海の彼方で、カナタを想う   作:おぴゃん

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4.それはきっと、光さえ食らう光芒(3)

 

 極限まで加速された鉄パイプは、青白い筋となって怪物の胴を貫いた。

 それも、三体をいっぺんに。

 中空のパイプはほとんど戦術兵器の威力を誇った。怪物たちは団子状に射止められ、それでも威力は衰えぬまま床に縫い付けられる。

 だが、そこは棘皮人間。ヒトデやナマコ類に匹敵する生命力を持つ彼らにとって、胴体に小さな穴が開いたことは問題にならない──はずだった。

 

 その単純構造がアダとなった。

 

 そもそもチームワークという概念を持たない彼らは、ただ無秩序に手足をばたつかせるばかりで、パイプを引き抜くことすらできない。

 

 無秩序の塊と化した怪物たちの上をレイジの巨体が飛び越える。

「バキュッ!」という鉄の軋みが通路に響き、もう一本のパイプが引き剥がされる。

 

「うわ……やべえな……やっぱ……」

 

 次の獲物に飛び掛っていくレイジに、カナタの呆れ声は届いたのかどうか。

 動きの鈍い棘皮人間は彼の手にかかれば一捻りだ。

 残虐ファイター・レイジが次々ブン投げる鉄パイプによって、次々と串刺しオブジェクトが量産されていく。

 一方的すぎる蹂躙に、カナタは軽く怪物たちに同情してしまう。が、それはそれ。通路を吹き抜ける破壊旋風の後ろでレンチを振るい、怪物たちにトドメを刺していった。

 

「フー……」

 

 レイジが手を止めたときには、もはや動ける怪物の姿はなかった。

 海底で物言わず揺れる海草のように虚空に手を彷徨わせる串刺したちは不気味だったが、もはや何もできない木偶だ。

 カナタは、目の前に立つ黒い体液まみれの大男を見上げる。

 彼の着衣は恐ろしく乱れていた。スニーカーは底がはがれ、つい最近買い直したスラックスも、裾がギザギザに裂けていた。

 シャツのボタンが爆ぜて、汗にまみれた胸板が上下しているのが見える。

 彼ははるばる病院からヘドロの痕を追って、カナタを救いにきたのだ。

 

 レイジはシャツの袖を使って顔を拭う。

 彼は頭から墨をかぶったようにベトベトだった。当然シャツもそうだ。

 

「これ……」

 

 ますます汚れた彼に駆け寄って、カナタはハンカチを取り出す。

 

「たすかる」

 

 察して跪いたレイジの顔を、拭いてやる。

 

「いつもありがとな。またレイジに助けられた」

 

 地下にあふれる水で冷えた指先に、レイジの帯びた熱が痛いほどに染みた。

 

「礼なんていい。間に合ってよかった」

 

 黒い体液の下から現れたレイジが、儚げに微笑んだ。

 カナタはひそかにほっとする。彼がまた、ひきつったような殺戮者の笑いを浮かべてはいないかと不安だった。

 

「あ……しまった」

 

 笑っていたレイジの顔が、にわかに曇った。

 彼の人差し指が裂けていた。もちろん、パイプの破片で切った傷なんて彼にかかれば数秒で治る。

 だが──その気まずそうな沈黙の意味を理解するまで、カナタは数秒掛けた。

 

「カナタ、ケガしてしまった……」

「はは」

 

 困ったようにする彼の肩を軽く小突いて彼女は笑った。

 何て言葉を掛けてやればいいか、わからなかった。傷つくなと言っておいて、自分から勝手にピンチに踏み込んでまたレイジに救われて。

 

「いいよ。これはノーカンで……」

 

 そのお返しに気の利かないことを抜かす自分が、カナタはイヤだった。

 

 ともあれひとまずの窮地を脱したカナタは、徐々に冷静さを取り戻してきた。レイジの顔をあらかたキレイにしてやった頃、思い出したのはキリエのことだ。

 

「やべ」

 

 すっかり忘れていたので、それなりに大きな声が出た。

 

「カナタ? どうした?」

「キリちゃん……センセーが、バケモンに食われた」

 

 呆然と続けたカナタの顔を、何を言っているか良く分からない様子でレイジが見つめる。

 静かに視線を交わす二人の頭上で、非常灯が二、三度明滅した。

 

「食った? 師匠を?」

 

