光が引っ越して来た次の日。
俺はまたしても怪異に悩まされていた。
なぜかいるんだよ。
「昨日は羊さんの部屋で寝たはずなのに…」
俺の上でスヤスヤ眠る光がいる。
ツヤサラの長い髪が俺の顔に触れてくすぐったい。
しばらくこのままでいいかとも思ったが、心を鬼にして起こそう。
可愛い教え子になる奴だからこそ、甘やかしたりしない。
昨日のより少ない労力で起こす方法は・・・あれでいいや。
俺は箱ティッシュから一枚抜き取りより合わせる。
そうして完成したこよりを光の鼻に突っ込んだ。
「ぶぇっくしょんッッ!!」
可憐な少女はオッサンのようなくしゃみをしながら起床した。
そういえば、久しぶりに悪夢を見なかったな。
・・・・・・・・・・
「寝る時は部屋に鍵をかけようと思う」
「持っててよかった、ピッキングツール」
なんでそんな物を持っているのかは置いておいて、光は夜這いを止める気はないようだ。
「光さん。正座して」
「はいな」
ベッドの上にちょこんと正座をする光。
いちいち仕草が可愛いから困る。
寝ぐせがついてはねた髪も彼女の魅力を損なうことはない。
むしろ、ちょっとだらしないところが見られて嬉しいというか・・・
大丈夫か俺?まだ三日目だぞ?
来週辺りには式場を予約しているか、牢屋に入っているかもしれない。
「嫁入り前の娘さんが、男の布団に易々と入ってはいけません」
「好きな人の布団なら問題ないね」
「あるよ。問題ありまくりよ」
「両想いなのに?」
「は?……はぁぁぁ?両想い?誰と誰が!?」
「めんどくさいなぁ。それでも好きだけど」
やれやれと呆れる光。
なんで俺が聞き分けの無い子供扱いなのか解せぬ。
「あなたが本気の本気で嫌がったら、私はすぐにでもこの家から出て行くよ」
「あ、いや、そこまでは…」
「私はあなたが好きだし、あなただって多少なりとも私に興味あるでしょ」
「ちがっ!」
「知ってるから隠さなくていいよ。素直になっちゃえば楽なのに」
「……ぐぬぬぬ」
「大人としての矜持とか倫理とか、くだらないもに縛られちゃって……ま、良妻賢母を目指す身としては旦那の至らなさも許容するべきだよね」
ねえ?キミ本当に小学生?
大人びているというより、なんか悟り開いてない?
どういう環境で育ったらこんな風になるのよ。
「不甲斐ない司さん。私の事は精神安定剤ぐらいに思えばいいよ」
「ちょっと何言ってるのかわかんない」
「昨夜はうなされていなかったよ、ひょっとして例の悪夢見ていないんじゃないの?」
光の言う通り俺は悪夢を見ていない。
俺の沈黙を肯定と受け取った光は話を進める。
「耕一さんも羊ちゃんも瞳先生も、司さんが元気なったのは私のおかげだってさ」
光と一緒だと俺はあの日の事を考えずにいられる。
寝ている時もそれは同じだと言うのか。
光の存在が俺の心に癒しをもたらしている・・・だと・・・
ペットセラピーならぬヒカルセラピーだったか。
「つまり、私と司さんのスキンシップは治療行為なんだよ!」
「なんだってー!」
「濃厚接触してもいいんだよ!」
「マジかよ!すげぇなヒカルセラピー」
この画期的な治療法、論文にまとめて発表するべきなのでは?
俺にしか効かないの?じゃあ論文にする意味ないな!
「理解したならさっそく治療を開始しよう。まず、私を優しく抱きしめて」
「こうか?」
「うひゃ////そう、その調子。今度は肩に手を置いて、私が目を閉じたら人工呼吸をしてね」
「それってキスなのでは?さすがにアウトなのでは?」
「人工呼吸だよ!偉大な先人たちが編み出した立派な治療法をキスと誤解するなんて!見損なった!」
「そんな怒るなよ。わかった人工呼吸だな。よし…」
「頑張れ☆頑張れ☆」
これはキスではない。人工呼吸だ、治療のためだ。
俺にやましい気持ちは・・・ほんのちょっぴりしかない。
溺れてもいないのに人工呼吸をする意味がわからないが、光には何か深い考えがあるのだろう。
光が目を閉じた・・・どう見てもキス待ち顔です。ありがとうございました!
