私はアスリートだ。そして学生でもある。
フィギュアスケートだけに専念したいところではあるが、学業を疎かにするつもりはない。
これでも学校では優等生として一目置かれているのだ。
「これでよしっ……あー、終わった終わった」
予習復習を終えて私は大きく伸びをする。
今日はクラブがお休みだったので、学校終わりにスケート場へは寄らずに直帰した。
おかげで久しぶりに集中して机に向かう時間が取れたのだ。
ここ最近、フィギュアの練習に熱中しすぎて、学校の勉学は二の次になっていたと思う。
たまにはこんな日があってもいいだろう。
「早く帰って来ないかな」
生徒が休みでもコーチをしている大人たちは普通に仕事があるわけで、司さんはまだ帰って来ていない。
待ち遠しい…帰って来たら、いっぱいハグしてスリスリして甘えちゃおう。
もう私は司さん無しでは生きていけない体にされてしまった。
司さんと長時間離れると禁断症状が出て落ち着かない。
彼はコーチというより、
これからも、たっぷりしつけてもらう所存である。
司さんの唇を奪った『ベロチュー事件』から、彼は前よりも私を意識しているように感じる。
そろそろ何らかの仕返しが来てもいい頃なのではと思う?
『この間の礼だ』なんて言われて、無理やりキスされたい!
勢いでそのまま押し倒されたりもしたい!!
一匹の
キャー!もう好きにやっちゃって!
「これは来るか?既成事実できちゃいますか!」
妄想が捗ってしまった私はベッドにダイブ、枕を抱えてジタバタする。
以前、同じような状態を羊ちゃんに目撃されてしまった事がある。
生温かい目で『ああ、発情期か』『ごゆっくり』とのコメントを頂いた。
お母さんと同じ反応www
気にしたら負けだよ、そっとしておいてね!
司さんにメチャクチャされる妄想で幸せに浸っていると、スマホから着信音が鳴り響いた。
もしかして司さん?
そうだったら嬉しいと思いながら画面を見て、幸せ気分がぶっ飛んだ。
「げっ!?」
マジか・・・
スマホの画面には【ヨダカ】から着信ありとなっている。
奴からかけて来る事は無いだろうと思って、ブロックするの忘れていた。
一体何の用だろうか?
いのりちゃんとうまく行かなくて、泣きついて来た?
もしそうだったら、ヨダカの不幸で飯がウマいww
無視してもよかったけど、一応出てやろうじゃないか。
寛大な私に感謝してよね。
司さんが帰って来る前にヨダカの相手は終わらせてしまおう。
「……なんですか?」
ちょっと声が不機嫌になってしまう。
一方的に別れを告げられた恨みがまだ残っていたらしい。
「僕だ」
うわ!ヨダカ本人の声だ。もう一回うわっ!
「捨てた女に今更何の御用ですか?夜鷹純さん?」
嫌味な言い方だと思うけど、これぐらいは言わせて。
「キミに話がある、光」
「チィッ!」
舌打ちが自然に出てしまった。
ヨダカの声を久しぶりに聞いたら、イライラムカムカして来た。
この拒絶反応を鎮める方法はただ一つ、司さんに抱きしめてもらうことだけだ。
ついでに、愛を囁いてくれたなら尚良し。
「気を付けろ……カミサキが動き出した」
へぇーそうなんだ。
カミサキがねぇ……狼嵜?私の苗字?いやそうじゃない。
ヨダカが言うカミサキとは、まさか……私の実家、
そこにいる
「それだけだ。確かに伝えたぞ」
「待て待て!なんでカミサキが出て来るのよ?」
電話を切ろうとするヨダカを慌てて引き止める。
お前はいつも説明が足りないな。
「キミが僕の手を放れた事を、ようやく知ったらしい。呪術師に妨害工作でも依頼したのか?」
「え、あーうん。まあね」
瀬古間さんの術式で私に関する情報にはフィルターがかかる設定になっている。
司さんの教え子だとバレないための対策のはずが、実家の情報網すら攪乱したらしい。
それが癇に障った?その程度のことで、わざわざカミサキが動くか?
