海の彼方で、カナタを想う   作:おぴゃん

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6.せんせいと生徒たち(8)

「レイジ……オマエって……」

 

 カナタが見守る前で、彼はガックリ膝をついた。

 彼の射的センスは終わっていた。

 ドッシリと構え、一ミリたりともブレない銃口から放たれる弾は、どういうわけか一発たりともまっすぐに飛ばなかった。

 コルク弾は右へ、左へ、カナタの頬をかすめ、オヤジの眉間を直撃し、手元に落ち──

 もはや物理法則を無視してるとしか思えないヤンチャな射撃を繰り返すうちに、気づけば所持金も残弾も尽きていた。

 

「う……ぐ…………」

 

 そうしてレイジの心はへし折られたのだった。

 四つんばいになった彼の気持ちを代弁するように、彼のサイフがあんぐりと口を開いている。中身はカラッポだ。

 見るに見かねて、カナタが一歩前に出る。

 

「なあ。アタシが代わっていいか」

「ダメだ」

 

 がまぐちを握って屋台に近づくカナタの前に、太い腕が下ろされた。

 基本的に彼女の意思を全面的に尊重するレイジが、確たる意思を秘めて道を阻んできた。こんなこと、そうそうない。

 

「あ? なんで?」

 

 レイジは、何も言わない。巨大な置物のようにその場で鎮座したまま、屋台に並べられた景品たちをじいっと見つめていた。

 

「おーやおやあ。困ってるみたいですねえ」

 

 カナタの背中にしなだれかかるように、大柄な教師が現れた。

 

「うわ! なんだよ、キリちゃん!」

「あー、この子の頭いいにおいするわ……」

 

 キリエだった。

 今になって追いついてきた彼女は、カナタの頭に顎を乗せたまま話す。

 迷惑そうにする彼女にくっついたままのキリエからは、相変わらず場末の便所のようなアンモニア臭が漂っている。

 

「先生。それ、セクがハラですよ」

「なあに言ってんですか生徒会長! 愛ですよ、愛!」

「愛でも生徒におさわりはダメだつってんでしょうが」

 

 ルリコに向こうずねを蹴りまくられながら、キリエはそれでもカナタから離れようとしない。まるで「シンドバッドの冒険」に出てくるおんぶオバケだ。

 嫌がって体をゆするカナタと一緒になってあっちへこっちへフラフラしながら、キリエは笑っている。

 しかし、相変わらず調子は悪そうだ。

 縁日を彩る無数の白熱灯の下で、こけた頬の陰影が強調されている。電灯の放つ熱で、その体がゆっくり溶け出しているようにすら見えた。

 

「レイジくんの射的があまりにヘタクソなのでね。いやあ、私、本殿でくたばってようと思ったのに」

 

 彼女は背骨をボキボキ鳴らしてストレッチする。しわくちゃのブラウスの上で踊るモジャ髪を、レイジがうさんくさそーに見つめている。

 

「わたくし、何を隠そう射的は大の得意なので。ええ、フカシとかじゃなくって。マジ、本当に」

 

 彼女がレイジに手招きする。銃をよこせ──ということだ。

 

「イヤです」

 

 しかし、今日の彼はいつもと様子が違う。鍛え上げられた両腕で、銃を抱く。断固拒否の姿勢だ。

 

「これだけは譲りません。たとえ師匠に言われても」

「あらら。珍しく頑なですねー。でもダメー」

「あぁっ!?」

 

 むなしい抵抗だった。

 レイジの腕力をも上回る怪力が、たやすく銃をもぎ取っていった。

「ふむ」と漏らしながら、キリエが銃を検分する。

 たかが空気銃を本物にするようにくるくる回し、銃口からバレル、申し訳程度に取り付けられたストックに至るまでしっかりとチェック。

 何かの納得がいったように「ふうむ」ともう一度うなると、彼女はその場にしゃがんだ。

 

「先生!? 先生、マジでやめてよ! イカれてんの!?」

 

 ルリコが悲鳴を上げた。

 キリエは尻をぺったり地面にくっつけ、片膝をスタンド代わりに、ヒジと肩で銃を固定する。

 かなり堂に入った構えだ。そのままスクリーンに放り込んだとしても、戦争映画の狙撃手としていい活躍ができるだろう。が──ここは夏祭りのド真ん中。

 

