揺らす。カナタの影法師が、壁から壁へ、行ったり来たりする。
「センセーのくせにムズカシー言葉を使うなよ」
「いいじゃないですか。センセーなんだから……焼いた卵ごときで壊れた心が戻るなら、精神科医は今頃全員廃業してますよ。ってコト」
通路にわだかまる闇を照らし出しながらキリエが言った。いつしか並んで歩き始めたカナタを見下ろす目元には色深く疲れが浮き出ているが、眼差しには、水面に浮かぶ夜の明かりのような、わずかな希望が浮かんでいた。
「アイツ、いつもアタシの作ったメシをウマいって言ってくれるから。あれだけは、アイツも心の底からおいしいって。そう感じてるように思うから」
「んでんで?」
キリエの感心したような、生返事のような声が湿り気を帯びた空気の中で聞こえた。そんなことは気にせず、カナタは付け加える。
「だからアイツがウマいと思うものを、アイツの手で作れるようになったらって。そうしたらなんつーか……少しは自分のタメに生きてるってコトになんじゃん?」
そこまで言って、カナタは急に照れくさくなって髪をかきあげた。
「ま……アタシの
その間、キリエは返事をせず、暗闇に沈んだ通路に響くのは二人分の足音だけ。
「前、キミのことが嫌いって言ったでしょ」
キリエはくすくす笑ってスピードアップした。
「撤回します。カナタさんがそういう人で。そしてレイジくんの傍にいてくれて、本当によかった。ありがとうございます」
「そう思うんなら、もうちょいスピード落としてくれよ」
「それにはお応えできませんね~」
高笑いしながらズンズン進んでいく不良教師のすぐ後ろで、カナタは考え込んでいた。
とうとう打ち明けることができなかった不安が残っている。
卵焼きを食べているとき、映画についてゴチャゴチャと語っている時────それ以上に彼が笑顔を輝かせる瞬間のことだ。
レイジが初めて笑って見せた時。
それは、石動レイジというパズルにたった一つ残された、どんなピースもはまることのない空洞。
怪物を引き裂き、押しつぶし、喉の奥から湧き上がる哄笑を、必死に噛み殺しながら歪む口元。
真っ黒な体液にまみれた彼の顔の中で、にいっと笑った口元の歯だけが鋭利に輝く光景が、カナタの脳裏に焼きついている。
それが彼の
■
「この輸送路は中心街から外周に向けて、クモの巣のように広がってます」
キリエがコンソールを操作する。
行く手をふさぐ巨大な隔壁の前に立ったカナタは、鋼鉄製のシャッターに叩き付けられた泥の塊を見つけた。
「ユソーロ?」
「でかい工場は外周にありますからね。銃だのミサイルだの後ろめたいモンの材料は、ここを通して運ぶことになってます」
カナタはしゃがんで、水の中を手で探った。指先に、泥がへばりつく。この隔壁をどうやって突破したかは知らないが、この先に例の少女がいるようだ。
「開きますよ。離れて────あ、待ってカナタさん、ストップ!」
ゴウゴウと音を立てて隔壁が持ち上がっていくと、その下から大量の水が押し寄せた。
とりあえず一番乗り主義のカナタがその向こうを覗き込もうとした瞬間、キリエの鋭い制止が投げかけられた。
「なんだよ……?」
ガニ股の奇妙な姿勢で、カナタがキリエを見上げる。
「そこからミリでも動いたら、首スッ飛びますからね」
「は!?」
引率の教師があまりに堂々としているもので忘れていたが、今カナタがいるのは防衛局が管理する施設のド真ん中だ。
どんなトラップが、どんな場所に仕掛けられているか分からない。
隔壁の向こうに広がる闇の中から巨大な鉄球が転がってくるとか、壁がパカっと開いて毒蛇の大群に囲まれるとか──いろいろ見てきた映画で培った想像力が、カナタの冷や汗を加速する。
「とにかく、ちょい待ち」
中腰でプルプル震えるカナタの前で、キリエは一本のタバコを取り出した。
何食わぬ顔で火をつけ、そのまま一服する。
「はー……うめ……うめ……」
