百獣海賊団の家族問題が少しだけマシだった場合の話 作:もちごめさん
部下を指揮せねばならないブラックマリアに先んじて、ヤマトはライブフロアにたどり着いた。
いつかにも訪れた、バルコニーのステージだ。年に一度の祭り、金色神楽やその他の行事でお立ち台になるだけあって、そこはライブフロア全体を一望することができる。
つまりは繰り広げられる討ち入りを見渡すことができる場所だ。そこでヤマトは、戦場の様子を直にその目に映すことになったのだった。
然して。見下ろした光景は、ヤマトが聞いていた以上に混沌としたものだった。
いったい何があったのか、戦場は侍と百獣海賊団の兵隊、双方が入り乱れての完全なる乱戦状態となっていた。
どちらの集団もまるで統制が取れていない。ライブフロア全体に広がって手当たり次第に近くの敵へ切りかかるばかりで、おかげで見える死傷者が双方共にすさまじい。
特に侍の場合、ほとんどの者が着物を血で濡らしている。しかも決死の討ち入りを仕掛けただけあって、流血などお構いなしに、動けないはずの身体を理性すらをも飛ばして動かして、文字通り命を燃やし尽くすような勢いだ。
振るう刀が止まるのは、その命が尽きた時のみ。数で劣る彼らだが、未だ随分な数が残っているのはそんな狂的な覚悟が故なのだろう。
そして、そんな狂戦士を相手に恐れおののく百獣海賊団の兵隊たちは、しかし意外にも士気が低くない。切り捨てられる仲間を目の当たりにして、恐怖と同時に湧き出る興奮が彼らの足を前に進ませている。
数の有利と所々に上がる火の手、そして立ち込める血のにおいが、侍のみならず兵隊たちからも理性を奪っているに違いない。
侍の狂気と兵隊たちの狂乱。それを乱戦となった戦場がはやし立て、もはや混沌は倍々ゲーム。血と火と、怒号と悲鳴があちこちから響き渡るそのさまは、まさに地獄のようだった。
そんな場所に、うるティは飛び出して行ってしまったのである。
ページワンのように幹部の座を欲してか、それともジャック張りの血の気の多さが彼女を駆り立てたのか――あるいはカイドウに認められたい思いもあったのかもしれないが、ともかく彼女がこの戦場に血を求めたことに間違いはない。
そして、それが無謀であることにもはや疑いの余地はないだろう。
今のうるティにこの戦場は早すぎる。狂戦士と化した侍も、一対一ならばともかく、四方八方敵だらけの乱戦では相手にできようはずもない。
うるティが参戦すれば、間違いなく彼女は殺される。ヤマトが抱くその確信は、背にうすら寒いものを感じさせた。
幸いなことに、ライブフロアへ出るため下らねばならない階段とうるティが消えた時間から考えて、彼女はまだ戦場には到着していない。が、しかしそれも時間の問題。そう遠くないうちに彼女は数あるライブフロアの出入り口のどこかから姿を現すだろう。
そしてその時、ヤマトが混沌極まるこの戦場から小さなその姿を見つけ出すことができるかはわからない。ブラックマリアの援軍も、待っているうちに全て終わってしまうに違いない。
故に、ヤマトは行動を起こすことを決めた。
「とにかく、まずは戦場の混乱を静める……!」
他にも冴えたやり方はあっただろうが、ヤマトの頭では根本を叩く以外の解決策は出てこない。潔くそれに思考を絞る。
それに事実、叶えばそれが最善だ。うるティを守ることができるうえ、そもそものヤマトの命題、侍に流れる血を減らすことも叶うのだから。
と、そうして気力を振り絞り、戦場から漂う狂気にかぶりを振りつつ辺りを見回すと――ヤマトは金棒を振りかぶった。
「せいッ!」
周囲に一閃。広がる衝撃波が柱をへし折り、たちまちメキメキと音を立てて天井が落ちてくる。
ヤマトはそれを両腕で受け止めた。天井と、その上に連なる飾り屋根の重量はさすがのヤマトも平然としていられず、その足も床板にめり込むが、堪えて視線は前方へ。櫓の屋根を担いだまま、走り出す。
そうして十分勢いをつけて、ヤマトはステージを飛び降りた。
