フミオが着た甚平の袖が揺れている。
松葉杖で石畳をカツコツ鳴らす彼のやや後ろに、レイジが続く。
スチール製の松葉杖は、暖かな風合いに染められた紺の袖の合間で、いやに冷たく輝いて見えた。
「俺がいない間になんかあった?」
歩きタバコの煙を細い糸のように引きながら、フミオが言った。
「屋台の客引きが、楽しかった」
「わりいなあ。どうせウチのオッサンに押し付けられたんだろ?」
「いいんだ──クラスのみんなと、はじめて一緒に何かができた」
「『みんなと一緒に』、か……」
松葉杖の先が、割れて石畳にへばりついたヨーヨーのかけらを踏む。
ほとんどの屋台は店じまいの最中だった。人々は見晴らしのいいところで花火を見ようと、山の上の方へ向かったのだろう。西高に向かって参道を下っていく二人の邪魔をするものはいない。
「ウチのクラスのミスター孤高が、そんなコト言うようになるとはね……」
「二人でこうして歩くのは久しぶりだ」
「そうだな。祭りも一緒にいてやりたかったが、ちょっくら下見に行っててな」
「下見? 何の?」
「俺様の就職先……って言ったらいいのかね」
フミオの返事は少し歯切れが悪い。
数日入院している間に、ひげも髪も、伸びたように見えた。まだらな金髪は頭頂が真っ黒になってプリンのようで、頬をうっすらと無精ひげが覆っている。
「でもカナタの浴衣! ありゃ色っぽかったな。滑り込みで見られてラッキー、って感じだぜ」
「きれいだったな」
「ああ。青春、って感じ……んで、ルリコは? 浴衣、着たのか。どうだった?」
「…………すごかった。白いヤツで。なんか、いいにおいがした」
「うわ、いきなりエロいこと言うなあ」
レイジを片手でどつきながら、フミオは屋台の方を振り返った。
そこに、ルリコはいない。ライトを反射するブンタの頭が、チカチカと光って見えるだけだ。
入れ違いになって見ることができなかったルリコの浴衣姿のことを考える彼は、名残惜しそうだった。
「思えば梅雨のころから大分変わったよなあ」
タバコをもみ消すと、フミオは再び、石畳の上に硬いリズムを刻み始めた。
「カナタが入学してきて、ウチでバイト始めて、ルリコの妹ブン殴って……」
「フミオは事故って足の骨を折った」
「茶化しなんて慣れねえコトしやがって。ブザマっぷりならお前も相当だったろ。特にあの────サイボーグ忍者にキックされて飛んだ時とかな」
ギュゴッ。
レイジが思わず息を呑んだ音だ。
彼の並外れた肺活量のせいで、バキュームのような異音があたりに響き渡った。
──なぜだ?
フミオはあの日、会議室でみんなといっしょに記憶を消されたはずだ。
ずっと演技していたのか?
彼はやはり父親同様、防衛局の人間なのか──?