そもそも、私の自由は狼嵜家の実質トップ『
コーチや住居を変えたからと言って文句を言われる筋合いはない。
「その御前から勅命があったらしい『光の様子を見てこい』だそうだ」
「うへぇ…正体不明の親玉が、わざわざご苦労なことで」
「御前にケンカを売った覚えはないか?例えば、定期報告に『おならぷう』と返したとか」
「そんな命知らずな真似できるかぁ!」
御前は敵対者には容赦のない人物だと聞いたことがある。
やんちゃだった当時5歳児の私ですら空気を読んで逆らう事はしなかったのだ。
定期報告では『問題ないっス』『私は元気です』と無難な応答を心がけていたし。
幹部連中が集まるリモート会議では『すごいなぁ』『えらいなぁ』『ホンマっすか~』の太鼓持ちで乗り切って来た。
不興を買った覚えなどないのだが・・・
「光…恋をしているかい?」
「今、何て言った?」
私の耳、突発的におかしくなった?
ヨダカという冷血人間の口から『恋』というあり得ないワードが出て来たような。
「恋をしているのか、と聞いている?」
耳が正常だったことに困惑する。
前触れなく恋愛トークを始めるとは、相変わらずヨダカの思考は意味不明すぎる。
どうした?お前本当にどうした?上京して変わってしまったの?
「な、なんでいきなり、ほっといてよ」
「いいから答えて、今、好きな人がいる?いない?どっち?」
ヨダカの妙な圧を押され、私はつい正直に答えてしまう。
「いるよ!いますよ!いたら悪いか!」
「おめでとう。食べ物にしか興味を示さなかったキミにも、人の心があったんだね」
「バカにしてんのか?」
食べ物にしか興味がないと勝手に決めつけ、それを未だに引きずるヨダカであった。
この野郎、私を野生動物と同列に扱いおってからに…
「なるほど、カミサキが動くわけだ」
「ひとりで納得していないで、わかった事があるなら教えて」
「奴らはキミの恋路に水を差したいらしい」
「待ってよ……それって、まさか…」
スマホを握るてに力が籠り、背筋を嫌な汗が伝う。
やめてやめてやめて、やめてよ!本当にそれだけはやめて!!
「カミサキの狙いはキミの
「っ!?!?」
「警戒を怠らず、夜間の単独行動はなるべく控えさせろ。事後報告になるが実は僕にも彼女ができて…光?ねぇ、聞いてる?彼女できたんだけど、自慢させて…」
ヨダカが何かまだ喋っていたが、それどころではない。
通話を切り上げた私は上着を引っ掴んで部屋を飛び出す。
「あれ?光ちゃんどこ行くの?パパがもうすぐ夕飯できるってさ」
「司さんを迎えに行って来る!先に食べてて」
「あ、ちょっと」
乱暴に靴を履いて外へ、自身の運動能力を駆使して走り出す。
まだ帰宅ラッシュの時間帯だ、車に乗って渋滞に巻き込まれるより走った方が速い。
走りながら私は司さんに電話をかける……出ない、出られない状況なの?
「お願い、無事でいて…」
張り裂けそうな思いで私は夜の街を疾走した。
・・・・・・・・・・
「やれやれ、遅くなってしまった」
本日の仕事を終え、すっかり暗くなった街並みを歩く。
瞳さんが事務仕事を溜め込んでいたせいで、こんな時間になってしまった。
『光ちゃんの件を優先していたからよ』と言われてしまっては、残業もやむを得ない。
気温も大分暖かくなった。今年もまた夏がやって来る。
夏といえば、ジュニアの強化合宿が始まる時期だ。
ノービスで優秀な成績を修めた光も参加する予定になっている。
全国から凄腕のライバルたちが集まって来ることだろう。
そこにはきっと、いのりさんもいるはずだ。
「強化合宿で俺が光のコーチだと発表する……あぁ…今から気が重い」
瀬古間さんによると夏にネタ晴らしをしなければ、俺はヒグマといかがわしい行為に及んだハイレベルケモナーとして周知されるらしい。
それだけはなんとしても避けなければならない。
みんなの反応が怖い、質問攻めにされるのも憂鬱だ。
だが、逃げ出す事はしない。
俺を信じてくれる光のためにも、堂々と胸を張って光のコーチは『この俺だッ!』と宣言しよう。
いつだって光は俺に勇気をくれる存在だ。
あいつと一緒なら、どんな困難も乗り越えられる気がする。
最近思うのだが、もう俺は光無しでは生きられない体になってないか?
