海の彼方で、カナタを想う   作:おぴゃん

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1.7月15日(3)

 爆発のような音を立てて食堂のドアが開かれるなり、居合わせた全員の目がそちらに向いた。

 

「あああもおおお!! 即ルール破りとか、レイジさん何考えてんスか~!?」

 

 今やこのクラスでもっとも敬遠されている大男が、幅の広い肩を揺すって行進してくる。

 その後ろに、巨木の幹からチョコンと顔を覗かせるキノコのようにくっついてくるのがマリコだ。

 彼女は歩いてない。ベルトからハミ出たシャツの裾を握って、彼を引き留めようと最後の抵抗中だ。

 おかげでシャツはビロビロに伸びきり、掃除したてのリノリウムの床には引きずられるマリコの靴底が、タイヤのスリップ痕のように残される。

 

「ケガをする。やめてくれ。それとシャツが伸びる」

「へっ……これ以上傷ついて困るようなツラじゃねーっス! いいからストップ。ストーップ!」

 

 夜半まで続いた大掃除でヘトヘトになったクラスメートたちの間に、会話はほぼ無い。彼らが浅い皿の中で冷め切った缶詰のミートボールを転がしていたところに、レイジたちのやりとりはよく響いた。

 

「おねえのっ、命令、なんスよっ!」

「だとしても、やらなきゃいけないコトがある」

「あんたのそういう聞き分けの悪さ──! それがキケンだって、言ってンす!」

「では、ケガしないように気をつける」

「うえっ」

 

 クルっと振り向いたレイジが、そのたくましい腕でマリコの体を抱き上げた。

 さながらキングコングだ。このまま合宿所の外壁をヨジ登ってテッペンでドラミングをかませば完全再現も夢じゃない。

 が、彼がこれから向かう場所は、ある意味それよりもっと危険なところだった。

 

「レレレ、レイジさんっ! コレ、マジでダメ! セクハラ! せーくーはーらー!」

「すまない。すぐ終わる。から」

「ちょぴっとだからって許され────あ。ども……」

 

 食堂隅の長テーブルに、彼らは辿り着いた。

 スプーンを握ったまま固まっているルリコに向かって、マリコが軽く会釈する。

 

「ア……」

 

 同じテーブルについていたカナタが、ヒキガエルのようなしゃがれ声を出した。彼女の背筋がひどく引きつったのを見て、レイジは顔を曇らせる。

 

「何の用?」

 

 そんな彼女を庇うようにして、ルリコが立ち上がった。

 同席するヨシ、ザワちん、そしてボタ子。彼らと彼女が向けてくる二つの目は、銃口のようなものだ。

 横に並んだ水平二連散弾銃。

 静かに、冷たく。ボロボロになったカナタのもとに舞い戻ってきた野獣に突きつけられ、離れることは無い。

 

「すぐ終わる。これを」

 

 完全包囲の中、レイジの太い指が、ポケットから鍵をつまみ出す。

 チャリ……と音を立て、テーブルの上に置かれたものは、見れば見るほど、ただのカギでしかない。

 ありふれた、引っかきキズだらけの、銀のカギ。

 辛いこと、悲しいこと。嬉しいことも楽しいことも全部──短く、鮮烈だった一ヶ月を二人で分かち合ってきた部屋のもの。

 レイジの、マンションのカギだ。

 

「────へ、あ?」

 

 今のカナタは空気が抜けていく風船だ。

 肺の中の酸素ごと、魂の切れ端まで一緒に吐き出してしまったような声を上げながら、震える瞳でレイジを見つめる。

 その、灰色の瞳に反射した男の姿が、あまりに不恰好で恐ろしい。レイジは目を背けてしまいたくなる。

 

「俺はあの部屋に戻らない。これまで通り家賃を払うから、カナタはずっと住んでいい。俺は、もう二度と、カナタの前には現れない」

「アンタ……この……!」

 

 冷静で冷徹で冷淡な顔を繕っていたルリコの顔が崩れた。彼女が取り落としたハシの音が、鉄筋を転がしたように響き渡る。

 二十四人が詰め込まれた食堂は静まり返っていた。全員の注意が、このテーブルに向けられていた。

 

「こっちが俺の通帳とカードで、これがハンコだ。暗証番号の控えは部屋に置いてある。映画のコレクションも、好きにしてくれて構わない」

 

 カナタの前に立ったレイジは、ポケットを裏返して中身を並べていく。そうするだけ、彼の中身がなくなって、元のからっぽな男に戻っていくようだった。

 

「これが俺にできる、責任の取り方だ。ほかに償えることなら、何でも言ってくれ」

「アタシ……こんな、ちが……」

「こんなやり方がよくないことくらい、俺にも分かる」

 

 そう言って背筋を伸ばしたレイジは、全身にちくちくとした視線を感じていた。

 もはや彼は、このクラスの敵だ。

 マドンナの身も心も深く傷つけて、勝手なことを抜かして勝手に納得する意味不明の怪物だ。

 

「違う……」

「分かってる。でも、俺にはこんな方法しか思いつかない」

「違、う。違うんだよッ! こんなんじゃないんだ! こんなの、要らないんだッ!」

 

 カナタが勢いよく立ち上がった拍子に、スープ皿がひっくり返る。テーブルの端からボダボダ滴るスープの中に、黒いものが漂う。

 切れた彼女の唇から、漆黒の体液が流れ出ていた。

 

「アタシは……レイジがいれば、それでいいのに……なのに……」

「──もう。そうじゃない」

 

 カナタは口元を押さえ、体を折った。

 その指の隙間から流れ出る黒が、ゴボ、と勢いを増す。彼女がどう思っていようが、それが体からの、本能からの返答だった。

 

「あっ、カナタ!?」

 

 テーブルをガチャゴチャ鳴らして駆けていったカナタの背に、ルリコが手を伸ばす。その手が届くことは決してない。

 彼女の目がレイジを捉える。

 そこには、なんの感情も──ない。

 カラッポ男にはカラッポの感情がお似合いだと吐き捨てるように、彼女は二人の間に張り巡らした視線をプツリと切った。

 

「待ちなさいよ。アンタの体、めちゃめちゃなんだから────」

 

 ルリコが、カナタを追って駆け出した。

 残されたレイジは、冷え切った空気の中で自分の顔を撫ぜてみる。

 口元に、こわばった微笑が張り付いていた。それを両手でつかんで、ぐしゃぐしゃに叩き壊したくなる。

 笑って送り出してやったらカナタは少しでも気楽になると思ったが、それはどうやら大間違いだ。

 

「……ありえねー……」

 

 黒のウルフカットを手グシでスパゲティーのように掻き混ぜながら、マリコが呟いた。

 いたたまれない空気が流れる。

 こうしてレイジは、完全なるクラスの異物になった。全身の肌に突き刺さるような視線を感じながら、彼はきびすを返す。

 

「なあ、レイジさんよ……ちょっと頭、冷やそうや」

 

 その肩をポンと叩いて、ヨシが呼び止めた。

 

「思い切ったコトしても、カナタちゃんの傷広げるだけだ。お前の傷も」

「俺は、傷つかない」

「なワケねーだろ。お前だって人間だ。まずはクールダウンだ。なんかイイコトして、気晴らししようや」

「イイコトって……たとえば?」

 

 待ってましたとばかりに、彼は白い歯を見せた。指先で叩く胸ポケットが硬い音を立てる。カードの厚みが、そこにあった。

 

「決まってんだろ、ギャンブルだ!」

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