様々な思いをレイジが巡らせる間、フミオはニヤニヤとレイジを見つめていた。
「そ……それはいったいどういう」
「ごまかすの下手なのは変わってねえな!」
呆れ笑いを残して、フミオは先に立って歩き始めた。
「別に、防衛局にお前を突き出したりしねえよ。ダチだろ、俺ら。なあ?」
腑に落ちない顔をしたレイジが彼の後に続く。フミオの背中を見ていると、なぜか胸がざわついた。
「いいって。大丈夫だ。やめろ」
階段に差し掛かった時にレイジが手を添えてやろうとすると、フミオは少し怒ったように振り払ってきた。
「俺はガキじゃねえ。甘く見んなよ」
とはいっても、石段を下り始めた彼の足取りはおぼつかない。
仕方ないのでレイジは彼のすぐ後ろに控えて、足を滑らそうものならいつでも支えてやろうと身構える。フミオはフミオで背中でその気配を感じ取ったように、フラつく足元でガンガン下っていく。
ウッカリ足を滑らせたフミオが人間玉になりはしないかと心配していると──レイジの目に、一軒の屋台が留まった。
瞬間、彼の中に、振り切ったはずの未練がドッと溢れかえった。
「あ? どした、デカブツ」
眉間にしわを寄せるフミオを追い越して、レイジは一気に段差を駆け下りる。
坂のすぐ下にあった屋台は、射的だ。
慌てて追いかけてくるフミオの前で、レイジは怖いものでも確認するような顔をして、ビニールののれんの中を覗き込む。
埃っぽい空気と黄ばんだ照明の下、点々と歯抜けで残った景品たちの中に──あった。彼がひそかに狙いをつけていたものが、まだ残っている。
「へえ……射的か。やってくか」
少し息を切らせたフミオが、サイフを取り出した。
「おっちゃん、目玉の景品とかってまだある?」
それまで気難しい芸術家のような顔で腕組みしていた店のおやじは、雛壇の最上段に居座る巨大なハコを顎でしゃくった。
「おっ……これ、シュワちゃんがデパートでぶっ放してたヤツじゃん……?」
「ターミネーターだな」
おあつらえ向きにショットガンとアサルトライフル、二つとも残っている。暮酒店のクローゼットからライダージャケットとサングラスを引っ張り出してくれば、名シーンの完全再現も夢ではない。
目を輝かせるフミオの横で、レイジは喉を鳴らす。
彼はエアガンとは別のものを見ていた。最下段。端のほうに鎮座した、青いブレスレットを。
「思ったんだけどさ。カナタってアクセつけたりしないよなァ」
軽い世間話のノリで切り出された言葉が、レイジの心を妙にかき乱した。
ぎこちなく振り向いた彼の横で、フミオは渡された空気銃に淡々と弾を込めていく。レバーを引いてポンプの圧力を高める音が、まるで実銃の動作音のように鋭く響く。
「アイツ、すげーキレイじゃん。調子乗るから、
軽く鼻を鳴らして、フミオは銃を構えた。立ち並ぶ景品たちの中から、最初のターゲットを選び出す。
「そう、かもな」
レイジの握った給料袋がカサリと音を立てた。
「カナタが指輪だの腕輪だのするなら、いっそオモチャっぽいやつの方が似合うかもな。悪い意味じゃねえよ。本体を引き立てるっつうの……かな!」
コルクの弾ける音を聞いて、レイジは、ハっとした。
フミオの第一射は見事に命中。おもちゃの携帯電話が台から落ちていくのを見て、彼はガッツポーズを決める。
「……ま。思っただけ、なんだけどサ」
「俺も、これで」
もらったばかりのバイト代を置いて、レイジは空気銃を構える。
視界に映るのは、あのブレスレットだけだ。他のはすべて、フミオにくれてやっていい。
「欲しいのがあるなら言えよ。ウチの屋台手伝わせたワビだ。協力してやるぜ」
「いや。自力でいきたい。今度こそ当ててやる」
「は。そうかよ。じゃあ俺とレイジで勝負といくか」
レイジの一発目の弾は、てんであさっての方向に飛んだ。レイジは黙々と次のコルクを詰めて、撃つ。またしても外れる。
「あ、くそ……」
レイジが悪態をつく。握り締めてくしゃくしゃになった千円札を、彼は台の上に叩き付けた。
「そんな顔で悔しがるんだなあ」
必死で次の弾をこめていたレイジは、ふと手を止めてフミオに向き直る。
目を次の標的に向けたまま、彼は端正な横顔を見せていた。
