海の彼方で、カナタを想う   作:おぴゃん

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「いくぞルリコっ、それ!」

「わああ、やめなさいったら!」

 

 飛沫が散る。

 水を掛け合う少女たちの白いふくらはぎから滴る水を、レイジとフミオは呆けたように見つめていた。

 男どものスラックスは膝まで捲り上げられ、流れの中に浸けられている。シャツの背中に照りつける夏日は痛いくらいで、それが水の冷たさを引き立てていた。

 川底にはヤマメやマス、ふっくらとしたドジョウが泳ぎ、玉石のあいだに影を落としていた。

 

「いてっ」

 

 ぽやぽやと生えた脛毛を彼らについばまれ、フミオが声を上げた。

 

「いい場所だな!」

 

 髪の先に水滴を光らせてカナタが笑いかけてきた。フミオは「ああ」だか「おう」のようなボヤけた返事をして、胸ポケットを探る。

 しかし、近くのコンクリート壁に貼られた張り紙が、それを許さない。

 

「今日び、どこもかしこも禁煙かあ……」

「ほらフミオ、ヤニなんて吸ってないで加勢なさい!」

 

 そう呼びかけてくるルリコはズブ濡れだ。

 半魚人のカナタ相手に、水掛け合戦で勝てるわけがない。珍しく着てきた私服をビチャビチャにされても、彼女はどこか、楽しそうだった。

 水が滴るほどになったシャツを、ルリコが絞る。夏日の下にうっすら腹筋の浮いた白い腹とへそがあらわになり、男たちの網膜にしっかりと焼きついた。

 

「あ? ……なあにい、アンタたち。ジロジロ見ちゃって」

「見てねえ。なあレイジ」

 

 フミオに聞かれて、レイジは具合が悪そうに目を逸らす。

 

「あ、ああ。ぜんぜん見てない。ほんとうに」

「うそだ! ルリコ、コイツらすけべだぞ、すけべ!」

「でしょうね! スケベには水ブッ掛けの刑よ」

「おわ、ヤメ……!」

 

 フミオたちが急いで水場から離れようとしたが、もう遅い。水を蹴散らしてやってきた女たちが、ものすごい勢いで水をかけてくる。

 

「フミオ、応戦だ」

「こっちまだ骨折れてんだぞ──ええい!」

 

 軽くうめいたフミオが、レイジに続いて立ち上がる。

 巨大な壁のようなレイジを盾にして、彼らはバチャバチャと飛沫を上げた。

 無邪気な笑い声が、都市の真ん中のビオトープに響き渡る。再現された川に放たれた小魚たちは、バカな人間たちの騒ぎを遠巻きに見つめていた。

 

 ■

 

 ガラスに覆われた天井から、白い日差しが差し込んでいる。

 コンクリートの川岸に横たわった学生たちは、そこで服を乾かしていた。

 

「小さくてショボい水族館だと思ってたけど、けっこう楽しめるものね」

「だろ。穴場、ってやつ」

 

 四人貸切状態のビオトープで耳を澄ませると、小川のせせらぎに混じって外の交差点を行きかう車のエンジン音が聞こえてくる。

 大自然に見えるが、ここは西町中心街のド真ん中。ついこの間、彼らが行った映画館や市民プールと同じ通りに位置している。

 

「コッチこいよ! おさかな、カワイイぞ!」

 

 まだ川の中にいて騒いでいるのは、服に頓着しなくていいカナタだ。

 

「いいわよねえ、カナタはいつもハダカだから!」

「おいやめろよ! アタシ、それについて深く考えないようにしてんだから!」

 

 セーラー服を着ているように見えるカナタだったが、実際はウロコとヒレが絡み合ってそれっぽく見せているに過ぎない。

 

「レイジ、おさかなー!」

 

 そう言って大きく手を振ると、脇の下に何本も走ったスリットが広がる。白いブラウスの中で目に鮮やかな赤色を覗かせるそれは、エラだ。

 カナタは人間に見えて、人間ではない。

 だからこそ、レイジは目を奪われるのだろう。

 きらめく水の中ではしゃぐその姿は、まさに水を得た魚のようで──

 ふとすれば、次の瞬間には足元の魚たちに誘われて、そのままどこか遠くへ泳ぎ去ってしまうのではないかとすら思わされた。

 