「かあさん、あのひと、かっこいい人だよ」

「やめなさい! 刺激しないで!」

 

 当然キリエは目立ちまくった。

 

「いいオトナなんだから……ちょっと……」

 

 居づらくなったルリコが、レイジの影に隠れる。しかし、あまり意味はない。

 置物のように座り込んだ異臭を放つ2メートルの美女に、いまや縁日じゅうの視線が釘付けだ。全方位から注がれる視線を逃れる術などあろうはずも無い。

 

「ダメですよ生徒会長! 恥ずかしがってちゃ公園で生きてけませんよォ!」

「うっさいわねえ! 私のホームレス生活とアンタの射的と、なんの関係があんのよ!」

 

 キリエが張り上げた大声が、あたり一面に響き渡る。彼女はおそらく、これからずっと西町涼水祭の怪人として語り継がれていくのだろう。

 

「このキリちゃんにかかれば嵐の中でも百発百中。さあさあバカな元弟子よ。欲しいもの言ってごらん。おねいちゃんがなんだって獲って差し上げますよい」

「ヤです。けっこうです」

 

 やたらと高いキリエのテンションを断ち切るように、レイジがかぶりを振った。しかし、不良教師の暴走は、そのくらいでは止まらない。

 

「ほおーん……じゃ、いいです。先生、片っ端から行くんで。おっちゃん、ゴメンねー」

 

 彼女はパーフェクトゲームで勝つ気のようだ。手ぬぐいを肩にひっかけた店主はというと、次から次へとやってくる珍客に、肩をすくめて見せただけ。

 品定めするように、キリエの構える銃口が景品たちをなぞっていく。

 

「じゃあまずは……そうですねえ……一番下の段の……あのブレスレットを──」

「キリエ先生それはッ!!」

「あ?」

 

 カナタが首をかしげた。

 いきなり大声を張り上げたレイジは、いつになく必死の形相だ。

 

「おやおやー、なーんか、キリちゃん分かってきちゃいましたよー」

 

 キリエはニヨニヨ笑っている。

 何が「わかった」のか──カナタには分からない。

 だがレイジにその言葉はとことん効くようだ。彼はわたわたと腕を振り回す。しかし、その手は宙を掻くばかりで、キリエに触れることをためらっているようだ。

 師弟の実力差は圧倒的だ。ホンキを出して奪還作戦に乗り出したところで銃が返ってくることはないと、理解しているのだろう。

 

「くくく、この私がキミたちのお祭りを盛り立ててやろうってんだ……」

 

 よこしまな笑みを浮かべたキリエが、引き金に指をかける。

 大騒ぎを始めた奇人たちを見つけて、ギャラリーがゾロゾロと結集してきていた。

 

「……なにあのでかい人」

「いい大人が、あそこまでして欲しいモンがあるのかね」

「あの人、ヒーローか何かなの?」

「ヒーローはあんな顔色してないわよ」

 

 ほとんど誹謗中傷みたいなざわめきもどこ吹く風。

 周囲から押し寄せるプレッシャーをものともせず、キリエは微動だにしない。

 動きらしい動きといえば、とことん愉快そうに吊り上がっていく彼女の口元だけだ。

 

「レイジくん! いきますよ! あははははは!」

「先生! 師匠、お願いですからやめてください!」

「獲ったモン見るたびに私の顔を思い出して────」

 

 高笑いしていたキリエの声が、ピタっと止まった。

 

「先生、どうしたの?」

「うぷっ」

 

 ルリコが眉根を寄せる。彼女が見つめる前で、数秒前までキレイに決まっていたキリエのポーズが、ぐにゃぐにゃと崩れていく。

 

「思いだ、おもおもおも……ぐるぐるするぅ……」

 

 ギャラリーにどよめきが走る。

 何事かと見守る人々の前でガクガクと全身を震わせながら、キリエはそのまま立ち上がると、

 

「ふう……いい仕事したぜ……うおえっ……ほんじゃ後、託しますんで……」

 

 軽くえずいて、彼女はレイジに銃を押し付けた。

 結局一発も撃つことが無かった電柱女は、そのまま幽霊のようなおぼつかない足取りで立ち去った。

 ついさっきまで演舞が行われていた本殿の方向に、逆戻りしていく。

 

「酔っ払いって、肝心なトコで役にたたないわね」

「セミみたいに短い命だったな」

 