 小さく震えるカナタの肩に両手をかけたレイジが、念押しするように聞いた。

 ああそうだよ激ヤバだ──と言ってやりたいところだが、現場を見てないなら困惑も当たり前だとカナタは思った。

 怪物がヒトを食った。悪夢じみたハナシだが、それ単体なら十分あり得る。だが相手が樋口キリエとあっては別だ。

 彼女は自他共に認めるこの町最強の個人。簡単に不覚を取られるはずが無いし──なにより単純にデカいしマズそうだ。

 

「マジなのか」

「マジだよ……アタシがボーっとしてたせいだ。悪ィ……」

 

 カナタは無意識に、自分の首筋をさすった。

 

「そうか……」

 

 重々しく言って黙り込んだレイジは、いろいろ考えているようだった。

 それを見て、カナタはホゾを噛む。

 キリエの最期は立派だった。自分のことが何一つ片付けられないアル中ダメダメ教師のくせして、散り際だけはシッカリ決めていった。

 生徒を救うために身を挺するなんて、なまなかな覚悟で出来ることじゃない。袋のように大口を開いた怪物に呑まれる寸前の表情を思い出して、カナタは無力感に打ちひしがれる。

 

「で────それの、何が問題なんだ?」

「え」

 

 しかし、困り眉のレイジが投げつけてきた言葉はカナタの予想を超えていた。

 

「だ、だって頭からムシャムシャやられたんだぞ!?」

 

 彼の非常識さに声を荒げながら、カナタも頭の片隅で首をひねる。言われてみればこの驚き方はちょっと大げさすぎるような……

 

「いいか落ち着いてくれ」

 

 両肩に置いたままの手に軽く力をこめて、レイジはカナタの瞳を覗き込む。溢れんほどの青が、混乱してうずを巻いているのが見えるようだった。

 

「キリエ先生だぞ?」

「でもよお、さすがに……!」

 

 レイジの手を撫でながら、カナタの目が更にぐるぐるする。

 

「言われてみればそうかもなんだけど、なんかこう、オマエ、もっとねえのか……!?」

「それで死んでくれるなら、とっくに俺が殺している」

「……イヤな信頼関係だな、オマエら」

 

 顔をひきつらせるカナタの肩越しに、レイジは怪物の群れの第二波を捉えていた。

 棘皮人間たちが巨大な両腕をゆすって歩くたび、鋭いツメが非常灯の光をギラリと反射する。空気に満ちる殺気が鋭さを増していく。

 最後にもう一度、正気に戻すようにカナタの腕をポンと叩いてレイジは立ち上がった。

 

「消化される前に取り出せば大丈夫だ。たぶん」

 

 イマイチ緊張感の湧かないことを言って、レイジが床からパイプを拾い上げる。

 

「もしかして、もう吐かれてるかもな。センセー、酒くせえし」

 

 彼の背後に回って、カナタもレンチを構えなおした。

 通路いっぱいにひしめく怪物たちが視界を埋め尽くす。毛一本挟む隙間もないほど密集した群れが、乱れの無い動きで行進してくる。

 

「師匠を食った怪物は、どんなヤツだった?」

 

 尖ったパイプの切っ先を群れに向けたまま、レイジが聞いた。

 

「泣いてる、みたいだった」

「ン?」

 

 漠然とした印象を口にしてから、「わりい」とカナタは付け加えた。

 

「七区で”つくり笑い”の隣にいたヤツだ。うつむいて、頭グラグラしてる……泣いてるってのは、アタシがそう感じただけ」

 

 群れの中に視線を走らせながら、レイジも七区でのことに思いを馳せる。

 幸い、もともと引き出しは少ない。だからこそ、一ヶ月前の記憶でもすぐに取り出せた。

 顔を覆って小刻みに震えている。長い髪の毛のように広がった黒い外套膜が特徴的な棘皮人間のことだろう。

 カナタをしつこく付け狙う”つくり笑い”に比べてインパクトは薄いが、キリエの不意を打っている。一切気を抜けない相手だ。

 彼の体に走ったわずかな緊張が、湿った空気の中で握ったパイプをミシリと鳴らした。

 

「まずはここの怪物を片付ける。下がっててくれ」

 

 巨人のような圧力を伴って進撃しようとしたレイジは、袖をグイっと引かれて立ち止まった。

 彼の丸太のような腕を掴んだカナタが、どこか思いつめた顔をしていた。

 

「レイジがケガすんのは……ぶっちゃけ別に、どうでもいい」

 

 レイジの眉が、ほんのわずかに動いた。

 空いているほうの手で、カナタは自分の首筋をなでる。言いたいことは決まっているのに、うまい言い方が見つからない。

 だからせめて、気持ちだけは通じるようにと、たどたどしい言葉を紡ぐ。

 

