海の彼方で、カナタを想う   作:おぴゃん

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6.せんせいと生徒たち(4)

 見た目も口調も、キリエの面影は1ミクロンもない“母親”が、ルリコの手を引いて奥へと消えていく。

 

「ハタチで実家飛び出してそれッきり。じゃねーの?」

「そうですよ」

 

 母娘の会話もそこそこに、キリエは店の外のベンチにドッカリと腰を落ち着けた。

 猫背をまるめて懐を探っていた彼女は、すぐ何か思い出したように「クソ」と呟いて両手を放り出した。

 

「そういや今日は一度も酒飲んでねーじゃん。禁酒?」

「とりあえず控えとくかってカンジですね……私だってヤバい時くらいは自制しますよ」

 

 カナタは彼女の隣に腰掛けた。

 ショーウインドー越しに見える店内ではルリコが色々な浴衣の組み合わせを試している。

 キリエの母親は娘と大違いの話し上手だ。

 彼女が何か話しかけるたび、ルリコは口を大きく開けて笑った。いい意味で、そこにかつての面影は無い。

 意固地で頑固でキレてばかりの生徒会長は、もういなくなったのかもしれない。

 

本当(マジ)のオカンは死んだと思います」

 

 その様子をカナタと一緒に眺めていたキリエが言った。

 

彼女(アレ)は記憶を書き換えて家族ということにしている、アカの他人」

「他人?」

「キミだってウソの海水浴を楽しんだでしょ。この町の家族なんて、だいたいはそうやって作られたマガイモンですよ。ごくまれに例外はありますが──」

 

 キリエが遠い山を見るような目で見つめる先に、照れ笑いするルリコがいる。彼女の顔は、妹のマリコによく似ていた。

 

「とにかく、人類は減りすぎた。強制マッチングでもしないと、人らしさが保てないほどに」

「こんな平和な世界なのに?」

「平和なのはドームの中だけ。外は地獄ですよ」

「そんなにか」

「ええ。海を目指すなら、覚悟することです」

 

 眠気するほど穏やかな夏日の中で、キリエはあくびをした。黒々とくまの浮いた瞼が細められる。

 その向こうで、やはり彼女の目は遠くを見つめていた。

 

「そして、ドームの中でさえ……平和だって、心から思いますか?」

 

 浴衣選びはひと段落したようだ。カナタはヘアセット中のルリコと姿見越しに目が合った。お団子を結ってもらいながら、彼女は控えめに手を振ってよこす。

 

「どんな町にも地獄は潜む」

 

 妙に耳にこびりつくフレーズを、キリエが口にした。

 

「……どんな会社にも、どんな学校にも、どんな家庭にも……」

 

 キリエのうつろな視線が、町のあちこちを飛び回る。閉店したシャッターの隙間、溢れたゴミ箱の周りに積み重なった缶の山、捨てられて黒く染まったぬいぐるみ────暮れつつある町並みに、見えない影を数えるように。

 

「管理社会はクソですよ。だって、これだけ手を掛けて作ったユートピアでも、苦しむ子供はいなくならないんですから。だったら結局全部クソまみれってことじゃないですか」

「よくわかんねーけど、もういっぺんルリコの記憶を消して書き換えるのはダメなのかよ? んで、今度は幸せになれるような家族のトコに……」

 

 その言葉は最後まで続かなかった。

 シャリ、と音がした。ウロコの生え並んだ首筋を、カナタが思い切り引っかいた音だ。

 

「むつかしいですよね」

 

 キリエから返ってきた一言には、無限の苦悩がこめられていた。

 

 導かれたように、二人はレイジのことを思い浮かべていた。

 過去を失うということは、自分を失うということだ。もう戻ってこない『かつて』に苦しめられた彼は、苦しみというものすら理解できないまま血の海でもがき続けている。

 あの温度のない暗闇のような目がルリコにも宿るなんて、カナタは考えたくない。

 

「世界に、未来に価値はない。私は麻痺したい」

 

 キリエがブラウスの首元から引っ張り出したものが、チャリ、と音を立てた。

 戦争映画ではお決まりの小道具、二枚の認識票(ドッグタグ)だった。夕方の色を浮かべ始めた夕日が反射して、キリエの顔に真鍮の影が落ちる。

 

 キリエは目を細めながら、タグと一緒にブラ下げられていた小さな注射器を取り外し、そして躊躇無く首筋に突き刺した。シリンジの内部で混合されたガスによって青色の薬が一瞬で押し出される。

 一瞬酩酊したようになった彼女は、フラっと頭を揺らした。薬液の浸透で首の血管が青く輝いて見える。

 まるで、小さな子供の手が絡みついているようだった。

 

「あー……キク……」

「信じらんねえ。酒がダメならヤクかよ」

 

 ジロっと睨み付けてやるのが、カナタの精一杯だった。

 壊れかけじゃなかった。完全に壊れていた。こめかみをトントン叩くキリエを見ていると、その実感がどんどん強まる。

 震え始めた指先を、カナタはぎゅっと握り締めた。

 

「薄れてなくなる記憶(トラウマ)をセメントで無理やり固めるクスリです。やりすぎると脳みそガビガビになって廃人まっしぐら」

 

