海の彼方で、カナタを想う   作:おぴゃん

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6.せんせいと生徒たち(9)

 

「おわあああ! なんじゃこりゃーっ!」

 

 白煙に包まれた屋台の中から、カナタの悲鳴がほとばしった。

 ブンタの屋台に長蛇の列が生えている。

 行列から顔を覗かせて様子を伺う客たちからプレッシャーを受けながら、鉄板の前に立ったカナタは必死に手を動かす。

 恥ずかしさだとか気おくれだとかは早々になくした。ここは戦場だ。一瞬でもほかの事に気を取られれば、死ぬ。

 

「ちょっとおじさん! アンタのトコの屋台って、毎年こうなの!?」

「なワケねえだろ! 飲んだくれ共が顔見せにくる程度だよ!」

「じゃあどうなってんのよコレ!」

「知るか! とにかく動け働け! 花火まで持ちこたえりゃ、そっちに人が流れる!」

 

 時刻は七時を回った。西町涼水祭はいよいよクライマックスを迎え、人々はラストの花火前の腹ごしらえに動き始めていた。

 ごったがえす通りの賑やかさに、ルリコとブンタの怒鳴り合いが彩りを添える。

 

「いらっしゃいませー」

 

 屋台の前の石畳で看板を振るレイジだけが平常運転だった。

 列は屋台の前から、ざっと数十メートルに及んで伸びている。さばいてもさばいても、客足が途絶えない。

 

「カナタ、アンタよ! 原因は! トンだ看板娘だわ!」

「ア、アタシはメシ作ってるだけだっつーの!」

「頼むからもう少しブスになりなさいよ! できるでしょッ!」

「無茶いうな!」

 

 西町涼水祭には小規模な祭り特有のイカレっぷりがある。

 いい加減な衛生概念もボッタクリ価格の横行も祭りの華だろ──と、町の支配者であるブンタが言ったかどうかは定かではない。しかし実際、ウマくて安くて安心なメニューを提供する屋台が少なすぎる。

 

「ボインのメイドに客がつかないわけないでしょっ!」

「どうあってもアタシはこの服から逃げられないのか……」

 

 そして、メイド服の女子高生が接客してくれる店も。

『浴衣が汚れると悪いからなあ』とブンタが押し付けてきたものだ。カナタはフリルまみれの衣装を一瞥して、すぐ調理に戻る。

 

「ああ、ハイハイ、バナナ焼きそばね──なあテンチョー!」

 

 豪快にバナナを突っ込んだ焼きそばにチョコソースをブッ掛けながら、カナタが声を張る。

 

「なんだい、カナタちゃん!」

 

 ブンタはというと、茹蛸のように赤く染まった頭を滑り落ちる汗と格闘中だ。彼が両手で掴んだタオルを動かすたびに、キュッキュという音が聞こえてくる。

 

「そのハッピくれよお! アタシちょっと火が通ってきたぞ!」

「ガマンしてくれや! 俺サマがハッピ脱いだらいよいよタダの怪しいオッサンだろが!」

「怪しいって自覚はあったのね……」

 

 ルリコは浴衣を肩まで捲り上げて、粛々とやきそばをパッキングしている。

 長く過酷なバイト生活で培った手さばきと冷静さで釣り銭の勘定をしながら、彼女はダンボールの中に目を移す。

 

「あっ」

 

 材料の在庫を見て、彼女が呟いた。

 

「お肉、なくなりそう」

「あいよ──レイジ!」

 

 こうなることは予測していたように、カナタが声を張り上げた。

 濁流のように流れゆく人波に翻弄されていたタンクトップのマッチョが、雑踏を泳ぐようにして向かってくる。

 

「おら!」

 

 カナタは愛用のがまぐちを放り投げ、それをレイジがキャッチする。

 

「近くのスーパー。豚バラ。そのカネで買えるだけ買って来い!」

「五分で戻る」

「なあオイ。近くってもよお──5キロ先だぜ!?」

「問題ないでしょ、レイジなら」

 

 涼しい顔したルリコから通りへとブンタが目を戻した時には、レイジの姿は既に無い。

 走り出した彼は一陣の風となり、屋台の前に張り出されたメニューの札たちをはためかせて消え去っていた。

 

「なるほど……若いってすげえ……」

「テンチョー、老け込むにはまだ早いだろ。ホラ、手伝え」

 

