海の彼方で、カナタを想う   作:おぴゃん

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1.7月15日(2)

 ひとつ前の教頭には愛人がいた。

 話を深堀りしていくと、その愛人というのが一年前に解任された校長だったりするのだが──とにかく、彼らはあまり良い大人ではなかった。

 その証拠が巧妙にカモフラジューされた多額の使途不明金だったわけだ。

 一人の優秀な生徒会長が、彼らの悪事を暴いたという。

 だが当事者であるルリコは黙秘権を行使するばかりだ。自分の手を汚したとき、彼女はいつでも上手に証拠を隠滅する。

 紆余曲折あったが、西高は予算のダブつきを手に入れた。そこでルリコが何をしたかというと──

 

「はあ……ひい……なんだってこんな銭湯みたいなフロしてんの……」

 

 地の果てまで続くような青いタイルに夕日が差していた。

 そこにデッキブラシを掛けながら、泡まみれになったヨシが頭にタオルを巻きなおす。

 

「去年からですよ。豚小屋洗うようなシャワーしかなかったココに、でっかい風呂場が」

「ウチの会長さんが建て直させたってヤツ?」

「そうそう。どこから引っ張ってきたんですかね、そんな予算……」

 

 そう言ってザワちんは湯アカのついた鏡を丁寧に丁寧に拭いていく。時折、手を止めて壁にペットリ顔をつけ、横から鏡面を確認する。

 細かな傷も、ミリ単位の凹凸も、彼は許しはしない。

 

「神経質すぎじゃね?」

「俺に言わせりゃ、あんたは雑すぎるんです。万事、ナニゴトも」

「はあん、そうかねえ」

 

 この黒髪の美青年が反射物を扱うとき、異様なまでの執着を見せる。

 

(神社のムスコだからかなあ……でも俺のウチ八百屋だけど、野菜に頬ずりしたりはしねえぞ……)

 

「なんかテキトーで無礼なこと考えてません?」

「ませーん」

 

 ザワちんからピリっとした殺気を感じたので、ヨシはブラシ掛けしながら離れていく。

 真新しいタイルの目地にそってゴシゴシやってると、ブラシの先が──大木の根かと思うようなデカいカカトに突き当たった。

 合宿前の掃除作戦は、風呂場の端でも進行中だ。そこでは大きな男が黙々と、ブラシがけをしている。

 

「ザワちんよォ」

 

 ノソリと振り向いてくるレイジと、ヨシは目が合う。

 

「この筋肉バカと同じ場所の掃除に回されたのは、どういうことなんだろうな」

「……さあ。少なくとも俺は嬉しかぁないですね」

 

 すげない返事をかましたザワちんは、二人に背を向けたままで鏡を見つめている。

 彼の目は鏡越しにレイジを捉えていた。そこに宿る感情は、決してよいものではない。

 

 ■

 

 改めて言うことでもないが、ザワちんは体が弱い。

 後に伝説となる乱闘が起こった入学式の時も彼は家で寝込んでおり、初登校したのはそれから一週間後。

 その頃には血みどろクイーン・ルリコと、彼女によって頭をカチ割られたフミオ、そしてレイジの名前は学校中に知れ渡っていた。

 

 そんなこんなでスタートダッシュが遅れたザワちん──本名相沢礼司(アイザワレイジ)くんにとって、これは由々しき事態であった。

 

 もはや一年生のレイジといったら頭を割られて血まみれで体育館の床に転がっていたマッチョで定着しており、線の細いイケメンがどんな手で巻き返しを図っても、空回りに終わるだけだった。

 それからの彼は、レイジではなく、ずっとアイザワだった。

 だから、レイジと同じ空間にいるだけで自動的に微妙な空気が漂う。

 

 六月の終わりにやってきた美少女が、彼をザワちんと呼ぶまでは──

 

 ■

 

「おいデカブツ。さっきから黙りっぱなしで辛気臭ェんですよ。なんとかならんのですか」

 

 シャコシャコと湿った音を立てながら巨大な浴室にブラシをかけていたレイジは、そこで初めて、二人の会話の主題が自分であることに気づいた。

 

「俺、か?」

「そう。何を隠そうお前のことだよ。どしたんだ。最近。いろいろ」

「どうもしてない……楽しそうにやれば、文句はないか」

 

 そう言ってレイジは、また機械的な動きに戻る。先ほどより、少しだけブラシがけのペースが上がったように感じられる。

 

「いやいやスピード感でごまかすんじゃないの」

 

 すぐにヨシが、レイジのジャージの背を引っ張って言った。

 

「昼間っからずっとヘンな感じじゃねえか。話せることだけでいいから、話してみろ。力になる」

「べつに……」

「あああ、イライラするヤツですね!」

 

 ザワちんが投げつけたスポンジが転がってくるのを、レイジはじっと見つめた。

 

「俺がどうだろうが、二人には関係ない。そうだろ」

「そうもいかねーんですよ。カナタさんとヨロシクやって、夏祭りも一緒に満喫して、そんなファンタジーみたいな青春送って……それが変わった。何もかも」

 

 軽く咳き込みながら彼の元にザワちんがやってくる。

 短パンからのぞく、脛毛が一本も生えていない真っ白な足が、対照的にぼうぼうに生え散らかした二人の間で立ち止まる。

 

「俺、話したくもないお前と頑張って話してます。なんでかって、もうこりゃ、お前だけのハナシじゃないからです。何があったんですか。カナタさんと」

「なにも……ないわけではない。ただ、話したくない」

「ふん」

 

