海の彼方で、カナタを想う   作:おぴゃん

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6.せんせいと生徒たち(11)

「あーもう、先生ったら!」

 

 本殿で花火の打ち上げを待つ人々から逃れるようにして、キリエは石段の中ごろに腰を下ろしていた。

 

「ああ、どったんですか」

 

 と、もたげた顔は、暗闇でも分かるほどやつれている。

 うっすら輝いてみえるのは、べっとりとした脂汗が灯篭の火に反射しているからだ。

 

「どうしたも何も、アンタが約束破るから私たちが屋台手伝ったのよ……」

 

 思わず怒鳴りつけようとした声が尻すぼみになるほど、ルリコの目に映るキリエは弱りきって見えた。

 

「……もういいです。とにかく客さばけましたから。立てます?」

「ええ、ええ。もちろんですとも」

 

 そういいながら、キリエの手は地面を掻くばかりだ。

 

「先生、またお酒飲んだでしょ?」

「のんでませんよー」

「ウソウソ。こんなにフラつい……うぐっ」

 

 キリエに手を貸してやりながら、ルリコはうめいた。

 まるで鉄を詰め込んだ袋だ。彼女らの教師は身長およそ2メートル。ゴジラと殴り合えそうな背丈の持ち主だが、それにしても重すぎる。

 

「先生、何なの。マジでターミネーターなの」

「はは……言ったじゃないですか。スジにカネがって──」

 

 最後まで耳を貸すにも値しない、たわごとだ。

 ルリコはそう決め付けてキリエを支える体に力を込める。

 ブンタの屋台で散々酷使した筋肉が全身でブーイングを上げてくるのを無視して、一段下る。下駄の歯が軋む音が聞こえた。

 

「改造人間気取るならフミオ見なさいよ。アイツ、骨にボルト打ち込んでるんだから」

「歯止めきかないのはピアスといっしょですよねえ。軽い気持ちでいじり始めて、全身メカになってたりして。生徒会長もお気をつけてえ」

「しないわよ、ピアスなんか。生徒会長なんだから」

 

 キリエの汗ばんだ脇の下は野球部の部室の臭いがした。早くそこから脱出したくて、ルリコは先を急ぐ。

 本棚を抱えて石段を降りたほうが、まだ楽かもしれない──疲労と悪臭と重さでぐわんぐわんし始めた頭を振って、彼女はさらに一歩、

 

 ズリッ

 

 踏み出した足が、石段の上で派手に滑った。

 

「うわっ、ちょっ!」「あらん」

 

 ルリコの悲鳴。キリエの間の抜けた声。

 溶けたアイスか生焼けの鶏か、はたまた、なにかおぞましい祭りの残滓か──暗闇で、下駄をスリップさせたものの正体は分からない。

 ルリコの全身が、一瞬でぶわっと汗を噴いた。

 前のめりに階段を転げ始めていた。

 かすかな明かりに照らされた石段が、濡れたように光っているのが見える。それが急速に、彼女の顔面に向かって迫る。

 

「せっ──」

 

 キリエが、ルリコを抱いて庇った。

 

 ゴッ

 

 衝突の威力はキリエの腕を貫き、ルリコの頭を揺らすほどだった。

 そのおかげで顔面グチャグチャは免れたものの、転げ落ちる勢いはどうにもならない。

 

「せんせ……!」

「大丈夫大丈夫。なんとか、なります」

 

 二人の体はもつれたまま段差を下っていく。その勢いは増すばかりだ。

 朦朧としながら、ルリコは天地がひっくり返った回数を数える。10──20──やがて星空も冷たい石畳も、彼女の意識と同じようにゴチャ混ぜの灰色になって、分からなくなる。

 

 ゴチゴチとキリエの体が石を打つ音が、唐突に止んだ。しかしそれは、転落の終わりではない。

 