 本人がいなくなったのをいいことに、ルリコとカナタは言いたい放題だ。

 集まった人々があきれ返っている間に、レイジはスニーカーを脱ぐ。靴底に隠してあったへそくりの一万円札を台に叩きつける音が、大きく響いた。

 

 ■

 

 それから数分後、レイジは正真正銘のスカンピンになった。

 タンクトップの胸元に吹き寄せる夜の風が、妙に冷たく感じる。

 失意のままあてども無く彷徨い始めたレイジに続く形で、学生たちはブラブラと縁日を練り歩く。

 

「おかしい。銃に細工があるとしか思えん……」

「アタシに任せりゃよかったのに。ルリコのイコジがうつったんじゃねーの?」

 

 あれから結局、彼は一秒たりとも銃を手放さなかった。

 両目開けて撃つし。カナタが銃を貸せよと言っても、俺がやらないと意味が無いだの分けの分からない理屈をこねるばかりだった。

 

「アンタ、けっきょく何が欲しかったの?」

 

 ぺちぺちとレイジの背を叩くカナタの横から、ルリコが聞いてくる。

 

「その…………一番、上にあった、エアガン。を……」

 

 レイジの返事は歯切れが悪い。

 適当にはぐらかしているように感じたが、彼はヘタクソすぎた。彼の奮闘を近くで見守っていたルリコにさえ、いったい何を狙っているのか分からないほどに。

 

「ふん。ガキンチョじゃねえかよ。エアガンなんて、アタシが取ってやるのにさ」

「ああいうのって台にくっつけてあるんじゃない?」

「そんなコトねえって。グラついてんの見えたもん」

 

 レイジはちらりと振り返る。

 カナタは頭の後ろで手を組んで、ぶつくさ言っているところだった。サラサラと流れる白髪の合間に、真珠色のウロコで覆われた手首が見える。

 口惜しい──結局取れなかった景品のことを思い出しながら、彼は唇を噛んだ。

 

「あ? 何見てんだよ」

 

 銃に触れさせてもらえず、傾いたご機嫌が直らないままのカナタが睨んでくる。

 レイジはうつむいた。

 

(あれ、似合うと思うんだが)

 

 もう少しだけゲームを続けられたら、きっとあの景品を撃ち落とせる。だが、悲しいことに残弾は尽きた。

 金を無心しようにもルリコは所持金三百円。おサイフ役を買って出たキリエもどこかに消えてしまって、姿が見えない。

 

「カネならアタシが出すのに」

「そうもいかん」

「ねー、アンタ、どこ向かってるの?」

 

 そんなルリコの言葉に返す気力もないほど、彼は途方に暮れていた。そのときだ。

 

「お──おお! 渡りにフネたあこのコトだぜえ!」

 

 近くの屋台から、よく聞き覚えた暑苦しい声がかかった。

 

「あ、テンチョー」

 

『準備中』の張り紙が揺れるのれんの奥で、ブンタが勢いよく両手を振っている。

 今日はいつもの酒屋のエプロンを脱ぎ、かわりに青が鮮やかな“西町涼水祭”のハッピを着込んでいる。

 その上トレードマークのハゲ頭には紅白のねじり鉢巻という、気合の入った装いだ。

 

「思い出チャンスだぜ。作ってくだろ、ひと夏のメモリーってヤツをよ」

「なんか面倒ごとのニオイがするわね」

「そそそそんなコトねえよ! マジで! こんな経験、そうそうできるもんじゃないぜ。な!? おねがあい」

 

 煙が出そうな勢いでブンタが揉み手する。呆れるルリコの背後で、レイジたちは怪訝そうに顔を見合わせた。

 

 ブンタはフミオの父で、下町一番だらしない酒屋の店主。そして──この町を影から支配する『境界防衛局』の大ボスだ。

 レイジたちの前で彼は正体を明かし、その後に施した記憶操作が効いていないこともおそらく感づいている。

 防衛局とブンタにとって、二人はどうあっても相容れない不穏分子だ。

 

「祭りだぜ?」

 

 彼らの心を読んだように、ブンタがハゲ頭をこすった。

 

「イヤ実のこと言うとさあ……来る予定だった雑用がばっくれやがってさあ……」

 

 サツマイモのように太い指で、彼は屋台を指し示す。

 目が痛くなるほど明るくライトアップされた店内には大量の豚肉と麺とタマゴが積み上げられ、準備万端という感じだ。

 そして、店員だけがいない。

 