 屋台の下に隠してあった酒を、カナタは鉄板にブチまける。

 青白い炎が彼女の前髪を掠めて燃え上がり、行列から、おお、と感嘆の声が上がった。

 そのドサクサにまぎれて軽く酒をあおるカナタは、お使いに行ったレイジが『ヘマするかも』なんて気にしたりしない。

 彼女の同居人、そして心強い相棒は最強で最速だ。

 

「おっ。ガキんちょにはサービスしてやるよ。紅しょうが大盛りね!」

 

 レイジが信頼を裏切るかもなんて、想像したことすらない。

 

 ■

 

 ブンタもカナタも予想できないことがひとつ起こった。

 最寄りのスーパーを素通りして、レイジが向かったのは10キロ離れた三区の大型スーパーだった。

 

「肉がほしい。肉をいただこう」

「え……新型の強盗とか……ですか?」

 

 いるだけで店内の湿度が倍増しそうな男を前に、アルバイトの店員が後ずさった。

 彼の足といい腕といい、限界スレスレの超高速移動ですっかりパンプアップし、いつもの二倍の大きさに膨れ上がっている。

 今日は祭りだし、客足が遠のいてラクだぜえ──とタカをくくっていたバイト君は、突如として入店してきた汗だくマウンテンゴリラを見てすっかり萎縮していた。

 

「安心してくれ。俺は客だ」

 

 パチリ。ゴリラの太い指ががま口の金具を弾き、丸めて突っ込まれた札束を差し出す。

 

「これで。買えるだけの豚バラをもらおうか」

「アッハイ」

 

 こうして、気の抜けたバイト戦士はゴリラから資本主義を叩き込まれることになった。

 レジを閉めるとき、彼はほとんど悪夢を見ているような気分だったに違いない。

 今見たものを再確認しようと彼がフロアに目を向けたとき、既に巨大な男の姿は消えうせていた。

 ナメクジが這ったように汗で濡れた床と、あまりの湿り気で曇った自動ドアだけが、先ほどの奇妙な客がこの場にいたことを物語る証拠だった。

 

「カナタ!」

「ありがとよ!」

 

 列の最前線で会話を聞いていた客たちにとって、それはほとんどマジックだったに違いない。

 ついさっき数キロ先におつかいに出た大男が、本当に五分で戻ってきた。

 大量の豚肉が詰まった包みをカナタの足元にそっと下ろすと、彼は滝のような汗を流したまま客引きに戻っていく。

 

「すっげ……」

 

 ズシリと重たい肉の袋に、ブンタが保冷剤を突っ込みながら、レイジを見やった

 

「また新しい伝説になるでしょうね、アイツ」

 

 休憩中のルリコは、輪ゴムをパチンと鳴らしてため息をついた。

 伝説は伝説でも、レイジがなるのは都市と付くタイプの伝説だろう。妖怪音速マッチョとか、怪人ジェット生肉とか、そういう正体不明の何かだ。

 

「それはそうと……おいしー!」

 

 舌鼓を打つ彼女の手元にはまかないがある。

 カナタ謹製、チョコバナナ焼きそばだ。さすが2-A全員の胃袋を支える弁当の魔女の作というべきか、見るからにゲテモノのクセして絶品だ。

 濃厚なチョコの甘みを引き立てるソースの香りと適度な塩気。思わず自分の味覚が正常か疑わしくなるほどの傑作だった。

 

「ウン。次はマシュマロトッピング試してみよ。たぶん革命が起こるわね」

「ルリコ、悪ィが休憩上がってくれ! マジで客入りがやべえ!」

「そばだよー」

 

 野太い声が聞こえてきて、二人ともそちらに目を向ける。

 

「おいしいおいしい、やきそばだよー」

 

 もはや客寄せマッチョと化して、レイジがそこにいた。

 デカい男がデカい声を出しているだけで、イヤでも目立つ。

 おかげで暮酒店主催やきそば屋台は大繁盛だ。

 レイジが掲げるカンバンでは焼きそばの価格に赤いバツがつけられ、値下げした価格の上から二重三重にサービス特価が書き込まれている。

 

「アイツにこんな才能あったなんて……ね!」

 

 はずみをつけてルリコが立ち上がる。

 

「よっしゃルリコちゃん! 最終ラウンドといこうや!」

「しゃあないわねえ!」

 

 汗ばんだブンタの頭を彼女が叩く。

 