深々と吸った煙を口の中で揉んで、彼女はゆっくりと吐き出す。ランタンの投げかける光の中に、煙の粒子がゆっくりと広がっていく。
「おい、アタシの足めっちゃプルプルしてんだけど!?」
「ほら──」
マイペースに一服やりはじめたキリエに向かってカナタが怒鳴ったが、すぐに彼女の意図を理解させられた。
きらめく煙の粒子を引き裂くようにして、いくつもの赤いレーザー光が空中を走っている。
カナタの鼻先数センチ。隔壁の真下に織り成された光の網は、何が何でも通すまいという町の意志の表れのようだった。
「……これ、触ったらバチバチってなるやつ?」
ゆっくりとカナタが後ずさる。
「そこまでじゃないです。ただのセンサー」
タバコをポイ捨てしてキリエはもう一度コンソールと向き合う。
ゴム臭い彼女の体を回り込むようにして、カナタはつま先立ちでモニターを覗いた。そこには輸送路の簡単な全体像が映し出されている。
キリエが話したとおり、まるで町全体に張り巡らされたクモの巣だ。この先数十メートル間隔で隔壁が設置されている。
巣の中央──すべての輸送路が集中する一点に大事なものがある。それはカナタの目にも明らかだった。
「あらァ。ウチの町のトップシークレット。見ちゃいましたねえ」
トントンと、”巣”の中央を叩いてから、キリエがIDカードをパネルにかざした。
ピッ。軽い電子音を立てて見取り図は消灯。代わりの『開放中』表示と共に、散乱する煙の中からレーザーの光が消える。
「ま、まずかった?」
「マズいマズい。だって、中心街から荷物がやってくるってことは──ああホラホラ。さっさと先に進みましょ」
カナタの尻をぱんぱんと叩いて急かすキリエは、楽しそうだった。
ヤベーもん見せたと言いながら、まるで焦った様子がない。むしろ、あの地図を見せ付けるような態度が気になったが、とりあえずカナタは小走りで向こう側に抜ける。
「人間じゃないのがセンサー触ると、すっげえ勢いで隔壁降りてくるから。気をつけて」
隔壁を抜けて何メートルか歩いたところで、再び電子音が鳴った。センサーが再起動し、暗闇の中にうっすらと格子模様が描かれる。
「…………おっと」
背後をついてくるカナタが漂わせる沈黙。
その意味にキリエが気づいたのは、しばらく歩いた後だった。
「カ、カナタ、さん……」
「ンだよ」
むすっとした顔で、カナタが睨んでくる。
悪気はなかった。とはいえ、ごく当たり前の事実として知っていたことをポロっとこぼしてしまったのは、完全にキリエのやらかしだった。
「あーそうだよ。こんなウロコだらけの女、マトモな人間じゃねえもんなァ?」
「あっあっ、ごめんなさいね……そんなつもりじゃ……」
キリエが焦って取り繕うが、カナタはそっぽを向いてしまった。
二人が水面を蹴る足音が、ほんのわずか鈍くなる。
「見てろよォ……記憶も人間の体も、全部取り戻してやっからなあ……」
そりゃ無理ですね。
伝える代わりに、キリエは黙って先を急ぐ。
カナタは人間ではない。そしてさらにひどいことに、彼女は自分をカナタだと信じている、別の何かでしかない。
オリジナルのオモトカナタは、もう何年も前に死んでいる。
「そしたらまずは水着で……いや。バイクだな。カッコいいライダースーツが着てえ……」
悪巧みするような顔でオシャレ計画を展開するカナタは、いつの間にか完全に機嫌のよさを取り戻していた。
さっきの失言がそれほど響いてないことに感謝しつつ、逆に、その屈託のなさにキリエは悲しくなる。
カナタの秘密を、レイジはブンタによって暴露されたはずだ。
おそらく彼は残酷な真実をカナタに伝えられないのだろう。
自分は、カナタではない何者か──そんなことを知らされた後で。これほど朗らかに笑えるなんて、キリエの常識では有り得ない。
「キリちゃんはどっちがいいと思う?」
「は、えっ──なんのことですか?」
思いにふけっていたキリエを、カナタの明るい声が引き戻した。
「アタシが自由になったあとのことだよ。白と黒。アタシに似合うの、どっちかな?」