「あれだ。感情豊かってやつ。お前、そうなってきたよ」
「そう見えるか?」
「見える見える。よっ──と。おっちゃん、いい銃ね、コレ!」
フミオの射撃は、またしても命中だ。
面倒くさそうに店のオヤジが放ってよこしたキャラメルを受け取った彼は、それをレイジのポケットに突っ込んだ。
「よその便器ぶっ壊しといて、ボンヤリしていたお前はドコ行ったのかね」
「水道の流しだったろ」
「そうかあ? 俺ァ便器だったと思うんだが、違ったかね」
フミオが撃つ。レイジが撃つ。フミオが当てる。レイジが外す。
「カナタとの出会いが、マジでお前を変えちまった。いやはや──」
ここが本当に戦場であったなら、きっとひどい大虐殺になっただろう。
隠された才能を静かに開花させたフミオは、恐ろしい勢いで景品を打ち落としていく。閉店間際にやってきた無名のガンマンに、店のオヤジはヤケクソ気味だ。
次々放ってよこされる景品が、彼の前に山とやって積み重なる。
「お前、心底気持ち悪ィよ」
消え入りそうな呟きが、レイジの耳に届くことはなかった。
フミオは前を向いたまま、弾込めの皿を漁る。
それから、マシンガンじみた連射がウソだったように、長い時間をかけて弾を込め始めた。
「最後だな」
はっとして、レイジは屋台の中に目を戻した。
いつのまにかエアガンもキャラメルも撃ち落とされ────白熱灯の下で、例のブレスレットだけが静かに光を放っていた。
カナタの瞳とよく似た色のビーズ細工は、目玉の景品というにはチープすぎた。台の隅に置かれていて、明らかにどうでもいい扱いをされている。
それでも、これを贈ったら彼女は……という気持ちがレイジをせきたてる。
「最近、カナタとどうだ」
フミオは焦らなかった。
慌てて狙いをつけるレイジのことを、無感情な目で見ているだけだ。
「きっと、楽しいんだろうな。どんなダチと一緒にいるよりも、ずっと、ずっと……なあ、どうなんだよ」
彼はタバコを咥え────少し、何かを待った。だがレイジは、見向きもしない。縁日の闇にライターの火花を散らして、彼は自分の手で火を点けた。
レイジが撃つ。外れる。
「どうって?」
さらに間をおいて、二射目。
それも外す。弾は屋台の隅に向かって転がり、店主がやれやれといった様子で拾いにいく。
「イチイチ言わせんな。付き合ってんだろ、カナタと」
夜風も無いのに、フミオの口元で煙が揺れたような気がした。
思わぬ一言に気をとられ、レイジはまたしても狙いを狂わせる。
「っ……違う。何でそうなる。俺とカナタは……同じ家で、同じ部屋で寝て、一緒にごはんを食べているだけだ」
「事実婚って知ってっか? 最近ここらでも流行ってるみたいだぜ」
隣から流れてくる煙がレイジにまとわりつく。苛立ちを覚えながら弾を探るレイジの指先が、皿の底を引っかいた。残弾わずか。
「カナタが来る前も、俺らだけでけっこう楽しんだもんだよな」
「あまり覚えてない」
「……焼肉したりさ。グラウンド燃やしたり窓割ったり……一緒にバイク乗って、田んぼトロトロ走ったりもしたよな。最近そういうの、あんま────」
ポンッ
コルクの銃弾が発射される。
あまりに軽く、気の抜けた音に、フミオの言葉がさえぎられた。
「────あんま、しなくなったよな」
レイジは最後の一発を掴み取った。
それを握った手で十字を切る仕草までしてから、銃口にこめ始める。
しかし、汗でバレルが滑る。弾は彼の決意をあざ笑うかのように指の間をすり抜け、レイジのまなざしにこめられた苛立ちの色が強まる。
「教えてくれよ。カナタが大事か」
フミオの銃には、とっくの昔に弾が込められている。
「ああ、大事に決まってる」
滑り落ちた弾をつかみ直し、レイジも、ようやく弾を込め終わる。横からじいっと見つめてくるフミオが邪魔だ。意識から締め出す。青いブレスレットと自分と銃。今のレイジにとって、世界はそれだけでいい。
「どのくらい」
「とても」
フミオが鼻を鳴らす。
「とてもって何だ? お前の基準は俺に通じねえぞ」
レイジの眉間に深々としわが刻まれた。怒りを抑えるように息を吐き、最後の弾で狙いをつける。