あいつがそばにいないと落ち着かないというか、なんだか不安になるのだ。
ベロチュー事件があってから、前にも増して光のことを意識してしまう自分がいる。
日々の鍛錬で己の理性を強化していてよかった。
そうでなければ今頃、光と不適切な関係を築き上げていただろう。
もしそうなったら・・・
「バカ、何を考えているんだ」
余計な考えで足を止めてしまっていた。
煩悩退散!思考を素早く切り替える。さあ、早く帰ろう。
今日は耕一さんが夕飯当番なので、何が出て来るか楽しみだ。
再び歩き出そうとして……背後に気配を感じだ。
なんだか今ゾワッ!とした。
「明浦路司だな?」
名前を呼ばれて振り返ると、黒のスーツを身にまとった集団が現れていた。
視認するまで気配も足音もまるで感じなかったぞ。
年齢、性別、背格好もバラバラの黒服たち、人数多くね?
ぱっと見で十人以上いるんですけど!?
通り魔なの?集団通り魔とエンカウントしちゃったの?
こういう時こそ110番だよね。あれ、おかしいな電波が入らないよ。
状況について行けず焦っていると、集団のリーダー格らしき女が再度問いかけて来た。
長身の美人だが、俺を見る目はすごく冷たい。
なにか嫌な予感がする。
「黙っていないで答えろ、明浦路司だな?」
「違うよ、僕は夜鷹純。スケートリンクに興奮を覚えた特殊性癖の男さ」
「白を切っても無駄だ。お前が明浦路司だと、とっくに調べはついている」
「だったら最初から聞くな!」
嫌な男の名を語って損した。
人違い作戦、一回ぐらい成功してくれないかな?
「俺に何かご用でしょうか?」
「悪いが、付き合ってもらうぞ」
「お気持ちだけで結構です。あなたからの告白を受け入れることはできません」
「そういう意味ではない!」
違ったか、突然の告白イベントではなかったようだ。
俺のことを面と向かって好きだと言ってくれる女は、光と羊さんぐらいだな。
二人とも文句なしに可愛いので幸せ。
面倒事になる前に可愛い家族が待っている家に帰ろう。そうしよう。
「用があるなら後日お伺いします。もう遅い時間ですし、今日のところは帰りますね」
「ふざけた男だ。穏便にする気が失せた」
黒服たちから明確な敵意を感じる。
あ、これはヤバい。
「最初からこうするべきだった。明浦路司、お前には消えてもらう」
「は?」
言われた意味がわからず、戸惑っていると、
十数人の黒服たちが一斉に向かって来た。
「え?ちょっと、ま……きゃぁぁぁぁーーー!?!?」
悲鳴を上げながら俺は逃走した。
誰か説明してくれ、俺が一体何をしたと言うんだ?
・・・・・・・・・・
司さんは電話に出てくれないし、いつもの帰り道にも見当たらなかった。
これは何かあったに違いない。
車で連れ去られていたらお手上げだけど、なんとなくまだ近くにいる気がする。
こんな事なら、司さんのスマホにGPSを仕込んでおくんだった。
後悔してもあとの祭り。今は彼を探すことに専念しよう。
どこ?どこにいるの?
「きゃぁぁぁーーー!」
どこからか男の悲鳴が聞こえた。
今の、情けなくも庇護欲をそそる悲鳴は間違いない。
「司さんだ。あっちか!」
声のした方角へダッシュ。
可能な限り最短ルートを選択する。
迂回することなく、多少の障害物や壁は飛んだり跳ねたりで乗り越える。
身体能力をフル活用したパルクール走行は得意なんだよね。
目標へ近づくにつれ、私の
「見つけた!でも、ピンチだ!」
やっと見つけた司さんは、喚きながら中々のスピードで逃げ惑っていた。
それを追うのは10を超える数の黒服たち。
スーツの胸元や腕章に付いたオオカミのエンブレムは、カミサキお抱えの武力集団、
ヨダカに忠告されたばかりでコレかよ。
私は脚に力を入れて加速する。
司さんに酷い事をする奴らは許さないんだから!