ホント綺麗な顔しやがって、まつ毛長いな、近くだと吐息が・・・き、緊張で震えて来やがった。
しっかりしろ!光が俺を治すために協力してくれているんだぞ。
彼女の気持ちを無駄にしないよう、治療を完遂してみせる。
「い、行くぞ////」
「いつでもどうぞ////」
華奢な肩に置いた俺の手が震える。
光も何かを期待するようにほんのり赤くなっている。
人工呼吸まであと数センチ。
これをクリアすれば、俺のメンタルは劇的な回復を見せ・・・
「司君、光ちゃん?そろそろ起きないと………あ!?」
「「あ」」
リビングへ来ない俺たちを心配して、加護さんが様子を見に訪れた。
そして、人工呼吸寸前の俺たちをバッチリ目撃する。
どうすんだこの状況!
「お邪魔だったようで、僕に構わず続きをどうぞ」
「しませんよ!堂々と見守る体勢をとらないでください」
「あと少しだったのに…耕一さん、私言ったよね!覗くなら細心の注意を払ってよって」
「覗きの許可を出すな」
「ごめんごめん。こんなに早く進展するとは思わなくってさ」
『済んだら下りておいで』と言って去り行く家主。
加護さんが登場したことで、さっきまでの妙な空気が消えて行った。
あ、危なかった。一時的にだが俺の知能がかなり低下していたぞ。
今の思考が飲まれる感じには覚えがある。
光の口車とカリスマ性により洗脳されかけたのだ。
「お前…またやったな?」
「意識してやったわけじゃないよ。今回のはその場の勢いに流されたってのが大きいかな」
パッシブスキルなの?マジで質が悪い。
「
「あー何も聞こえない!」
何が治療だ!この詐欺師!
もう騙されたりしないんだからね。
「治療ってのは嘘じゃない。いのりちゃんショックのダメージを、私を使って回復してくれたら本望だよ」
「ポーションか」
「司さん専用の万能薬、使用回数無限、ただし依存性あり!」
「ヤベェお薬ですね」
お薬は用法・用量を守って正しく使いましょう!
光は俺の中で危険ドラッグと同じ位置づけとなった。
●
ルクス東山FSCが拠点にしている大須スケートリンク場。
ちょっとした雑談で今朝の出来事を話したら、瞳さんがゴミを見る目をしてくれた。
美人のジト目ってゾクゾクするな。
「ふーん。キスしそうになったんだ。へぇー」
「騙された上に未遂だったので、俺に落ち度はありません」
「いやダメでしょ。同衾許している時点でアウトでしょ」
「あら、ヒカルセラピーをご存じない?彼女は俺のお薬ですよ?」
「口を開く度に司君の壊れっぷりが露呈するわ」
目に見えてわかるほど俺が負ったダメージは深刻らしい。
これはお薬の摂取が必要だな。
そのお薬はというと、義務教育を受けるため学校に行っている。
今朝、初めてランドセルを背負った光を見たのだが、背徳感が半端なかった。
俺はこんな子と人工呼吸未遂を・・・神よ、許したまえ。
懺悔の意味を込めて羊さんにビンタしてもらったわ。
ありがとうございます!
「今日からだけど、彼女大丈夫そう?」
「あいつなら上手くやるでしょう。むしろ心配なのは俺の方です」
「バッシングされる準備はいいかしら?」
「全然よくないです。なんか、お腹痛くなって来た…」
やっぱりお薬が必要かも。
・・・・・・・・・・
午後、クラブ所属の子供たちが続々とスケート場へやって来た。
ここ最近、塞込んでいた俺を気遣ってくれた、優しい子供たちだ。
そんな君たちに今日はサプライズがあります。
俺と瞳さんは練習前の子供たちを集めて少々お時間をもらう。
みんな何事かと期待と不安の表情を見せている。
「えー、今日は皆さんに新しい仲間を紹介したいと思います」
『おお!』と子供たちから歓声が上がる。
どんな時も新人の加入イベントは盛り上がるものだ。
そのテンション維持しててね。
「心の準備はいいかな?一回深呼吸してみよっか?気を確かに持つんだぞ」