「いでェーッ!」

 

 ペチーンといういい音が響き渡った。

 

 ソロリソロリと這い寄るように闇が濃さを増し、その分、あちこちに吊られた電球の放つ熱量が高まる。

 ギラギラ輝く光と熱の渦にうかされ、空気は煙とソースの甘い香りで満ちていた。それが指先に絡みつくように、あたりに渦巻いている。

 それらが渾然一体となって、西町涼水祭のラストスパートにほとんど狂気じみた勢いを呼び込んでいた。

 

「すまん。ちょっと汗」

 

 ルリコの後ろをすり抜けて、レイジが屋台に戻ってくる。

 タオルに深々と顔を埋めてから、彼はカナタを見つめた。

 灼熱の鉄板と一心不乱の攻防を繰り広げる素敵なメイドさん。彼女の額には玉のような汗が輝いている。

 

「アレ。おねーさん、さっきも並んでなかった?」

「三周目よー。ウチのクラスの子たち呼んできちゃったー」

「ははっ、ありがとな──テンチョー、値引きしていいだろ!?」

「いいよー」

「マジぃ? やったー」

 

 目が回るような忙しさの中で、カナタは客とやりとりする余裕を見せつけてくる。今ではすっかり、やきそばマスターの立場を楽しんでいるようだった。

 

「レイジ、疲れたろ」

 

 焦げ付いた鉄板をヘラでこそぐ音が響く。

 

「問題ない。ところで──」

 

 レイジがカナタの足元のボンベをそっと見つめた。

 

「あ、そうだった」

 

 忙しくて、すっかりカナタの頭から抜け落ちていた。

 もうもうと白煙を噴き上げる鉄板の前は文字通り肌を焦がすほど暑いが、何かを燃やすには当然燃料が要る。

 ガスボンベの残量を確かめる方法は無いが、フル稼働でそれなりに減っているはずだ。

 最後の数十分間を駆け抜けるのは、少々心もとない。

 

「ガスボンベのお使いはタイヘンだぞォ。いけっかよ?」

「力仕事なら俺の得意だ。任せてくれ」

 

 レイジは既にストレッチを済ませ、準備万端だ。

 

「カナタが来る前、俺は八十キロの重りを抱えて裏山を上り下りしていたことがある。毎日朝も夜もやっていたらとうとう警察を呼ばれたのでやめてしまったが──余裕だ」

「何やってんだマジで…………お?」

 

 レイジの顔を見て、カナタが具材を炒める手を止めた。

 

「どうした?」

「へへ……なんでも。やっぱ暑苦しいツラしてんなって思っただけ」

「そうだろうか」

 

 レイジは微笑んでいた。

 長い夜が明けるような、角の取れた岩のような、静かで柔らかな笑みだった。

 目を細めるカナタを見て、レイジは首を傾げる。きっと、自分自身で、そんな顔ができるなんて思ってもいないのだろう。

 あまりにレアなのでカナタはルリコを呼ぼうと思ったが──やめた。今だけ、彼の笑顔を独り占めしておきたかった。

 

「それじゃ、行ってくる」

 

 びゅっと風が吹いて、次の瞬間レイジの姿が霞んで消えた。

 いきなり吹き渡った突風にあおられて「ひゃあ!」という悲鳴が行列から上がる。汗ばんだ背中を冷やしてくれる風をありがたく思いながら、カナタは調理に戻る。

 

「はは。頼りにしてるからな」

「寂しいわねえ。私は戦力外ってワケ?」

 

 それまで会計とパッキングで文字通り屋台骨を支えていたルリコが脇腹を小突いてくる。

 長年、生徒会という修羅場で培ってきた嗅覚で、彼女は最後の最後に訪れるだろう最大級のヒートアップを感じ取っていた。

 長蛇の列はもはや鳥居の先まで伸びてうねり、花火に間に合わせたい客たちから放たれるプレッシャーは肌を突き刺すようだ。

 もはや金勘定は後回しだ。ここからの時間はパワーが全てを解決する。

 

「さっすが会長。じゃ、トクベツ任務ね」

 

 カナタはルリコにメモ帳を押し付ける。

 

「列の先頭から注文とってくれ。十人ずつ。やれるかどうか分からねえけど。スピードアップしてガンガン作っていこう」

「まかせてー」

「あらあ。カナタちゃんたちが屋台してるじゃないかい」

「おっ、どこよドコドコ」

 

