海の彼方で、カナタを想う   作:おぴゃん

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第四章「オールイン/オールアウト」
1.7月15日(1)


「なあ、ザワちんよぉ……」

「なんですか……クソボウズ……」

「俺ら、干上がって死ぬのかな……」

「さあ……」

 

 机に突っ伏した面長の美青年、アイザワと、ボウズ頭の健康優良不良少年ヨシ。二人の視線の先には、雨上がりの体育館がある。

 黒い屋根は七月の地獄めいた日差しの下でチンチンに熱せられ、冗談みたいな量の水蒸気が真っ白な煙幕となって立ち上る。

 

 そんな、太陽が投げてよこす日差しに明確な殺意が混じり始める七月半ば、盛夏。

 ──いきなり、なんの前触れも無く、2-Aの命を繋いできた弁当サービスが停止した。

 

「み、水ゥ……もしくは医者ァ……」

 

 カピカピに干からびたヨシが死力を振り絞って起き上がると、他のクラスメートたちも、干物のようになって机にへばりついていた。

 

「水くらい外の水道で飲んでくればいいでしょ。あ、俺のぶん、この水筒に汲んできてください……」

「あたいのもおおお」

「自分で汲みに行けよ。んでボタ子、お前自然に混ざってきてんじゃねえぞ」

「なるべく日陰の、冷えてそうなところのやつをお願いねえ……」

「……蛇口はセッケンで洗って、清潔な布で拭いてから……」

「話聞けないのかお前らは……」

 

 三日。

 一食数百円の激安弁当の提供が断たれるなり、たった三日でクラスは崩壊した。

 

「あうう」

 

 ゲッソリ頬がこけたボタ子が、ゾンビのような顔でうめいた。

 彼女は演技過剰もイイトコだが、ほかのクラスメートたちを見ても、程度の差はあれ、みんな元気をなくしている。

 

「あたいら……カナタちゃん来る前は、どうやって生きてたんだっけね……」

「カナタさんの善意におんぶ抱っこでしたからね……」

「『やっぱやめにする』って思ったとしても、文句は言わねえけど……」

 

 なんだかんだで素直に三人分の水筒を提げて、ヨシは立ち上がる。

 

「なんか、ヤな感じなんだよな……」

 

 彼が教室の出口のほうに目を馳せると、どうしても目に入ってしまうものがあった。それこそ、彼と──クラスメートたちが今感じている苦痛の中で最大のものだ。

 

「ルリコ……」

「ふん。なによ」

 

 きゅうに、仲良し四人組が崩壊した。

 あれほど学校が大好きだったカナタが休み始めたのをきっかけに、レイジとルリコのかみ合いが悪くなった。

 サボり魔のフミオでさえ、何日も欠席するのは異例だ。

 彼らの間で何かがあった────クラスの誰もが口にしないが、この確信が、常に彼らの頭上で暗雲のように渦を巻いていた。

 

「カナタのことなんだが」

 

 分厚い教科書が机に叩きつけられる。ドムッ、と鈍い音が響いた。

 レイジの肩が、小さく跳ねる。

 

「……喋れるくらいにはなった。これでマンゾク?」

「じゃ、じゃあ。この後病院に──」

「アンタ、それやっていい立場だと思ってんの!?」

 

 最近トンと聞かなくなったルリコの怒鳴り声。

 

「カナタさん、心配です」

 

 ヨシの隣で会話に耳をそばだてていたアイザワが呟いた。

 

「あたいら、カナタちゃんに……今まで、相当ムリさせちまったのかねえ」

「ンー」

 

 背筋をなぞろうとするボタ子の指をかわしながら、ヨシは頭をかいた。

 彼らの事情は彼らだけの事情。

 蚊帳の外で彼らが考え込んだって分かることじゃないが、自称人情派の元ヤンキーとしては気になってしまう。

 

(どんなヘマしたんだ? お前……)

 

 真っ白に焼かれた校舎の照り返しが差し込むせいか、教室の中の青黒いかげりがいっそう強調されていた。

 そのもっとも色濃いどころで睨み合うレイジとルリコのやりとりを、ヨシは見守り続ける。

 

「バイト、どうしてる。カナタは」

 

 それでもなんとか食い下がろうとするレイジの前で、ルリコがため息をついた。

 