「いや、良くはないけど……戦うなら、そういうのは仕方ねえし。だけど……なんつーか……やっぱイヤっつーか……」

 

 カナタは、レイジを捕まえておく手が汗ばむのを感じた。

 怪物の群れは、すぐそこまで迫っている。

 明らかにウジウジやってる場合じゃないのだが、逆に今キメておかなければ、取り返しがつかないことになる気がしていた。

 レイジがブレーキの効かない車をカッ飛ばしてカーブに突っ込んでいってしまうような、そんな焦りがあった。

 

「カナタ」

 

 レイジは怪物たちに背を向けて、その場にしゃがみこんだ。

 彼の目はカナタだけを見据えている。

 

「俺はどうしたらいい?」

 

 その姿にカナタは驚いたし、呆れたし……何より嬉しかった。

 いつでも彼女のために全力投球で、一度モードに入れば、何が降りかかってこようが気にしない。

 この瞬間、無数の怪物に背中を切り刻まれようが、尻を蹴り上げられようが、関係ない。

 彼は常に、カナタと真正面から向き合うことを選ぶ。

 石動レイジという男はどこまでも不器用で、一途な男だった。

 

「これだけ約束してくれ」

 

 カナタの表情が和らぐ。

 なぜレイジが傷つく姿を見たくないのか。その答えを、彼自身が持ってきてくれた。

 

「オマエが取り戻した『にんげん』をなくさないでくれ」

 

 一ヶ月という時間は決して短くはない。だが、彼が失った十年と比べてしまえば、ほとんど一瞬のようなものだった。

 その、ほんのわずかな間(ジャスト・ワン・セカンド)で彼は大きく変わっていった。部屋を片付けて、挨拶が出来るようになって、ハシも握れるようになった。

 何より──笑えるようになった。

 

「オマエの傷はすぐ治るけど、新しく作り直してるだけだ。ちぎれた手足が飛んで戻ってくるわけじゃない」

 

 それが、彼女がレイジの治癒能力に抱く違和感であり、嫌悪感の正体だった。

 同じものは二つと作れない。それは当然のルールだ。失った手足を再生するたび、吹き飛んだ内臓を補うたび、彼は別のもので置き換えられていく。

 それはゆるやかな自己消滅だ。

 少しずつ、ほんのわずかずつ”ズレ”が蓄積していって、レイジという存在を完全破壊する。その不安が、常にカナタの中にあった。

 

「ハデな戦い方してボロボロになってるの見てると、体と一緒に、大事なモンまで削り落ちていってるんじゃねーかって……」

 

 ギュッ──最後に強くレイジの腕を握って、カナタはゆっくり放す。もう彼を止めるものは無い。

 ただ最後に、胸に挿す花のように。戦う前に、持たせてやりたかった一言。

 

「アタシ、レイジに『にんげん』でいて欲しい」

 

 レイジの顔は、いつもどおりの岩盤めいた無表情だった。

 届かなかったかな。カナタは考える。レイジも黙って、何かを考えているようだった。

 

「カナタ。よく見てくれ」

 

 しばらくしてカナタと目を合わせた彼の表情が──ぐにゃっと歪んだ。あまりにもぎこちなく、不細工で、それでいて必死な顔。

 

「なんだ、そりゃ」

「笑ってみた」

 

 溺れているオカメインコみたいな表情だった。笑っているのかすら怪しい、不器用な笑顔だった。

 

「は──」

 

 周りをほとんど怪物に囲まれた状況で、声を上げてカナタは笑った。

 嫌味の無い、透き通った気持ちのいい笑い声だった。目尻に涙を浮かべて腹を抱える彼女の姿を見て安心したように、レイジが立ち上がる。

 その瞬間彼が浮かべていた微笑の自然さに、カナタは気づかなかった。

 

「帰ったら、俺の卵焼きを味見してくれないか」

 

 彼の言葉に、カナタはようやく笑いを止めた。

 レイジと彼女の間で交わすささやかな約束の一つ一つが、彼を”にんげん”に繋ぎとめて、きっと日常に帰してくれる。

 

「う、うん。なあ。ケガすんなよ。マジで、なるべく」

 

 頬が妙に熱かった。

 カナタはほっぺたを両側から押さえたポーズで、静かにレイジを見送る。

 

「努力する」

 

