海の彼方で、カナタを想う   作:おぴゃん

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8.第三の選択(2)

「フミオ」

 

 棺の上に立ったレイジの視線は、足元に座った友ではなく、最後のボルトに注がれていた。

 大木の幹のような彼の指は、ボルトの上を何度も滑る。二人の決別のときを少しでも先延ばしするように、何度も、何度も。

 

「答えろ。なぜ今になって、防衛局がカナタを狙う」

「前にも言ったろ。こりゃ俺の独断だよ」

 

 フミオはポケットから一本のタバコを取り出して、口にくわえる。

 もはや彼とレイジとの間でなされるのは、友人同士の会話ではない。詰問であり、尋問だ。

 

「防衛局ってな、お前が思うほどバリバリの組織じゃねえ。臆病風に吹かれたみてえに武器揃えまくって、そのクセやってることと言やァ、地下に閉じこもって古くせえ時代のママゴトを続けるばっかだ」

 

 片手で松葉杖を引き寄せながら、フミオはもう一方の手でスラックスの中をまさぐり続けた。

 ポケットの中で、IDカードと尻の隙間に挟まれるようにして収まっていたものを引き寄せる。ゆっくりと拳を握り、中に隠す。

 

「……だったらフミオ、お前もそうすることだ」

 

 凍てつく柱に手をついて、レイジが吐き捨てる。

 

「父親のように、ここで置物のようにじっとしていろ。俺とカナタの邪魔をするな」

「どっこい、こんな俺にも意地がある」

 

 フミオが吐いたタバコの煙が、足元からすがりつくように流れてきた。もどかしいほどゆっくりと緩むボルトを回しながら、レイジは眉間にしわを寄せる。

 

「一つ。騒ぎの元になってるカナタの身柄を抑える」

 

 フミオは指を折る。

 

「で、二つ目。そこの“死体”──封印されし武器ってやつだ」

 

 レイジとフミオ。もはや相容れない存在となった二人は、示し合わせたように支柱を見上げた。

 

『やるわけねーだろ、お前なんかに』

 

 灰色のドレスを着た少女が、ぺたぺたと素足の足音を幻聴させながら歩いてくる。

 

「これを手土産に、俺は防衛局に行く。そうすればオッサンも、俺を認めざるを得なくなるはずだ」

「そんな下らないことのために、か」

「下らなくなんかねェ」

 

 フミオがふっと手を振った。彼の手からタバコが飛んで、霊安室の暗がりで跳ねた。赤い火の粉がタイルの上で爆ぜる。

 

「俺に言わせりゃ、てめえのオンナを海につれてくだのなんだのって約束に拘るお前も、どうかしてるぜ」

「なるほど。それで────どうするんだ?」

 

 フミオの企みなど、とうの昔にお見通しだった。レイジの目は鋭く、彼の拳へと向けられている。

 

「そこに隠した武器で、俺とやりあうのか」

「武器なんかじゃねえよ」

「どの道、俺を倒すのは無理だ。フミオもそれは、分かっているはずだ」

「……だろうな。お前は、不死身のバケモンだ」

 

 たとえフミオの拳の中に機関砲が隠れていたとしても、レイジを止めることはできない。

 それはこの場にいる誰もがよく、理解していることだった。

 レイジはそれからボルトとの格闘に戻り、フミオは暗い顔で二本目のタバコに火をつける。少女は彼の目の前で腕組みして、睨みをきかせる。

 

「お前があの光を作るときに使ってるチカラ。ムナカタは『終結因子』って呼んだそうだ」

「シュー、ケツ、インシ?」

『……きかないで』

 

 フミオが浮かべた煙に顔を燻されながら、少女は瞬きひとつしない。

 

「お前は人類のピンチってヤツに現れて戦う、代表選手なんだそうだぜ。いや……()()()と言うべきか」

『やめろ』

 

 今にも噛み付かんばかりの剣幕で、少女がフミオを見据える。彼女たちの頭上で、最後のボルトが静かに抜き取られた。

 

「だった?」

 

 過去形だ。

 レイジはすぐに背骨を取り外そうとはせず、手に持ったボルトをじっと見つめた。

 

「あの炎、ホントはあんな色じゃないそうだぜ。それをムナカタの実験が変えちまった。黒く汚して、ちゃんとした『にんげん』じゃなくしちまったんだ」

『それ以上ヘンなことを言うな! レイジは──私たちは汚れてなんかいない。いっしょうけんめい生きてる、にんげんなんだッ!!』

「私たち?」

 

 耳をつんざくような少女の悲鳴を聞きながら、レイジは首をかしげた。

 少女は息を荒げたまま、言葉を接ごうとはしない。

 そしてフミオはというと、部屋の一点をじいっと見つめていた。薄暗闇の中で横倒しになったストレッチャーのあたりを、彼の視線が彷徨っている。

 