 二人の体は参道を逸れて道脇の茂みに突っ込んでいく。その向こうはフェンスなしの切り立った崖だ。

 十数メートル下の地面への落下スタント(スタントマン抜き)が待ち受けている。

 

「でえええええええ~~~~ッ!?」

 

 ルリコの悲鳴を尾のように引きながら、彼女たちは山すその雑木林めがけてむき出しの斜面を滑り落ちていく。

 浴衣もスーツもすべてが砂埃に包まれ、ルリコはついに意識を手放す。

 

「まったく……またガキに気ィ取られて、私は……」

 

 そう言って、キリエは教え子の体を強く抱いた。

 酔いも痛みも関係なく。やがてその長身が一本の大木に激突して止まるまで、アル中放任教師は手を離すことはなかった。

 

 ■

 

 

 

 

 

 

「はっ」

 

 目を覚ましたルリコの眼前に、月があった。

 木々の隙間からしんしんと降り積もる光の下、彼女はただ静かに倒れていた。

 

 骨──問題なし。

 顔とか肌とか、いろいろ中身──オッケ。触った限りだけど……

 

 二日酔いのようなひどい眩暈は、その引き換えということにする。

 気に入っていた浴衣は泥と土と枯れ枝に引っ掻き回されてヒドいもんだが、とにかく彼女は無事だった。

 

 ゆらり。彼女は体を起こす。何の問題もない。不気味なくらいに。

 

 うっそうとした林の只中に、彼女はいた。

 顔を上げると、はるか彼方の崖の上で、赤白のちょうちんがキンギョの幽霊のように泳いでいるのが見える。

 

(ああ……遠くから眺める祭りってのもオツなのね……)

 

 まだ霧がかったような頭で考えていると、不意にゾワリと全身が総毛立った。

 

 あれだけの高さから落ちてきて、ルリコは無事だった。それは運とかじゃない、キリエが命がけで守ってくれたからだ。

 

「せ、せんせ──」

 

 声が震えて、うまく出ない。

 暗闇に向かって呼びかけるのが怖かった。滑落のダメージをすべて肩代わりしたキリエが、今どんな状態で転がっているのか、想像もしたくない。

 おじける心を、必死に抑えて声を張る。

 

「せん……先生……先生! どこ、ケガしてませんか!?」

「ここですー」

 

 拍子抜けするほど近くから、意外なほど能天気な声が聞こえた。

 バっと振り向いたルリコの目と鼻の先に、茂みがあった。こんもりとした青葉の中から、昔懐かしいコントのようにキリエの足だけが突き出ている。

 

「いやあ、すみません。せっかくの浴衣が台無しですね……」

 

 爪先に引っかかったパンプスが軽く揺れた。

 

「待ってて先生。すぐ助けるから!」

 

 葉と枝で指先が切れるのもお構いなしで、ルリコは茂みをかき分ける。

 

「いやあ……マジで……丸呑みにされた時より、生きてるって感じしたわ……」

 

 キリエはいつに増してワケの分からないことを言っている。

 きっと頭を強く打ったせいだ。私がもっとあの時、しっかり足元見ていれば、ただでさえ少ない先生の脳細胞を守れたのに──と、ルリコは奥歯を食いしばる。

 太い枝をごろりと横にのけると、下敷きになっていたキリエの姿が現れた。

 

「やあ、生徒会長さん。ご機嫌いかが」

 

 茂みの上に大の字なったまま、彼女は片手を上げて見せた。

 思ったとおり、散々な有様だ。粘り気のある鼻血がゆるゆる流れ出し、青ざめた唇を伝って、白磁のような首筋に赤いラインを描いている。

 その赤が行き着く先──ブラウスの胸元が大きくはだけている。

 

「先生。それ……」

 

 控えめに布地を押し上げる乳房の間から見えるものを目の当たりにして、ルリコは面持ちを硬くした。

 

「どうしたんです。まさか、どこかケガさせて────ああ、失礼。中身(モツ)が」

 