 そう言い終わる前に、レイジはジリジリ近づいてきた怪物の一体に飛び蹴りを食らわせた。

 スッポーンと気持ちがいいくらいの勢いで吹き飛んだ生首が、トンネルの壁面に当たって黒い花火を咲かせた。

 

 ■

 

 約束パワーはトンデモナイ威力を発揮した。

 死んだような目でキリエのサンドバッグになっていた時とは全てが違う。

 一対百。一対千。それだけの比率で棘皮人間が押し寄せてきても、彼の動きを鈍らせることは出来ない。

 

 レイジは強い。圧倒的だ。

 しかし彼がいくら怪物を薙ぎ倒しても、後から後から、黒い怪物たちがその倍の数となって押し寄せてくる。

 

「うらっ」

 

 いいから、安全なトコにいてくれないか──レイジがたまに目で訴えかけてくるが、カナタは働き者だ。

 つかず離れずの距離にいて、彼がトドメを刺し損ねた怪物の脳天に一撃入れて回る。腕の感覚は、すでに麻痺していた。

 

「いくらなんでも、数が多すぎんじゃねーの?」

 

 カナタもレイジも、黒い液体にまみれていた。

 

「このヘドロが(ミナモト)だろう」

 

 レイジの言葉に反応したように、通路を覆うヘドロがいっせいに波打った。

 呻くような音を立てていたヘドロの海から、やがてボコボコと丸いものが浮き上がってくる──棘皮人間の頭だ。

 

「げッ……」

 

 頭ができれば、次は腕。

 深淵の穴から這い上がるようにして現れる棘皮人間の群れを前に、カナタが息を呑む。

 

「初めて会った時を思い出すな」

「いきなりアタシの手のにおい嗅いできたときか。なんか、懐かしいな」

「……その(セツ)は、本当に……」

 

 カナタの意地悪な笑い声に背中を縮めながら、レイジは怪物の中に目を凝らした。

 この中のどこかにキリエを呑みこんだものが隠れている。

 あの破天荒教師が怪物の腹の中で大人しくしている理由がよく分からないが、とにかく彼女を見つけなければ。

 

 振るわれたカギ爪を、彼はパイプを使って受け止める。

 寸断されたパイプを両手に持って、目の前の怪物に突き刺す。そのまま力任せに持ち上げ、投げる。

 冗談みたいな勢いで飛んでいった怪物が、大群をなぎ倒す。

 床に倒れ、痙攣する怪物たちを無慈悲に踏み潰して後続の怪物が押し寄せてくる。彼らの足取りには悩みも、淀みもない。

 

「群れを操っているのがいる」

 

 口元のヘドロをぬぐいながら、レイジが呟く。

 あの日”つくり笑い”と”うそ泣き”が現れた瞬間のことをレイジは思い出した。

 棘皮人間たちの数と怪力は脅威だが、賢くは無い。

 それが二体の怪物の登場に合わせて動きを変えた。特別な客をもてなすように控え、ひれ伏す異様な光景が頭から離れなかった。

 

「じゃ、”うそ泣き”がそうだろうな」

 

 彼の背後では、常にカナタが群れに目を光らせている。

 病的な感情を顔面に貼り付けた”つくり笑い”、そして”うそ泣き”。

 滑り皮に一つ目を埋め込んだだけの怪物たちの中にあって、口を持つ二体の存在は特別なのだろう。

 それが自分に対して妙な執着を見せていることがどうにも気がかりだが──ひとまず、彼女はキリエを呑んだ”うそ泣き”の姿を探すことに専念する。

 

「ヤロー……どこに行きやがった……」

 

 暴力的なまでの数で殺到する棘皮人間の群れは、まるで黒い濁流だ。

 レイジという巨大な岩に守られているとはいえ、カナタも油断すれば濁流に飲まれかねなかった。

 ”うそ泣き”はいったいどこにいるのか。

 群れの中にまぎれたか、それともキリエを呑み込んだまま、施設のさらに奥を目指して去っていったのか。

 

 じわじわと足元の粘液が重くなっていく感覚がある。

 あの“うそ泣き”が、ただ消えたわけではない。

 この流れのどこかに、まだ潜んでいる──。

 

 そして、視界の端に何かが捉えられたその瞬間、カナタが目を見開いた。

 カナタの目には、常に流動し続ける怪物の中で、ぴたりと動かず立ち尽くすその姿が際立って見えた。

 

「いたぞ……アイツだ。隔壁(ドア)に向かってやがる!」

 

