百獣海賊団の家族問題が少しだけマシだった場合の話 作:もちごめさん
三度目となれば、もはや密航もお手の物だ。誰にも気付かれることなく船に忍び込むことに成功したヤマトは、そうして無事にワノ国にある六つの郷の一つ、『白舞』の『刃武港』に到着した。
そして、ヤマトがこの港の土を踏んだのはこれで二度目だ。
つい先日の密航は直接戦場へ赴くことになったが、そのさらに前、おでんの処刑を見物するため、初めて忍び込んだ船の行き先がこの地だったのだ。
とはいえ当時、処刑の見物はあくまできっかけでしかなかった。当時のヤマトはおでんの偉大さを知る前で、無論父親のカイドウに傷を負わせた戦士とはどんなやつなのだろうという好奇心がないわけではなかったが、密航を決意した理由はやはり
故に、当時のヤマトはおでんの処刑が行われるワノ国の都、『花の都』への道すがら、あちこち寄り道して冒険して回っていた。森や原野はもちろん、道中の町や村に至るまで、その様子は未だしっかりと記憶に残されている。
だからこそ、今回の旅路はその足跡を辿ることが最も適当だ。
当時の様子を知る村落なら、今現在、確立されたオロチとカイドウの支配でどれだけ世が荒廃したのか、己の目と耳で正しく知ることができる。自分にできることを成すためにも、ヤマトはまず人づてにしか知らないワノ国の現状を、知識ではなく知見として手にしなければならなかった。
そんな既知よりもまた未知なる地を冒険したい、という冒険心はもちろん未だヤマトの中に燻っていたが、今は無理矢理心の奥へ押し込めておくしかない。そうしてヤマトは心を決めて、花の都への道を進んでいった。
――そして、耳にした評判は全く冗談でも何でもないと、むしろ話よりも酷いものだったと、ヤマトはほどなく己の耳目に思い知らされることになった。
畑はすっかり荒れ果て、植わっていた作物が枯れていた。
武器工場で働かせるのだと、働き手であろう男が無理矢理家族から引き離されていた。
豊かな緑で覆われていたはずの森は木々を切られ、何もない荒れ地と化しつつある。
小川を流れる水は工場の排水で汚染されて毒と化し、魚の一匹も泳いでいない。
どの村も町も、森も川も、似たような惨状だった。人の顔はみな暗く、以前はあったはずの笑顔は今や欠片もない。希望はなく、ただ絶望に沈んでいる。
見ているだけで胸が痛くなるような光景が、道中全て、いたるところにちりばめられていた。
助けたいという思いが、より一層ヤマトの中で強くなっていった。特にオロチの配下であろうガラの悪い侍と百獣海賊団の団員たちが工場のために動員されたのだろう男たちを連れて高笑いしている場面に遭遇した時など、腰に差してきた刀で切り捨て、金棒で叩き潰してやりたくなったほどだ。
がしかし、そんなことをするにはそれこそ比類なき暴力が必要だ。今のヤマトでは、精々十人程度を倒した末に捕まってしまうのがオチだろう。
加えて。念のため鬼ヶ島から持ってきた鬼の面で顔を隠しているものの、捕まってしまえば正体がバレてしまう。よしんば捕まらなかったとしても、刀と金棒を振り回している角の生えた子供となれば、多くの百獣団員たちはヤマトを思い浮かべるはずだ。
そうすれば、爆発手錠を外して鬼ヶ島を脱出していたこともバレてしまう。そしてバレてしまえばカギをもっと巧妙に隠すなりなんなりされて、ヤマトはもう二度とワノ国には行けなくなってしまうだろう。
ワノ国のためにヤマトは何もできなくなってしまう。そんな事態だけは何よりも回避しなくてはならなかった。
故にヤマトは身を襲う衝動と無念を噛み潰しながら、荒野を引っ立てられていく男たちの暗く打ちひしがれた表情を見ていることしかできなかった。