 視線に気づいて、キリエはブラウスの生地を引っ張って『素肌』を隠した。

 

「うっ」

 

 直後。

 

 率直に、ルリコはえずいていた。

 一瞬見えたものは、人間の肉体と呼ぶには奇妙すぎた。

 肉、血、内臓──そういったものとは決して相容れないものが、半透明の膜の中で息づき、動いていた。

 樋口キリエはマトモな人間ではない。

 それは彼女の精神性だけに留まらず、温い無機質が奏でるリズムによって生命を維持する、その肉体のあり方についても同じだった。

 

「ごめんなさい」

 

 口元を押さえたまま、ルリコは謝った。

 

「ごめん本当に。ただ、ちょっと驚いただけ」

「まあまあグロいですからね。気にしないで」

 

 チアノーゼを起こして紫色になった唇を、キリエは歪めた。彼女としては、秘蔵のビッグサプライズが成功したという認識のようだ。

 

「そんな体で生きていられるわけが……いつから?」

「七年前から。なんとかなるもんですよ。この体のおかげで、もう開けられないビンとかないし」

 

 落ち着き無く、ルリコはあたりを歩き回った。

 下駄が片方どこかに飛んでいって、素足だということすら、気に留まらないようだった。

 

「それ……直せる?」

「ええ。五日透析サボったツケが出ただけなんで。ヤですよねえ、内臓がないぞう、なんちて」

「あのおじさんが『交換してる』って、こういうこと……」

 

 ルリコの舌打ちが、木々の間に響いた。

 昼間、病院に来た時点でキリエは限界だったのだ。軽い口調でヘラヘラ笑っているが、彼女の命はどう見ても風前の灯だ。

 

「この、バカ」

 

 ルリコは、自分の口を呪う。

 気遣いと苛立ちがあったら、間違いなく人を傷つけるほうの言葉を吐く、いつでも誰にも素直になれない自分のことを恨めしく思う。

 葉っぱが絡んだままの頭をかきむしりたい気持ちをこらえて、彼女はキリエの隣に腰を下ろした。

 

「アル中は病院すら行けないっての?」

「やだなあ。教え子に夏祭りをエンジョイしてほしい。その一心でついてきたんですよ」

「そ。本音は?」

「このまま死んじまうのも悪かないかなって」

 

 わざとらしい笑みを浮かべながら、キリエは手刀を作って首に当てると、素早く引いてベロを出して見せた。

 

「グエー」

「そんなの間違っ……」

 

 そこで、ルリコは言葉を切った。

 鼻緒に擦れて薄桃色に染まった指の股を、じっと見つめる。

 

「なにが、大人はウソつかない、よ」

 

 彼女が大げさにため息をつくと、隣からひそやかな笑い声が聞こえた。

 

「トラックに身投げするよりは、ロマンのある死に方かもね」

 

 祭りに乗じて、しょうもない酔っ払いのフリをしながら騒ぎのド真ん中で静かにくたばる。

 ルリコには到底理解できないセンスだが、キリエらしいといえば、らしい。

 

「でも失敗よね。次回に期待って感じ」

「おっそろしい子ですね。普通、そこは止めるもんでしょ」

「本気で死のうとしてるやつに、テキトーな言葉かけるクズになりたくないだけよ」

 

 崖下では、太鼓の音も家路につく子供たちの歓声も、木ずれに負けてしまうほど遠い。

 種類も分からない鳥の群れが甲高く耳障りな鳴き声を上げて、淀んだ闇に佇む二人の頭上を飛び過ぎていった。

 

「ルリコさん」

 