 このタイミングで、2-Aのクラスメートが屋台の前を通りかかった。

 長身でガッシリした体つきの元バレー部、サッパリしたアネゴ肌のボタ子。

 金魚の入ったポリ袋にヨーヨー。大量の惣菜を買い込んだボウズ頭のヨシは、祭りでもマイペースだ。

 

 そして──

 

「こ、こんばんは。素敵な、メイドさん……」

「よ。そっちの巫女さんもサイコーだったぞ!」

 

 イツメン二人の背後で、奉納演舞の『主役』、ザワちんが気まずそうに肩を縮めた。

 

「ぷっ。アンタ、右目だけ化粧落ちてないわよ」

 

 ルリコが吹き出した。

 クッキリ残ったアイシャドーのせいで、せっかくの美貌がメイクのビフォー&アフターだ。「ええっ、マジです!?」と叫んだ彼が、猛烈な勢いでヨシの背中に顔面をこすりつける。

 

「俺のシャツはゾーキンじゃないんだぞ……」

「にしても祭りの日にバイトなんてマジメだねえ。じゃあ早速、ココナッツ焼きそば。三人分でね」

「ふざけんなボタ子! 俺は冒険なんかしねえぞ、チョコバナナ焼きそば一人前!」

「お前らゲテモノしか食えないんですか。ここは間を取ってトロピカル杏仁焼きそばでしょう」

「ふっ。却下だ」

 

 三人に向かってカナタが突きつけたヘラの先が、キラリと光る。

 

「え?」「は?」「あ?」

 

 目が回るほど忙しい地獄。

 そこに偶然現れた、気心の知れたクラスメート三人。これを逃がす機はない。

 

「オマエらにはたーっぷり手伝ってもらうぞ。いいな」

 

 三人の背後に向かって、彼女があごをしゃくった。

 

「あ、ちょっと俺たち、持病の複雑骨折思い出して……」

 

 猛烈にイヤな予感を覚えて彼らは後ずさりするが、もう遅い。梵字タトゥーと分厚い筋肉で武装されたガッチリした腕が、三人まとめて抱き込んでくる。

 ギギギと音を立てて彼らがぎこちなく振り返ると、ちょうちんの光を受けて月と見間違うほど鮮やかに光り輝くハゲ頭がそこにあった。

 

「よお。やってくだろ? やってくよなあ、ウチの手伝い」

 

 最後の刺客、ブンタが暗闇の中からヌっと現れたのだった。ここまで一番悪い顔をしたカナタとブンタが、にやりと笑う。

 

「さ、最高に意味分からなくて怖いんですけどォ……?」

 

 ザワちんが声を震わせる。

 

「なあに悪いようにはしねえ。俺サマの言うとおりに働く限りはな……」

「ククク……そういうことだ」

 

 カナタが悪い顔で笑う。

 

「へへへ……」

 

 すかさずブンタが後に続く。

 

「ホホホ……」

 

 ルリコも苦笑しながら調子を合わせたが、すぐ行列を見て真顔に戻る。

 

「ホラ……いいから早く手を動かしなさい、アンタら」

「仕方ねえ、乗りかかった船だ!」

 

 きれいに刈り上げたボウズ頭をパシンと打って、ヨシが気合を入れた。

 

「ウチのクラスのマドンナ二人に言い寄られて断ったとあっちゃ、末代までの恥だ。ザワちん!」

「命令しないでください。俺は元からやる気。ボタ子、あんたも地獄に付き合ってもらいますよ!」

「あたい、ちょこっと料理できるよ。下ごしらえはこっちに回してねえ」

「マジでお前ら最高だぜ! 給料に期待してろよ!」

「カネ出るなら早く言ってくれよな! だったら文句はねえ、いくぞお前ら!」

 

 勝手にリーダー面するヨシの後頭部を、バレーで慣らしたボタ子のスパイクが打ち鳴らした。

 その音でカナタはハッとした。そういえば給料が出るなんて話だったが──いつの間にか、どうでも良くなっていた。

 むせ返るほどの煙で燻され、煮えたぎる油がウロコ肌の上に跳ね飛んでくる。

 ブンタの怒号にルリコのツッコミ、助っ人三人のドタバタコメディに巻き込まれながら、カナタはこの楽しい地獄が、永遠に続いてくれればいいなと思ってしまう。

 一分一秒が、まるで指の隙間からこぼれる砂金のようだ。

 