「あんなことがあって、続けられるハズないでしょ」

 

 険しい顔つきでルリコが首を掻っ切るジェスチャーをした。

 

「帰りなさい。今日はムリ。明日もムリ。その次も、その次の次も」

 

 彼女の指は、ノートのページを繰る。

 期末テストまでジャスト一週間に迫っていた。このクラスにひしめく劣等児たちと一緒に留年待機列に並んでやるつもりは、彼女にはない。

 

「次の次の次も……くそっ、ああ、なんなのよ!」

 

 英語のテキストの上に、何本も折れた芯が落ちる。

 言うことを聞かないシャーペンの頭をノックした回数だけ、ルリコの苛立ちも増幅されていく。

 

「時間の問題……か?」

 

 カチ。

 

「そうよ時間が解決してくれる。アンタの頑張りとかじゃなくて」

 

 カチ、カチ。

 

「なら、俺はいつまで待てばいいんだ」

 

 カチカチカチカチカチ。

 

「知らないわよ」

 

 カチ────

 

「俺は、ただカナタが心配で……」

 

 

「分かってんのよ、そんなことは重々承知!」

 

 バンッ──イライラがついに爆発したルリコがペンごと、力任せに机をブッ叩いた音だ。

 

 この世のどんなガキより聞き分けの無いレイジ。

 あれだけしといて逃げ回っているフミオ。

 まったく回復の兆しが見えないカナタ。

 テント生活に転がり込んできた妹。

 遠巻きにヘンなものを見る目を向けてくるクラスメートたち。

 テストの不安、生徒会の重圧、夏の暑さ、うるさいセミの声────ウンザリだった。この世の何もかもが、ルリコの頭を金輪のように締め付けてくる。

 

「こっちだってねえ、いろいろあんのよ。アンタらに構ってる場合じゃ────ぐあああッ!」

 

 彼女はクラス中の注目が集まる中で、机を両手でつかんでひっくり返そうとしていた。

 床に散らばったペンと参考書を見下ろしながら、彼女はふと、我に返る。

 

「……やばい。限界かもしんない。アンタのこと、殺しそう」

 

 実際、限界は近い。

 彼女は何よりもブチキレそうだった。

 レイジより、フミオより、何もできない自分の無力さにだ。

 

「ぎょえええええッ!!!」

 

 しかし、先に限界を迎えたものがいた。

 何事かと全員がそちらを向くと、教卓の上にキリエがひっくり返っていた。

 完全に気を失い、白目を剥いて泡を吹き続ける彼女の手から、ハラ……と数枚の紙が滑り落ちる。前回の模試の結果だ。

 内容は散々。

 担任のキリエが教えている数学含め、ほぼ壊滅だ。

 もはや2-Aそのものが、留年という燃え盛る駅に向かって爆進する暴走特急のようなものだと言える。

 

「うーわ……」

 

 そんな中で唯一他人事を決め込めるルリコでさえ、拾い上げた成績表を見て顔を引きつらせている。

 

「────で、なんで私のところに来るの」

 

 彼女が顔を上げると、クラスのみんなが机の周りに集まってきていた。

 

「会長、勉強できるでしょ」

「あ、あ、あ、なんか話の方向性分かってきちゃったわね」

 

 つまりこうだ。なんとかして生徒会長パワーで全員留年を回避させてほしい、と。

 

「あんたらにかまってるほどヒマじゃないんだけど。いいじゃない。実際、勉強できないヤツのために留年って制度あるんだから。どうしてそこまで」

「キリエちゃん、教師としても人間としても終わってるけど俺たちのこと見捨てずに付き合ってくれてんじゃん。これ以上迷惑掛けたくないんだよ」

「……ここで先生出すのはひきょうでしょ……」

 

 そこで泡吹いてるバカ教師なんてほっとけよ。

 

 四日前までなら、そう言ってパタムとノートを閉じれば、おしまいだった。

 

 しかし今は違う。

 

 樋口キリエの名前を聞くたびに、ルリコは縁日での出来事を思い出してしまう。

 崖下で弱り果てた姿を晒して、『死んじゃおっかな』と言葉にまでしてみせた、彼女のことを。

 

 ────ペタ、リ。

 

