百獣海賊団の家族問題が少しだけマシだった場合の話   作:もちごめさん

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私は日和

 日和が“光月 日和”であることが明らかになってから、十年の月日が過ぎ去った。

 

 だが十年後の今現在、日和は“日和”とも“光月”とも呼ばれていない。明らかになった本当の名前はしかし、外に出ることなく蓋をされ、ごく限られた人間にしか伝わることはなかった。

 今、日和は“光月 日和”ではなく――ただ“小紫”と、そう呼ばれている。

 本当の名前を封殺したカイドウはその代わり、日和に偽名を付けたのだ。つまりカイドウは十年前に宣言した通り、日和を己の義理の娘としてしまったのである。

 

 

 “光月 日和”の名前をごく近い身内で封じ込めたことはもちろん、加えて日和に常に鬼の面を被せて顔を隠させていることも、全てはオロチから日和の正体を隠すための一計だ。

 おかげで百獣海賊団内で日和はすっかりカイドウの義娘と認識されて、その特殊性に気付く者は一人もいなかった。

 唯一、両の腕に嵌められている鬼ヶ島からの脱走を縛める無骨な爆発手錠が目を引くが、名目上の兄であるヤマトも同じ錠を嵌められているのだからと大して気にされることもない。

 

 ともかく、そうして名前と顔と自由を奪われた日和はカイドウの義娘、“小紫”に変えられて、憤懣やるかたない気持ちを常に鬼面の奥に弄びながらこの十年を過ごしてきた。

 そしてこの日も内心で渦を巻く想いを押し殺しながら、日和は百獣らしく強さに貪欲な義妹の修行相手をしていたのだった。

 

 

「――うおおおぉぉぉッ!! ドタマかち割れろッ!! 小紫ィッ!!」

 

「ふ――ッ!!」

 

 

 どがっと響く衝撃音。うるティが渾身の力で振り下ろした釘バットを、日和の木刀が受け止める。そのあまりの威力に、木刀が悲鳴を上げるようにみしりと軋んだ。

 

 十二歳に成長したうるティの膂力は、その齢にして既に大人顔負けの域にあるのだ。並みの兵であれば、恐らくこの一撃で防御ごと叩き潰されていただろう。

 が、しかし日和は“並の兵”などではない。十年間、半ば強制的につまされてきた修練は、日和の中の父親の血を確かに目覚めさせていた。

 無論、全盛のおでんには遠く及ばぬ力と才能ではあったが――しかし今のうるティの攻撃を受け流すには十二分。受け、角度を変えた木刀の上を釘バットが滑り降り、その一撃は日和に掠ることもなく雪降る岩肌の地面を叩きつけることになった。

 

 舞い散る粉塵と粉雪。そんな中、日和は一跳びでその場から距離を取る。息を吐き、身の強張りを緩めるのと同時、立ち込めるモヤをうるティの釘バットが乱暴に払い除けた。

 そして途端に眼に入った無傷の日和を認めると、うるティは口元がマスクで隠れていてもわかるくらいに悔しげに顔を歪めた。

 

 

「ッ~~!! 捌くな!! 倒れろよッ!! ウチの最強の一発なのに、どうして死なないんでやんすかぁッ!!」

 

「そいつはね、うるちゃんよりも小紫ちゃんの方が強いからだよ。悔しかったらもっと修行を頑張らないとねェ♡ 少なくとも、そんなに殺気を撒き散らしてちゃ勝てるものも勝てないよ?」

 

 

 地団太を踏むうるティに、傘の下でそれを見物していたブラックマリアが口を出した。

 

 その体躯は十年前とは随分違う。そういう体質だったのか急成長を果たし、今ではカイドウ並みの巨躯だ。さらに成長と共に遊女のような化粧をし始めたことも相俟って、その大人っぽさにはますます磨きがかかっていた。

 つまり、もともと有していた姉のような包容力――迫力も、その強さを増していた。今では日和ですら、気を抜けば絆されてしまいそうになるほどだ。

 

 故にもちろん、それを叱責の形で直接向けられたうるティが無視できるはずがないのだが、しかし鈍感なのか何なのか、うるティはその笑みの圧力に全く動じた様子がない。むしろ食って掛かる勢いで、苛立ちを彼女へぶつけた。

 

 

「うるせー!! 修行でも何でも、殺す気でやらなきゃ意味ねーだろブラックマリア!! 子供も大人も関係ない弱肉強食が、ウチら百獣海賊団でやんしょう!?」

 