「……そういえば、レイジちゃんは? 今日はいないのかい?」

 

 手際よくパイナップルをくりぬいていたボタ子が、首をかしげた。

 

「すぐ戻るさ」

 

 カナタの期待に応えるように、ボンベを担いだ大柄な影が鳥居の下に現れる。

 彼に向かって、カナタは満面の笑みを投げかけた。

 

 ■

 

 戦争は終わった。

 屋台の前を埋め尽くすほどだった人ごみはキレイさっぱり消えていた。

 きっと、これから始まる花火大会のための場所取りに向かったのだろう。人が消えると風通しが良くなって、カナタは寂しさを覚えるほどだった。

 

「アリガト。花火、楽しんできてな」

「うん!」

 

 最後のお客となったのは、綿菓子を抱えた少年と、その後ろを短い脚で必死に追いかけるポメラニアンだった。

 彼らを見送って、カナタは自分たちのためのまかないを作り始めた。

 

「いや……マジで……私、限界越えたわ……光、見えた……」

 

 最終ラウンドまで殴りぬいたボクサーのような貫禄で、ルリコがグッタリ椅子に座り込んでいた。

 出来立てのスペシャルメニューをパックに詰めたカナタは、彼女の肩をポンと叩いて裏手に出て行く。

 と、そこも死屍累々だ。

 ザワちんが、ヨシが、ボタ子が、めいめいのポーズで暗がりにブっ倒れている。

 

「俺、ちょっと筋肉つきましたよ、たぶん……」

 

 このへんに、と言って、ザワちんが上腕を指で示す。夜風に吹かれる小枝のように、彼の細腕が頼りなく揺れる。

 ボタ子とヨシの呆れた溜め息が、祭りの夜空に立ち昇った。

 

「よかったじゃん……お前に必要なのは体力と健康だからな……」

「筋肉ついちゃったらザワちん可愛くなくなっちゃうよ。ダメだよ。ダメダメ」

「お前ら、何勝手なこと言ってんですか……」

 

 干からびたミミズのように地べたに転がっている三人の前に、カナタはしゃがみこむ。この世のものとは思えない匂いが、ゆらりと夜風に漂った。

 

「ほら。まかないだ。落ち着いたら食って。助けてくれて、マジでありがとな」

 

 力尽きた助っ人たちの胸の上に、カナタがパックを置いて行く。

 中身は彼らのオーダーを全て取り入れた、チョコバナナトロピカル青海苔焼きそば──イチゴマシュマロキムチトッピング──だ。

 喋る気力すら残されていない彼らは、精一杯のサムズアップで彼女に応えた。

 

 カナタはもっともっと奥にわだかまる闇の中に歩いていく。

 そこには電灯が一本もない。夜と一体化したような茂みの切れ間から、西町の夜景が見下ろせる。

 熱された夜気の中で、中心街の光が揺らめいている。

 

「お疲れさん。ヒーロー」

 

 そこで、崩れかけた石垣に腰掛けていたレイジが顔を上げた。

 風の中に、いまやカナタが嗅ぎなれた汗のにおいが混じる。首に掛けられたタオルは絞れるほどに汗を吸っており、端から水が滴っていた。

 

「ヒーローはカナタだろ。俺はそういうのじゃない」

「ヤバい時にいちばんカッコいいことするやつは誰でもヒーローだよ」

 

 レイジの隣までやってきて、カナタはそこに座り込む。

 

「がんばったレイジに特別メニューをあげちゃおう」

 

 最後のパックを、カナタは手渡す。

 あまった材料で作ったチョコ焼きそばとたこ焼き(たこ無し)、そしていつもの卵焼きが端に詰め込まれている。

 

「おっ」

 

 割り箸を手にするレイジがうれしそうで、カナタの口元も綻んだ。

 彼の手が真っ先に伸びたのは、やはり卵焼きだ。ありあわせの材料で、しかも鉄板のソースの香りを吸い込みまくったデッチ上げを、彼は幸せな顔で口にする。

 

「うん。うまい」

 

 しみじみと言って、レイジは何度も頷いた。

 

「祭りの味って感じがする」

「どれどれ。あーん」

 

 カナタが口を開いて待つ。

 うすらバカのレイジはその意味がしばらく理解できなかったが、やがて、慌てて一切れの卵焼きをつまむと、ぎこちなくカナタの口元に差し出した。

 