 のっそりと体を起こしたキリエが、重々しく口を開いた。

 まるで鋼鉄の怪物が傍に控えるような圧迫感を覚えながら、ルリコはじっと、彼女の担任を見上げる。

 どれだけ生活を持ち崩しても変わらない、水のような美人。

 ただ、暗闇の中でじっと涼やかな美貌を見つめていると、その顔の裏に刻まれた無数の修羅場が、赤く熾った傷となって浮かび上がってくるような錯覚を覚える。

 固く閉ざされた過去への扉を開け放つように、キリエはその唇を開く──

 

 

 

「────少し、昔話をしましょう」

「は? イヤに決まってんでしょ」

 

 瞬殺だった。

 

「あの時私は旧相模湾の上空──ええっ!?」

「すり寄ってきてんじゃないわよ。私が持ってる自由意志を総動員して拒否するから。自分のことで手一杯なのに、なんで自殺しようとしてる女教師の身の上まで聞かされなきゃいけないのよ」

「つ、ついに謎に包まれた先生の全容が知れますよ!」

 

 すがりついてくるキリエの手を、ルリコが払う。

 

「そんなん皆知ってるわよ。くっだらねーアル中でしょ」

「ちちち違う! 聞くもウツ、話すもウツの感動大巨編ですったら!」

「だったら余計聞くわけないでしょ」

「聞いてよ! ね、ね、お願い! 先生もうそういう口になっちゃってるから! ちょこっとだけ、先っぽのほうだけ聞いてくれればいいから!」

「黙れやアル中!」

 

 どうしても聞いてほしいキリエ v.s 面倒は絶対避けたいルリコのバトルはしばらく続いた。

 

 結果はキリエのボロ負け。

 一発分のビンタをもらった彼女は、口で「しくしく」と言いながら、冷たい地面に転がっていた。

 

「…………まあ、でも」

 

 思い出したように、ルリコが口を開いた。一度言葉を切って、星空を見上げる。

 祭りのフィナーレは、きっとすぐだ。

 

「アンタみたいなアル中のダメ女でも……死なれたら困るヤツっているもんよね」

「いますかねえ、そんなの」

「いるわ」

 

 ルリコは断言する。

 

 ■

 

 ルリコは、人が嫌いだ。

 バカな学生はもっと嫌いだ。

 そしてその最たるものはキリエと自分のクラス、2-Aだった。

 タバコ吸ったり飲酒したり、学校で賭博するわケンカするわボヤは起こすわ……ウンザリしているし、正直少し憎い。

 

 彼らのことを知ろうと思ったきっかけが、それだった。

 問題児が問題児であることを止められないなら、生徒会長として、せめて手綱を握っておきたかった。

 この野郎はどんな“偉業”を成し遂げて2-Aにブチ込まれたのか。あの野郎はどんな家庭が生み出したモンスターなのか。

 猛犬をくくりつける首輪を編むように、ルリコは一人ひとりの経歴をせっせと丁寧に調べ上げた。

 

 ルリコはマシーンではない。

 そうあれたらとは思っても、ままならないものだ。

 

 彼女の中の柔らかくて暖かい部分が、閻魔帳に書き込む手を休ませる。そして、じっとページを見つめてしまう。

 

 ────二ノ宮ヨシ。

 

 商店街で八百屋をやっている父親は、外ヅラばかりのクソみたいな飲んだくれだった。ヒマさえあれば、ヨシをひどく殴った。

 そこでヨシが何かしたかと言えば、黙って耐えるだけだ。

 少なくとも家庭内では。

 彼は被害者ではない。自分の身に降りかかった不幸を、同じだけ他人にバラ撒く、れっきとした『やる側』だった。

 特に入学直後は手のつけられない素行不良っぷりで、あっという間に最終処分場2-Aのイスにふんぞり返っていた。

 そんな暴れん坊がニコニコ笑うようになったのは、偶然同じクラスになった姉御肌のボタ子と、病弱なアイザワと交流するようになってからだ。

 

 アイザワ──ルリコは少しだけ彼の境遇に同情しているので、あまり名前は呼ばない。

 きわめて病弱な彼の体調は、日々予測不能に改善したり、とてつもなく悪化したりした。

 本当は出席日数が足りないのを、卒業できなくてもいいから、という無理を通して学校に通っている。

 