●
「きゃぁぁぁー!いやー!来ないで!」
夜の街を逃走中、逃げ切っても賞金は出ない。
「逃げても無駄だ!止まれ!」
「くっ、予想以上に素早いぞ」
「あれだけ走ってまだ止まらないだと、何なんだあいつは!」
「通信遮断と人払いの術式は有効だ。このまま追い詰める」
すっと逃げ回っているけど、奴らは諦めてはくれないらしい。
スマホは通じないし、交番や警察署はここから遠い。
少しづつ人気のない方向へ追い込まれているのは気のせいではない。
このままでいずれジリ貧だ。
ボコられ終わればいいが、さっきの『消えてもらう』発言が怖すぎる。
捕まったらどんな目にあうか想像したくもない。
こんな所で、理由もわからないまま消されてたまるか!
覚悟を決めろ。無謀なのは最初から承知だ。
あの人数相手に勝てる見込みは低い、でも戦うしかない!
「やってやる、やってやるぞ!」
足を止めて黒い追跡者たちと相対する。
俺が自暴自棄になった思ったらしい、黒服たちは嘲笑を浮かべたまま襲い掛かって来た。
うわぁ訓練された動きだあ、なんて思っていると…そいつは現れた。
「私の旦那様に何してるの!!」
ビルの外壁から飛び移ったそいつは、俺に殴りかかろうとした黒服を思いっきり踏みつける。
『ぐべぇ』と奇妙な声上げて倒れる男を意にも介さず、そいつは俺に向かって更にジャンプ。
こっちに来るんかい!?
「わ、あっぶなっ!」
考える前に体が動き、何者かを咄嗟に受け止めた。
この感触、匂い、『旦那様』というフレーズ、間違えるはずがない。
「光!どうして?」
「パートナーのピンチに颯爽登場。当然だよね☆」
「だからって、危ないだろうが」
「ちゃんと受け止めてくれるって信じてた。それより、司さんの方こそケガしてない?」
「無事だ。全然なんともない」
「よかったぁ。本当によかったよ~」
心底安堵した光は俺に頬ずりする。
無茶をして助けに来てくれたのだろう、光はトレーニング後みたいに汗をかいていて、体温も上昇している。
激しい頬ずりの摩擦でヒリヒリして来たけど、今は好きにさせてやろう。
「ひ、光様…」
「まさか、ご本人様か!?」
「お、おお。あの方が」
「あのような男に我らの……」
「ダメです光様!今すぐその男から離れてください」
何故か黒服が襲ってこない?
乱入者に勢いを崩された奴らは、それが光だとわかると更なる動揺を見せた。
光を様付けで呼んだ?こいつらは…
「後で全部説明するから、ここは私に任せて」
「光?」
「大丈夫、あなたのことは必ず守るから」
光は俺の頬に口づけしてから地面に降り立つ。
こやつめ、チューするハードルが確実に下がっとるな。
「な、ななな、何をなされた!?」
「チューした!今、あの男の頬にチューした」
「光様!ふしだらな真似はおやめください。狼嵜の名に傷が付きます」
「
ほっぺにチューしたぐらいで大騒ぎする黒服たち。
光の凛とした一声がそいつらを黙らせた。
「あなたたち、どこの所属?何の権限があって、こんな事したの?」
「…全ては御身と狼嵜のためでございます」
「答えになってない。誰が何の目的で司さんを襲ったのかと聞いている」
「どうか考え直してください。その男は光様にふさわしくない!」
「それは私が決めること。あなたには関係ない」
「わ、私は…あなた様のためを思って…」
「たかだか狼亜の一兵卒が、