「おい、デカブツ」

 

 フミオが軽く、彼の肩を小突く。

 

「お姫様が呼んでるぜ」

「あっ、おう……」

 

 シャツを脱ぎ捨てたレイジが、水の中に戻る。

 タンクトップの大男は、流れの中で、自分がずっと小さくなったような錯覚に陥った。トラやゴリラを思わせる野生的な筋肉のうねりが、この場所では、何の役にもたたない。

 

「うわっ」

 

 子供の膝丈ほどの浅瀬で、彼は足を滑らせてしまった。

 

「おっと!」

 

 とっさに伸ばした手をカナタが掴んだ。

 

「おいおい、だいじょぶかよ……」

「すまん」

「なんか、初めて会ったときのこと思い出すな」

 

 つんのめってカナタの手をとったポーズのまま、レイジはうなずいた。

 彼も同じことを考えていたからだ。

 

「あのとき、レイジが来てくれて本当によかった」

「俺も、カナタが手を掴んでくれなかったら、ここにはいなかった」

 

 静かに静かに、二人の周りで水は流れていく。

 すっかりカナタを同族と思い込んだ魚たちが、彼女たちの足の間をすり抜けて泳ぎまわる。

 そのぬるりとしたヒレが足首をかすめる感覚に、レイジはなぜか心地よさすら覚えていた。

 

 ──と、カナタの手首が目に入った。

 

「ふふ。いいだろ、コレ。アタシの宝物なんだ」

 

 視線に気づいたカナタが、くるりと上目遣いで笑ってみせた。

 その瞳と同じ、海底の青。

 青いビーズのブレスレットが、彼女の細い手首に巻かれていた。

 

「ああ……似合ってる」

 

 レイジにほめられたカナタは、うっすら頬を染めて微笑みかける。僅かに彼女が伏目をすると、その顔に艶っぽさが漂った。

 

「……大事なトモダチがくれたから。毎日つけてる」

「ああ」

「アリガトな」

「ああ……こちらこそ……」

 

 だんだん言葉少なくなって二人は黙ってしまった。

 気まずいのに気まずくない、そういう沈黙だ。

 

「ねーえー」

 

 岸の方からルリコが放った声で、二人は、はっとした。

 

「イチャイチャは家でやってくれないかしら。なんか、カユくなってきちゃった」

「はっ、ハァ!?」

 

 カナタは繋いだままの手に気づいて、それをパっと放す。

 

「アタシとレイジはただの」

「な、メシ食おうぜ。オゴってやるよ」

 

 フミオはそう言うと、さっさと松葉杖を手に立ち上がる。

 

「ンだよ! アタシらいつも、こんなモンで──ああもう!」

 

 よろけたフミオを、ルリコが横から支える。

 

「いいって、もう」

「アンタがコケてまた骨ズラしたら強制解散でしょ。イヤよ。私に任せて」

「誰のせいだよ! ボルト入れ直してるし大丈夫だって!」

「なによ、じゃあ、あっちの力加減知らない筋肉ダルマに交代しよっか?」

「それはイヤだ! ルリコのがいい!」

 

 そのまま彼らは先に行ってしまう。

 カナタも肩を怒らせたまま、ぶすっとした顔で彼らを追っていった。

 

 取り残されたのは、レイジひとりだけだった。

 彼はただ、小魚たちと顔を見合わせることしかできなかった。

 

 ■

 

 ビオトープを離れた一行は、水族館内のレストランに向かった。

 薄暗い廊下を抜けた先のレストランは手狭だが居心地のいい、下町の定食屋のような店構えだった。

 店内は冷房がよく効いている。

 ここが水族館の中であることを申し訳程度に思い起こさせるメダカの水槽をはさんで、いくつもテーブルが並んでいる。

 一番窓際の席に、四人は陣取った。

 

「川魚もいいけど、でっかいクジラとかサメとかって、ここにいねえの?」

 

 皮までパリパリに焼けたニジマスにしょうゆを掛けながら、カナタが聞いた。

 