「……まあ、それはその通りなんだけどねぇ……」

 

「私は別に、どちらでもいいですよ。うるティ相手じゃ、どんな下手を打ったって死ぬようなことにはならないから」

 

「ンだと……!!」

 

 

 言い淀むブラックマリアに日和が言葉を継ぐと、途端にうるティがこめかみに青筋を立てた。

 そんな様子にブラックマリアの詰まった喉は悩ましげなため息を吐き出して、そしてその時、そのため息に呼応するようにその隣、同じ巨大な傘の下で姉の修行を見守っていたページワンが、オドオドと声を上げた。

 

 

「で、でもさ、うるティ姉ちゃん。いくらなんでも修行で殺しちゃったらまずいよ、やっぱり。それに、小紫姉ちゃんは――“家族”だろ?」

 

「かぞっ……」

 

 

 オドオド首を傾げるその姿に、日和にいきり立っていたうるティが突然息を呑んだ。止まった言葉がギリと食いしばられて、そして日和も、同じように口をつぐむ。

 その感覚はすぐ身体の内側で何とも言い難い圧力へと変わり、込み上げ、そして――

 

 

「――ふっざけんな!! “家族”!? “家族”だと!? 何度いったらわかるんだよ、ペーたん!! 小紫と私たちに、血の繋がりなんてねーんだよ!!」

 

 

 日和がそれを吐き出す前に、うるティが爆発した。

 

 一言一句、日和の喉元に込み上げていた怒声と同じものだった。おかげで自分のそれは呑み下すほかなかったが、全くもってその通り。

 日和はうるティやページワンたち“家族”の一員などではない。彼らと同じ“カイドウの子供”では、断じてないのだ。

 

 ページワンの場合、物心つく前から皆を兄弟として育ったためにそんな感覚が薄く、そしてうるティは十年前からずっとブラコンを拗らせているが故の反発ではあるのだが、ともかくその思いは同じ。

 兄弟などと――カイドウの子供だなどと、冗談ではない。そう扱われることを受け入れるしかないのでも、決して認めてなどやるものか。

 そんな激しい思い(・・)を、日和とうるティはお互いに抱いていた。

 

 

「『小紫姉ちゃん』だなんて、そんな呼び方はやめろペーたん!! ペーたんのおねーちゃんは、この私だ!!」

 

「で、でも……」

 

「……これでも、わからないって言うなら――」

 

 

 故にその瞬間、同じ思いを抱く日和は、共鳴するようにうるティの殺意を察知した。

 跳躍し、日和へと突っ込むように突撃しながらまた釘バットを大上段に振り上げるうるティに対し、日和もまた迎え撃つように木刀を構え、引き絞る。

 ブラックマリアもページワンも止める間はなく、轟いた。

 

 

「小紫の奴ぶっ殺して、ねーちゃん呼びの理由ごと消してやるッッ!!!」

 

「やれるものならやってみなさい!! あなた程度に、殺されたりなんてしないからッ!!」

 

 

 日和もまた、胸の内に蟠る想い(・・)を吐き出すかのように吠えた。

 吠え、うるティの殺意に引っ張られるように全身に力が興り、そしてそれはやがて、日和に全力(・・)で木刀を振らせていた。

 

 普段であれば日和ももう少し冷静を保てていただろう。腹立たしくとも己よりも弱い相手との修行に於いて、適度に力を抜く配慮を忘れてしまうようなことはなかったはずだ。

 だがたまたまその日、その時が、日和の限界値だった。

 心の余裕がなくなって、しかも日和自身は余裕がなくなったことに気付けない。ただあまりに力のこもった一撃にブラックマリアが冷や汗をかいたのみで、その制止が向けられるよりも早く、二人の得物は互いへ向けて振るわれることとなったのだった。

 

 だが、しかし。

 

 

「おっと! これはちょっとうるティには強すぎるよ、日和。修行に熱くなるのはいいけど、頭はちゃんと冷静でいなくっちゃ!」

 

 

 日和の木刀は金棒で受けられて、うるティの釘バットは黒く染まった手に鷲掴みにされ止められていた。

 

 【覇気】。ワノ国では【流桜】とも呼ばれる意志の力。日和が習得できていないそれを易々と使いこなして二人の戦いを止めた彼女、もとい彼は、その姿を認めた日和が鬼面の奥で忌々しげな顔をしていることなどつゆ知らずな笑顔を向けて、頷いた。

 

 