「ぐっ…」
光の容赦ない追及が、黒服のリーダー格らしき女を糾弾していく。
黒服リーダーは顔を歪めて悔しそうに唇を噛んでいる。
聞きなれない用語も出て来て詳細は不明だが、なんとなく状況が見えて来た。
こいつら組織の意に反して、独断専行で俺を襲ったらしい。
たった今、それを光に怒られている最中だ。
喋らなくなったリーダーに呆れたのか、光はため息をついて首を振る。
「このことは上に報告させてもらね。狼亜が罪なき一般人に噛みついたらどうなるか、身をもって知るといいよ」
「……愚か…」
「は?」
「愚かな人だ!あなたはご自身のことを何も理解されていない!」
開き直ったリーダーは大声で喚き立てる。
なんだかその様子は鬼気迫っていて怖い。
「認めんぞ。奴が…き…などと…あのような男に、狼嵜の栄誉を落とされるなど否!断じて否!」
「そうだ。認めてなるものか!」
「光様はお年頃だ。下賤な輩に惑わされるのも仕方ない」
「我らが目を覚まさせてあげましょう」
「うわぁ、テンションの上下が急すぎ。ヤバい薬やってるの?」
「光、戻って来い。こいつら様子がおかしい」
リーダーの言葉で黒服たちのやる気というか殺気が息を吹き返した。
光が後退して俺に寄り添うと、それは益々膨れ上がる。
「光様、その男とは金輪際縁を切り、狼嵜の家にお戻りください」
「絶対にNO!」
「明浦路司、お前の方はどうだ?光様と縁を切ると誓えば、望むだけの金を用意しよう」
「バーカ、光はプライスレスなんだよ。金なんかいらんわ!」
「司さん////大好き!」
「ならば金以外の望みを言え。どんな望みもひとつだけ叶えてやろう…」
神龍みたいなこと言い出したぞ。本当に何でも叶えてくれるのか?
俺の望みは…そうだな…
「夜鷹純がヒグマとウコチャヌプコロする呪いをかけてくれ」
「何を言っているんだ貴様はぁ!?無理に決まっているだろ!!」
「なんだ無理なのか、つまんねぇ……じゃあ女の子が欲しい」
「最初からそう言え。いいだろう、どんな女でもあてがってやる」
「よし、この狼嵜光ってのをもらっていくわ」
「ご指名ありがとうございます!末永くよろしくね☆」
「光様はダメに決まっているだろ!」
あれもダメこれもダメ。結局、俺の欲しいもの何一つ提供できねーのな。
交渉決裂ってことで、もう帰ってもいい?
「明浦路司、やはりお前の存在は目障りだ!者ども、かかれ!」
「「「「おおおおお!!」」」」
俺たちを取り囲んでいた黒服連中が、リーダーの号令で一斉に襲い掛かって来た。
結局こうなるのかよ!
「めんどくさいなぁ……危ないから、司さんはそこで見ててね」
「アホか、狙われているのは俺だ。お前は下がってろ」
「じゃ、一緒に踊ろう。それならいいよね?」
「全然良くないが、今は猫の手も借りたい。サポートを頼む」
「了解~。ふふ…楽しいダンスの始まりだね」
ついに危険なダンスが始まってしまった。
だが、俺は不思議と落ち着いていた。
ひとりの時は一目散に逃げ出したというのに、光が隣にいるだけで勇気100倍だ。
負ける気がしない。
威勢よく正面から突っ込んで来た男の拳を片手で止める。
スピードの乗ったいいパンチだけど直線的すぎるな。
自信があったのだろう、まさか簡単に止められると思わなかった男が驚愕したまま動きを止める。隙だらけだぞ?
