合宿一日目の夜。
ハードなスケジュールをこなした選手たちは、大浴場にて今日の疲れを癒していた。
女湯ではそこかしこで、少女たちの楽しそうな声が響いている。
裸の付き合いというヤツを満喫しているのだろう。
そんな中、湯船に浸かった結束いのりは長い吐息をついた。
「はぁぁぁ~……」
入浴でリラックスしたのが半分、もう半分は昼間にやらかした件についての吐息だ。
自分は元教え子として、司のことが心配だった。
光が遊び半分でコーチをやらせているのではないかと疑い、彼女を問い詰める事にした。
結果、光は司にガチ恋しており、司はコーチとしても優秀だと自慢される始末。
全ては思い違いで、光からしたら大きなお世話だったことだろう。
そこで自分の非を認めて素直に謝罪すれば終わる話だった。
それなのに、光を煽って口喧嘩にまで発展した。
(あんなこと、言うつもりじゃなかった…)
嫉妬だ。そう、自分は光に嫉妬したのだ。
自分の想いを堂々と宣言する姿が、『好き』だと惜しみなく伝えられる心の強さが、
眩しかった。眩しすぎた。
光という存在が、とにかく妬ましかった。
どうにかして難癖をつけてやらないと、気が済まなかった。
(ホント…最低だ…)
自分はいつからこんな嫌な子になってしまったのだろうか?
司先生を裏切った日か?それよりもっと前?
初めて光に会い、その才能の一端に触れた時には既に手遅れだったのか?
わからない。自分が何をしたいのか、もうわからないよ。
「だいぶ参ってるみたいだな」
そんな声と共に、すぐ隣りで誰かが湯につかった。
顔を向けるとそこには、スタイルの良い先輩スケーターの姿があった。
「あっ……いる…鼻血ブースケ」
「なんで言い直した!?そのままいけばよかったじゃん!いるかって呼んでよ!」
「興奮しないで。鼻血風呂はマジ勘弁だから」
いるかは自分と光の百合キスを目撃して、鼻から大量出血したと聞いた。
そりゃあドン引きもしますわ。
お姉ちゃんにも何かしたんじゃないだろうな?
「引くな、私の性的嗜好はいたって普通だから安心しろ。それと、今日のことは実叶には言うな」
いや無理っスわ。ブースケさん怖いっスわ。
お姉ちゃんには即行でバラしますわwww
「それよりお前どうすんの?狼嵜光とずっと仲違いしたままか?」
「う……謝って仲直り…したい…できれば、だけど」
「時間を空けると溝が開くぞ。ケリを付けるなら早くした方がいい」
「わかってるんだけど…ね」
光の顔を見たらまた口論になってしまいそうで怖いのだ。
もうちょっとだけ、自分の心が落ち着く時間が欲しい。
明日だ、明日になったら今度こそちゃんと話をして謝ろう。
やる事を決めたら少し楽になった気がする。
「ありがとう。ブースケちゃん」
「いるかだっつってんだろボケ!」
はっぱをかけてくれてたブ・・・いるかちゃんに感謝だ。
ごめんね、光ちゃん。もうちょっとだけ待ってて。
チラッと目を向けると、離れた位置で体を洗っている光たちがいた。
同年代と比較しても一際美しい肢体を持つ彼女も、なんだか今は少しだけ落ち込んでいるように見える。
口喧嘩しちゃったこと、光ちゃんも後悔しているのかな?
「はぁぁぁ~……」
「光はん、どないしたん?えらい大きなため息ついて」
「そんなん、いのりちゃんの事に決まっとるやろ?なあ?」
「どうして混浴じゃないの。ちくしょう…司さんと洗いっこしたかったよぉ!」
「全然違ったわww」
「こらアカンな~脳内ピンク色やわ~」
「私自ら男湯に突撃?いや、他の男に裸体を晒すとか無理だし…そうか!司さんが女湯に突撃してくれるよう誘導すれば…ダメ押しに精がつく食事を…」
「おい、ヤベェ計画練り始めたぞ。司先生が社会的に死ぬ前に誰か止めろ」
「そんなこと言って、みんなも司さんの
「アレってなんら?」
「「「「ミケちゃんにはまだ早すぎる!!!」」」」
聞こえて来た声に『お前らにも早いだろ』と、いるかちゃんがツッコミをいれていた。
光ちゃん、また頭の悪い会話してる。
あんなのもう一度話し合いできるのか?不安だなぁ。
●
ハプニングがあったものの、合宿一日目は無事終える事ができた。
光は順調にレベルアップをして、実力を確かなものにしている。
連盟の人たちからも賞賛の言葉を頂けたようで、コーチとして鼻が高い。
瞳さんへの成果報告を済ませて、今日の仕事は完了っと。
ふぅ、明日からも頑張りますかね。
首をコキコキと鳴らしていると、対面に座った瞳さんが訝し気な視線を向けて来た。
「司君、光ちゃんとキスしたわね?」
何を言い出すんだこの人?