「いない」

 

 フミオは即答する。

 

「前も言ったが、ここは関東平野のド真ん中。それも2000メートルの地下に埋まった鉄と鉛のドームの中だ」

 

 その場にいた四人全員が示し合わせたように窓の外を見た。

 ガラスの向こうにあるものは、天日に干されて乾いたような白色を晒す真昼のビル街と、どこまでも透き通るような青空でしかない。

 遠くの雲間を飛ぶ鳥たちですら、この世界が作り物だと思うことは無いだろう。

 

「だったら聞くけど、あの空は?」

「デカいスクリーン……前、レイジが七区でバケモン狩りした時に言ってたろ、空をいっぱいに文字が浮かんでたって。あれが西町の本性だよ」

「くそガキの言ってたことはマジか……」

 

 意味深な呟きを漏らすカナタに、フミオは目をやる。

 彼女は慣れた手つきで焼き魚の身をほぐしていた。レイジは、もの言わぬボディーガードのようにその横で控える。

 彼はマスを丸ごと頬張ると、骨だけを器用に吐き出す。ぬらぬらと光る白い背骨を、フミオはぼんやりと目でなぞった。

 

「その証拠はこれから見せてもらうとして……フミオ、骨大変だったらやったげましょうか?」

 

 ずい、と目の前にルリコが顔を突き出した。

 黒髪から漂うシャンプーの香りを強く感じて、つい、彼は目をそらしてしまう。

 

「いいって。カーチャンかよ。俺が折ったの足だから。おてて使えるから。両方」

 

 思い出したようにワリバシを掴んだフミオを見てルリコがクスクス笑った。

 彼女は、レイジやカナタとは違う。彼らに比べれば、はるかに普通の人間だ。

 とうぜん、防衛局で埋め込まれたニセ記憶はそのままだ。だけど彼女は荒唐無稽な真実の数々を頭っから『信じる』と言ってのけた。

 

「この状況、一番ワケわかんねーのは、お前のはずだろよ」

「そうねえ。私はスーパーマンじゃないし、お姫様でもない」

 

 ムニエルに添えられたプチトマトを形の良い唇に当てたまま、ルリコはフミオを一瞥する。

 

「おかしな背景(バックボーン)のありそうなアンタも違う。あの日のことで私が覚えてることといったら、レイジがサメ殴ってドヤ顔してるところと、アンタがグリルごとバーベキューを炭にしているところだけ」

「だったらどうして……」

「今人生一番楽しんでる時期なの。私はアンタの話が面白いと思った。だから信じる。それだけよ」

 

 アンタらはどうすんの? トマトのヘタをトレイに放り込みながら、ルリコは向かいに座ったカナタたちに聞いた。

 

「もちろん。アタシはどれだけ邪魔されようが、海に行ってやる。一週間後のテストが、ちっとだけ心配だけどな」

 

 笑ったカナタがテーブルの下で爪先をチョンとつついてきたので、ルリコは微笑み返した。

 

「そうこなっくちゃ。レイジ、アンタはどう。アンタ、カナタに言われたんでしょ。自分のしたいこと、見つけろって」

「……まだ。はっきりとは」

 

 ルリコがため息をつく。赤点モノの回答だ。

 

「そうやってグダグダやってると、さすがにカナタも愛想尽かすわよ」

「つーか別に、ムリして変わろうとする必要あンのかねえ」

 

 いつの間にか空になったトレイに吐き出すように、フミオが口を開いた。

 聞いても聞かなくてもかまわない。ガラガラの映画館でクソくだらない映画を見ながら文句を呟くような顔を、彼はしていた。

 

「変われ変われ俺は変わるつって生きてても、肩凝るだろ……そういう感情」

「ふうん。だ、そうだけど」

 

 ルリコはただ肩をすぼめて、カナタを見やる。彼女は陽にブレスレットを透かして、テーブルの上を泳ぐ青い光を見つめていた。

 

「アタシはいくらでも待つぞ。それに、レイジを『にんげん』にするって約束も、まだ済んでないし」

「あらあら仲がいいですこと。んじゃ片付けたら、いよいよ悪の秘密基地に潜入ね」

 