 彼女の指が群れの一点を指差した瞬間、レイジの周囲で、怪物たちの肉体が爆ぜるように砕けた。

 黒い血肉が舞う中から、筋肉の塊が飛び出した。

 パイプの槍を構えた彼の目は群れの最奥に佇む異様な存在を捉えている。

 

 ”うそ泣き”が静かにレイジを見据えていた。

 その腹は妊娠したように膨れ上がり、内側に収めた人間のシルエットが透けて見える。

 ビンゴ。キリエだ。

 

 怪物たちがいっせいに足を止める。”うそ泣き”が指示をしたのだろう。

 行く手をさえぎる棘皮人間たちが、迫り来るレイジに向かってカギ爪のついた豪腕を振り上げる。

 しかし勢いのついたレイジの前に立ちはだかるなど、暴走トラックに体を投げ出すのと同じくらい無謀だ。

 レイジの超質量に踏みしめられ、彼の足元の水が爆発するように弾ける。

 彼の突撃を阻めるものは存在しない。

 不遜にも筋肉大戦車の前に出たものたちは、一瞬で粉々にされた。

 レイジの足は一瞬たりとも立ち止まることなく百とも千とも知れぬ怪物たちを打ち砕く。怪物たちの血肉を真っ黒なリボンのように引きながら、彼は疾走する。

 

「シッ!」

 

 短く息を吐く音を残して、レイジが跳躍した。

 狙いは”うそ泣き”の十メートル手前、空を飛ぶ筋肉の塊をポカンと見上げている棘皮人間。

 

 ズシッ

 

 百キロ超のレイジが狙い通りソイツの頭に着地した瞬間、音を立てて首が胴体の中にめり込んだ。

 即死し、崩れ落ちる怪物を足場に、レイジがもう一度跳ぶ。今度の目的地は”うそ泣き”そのもの。彼女の首だ。

 

「もらった!」

 

 鉄パイプを空中で振りかぶり、彼の体は”うそ泣き”に吸い込まれるように向かっていく。

 

 ──しかし。

 

「む」

 

 レイジの背筋を、異様な殺気が駆け上った。

 その出所は怪物の群れではなく、この通路そのもの。

 黒いヘドロに覆われ脈動する左右の壁が生物のように身をよじり、膨れ上がる。

 

 それを目の当たりにしたレイジの判断は一瞬で、迷いが無かった。

 ターゲットを”うそ泣き”から、その取り巻きに切り替える。

 さっきと同じようにその体を足場にしてジャンプした。後ろへ。前は危険だ! 

 

 レイジが飛び退いた直後、ズヌン、と濁った音が響き、レイジの鼻先一ミリで黒い壁が閉塞する

 その正体は急速に膨張、隆起した両側の壁面だ。

 

「なんだと……?」

 

 黒い壁が、攻撃に巻き込まれた棘皮人間たちの血と肉片を絡めとり、ねばつく糸のように引きながらゆっくり開いていく。

 

 着地したポーズのまま呆気にとられるレイジの前で”うそ泣き”が背を向けた。

 巨大な腹をおっくうそうに抱えながら、施設の奥を目指して歩いていく。

 先は開いた隔壁だ。それが意味することを知って、カナタが鋭く声を飛ばした。

 

「まずい、そいつを止めろ!」

 

 その理由は分からずとも、彼女が焦るのなら、レイジはやる。

 レイジは鉄パイプを振りかぶり”うそ泣き”の背中に狙いを定め、投げる。

 

 パイプは銃弾の速度で鋭く風を切って突き進み────再び隆起した壁によって瞬時にプレスされ、ペチャンコの塊となってレイジの足元に転がった。

 

「なるほど」隔壁の向こう側に出て行く後姿を見送りながらレイジは呟いた。

 

 一見無防備に見える”うそ泣き”は、実際はその名の通り、計り知れない悪意を隠し持っていた。

 スカートのような膜の下から伸びて、水中を走る無数の黒い糸が見える。その繋がる先は、周囲の壁面だ。

 あの糸が触れたヘドロは、どこでも彼女の体の一部、ということなのだろう。

 

『施設内J-5にて深刻な汚染を検出。ロックダウン開始』

 

 怪物の体が隔壁の真下に差し掛かった瞬間、試合終了を告げるように無慈悲な合成音声が通路に響き渡った。

 

「しまった!」カナタの叫びとレイジの叫びが重なる。

 

 ヒトならざる怪物が隔壁を越えた瞬間、センサーに反応し、断頭台の刃のようなスピードで隔壁が閉じられた。

 

 

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