 そこに追い討ちがかかる。

 廊下の外から近づいてくる湿った足音を耳にして、ルリコの威勢はますます削がれていった。

 

「ルリコ」

 

 全員がそちらを見た。

 

「病人はおとなしくしてなさいよ……」

 

 苦い顔をしたルリコは、決してそちらを見ようとしない。

 どれだけおぞましく、どれだけ哀しいものがそこに立っているか、すでに心の中に思い描けていたからだ。

 午後のグラウンドの焼けた空気を孕んだ青い風の中に、一筋の腐臭が混じる。

 

「そうもいかないんだ。だろ」

 

 カナタが、立っていた。

 

 ■

 

「海の彼方で、カナタを想う」

 第四章・オールイン/オールアウト

 

 ■

 

 かろうじて開いている右目は、淀んだ灰色をしていた。

 真珠のように輝いていた頬は見る影も無い。ほとんど隙間なく黒ずんだ包帯が巻かれ、髪は脂で束になり、ボサボサだ。

 黒い斑点が浮いた病院着と、顔と同じく包帯まみれの腕から引きずる点滴のチューブが、痛々しい。

 

「カナタさん……」

 

 見守るアイザワが目を細めた。

 異常事態になれっこの2-Aですら静まり返るような異様な姿と成り果てたカナタが、机にぶつかりながらフラフラ歩いてくる。

 

「う──」

 

 床に黒い足跡を残してきたカナタは、イスに蹴躓いて大きくよろめいた。彼女の腕に巻かれた包帯が、スルリと解ける。

 

「ひいっ」

 

 外の廊下からひきつった悲鳴が上がった。

 生ける屍のような姿で三階端の教室までやってきたカナタは、当然、大勢の野次馬を引き連れていた。

 廊下側の窓にギッシリひしめく他クラスの生徒たちが、包帯の下から現れたものに目を釘付けている。

 薄皮一枚下に見える、黒ずんだ肉と白い骨を。

 カナタが、悲鳴を上げた女子に目をやる。その瞬間、廊下にいた生徒たちのざわめきが、学年中へと伝染していった。

 

「見てんじゃねえ、このクソ共ッ!!」

 

 いつもニコニコ笑ってばかりのヨシが、鬼のような顔で咆哮した。

 彼が手近にあったイスを引きずって廊下に出て行くと、物見遊山の野次馬たちはわずかに後ずさる。

 しかし彼がいくら怒声を上げて両手を振り回しても、逆効果だ。

 2-Aはもとからサルの山。一匹の大ザルが騒ぎ立てても、滑稽なだけだ。ヨシの奮闘込みで、カナタに注がれる好奇の視線はますます強くなる。

 

「レイジ、力ずくで追っ払おうぜ」

 

 振り返って、ヨシが不敵に笑う。

 

「大暴れとシャレ込もうや。お前、また脱げよ。俺も付き合ってやっから……なあ……おい……」

 

 だが──カナタの王子様は、決してヨシが期待したようなリアクションを取ってはくれなかった。

 レイジは、カナタを目にした瞬間からずっと、心臓を握りつぶされたように立ち尽くしている。

 それだけだ。

 

 あのレイジが、それだけだ。

 目はカナタに向けられている。だが、心が閉じている。

 アホのように棒立ちして、嵐が過ぎ去るのを待っている。

 

「……あ?」

 

 ヨシの顔が、ゆっくりと赤くなっていく。

 彼が今までギャラリーたちに向けていた怒りが、レイジへのものに裏返っていった。

 

「なあに腑抜けてんだ、テメエ……」

「手早く済ませて」

 

 一方でカナタは、気の遠くなるような時間を掛けてルリコの前まで辿り着いていた。

 ルリコは、じっとカナタを見つめる。

 病院からの道のりで、そうとうなムチャをしてきたようだ。汗とタールとで、カナタの顔は遠巻きに見たときよりひどいものだった。

 

「これ……やくそく……」

 

 こわばったような指をゆっくり開いて、中にあったものをカナタが見せる。

 

「アンタね……」

 

 ルリコは苦い顔をする。

 それは彼女のヘアピンだった。しかも、魔法のヘアピンだ。

 

『アンタが本当に困ったら、一度だけ助けてあげる──』

 