「あっきれた。何が思い出よ! 手伝わせる気マンマンじゃない!」

「がはは。バレちゃあ仕方ねえ。人助けだと思って、いっちょバイトしてってくれねえかな!」

 

 ルリコのツッコミが冴え渡るが、ブンタは豪快に笑い飛ばした。

 

「レイジくんはタッパがあるから看板持たせりゃ目立つ。ルリコちゃんはカネ勘定が上手そうだ。でもって──カナタちゃん、料理得意だろ?」

 

 ブンタは笑ったまま、クルリと振り向く。

 

「いっ」

 

 その動きに合わせて、カナタは後ずさった。

 

「いや、アタシ、こういうのは……」

 

 この瞬間も境内を行きかう大勢の人々を見ながら、彼女はもじもじと指先をいじる。

 次から次にやってくる客をさばくなんて、さすがの彼女も未経験だ。静かな朝のキッチンで弁当作るのとはわけが違う。

 

「料理できるつっても、味噌汁とか卵焼きとか、そういうゴハン的なやつばっかだし……」

 

 言い訳しながら、彼女はジリジリ後退していく。

 

 ドスン。

 

 しかしすぐ、分厚い体に阻まれてしまった。

 

「れ……レイジ?」

 

 振り返るまでもない。

 背後にそびえるのは筋肉の塔だ。そして、それが誰のものか、彼女は熟知している。

 同じ部屋で暮らし始めて一ヶ月。この暑苦しさと汗っぽさの塊を、間違うはずも無い。

 

「カナタの料理の腕なら──最高だ。俺が保障する」

「おま、ばっ」

 

 レイジが放ったのは、最悪の援護射撃だ。

 

「俺はカナタの作る卵焼きが大好物でな」

「何言ってんだ! 何言ってんだ! それとこれとは、ハナシが違いすぎるだろ!」

 

 誇らしげに言ってのけるレイジの腹に、カナタは何度も頭突きする。彼はまったく揺るがない。

 

「分かるぜえ。肉団子は絶品だった。もっとたくさんありゃあ、酒のアテにするのによう」

「俺は学生なので詳しいことは控えるが、酒のおつまみなら天ぷらも良かった。カナタは揚げ物の天才だ」

「いいねえ。ぜひ今度揚げたてを塩で…………ところで、だ」

 

 ブンタとレイジ。管理局のリーダーと、一度は敵対した男が、同時に屋台を見つめた。夜風にはためく黄色いビニールに「やきそば」の文字が躍る。

 

「茹で、揚げときて──炒め物はどうでえ?」

「……たとえばやきそば、とかだな?」

 

 祭囃子の中に、ルリコの押し殺した笑いが聞こえる。

 

「完璧だ。何をやらせても、カナタはしっかりやる。期待を裏切ることを、カナタは知らない」

「よしきた!」

 

 ブンタが打ち鳴らした親指が、鋭くあたりに響き渡った。

 

「だ、だからアタシを放り出して話を進めんなよ!」

「いいじゃん。やってみれば」

 

 トドメにルリコまでそんなことを言い出すと、いよいよカナタの逃げ場がなくなってくる。

 

「私もレイジもおじさんも、みんな手伝うし。ね?」

 

 彼女が背後の二人をあごでしゃくると、男達の低い「オス」という声が応えた。

 

「し、失敗したらどうすんだよ」

「今やらなかったら、どのみち準備したモノ全部パアよ。やるか、やらないか。どちらにせよ──」

 

 そこで、ルリコはわざとらしい間を作って、カナタに目配せした。

 

「ガッカリするのは変わりがないって?」

「でも、自分で選んだって納得は残る。夏の思い出もね」 

 

 ブンタはもうその気のようで、カナタの浴衣の袖を引っ張ってくる。

 

「そう謙遜すんなよ。ウチのバカ息子だって、休みの日はいっつも言ってんだぜ。学校ある日はカナタちゃんのメシが食えて最高なのにって」

「フミオが……そんなことを……?」

 

 おうよ、とブンタが頷いた。

 

「ああ……仕方ねえなあ…………分かったよ。やってやるよ! アタシは料理上手だもんな、レイジ!」

 

 レイジは無言で拳を打ち合わせた。

 

「その代わり、オマエらはアタシをノせた責任取ってもらうからな! 馬車馬のように働けよ!!」

 

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