「まあでも、気持ちはすっごくよくわかるよ! あんなクソオヤジ(カイドウ)の子だなんて言われて、嬉しいわけないもんね! それに実際……日和の父親はあんなろくでもない牛ゴリラ(カイドウ)なんかじゃなくって、あの偉大な侍、光月 おでんなんだから!」

 

 

 カイドウの実の息子。対外的には日和の義兄であるヤマトが、実の父親をこれでもかと貶しながら日和に向けてそう言った。

 

 言葉だけ見れば、ヤマトは日和を“日和”と認めている、数少ない人物の一人だ。仇ばかりの百獣海賊団においてなお貴重な、日和の味方となってくれている人間である。

 だが、にもかかわらず、日和にとってヤマトはカイドウの次に憎たらしい存在だ。

 

 なにせ彼は日和の父親、光月 おでんを自称しているのだ。父親を殺したカイドウの子であるというのに。

 十年経っても、なんでよりにもよってお前が父を騙るのかという思いは消えない。加えてさらに――

 

 

「おいコラヤマト!! なにウチらの勝負に水差してくれてんだ!! つーかテメェ、カイドウ様を『クソオヤジ』だとか『牛ゴリラ』とか、変な名前で呼ぶのやめるでやんす!!」

 

「そ、そうだぞ、ヤマト兄ちゃん。それに……小紫姉ちゃんのことも、“日和”って呼んじゃダメだってカイドウさんに言われてるだろ?」

 

「だけど、日和は日和だ。実の両親からもらった立派な名前があるのに、カイドウの奴、無理矢理別の名前を名乗らせてるんだよ? そんなひどい奴の言うことなんて聞く必要ないし、なんならこっちも『クソオヤジ』とか『牛ゴリラ』とか、好きに呼ぶ権利はあるはずだよ! ……ねえ、日和!」

 

 

 ヤマトはこうして事あるごとに、まるで媚でも売るように日和を庇い立ててくる。娘を守る自分は光月 おでんなのだと、そう主張するように。

 それが日和にとって、最も忌々しく腹立たしかった。

 

 故に、日和はどれだけ甘い言葉をかけられようと、ヤマトになびくことはない。それだけは許されないのだと、彼に背中を向けていた。

 

 

「……でもねぇ、ヤマト坊ちゃん。小紫ちゃんのことも、別にカイドウ様が意地悪してるってわけじゃあないだろう? 小紫ちゃんは日和ちゃんだなんて吹聴して、それがオロチに伝わったりしたらどうするんだい」

 

「んぐ……で、でも……」

 

「別に、伝わっても本気にはされないと思いますよ。……どこかの誰かが“おでん”を自称するせいで、こいつも同じ狂人かって思われるだけでしょうし」

 

「う、うぅん……複雑だけど、まあ、ならいいか!」

 

 

 そっぽを向いて皮肉を投げるも、ヤマトはちょっと困った顔をしただけで呑み込んだ。それがまた日和の眉間に忌々しげな皺を刻ませる。

 だがもちろんヤマトはそれに気付かずに、また意気揚々に日和へとすり寄った。

 

 

「とにかくさ、みんなもちゃんと日和のことは本当の名前で呼ぼう! カイドウが勝手に決めた……娘だなんだっていうのは、気にしないでさ! 実際、カイドウと血が繋がってるのは僕だけなんだし!」

 

「……血が繋がってないと、家族って言っちゃいけないのか? だったら……おれ、ヤマト兄ちゃんのことも兄ちゃんって呼んじゃ、いけないのか……?」

 

「うっ……い、いや、僕のことは別に、好きなように呼んだらいいよ。けど、日和はダメ! だって何より、日和自身が嫌がってるんだから! ね!」

 

 

 そのゴマすりは弁舌の余波でしゅんとなってしまったページワンのいじらしさにより減速したが、しかしそれでも止まりはしない。ヤマトは慌てて付け足して、さらにそれを日和へと振ってきた。

 

 全くもって呆れるほどのしつこさで、日和は内心ため息を禁じ得なかった。

 もし本当に日和のことを思うのならば、日和の心を翻弄するそのおしゃべりをやめ、ただただ静かにしていてほしい。そんな思いを抱きつつ、日和はヤマトが差し向けた手を、無慈悲なままに切り捨てる。

 

 

「誰がいつ、“小紫”が嫌だなんて言ったんです? むしろそう呼んでもらえた方がありがたいくらいですよ。……あなたたちに、“日和”なんて呼ばれたくはないですから」

 

 

 ふん、と目を逸らし、そうして日和は拒絶を突き付けた。

 