 そう言って、彼女自身がクラスメート全員の前で渡したのだった。

 わずかに黒ずみがついたそれを受け取って、ルリコは手のひらの上で転がした。宿ったカナタの体温を確かめるように、強く握ってみる。

 その温度は、夏の大気の中であまりにも儚い。

 

「みんな……ヤバいんだろ」

 

 クラスを見回して、カナタが言った。

 彼女の視線はレイジだけをすり抜ける。

 

「なあ……おねがいだよ……みんなのこと、リューネンさせないでやってくれ」

「こんな……下らないことが、アンタの望みなの」

「そうだ」

 

 カナタがゆっくり頭を下げる。それに続いてみんながおずおずと頭を下げてくるのを見据えながら、ルリコは続ける。

 

「私、ランプの精だから。なんでもしてあげられるわよ」

「だから、頼んでる」

「お望みなら、アンタをそうしたヤツへの復讐に使ってもいいのよ」

「復讐したいやつなんていない。ぜんぶ、アタシのせいなんだ」

「それとも大口叩いておいて、アンタを傷つけたバカを再起不能にしてやりましょうか?」

 

 カナタは沈黙で答える。レイジのことだ。

 

「……なんなら、私が命を掛けてもいい。どんな手を使っても、絶対にアンタを町から連れ出してあげる」

「もういいんだ。外も海も」

 

 ルリコは無表情のまま、ピンをポッケに仕舞い込んだ。

 

「最後に確認するわよ────本当に、アンタの願い(ドリーム)はそれでいいの?」

「ああ。アタシの望み(ウィッシュ)は、もう、それだけしか残ってない」

 

 長い沈黙が横たわった。

 みんなが墓石のように頭を下げる中、ルリコの視線がクラスの中をさまよう。

 

 からっぽになったフミオの席。

 

 背後からカナタの肩をそっと抱くボタ子。

 

 机に片手をついて咳き込むザワちん。

 

 立ち尽くすレイジと、その胸倉を掴んだままのヨシ────その他十数人のクラスメートたちを見渡したあと、彼女のまなざしは再び、カナタと正対した。

 

「わかった」

 

 ホッ──と、皆が一同に息を漏らした。

 そのタイミングがあまりにそろっていたので、音はさざめくように重なり合い、廊下から流れ込むざわめきを束の間打ち消した。

 

「ルリコ……」

 

 顔を見合わせるクラスメートたちを背に、カナタは静かに胸を撫で下ろす。

 

「でもね。アンタらに付き合うのはこれが最後。本当に本当に本当の最後の最後の情けってやつ──さ。テキパキやるわよ。机、一箇所に集めて」

 

 ルリコがパンパンと手を叩くと、みんなはいっせいに動き始めた。

 ガタゴト騒々しく机が行きかう。

 

「もう、気はすんだでしょ?」

 

 そんな中で、カナタはまだその場に立ったままだった。

 

「アタシもやるよ。合宿。ルリコに頼んだのアタシだし」

「好きになさい……だれか! カナタのこと、椅子に座らせてあげて!」

「こっちに」

 

 ザワちんが素早くイスを持ってきた。

 

「ん…………あん、がと」

「ゆっくりでいいかんね」

 

 ボタ子の手も借りて、カナタはイスに腰を下ろす。

 座り慣れた木製の座面とスチールパイプの冷たい感触は、数日振ぶりだというのに、ひどく懐かしく感じた。

 ふと、彼女はレイジに目をやる。

 まだ魂が抜けたように立ち尽くす彼に、通り過ぎざまにヨシが強く肩をぶつけていく。

 彼はぼんやりと、何を考えているか分からない顔をしていた。

 出会ったばかりの頃の顔だ。最近それなりに笑ったり落ち込んだりを見せていた彼は、また元の木偶に戻ってしまった。

 

 そっと目を伏せるカナタの横で、ルリコはしかめっ面を浮かべていた。

 

「ねえ、ルリコちゃん。いいかい」

「ん」

「何だって、そっちに置くプリントは指でつまんでんだい」

 

 ボタ子につつかれて、鬼の生徒会長は仕分けを続けつつ、軽くうなる。

 彼女は並べた机の上に、模試の結果を吟味しながら二つの山を作っていた。

 

「バカが伝染ったらイヤだもの。これ、出来悪い連中のやつだから」

 