俺なりの気遣いだったのだが、子供たちから『はよしろ』とブーイングが上がる。
すまない、準備が出来ていないのは俺の方だったな。
よし、出て来てもらおう。
「光さん。おいで」
「はーい」
俺の呼びかけに透き通るような少女の声が応える。
彼女が姿を見せた瞬間、子供たちの騒めきが一気に鎮静化した。
幼い子の付き添いである保護者たちも同様のリアクションだ。
俺の隣に並んだ少女は全員を見渡してから声を出した。
「狼嵜光です。本日からルクス東山でお世話になります。みんな仲良くしてくださいね」
惚れ惚れするような笑顔と共に自己紹介をする光。
全員が固唾を呑んで見守ること数秒・・・張り詰めた空気が爆発した。
「「「「うわぁぁぁーーー!!」」」」
「「「「ひかるちゃんだぁーーー!!」」」」
『なんか凄いの来たー!』と、みんな声を張り上げる。
まあ、そうなるわな。
「狼嵜光!?実在したのか…」
「本物?本物だ!」
「やべぇ、マジでやべぇよ」
「さ、サインを、いや握手してください!」
「ありがたやありがたや」
「か、可愛い。かわいいぃぃーー!!」
「うへ、うへへへ、ひ、ひか、ひかるちゃ…うへへ」
「おい!しっかりしろ我を忘れるな。くっ、こいつはもうダメだ」
「…………」
「助けてくれ!俺のダチが息してねぇよ!」
「爪の垢を!どうかうちの子に爪の垢を恵んでください」
狼嵜光は有名人だ。
マスコミの取材を度々受け、テレビ出演も果たしている。
実力も確かで、全日本選手権を二連覇する傑物。
スケートを嗜んでいる者なら、誰しも彼女の名を知っている。
年齢の近い子供なら尚の事、彼女に強烈な羨望と憧れを抱くだろう。
いのりさんもそうだった。
「本当に人気なんだな…アイドルみたい」
「今更何言ってるの?あのルックス見なさい。スケート抜きにしても、注目されて当然の子なのよ」
「俺とキスしそうになった癖に…」
「黙りなさい!それ絶対に言うんじゃないわよ。刺されるわよ!」
光の人気に嫉妬。
以前聞いた話だと、ティーン向けファッション誌にモデルとして起用されたこともあるらしい。
アスリートじゃなかったら芸能界入りしていても不思議じゃない逸材だ。
多才にして多芸。俺のような凡人が一緒にいていいのか不安になる。
そんな彼女と未遂とはいえ・・・
すみません。何でもないです。
瞳さんの綺麗な顔が金剛力士像みたいになってしまった。
めった刺しにされたくないので、今朝の事は喋らないようにしよう。
光の登場による阿鼻叫喚はしばらく続いた。
光にハートを撃ち抜かれた奴らがゾンビのように迫り来る異常事態も発生。
ゾンビどもから光を守りつつ迎撃するのは骨が折れた。
「地獄絵図だねww」
「そうだな、元凶」
「私からすれば、司さんこそが全ての元凶なんだけど」
ようやく混乱が落ち着いて来た頃。
光への質疑応答時間が設けられることになった。
このまま解散しても、光が気になって練習どころではない。
そういうのを見越した瞳さんの判断だ。
子供たちから矢継ぎ早に質問が飛ぶ。
その一つ一つに光は丁寧に返答していく。
「どうしてルクス東山に来たの?」
「司さん目当てです!」
いきなりぶっちゃけ過ぎではなかろうか?
おっと、場の空気が変わったぞ。
みんなの『おい司コラ!』と言いたげな視線が痛い!!
「司先生とは、どういうご関係ですか?」
「人生のパートナー」
見るな。そんな目で俺を見るな!
男女問わず『なんだァ?てめェ…』の顔もやめてほしい。
「二人の馴れ初めは?」
「私が『お嫁さんになってあげる』って言ったら、二つ返事で了承してくれたよ」
俺の記憶と違う!
コーチの件は了承したが、嫁にもらうとは一言も言ってない。
みんながもの凄い顔で俺を睨んでる。
瞳さんも保護者の方々もずっと般若だよ。
ちょっと光さん!?最悪のタイミングでピッタリ寄り添わないで。
刺されちゃう。このままじゃ俺本当に刺されちゃう!