そこへ光の回し蹴りが炸裂した。
細くしなやかな脚からは想像もできない威力をもった蹴りは、男の体を錐もみ状にフッ飛ばした。
今の、最初に光が踏んだ奴じゃねーかw彼はそういう役回りだったのね、南無~。
俺は攻撃をいなすことに集中する。
受け止めたり、躱したり、フェイントを入れて相手を崩すだけでいい。
そこで生まれた隙を俺のパートナーは見逃さない。
最速で最適な技の数々を無慈悲に叩き込む姿はスケーターではなくファイターだね。
「ボディがガラ空きじゃあ!」
「ぼふっ!?」
「うわ、痛そう…光、前に出過ぎだ」
「心配ないよ。この人たち、どうせ私を攻撃できないから」
「だとしてもだ。万が一でもお前にケガはさせられない、言う事を聞け!」
「むぅ…わかったよ」
確かに、黒服連中は光を攻撃せずに俺ばかりを狙って来ている。
そのことを利用して、光は俺の楯になろうとする。
俺に傷ついてほしくないという気持ちは嬉しいが、それはダメだ。
光はヒット&アウェイを心がけてくれたらいい。
それにしても、俺たち予想以上に戦えているな。
練習で鍛えた体は対人戦でも有効だと証明された。
スケートの動きも武技に落とし込めば十分に通用する。
「これもアイスダンスのちょっとした応用ってことで」
「司さん、やるう!こんなに強いなんて、益々好きになっちゃう///」
「お前こそ、格闘戦の心得があったとは…意外、でもないか」
「武術は淑女の
今後の練習メニューに格闘技を加えてもいいかも。
理凰君が全力で拒否しそうだww
光なら空手やテコンドーをやっても金メダル取って来そう。
黒服連中の耐久力は大したものだ。
光の一撃で沈んだかに見えた奴らも、しばらくすれば戦線復帰して来る。
一回で無理なら二回、三回と、立てなくなるまで痛いのを食らわせてやるしかない。
余裕のある内に片付けばいいが…
「なぜ勝てない!?奴は素人ではなかったのか?」
「俺たちは狼亜だぞ。一般人に遅れを取るはずが…」
「誰だよ、七星狼の肩書はお飾りなんて言った奴は!」
「光様はお強い……やはり、あの方こそ…」
「なんという連係、あの男、光様と以心伝心とでも言うのか!」
俺と光は日々の暮らしや練習を通じて、お互いを理解し合うようになった。
パートナーの思考はある程度読めて当然なのだ。
シンクロした俺たちをなめていると、痛い目を見ることになる。
ふふ…格の違いを理解したなら、尻尾を巻いて逃げてくれないかな?
「心を重ねた私たちに敵はないよ」
「その通りだな。もっと言ってやれ」
「そのうち体も重ねるつもりだよ///」
「おいバカ、余計なことを言うな!」
「「「「か、体を重ねただとぉ!?!?」」」」
まだ重ねてねーよ!
光の不用意な発言で黒服たちの気力が爆発的に上昇した。
そして殺意の矛先は俺へ集中する。
「光様はまだ中学生だぞ!?あの野郎絶対許さねぇ」
「万死に値する万死に値する万死に値する万死に値する」
「お、俺たちの天使を……うらやましいぃぃぃ!!」
「だから御前のお考えには反対だったんだ!光様は、外に出すべきで方ではなかったのに」
黒服たちが半狂乱で叫び出した。
これ、ちょっとマズいよな。
しっかりと訂正をしないと、本当に殺されてしまう!
「天地神明に誓って、俺は光に手を出していない!」
「これからだもんね」
「光ちゃん。ちょっと黙ろうか?」
「ベロチューしたもんね///」
「したんじゃない!されたんだ!ちょっと皆さん聞いてください、光からの無理やりベロチューはセーフですよね?」
「「「「アウトに決まってんだろうがァァァ!!!!」」」」
あちゃ~俺アウトでしたか。
瞳さんは『何も聞かなかったZE』と言ってくれたのになあ。
俺をアウトにしてくれやがった女は、敵の戦意高揚もするアホでした。
ジト目で睨んでやると、はにかんだ笑顔を見せてくれる。
うわーカワイイ!!アホだけどこの子めっちゃカワイイよ!
「そんな…光様は既に穢されて…あり得ないあり得ないあり得ない」
黒服たちの混乱が最高潮に達した頃、一際様子のおかしい女がゆらりと立ち上がった。
集団に指示を飛ばしていたリーダー格の女だ。
見開かれた目は血走り、乱暴に自身の頭を掻きむしっている。
「手遅れ…嫌、嫌よそんなこと修正しないと、最初から、全部なかったことにしないと!」
女が懐から何かを取り出した。
それは黒く鈍い光沢を放つ武器…‥拳銃であった。
おいおいおい、そんなものまで持ち出すのかよ!?
「ヤバッ!?」
「光様、お覚悟をぉぉぉ!!」
奇声を発した女はその銃口を俺ではなく光に向けた。
ここに来て光を狙うとか、何を考えているんだ。
女の指は引き金を引く寸前だ。間に合え!!