 キリエが、手鼻をかんだ。

 手のひらに赤くネバつく血が絡みつく。彼女はそれをアスファルトに擦り付けると、ブーツの底で乱暴に踏みにじった。

 

「過去は優しい。忘れるなんて、私にはできません」

「ふざけんな。やめろ、そんなん」

「はん。アル中に何期待してんだか」

 

 取り合おうとしないキリエを振り払うように、カナタは往来の様子に目を凝らした。

 西町全体が活気付いたようだった。

 たまに、屋台に使われる道具を満載した軽トラが、不機嫌なモーター音を立てて通り過ぎる。

 それを追いかけるように、浴衣を着た子供たちが目の前を走り抜けて行った。彼らが纏うお祭りのにおいがふわりと漂って、緩やかな風と共に二人の頭上で提灯を揺らす。

 

「祭りの会場、ご存知ですか?」

 

 ふいに、キリエが口を開いた。

 

「うらやま……だっけ?」

「合宿所、あるでしょ。グラウンド端のショボい建物。あの後ろの山がそうです。水神を奉るお祭りなんですよ」

「水神サマねえ」

 

 カナタの視線は、点々と吊られた提灯をたどって行く。はるか遠く、陽炎の中にボンヤリ浮かぶ高校の更に先。裏山の斜面にも、ぽつぽつ明かりが灯り始めていた。

 

「水漏れ、床下浸水、プールに映画館に、病院の怪物……なんつーか、水の神様ってヤツにアリガタミを感じねえよ。もっと気を引き締めて仕事してくれねえかな」

 

 頬杖をついて、カナタは物憂げだ。

 

「こないだは映画館の便所でビショ濡れ救命活動するハメになってさ。信じる?」

「おぞましいですね」

「マジで最悪だった」

「かくいう私も、水神とやらをワッショイするこの町の祭りはあんまり好きじゃありません」

「センセーも?」

 

 通りに落ちたキリエの影法師がコクリと頷いた。

 

「仕事してないんじゃなくて、もしかすると──」

「おーい。女同士で何話してるんですかー?」

 

 二人が遠くに視線を馳せていたところに、ルリコの声がかかった。

 

「おう、悪ィ。そっちは」

 

 カナタの言葉は、またまた最後まで出てこなかった。

 魂を揺さぶるような衝撃が、そこに立っていた。

 

「私を仲間はずれにしないでよね」

 

 いつも金欠で同じセーラーばかり着ているのを目にしていたので、声を掛けられなかったら、すぐに彼女と気づけなかったろう。

 白地に紫の朝顔があしらわれた、真新しい浴衣。

 彼女が浴衣のすそをつまんで、二人の前で軽く回った。なんてことない動作のはずなのに、それだけで可憐さに言葉を奪われる。

 

「似合う?」

 

 いつもは「カワイイでしょ。知ってんだから」と言うところを、彼女は少し恐れるように、感想を聞いてきた。

 

「オラびっくらこいただ……」

 

 キリエが呆然と呟いた。

 洞窟から出てきた原始人が、生まれて初めて火を見たときのような顔をしていた。アルコールも、薬物も、どうでも良くなるくらいの衝撃が、ルリコの浴衣姿に秘められていた。

 

「ああ……すげえよ……ルリコ……店の中で二歳くらい大人になった?」

「ふ、ふふん。正直、自分でもビックリ」

 

 しばらく楽しそうにショーウインドーのまえでくるくる回っていたルリコは手を伸ばして、カナタを捕まえた。

 

「さあホラ、今度はアンタの番よ」

「い、いいよやっぱり。アタシに浴衣は似合わねえって」

「何言ってんですか。バシっと着付けてもらって、レイジくんアっと言わせるんでしょ」

「はァ!? なんでそこでレイジの名前が……」

 

 懸命に踏ん張るカナタと、それを引っ張って店の中に連れ込もうとする二人。イヤだイヤだ恥ずいムリだと言いながら、彼女の体はジワリジワリと動いていく。

 

「あ?」

 

 ふと通りの向こう側を見たカナタが声を上げた。

 ルリコたちもその視線を追って──その女子生徒を見つけた。

 黒髪の、猫のように目の大きな少女が、路地の入り口から半分体を覗かせるようにして彼女たちを見ていたのだ。

 

「おい! マリコ、こっちだ! オマエのねーちゃん、マジですごいぞ!」

「ちょっと、やめなさいったら」

 

 急に雲行きが変わったように、ルリコが不機嫌になってカナタの腕を押さえた。

 マリコがビクリと肩を跳ね上げたのが見えた。気付かれるとは思っていなかったのかもしれない。ちょうど人通りが途絶えたタイミングで、予想より大きく声が響いたせいかもしれない。

 

「あ、マリコ……!?」

 

 何度もコケそうになりながら駆けて行くマリコを、カナタは見送る。

 

「避けられてんじゃない。アンタ、あいつのことブン殴ったし」

「そう、かな……」

 