 細い顎に手をやりながら、ザワちんは巨人を見上げた。

 彼の黒髪から、微かに線香のにおいが立ち昇る。見下ろすレイジからは、女子生徒が男子用のジャージを着ているようにしか見えない。

 ザワちんの『おんなっぽさ』の根源は、冷たさだ。細く整えた眉と、切れ長の目。見つめるものを切り刻むほどの鋭さが、そこに秘められている。

 

「たとえばですけど──カナタさんをあんな風にしたのはお前。とか?」

「おい、ザワちん。突っ込みすぎんな」

 

 見るに見かねたヨシが、後ろからザワちんの肩を掴む。彼はそれをいとも容易く振り払う。

 目は、レイジから離さない。

 心の底をナイフで抉り出す。そんな錯覚を覚えるような視線から、気まずげにレイジが目を逸らした時だった──

 

「おーい、ちょっといいスかー」

 

 その場には似つかわしくない甲高い声が聞こえて、全員いっせいに浴場の入り口に目を向けた。しかし、誰もいない。

 

「こっちこっち。ここー。女湯にもフツーに聞こえるから、ヒミツの話するときは気をつけてくださいッスよー」

 

 声は、室内からだ。

 

「どこだ……?」

 

 レイジが窓際に目をやるが、そこには何もない。

 

「ぬっふふ。ニブい男どもっすねー」

「わからん。ザワちん、どうだ……」

「俺に聞かれても…………? うぎゃーっ!?」

 

 男湯女湯の仕切りの上にまたがるようにして、マリコが彼らを見下ろしていた。そしてその片手には、なぜか大きな黄色いメガホンが握られている。

 

「ウワーッ!!」

 

 情けない声を上げて男三人、その場にへたり込む。ヨシに至ってはなぜかジャージの上から胸元と股間を隠している。

 

「なにやってんスか、気色悪いスね」

 

 そう言いながら、マリコは彼らの反応を楽しむように笑っている。

 

「スカスカうるせえやい! えーと……会長の妹さんだっけ?」

「そス……つーかこんなカベ低いのに上開いてるとか正気スか。

 おかげで、ウチもこんなカンタンに……お……おお……怖いから下で支えててほしいっス」

「フザっけんな! 回りこんでこいよッ! ……こんなんでいい?」

 

 声を荒げるヨシだったが、彼の体はすでに壁の下で四つんばいになってマリコを受け入れる準備万端だ。

 

「あざ~っス!」

 

 彼の背中を容赦なく足場にして、マリコは壁を乗り越えてくる。

 

「どうなんですか、ヨシ。それ、上級生として。けほっ、ゴホっ」

「聞くなよ。ステキな女の子に頼まれると、断れないんだ。ボタ子以外の」

「ンしょ……ボタ子センパイはダメなんスね」

「あいつどのみち物理で言うこと聞かせてくるからな」

 

 完全にわちゃわちゃになった二人組。ヨシは組体操のようなポーズで、ザワちんはしりもちついたまま咳き込んでいる。

 そんな彼らを前にして、ただ立っているだけのレイジ。

 

「よい、しょっと」

「うぐっ」

 

 ヨシの背から降りず、そこに腰掛けたマリコは意味ありげな視線をレイジに送ってきた。

 

「改めまして。ウチはおねえ……じゃなかった。生徒会長から監督役をおおせつかって参上したッス。マリコちゃんって呼んでほしいス」

「あ? カントク、だぁ?」

 

 ヨシがげんなりとした溜息を浴場に響かせる。

 せいいっぱいマリコを睨み付ける彼だったが、その体は依然として彼女の尻の下。四つんばいのままで、カッコがつくはずが無い。

 生徒会長の妹、そして今は勉強合宿の監督官。彼女は彼の腰をメガホンでポコンと叩いてニンマリ笑ってみせる。

 

「カンチガイして欲しくないスけど、ウチもしょうじきダルいッスよ。でも、おねえにお願いされちゃあ、断れないんス。

 とにかく色々見て回って、半端な仕事にはケチつけまくれって言うもんスから……」

「マリコの見てるところで手を抜くな、ということか?」

 

 マリコが、足を組みかえる。

 ヨシは脂汗をダラダラ流しながら、そっちを見ないように必死だ。

 

「お。さっそく呼び捨てスかァ? レイジさあん」

「すまない。いやだったら──」

「どうだろ。まだ分からないスね」

「まだ?」

 

 立ち上がって腕を組むマリコの姿に、レイジは思わずルリコの影を見た。疑っているとき、信じられないとき。ルリコもよく、ああして腕を組む。

 ヨシの尻をせっついて作業に戻らせるその姿には、暮酒店の前で見せた、あの弱々しい雰囲気はもう感じられない。

 

「とにかくレイジさん。あんたは要注意人物でいくんで。よろしくス」

 

 あの時確かに二人の間にあった、ほのかな絆のようなものでさえ。

 

「あんたは特に見張っとけと会長からのお達しが出てるッス」

「ルリコが?」

「プラス。ウチもあんたが信じられない。どうにも──きしょいんスよね」

 

 ヨシとザワちんが顔を見合わせる横で、マリコはへらへら笑う。

 レイジはそんな彼女を苦しい顔で見つめるだけだ。ルリコの言葉はいちいち正しい。マリコの直感も、いやになるほど正確だ。

 

「あんたに腕力で勝てるとは思わないけど……セッパ詰ってダサい真似するタイプじゃないって信じてるスよ」

 

 とてつもなく突き放した笑顔で、マリコは小首をかしげる。無数に並んだピアスの列が投げかける夕日が、レイジの瞳を突き刺した。

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