 そんな特別扱いと、優れすぎた容姿はすぐに周囲の嫉妬に晒された。

 

『他ではやっていけない』

 

 半ば匙を投げたような但し書きと共に2-Aにやってきた時のアイザワはボロボロで、ほとんど口もきけない状態だった。

 

 そこであろうことか最悪の暴れん坊、ヨシが何をしたかと言えば、たまたま隣の席になったアイザワをカツアゲしようとしたのであった。

 

 だが、どれだけスゴんで脅して胸倉掴んでも、彼は一言も漏らさない。

 

 ヨシは知らないことだったが、アイザワは喋らないのではなく、喋れない状態だったのだ。

 後々語ったところによるとその時点でヨシの気持ちはだいぶ萎んでいたらしいが──ここでおとなしく引き下がっては、不良のコケンに関わる。

 

 目の前の女の子のようなイジメられっ子に、ネのひとつでも上げさせなければ気がすまない。

 そう思って鉄板入りのカバンを振りかぶった瞬間、

 

『楽しそうだねえ。ヨシちゃああん』

 

 そこからの記憶はあいまいだという。

 気がつくと彼はアザだらけで保健室のベッドの上にいて、傍らではアイザワとボタ子がスポーツドリンクと駄菓子でパーティーをしていたという。

 

『この子の面倒見てやってねえ。ヨシちゃんのことはあたいが見てるからさあ」

 

 ヨシはとにかく、ボタ子の底知れないところが恐ろしかった。

 なのでイヤイヤだがアイザワのカバンを持ち、ヘンな奴に絡まれていたら拳がすりむけるまでケンカし、学校を休んだ日は裏山を駆け上って神社にプリントを届けた。

 そこで分かってきたのは、あほあほのヨシ以上に、アイザワは勉強ができないということだ。

 

『ありがと……』

 

 三次関数について教え終わった時、初めて礼を言われた。

 

『うん……まあ……いいぜ』

 

 少女のように頬を染めたアイザワを目にしたその瞬間、手のつけられない狂犬は死んだ。

 それからもアイザワが欠席した分の授業を教えてやるために、ヨシは学校に通い続けた。

 

 しかし、長年不良として鳴らしてきた彼も勉強は得意ではない。

 本当にマジのガチで分からないことがあると生徒会室のドアを蹴破り、土下座する勢いでルリコに教えを請う。

 

 ルリコもルリコで、お人よしな部分が首をもたげて、ついつい教師のマネゴトをしてしまう。

 

 そして、ボタ子はボタ子で────

 

 ■

 

「私、もしかして生徒に慕われてたんです?」

「クソジャンキーが調子乗ってんじゃないわよ」

 

 唾を吐き捨てながらルリコが言う通り、キリエが教師として優れていた──なんてことは決してない。

 すべては偶然だった。

 

 ヨシにアイザワ、そしてボタ子。

 おまけにレイジとフミオ、ルリコ。忘れちゃいけない、レイジの“運命”(カナタ)すらも。

 みんな、たまたまこのクラスに流れ着いただけだった。

 

 広い海を漂っていたヤシの実が、たまたま同じ浜辺に身を寄せるように。

 

「でもね。ウチのクラスの担任はアンタよ。どうしようもないアンタじゃないと、どうしようもない連中の居場所を作れなかった」

 

 そして、いびつなピースを収めるには、正しく歪んだ箱が必要だ。

 2-Aという容器の中で歪に絡み合った彼らは、キリエがいなかったら一瞬で空中分解し、今度こそ二度と這い上がれない。

 

「先生が死ぬと巻き添えで死ぬやつらがいる。確実に」

 

