レイジの贈り物センスは最低最悪だ。
炎天下で死に掛けているところにモツ煮を差し出されたルリコは、それをよく理解しているはずだった。
そんな彼女が「フミオに手土産持ってって」と言ったのは、バカ男子二人への嫌がらせか。はたまた数少ない男友達をしっかり気遣えという意味だったのか──
とにかくレイジは頭を抱えることになった。
■
八百屋での三十分に渡る壮絶な頭脳戦の結果が、彼の背中で揺れていた。
ビニールで編まれたネットに収まったスイカは、マンホールの蓋代わりになりそうなほど巨大だ。
(フミオ、喜んでくれるといいが)
広い肩を揺らして歩く巨漢。目立つ。
彼のシャツの胸元は、凄まじい力で引っ張られたかのように千切れている。目立つ。
プラスアルファで鼻血と顎血のトッピング。目立つ。
異様な姿の大男が、月のように巨大なスイカを背負って歩けば、あっという間に道行く誰もが振り返る、最強無双の怪人物の出来上がりだ。
妖怪スイカ男は、蒸し暑い商店街をゆっくりゆっくり南に向かって進撃していった。
無数のドローンによって演出された分厚い雲が、彼の頭上に垂れ込めている。
雲の奥で、巨大な岩を転がすようなゴロゴロという音が鳴っている。
それは夕暮れから始まる夏祭り本番に向けて、徐々に激しさを増すドラムロールのように感じられた。
晴れる──これといった根拠はない。だが、レイジは確信している。
通りを行き交う人々は祭りの装いだ。
黒いアスファルトと白い浴衣。そこから覗いた細い足首のコントラストに目を焼かれながら、彼はずーっとカナタのことを考えていた。
(きっと、きれいだ)
レイジが背負ったスイカが、ブラリと大きく揺れる。
皮膚と一体化したセーラー服をどう始末するかは腕の見せ所だが、そこはプロだ。きっと、なんとかしてくれる。
カナタがどんな色の浴衣を選ぶのか。どんな髪型で、どんな顔をするのか──その時
どれだけ落ち着いて歩こうとしても、スニーカーに翼が生えたようだ。
しかし、暮酒店が近づくほど、彼の足取りは鈍っていく。
店の前に、ボロボロの毛布のようなものが丸まっていた。
レイジがもっと近づいていくと、どうやら人だ。西高のセーラー服らしきものを身に着けた少女が、膝に顔を埋めるようにしてうずくまっている。
何をどうしたらここまでひどいありさまになるのか、彼には分からない。
ジャリッ──目と鼻の先までやってきたレイジがアスファルトを鳴らすと、それがモソっと顔をのぞかせた
知った顔だ。
「あ……どもっス……」
「あの時のおっぱい……」
レイジが見下ろす先で、ボサボサの黒髪頭がガックリと揺れた。
「確かにあんたにとっちゃパイオツかもしんねースけど。名前で呼んで欲しいっス。
ルリコの妹は、猫のように大きなツリ目を冗談っぽく細めた。
短いスカートから覗く膝を抱きなおす腕は、黄褐色に汚れたガーゼにまみれている。
処置はありえないほど乱雑で適当だ。壊れた家電をテープで修理するような「こんなんでいっか」感が、小麦色の肌に食い込んだ絆創膏の隅から滲み出ている。
「ひどいもんだな」
「はは……カッコのことなら、お互い言いっこ無しじゃないスか?」
カサカサの唇を歪めるマリコの隣で、レイジはガラス戸の向こうに目を凝らす。いつも奥座敷で半ケツ出して横になっているブンタの姿が、今日は見えない。
「少し待ってくれ。知り合いの店だ。助けを呼ぶ」
「しまってるスよ」
酒屋の戸に手をかけるが、それは動かない。インターホンを鳴らして少し待っても、フミオやブンタが出てくる気配はない。
「ちょっと思うところあって、メイドさんに会いにきたんスけど。いなくて……」
マリコからは皮脂と汗と血が混じった、時折橋げたの下から漂ってくるような臭いがした。
スイカ男は振り返って、雑踏を見つめた。
数人の通行人が顔を伏せたのが見えた。酒屋の前にいる変質者二人に好奇の視線を向けはすれど、誰も関わろうとしない。
これだけ人がいて、これだけ明るい時間で、誰も──気づくと、レイジは破れた胸元を強く握り締めていた。
「大丈夫だ」
レイジは戸の前にしゃがみこんで、泥落としをはがした。
ピンクと緑のダイヤ模様のマットの下に、それは隠されていた。
「え、それ、鍵スか?」