そして、そんな光景に心を削られながら、ようやくたどり着いた花の都。
常に春の陽気で暖かなワノ国の都は、しかしそれまでヤマトが見てきたくらい絶望に反して、明るい雰囲気で華やいでいた。
とはいえそれは何も不思議なことではない。ここはワノ国の首都、つまりはオロチが住まう城のふもとに広がる城下町なのだ。
他の町や村のような悲劇が蔓延するうらびれた街を眼下に毎日を過ごしたくはないだろう。物も人も、優遇されているに違いない。
少なくとも、街は活気づいていた。住人は皆明るい笑顔を湛えているし、商売の声も活発に響いている。追いかけっこに興じる子供たちは元気いっぱいで、桜並木と舞い散る花吹雪は、以前にヤマトが訪れた時から相変わらず美しく、陰りはなかった。
少なくとも表面上は――幸せそうな町だった。
だがその内側、ワノ国一の豊かさですら隠し切れない暗闇は、確かに存在しているのである。
「――ねぇ、聞いたかい? 向こうの通りでまた辻斬りが出たらしいよ」
「ええっ!? 二日前にもそんな話ありませんでしたっけ? 同じ奴の仕業なんでしょうか?」
「それがどうやら違うらしいんだよ。近くの呉服屋の若旦那がどっちも目撃したってんだけど、まるっきり顔も体型も違う別人だったって話なんだ」
「そ、それじゃあ、この近くに二人も辻斬りがいるってこと……!?」
恰幅のいい女と細身で若い女の井戸端会議。恐ろしげに身を震わせる一方に、もう一方が神妙に頷いた。
「全く、ここらも物騒になっちまったもんだねぇ……。辻斬りに追いはぎ、この前は物取りもあっただろう? おでん様が死んで、各郷の大名たちも行方知れずになってから、もう何もかもおかしくなっちまったみたいだ」
「……他の町や郷なんかじゃ、滅んだところもあるって話ですよね。きっとそうやってあぶれた悪人が、花の都に集まってきてるんですよ……!」
「ちょっと前なら、それでもお侍さんたち任客侠客がなんとかしてくれたもんだがねぇ……」
「オロチ将軍が、みんな殺してしまったせいで……っ。おでん様……どうして、私たちがこんな目に……」
「……およしよ。将軍の耳に入ったら不敬罪だか何だかで都から追い出されちまうよ。それこそ身の破滅じゃないか」
ぽろぽろと涙をこぼしてしまう細身の女を、恰幅のいい女がそう言って慰めている。だがそうして背中を撫でてやりながら、恰幅のいい女のほうも顔は明らかに悲嘆に暮れていた。
目抜き通りは華やかでも、ちょっと人目につかない路地の奥ではこの通りだ。大して歩き回ったわけでもないのに、ヤマトはもう五回ほども似たような光景に遭遇している。
つまるところ、これが花の都の住人の本心なのだろう。
人や物で溢れる表の華やかさでも消しきれない、絶望感。光月 おでんが処刑され、反乱の鎮圧として大勢の侍が蹴散らされたことは、花の都では治安の悪化という形で確かに開花してしまっている。
幾人ばかりの村落も、華やかな都も関係ない。己の父親であるカイドウの所業は、ワノ国全てを例外なく凌辱してしまったのだ。
平屋の屋根の上で、ヤマトはそうはっきりと理解することになった。
そして同時、胸の内に罪悪感が沸き上がる。父親の所業への憤りでもあるそれは、知らずのうちに血が出るほど強くヤマトに拳を握り締めさせていた。
「――お、おい、どうしたんだよその顔!? 誰かに殴られたのか!?」
ふと、密集した長屋団地を超えた向こうの通りから、男の驚愕が響いてきた。
それに対し、何とも聞き取りにくくくぐもった声が答える。
「あ、ああ。向こうの蕎麦屋で食ってたら、デケェ相撲取りが来てよォ……。いきなり『邪魔だ』と張り手一発よ。いててて……」