「こういう大事なときに隣でごちゃごちゃ言ってくるヤツよりも、かもな」
「そっか」
その瞬間フミオの手が電撃のようなスピードで動いた。
彼は一瞬で狙いを定め、思考の速度でトリガーを引く。銃に詰め込まれた殺意と憎悪にフタするようだったコルク弾をはじき出す。
その行く先はビーズのブレスレットだ。
カタン──
青いブレスレットを飾ったボードは見事に打ち抜かれた。
愕然とするレイジの前でそれは大きく揺れ、倒れていく様がいやらしいほどのスローモーションで彼の網膜に焼き付いた。
■
「はいよ」「ども」
呆然とするレイジの前でブレスレットがフミオの手に渡る。
熱くなりすぎた。屋台の傍にしゃがみ込んで、レイジは頭を抱える。
一生懸命稼いだバイト代をすべて失い、ブレスレットは手に入らずじまい。おまけにイラついて、フミオにとんでもない悪態をついてしまった。
今のレイジに残されたものといえば、残念賞のビーフジャーキーとわずかな小銭、そして地獄のように苦い後悔だけだ。
「なんつー顔してんだ。つくづく変わったな、お前──ほら、やるよ」
足を引きずって、フミオがやってくる。
彼が顔をしかめながら差し出したものを見て、レイジは目を丸くする。
それは、青いビーズのブレスレットだった。
「い、いいのか」
「いいも悪いもあるかよ。これ欲しかったんだろ」
「なぜ、それが……」
「モロバレだっつの。血眼になってこいつばっかり狙いやがって。隣に立ってて恥ずかしかったぜ」
「フミオ……」
ブレスレットを渡そうと屈みこんだ拍子に、フミオが足の痛みで顔を歪めた。
体勢を崩した彼の指から、青い光がすり抜けていくのを、レイジは見逃さなかった。
「おっと!」
すかさず手を伸ばして、ブレスレットをキャッチする。
間一髪だ。地面に叩き付けられる前に間に合って、レイジはほっと胸を撫で下ろす。
「この町の秘密を教えてやるよ」
そんなレイジの頭上に、冷え冷えとしたフミオの声が浴びせ掛けられた。
「地下の施設が何なのか。A-6500シャフトの底に何があるのか」
「な────」
思わず顔を上げたレイジの目の前に、銃口が押し当てられた。
「もしかしたら、町の外に出る方法が見つかる。かもな」
かすかに震える銃口に隠れて、フミオの顔がよく見えない。そのままレイジは、銃口の中に広がる真っ暗闇を見つめ続けた。
──カチリ。
軽いトリガーの音が響いて、フミオはゆっくりと空気銃をおろした。
「なんてな」
うんざりした様子の店のオヤジに、フミオは軽く謝って銃を返す。
「何日かしたら、もうちょっと動けるようになる。そしたら、水族館に行こう」
フミオは石段の上に目を凝らして、こちらに向かってくる白髪頭を見つけた。
「水族館に、なにかあるのか」
「どうだろう……俺も直接見たわけじゃねえ」
カナタも彼らを見つけたようだ。彼女は元気よく両手を振って見せる。
「今日のところは帰る。あいつらによろしく言っておいてくれ」
レイジから松葉杖を受け取って、フミオは巨大なエアガンの箱を担ぎ上げた。
「──フミオ、さっき言ったことは」
「いいさ。俺も退院したばかりで調子悪かった。すまん」
空いたほうで後ろ手を振りながらユラユラ去っていくフミオの背中が、レイジの目には少しだけ寂しげに映った。
「あれ、フミオ帰っちゃったのか」
やがて、下駄の音を響かせてカナタがやってきた。
既に宵闇にまぎれてしまったフミオのことを、爪先立ちで見つけようとしていた彼女だったが、レイジの手に握られたブレスレットに気がついた。
「へえ……きれいだな、それ」
「海の色だ」
「アタシの目の色!」
少年のように目を細めて、カナタは笑う。
「前に、卵焼きを作らせる理由を聞いたときのこと、覚えてるか」
レイジはしゃがみ込んで、そっとカナタの手を取る。
「レイジ?」
「これを。カナタに似合うと思って」
レイジがそっと身を引いた後、カナタは手首に残されたブレスレットをじっと見つめた。
「全部終わった後、俺のことも忘れないでほしい」
ドォン。
ちょうどそのとき、一発の花火が夜空に打ち上がった。
空にいっぱいに広がる極彩色の火花が、カナタの白い頬を鮮やかに染め上げた。