下手に隠そうとしても無駄なので、ここは堂々と迎え撃つ。
「覗きなんてサイテーですよ。俺と光でハァハァするのやめてくれます?マジ怖いんで」
「覗いてないし、ハァハァもしてないわ!光ちゃんの機嫌が良かったから、そうじゃないかと思っただけよ」
「一応弁明しておきますが、俺からはしてません」
「そんなのわかってるわよ。司君は根っからの受け体質だもの」
「決めつけは感心しませんよ?俺から攻めたらヤバいので、受けに回ってるだけですから」
「なるほど、チャンスがあれば光ちゃんを攻めたい願望があるのね」
「誰もそんなこと言ってねぇだろ」
俺が何を言っても都合よく解釈する瞳さん。
こういう感じの人、俺の周りに多くないか?
「で?教え子の美少女中学生とキスした感想は?」
まだ続けるのか、俺をおちょくって楽しんでるな。
感想ね・・・
「本音と建て前どっちが聞きたいですか?」
「じゃあ、建前で」
「不本意とはいえ、教え子と接吻してしまった事、誠に遺憾であると思っております。今後、再発防止のため今まで以上に己を律していく所存であります。この度は誠に申し訳ございませんでした」
「サイテーね。謝罪文が硬すぎてつまらないわ……本音バージョンも聞かせくれる?」
「メッチャ気持ち良かったです!!超時空の彼方まで意識が飛びかけましたぜ!!イヤッホォォォウ!!」
「サイテーね。中学生のキスで感じてんじゃないわよ!
何とでも言うがいい、男はいつまで経っても初心な少年ハートなのよ。
瞳さんにはわからんでしょうね!
本日から三日間の宿泊場所は関空アリーナからほど近い、アスリート御用達のホテルを利用する事になった。
選手たちの疲労を極限まで癒したい!というコンセプトにより、ホテル内の設備はかなり充実している。
ぶっちゃけ、ホテルの半分以上は健康ランドそのものといった様子だ。
現在、俺たちがいるのは『休憩所』と銘打たれた場所になる。
テーブル席とソファの並んだ部屋には、壁に設置された大画面テレビを始め、ドリンクバーにマッサージチェアも完備してあり、宿泊者たちが各々自由に寛いでいた。
すぐ隣には広々とした畳敷の部屋があって、そこには漫画や雑誌の詰まった本棚とビーズクッションや座椅子等のリラックスアイテムが多数用意されている。
風呂上りは畳部屋で寝転んでダラダラしたいものだ。
俺と瞳さんはテーブルを挟んでソファに座り、先程まで合宿の打ち合わせをしていたところだ。
それも終わった今は雑談に興じている。
トークのお題は
「光といのりさんがケンカするなんて…これは由々しき事態ですよ」
「聞くところによると相当酷かったみたいね。並みのチンピラなんかよりも、よっぽど怖かったらしいじゃないw」
「笑い事じゃありませんよ。ああ、二人ともどうして…」
「ま、どう考えても司君のせいよね」
「俺また何かやっちゃってますか?」
光たちが大喧嘩した理由に瞳さんは心当たりがあるらしい。
何か知っているなら教えてくださいよ~。
『これは推測になるけど』と前置きしてから瞳さんは話し出した。
「いのりちゃんだけど、司君ときちんとお別れできていないと思うのよ」
確かにあの時は急すぎて、いのりさんとはろくに話も出来ずじまいだった。
俺は何が何だかわからぬまま、彼女のコーチを辞める事になったのだ。
「今朝、ちょっとだけ話したけど、後悔してるって顔をしてたわ。きっと、あなたに不義理を働いた事が後ろめたいのね」
あの時、俺はショックで頭がパーンッ!だったけど、もしかしたらいのりさんも結構テンパっていたというのか?