「相撲取りが!? ……おい、そいつのこと、奉行所にとっ捕まえるよう伝えに行ったんだろうな?」
「いんや。そいつ、どうやらオロチの息がかかった相撲部屋の出らしくてな……。どうせお上は動いちゃくれねぇよ。泣き寝入りするしかあるめぇ」
「……そう、だな」
「……本当に、この国はいったいどうなっちまうのかねぇ」
彼女らにも聞こえていたのだろう。意気消沈な男たちの声の後、恰幅のいい女が深々とため息を吐き出した。
ワノ国の住人は、もはやこの暗黒の時代を耐えるしかない。光月 トキが告げた二十年後の未来まで。
だが、それでもやれることはある。力が足りないなりに、ワノ国のためにできること。
だよね、と、ヤマトは己の胸の、大名たちから受け取った大事なものを確かめる。
この胸に渦巻く罪悪感がどれほど苦しかろうと、もはやヤマトは嘆いたままで終わったりはしないのだ。
村落の食料問題や強制動員をどうにかするのは難しい。百獣海賊団とオロチ専用となっている桃源農園を襲って食料を放出させるだとか、武器工場を襲って囚われた人々を解放するだとか、そういうことは不可能だ。
が、侍たちの代わりに町の治安を守ることなら、もしかしたらできるかもしれない。
不幸な民を一人でも減らすため。ヤマトは決意し、屋根を伝って蕎麦屋の方へと足を向けた。
花の都の地理には明るくなかったが、漂ってくる出汁のいい匂いを辿っていけば、件の蕎麦屋にたどり着くことは難しくなかった。
ほどなく店を見つけ出し、横暴な相撲取りを探して屋根からヤマトはこっそり様子を伺う。しかし、それらしき姿は見て取れない。店は相撲取りが客を追い出した成果か静まり返り、店先で給仕らしき女が蕎麦が乗ったお盆を手におろおろと辺りを見回しているばかりだった。
見ているだけでは何やらさっぱりわからない。故にヤマトは仕方なく、屋根の上からひょこっと顔だけ覗かせて、給仕の女へと尋ねた。
「ねえお姉さん。ここでさっきお相撲さんが騒ぎを起こしたって聞いたんだけど、何か知らない?」
「ひゃっ!? え、お、鬼……子供? え、ええっと……それがね、確かにさっきまでここにいてお蕎麦のおかわりを注文されたのだけど、気付いたらいなくなっちゃってたのよ。まだお勘定も済んでいないから、私もどうしたものかしらって――」
と、一瞬だけ鬼のお面をつけたヤマトの姿に面食らった女だったが、それが子供の仕業とわかると気を取り戻し、途方に暮れていたことも相俟って素直に応える。
とはいえそれは途方に暮れるだけあって、相撲取りの行方に関してまるで手掛かりにならない証言だったが――連ねられるその言葉に、ふとその時、騒音が割って入った。
がらがらどしゃん。通りの逆、路地の奥から木材か何かが倒れたような大きな物音。
それが給仕の女の証言よりも確かな手がかりであることは明白だった。
「ありがとうお姉さん! 安心して。絶対そのお相撲さんを連れ戻してお勘定させるから!」
返事は聞かず、ヤマトは屋根伝いに今度は音の方へと駆け出した。
迷路のように入り組む路地をそのまま右往左往して探していたら、恐らくもっと時間がかかっていただろう。だが屋根の上から一度に路地を見下ろせば、そう時間はかからない。
一分経たず、ヤマトは探していた相撲取りらしき巨漢の姿を、遠くの路地の隙間に見つけ出した。
見えているのは背中だけだが、相撲取りらしく横にも縦にも大きな身体は間違いないだろう。後はこの悪漢を成敗し、蕎麦の代金を支払わせた後、張り手を食らわせた男に謝りに行かせるのみだ。
まずは言葉で言い聞かせ、反省するならそれで良し。反抗するならその時はまあ、あれくらいの手合い一人ならどうとでもなるだろうと、腰の刀と背中の金棒を意識する。