 ルリコは嘘を語れない。

 だからこれは、まさしく真実だ。

 長い長い一ヶ月の末、すべてが一周して、あのカビ臭い映画館のシートの上に戻ってきたような感じがした。

 あの日見つめていたカナタの側に立って、今度はルリコがキリエに告げる。

 

『死ぬぞ』

 

 静かな痛みを秘めた言葉を吐きながら、ルリコは不思議なほど気持ちがスッキリしていた。

 意固地でどうしようもないほど苦しんでいた自分の頬を張ってくれた時、あの子もこんな清々しかったのかな──

 そう思いながら、胸に手をやったキリエをじっと見下ろす。

 

「でも先生がガチで死にたいなら、止めない。そこまで私は傲慢(ごーまん)になれないし、そこまで先生に期待していい筋合いも無い」

「ルリコさん」

「きれいごと言うつもりはないけど、今日は冷えてきたし、とりあえず延期にしたら。死んだ後に風邪とか引きたくないでしょ」

 

 キリエはしばらく考えたあとにケータイを取り出した。

 

「もしもし……そう。案の定ね…………一つ二つ貸しってことでいいから、レスキュー頼めないかな」

「先生」

「すぐ迎えが来ます。面倒くせーオジサンなので。早めに帰った方がいいですよ」

 

 それでもルリコは、何か言いたげにその場に残り続けた。

 彼女の心情を察して、キリエが薄く笑う。

 

「大丈夫。あなたがしばらく歩いたら、後ろから銃声がして……なんて展開はありません。今日は生きてみます。とりあえず、明日も」

 

 歩いていって、まさに茂みの間にその姿が紛れていくというときに、ルリコは振り返った。

 

「……ゲームをしましょ。私と先生、どっちが長生きできるか」

「ゲームなら、賞品はどうしましょうか」

「勝ったやつが、先に死んだやつのことをボロクソこき下ろす。全力で。周りがドン引きするくらいに」

「はは。なんだそれ」

「私たち、普通じゃないもの。普通に送るとか、ガラじゃないでしょ」

 

 遠くで聞こえた音に、二人は視線を上げた。しばらくして、大きな光の花が夜空に咲き誇る。しかし、木の枝が邪魔で、端のほうのレースのような光が見えただけだった。

 

「あー!? 先生のせいで花火見逃した!」

 

 ルリコの叫びに、キリエはただ肩をすくめた。

 

 ■

 

 祭りが終わる。夏が始まる。

 カナタと並んで境内を出る頃になると、その感覚はますます強くなってきた。

 この祭りをきっかけに、夏という巨大な缶詰の封を開けてしまったように、中に詰まっていた陽炎だったり蝉の声だったりが溢れ出していって、最後には、からっぽの缶だけが残るのだ。

 レイジは鳥居をくぐって、一度だけ振り返る。まばらに灯っていた提灯が、示し合わせたように彼の目の前で一斉に消えた。

 始まったばかりなのに、既になんだか、夏が恋しい。

「ふふん」にわかに訪れた薄暗闇の中で、カナタは白い手首を持ち上げて笑う。

 青いビーズのブレスレットが、残光を反射して輝いた。

 

「似合ってる」

 

 レイジの何気ない言葉に、カナタはこそばゆそうに自分の肩を抱いた。

 

「へへへっ、ありがと」

 

 数歩、先に歩み出たカナタが、浴衣のすそを翻してくるりと回って見せた。

 

「レイジ……アタシ、キレイかな」

「ああ。とっても。とってもきれいだ。俺が知っている何よりも」

 

 薄暗闇に柄の白い牡丹がふわりと舞い、まるで夜の海に打ち寄せる波のようだった。

 

「これ見るたびに思い出せ、か」

 

 カナタが目を細めて笑うと、目蓋の奥で青い海が一際美しく輝く。

 

「忘れないよ。この夜、この景色。アタシがレイジと一緒にいたこと、全部」

 

 レイジは、その瞳に本物の海が映るところを見たいと思う。

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