冷静になって考えてみると、いのりさん泣きそうな顔をしていた様な気がする。
普段とは違う焦ったように叩き付けられた言葉の数々、あれは俺への未練を断ち切るため必要だった、彼女は必死だった?
そんなことって・・・
「次に司君に会ったら、ちゃんと謝って自分の決意と覚悟を全て説明する気だったんじゃないかしら?」
「いのりさん…」
「そんな風に思っていたのに、司君は新しい子をパートナーにしてイチャつき三昧!しかも、その子は自分が力を渇望する原因となったライバル、光ちゃんだったのよ?いのりちゃんからしたら、不愉快極まりない話よね」
なるほど、いのりさんは光に嫉妬してケンカになったと。
いのりさんが僅かでも俺を思ってくれていた。それが事実なら嬉しいことだ。
「光ちゃんの方は、わかりやすいわ。いのりちゃんに司君をとられると思ったんでしょう」
なんでだよ?
俺のパートナーはお前だと、お前しかいないと、常々言い聞かせていた。
光もそれを十分理解してくれたはずなのに、どうしてそう思う必要がある?
「言葉でいくら理解した気になっても、実際に本人を目にしたら怖くなっても仕方ないじゃない。光ちゃんは、あなたといのりちゃんが仲良くしていたのを知っているんだから、理屈じゃないのよ」
「光……」
「自分だったらどう思うの?光ちゃんの前コーチがここにいたら、怖くない?焦らない?不安にならない?」
ここに夜鷹純がいたら、俺は気が気じゃなくなるだろう。
あいつを光から遠ざけるために、バカな事をしでかす自分が容易に想像できてしまう。
情けない、やっぱり俺はバカヤロウだ。
光はあんなにも俺を気遣ってくれたというのに、俺は光の気持ちを考慮していなかった。
彼女なら平気だろうと高を括っていた。
いのりさんの事もそうだ、俺は自分ばかりが苦しいと思っていだけど、それは間違いだったのかもしれない。
いのりさんも悩んで苦しんで、それでも強くなりたくて苦渋の決断をした。
それに気付こうともしなかった、大バカだ。
教え子たちの心に寄り添えていない。
まったくもってコーチ失格の男である。
それでも俺は、まだコーチでありたいと思っている。
「ねえ、これだけは聞かせて。もし、いのりちゃんがまたコーチをしてほしいと言って来たらどうする?」
瞳さんは真剣な眼差しで問うてきた。
嘘や誤魔化しは決して許さない、とても厳しい目だ。
「あなたは、光ちゃんといのりちゃん、どっちを選ぶの?」
考えるまでもない!そんなの決まってる!!
「光です!!俺は狼嵜光のコーチです!!」
俺の回答に瞳さんは『よし!』と頷いた。
「即答したのは褒めてあげる。少しでも悩んだりしていたら、鉄拳制裁じゃ済まなかったわよ」
「どんだけ俺を殴りたいんですかw」
いのりさんの事は今でも大事だし、応援もしている。
けれど、俺は光のパートナーだ!
誰に何と言われても、あの子の隣は俺なんだ。
いずれ失う時が来るとしても、今そのポジションからは降りるつもりはない。
苦しいときに支えてくれたのは、絶望から救い上げてくれたのは光だ。
返し切れない恩がある。例え、恩が無くても一緒にいたい。
どんどん眩しくなっていく、彼女をずっとそばで見ていたいんだ。
だから俺はまだ自分を諦めない!
これからも、光と夢を追い続けるために。
「今思った事、ちゃんと伝えて不安を解消してあげなさい。光ちゃんきっと喜ぶわ」
「そうします」
「いのりちゃんとも話さないとダメね。なんとかして時間を作ってくれないかしら?」
「ですね。チャンスがあればいいんですが…」
いのりさんは心残りから、光は不安から、互いに嫉妬してしまい。
今日のケンカになってしまったと結論付けた。
本人たちから詳細は聞けていないが、かなり真に迫った回答だと思われる。
こじれる前に俺がフォローをするべきだったんだよなぁ・・・
僅か半日であんなに激しく衝突するとは思わなかったよ。
「二人を大事に思うなら、大人の司君がしっかりしないとね」
「はい。肝に銘じます」
「ふふ、頑張りなさいな。男の子」
「うわっ、やめてくださいよ~」
瞳さんにクシャクシャっと頭を撫でられてしまった。
照れくさい上に男の子って歳でもないんだが、撫でられて悪い気はしなかった。
瞳さん、ちゃんと相談に乗ってくれてありがとうございます。
本当にええ女やで~。好きかも////
●
「司先生、瞳先生も、お疲れさんです」
「あっ、蛇崩先生。お疲れ様」
「お疲れ様です!」
光といのりさんを仲直りさせる妙案について考えていると、蓮華茶FSCの
ロン毛を後ろで束ねた髪型の見た目チャラいがイイ男だ。ウホッ!