そうして、ヤマトはまず男の正面に降り立とうとして――次の瞬間、視界に入った出来事に、それらの想定を全て吹き飛ばされることとなった。
「――んの、ガキがッ!!」
「あぐっ……!」
相撲取りが身に纏う特大の着物がはためいた。と思ったのもつかの間、陰となっていた懐から、何か小さなものが弾かれたように飛び出していく。
いいや、蹴り飛ばされたのだ。
飛び出し、長屋の壁にぶつかってぐったりと倒れ込んだのは、ヤマトと同じくらいの小さな女の子だった。
「ッ!!」
そのきれいな青緑色の髪は汚れてくすんでいる上に、うっすら血に濡れていた。すっかりボロ切れのようになっている着物にも、同じ赤色が見て取れる。
気付いた瞬間、ヤマトは全力で駆けだした。しかし遠く、その間に相撲取りは女の子がそんな状態にあると知りながら、唾を飛ばして喚き散らす。
「小汚ねぇ女のガキが……よくもやってくれたっぺなぁ!! もう少しだったのに……お前のせいで全部台無しだっぺ!!」
そして喚き散らしながら、蹲る女の子にまた足を振り上げた。
執拗に、容赦もへったくれもなく蹴りつける。その度に小さな身体が鞠のように跳ね、ぶつかり、赤色が増えていった。
「あぐっ……! ひゅ、あ……ごめん、なさい……ごめ――あぁっ……!」
女の子が必死に口にする謝罪の言葉も、ヤマトにも聞こえるその声が聞こえていないはずがないのに、まるで意に介さない。苛立ちと――そして恐らく興奮に任せ、相撲取りは女の子を甚振り続ける。
「ごめ……ごめん、なさ……ごめ……い……」
女の子の声が、徐々に弱まっていく。だがそれでも相撲取りは女の子を蹴るのをやめない。むしろより激しく――それこそ殺意が見えるほどに大きく、足を振りかぶる。
恐らく、それは本当に女の子の命に届く。弱り切った女の子に対するトドメとなってしまう。
しかし眼にした時からそれを止めんと全力で駆けているヤマトの足は、到底それには間に合わない。
「ごめんと言うなら――死んで詫びろ、クソガキ!!」
見えるはずがないのに見えた男の真っ黒な笑顔と共に、そのトドメの一撃は振るわれた。
そして――
「やめろッッッ!!!」
ヤマトの口と、そして全身から、
ただの大声だった。間に合わないとわかる中、それでも諦めないヤマトの意思が吐き出したただの声。
少なくとも、ヤマトにとってはそうだった。故に、次の瞬間目に映った光景――覚悟したものとは違う結末を辿ったそれに、しばしその足が止まってしまうことになる。
「……え?」
相撲取りは、振り上げた足を女の子へ振るうことなく、後傾してずしんと倒れ込んでいた。
どうやら気絶しているようだった。しかしどうしていきなり気を失ったのか、ヤマトにはさっぱり訳が分からない。おかげで一秒ほど思考が止まったが、すぐに思い直して思考を止める疑問を捨て去った。
今はそれよりも、女の子の方が重要だ。なにせ命の瀬戸際なのである。
屋根から降り立ち、急いで女の子の下へ。ぐったり横たわる身体には思った通り酷い怪我を負わされていたが、それでもなんとか命は落とさずに済んだようだった。弱々しく開いた眼が、うつろにヤマトを見つめてくる。
「……安心して。もう大丈夫だよ」
そう、女の子の手を手で包んで言ったヤマトに対し、
「――ごめん、なさい……」
女の子は相変わらずうわ言のように口にしながら、それでも穏やかに目を閉じた。
一瞬焦るが、どうやら気絶しただけのようだった。胸元に耳を寄せれば、心臓の鼓動は意外としっかりしている。
と、そうして安堵に息を吐いたちょうどその時。気を失った女の子と入れ替わるように、相撲取りが目を覚ました。
自分に何が起きたのか、彼もまた訳が分からないというふうにかぶりを振って、そしてやがて女の子を庇うように立ったヤマトに気付くと、怪訝な風に眉を寄せる。