マリコが目を丸くする。
以前何かの拍子に、フミオが冗談交じりにレイジに洩らしていた。『いざという時は、不法侵入してイイぞ』──と。
「ちょ、ちょっと、さすがにダメじゃないスか、そういうの!?」
「どうしようもなく困ったら頼っていい、と言われている」
レイジの手は、すでにカギをカギ穴に差し込んでいた。
「そういうのはオトモダチ同士でのコトじゃないスか……?」
「マリコは困ってないのか?」
いきなり名前を呼ばれて一瞬、マリコは固まった。
「そりゃ……メチャこまりこ……って感じッスけど」
彼女の囁くような返事に、レイジが勢い良く戸を開け放つ音が被さった。
吹き込んだ風でドアベル代わりの風鈴が鳴る。この状況には似つかわしくないほど、涼しげな音だった。
「フミオ! おやっさん!」
通りの外まで聞こえるような大声でレイジが呼びかけた。だが返事はない。
マリコとスイカをその場に残して、彼はズンズン奥に進んでいく。
店内は照明が落とされ、薄影に包まれている。かすかにうなる冷蔵庫から、レイジは一本のミネラルウォーターを取り出した。
「これを」
ここまでやって堂々しているレイジと、その手元のミネラルウォーター。
信じられない、という顔を向けてくるだけのマリコに水を押し付けて、彼は再び店の中に戻る。
そうしてカウンターの上に代金を置いて簡単なメモを残していると、彼の目の前を一匹の巨大な蛾がよぎった。
「虫……」
ミミズののたくったような字を記していたペンを投げ出したレイジは、卓越した反射神経で、蛾をパッと捕まえた。
茶色い蛾は何がなんだか分からずに、それでも力強く、彼の掌の中で羽を動かしている。
レイジは外に出て、それを放してやった。
昼間だというのに解き放たれた蛾は、日の光に一瞬戸惑うように彼の頭上をはたはたと旋回した後に、彼の黒髪に止まって羽を休める。
「うわ。きっちゃね」
「それほど汚いものでもないだろう」
丁寧に施錠してマットの下にカギを戻してから、レイジはマリコの元に戻った。彼女は渡したときのまま、ボトルを掴んでいた。
「すまん」
開ける気力すらなかったようだ。
そっと受け取って、フタをあける。その間、マリコは何も言わずにいた。
ほんの数週間前にあれほど小生意気に振舞っていた彼女がここまでひどく衰弱していることに、レイジはやるせなさを感じていた。
「最初はゆっくり飲んだほうがいい」
「あざス……」
干ばつさながらに乾燥してひび割れた唇を湿らすようにマリコが水を舐め始める。
メキョッ
突如として響き渡った音にマリコが力なく目をやると、レイジの手元で巨大なスイカが真っ二つに割れていた。
「ん」
皮にめり込んだ指を引き抜いて、彼が果汁の滴るかけらを渡してくる。
「えええ……」
ここまで、全部素手。
タネも仕掛けもないビックリ人間ショーをいきなり開催されて、さすがにマリコはちょっと引いていた。
それでも、彼女の手は自然にスイカを受け取っていた。それは数日振りに見る清潔な食事で、人間が食べるべきものだった。
「うまいっス。最後にスイカ食べたの、いつだったかな。忘れちゃったス」
汗っぽい男が割ったせいだろうか、心なしか塩気が効いた、甘い甘いスイカだった。
彼女に食べる元気が残されていたことに安心しながら、レイジも大きな欠片を手に持って、マリコの隣に座り込んだ。
彼のスイカに蛾が止まって、おずおずとストローを伸ばし始める。こちらにしても、数日振りに目にする水分なのだろう。
黒くて大きな複眼を見詰めるうちに、マリコは奇妙な親しみを覚えていた。
蛾は何も言わない。レイジも同じだ。
彼はマリコからこうなったわけを聞き出そうともせず、ただそこにいた。
下心バリバリで彼女に近づいてくる気の弱いオトナたちとは違う。しいて言うならルリコに似ていたが──彼の沈黙は無関心の表れではない。
“いて”と言ったら永遠にそこにいてくれるような。新鮮で、不思議と居心地のいい距離感だった。
日の光から逃げるようにマリコは足先を軒先の影に引き込む。
セミの声がする。果汁甘い香りが漂う日陰。蛾の羽ばたき。浅黒く染まったマリコの肘。
夏だった。どうしようもないほど。
「謝っとこうと思って」
皮までスイカをしゃぶり尽くしたマリコは、体液で染まったガーゼを掻きむしった。