「お前の力は混ぜ物のせいでおかしくなって、もとの姿を忘れてしまった。だから人類にはリザーバーが要るんだ。正しい温度で正しく燃える、本物の炎が。真のヒーローが」

「俺は自分が汚れていようが正しくなかろうが、気にしない」

 

 半分はフミオに向けて――もう半分は、うつむく少女を元気付けるようにして、レイジは言った。

 

「カナタを海に連れて行く。それだけだ」

「だろうな。そう言うと思ったよ」

『レイジ、危ない!』

 

 ジクリ。

 

 普通の人間は、髪の毛が一本二本抜ける痛みを気にも留めない。

 レイジもそうだ。この世のあまねく苦痛は、彼にとって耐久可能だ。だから太股に一本の細い注射針が突き刺さるのも、取るに足らない痛みでしかない。

 

 そのせいで、レイジはとっさの反応が取れなかった。

 

 

 

「ぐっ、あ……?」

 

 

 

 不意に、レイジの手から力が抜けた。

 ボルトは手のひらをすり抜け、硬く鈍い音を立てて棺の上に転がる。

 しかし彼がとろけるように崩れて片膝をついたとき、地面は不確かな泥沼となって、筋骨隆々の巨体を飲み込み始めた。

 

『まずい。コイツの、そのクスリは──!』

 

 悲鳴のような少女の声を聞きながら、ついにレイジが平衡感覚を失い、倒れる。

 彼が転げ落ちた先は、半開きになった棺の中だ。

 

「あ……フミ、オ……お前……」

「悪ィな」

 

 フミオは、赤い薬液がわずかに残る注射器を投げ捨てた。

 

「見てるか、オッサン。これが『第三の選択』ってヤツだぜ」

 

 何度立ち上がろうともがいても、レイジの腕は力なく宙を掻くばかりだ。

 それを、フミオが覗き込んでくる。その姿は天井の強烈な照明の下で逆光となり、巨大な黒い塊のようだった。

 

「正々堂々が主義だがな。さすがにゴリラと殴り合って勝てる算段は……おっと」

 

 自分の喉元めがけて伸びてきたレイジの手を、フミオは払った。ふだん、彼ら二人の力は比べるべくも無い。どんな分野でも、体力勝負ならレイジが圧勝する。

 しかし今、レイジの腕は棺の上に落ちて、微動だにしない。

 

「ハハ。あっぶねえ!」

『レイジ。立って。立ってよ!』

「あ……う……」

 

 口元からよだれの筋をたらしながら、レイジはボヤけた視界で二人ぶんの人影を見つめる。

 

 彼の名は────何だったろうか。

 

 彼は朦朧としていた。

 記憶と記憶のページを綴じるヒモのようなものを、ハサミでプツリとやられてしまったようだった。

 今、その頭の中では七年間の記憶がバラバラになって散らばっていた。

 

「赤いクスリと青いクスリ──お前にやったのは赤いほう。最強の記憶消去薬だ。キクだろ」

 

 そう言い放つ男は知った顔なのに、とても仲良くしてきたはずなのに、レイジには名前が思い出せない。

 

『レイジ、まずいよ……』

 

 そして、その横に少女が一人。

 レイジの脳みそは炭酸の海を泳いでいるようだった。頭の中がパチパチはじけて、考えがまとまらない。

 部屋の風景はすでに、ヘタクソな油絵のように意味を失った色の濁流でしかない。

 しかし少女の顔だけはよく見えた。

 

 かつてないほど、はっきりと。

 

 輪郭が、形を持つ。目はタレ気味で、小さな鼻が可愛らしい。フジツボに顔が大半覆われているが、そんなノイズが気にならないほどの美人だ。

 

「きれいだ……」

 

 レイジは、その姿をもっとよく目に焼きつけたかった。

 

 目の前に立ちはだかる、男の体が邪魔だった。

 レイジは力の入らない体を必死に動かして、首を少女の方へ────

 

 

 ガヅッ

 

 

『いやあ、レイジッ!?』

 

 レイジの視界が潰れ、嗅いだこともないような強烈な金属臭が鼻の裏に充満し、ひしゃげた頭蓋骨の中で星が飛び回った。

 

「どうだ?」

 

 防爆扉のようにブ厚い棺のフタを持ち上げて、フミオが覗き込んだ。

 

 彼はビリビリとした腕の痺れだけを感じていた。

 ケンカなら、したことがある。ちょっとした小突き合い、殴り合い。フミオだって不良の端くれだ。プライドを傷つけられたら、出る拳だってある。

 

『フミオ、やめ──』

「お前の体って、どうせすぐ治るんだよな?」

 

 ゴチュッ

 

 さらにもういっぺん。渾身の力で鉄塊を叩き付ける。

 

 イカれた感触だった。

 

 古き善き不良の端くれだからこそ、フミオが踏み込まない領域というのがあった。

 手も足も出ない相手を一方的にボコったことは無い。

 頭を潰す勢いで鉄の蓋を振り下ろしたことなど、この瞬間までは、一度も。

 

『レイジが治せるのは、体だけなんだ……!』

 