「誰だっぺ、お前。角に、鬼の面……? そっちのガキの友達か?」
「そんなことよりキミ、お相撲さんなんだって!? お相撲はワノ国の神聖な国技だったはず……なのに、お相撲さんはワノ国の立派な戦士なはずなのに……! どうしてこの子にこんな酷いことができるんだ!?」
ヤマトは相撲取りの怪訝を切って捨て、怒りを露に詰め寄った。
であるのに、相撲取りはヤマトの言葉を都合よく切り取って、
「えっ? おれが神の如く立派で強い相撲取りだって? おおそうとも、おれこそがワノ国大相撲始まって以来の超絶最強大横綱(になる予定)の幕下、浦島だっぺ! ヘンな格好のガキかと思ったらお前、なかなか見る目あるっぺなァ! すっきりしたし、サインでもくれてやろうか?」
などと素っ頓狂なことを言い出す始末。そこに女の子に対する心配も罪悪感もあるはずがなく、情状酌量の余地皆無なその姿を見せつけられたヤマトは、躊躇なく背から金棒を引き抜いた。
そして締まりのない顔でふんぞり返る肉だるまへと、それを突き付け毅然と告げる。
「お相撲さんはお侍さんの次の次くらいに好きだったけど……お前は違う! 誇りも忘れて、何の罪もない女の子を甚振って喜ぶようなヤツ、お相撲さんなわけがない! ワノ国の平和を乱す、悪人だ!」
「んン? なんだと……えっ、ちょ、お前、その金棒、なんで振り上げて――」
男は一瞬肩を怒らせて、しかしすぐに大上段に振りかぶった金棒に恐れをなして顔色が悪くなる。
だがそんな顔をしたところでもう遅い。怯える男にヤマトの
「成敗っ!!」
「ほぎゃああああぁぁーーーーーッッ!!」
ごいんっ、といい音が鳴った。
とはいえしかし、脳天にクリーンヒットしたものの、かつてのお目付け役にも三発必要だったように、ヤマトの力では一撃ノックダウンとはいかない。加えて男はその精神性はともかくとして、いずれ大相撲の頂点に立つと豪語する通りの恵体の持ち主だ。
故に、一撃はヤマトが思っていた以上に効いていなかった。頭に受けた衝撃でふらりと男の身体が傾くも、しかし倒れることなく立ち直り始める。男を完全に静めるには、恐らくもう十発は今のような一撃が必要なことだろう。
だが、ならばもう十発撃ち込むまでだ。些かならぬショックはすぐに決意で塗り変えて、ヤマトは再び金棒を振り上げる。
しかしそうして二撃目が振るわれる、その直前。
「ま、ままま、待て待て! ちょっと待つっぺ! 確かにそっちの小汚ねェガキを蹴り飛ばしてやったのは事実だけども、それでおれが悪人だなんて決め付けられるのは心外だっぺよ!」
効果が薄くても効いていないわけではなかったらしい。あるいは、こういった痛みや暴力に耐性がなかったのだろう。大きなタンコブを作った男が、怯えと合わさり涙目にながら、必死の形相でそんなことを口走った。
だが、それでヤマトは手を止めない。どうせ助かりたくて口から出まかせ言っているだけなのだとかぶりを振って、振り上げた金棒を筋肉のばねで引き絞る。
が、しかし。
「ほ、本当だっぺ! 蕎麦屋で看板娘のおキミちゃんと恋人(になってほしい)の時間を楽しんでたら、そのガキがおキミちゃんがせっかく作ってくれた稲荷寿司をかっぱらって行きやがったんだっぺ!」
「ッ……!!」
男の口から飛び出した、咄嗟に考えた言い訳にしてはいやに道筋立ったその経緯が、一瞬にしてヤマトの腕から一撃を振るうだけの力を抜き取った。
ゴトンと金棒が地について、男があからさまにほっと息を吐く。そんな男に、ヤマトはにらみを利かせながら詰め寄った。
「……なんで、こんな子が盗みなんかしなくちゃならないのさ。嘘ついてるんじゃないよね?」