 非常にブ厚いほうの山に最後の模試をブン投げてから、彼女は深呼吸した。

 

「現在我々は二つの地獄を抱えています。ひとつ、おツムの問題。ふたっつ、かなり切迫した餓死の可能性」

 

 グウ。

 

 そう言ってのけたルリコ自身の腹が同意の声を上げた。わずかに頬を赤くした彼女は、咳払いをして続ける。

 

「ンン……そこで期末を生きて突破する──最強のプランを提案いたします」

生徒会長の最終手段(ラスト・リゾート)ってワケか……それは?」

 

 廊下の外から教室を覗き込もうとする生徒たちに睨みを利かせながら、ヨシが聞く。

 

「やるわよ。勉強合宿ってやつ」

 

 ルリコが爆弾を投下すると、教室が一気にザワついた。

 

「ハイハイ静粛に!」

 

 ルリコが拍手を打つ。

 

「テストまでの一週間、泊り込みで勉強する。夢と便所の中以外で自由になれると思うんじゃないわよ」

「い、いや、でもよお、この人数でドコに寝泊りすんのよ……」

 

 とある男子学生が手を挙げ、同意を募るように皆の顔を見回した。

 

「夏の始まりに、水泳部どもが停学になったの覚えてる?」

 

 クラス全員が顔を見合わせる。

 そんな中で、レイジは窓際をそっと見やった。カナタ、そして水泳部のハルマサ──二人の主を立て続けに失った机を、慰めるようにカーテンが撫でている。

 ルリコも、彼の視線の意味を理解している。だが感傷に浸ったりしない。

 

「タバコ……でしたっけ?」

「あたいは酒って聞いたねえ」

「実際はアンタらが裏でやってきたこと全部、プラスアルファって感じね」

 

 片手に、ルリコが教室のカレンダーに赤い直線を引いていく。今日からテストまで、ジャスト七日間。

 

「こういうの、捨てる神あれば……やつかしらね。オカゲで試験前一週間、まるごとゴッソリ空白って感じ。いやー助かったわ」

 

 この計画に文句あるヤツ、いる? 

 続けてから、ルリコはクラス中を見渡した。

 誰も彼も、彼女のプランを否定できるものなどいない。状況は限界ギリギリの崖っプチ。成績も胃袋も消滅寸前の彼らは、藁にでもすがりたい。

 完全シンクロした無言の頷きが、答えだった。

 

「オッケー……スケジュールには生徒会名義でツバつけとく。それじゃあ……レイジ」

 

 枯死した巨木のように立っていただけのレイジが、目だけをルリコに向けてきた。

 

「アンタは今のうちに合宿所のゴミ片しといて。いいわね」

 

 何も言わずに、彼はノソノソと教室を出て行く。そんな彼の背中に注がれるクラスメートたちの視線は冷たい。

 さっきの騒ぎでとっさにヨシが放った悪態の温度が、すでに教室中に伝染していた。

 そのヨシが、頬を掻いて言う。

 

「あー……なんか。事情知らねえで、悪ィことしたかな……」

「いいのよ」

 

 黙りこくったままのカナタの肩にそっと手を置きながら、ルリコは言う。

 

「アイツには少し頭冷やす時間が欲しい」

「合宿は夏休み以外禁止じゃねえの?」

「生徒会にケチつけられる教師なんてこの学校にいないわよ。こっちに仕事押し付けすぎたツケが回ってきたって形ね。んじゃ、予算の確保だけど……」

 

 そういって大まかなことをさっさと決めてしまって、ルリコはパタンと手帳を閉じた。

 

「おかしなもんね。会長やってて良かったって初めて思った」

「え。会長って好きでやってたんじゃないですか?」

「ンなワケないでしょ。内申稼ぎにイヤイヤ、ってやつよ」

「意外~」

 

 ルリコは机を集めて作ったテーブルに、模試の山を並べる。

 

「これから前回の模試を元にチームを二つに分けます」

 

 生徒会長らしい重圧を放ち始めた彼女を前に、全員が背筋を正して命令を待った。

 

「チーム上澄み。次にチームバカ。チームバカは最初の二日間、上位勢に奴隷のように尽くしてもらう。そいつらが穴という穴から血を流して勉強する間、食事も掃除も全部世話するの」