ライブフロアの中央へ向けての大ジャンプ。突如頭上を覆った影に地上の何人かが気付き、宙を飛ぶヤマトと屋根を唖然と見上げている。
であれば、ちゃんと周囲も気付いて逃げるだろう。それを認めると同時、ヤマトは担いだ屋根を、そのままの勢いで放り投げた。
「どぉ――っりゃあッ!!」
と、ライブフロアの中央めがけて。
落下地点の影に気付いた人々が泡を食った様子で逃げ出して、そして辛うじて逃れたその直後。
轟音と共に、櫓の屋根はヤマトの目論見通りの位置に墜落を果たした。
音と衝撃が、ライブフロア全体に撒き散らされた。開けた空間のど真ん中に建物が降ってくることを予測できた者がいるはずもなく、巻き上がった塵と埃を纏って鎮座する屋根の存在は、侍も兵隊も例外なく困惑交じりの驚愕へと付き落とした。
そして戦場を覆った衝撃は、蔓延していた狂気的な闘争心すらをも吹き飛ばす。
全ての武器はしんと静まり返った。戦場の殺し合いがピタリと止まり、それまでの混沌っぷりが嘘のよう。敵だけを捉えていた彼らの意識は一様に、中央に落ちた屋根へと向けられている。
そんな静寂が、漂う塵埃の中でしばし続くこととなり――そしてそれが薄れ始めた時だった。
金棒の一振りで残ったモヤを吹き飛ばし、姿を現したヤマトの威容が、百獣海賊団の兵隊たちに声と戦意を取り戻させた。
「――う、うおおおぉぉーーーッッ!!! ヤマト坊ちゃん!! ヤマト坊ちゃんの援軍だあぁぁーーーッ!!」
「ぎゃはははは!! やったぜ!! これでもう、万が一にもおれたちが負けることはねェ!!」
「侍ども、覚悟しろよ……!! ヤマト坊ちゃんはなんと、カイドウ様の実の娘……じゃなくて、息子であらせられるんだぞ!! その強さも折り紙付き!! テメェらなんか何人束になろうがひとひねりよ!!」
「な……カイドウの、実の子だと……!?」
歓喜の雄叫びをあげる兵隊と、顔を歪める侍たち。だがしかし、侍たちに悲愴はない。ヤマトの登場により引き起こされたのは怒り憎悪と、より強烈な殺意のみだ。
ヤマトの威を笠に着て浮足立つ兵隊と、カイドウの子という存在にさらに敵意を刺激されてしまった侍たち。せっかく静寂を得た戦場が、より酷い地獄となりつつあった。
故に、ヤマトは鎌首をもたげた混沌をねじ伏せるように、鬼の意匠の屋根飾りの上で胸を張り、大声を張り上げた。
「百獣海賊団!! そして侍たち!! 双方武器を置け!! この戦、僕が預かる!!」
「……えっ!? や、ヤマト坊ちゃん!?」
近くの百獣兵が困惑の声を上げる。しかしヤマトは応じず、ただ首を横に振り、
「僕は――光月 おでんだ!!!」
堂々、そう名乗った。
戦場の混乱はこれで治まるはずだ。ヤマトはそう確信していた。
百獣海賊団はカイドウの実子からの命令に否を言えるはずもなく、そして侍も、おでんの言葉であれば喜んで従ってくれることだろう。
あるいはヤマトをおでんと認めない派閥も数人は存在するかもしれないが――しかしそうであっても、その注意はヤマトだけに向く。残念なことではあれ、混乱を治めるという意味では何ら問題ない。
だからこそ、ヤマトは侍からの殺意に対する覚悟だけはしっかりと固めていた。
それにさえ耐えれば、これは完璧な作戦なのだ。うるティも侍たちも助けられるのだからと、歯を食いしばって受け止める覚悟だったのだ。
それこそ、殺気と共に突然刀が向かってきたとしても確実に防御できるように、念入りに備えていた――はずが、しかし。
「――がッッ!!?」
何の前触れもなく、ヤマトの背中を切り裂くような衝撃が撃ち抜いた。
いわゆる飛ぶ斬撃だ、と数舜遅れてヤマトは理解する。しかしそれはどちらかといえば打撃のような衝撃で、皮膚が切り裂かれた感覚はない。
だがそれでも、固めた覚悟と張り巡らせた警戒の二つともを貫通した攻撃は、ヤマトにとってあまりに衝撃的だ。
ありえない。しかし、これは現実。ヤマトは驚愕のまま傾く身体を足を踏み出し支え、背後を振り向き攻撃してきた相手を見やる。