「光ちゃんが司先生を立ち直らせたとは」
「あれは見るに堪えなかったから、GJ光ちゃん」
「そんなぁ、私、司先生のこと狙ってたのに」
「俺だって司先生の筋肉を愛していたのに」
「司先生も罪な男よ」
「なあ、これって略奪愛なんじゃ…」
「バカッ!純愛だよ」
「いのりちゃんがリリースしたのを、光ちゃんがリサイクルしたってこと?」
「その解釈でいいんじゃね」
「次はどんなフラれ方をするのか気になるww」
「ひでぇ、破局前提かよ」
「もげろ」
混乱はあったものの、光はクラブの仲間として好意的に迎え入れられた。
なぜか俺が玩具にされている気がしないでもないが、そこは甘んじて受け入れよう。
俺程あからさまではないが、いのりさんの脱退をみんな寂しく思っていたはずだ。
光が加入したことで、活気を取り戻してくれたら御の字だ。
頼りにしてるぞ、光。お前はルクス東山の柱になれ。
「司さん大丈夫?もげてない?」
「もげてねーわ」
「チッ!」
瞳さん、大きな舌打ちやめてください。
『もげろ』と呟いたのはあなたでしたか。
●
光の紹介も終わり、各々が練習を開始するため動き出した。
俺も準備を整えよう。
スケート靴を履くのも随分と久しぶりな気がする。
いのりさんに別れを告げられてから、俺はまともに滑っていない。
氷上を見ているだけで、あの日の光景がフラッシュバックしそうになるからだ。
「いい加減、克服しないとな」
深呼吸をして気合を入れ直す。
切り替えろ、余計な事は考えるな。
やるぞ!一度は破れた俺のコーチ人生、ここからまた始めよう。
「お待たせ」
来たか、可能性の獣よ。
練習着に着替えた光が息を切らせながらやって来た。
おーい、走ると危ないぞ。
「ごめんごめん。司さんとの記念すべき初練習だから急いじゃった」
「嬉しいことを言ってくれるじゃない」
光は長い黒髪をヘアゴムで束ねた姿にチェンジしていた。
なるほど、それがキミの戦闘形態か。
普段の無造作ロングも好きだけど、こっちもいいな。
「じっと見てどうしたの?惚れ直した?」
「まあな」
「き、急に攻めるの反則////」
スケートリンクへ移動。
氷上へ出る直前で俺の足が止まる。
「行けそう?」
「悪い、正直まだ少しビビってる」
「全然OK。どうしよっか?手つなぐ?」
「頼めるか」
「弱って素直な司さんも全然アリだと思います!」
光と一緒に氷上へ出る。
フラッシュバックは……来ない。
体は動く、俺はまだスケートができる。
その事に安堵して、手を引いてくれた光に感謝する。
「助かった、もう放していいぞ」
「早っ!まだ1分経ってないのに」
「あんまり長くつないでいると、その、わかるだろ?」
「気にしすぎだってば」
氷上へ出る前から俺たちへの注目度が異常だ。
みんな光がどんな練習をするのか、気が気じゃないのだろう。
それと、俺が光にどう対処するのか知りたいという好奇心も含まれる。
ちょっと手をつないだだけで『おい待てやコラ!』的な視線が何本も突き刺さりまくって痛かった。
視線だけで殺されそう。
「光さんは平気か?」
「大会の時はこの何倍もの視線に晒されるから平気。いちいち気にしていたら滑れないよ」
「さすがだ」
光を見習い、気にしたら負けの精神で行くことにしよう。
「俺はコーチとして、できる限りの事をするつもりだ。よろしく頼む」
「うん。私も教え子として精一杯頑張るね」
俺たち二人も練習開始だ。
●
「最初は、そうだな。光さんの滑りを見せてもらおうか?」
「待ってました!私のスケーティングで司さんを虜にしてあげる」
気合十分な光は俺から離れた位置に陣取り一呼吸入れる。
次の瞬間、彼女の雰囲気が様変わりした。
来るぞ。総員、対ショック、閃光防御 急げ!
光が氷上を軽やかに舞う。
それは完成された絵画ようであり、
狼嵜光という少女の世界そのものであった。
目が離せない、飲まれる、光の世界に飲みこまれていく。
俺だけではない、光の様子を伺っていた全ての人が魅了されていた。
「やっぱすげぇ…全日本連覇は伊達じゃないってか」
動きのどれを取ってもノービスのレベルじゃない。
狼嵜光、ぶっ壊れ性能すぎるぞ。
こんな奴と戦おうだなんて、いのりさんも大概ぶっ壊れである。
ぶっ壊れたのは俺のメンタルだけにしてほしい。
最後のポーズを決めて光の演舞は終了した。
魅了された者たちから惜しみない拍手や歓声を送られて、光も満更でもない様子。
本人的には軽く流したつもりでこの始末。
本気で滑ったらどうなることやら。
俺も覚悟を決めないとな。
「どうだった?」
戻って来た光は俺の採点が気になるようだ。
上目遣いカワイイ。
「展開された領域に引きずり込まれてボコボコにされた気分だ」
「よくわからないけど、高評価ってことだよね。やった!」
「光さん、どうかこれを受け取ってほしい」
俺は懐から封筒を取り出し光に手渡す。
こんなこともあろうかと、用意しておいて正解だった。
「わお、今時ラブレターだなんて古風なんだから」
光はウキウキしながら封筒を受け取り、表書きを読んだ。
【辞表】
「……」
「……」
「じゃ、そういうことで」
「逃がさんぞ」
立ち去ろうとしたら腕を思いっきり掴まれた。
痛い痛い痛い!相変わらずなんて力だ。
「なんで辞表なんか出すの!さすがに怒るよ!」
「光さんの実力は既に俺を超えている。俺が教えられることなんて、何も無い」
「『コーチとして、できる限りの事をする』って、キメ顔した司さんは何処へ行ったの?」
「懐かしい…若かりし頃、そんな恥ずかしセリフをほざいた事もあったな…」
「10分前ぐらいの出来事だよ!」
練習初日、光の滑りを見ただけで心へし折られました。