 

 どよめきが走った。

 

「チームクソバカは不服かもしれないけど、本当のブイ・アイ・ピーはアンタらよ」

「バカに対するとんでもない憤りと憎しみを感じる」

「あたいも思った」

「どうせすぐ忘れるんだから、アンタらは三日目から勝負よ。知識を詰め込みまくった上澄みチームがあんたらの教師役するから、残り100時間全部勉強に突っ込んで、気持ちよく夏休み突入といきましょ」

「ほかのチームは追加で勉強とかしないの?」

「あくまで全員でギリ合格点取れるようにするのがこの合宿の目的よ。じゃ上澄みどもは勉強道具持ってきて。チームB、レイジと合流。机、ホールに、並べて、ウホウホ。オッホ」

「ザワちん、ついに正式名称すら呼ばれなくなったよ!」

「しかもバカ向けにゴリラ語使ってくれてますね。やさしいですね、あの鬼」

 

 こうして、あまりにも唐突かつ必然的に、過酷な勉強会が開始されることとなった。

 

「あ、そうだ。合宿に呼びたいヤツがいるから、ちょい電話掛けてくる」

 

 ヨシたちに後を任せて、ルリコは立ち上がる。

 机の合間を抜けて歩き出す直前、彼女はイスに座ったままのカナタに一瞬だけ視線を落とす。

 

 いつしか、彼女は寝息を立てていた。

 

「ごめん……ごめんな……」

 

 痰のからんだようなうわごとが、小さく彼女の口から漏れる。

 ルリコは振り向かない。

 

 早足で教室を後にしながら、彼女は自分でも気づかぬうちに、こんな言葉を呟いていた。

 

「救えないわ……」

 

 自分で吐いたその一言が、いつまでも彼女の背中に付きまとってきた。

 

 ■

 

 

「メイドさーん、お久しぶりッス!」

 

 西町に落ちるすべての色が茜一色に塗り潰されたころ──合宿所前で休んでいたカナタは、聞き覚えのある声に顔を上げた。

 校舎のほうから一人の女子生徒が勢いよく駆けてくる。彼女がブンブン手を振ると、長いネイルが夕陽を反射して輝いた。

 

「ああ……なんだよ……マリコじゃん…………」

 

 思わず手を振って応じようとしたカナタは、激痛にうめいた。包帯の下で団子のように連なったのう胞が破れ、溢れ出した黒い腐れ汁がダランと垂らした指先から滴り落ちる。

 

「ずいぶんご無沙汰したっスね。元気だったスか?」

 

 よろめくカナタを、すぐ傍にやってきたマリコが支える。

 

「は……どう思う?」

「少なくとも元気ビンビン。ってカンジじゃなさそース」

 

 彼女はあたりに立ち込めた異臭に眉ひとつ動かさない。カナタの手を取って、崩れかけたブロック塀の上に座りなおさせてやる。

 

「ルリコが呼んでたのって、オマエ?」

「そーそー。ブチのめされた怪人が仲間になるやつあるじゃないスか。ほら、ウチの手シッカリつかんで……」

「よ、よせよ……きたねえ」

「うわ。傷つくッスぅ」

「ちがう」

 

 黒ずんだ下唇を噛んで、カナタはマリコの胸元を見る。すでに彼女のブラウスには、跳ね飛んだカナタの体液が黒いシミをつけていた。

 やはりマリコは、それを嫌がるそぶりを見せない。

 

「わかるだろ……アタシ、今、こんなだから……」

「ウチも何日か前までヒデーもんだったんで。気にしないでくださいス」

 

 そう言って肩をすぼめて見せるマリコの制服は、風を孕んだ帆のようにパツパツだった。

 主に胸の部分のサイズが三段階ほどキツそうに見えるのは、血と膿で汚れてしまったものを処分して、ルリコのお古を借りたからだった。

 

「とにかくあったかいモノ食べて、元気出しましょ。ウチもそれで、良くなったんで」

 

 カナタの背中を軽く叩いて、彼女は顔を上げた。

 いつの間にか合宿所の中から迎えに出てきたルリコが、小さく頷いて見せる。

 

