海の彼方で、カナタを想う   作:おぴゃん

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6.せんせいと生徒たち(7)

「ああそっか。神社の息子だものね」

 

『巫女』に向けてルリコが控えめに手を振った。

 舞台上のザワちんが袖をはためかせるたび、篝火が煽り立てられる。

 彼は槍のように構えた松明で、何度も何度も、『水神様』を突き刺すように、張子の輪郭をなぞって動く。

 その動きが、クライマックスが近いことをカナタに予感させた。

 

「すっげえ! ザワちんすげえ! ……前から女のコみてーだとは思ってたけど……!」

 

 カナタの歓声に後押しされたように、舞いのキレが増す。

 炎の熱と舞の陶酔に包まれ、ザワちんの装束は汗でびっしょりと濡れていた。

 張り付いた布越しに素肌の色が透け、学校では見せたことのない妖艶さを纏っている。

 

 彼が止まった瞬間、囃し立てる太鼓も、ピタリと音を止める。

 舞台に残るのは、肩で荒く息をつくザワちんと、『水神様』の張子だけ。藪の鈴虫ですら声を潜め、ごうごうと盛る篝火の音だけが本殿を満たしていた。

 彼の足が確たる足取りで『水神様』に向かって歩み出す。

 

 その瞬間──ドンッ。

 爆ぜるような太鼓の一打が空気を振るわせた。

 

 カナタたち参加者たちは息を呑む。

 ザワちんは燃え盛る灯火を高く振り上げた。

 その動きに呼応するように、太鼓が刻むリズムは加速していく。

 彼の細腕が宙に半円を描く。火勢を増した松明が、頭上に火の粉を降らせた。

 ──誰も、瞬きひとつしない。

 

 いま、この舞台に足を踏み入れるものがあれば、必ず断ち切られる。

 そんな錯覚さえ覚えるほど、彼の動きは研ぎ澄まされていた。

 

 一瞬。病弱な一人の男が、一本の槍と化す。

 天頂を突き刺すように振り上げた松明を刃と見まがうほどに。

 太鼓が生み出す振動は、観客の胸を貫いて心臓の鼓動と一体化する。

 どこまでもどこまでも上り詰めていくような高揚の中で、すべての視線は、天に向けられた炎の先端一点に集められていた。

 

 ボウッ

 

 空気の中に張り詰めた糸を断ち切るようにザワちんが松明を振り下ろした。

 夜空に炎の輪を描きながら、燃え盛る槍は『水神様』の背を突き破った。

 次の瞬間、詰め込まれていた無数の紙札が一斉に燃え上がる。火柱が立ち、宙に舞った火の粉が星のように降り注ぐ。

 

 そして、ようやく控えめな拍手があがった。

 

 巨大な腕で押さえつけられたように、ザワちんの両肩が大きく沈んだ。

 まるで、自分の持てる何もかもを絞りつくして、目の前の炎に投げ込んだようだった。

 汗で前髪を張り付かせて呆然とする彼を見て、カナタは悟る──これで奉納演舞は終わったのだ。

 

「カミサマを燃やしちまうのか」

 

 炎の中で張子が生きたように身をよじる。

 その動きを見ていて、カナタはようやく『水神様』が巨大なクジラを模したものだと気づいた。

 が、そんな気づきが実感となるよりも早く、神の体は業火の中で灰となり、夜空に舞い上がっていく。

 

「何度見ても胸がすく瞬間ですねえ。燃えろ燃えろ。全部燃えちまえ」

 

 キリエの声には覇気がない。

 経文のように呟く言葉からは実感が感じられず、舞台から伝わってくる火照りでさえ、死体の色をした彼女の頬に血色を取り戻すことは出来ない。

 そっと彼女を見上げるカナタをよそに、『水神様』は燃え尽きていく。

 炎の勢いは絶えることを知らず、それを支えていた土台にも広がっていく。

 遠く離れていても肌をあぶるほどの熱に誘われたように、参加者の列から一人の男が歩み出た。

 この熱帯夜にミリタリー風のジャケットに袖を通した、訓練された猟犬を思わせるいかめしい顔つきの男だった。

 彼が呼び水になったように、ほかの者たちも一人、また一人とロウソクを手に、炎に歩み寄っていく。

 

「さ。ここからは私たちが主役です」

 

 風が吹くと、ごう、と音を立てて炎が燃え上がる。

 

「おわっ」

「おっと。ヤケドしないように」

 

 そう言ってカナタから火を遮ったのは、白衣に包まれた腕だった。彼女が見上げた先で、メガネを掛けた初老の男がやわらかく笑う。

 

「あんがと……おじさん」

 