「う、嘘じゃねェっぺ! っていうか、お前みたいな侍の真似事してる平和なガキは実感ねェのかもだが、別に今どき珍しい話でもねェんだよ! ここ最近の戦や何やらで親を亡くしたガキどもが、メシのにおいに誘われて花の都で悪さするってのは! どうせそのガキも、そんな
気持ちでは「そんなわけがない」と否定してやりたかった。守るべき無垢な民と思っていた女の子こそが罪を犯していたという事実が、確立したはずのヤマトの
だが男が連ねる言葉と、そしてヤマト自身の理性がそれを許さない。村落の現状をその眼で見てきたヤマトに、その男の言葉を否定できるはずもなかった。
そして極めつけに、その時、まるでその罪を告白するように、女の子のお腹の虫がきゅるると鳴いた。それ見たことかと、男が嘲笑うかのように鼻で笑う。
ヤマトは、もはや返す言葉の一つも思いつくことができなかった。
悪人を倒せば、平和を守れると思っていた。今は亡き侍たちの代わりにそうやって花の都の平和を守ることこそが、今の自分にできることなのだと。
自分でも、花の都にはびこる暗闇ならば、晴らすことができるはずだと。
――だがしかし。現実は、そこまで単純ではないようだ。
「……まあ、どのみちおれたちには関係ないことだっぺ。とにかく、悪事を働いたのはそっちのガキで、おれは悪事を働かれた側。おれこそがあのガキを『成敗』している最中だ。おキミちゃんの稲荷寿司と、おキミちゃんとの逢引きを邪魔した報い、受けさせてやらねェと気が済まねェんだっぺ」
「………」
「なあ、お前も要はおんなじだろ? 悪人を懲らしめたいんだ。ならおれの正義も尊重してくれなきゃ困るってもんっぺよ。……ていうか、そうだっぺ! 正義の味方がしたいんなら、お前もおれの頭を殴った償いを――」
「――はい」
と、何も返せなくなったヤマトに調子付いたのか、徐々に怯えの色が取れて元の尊大さを取り戻していった男がとうとう金棒の一撃の賠償も求め始め――その口を塞ぐように、ヤマトは腰に差していた刀を差し出した。
鞘に納めたままの数打ちを男の目の前に置き、さらに加えて頭を下げる。
「殴っちゃってごめんなさい。あと、この子がきみにした悪いことの分も。お金は持ってないから……その刀で、弁償する。稲荷寿司のお代にはなるでしょ」
「は……お、お前、何考えてるっぺ!? 知りもしない孤児のガキのために、刀……!?」
「なに、文句でもあるの」
「い、いや、そういうわけではねェけども……」
眼を瞬かせて言いながら、男はヤマトの刀をそそくさと懐に仕舞った。つまり、これで正式に女の子の罪は全部チャラだ。ついでにヤマトの罪も。
刀を対価にしてしまったことにはさすがに心苦しくあったが、けれど正しい行いなのだとヤマトは胸を張り、倒れ伏す女の子の方へと向かった。
その背に、どこか呆れたように男が声をかける。
「お前が頭のおかしいガキなのか、それとも刀の価値もわからねェボンボンなのかは知らねェが……そんなことしても意味ねェっぺよ。そいつみたいなガキは今の花の都には山ほどいるんだから、メシやら金やらを盗まれてる人間はおれだけじゃねェ」
「……だとしても、ぼくは決めたんだ。この国を救うって。例えこの先どれだけ打ちのめされても、この魂に誓って、絶対諦めたりするもんか……!」
「国を救うだぁ? ……やっぱり、頭のおかしいガキだったっぺか。ああ、白けちまった」
鼻で笑うように吐き捨てて、男は立ち上がると、そのまま路地の奥へと消えていった。
そしてヤマトも、女の子を背負って歩き出す。軽いその身に負った傷の数々。放ったままで世直しに赴けるはずもなく、とにかく治療ができて食料もある安全な場所――鬼ヶ島へと、ヤマトは足を向けた。