 フミオが何か言う前に、ルリコは彼の分のトレーを持って席を立った。それをマネして、カナタもレイジの食器を掴んで彼女を追う。

 すっかり仲良しになった女の子たちが小突きあいながら食器の返却口に向かったのを見送ったレイジが、おずおずと口を開いた。

 

「フミオ」

「あん?」

「気、使ってくれたのか」

「まァ……そういうことになるかもな」

 

 頬杖をついて、フミオはガラスの向こうに視線を馳せた。

 青空と入道雲のハイコントラストが、彼の灰色の瞳に複雑な色彩を描いていた。

 

「ある朝ある男が目を覚ますと、そいつは気持ちの悪い虫に変身してたんだとさ」

 

 フミオの言葉はどこにも向かわない。レイジにも、彼自身にも。

 

「それで男は欲しいものを手に入れられたか? 周りを幸せに出来たか? いつでもウエルカムってわけじゃねえんだよ、変わるってのは」

 

 ■

 

「どうするの?」

 

 廊下に響く松葉杖の音。その背中に向けて、ルリコが声を投げかけた。

 結局あれから、館内の展示やミニ釣堀で遊び回り、気が付けば閉館時間になっていた。

 真横から差し込む夕陽が廊下のカーペットをオレンジに染める中、歩いているのは四人だけ。周囲には人気がなく、真夏の廊下にひんやりした静寂が漂っていた。

 

「どうすっかね」

 

 フミオは迷っているようだった。

 しばらく迷ってから彼は黒いライダーブーツの爪先を順路から外した。赤いテープで仕切られた細い通路が、深い闇をたたえて待っていた。

 

「……マジで行くか?」

「あ? 今さら何言ってんのよ。このクソ暇人どもはともかく、私はアンタが町の秘密教えてくれるってんだから、生徒会サボってついて来たのよ」

「相変わらずゴアイサツな会長サマだな……!」

「でもちゃんと楽しかったろ。今日一日」

 

 その背中一発張ってやろうかしら……と、ルリコが振りかぶった手をつい下ろしてしまうほど、彼の面持ちは固かった。

 

「金魚と川魚ばっかのしょぼい水族館でもよ。楽しかったじゃねえか。海に行くのと変わらねえ、ちゃんとした夏の思い出じゃねえか」

「フミオは、正直なところどうなんだ」

 

 背後のレイジを、フミオは一瞥する。

 

「決めかねてる。行くか、行かないか。いっそお前が決めてくれねえか」

「ユージューフダンなところ、変わってないんだな」

「うるせ。ウロコ女」

「あ!? ンだそりゃ!」

 

 カナタに毒づいてから、フミオは胸ポケットからIDカードを取り出した。

 ふわり。かすかなバニラの香りが鼻をつく。

 それはバイク事故の現場で、とある女から渡されたものだ。カードはひどくヨレて、赤茶けたものがこびりついている。

 ヘンクツそうなメガネ男の証明写真を、彼はしばし見つめた。

 

「その写真、だれだ?」

 

 カナタが、フミオの手元を覗き込む。

 

「ろーま字だな。む、むな、ムナカ──」

「っ、よせ。分かったよ。行こう。レイジ、テープどかしてくれ」

「待ってました。早く案内しなさい」

 

 忌々しそうに舌打ちして、フミオはカードを拳で隠した。

 

「ごめん……アタシ余計なコト言っちまった?」

「違う。この男が嫌いなだけだ。ウチのダセーおっさんより、この町より、この世の何よりも」

 

 フミオは肩にかけていたバッグを外し、レイジに投げ渡した。その中には手回し充電式のLEDランタンが入っている。

 

「あら高級品。私、それ買うためにバイト増やしたのよね」

 

 公園でキャンプ生活をしているルリコが目ざとく値踏みして口を挟む。

 

「欲しけりゃくれてやるよ。今日のおつかい(クエスト)が終わった後にな」

「やった! じゃあ貯めてたお金でアンタにアイス奢ったげる」

 