すると――
ヤマトへの飛ぶ斬撃に巻き込まれたのか、射線上で宙を舞う百獣兵たちと、その周囲で無傷で目を見張る侍たち。
そしてその視線の先の、
切り開かれた空間の奥、鬼面の眼が啞然と固まるヤマトをまっすぐ捉え、そして一直線に距離を詰めた。
「せやああぁぁッッ!!」
「ッ!!」
気合と共に振り下ろされる木刀を、ヤマトは反射だけで受け止めた。思考停止状態でも反射的に身体が動くくらいに、それは見慣れた攻撃だったのだ。
もはや勘違いとも言えはしない。それでも信じられない思いのまま、ヤマトはその名を口にした。
「
「ッ……
日和――否、小紫が、ヤマトに刃を向けていた。
同時、金棒と競り合うその刃が、ヤマトの方へと一歩深く沈みこむ。互いの力量差から考えればありえない光景だったが、しかし今は必然だ。なにせ足場が最悪に近い。
そして同時に、静かに目を燃やしている日和とは対照的に、ヤマトの内心もまた最悪に近い状況にある。到底冷静ではいられず、ヤマトは必死に日和の木刀を受け止めながら、ぐちゃぐちゃにかき乱された頭でなんとか心情を言葉に訳し、口にした。
「な……んでッ、君が……ッ!!」
「……天岩戸に、寄っていたんです。近いですから、討ち入りの話くらい耳に入ってきますよ……!」
日和が静かに返した。が、その返答は全くもって見当外れだ。
ヤマトが知りたかったのは、日和が戦場にいる理由ではない。こうしてヤマトを攻撃している、その
その攻撃が――反意が、本物であるその
「こ、小紫お嬢!! 何なさってるんですか!?」
「こんな時に冗談はやめてくだせェ!! 今は兄妹喧嘩してる場合じゃねェんです!!」
兵隊たちも惑乱気味に問いただす。しかし、冗談だろうという最後の期待も、やはり、本人によって否定されることとなった。
「冗談じゃ、ありません。私は……ッ」
一呼吸。その間で、ヤマトを押し込み続けた木刀がふと力の向きを変えた。
見慣れたそれとは違う動きにヤマトの身体がついていけず、金棒と身体が浮いてしまう。
踏ん張りがきかなくなり、そしてそこを、
「――私は、もう百獣海賊団の味方ではありません!! 今日、侍五百人と共に……カイドウを、討ちますッ!!」
「「「「「……え、ええええぇぇぇーーーーーッッッ!!?」」」」」
兵隊たちの驚愕の声をも置き去りに、引き絞られた日和の木刀が貫いた。
「【霜月流――
「ッッッ!!」
強烈な突き。辛うじて金棒のガードが間に合うも、浮いた身体でその威力を支え切れるはずもなく、ヤマトはそのまま成す術なく吹き飛ばされた。
ライブフロアの側面に立ち並ぶ楼閣の一つに突っ込み、壁と柱が粉々に砕け散る。いくつもの部屋が犠牲となって、そうして一際広い宴会場へと差し掛かったところでようやく突きの威力が燃え尽きた。
畳の上をゴロゴロ転げ、最奥の舞台に頭を叩きつけられることによってとうとう停止する。仰向けに倒れ込み、ヤマトは数秒ぶりに動かぬ天井の視界を取り戻すことになったのだった。
しかし、それほど派手に吹き飛ばされた割に、ヤマトの身体に大したダメージはない。
防御の甲斐あり、身体に痛む個所はなかった。最後にぶつけた後頭部が一番痛むくらいで、意識もはっきりしている。身体は今すぐにでも起き上がり、ライブフロアへ戻ることができるコンディションだ。
が、しかしヤマトは動けなかった。
両手足を広げて板張りの天井を見上げながら、その身体はピクリとも
ヤマトが身に受けた衝撃は、身体ではなく
なにせ、ヤマトは日和がカイドウを憎んでいることを知っていた。
日和が、不服を隠さなかったとはいえ“カイドウの娘である小紫”に甘んじていたことも、いつかカイドウを討つためという目的があったからこそだ。そのために鍛え、いずれ時が来れば百獣海賊団を裏切る心積もりであったことは承知している。
仮にも同じ打倒カイドウの意志を持つ者同士、言われずともそれくらいのことはわかるのだ。だからこそ、ヤマトは日和の反意そのものには疑問を抱いていなかった。