 そんな情景を前に、さすがのヤマトも口を閉ざすしかない。しばし呆然と固まって、やがてそれを呑みこむと、ヤマトはがっくり肩を落とした。

 

 

「……そ、そっかぁ……」

 

 

 しゅん、とページワンに続いてしょぼくれる。その光景になぜだかブラックマリアが頭痛を堪えるような顔をして――そしてそれらをまとめて吹き飛ばすかのように、うるティが鼻で笑って吐き捨てた。

 

 

「ハッ!! だから言ったろ、小紫はウチらの家族なんかじゃねーって!! ペーたん、つぎ『小紫姉ちゃん』とか呼んだら承知しねーからな!!」

 

「や、やめろようる姉ちゃん、キレないでよ……」

 

「キレてねーし!!」

 

 

 と、そのまま釘バットを放り出し、次いで弟にじゃれつく方向へシフトするうるティ。

 それを認めて、日和もまた木刀を腰に収めた。うるティと異なりむしゃくしゃとした感情は未だ心の内で騒めき続けていたが、なんとかして呑み下し、はあ、と日和は深々ため息を吐く。

 しかしもちろんそんなもので解消できるはずもなく、心は重くなるばかりだった。

 

 

「……ああ、そういえばヤマト坊ちゃん。お前さん、ジャックと修行してたんじゃなかったかい? そっちはもういいのかしら」

 

「あー……うん。模擬戦の途中だったんだけど、ジャックの武器が壊れちゃったんだよね。だからあいつが新しい武器を持ってくるまでは休憩中」

 

「へぇ、武器が。……随分荒っぽい修行してるみたいだねェ、ヤマト坊ちゃん。二人ともどんどん強くなってっちゃって、ちょっとばっかし妬いちゃいそうだよ、私は」

 

「いやいや、別に特別なことなんてしてないってば。……あいつがいきなり新しい技をお披露目してきて……その、僕もつい力が入っちゃったってだけさ。なにせほら、ジャックの得物ってほとんど刀みたいなものだろう?」

 

 

 日和が憂鬱に囚われている間に、ブラックマリアとヤマトとの間でそんな会話が交わされる。ジャックが使う武器はショーテルで、刀とは全く別物だろうと日和は心の中で悪態をつくものの、しかしもちろん気付かれることはなく、ブラックマリアが息を吐き出した。

 

 

「……ヤマト坊ちゃん、もしかしてまだ刀を諦めてなかったのかい? 呆れたねェ」

 

「諦められるわけがないだろう!? 刀は侍の魂なんだよ! それに、ボクだってちょっとは進歩してるんだ! この間なんか、ようやく巻き藁をバッサリ真っ二つにできたんだぞ!」

 

「十年かけてそれじゃあ普通は心が折れちまうよ。それでも諦めないってのは、ある意味尊敬するけれど……まあ、ともかく。つまりは今、暇なんだろう? ならジャックが戻って来るまでは私の相手をしておくれよ。……ついでに小紫ちゃんも、一緒にどうだい……?」

 

 

 二人の歓談が、その時ふと日和の方へと向いた。日和の反応を伺うブラックマリアと、そしてヤマトの表情には、ささくれ立つ日和の感情を気遣うような色が浮かべられている。

 が、今の日和にはそれに頷く余裕はない。感情はうるティの時から落ち着いても尚臨界点ギリギリで、これ以上彼らと顔を合わせていればまた爆発してしまいそうな、そんな予感ばかりが立ち込めている。

 故に、日和はやはり、二人へと背を向けた。

 

 

「……私も疲れたので。今日はもう、遠慮します」

 

「あ゛!? おい、小紫!! その前にウチと戦いの続きでやんす!! まだ決着が……おい。逃げるな!!」

 

 

 わめくうるティの声を無視し、日和はさっさとその場を後にするのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 疲れたと言いながら、もちろん日和は休む気などさらさらなかった。

 その言葉はヤマトたちから離れたいがための、ただの方便だ。身体は疼く一方で、故に日和の足は自然と自室とは正反対の方向へ――天岩戸へと向いていた。

 

 その岩屋の牢には、十年前にカイドウに敗れ殺されてしまったはずの三人の大名たちが生きて収監されていた。

 その事実をヤマトにこっそり教えられ、驚愕したのは日和が“小紫”にされてすぐのころ。見知ったワノ国の侍の存在は当時の日和にとって救いに等しいほど心強く、以来、元よりそこに出入りしていたヤマトに負けない頻度で、日和は彼らの下を訪れるようになっている。