「カナタ先輩にひでーこと言ったし。殴りあったし──いやまあ、先にパンチ食らわしてきたのは向こうなんスけど」
「カナタはものすごく顔が腫れていた。マリコは無事だったか」
「へへ。ウチ、見ての通り打たれ強いんで……」
トコトン笑えない自虐を吐くマリコを見ていて、レイジは自分の変化に気づいた。
どんな事情があっても、彼女はカナタを侮辱して、顔面を殴りつけた女だ。昔の彼ならそれで十分。マリコを通りの向こうまで殴り倒していただろう。
「ほら」
「ん。あざス」
レイジはスイカを砕いて手渡す。
今はただ、目の前で弱っている女の子に何かしてあげたいだけだった。
『それでいいの?』──と、胸の内でくすぶる憤怒が聞いてくる。それに灰をかけるように、彼はそっと頭を振った。
「ヘンだと思うかもスけど……カナタ先輩にブン殴られたの、嬉しかったなあ」
マリコはじゅるじゅると音を立ててスイカをすすった。
レイジは残りのスイカを割って差し出しながら、彼女の言葉をよく考えた。口が裂けても本人たちの前で言えないが、カナタやルリコは人をよく小突く。
それを不快に思ったことは記憶の限り、一度も無い。
「人を、殴るのには」
たどたどしく、レイジは言葉をつむいだ。
「いろいろ、種類があるはずだ。カナタのは……あまり痛くない。痛いが。痛くさせようってものじゃない。と思う」
「な、なあにいきなし、マジな顔しちゃって──」
冗談めかして軽くレイジの背中を叩こうとしたマリコは、分厚い背筋に手を置いたまま、動けなくなった。
「俺に遠慮しなくてもいい」
トン、とレイジの背を打ったマリコの手に蛾が止まる。
彼女はそれを払いのけようとはしなかった。指先に染み込んだ果汁を舐める蛾を、そっと見つめる。
「……あんな真正面から目を見てブン殴ってくる人、初めてだったんスよ」
蛾が、マリコの手から飛び立った。
「だって、相手が誰でも、目を覗き込むのってコワいじゃないスか」
レイジの頬を掠めて、大きな翼を力強くはためかせて、一匹の蛾はどこまでも昇っていく。
ドーム都市。偽りの空。そんなことを一匹の虫けらが知る由もなく、ひたすら懸命に雲の向こうの光を目指す。
「逃がさないほうが良かったかもスね」
マリコがスイカの種を飲み込んだ。
「弱って死んじゃうだけスよ。店の中にいた方が、長生きはできたかも」
「ああ──」
はるか天空のドームに触れる前に、蛾はフラっと揺れた。
まるで自分という存在で行くことができる限界を悟ったように、はためきながら降りてくる様子を、レイジはじっと見守った。
「──俺は勝手だな」
蛾は、裏路地にごちゃごちゃと積まれた看板やらトタンやらの間に紛れていって、二度と姿を現さなかった。
「でもウチ、その身勝手さに助けられちゃったんで」
マリコはスカートの埃を払って立ち上がった。
さっきまでの不安な曇り空はどこへやら、今となっては針で肌を突き刺すような日差しに、レイジは手のひらをかざした。
「もう少し休んでいくべきだ」
レイジはその場に座り込んだまま、マリコを見上げる。
「帰るス。おねえのために、ウチも身勝手してみようかなと」
「ルリコのこと、嫌いだったんじゃないのか?」
レイジの言葉に気を悪くするどころか、マリコは大きく頷いて見せた。
カンカンと照りつける真っ白な太陽を背負って、彼女は「にへ」と、かつてのように白い歯を見せてくる。
「ホントにただ、
その言葉とは裏腹に、彼女の笑みに屈託というものはまるで見えない。
カナタの全力顔面パンチは本当に彼女を変えてしまったようだ。
だが、その急な変わり様が、むしろレイジに危うさを覚えさせた。
明るい陽ほどすぐ翳るものだからだ。
「ママ……ううん。鬼ばばあを説得するス。おねえいじめるなって」
白いところまでかじりつくされたスイカの皮を、マリコはレイジに押し付けた。
「レイジさんはせいぜい応援しててくださいス。夏の終わりにはウチらの家、ちったあ良くなるかもしれないから」
「俺の名前」
「知ってるスよ。なんたって、事情通なんで。そんじゃ!」
マリコはその日一番の笑顔を残して、駆け出した。
レイジの手はむなしく空中をさまよい、あとには空になったボトルと、スイカの残骸だけが残された。