飄々としつつも面倒見のいい性格で、子供の扱いが非常にうまい。
今回は、鹿本すずさんと大和絵馬さんの引率として合宿に参加していると聞いた。
「この後、親睦会があるんやけど。二人ともどうですか?」
「私はパス。ライリー先生たちと飲む約束してるから」
「ああ、女性コーチだけの飲み会ですか。ええもんですね~」
また女死会か、瞳さん飲み過ぎないといいけど。
ナッチン先生と飲んだ翌日は二日酔いで辛そうだったな。
「じゃあ俺らは男子会って事で、司先生だけもらって行きますわ」
「はいはい。勝手に持って行っちゃって」
「俺は参加するとは言ってませんよ」
「えぇ!そんな連れない事言わんでくださいよ~」
俺があんま飲めないの知ってるでしょ?
飲み会する暇あったら、いのりさんと仲直りする方法を考えていたい。
「逃がさへんで!司先生には聞きたい事がぎょうさんあるんや!」
「そんなに俺が気になりますか?ハッ!まさか、飲み会にかこつけて愛の告白を////」ポッ
「ちゃうわ!どう曲解したらそうなんねん!?俺が聞きたいのは光ちゃんのことですわ」
「あぁ?光は絶ッッッ対に渡しませんよ!あいつを狙うなら相応の覚悟をしてください」
「なんやコレ、まともに会話出来へん。聞いとった以上にアカン状態やんけ」
いくら蛇崩先生でも、俺から光を奪うつもりなら容赦はせん!
どうする?とりあえず、殴り合いますか?
「瞳先生…司先生ヤバいんちゃいます?主に頭が」
「悲しいけど、もう治らないのよ。そっとしておいてあげて」
「失礼な人たちだなあ!」
これでも良くなった方なのよ。
二人して残念なものを見る目をしないでほしいわ!
蛇崩先生は俺が光のコーチとなった経緯を聞きたいのであって、狙っているわけではないと説明してくれた。
そうならそうと早く言ってください。殴り合い宇宙するところでしたよ。
「内緒だなんて水臭いやないですか。いのりちゃんがスターフォックスにおるのも、寝耳に水やっちゅーねん!今日一日で俺と絵馬たちが、どんだけ混乱したと思うとるんや!」
「マジさーせん。俺にもいろいろあったんですよ」
「ホントよね。ヒグマとウコチャヌプコロ未遂とかw」
「うこ?何?本当に何があったんや???」
蒸し返すな!それもういい加減忘れたいんですよ!
熊という生物は俺のトラウマになった。
「みんなから司先生を絶対連れて来いって言われとるんです。後生やから、顔だけでも出してくれへんか?」
「はぁ……わかりましたよ。一杯飲んだらすぐ帰りますからね」
「おおきに!それでこそ司先生や」
根負けして飲み会参加が決定してしまった。
お酒は苦手だし、明日に響いても困るので適当なところでお暇しよう。
「すぐ始まりますか?」
「誠二先生たちのミーティングが終り次第やね。なんぞ他に予定ありました?」
「ええ。ちょっと、やっておきたいルーティンが……お、ちょうど来たみたいだ」
俺の視線の先、湯上りの子供たちがワイワイ騒ぎながら連れだって歩いていた。
汗を流してサッパリした後、休憩所でのんびりくつろぐ予定なのだろう。
その中のひとり、頭にタオルを巻いた少女と目が合った。
俺を見つけるや否や、弾んだ足取りでこちらに向かって来る。
濡れオオカミの登場だ。
「司さん。とってもいいお湯だったよ~」
「そいつはよかった」
湯上りでホカホカした体の少女は、俺のパートナーである光だ。
「うん。広くて快適だった。司さんと一緒に入れたら尚良し!」
「バカ言ってないで、そこに座れ」
「はーい」
用意していた椅子に光を座らせて頭のタオルを取った。
彼女のトレードマークである長く艶やかな黒髪が露になる。
今日も今日とて美しいな。
「あ、瞳先生いたんですか?」
「いたわよ。本当にあなたは司君しか見ていないのね」
「へへ、それほどでも~。んで、こちらの方は…確かコーチでしたよね?」
「蓮華茶FSCでコーチやっとる、蛇崩遊大いいます。以後よろしゅうな、光ちゃん」
「はい、よろしくです。そっかぁ、すずちゃんたちの引率の…中々のイケメンですね!」
「はははwお世辞でもうれしいわ」
光と蛇崩先生はすぐに打ち解けたようだ。
その間に、俺はフロントで借りたドライヤーやヘアブラシ、新しいタオル等を準備する。