 二度の衝突の後、フミオはゆっくりと蓋を持ち上げた。

 粘つく血液と──血液よりも、もっと粘つくなにかが、蓋と棺の間で長く細く糸を引いた。

 鼻が潰れ、頬がこそげ、レイジの顔は赤い塊だった。

 彼の瞳だけが照明を反射して、肉に埋め込まれた鏡の破片のように光っている。ぶくぶくと口から血のあぶくを吹きながら、彼はじっと、フミオを見据える。

 

「……いるか? お前の夢の中で自殺してる女ってやつ。ここに」

 

 フミオはその視線が、自分を素通りして別のものを見ているような気がしてならない。

 

「だったら見せてやろうぜ。今度はお前がダメになるところをな」

『やだ……やだやだ……私、そんなの見たくない……!』

 

 フジツボまみれの少女が、目尻に涙をたたえて棺にすがりついている。しかし、それが見えるのは、薬物と脳震盪で朦朧としているレイジだけだ。

 フミオはしんしんと冷えた霊安室の空気を頬で切って、支柱を仰いだ。開ききった柱の上部で、ロックを解除された金属の管が担い手を待っている。

 

「お前にその気がないなら、俺がなってやる。この町の、この世界の英雄に。俺だけの背骨(バックボーン)で。そして、オヤジに……」

 

 

 ヒタリ。

 

 

 血に塗れたレイジの腕が、フミオに触れる。

 

「……ッ、うぜえ、なあ!」

 

 ガツッ! 

 

『やめてェッ!』

 

 その体温が、フミオの神経に障った。

 力任せに鉄扉を振り下ろすと、レイジの首が、糸が切れた人形のようにグニャリと跳ねる。

 

『おまえ、レイジのトモダチだろ!』

 

 ガツッ、ガツッ、ガツッ、バチュッ────

 

『裏切るなよッ! トモダチを! 傷つけないでよ! レイジの、こころを……』

「おい、このバカフミオッ!」

 

 すり抜ける拳でフミオの背を叩き続けていた少女が、はっとした。

 

『──だめ』

「黙って聞いてりゃ、男同士でジャレてる雰囲気じゃねえよな」

 

 手術室を思わせる無機質な照明の下で銀糸のような髪がなびいた。

 それまで物陰に隠れていたカナタが、そこに立っていた。彼女の面持ちは、固い。

 

「アタシの相棒に何してくれちゃってんだ。ああ!?」

『カナタちゃん、出てきちゃだめッ!』

 

 彼女の拳はスカートの両脇で握り締められ、小刻みに震えていた。

 いくら気丈に振舞っていても、この状況はワケが分からないし、怖い。

 

『キミに出来ることなんて何もないッ! どうしてじっとしてられないんだ!?』

 

(だろうな)

 

 カナタは唾を飲み込んだ。あたりの空気はすっかり血のにおいを拾い、喉を滑り落ちていく唾液も鉄錆の味がした。

 

「……レイジがやられホーダイされてて、指くわえて見てるワケにいかねえだろ!」

 

 カナタだってバカじゃない。自分の無力は理解している。どれだけ不義理だろうが、コトが済むまで息を殺して座り込んでいるのが大正解だったということも。

 

 だがレイジの頭が三度跳ねたとき、彼女はすでに立ち上がっていた。どれだけ足が竦もうが、意思ではなく本能が、それをすることを選んだ。

 

「うせろ、フミオ。痛い目見ないうちにな」

 

 だったらカナタは、それを信じて突っ走るだけだ。

 

「ハ……お姫様のお出ましってか」

 

 サプライズゲストの登場にフミオが動じた様子は無かった。

 ゆっくりと振り返った彼の右腕、右頬──半身が、レイジの返り血で真っ赤に染まっている。

 脇の下が冷たい汗でぬめるのを、カナタは感じていた。

 

「レイジの野郎、ずっと後ろチラチラ見てんだもんなあ。お前ついてきてんの、すぐバレちまうよなあ」

 

 真っ赤な顔で、フミオは笑う。

 初めてカナタと出会った日、道を失って路肩で途方に暮れている彼女に手を差し伸べた時と同じ、人好きのする、大型犬のような笑顔で。

 

 彼はその表情を崩さず、ほとんど死体となったレイジを棺に押し込む。ムナカタゼンイチローのIDカードで、棺のフタに取り付けられた端末にタッチした。

 

 気が抜けるような軽い電子音。棺はロックされ、レイジの体が中に閉じ込められる。

 

「これで邪魔は入らない。ここには俺とカナタ。二人っきりだ」

 

 部屋の暗闇と反応して、カナタの瞳が青く燃えている。

 彼女はかつて無い怒りとともにフミオの前で仁王立ちしている。だが、この場において彼女はしょせんただの一人の少女でしかない。

 

「さ。ナシつけようや、ウロコ女」

 

 フミオが手にした杖が床を強く打つと、カナタの体が大きく引きつった。

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