 飛び跳ねるルリコに軽く頷きを残したフミオが、レイジに先を行くよう促した。

 光源を持った大男が体を横にして細い通路に入っていくと、フミオが続く。しんがりについたルリコは、首を傾げた。

 アイスで釣られるなんて子供だけだが──フミオはまさに子供だ。少なくとも、ルリコの認識の中では、永遠の中学生だ。

 だからこそ、今日の彼は違和感ばかりだった。

 暗い顔して、訳知り顔で低い声でしゃべってばかりだ。

 

「俺は優柔不断なんかじゃねえよ。なあ、ルリコ。お前なら分かるだろ」

 

 落ち着いた。違う。大人になった、という感じでもない。

 

「アンタさ、なんだか疲れてない?」

 

 ランタンの陰影のせいかも知れない。それでも、一瞬振り向いたフミオの目元に落ちた黒々とした影を、ルリコは忘れることができなかった。

 

 ■

 

 細長いチューブのような小道は緩やかにカーブし、螺旋を描いて地下へと続いていた。

 足元に等間隔で点けられた頼りない非常灯と、レイジの掲げるランタンだけが彼らの光だ。

 

「この下に大きな濾過槽(ロカソウ)があるはずだ。水族館は水質検査も兼ねてるんだと」

 

 ゴソゴソという衣擦れと、松葉杖の音が大きく反響する。

 

「飲んでいい水と、そうでない水がある。最近の浸水被害、お前ら、散々なメにあったろ?」

「アタシが入れなかった市民プールとか?」

「俺たちが入れなかったプールだ。あとは映画館もだな。レイジたちがズブ濡れでトイレから出てきた時は目を疑ったぜ」

「そもそもここは関東平野のド真ん中なのよね。あの塩水はどこから来てるワケ? ドームの中でしょ、それも地下深くのシェルター。たとえ地上が水没しようが、私たちは地下水飲んでいればいいわけじゃん」

「もしかすると、海の方が地下に食い込んできているのかもな……」

 

 フミオの漏らした不気味な呟きをきっかけに、みんなが沈黙した。

 そのまま無言でスロープを下り続けていると、やがて金属製のスライドドアが一行の前に現れた。

 暗闇で鈍く光を反射するドアの横には、小さな装置が取り付けられている。フミオがくたびれたIDカードを取り出した。

 

「テンチョーは、このこと知ってんの?」

 

 古くなって磁気がヘタったカードを何度も何度もフミオがスキャンするのを見ながら、カナタが何気なく言った。

 

「なによ。あのおじさん、こんなキナ臭いことに絡んでんの!?」

 

 ルリコが仰天して叫ぶと、キンキンとした反響が狭い通路に広がった。

 

「ああ……俺の父親で、黒幕だよ。ラスボス。……今はちと、違うがな」

「これだからハゲって油断ならないわね。ダースベーダーもハゲだったし」

「ああ、それとカナタ」

 

 ガタゴト音を立てて開くドアの向こうから、白く無機質な光が射す。

 逆光の中に黒く浮かぶフミオのシルエットが、ゆっくりと振り返る。

 

「コレは俺のドクダンってやつ。だから……ここから先で何が起こっても、オッサンには知られない」

 

 彼に促されてドアをくぐった先はエレベーターになっていた。

 もとから大人数で使うことを考えていなかったようで、三人乗り込んだ時点でギチギチ。トドメとばかりにレイジというバケモノ体積が乗り込むと、もはや身じろぎの余裕すらない。

 しかし、動作はスムースだった。

 数百キロの重みを抱えたまま、小さな箱は文句のひとつも漏らさず、地の底へと静かに降下を始めた。

 

「ぎ、ぎづい。づぶされる……」

 

 代わりとばかりにひしゃげた悲鳴を上げるのはカナタだった。

 彼女の体はレイジの汗ばんだ上腕と壁の間で激しくプレスされている。

 

「す、すまん……」

 

 小声で彼女に謝りながら、彼は以前三区の大型デパート、ラスコに行ったときのことを思い出していた。

 放課後いきなりルリコとボタ子に呼びつけられ、ワケも分からないまま特売に付き合わされた時だ。両手に大量の非常食と日用品を提げてエレベーターに乗ったのだが、彼をしてもなかなかタフな経験だった。