事前に許可を取っているので、ここで光の髪を乾かしても問題ない。
融通を利かせてくれるホテルの対応グッジョブだ。
さて、やりますか。
タオルで髪の水分を拭き取っていく事から始める。
「ちゃんとトリートメントしたか?」
「みんなにやってもらった!」
「自分でしなさいよ」
もう、この子ったら!後で手伝ってくれた子たちにお礼しなくっちゃだわ。
髪のお手入れをサボる癖はまだ抜けていないらしい。
タオルドライが済んだら、ドライヤーを使ってのヘアブローに入る。
丁寧に根元からしっかり乾かしてと・・・
光が安心して身を任せてくれるので、俺のヘアセットもだいぶ板について来たと思う。
いきなり美容師の真似事を始めた俺に、蛇崩先生は目が点になっている。
俺から話を聞いていた瞳さんも『意外と本格的ね』と、感心していた。
「なんか異様に手慣れてません?」
「いつもやってりゃ慣れますよ。教え子のヘアケアもコーチの大事な仕事っスから」
「いやいやいや、そんなんコーチの仕事やあらへんし」
やってあげたらいいのに。
こだわり強そうなすずさんはともかく、絵馬さんは喜ぶと思うけどなあ。
俺は光の髪を手入れするの好きだから、仕事じゃなくてもやるけどね。
このツヤツヤサラサラに触るだけでも楽しいというか、誠に光栄でありまする!
「司さん。私の髪ってどんな匂い?」
「ん?今はシャンプーのほのかないい香りがするけど、どうした?」
「いや、ちょっと、臭かったら嫌だなぁと思って……犬、みたいに…」
「なんだそりゃw俺の知る限りでお前が臭かった事は一度もない。むしろいい匂いがするわ」
「ホッ…なら安心だ。司さんもいい匂いがするよ。ムラムラするよ!」
「そりゃどうも、ムラムラは自重しろ」
「良い匂いと感じる相手は、遺伝子レベルで相性がいいんだってさ。やったね!」
「そうなん?俺、慎一郎さんのダンディな匂いが好きなんだけど////」ポッ
「恋敵がお父さんな展開はさすがに読めないwww」
よーし、あとはブラシで丁寧に
あらあら、我ながらイイ感じじゃない~。
俺の手で100点満点の黒髪美少女が誕生した。誇らしいな。
ま、素材が最上級なので俺がヘタを打っても光の可愛さは変わらないのだが。
「ありがとう。やっぱり司さんにやってもらうのが一番だね」
「褒めても何もでないわよ。できれば寝る前にブラッシングしなさいな。美は一日にして成らずだからね」
「急にオカマっぽくなった司さんも好き」
髪が整った光は俺の隣へと座り直す。
ほぼ密着で距離が近いけど、もう慣れた。
「司さん、髪伸びたね」
「あ~、そろそろ切ろうかな」
「また1000円カット?私が切った方がいいよ、そうしよう?」
「お前…3ヶ月前の悲劇をもう忘れたのか?」
「あれは事故だったの!許してつかあさい!」
今から約3ヶ月前、光が俺の散髪を買って出た事があった。
鴗鳥家では理凰君や妹の汐恩ちゃんの髪を切った実績もあるらしく、腕の方は確からしい。
自信満々に『任せな!』と言うのでやらせてみたら、悲劇が起こった。
カット中にクシャミをして、後頭部の髪をザックリ切り落しやがってくれましたよ。
焦った光が要らぬ試行錯誤をしたせいで、結局坊主頭にするしかなくなったのだ。
土下座する勢いで謝った光はそれから毎日、朝昼晩と俺の頭に手を置いて謎の念を送り続ける儀式を行った。
ヒカルセラピーの亜種だと思われるが、詳細不明だ。
そのおかげか、現在俺の頭はフサフサの毛髪が見事に復活を遂げている。
「あれから私、シェービングも勉強したの。顔そりも任せてね☆」
「今度は眉毛を切り落とす気か?」
「そんなことしないってば。もしまた失敗したら、私は頭を剃って反省する!当方、つるっぱげになる覚悟ありだよ!」
ほう、大きく出たな。
そこまで言うのなら、信じてみるのも一興か。
「お前本気か?ハゲになったら狼嵜じゃなくて
「名は体を表す、上等だよ。私の頭が人類の未来を照らす光となる!」
「そこまでの覚悟が…ならば俺も潔くハゲになろう。俺たちで仏教界の金メダルを獲るぞ」
「司さんならそう言ってくれると思ってた。さあ、行こう」
「「極楽浄土の彼方まで!!」」
ありゃ?俺たち何の話してたっけ?