「マリコ。アンタは厨房係。手先の器用さ、見せてちょうだい」

「あ……でもウチ、切り方とか焼き方とか、ゼンゼン知らんスよ?」

 

 姉妹に挟まれた場所で、静かに、包帯まみれの手が挙がる。

 

「ン…………アタシ、やる」

「よし。そんじゃ、カナタは指示出しよろしく。マリコはタフだから。擦り切れるほどガンガン使っていいわよ」

「それ普通、おねえじゃなくてウチが自分で言うことじゃ」

 

 マリコの顔を、カナタが力なく見上げている。

 香水は控えめにして、以前の隈取りのようなメイクはやめたようだ。その分、ルリコと同じ血が流れる、美人姉妹の片割れとしての風格が読み取りやすくなっていた。

 だが、それを邪魔するものがある。

 

「あ、これスか!?」

 

 両頬に張り付いた大きなガーゼを指差して、マリコがおどけて見せた。

 

「あのオニばばあ、あろうことかこの鬼カワフェイスにヤキ入れやがったんスよ! マジでお嫁いけねーって感じ!」

 

 聞かれて気まずくなる前に自分からバラす。

 そんなところはルリコそっくりなんだな、とカナタは思った。

 

「まあ頬に傷あるとカッコいいし。強そうでいいスけどね」

「ああ……強いな、マリコは……」

 

 カナタは、マリコの言葉を待つ。

 次は彼女の番だ。腕、足、その他もろもろ……今の彼女はくまなくボロボロだったが、マリコの視線を一番ひきつけたのは首筋に巻かれた包帯だ。

 

「あのでかい人に、レイジさんにヤられたんスか」

 

 わずかに見える紫色のあざを指差して、彼女は言った。

 

「ちがう……それは違う!」

 

 その瞬間、血相を変えたカナタが叫んだ。

 

「そっか。ウチと違って愛されてんスね。いいな」

 

 マリコは黙る。

 以前よりメイクが薄くなった分、表情の動きから考えを読むことがずっと難しい。

 レイジには何もされていない──その言葉を信じているのか、いないのか。

 

「にしてもお互い、ガタガタっスね」

「だな。ひどいもんだ」

 

 包帯だらけの体をさすって、どこか皮肉っぽく二人は笑う。

 彼女たちを後に残して、ルリコは合宿所の中に入っていった。長年、さまざまな部活がここで短く暑い夏を過ごしていった。

 日陰の中に立ち並ぶねずみ色の下駄箱たちの間には、土ボコリと汗のにおいが染み付いていた。

 そこに紛れて、背の高い男がカナタたちの様子を見守っていた。

 

「ダメよ」

 

 目の前にルリコが仁王立ちすると、レイジは静かに、彼女の足元に目を落とす。

 

「アンタはカナタと距離とって。それが、いちばんあの子のためになるから」

「ルリコは……」

「言いたいことあるならハッキリ言って」

 

 消え入りそうな声で話し始めたレイジを、ルリコが一喝した。

 おずおずと目を上げてくる実質七歳児を相手に、彼女はまったく容赦しない。

 夏は短く、合宿期間は更に短い。こんな汗臭い場所で立ち止まってウダウダしている時間など、どこにもないのだ。

 

「ルリコは、俺とカナタのことなんて何も知らないじゃないか」

 

 たった一瞬の沈黙。

 

「俺らの間に口出しするな。そういうコトでいい?」

「ああ……ああ、そうだ」

「じゃあ、アンタと私の関係性で話をしてあげる。これ以上私は失望させられたくないの」

 

 小枝のように体の細いルリコが一歩、踏み出す。巨木のようなレイジの体が、後ずさる。

 

「アンタは逃げた。私と──何よりカナタを裏切った。ムシがいいこと言わないで」

 

 その後、二人の間から言葉が消えた。

 開け放たれた入り口から吹き込む真夏の大気だけが、二人の間を流れていく。

 その入り口にふたつの影が浮かんだ瞬間、レイジは何も言わずにきびすを返した。

 

「アンタも。聞こえてたわね」

 

 去り行く大きな背中を見送りながら、ルリコが背後に声を放った。

 カナタとマリコが、そこに立っていた。

 マリコに肩を貸してもらったまま、カナタは何も言わない。卑屈な上目遣いで、ルリコの様子を伺うだけだった。

 

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