「クソっ!!」
無我夢中で射線に割り込み光を突き飛ばす。
光が危ない時、俺は咄嗟に動ける男だ。
銃声、弾丸は既に発射された。
マズい、このままじゃヘッドショットが決まってしまう。
「司さんッ!?ダメ!!」
切羽詰まった光の声が体に喝を入れてくれた。
刹那の時間、俺は首を逸らすことに成功し弾丸を回避する。
頬に焼けるような痛みが走る。
完全回避とはいかず、弾丸は俺の頬を浅く傷つけたようだ。
かすり傷だけど痛い…痛てぇな。
これを、こんなものを、光に向けて撃ったのか…
殺そうとしたのか?
許さない、許せるはずがない。
明浦路司は狼嵜光のことを大事に思っている。
光は自分を二度も救ってくれた恩人であり、
フィギュアで共に金メダルを目指す大切なパートナーであり、
近頃、特別な感情を抱きつつある、かけがえのない存在だからだ。
その想いと感謝の念は司の中で次第に膨れ上がり、本人の自覚なきまま激重感情へと育つに至っていた。
司は決めていた。
光のことを何があっても守ろうと。
もしも、光に対し明確な悪意を向け、行動に移すような愚物が現れた場合、
己の全力をもって排除すると、最初から決めていた。
「明浦路ぃ!全てお前のせいだ!お前さえいなければ!」
光への銃撃が失敗に終わった。
それを悟った女は髪を振り乱しながら二発目を撃とうとする。
女は完全に正気を失っていた。
司も光も撃ち抜いて最後には自分も撃ってしまおうと、本気で考えていた。
だがしかし、その思いは遂げられることはない。
「いい加減にしろ!このボケェェェッ!!!」
「ぶべらっ!?」
怒れる司の拳が女の顔面に深々と突き刺さった。
相手が女だとか、銃を持っているとかどうでもよかった。
光に害をなす敵の排除、ただそれだけを優先したのだ。
敵が取り落した銃を遠くへ蹴り飛ばし、敵の無力化を確認する。
本気で殴ってしまった。
血の付いた手と骨を砕いた感触が不快でたまらない。
そうだ、光は?光は無事か?
「司さん…血が…血が出てる」
「おう、無事だったか。突き飛ばして悪かったな、こっちはなんとかなったぞ」
「う、撃たれたの…私を庇って、司さんの顔に傷が……傷が…」
「こんなのかすり傷だ。光?おい、どうした?」
先程受けた頬の銃創から血が滴る。
それを見た光の様子がおかしい。
歯を食いしばり、わなわなと震えた光は地面に転がった黒服女を睨みつけると、
怒りの咆哮を上げた。
「やってくれたなぁぁ!このクズがァァァッッ!!!」
牙をむき出し目をギラつかせた光は、倒れ伏す女の体を容赦なく蹴り上げた。
鈍い音と共に数メートル、女の体が宙に浮いた。
骨と内臓にダメージを負った女は、声にならない悲鳴と血反吐を吐いた。
止める間のなく行われた蛮行に、司は目を白黒させる。
一方、周りの黒服たちは棒立ちのままであった。
自分たちのリーダーが尊ぶべき光を銃撃するという、非常事態に直面して動けなかったのである。
そして、激怒した光から発せられるプレッシャーが凶悪すぎて身がすくんでもいた。
光の邪魔したらただでは済まないことを全員が察した。
恐らくリーダーは助からないだろう、殴り殺されるか蹴り殺されるか、どちらにしろ全身を完膚なきまでに破壊し尽くされて終わりだ。
今の光を止めらるものはいない。
ただ、ひとりを除いては・・・
「やめろ」
「っ!放して!」
「やめるんだ、光」
「~~~~!!!」
「もういいから。俺は無事だから、そんなに怒るな。可愛い顔が台無しだ」
更なる追撃を加えようとした直前で光の動きは止まった。
司が光を包み込むように抱きしめ、その動きを制止していた。
興奮して荒い呼吸を続けていた光は段々と大人しくなる。
「司さん、殺されかけたんだよ?」
「ちゃんと生きてるから問題ない」