 密室に詰め込まれた人間から放たれる不快な湿気。不穏な揺れと絶えることの無い騒音────音も振動も無く下り続けるこのエレベーターに乗っていると、それらが恋しくなる。

 

 浮遊感だけが、地下2000メートルから更に下方への移動を教えてくれる。

 息苦しいほどの沈黙の中で、レイジは考えた。

 

 ──ラスコのエレベーターのほうが、まだマシだったかもな。

 

 ここにいると、西町が時代遅れのテクノロジーをわざと残した、『演出された90年代』だったのだと、強く実感する。

 

「まちの……うう……ぶえっ!?」

 

 口を開いた隙に汗っぽいレイジのしょっぱい腕を舐めてしまったカナタが、オエオエと言いながら舌を出す。

 

「町の地下なら、見たこと、あるぞ……ユソーロ、とかなんとか」

「ああ。俺たちが目指すのは、そのずっとずっと下のほうだ」

 

 フミオが答えるのがきっかけになったように、数分間に及ぶ降下は終わりを告げた。

 プシュ──軽くガスが抜けるような音を立ててエレベーターのドアが開く。

 

「うわ……」

 

 想像したものとは違う光景が、カナタの目の前に現れた。

 病院の地下に広がっていた簡素な通路とは別物だ。道の両側は全面ガラス張りで、その先に広がる広大な空間を見下ろせるようになっている。

 

 廊下の向こうからコンビニのコピー機を思い出させる黒い筐体が滑るようにして向かってくる。

 一行の先頭を行くフミオの前で一瞬動きを止めたそれは、短いスキャンの後にビープ音と共に緑色のライトを点滅させ、通り過ぎていった。

 

「レイジの家で見た映画に宇宙要塞のシーンあったでしょ」

 

 ガラスに取り付いたルリコが、口を開いた。

 

「けっこうキチンと考察してるのね、ああいうのも」

 

 ガラス張りの長い廊下、その外に広がる空間、すべてが純白のプレーティングを組み合わせて作られていた。

 ひたすら物言わず控えるレイジも、強烈な白色の光と計り知れない暗闇で二分化された、宇宙要塞(デス・スター)の内部を思い出していた。

 

「ルリコ、お前、テンション高ぇよ。気味わりい」

 

 フミオは、どこか険のある言い方をした。

 

「いいでしょお。この町が作り物だってアンタの話に信ぴょう性出てきて、ワクワクしてるのよ」

「カタブツマジメの生徒会長がそういう風にしてるの……なんか、ヘンだぜ」

 

 廊下の先を見据えたままフミオが言うと、一瞬だけルリコがポカンとした。

 それから彼女は、口元に手を持っていっていたずらっぽく笑った。

 

「……ふふ。案外、私ってこっちが素なのかもよ」

「お。ブタだ。見ろよ」

 

 ルリコを無視したまま、フミオが廊下の外の空間を指した。

 金属製のレールが数十メートル下方に何本も走っている。

 鉄鋼や材木を乗せた貨物車が絶え間なく流れる中に、檻のような車両が走ってくるのが見えた。

 

「焼肉になってないのを見るのは、初めてだな」

 

 巨大なレールと、その上を流れてくる貨物車の上には檻が乗せられていて、鉄格子の隙間から鼻を突き出したブタたちが不安そうに天井の照明を見上げている。

 

「オマエ、前に養豚場があるって言ったじゃん。アレもウソだったろ」

 

 カナタがギロリと睨み付けたが、フミオは軽く肩をすくめただけだ。

 

「今目の前にあるからセーフだろ」

 

 レイジの目は貨物が流れてくる先を見つめる。

 完全自動化された巨大な輸送網は、途中で仕分けされて枝分かれしていくものの、『源流』は一本の太い幹線だ。

 

「悪の基地にしては、ずいぶん守りが手薄なのね」

 

 ルリコの目も、線路をなぞる。その先に何があるのか。どこから荷物が来るのか、見定めるように。

 

「ここはあくまで通り道だからな。本当に町の秘密に関わっている連中は、ドームの外殻で暮らしてた」

 