 軽く一礼して去っていく彼の手には、火の点いたろうそくが握られていた。

 改めてカナタが本殿を見回すと、この場にいる人々の顔ぶれは、どうにも『西町らしくない』と思わせる。

 それは鍛え上げられた肉体や服装にも現れていたが──なにより顔つきが違う。

 カナタたち西町の住人が90年代の人間だとするなら、彼らは別の歴史を知るものたちだ。

 途方も無く凄惨な災害を切り抜けてきた者だけが纏える影が、彼らの顔に落ちている。

 

「彼らは『外殻』で暮らす防衛局の人間です」

 

 熱を帯びた空気の中で、キリエの声だけが冷え冷えとしていた。

 

「原則関わらないのがルールですが、今日は別。とても大事な日なので」

「外殻? 防衛局?」

 

 小旅行で記憶を消されたままのルリコが聞き返した。そんな彼女にキリエはあいまいな微笑を見せるだけだ。

 熱と炎に圧倒される生徒たちの前で、彼女はろうそくを握った左手を無造作に火中に突っ込む。

 

 ぱちり、と小さな爆ぜる音。

 

「先生ッ!」と、ルリコが口にしたが、それっきりだった。

 どんどん台座が燃え尽きていく前で、キリエの皮膚には焦げ跡すらつかない。炎の中で陶器のように輝く左手を、彼女は眉一つ動かさずに見つめていた。

 

「安心してください。言ったでしょ、スジガネ入りだって」

 

 そう言って彼女が取り出したろうそく──というか、黒いグローブそのものが火に包まれていた。

 教え子たちは顔を見合わせる。

 誰ともなく手を伸ばし、その奇妙な炎から自分たちのろうそくに火を移した。

 

「なあ、キリちゃん」

「なんです」

「本当は、この瞬間のためのお祭りなんだろ」

 

 ほとんど独り言のようにカナタが漏らすと、キリエの大きな影が石畳の上で揺れた。

 

「演舞とかカミサマとか、ぶっちゃけどうでもよくって……今こうして、ローソクに火をつけるのが、大事なんじゃないかな」

 

 夏夜の風が吹いて、火を揺らす。彼女の瞳の中の青色も、漁火に照らされた水面さながらに光を帯びていた。

 

「なんだか……ちょっと、寂しいな」

「じゃあ。祈ってみますか」

 

 返ってきたのは、イエスでもノーでもなかった。

 キリエに促されるままに、カナタはしゃがみこむ。石畳にロウを垂らし、その上にろうそくを立てる。

 少し傾いた火の上で手を合わせると、指の隙間に小さな太陽を抱えたような温もりが広がる。

 外殻だの祭りの真相だの──キリエたちの話は分からずじまいだったが、ルリコもカナタの隣で、静かに目を閉じようとした。

 

「せんせ……」

 

 キリエが組んだ手が震えていた。それを今日の体調不良のせいと片付けても良かったが──ルリコはそっと、彼女の背中に触れる。

 厳かな静寂がしばらく続いた。

 

「あれえ!?」

 

 その静寂を打ち破ったのは、カナタの声だった。

 

「ルリコ、隣、隣!」

「ん、なあに?」

 

 ゆっくり振り向いたルリコが、目をむく。

 物言わぬ岩のような男が、本当に何も言わずに消え去っていた。忽然と、手品のように。

 

「レ……あのでかぶつ、ちょっと目を離した隙に!?」

「さっき、縁日のほうに降りていきましたね」

 

 こともなげにキリエが言う。

 

「なんだとう。アイツ、一人で楽しむ気だぞ!」

「追うわよ、カナタ!」

「あたぼうよ!」

 

 答えるなり、カナタの手をパっとルリコがつかんだ。

 

「うわっ、ちょっ、早い早い! そしてあぶねえ!」

 

 カナタを引きずって駆け出したルリコは、あっという間に本殿から走り去った。

 彼女たちが巻き起こした風がろうそくの火を揺らす中に、キリエはポツンと立ち尽くす。

 取り残された彼女は胸元から銀のスキットルを取り出し──口をつけず、ただ握り締めた。

 

 ■

 

「ささささっき浴衣で走るなって……!」

「だまらっしゃい、私は生徒会長よ!」

 

 ルリコと一緒に最後の一段まで駆け下りる間、カナタは生きた心地がしなかった。

 真っ暗な急斜面を下る間に味わったスリルと耳元で渦を巻く風の凶悪な風切り音が、今でも鼓膜にこびりついている。

 心臓バクバクの彼女に目もくれず、ルリコは縁日に集まった人波の中に目を凝らした。

 

「っかしいわねえ……」

 

 あのでくのぼうが見当たらない。ランドマーク同然の巨体が、どこにもいない。

 