・・・・・・・・・・・・
司たちの話を聞いていた蛇崩雄大は眩暈を覚えた。
(会話のイカレ具合えっぐ…!!)
いつの間にか仏門に入る話になっとるし、仏教界の金メダルってなんやねん!?
「瞳先生、二人はいつもこんな感じですの?」
「今日は大人しい方よ。単体でもキツイけど、二人合わさると一気に凶暴化するのよね」
「ハァ…どえらいコンビが誕生してもうたなあ」
合宿で司を最初に見た時『誰やねん?』というのが率直な感想だった。
今の司は、自分の知っているものとは別人のように異なっていたからだ。
根っこの部分は一緒だが、言動の端々に野性的なものが出まくっている。
いのりちゃんのコーチを辞めてから病んだとは聞いていたが、その後遺症なのだろうか?
身なりも以前よりあか抜けて、トレンドをおさえた装いとヘアスタイルになっていた。
おそらくは光ちゃんの監修だろう。
光ちゃんの印象も大分違う。
狼嵜光ってこんな子やったっけか?
彼女はフィギュアの実力もさることながら、その優れた容姿と大人顔負けの言動で、まさに『クールビューティ』『孤高の天才少女』という感じだったように思う。
どこまでもストイックに練習へ取り組む姿は、見る者に憧れと同時に恐れを抱かせた。
誰に対しても丁寧かつ最低限の受け答え、周囲とは壁を造り、どこか冷たく、近寄りがたい存在だったはずなのだが・・・
今の光は司への行為を隠そうとせず、笑い、泣き、はしゃいで騒いでいる。
まるでただの女の子(アホ)になってしまったみたいだ。
こっちが彼女の本性だったらしい。
前より断然親しみやすく面白い子になったと、絵馬たちも驚いていたな。
(なんて言うか、二人とも生き生きしとるなぁ)
司が光のコーチだと宣言した時は『あり得んやろ』と思ったが、
今の二人を見るに、収まるところに収まった感じがする。
そうか、二人とも己をさらけ出して通じ合える存在に巡り合ったんやな。
俺もコーチとして、教え子たちと信頼できる関係を築くべきやと思う。
でも、司先生と光ちゃんは見習ったらアカン気がする。
あれは、コーチと教え子というより・・・うん、ただのバカップルや!
もう手を出してしもうたんやろうか?
飲み会では、そこのところも聞かせてもらわんとな!
●
光の髪を整え終わると、後からやって来たミケ太郎たちも、俺にやってほしいとせがんできた。
いや、キミらもう自分で髪を乾かしてるじゃん。
ヘアサロン・ツカサはもう閉店ガラガラなのよ。
え?もう一回濡らして来る?やめなさい、風邪ひいちゃうわよ!
独占欲を発揮した光が、女子たちを威嚇するようになったので宥めるのに一苦労した。
女死会へと向かう瞳さんを見送り、まだ一緒にいたいとゴネる光を部屋に投げ込んで『もう寝なさい』をした。
俺と蛇崩先生は男だらけの飲み会へ参加する。
うわーん!むさ苦しいですぅ!
あ、慎一郎さんも参加されるんですか?ならもうちょっとだけ・・・
成長期の怪我についてや、メディカルトレーナーの導入検討、夜鷹純のマジパネェという話題が続く。
有意義な話も聞けたので参加して良かったと思う。
全員に程よく酔いが回った頃、案の定、光についてアレコレ聞かれたのだけれど、
「光はかわいいですね」
という台詞を連呼して事なきを得た。
度し難い男と