わからないのは、その反意を今、おでんが死んで十年後のこの時に露にした、そのワケだ。
カイドウの傍でその強さに触れたことがある者ならだれでもわかる。たった五百人の侍。その程度の戦力では、勝ち目はない。今反旗を翻しても、カイドウを倒すことは不可能なのだ。
この日和の裏切り、その末は、全滅以外にあり得ない。つまり日和は死んでしまう。これは橋が架かるのを待たず、わざわざ濁流と化した川を渡ろうとするような愚挙でしかない。
だというのに、なぜか日和は明らかな破滅へとひた走っている。ヤマトにはそれがさっぱり理解ができなかった。
だが、しかし。
「……守らないと」
理解ができずとも、その行いを黙って見過ごす理由はない。日和が破滅へ突き進むのなら、ヤマトはそれを捕まえてでも止めるのみだ。
ヤマトは勢いをつけて身を起こした。立ち上がり、傍に転がる金棒を肩に担ぐとライブフロアの方へと駆ける。
そして数秒と経たず外壁に開けた大穴まで戻り、瓦礫を踏んで眼下の様子を覗き込み――
そこで聞き馴染んだ怒声と共に、ヤマトはその姿を視認することとなった。
「死ねッッ!! 小紫ィッッ!!!」
「ッ!! うるティ……!!」
屋根の残骸の上。うるティが、日和に打ちかかっていた。
ヤマトは瞬間、状況がさらに格段に悪化したことを悟った。
まず、戦場の混乱を抑え込んでうるティを安全に保護するという当初の目論見が完全にご破算となった。
当人が最も危険な戦場のど真ん中で大立ち回りを繰り広げている上に、周囲に眼をやれば、戦場のストッパーとなるはずだったヤマトが姿を消したことで侍と百獣海賊団の兵隊たちが元の勢いを取り戻し、戦場はすっかり元の混沌とした乱戦に逆戻りしてしまっている。
加えてヤマトの離脱は百獣海賊団の士気にも少なからず影響を及ぼしたらしく、旗色が見るからに悪くなっている。このままこの場の百獣海賊団が全滅するようなことになれば、うるティの末路は言わずもがなであるだろう。
そして何よりも問題なのが、うるティが日和の裏切りを耳にしてしまったことだ。
普段から日和への当たりが強いものの、しかし修行時にも出なかったうるティの叫ぶような猛烈な怒気は、もはや疑いようもない。事態はこじれにこじれ、もはや場の混沌を治めたくらいでは解決には程遠いだろう。
さらなる手を打つ必要がある。具体的に何をどうすればよいのかは全く頭に浮かばなかったが、しかしとにかく二人の戦いをどうにか止めなければならない。
滅茶苦茶にかき乱されてしまった状況の中、ヤマトはひとまずそれだけは間違いなく理解して、争う二人へ眼を向けていた。
が、しかし。
「っ……!」
楼閣に開いた穴から飛び出すべきヤマトの足は、動かなかった。
なにせ思いもよらなかったのだ。両手に握った釘バットでひたすらに攻撃を繰り返すうるティと、対峙する日和。その身のこなしと木刀から、あんなにも冷たい気配が放たれているなどと。
ついさっきの、加減を間違えた日和の木刀。今思えばあれは、日和の堰が崩れた合図だったのだろう。同じく感じた冷たく突き放されるような感覚も、やはり勘違いなどではなかった。ヤマトは今更、それを悟る。
だからやはり、今日和がうるティに向けている冷たい気配――
そしてそうしている間にも尚、二人の
「ずっと……ずっとお前のことは気に食わなかった!! いっつもぺーたんに姉貴面しやがって……!!」
「ッ……姉貴面なんて、した覚えはないけれど……!!」
「『した覚えはない』だとォッ!? してんだろうが!! ウチのぺーたんに『小紫姉ちゃん』なんて呼ばせやがって!! なのに、その上、私たちを裏切るとか……!! ふざけんなッッ!!!」
一際強い一撃。足場が悪いことも相俟って、日和がよろけて姿勢を崩す。
うるティはそれを好機と読み解いて、めいっぱいに釘バットを振りかぶった。
「そんなに殺してほしいなら……お望み通り、あたしがぶっ殺してやるよォッッ!!!」