「くそレイジ、どこ行っちゃったのよ。もう」

「あわっ」

 

 ぐん、とカナタは手を引っ張られる。

 堅物だった生徒会長が、まるでヤンチャな大型犬だ。

 

「たっ──楽しそうじゃんか、ずいぶん!」

「まあね!」

 

 ルリコが雑踏を掻き分けて突き進む。

 提灯が投げかける橙。無数にはためく浴衣の袖たちはヒレのようだ。

 呼び込みの声と少女たちの談笑。焦げ付く粉モノとソースの香りに、アルコールと塩素と水のカクテル。

 五感を圧倒するほどの極彩色の中で、めまぐるしく光と闇とがうつろう。

 

(アタシ、どこに流れつくんだろな……)

 

 今のカナタは、一匹の金魚だった。

 大きなうねりに押し流されて、どこかに向かっていく。縁日の作り出す万華鏡の中で、その行き先はようとして知れない。

 不安と期待と希望と恐怖。

 底知れない海に向かって崖から飛び込むときのような、加速に身を任せる。

 

「私、もうアンタらに心配されるほど弱くないから!」

 

 きっと、笑ってるんだろうな──振り返りもせずにずんずん進んでいくルリコを見ながらカナタは思った。

 ルリコは弱くない。そのとおりだ。

 カナタがしたことと言えば、軽くはずみをつけただけだ。

 それだけでルリコは目を覚まして、あれほど縋っていた『ママ』を切り捨てることを決断した。

 自分で選んで、自分で進む。ルリコは強い。自分で気づいてないだけで。

 

「人生を取り戻す。楽しいこといっぱいする」

 

 ルリコの頭で、結ってもらったお団子が軽やかに弾んでいる。

 

「ごはんもたっくさん食べて──元気になってやるんだから!」

「そっか」

 

 カナタは目を細めた。

 ルリコ。この町にやってきて、初めて握手を求めてきたトモダチ。彼女が抱いた決意は太陽のようにきらめいて、眩しかった。

 

「いたわよ!」

 

 ルリコが声を上げた。

 

「ほんとうだ、あんにゃろ!」

 

 流れの終点──レイジは、くたびれた屋台の前にしゃがみこんでいた。

 その大きな背中を丸めるようにして中を覗き込んでいたせいで、見つけるのが遅くなったようだ。

 おいてけぼりにされた怒りもあって、勢いよく駆け寄った二人は、彼のタンクトップを両側からグイグイ引っ張る。

 

「う……あ……もう、来たのか……?」

 

 布地をピチピチにして胸板の肩を浮き上がらせながら、彼は気まずそうに二人を見下ろす。

 彼の手には一丁の空気銃が握られていた。

 

「なによでかい図体のクセにコソコソしちゃって」

「まるでアタシたちに見つかったら都合ワリーみてえだな」

 

 カナタとルリコが息を合わせて「ねー」と言い合う。

 気まずさで顔をそむけたレイジは、逃げるように再び屋台に向き直った。

 

「アンタ、こんなオモチャがほしいワケ?」

 

 と、ルリコは言う。

 たしかに、ひな壇に並べられた景品たちは縁日という場に相応のものだ。駄菓子の箱だったり、どこ製とも知れぬチープなエアガンだったり──

 それでも祭りの熱気と白熱灯の下では光り輝いて、ずっと上等に映る。

 

「これは俺の戦いなんだ」

「あたま大丈夫かオマエ」

 

 レイジの目つきは、まるで獲物を見つけた鷹のような凄みを宿している。

 これから一世一代の大勝負でも始めるような意気の込め方に、カナタとルリコはもはや茶々を入れる余地を見つけられず、ただ、成り行きを見守るしかない。

 

「俺は鍛えている。とくに広背筋(せなかのほう)僧帽筋(かたのあたり)を」

 

 どこから来るのかわからない自信を胸に、レイジは銃を構える。

 その手があまりにも大きく、片手で銃を持つ姿は、まるで荒野を渡る孤高の賞金稼ぎだった。

 白熱灯の下、場末の射的屋はいつしか、真昼(ハイ・ヌーン)の灼熱に焼かれた西部劇の舞台へと化す。

 店のオヤジも彼の迫力に飲まれ、自然と頬を流れる汗をタオルでぬぐった。

 

「一発で終わりにする──いくぞ!」

 

 

 ポンコ。

 

 

 あさっての方向に飛んだ玉が、暗幕の上ではじけて間抜けな音を立てた。

 

「あっ」

 

 カナタが小さく声を漏らし、肩を震わせながらぷいと横を向いた。

 唇は必死に笑いをこらえて、小刻みに震えている。

 

 

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