 彼らの仕事は、いろいろだ。

 レイジたちを襲撃してきた実働部隊が『境界防衛局』のすべてではない。

 ドームの補修や天気の管理。不都合なことを知ってしまった住人の記憶操作に────あの『終わりを撃ち抜く』というレールガンの建造だってそうだ。

 

 カナタはレイジの隣を歩きながら、祭りの夜のことを思い出していた。

 あそこで行われる儀式の正体は供養だったわけだが、そこにはキリエのように防衛局の人間がたくさんやってきていた。ように思う。

 

「祭りでさ。なんか悲しい顔したおじさんと、会った」

 

 誰も聞いてくれなくてもいい──そんな気持ちで、カナタは口を開く。

 

「ボーエーキョクってのにはいろいろムカつく目に遭わされたけど。でも、イヤガラセであんなことしてるわけじゃない。ってアタシは思いたい」

「そうかもな」

 

 IDを提示してドローンを退かせるフミオは、淡白に返事する。

 

「この先に行けば、どうしてこんな町ができたのか、アタシにもわかるかな。どうかな」

 

 カナタは、レイジのシャツのすそを掴んだ。

 

 ■

 

 彼らはそれから、更にいくつかのエレベーターを乗り継いだ。

 フミオが事前に言ったとおり、邪魔は一切入らなかった。ひたすら続く白い通路と線路とID提示を繰り返して、施設の下方を目指す。

 線路線路ドローン、ブタと鋼材とドローンとガラス……そんな風に、彼らの辺獄めぐりは延々と続く。

 

 やがて時間の感覚すら薄れてきた頃──風景に変化が現れた。

 次第に照明は少なくなり、封鎖された扉が目立ち始める。明らかに、捨てられた領域に踏み込み始めていた。

 

「ここだ」

 

 フミオが顎をしゃくり、レイジの豪腕がうなりをあげる。電源が落とされたドアが、きしみを上げて押し開かれる。

 その先にあったのは青い光に満たされた空間だった。

 

 光の出所は、扇形になった部屋の外周を取り巻くガラスだ。

 その外にはコンクリートの貯水槽が広がり、揺らめく水の中にいくつもの支柱が立っているのが見える。

 そこに並々と蓄えられている水が──みょうに(くら)く感じる。

 

「ここが濾過槽ってやつか」

 

 部屋の中に静かに立ち並ぶ机に歩み寄りながら、レイジが言った。

 

「ああそうだ。ちょっと前まで、だそうだが」

 

 机はすべて半透明のビニールカバーをかけられていた。それらはもう二度と触れられないことを悟った死体のように、薄闇の中で眠りについている。

 カバーに埃はなく、機器も真新しい。つい最近まで、ここは使われていたようだ。

 

 レイジとフミオがカバーをめくる後ろを通って、カナタはガラスに近づいていく。

 青黒い水をたたえた水槽は、まるでこの場所が水族館の一部であるように感じさせた。

 いるわけはない──そう分かっていても、カナタの視線は水槽の中を泳いでいた。

 海の生き物が見たかった。潮の生臭さを感じさせるものが、どこかに放たれていないかな。

 

 そんなことを考えながら、カナタは耐圧ガラスに触れた。

 

 

 ドムッ

 

 

 部屋全体をゆするような衝撃に、全員の目が水槽に向けられた。

 

「おわっ……わあっ!」

 

 何か黒く、大きなものがガラスを打ち据えた。

 いきなりのことに驚いたカナタは後ずさり、足元のコードに引っかかって倒れかける。

 すかさず駆け寄ったレイジが、彼女を受け止めた。

 

「カナタ」

「ふーっ……さんきゅな……」

「何よ、これ」

 

 ルリコの体が、ガラスに向く。

 四人の前に現れたのは、一対の黒い巨大な手のひらだった。

 レイジの長身すら凌ぐその手。だが、肘から先しかない。泥が水中で形作ったような黒い手は、末端からゆっくりと崩れ始めている。

 

「オッサンとキリエ先生は、こいつを汚染って呼んでた」

 

 フミオの目の前で、手はガラスをノックし続けている。

 最初の激しさとは裏腹に、その動きはすでに機械的な繰り返し。音も、振動も、今では微かにしか伝わってこない。

 