「運が良かっただけ!こいつはここで始末するべき、そうじゃないと、また同じ事をする。次も無事でいられる保証はない…」
「人殺しはダメって教わらなかったか?」
「時と場合によるでしょ」
「それでも俺は、お前に手を汚してほしくない」
「甘いよ司さん」
「そうだな。甘っちょろい俺でも生きていけるように協力してくれ、な?」
「ズルい…」
光はなんとか思いど止まってくれた。
不満気に額を押し付けてくるので、血のついていない方の手で頭を撫でてやる。
光にはああ言ったが、キレてしまった俺も一瞬だけあの女を殺してやろうと思った。
いつ立場が逆になってもおかしくない状況だったのだ。
その時はきっと、光が俺を止めてくれていただろう。
俺に殴り飛ばされ、光に蹴り上げられた女は虫の息だが、まだ死んではいないようだ。
誰も人殺しの十字架を背負わずに済んでよかった。
「おい、何ボーっとしているんだ。そのバカ女を手当してやれ」
「司さんの言う通りだよ。サッサと動いて、ほら、動けって言っているんだよ!」
「「「「は、はいぃ~~!!」」」」
光の命令で黒服たちが救護活動を開始する。
この期に及んで一戦交えようとするバカはいないようだ。
「これで幕引きか?」
「そうなら良かったんだけど…おかわりが来たみたい」
「勘弁してくれ」
光の視線の先、猛スピードでこちらに迫り来る車両が何台も見える。
敵の増援かよ…もう、帰りたいのになあ。
逃げ出す暇もなく大型車両に取り囲まれてしまう。
車から大人数の黒服がぞろぞろと降車して来た。
多いって!モブ黒服が3倍になったじゃないか。
眩しいヘッドライトに照らされた俺たちは互いを支え合うように立つ。
「今度こそ話し合いで切り抜けたい。いけそうか?」
「話の通じる人だといいけど、やってみるよ」
新たな黒服たちの中でも目立つ、ドレッドヘアの大男が一歩前に進み出て来た。
で、でかいな。軽く2メートルを超えているんじゃないか?
「あ、ああ…ああ…や、ヤバいよ、ヤバいよ」
「光?なんだビビってるのか?」
「なんでよりにもよって…」
「お、おい。大丈夫だよな?ちゃんと話せばわかってくれるよな?」
「司さん、ごめん。詰んだかもしれない」
「嘘だろ…」
光が俺の手をギュッと握る。
つないだ手の平から焦りと緊張と怯えが伝わって来た。
こんな状態の光を見るのは初めてだ。
あの大男はそんなにヤバい奴なのか?
「お久しぶりですね、光様」
穏やかな女性の声が聞こえ、光の体が大きくビクンッと跳ねる。
今まで気付かなかったが、大男のすぐそばに別の人物が立っていた。
それは黒のスーツを着こなした小柄な老婆だった。
片手にステッキを持ってはいるが、足腰が不自由には見えない。
光が怯えていたのは大男ではなく、このババアだったのか?
全然強そうには見えないけど?
「7年振りですか?大きく、そして美しくなられたようで、
「今回の襲撃、あなたの指示なの?……
「ばあや!?」
『ばあや』だって?
そんなの上流階級でしか使わない単語だろ……
光ってば俺が思っている以上の、お嬢様だったのか?
「なるほど。そちらの男性が…さっそく、ご挨拶させて頂きましょうか」
「待って!司さんには手を出さないで!!」
「何が始まるんだ?」
ババアの姿が掻き消えた、と思ったら俺の眼前に!?
何だこのババア!明らかに普通じゃないスピード!
はっはーん、さてはターボババアだな。
「お初にお目にかかります。私、狼嵜家『七星狼・壱の牙"ばあや”』でございます。以後、お見知りおきを」
「こ、これはご丁寧にどうも……ばあやって名前だったのか!?」
「司さん!!防御!衝撃に備えて!」
「ひょ?……ごぱっぁ!?!?」
ババアの指先が俺に触れた瞬間、爆発したかのような衝撃が全身を駆け巡った。
うわババアつよい。