傾き、防御が開いて生み出された隙めがけ、フルスイングで唸りをあげる、うるティの釘バット。命中すれば、あるいは確かに日和の命を刈り取ることができたであろう一撃だった。
が、それほどのクリティカルヒット。うるティにとって都合が良すぎる大きな隙を、修行相手としてその戦闘スタイルを熟知している日和が、これ見よがしに晒すはずもない。
「殺されるのは、まだごめん被ります。百獣海賊団の全員……この手で倒さねばなりませんから……!!」
「!!!」
わざと隙を見せてうるティの大振りを引き出した日和は、残した踏み込みで逆にうるティの懐に潜り込み、その小さな子供の身体に躊躇なくカウンターを叩き込んだ。
「【風月流――
「がふ……!!」
木刀がうるティの胴を斜めに打ち上げると同時、得物の釘バットを撥ね上げた。飛んだそれが屋根の瓦礫に落ちて紛れ、そしてうるティもあまりのダメージに失神し、屋根の傾斜に沿って下へと転げ落ちていく。
日和は、ゆっくりと息を吐いてそれを追った。瓦礫の山のふもとで倒れるうるティを鬼面越しに冷たい眼差しで見下ろして、そしてふと、木刀を両手で握り込んだ。
ヤマトの背が、それを受けていっそう冷たく凍り付いた。手遅れになる、という焦燥と、しかし未だに信じられない思いとがせめぎ合い、手に掴んだ妓楼の壁がみしりと音を立ててひび割れる。
しかし、それでも尚ヤマトの足はその場に縫い付けられたまま、突き立てられる木刀を見ている他なく――その寸前。
「や、やめろよ、小紫姉ちゃん……!」
「……ページワン」
うるティに続き、今度はページワンがそこにいた。
ヤマトの冷や汗がとめどない。うるティは百歩譲っていいとして、どうして彼までがこんな危険な場にいるのだろう。お堂で待っていろと、しっかり言い含めておいたはずなのに、と。
姉が心配で来てしまったのだろうが、しかしそんな美しき姉弟愛も、戦場の混沌を退ける力を持ちはしない。
震えながらも姉を庇うように立ちふさがったページワンを前にして、日和は、木刀を握り締める力を緩めることはなかった。
「か、家族なのに……こんなの、ダメだろ……! カイドウさんに、お、怒られるぞ……っ!」
「……家族なんかじゃないでしょう。私と、あなたたちは」
底ごもるような声で言い、そして日和は、かぶった鬼面を脱ぎ捨てた。
「私はカイドウの娘でも、“小紫”でもありません。私は……光月 おでんの娘、光月 日和です……ッ!!」
木刀が横凪ぎに振るわれた。
武器も持たないページワンが、それに抵抗できるはずもない。吹き飛ばされ、瓦礫の塊に当たって跳ね返り、地面に落ちるとそれきり動かなくなった。
声と気配が語る通り、容赦のない冷徹な一撃だった。
人らしい情は、やはり一かけらも感じられない。まるでカラクリ人形のような、火も熱も何もない、凍った刀。そんな印象を、ヤマトは抱く。
ヤマトが見た侍の刀や習い挫折した大名たちの刀、あるいはカイドウの暴力とも似ても似つかない、それは
――それ故に、ヤマトはようやく気が付いた。
目。露になった日和の目だけが、小さく、日々を共に過ごすヤマトたちでなければ気付けないほどに小さく、揺れていた。
「日和……っ!!」
ヤマトはその冷たい眼差しに殺意を感じてしまった自分を恥じた。その冷たさは、殺気などではなかったのだ。
日和はただ、
ブラックマリアが言っていた通りだったのに、どうしてこんな簡単なことに気付いてあげられなかったのか。否、信じてあげられなかったのか。
ヤマトの胸はさらなる悔恨で痛いほどに締め付けられた。しかし一方、もはや動かぬ足を縛り付けるものは何もない。
「日和ッ!!」
胸の痛みを握り締め、ヤマトは楼閣から跳んだ。踏み込みの勢いで床と壁を跡形もなく吹き飛ばしながら、一跳びで日和の立つ屋根の瓦礫へ舞い戻る。
ズンと瓦礫を踏み砕いて着地したヤマトへ、日和はゆっくりと視線を向けた。僅かな
「……何のつもりです」
「もう、こんなことやめよう!! 日和!!」