「先生の名前が出て、驚かねえの?」

 

 異常な状況にまったく動じないルリコを見て、フミオの眉が軽く動いた。

 

「私も仲間はずれなりに、色々見てきたから」

 

 彼女の頭の中には、崖の下でうずくまって弱々しく笑うキリエの姿が浮かんでいた。はだけたシャツの中にあったもののことも。

 

「はー、にしても困ったモンね。これ飲んでんでしょ、私たち」

 

『この町の生活用水は汚染されている』

 

 彼女がかつて考察したことは間違っていなかった。

 私もお腹すいたら水道の水ゴクゴクしてきたし、もしかしてあんな腕が内臓かき混ぜて飛び出てきたりしてね──

 なんてことを考えながら、ルリコは近くの机に腰を下ろす。

 

「おいしい天然水。最高ね」

「関東平野の地下にはいくらでも水脈がある。今町に供給されてるのはクリーンだぜ。一応な」

「今のは。って、いつからだ?」

 

 聞いてくるカナタを、フミオは一瞥する。

 その瞳に秘められた、責めるような冷たさが、カナタは少しイヤだった。

 

「ちょうどウチの水泳部が全滅した後だ」

「ああ……そういうこと。なるほど。って感じね」

 

 水泳部総勢十五人、全滅。

 いつの間にかアッサリと、本当にあっけなく、日常から級友たちが退場していた。

 知らないうちに過ぎ去った悲劇の規模を見せ付けられて、レイジの腕の中でカナタの体がこわばった。

 

「水泳部のバカタレ共、生きてるの?」

「サンプルとして生きてはいる。それをどう取るか。ってハナシになるがな」

 

 フミオの話を聞きながら、ルリコはレイジに目をやった。

 七区で汚染水に触れた人間たちがどうなったか。彼の口から大体聞いている。

 黒い繭のような袋に変わり果て、棘皮の怪物を育てる液体を垂れ流すだけの存在。それはもう、絶望的で、戻る道のない変異だった。

 

「最後の宴になっちゃったわね」

 

 ルリコがぽつりと言った。

 飲んで、歌って。その勢いで色々して────ハメを外しすぎた彼らに停学処分を下したことについて、ルリコに後悔は無い。生徒会長として当然の始末をつけた。

 そしてそれは、事実を隠蔽して日常を作り出す防衛局にとって、絶好のタイミングだったのだろう。

 

「カナタ。アンタの机と教科書の元の持ち主。水泳部のハルマサってヤツがいる──いたのよ」

「いいヤツだった?」

「ぜんッぜん。クラスメートにカネ借りて返さないし、酒飲んでんのバレて大会パアにしやがったし。もうサイテーのクズよ、あいつ!」

 

 ドゴン、と大きな音がした。ルリコが腰掛ける机を、力任せにブッ叩いた音だ。しかしその拳はすぐに解けて、ビニールのカバーを優しくなでた。

 

「でも、あいつより速く泳げるやつはいなかったわ」

 

 ルリコが言葉を浮かべる横で、フミオが頷いた。

 

「そうだな。それに、ちっと返済遅れても『しゃあねえか』ってなるようなキャラしてたしよ」

 

 カナタもすでに知ってることだが、どこに行ってもクラス2-Aは白眼視されてばかりだ。ハルマサは語らなかったが、水泳部で認められるまで、長い長い苦労があったに違いない。

 それを彼は、自力で掴み取ったのだ。

 みんなで笑って酒盛りして、一緒に悪さをするくらいの絆を部内に作れた。その一点で、ルリコは彼を絶大に評価している。

 

「俺にも結構親切だった。席が隣なだけで、毎日声を掛けてくれた」

 

 カナタが見上げるレイジの顔は、固い。水槽の中でもう手のひらは溶けていたが、彼はまだ警戒を解かない。

 

「出来たら、でいい。名前だけでも覚えていてあげて。アイツ女好きだったし、カナタがそうしてくれたら、きっと喜ぶと思うから」

 

 ルリコの言葉に、カナタは黙ってうなずいた。彼女の青い目が、水槽の底に消えた黒い手の残像を、もう一度探していた。

 

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