「ん……なんか、ソースくさいだけじゃね?」

「カナタの手作りは、いつでも、なんでも、全部うまい。特にこの、卵焼きは」

「そう? テキトー言ってないといいんだけど」

 

 くすぐったそうにカナタは笑った。

 ひんやりとした冷たさを帯びた腕が伸びてきて、レイジの肩を抱く。

 

「今のアタシは、何言われてもうれしくなっちゃうからな。ホメすぎておかしなことになっても、知らないぞ」

 

 されるがままに体を左右に揺さぶられながら、レイジは微笑を浮かべる。

 バイトで渡されたメイド服を脱ぎ捨て自由の身になったカナタは再び浴衣を身に着けていた。帯だったり襟だったりの着付けが少しいい加減な気がしないでもないが、この暗闇で、そんなことを気にするやつはいない。

 

「ん? おいどうしたよ。もしかして照れて」

 

 カナタは、そこで何かに思い至ったようだった。

 

「……わりい。ナレナレしかった……よな」

「いや……」

 

 レイジとは近くなりすぎた。

 カナタは苦々しい顔で、ゆっくり手を引っ込める。

 いくら彼の傍が心地よくっても、永遠に甘え続けることはできない。交わした約束は、海に辿りついたらおしまいなのだ。

 それがいつになるとしても、終わりは必ずくる。

 今が楽しくて楽しくて仕方が無いのに、お別れを覚悟しなければいけない。幸せと悲しみと寂しさでいっぱいになって、カナタは胸をかきむしりたくなる。

 

「いたいた──ほれ、イロつけといたぞ。今日のバイト代!」

 

 こういうときにズボっとハゲ頭を突っ込んできてくれる、空気の読めないブンタの存在がありがたかった。

 

「うわすっげ! チョー入ってる!」

 

 厚みのある封筒を受け取って飛び跳ねていたカナタは、はた、と止まった。

 

「さっき忙しくて聞けなかったけど、サボったバイトってどこのどいつだよ?」

「いやー……実はカナタちゃん達の担任なんだけどね。知らない?」

「キリちゃんが?」

 

 クールダウンしていたルリコがスックと立ち上がった。

 

「あんのアル中め……私、探してくる」

「俺も行く。手分けしよう」

「いいわよ。それにほら、私、生徒会長だから。そういう責任あるでしょ」

 

 引き止めるレイジを振り切って、ルリコは駆け出した。白い浴衣姿が、あっという間に小さくなっていく。

 

「あーあー、もうフツーに浴衣で走るじゃんかよ、アイツ……」

「おあーッ!? おめえ、今までどこほっつき歩いてやがったァ!?」

 

 レイジたちがルリコを見送っていると、今度は屋台に残ったブンタが騒がしい。

 

「うるっせえな。こちとら骨折れてんだ、こんな時くらい好きに見物させろよ」

 

 ブンタに怒鳴られているのはフミオだった。

 紺色の甚平に松葉杖という出で立ちの美丈夫は、ブンタのハゲ頭越しに屋台の裏手に視線を送ってくる。

 カナタに気づいて「よ」と手を上げて向かってくる彼に、彼女も割り箸を咥えたまま応じた。

 

「うわっ。ヨシ……アイザワ、それにボタ子まで。お前まで巻き込まれたのか?」

「うるへーですね。俺ら好きでやってんの。ほっといて」

 

 ブンタを適当にあしらったフミオは、依然としてブっ倒れたままのヨシとアイザワをまたいで、カナタたちの所へやってくる。

 

「いまさらかよ。もっと忙しいときに来てほしかったぞ」

「しゃあねえだろ。俺もいろいろ準備があったんだ」

 

 カナタが肩をすくめる。

 

「ちょっと歩こうぜ、デカブツ。俺と縁日デートだ」

 

 そう言ってレイジにあごをしゃくるフミオは、どこか思いつめた顔をしていた。

 

「フミオ、待てったら。すぐ片付けしてアタシも行くからさ」

「いや。カナタは来るな」

 

 ありありと拒絶が浮かぶ、鋭い言葉だった。

 フミオ自身、口にしてから「しまった」とでもいうように目を逸らす。

 

「これは──男同士の話ってやつだ。たまには俺にもレイジ貸せよ。いいだろ」

「はん。好きにすれば」

 

 どこかスネたように、カナタがそっぽを向いた。

 

 

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