 言われてみれば確かにそうだが、カナタはちょっぴり寂しい。マリコとの一件は、あのガチンコファイトで片付いたつもりでいた。

 どこか気の抜けたムードで、二人は首をひねる。

 その一方で、キリエの顔は険しい。背の高い彼女の瞳が、薄緑の燐光を発している。ひどく薄汚れたマリコの姿が、彼女にはハッキリと見えていた。

 

「イヤな感じがしやがりますね」

「先生、考えすぎ」

 

 ルリコは最後まで、マリコの姿すら視界に入れようとはしなかった。

 

 ■

 

「恥を知れ」

 

 ルリコが、鳥居の下に現れたレイジを見るなり言い放った。

 

「だ、だが、俺のシャツは先生に破られて……」

「シャツだったらオッケーもらえるとでも?」

 

 難しい顔で頭をかく彼の格好は、学校指定のイモジャーに黒のタンクトップ一枚。色とりどりの浴衣を着た人々で溢れている中に、ゴリラが一頭迷い込んだようだった。

 

「正気疑うわ。祭りよ。しかもこちとらガチで浴衣選んできたのに。アンタにはガッカリよ。ほんと、ガッカリ」

 

 口ごもるレイジの前で、ルリコは腕を組む。

 甚平──いや、いっそ藍染の手ぬぐい一枚引っ掛けてきてくれれば、彼女は笑って済ませてやるつもりだった。

 だというのに彼はつくづく期待を裏切らない。

 

『最悪な方向に予想を裏切るという期待』を、だが。

 

「ねえカナタ、こいつ見てよ!」

 

 ルリコが声を張り上げると、鳥居の陰でこそこそしていた人影が、ばつが悪そうに身を乗り出した。

 

「アンタのお待ちかね、すんごいラフなカッコで来ちゃったわよ〜!」

 

「待ちかねてねえよ」

「うおっ……」

 

 サンダルを履いた白い足が見えた瞬間、レイジの頭から謝罪も言い訳も全部吹っ飛んだ。

 浴衣の地色は薄月夜のような群青だった。

 深く沈んだ色合いが、その上に咲き誇る牡丹と、カナタの素肌の白さを引き立てている。

 

「こいつ、うおって言った……」

 

 少し赤くなった頬を膨らませて、カナタがプイとそっぽを向いた。

 ぷいっとそっぽを向いたカナタの頬は、ほんのり赤い。

 彼女のくせっ毛はふわりとサイドポニーにまとめられ、夕暮れの赤提灯の光をうっすらまとっている。

 まるで、祭りの夜に咲いた一輪の花のようだった。

 

「いや、違うんだ。すごく、似合って……」

 

 喉が詰まって、うまく言葉が出てこない。

 ただ一つだけはっきりしていたのは、いま目の前にいる彼女が、息が詰まるほど綺麗だったということだ。

 

「ほらカナタ、しっかり歩く!」

 

 大変身を遂げたカナタ。変わらないのは立ち振る舞いだけだ。

 いつものようにハイパー無頓着な大股で歩き出そうとしたカナタを、ルリコが鋭く制止した。

 

「……ンだよ。服に着られたらおしまいじゃんか……」

「グダグダ言ってんじゃないの。いいもの貸してもらったんだから、しっかり着こなして、バッチリカッコつけなさい!」

 

 ふと、風が金魚すくいの水音をさらっていった。

 にぎやかな囃子が響く中、レイジには、なぜかカナタの香りだけが、やけに近くに感じられる。

 音は遠く、匂いは近い──それだけで、胸がざわついた。

 

「ジロジロ……見んなよ…………」

 

 さっきから何も言わないレイジにジっと見つめ続けられ、カナタはどんどん居心地悪くなっていく。

 

「似合ってねえだろ。やっぱアタシ、いつもの制服で──」

「きれいだ」

「へあ」

 

 今度はカナタが固まる番だった。

 

「いつもきれいだけど……今日は特別で……宝石みたいだ。……なんというか、生きててよかったって思うくらい」

「あはっ、はーずかしいコト言っちゃってぇ」

 

 声を上げて囃し立てるルリコも、心なしかうれしそうだ。

 そしてベタ褒めされたカナタはつま先からおでこまで真っ赤だった。もともと透けるような白色なのもあって、まるでトマトのようだ。

 

「浴衣、似合ってる。うん、いい」

「なななな、何でオマエが生きててよかったってなるんだ! ル、ル、ルリコ、なんかツッコめよ!?」

「えー? 邪魔したら悪いでしょ~?」

 

 カナタに援護要請されても、ルリコはニヤニヤ笑うだけだった。

 

「こっ、こいつ、アタシに似合ってるって言った! なあ、キレイって言いやがったよな!?」

「そりゃ似合ってたら似合うって言うでしょ。何が悪いのよ」

「アタシ、こんなホメられるなんて思ってなくて……!」

「よかったじゃん。これで慣れることね。で──」

 

 つかつかとレイジに向かって歩いていったルリコが、彼の襟元をつかんで、引き寄せる。

 

「────私は?」

 

 いつもレイジやフミオのバカを笑っている時とも、度の過ぎた行いを叱る時とも違う顔で、ルリコは笑っている。

 

「こっちはまだ、一言ももらってないんですけど?」

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