ヤマトは金棒を地面に投げ捨て、日和の木刀の前で丸腰を晒していた。
無手でもヤマトと日和の番付は動かない。それでも頑なに構えを解かない日和に対し戦う意志がないことを訴えながら、ヤマトは必死に言葉を連ねた。
「日和がカイドウを、百獣海賊団を憎む気持ちは、痛いほどよくわかるよ!! 本当だ!! 僕もいつかカイドウを倒して、ワノ国を救いたいって思ってるから!! ……でも、それでも!! そのために
「………」
凍り付いたまま、日和の木刀が僅かに軋んで音を鳴らす。
ヤマトは一歩、日和へと足を踏み出した。
「うるティもページワンも、ブラックマリアもジャックも……!! 敵だからって、大切に思う気持ちまで捨てようとしないでよ!! ……敵でも、友達のままで――」
「友達になんて、なれるわけがない」
それを、日和が冷たく突き放す。己の意思の中に閉じこもり、一人、それを信じて言い返した。
「そんなのは、戯言です。カイドウの子とおでんの子が、友達になんてなれるわけがない。当たり前でしょう」
「そんなことない!! だって……僕は、日和のことを友達だって思ってる!! うるティもページワンも、ブラックマリアもジャックも、みんなそうだ!! ……日和だって、そうなんだろう!? 家族じゃなくとも、僕たちを友達だって、思ってくれているんだろう!?」
「嘘です。……仮に、
「日和……ッ!!」
日和が、とうとう声を荒げた。その感情の爆発自体が肯定に他ならなかったが、しかしそれでも日和はヤマトのその言葉を、事実を認めない。
ヤマトたちとの友情を否定して、痛む心を凍らせて、孤独にひたすらその事実から逃げていた。
そしてその足は止まらずに、侍たちに伸ばされる。
「確かに、カイドウの打倒は至難でしょう! 父にも、大名様方にも、それは叶わなかったのだから! けれど……今、ここには死をも恐れぬ偉大な侍が五百もいる!! そして私は、カイドウの首を取るためにこの十年、カイドウの娘として扱われる屈辱に耐えてきた!! 彼らと共になら、勝機はあります!!」
日和の背後に、侍たちが集い始めていた。周囲の百獣海賊団はほとんど全滅してしまったらしく、最後に残った
ヤマトが“おでん”であることは、カイドウの実の子であるという事実によって、もはや誰にも信じられていないだろう。ヤマトもそう認めざるを得ないほどの殺気を誰もかれもがその刀に込めており――そしてそれらを背に、日和は一際冷たい意志を、悲鳴を上げるような声で叫んだ。
「今日この日、彼らがこれほどの大軍を以って鬼ヶ島への討ち入りを果たしたことは、もはや天啓。なら、私はこの定めに殉じます!! 光月 おでんの娘、光月 日和として彼らと共に……ヤマト! あなたたち百獣海賊団を、打ち倒すッ!!」
「ッ……!!」
ヤマトへの敵意が、今度こそはっきりと迸った。
本物の覚悟だった。日和はその“光月”の名のために、その心を捨て去る覚悟を決めてしまった。ヤマトたちへの信愛を“百獣海賊団”の名の下に拒絶して、その結果、残った心は使命感だけを支えに握る。
そうなってしまった以上、仇敵たるヤマトの言葉はもう届くことはない。だからヤマトにできることは、もう戦うことだけだ。一瞬で、ヤマトはそう理解せざるを得なかった。
けれど、それでもヤマトは日和に死んでほしくなかった。裏切りの末が死だと気付いていないのか、それとも気付いてうえでそれで良しと思っているのか定かではなかったが、ともかくしかし。
日和がヤマトたちを友ではないというのなら、かまわない。それでもしかし、ヤマトたちにとって日和は友なのだ。
故に、止める。日和を死なせない。その思いで、ヤマトもまた覚悟を決めた。日和も侍も皆この場で叩きのめし、守って見せると。そのための暴力なのだからと。
そうして無手の両腕に覇気を込め、ヤマトは木刀を引き絞る日和を迎え撃った。
――否、迎え撃つはずだった。だが、その直前。
「黙れ……!!」
と。一人の侍が振るった刀が、赤い鮮血を振りまいた。