 特にここ数年は稽古を乞うため、毎日のように頻繁に足を運んでいた。

 

 もちろん、囚われている大名たちとそう簡単に会えるわけもない。面会の許可など下りるはずもなく、稽古などもっての外だ。

 故にヤマトがそうしているように、日和もまた無許可で面会を強行している。

 何の許しもないままに、無理矢理牢のなかへ侵入するのだ。もはやそれは面会というよりは押し入りと称したほうが正しいくらいの、普通に考えれば無謀に過ぎる力づくであるのだが、しかし実際のところ実行はさして難しくない。

 牢番と戸の大岩さえどうにかすれば侵入が叶うくらい、大名という侍の主格を捕えている割に、どういうわけか警備が杜撰であるためだ。

 

 しかもその牢番にすら、まるで番をする気がない。

 岩屋の前に立つのは“ナンバーズ”と呼ばれる大鬼たち。彼らはその図体こそ見上げるほどに巨大だが、しかし反して頭の方が獣同然であり、端的に言ってあまりかしこくないのだ。

 友好的に歩み寄れば簡単にこちらを信じ、挙句ご丁寧に岩戸さえ開けてくれるような始末。なぜカイドウはこんな者たちを牢番などにしているのか、日和にとって長年の疑問であるのだが、しかしわざわざ尋ねる必要などないわけで――そして今日も日和は悠々と大鬼たちの間を通り抜けた。

 

 岩戸へと手をかける。お人好しな大鬼たちは手伝おうかと首を傾げるが、固辞して一人、日和は奮闘する。

 十年鍛えたとはいえ大岩はかなりの重さだが、それでもしばし格闘すれば、やがて少女一人が身をねじ込める程度の隙間が開いた。額に汗を滲ませながら中に身を滑り込ませ、そして日和は目当ての三人との対面を果たした。

 

 

「――おお、日和姫であられたか。今回は中々に早く岩戸を動かせましたな。重畳、重畳。もはや我らが内側から手を貸す必要はないらしい」

 

「最初のころはピクリとも動かせず悔し涙を浮かべておられたが……全く、お強くなられた」

 

「もう……お忘れください、そのようなことは。泣いてしまったのなんて、もう十年も前のことでしょう?」

 

 

 気が解け、羞恥と共に日和の頬がぷくっと膨らむ。大名たちはそんな彼女に対し、愉快そうにくつくつ笑った。

 

 十年間、いつもそうしているように、大名たちは荒んだ日和の心を優しく宥め、出迎える。ただ――やはり、十年という歳月と牢獄暮らしは、大名たちに隠しようのない衰えをもたらしていた。

 

 初めてまみえた時から、皆もう随分肉が削げ落ちてしまっている。身なりもすっかり薄汚れ、歳も相俟ってその雰囲気は屈強な侍ではなく、俗世を断った仙人か何かのよう。

 彼らが日和の父たるおでんも認めた大剣豪たちだと、その見た目からはとても想像ができないほどだ。

 

 そしてその雰囲気も、見た目の変化と同様かそれ以上に大きく、且つ日和にとってあまり喜ばしくない方向に変化している。

 今の大名たちからは、カイドウへの敵意が感じられないのだ。

 日和が抱く、恨みや憎悪、その類の感情が感じられない。なにせカイドウの子であるヤマトと関わりを持っているのだから、弁解の余地もないだろう。カイドウへの恨みがあるのなら、日和と同様に十年も修行をつけてやったりはしないはずだ。

 

 年月と過酷な環境は、大名たちをすっかり弱らせた。牙を折られてしまったのだと、日和は理解せざるを得なかった。

 それ故に、大名たちとの交流を嬉しく思いながら、同時にほのかな悲しみまでもが胸の内に流れ込む。そんな相反する感情を、日和は大名たちと対面しながら胸の内に感じていた。

 

 

 そしてそれによる隔意が、今日は特別に強かった。

 言うまでもなく、天岩戸に来るまでのうるティたちとの修行が要因。けれどもそれをここで吐き出せば、憎い百獣海賊団の中での唯一の安寧を失うことになってしまう。

 故にその思いは呑み込んで、日和はいつものように安らぎの笑みを受かベていたのだ。

 

 

「しかし……ふぅむ、そうか……」

 

「っ……!」

 

 

 だが、だからこそ大名の一人がそう意味深に唸った時、日和は思わずその身を固くした。己の心情を悟られてしまったのではと、胸の内に冷たいものが駆け抜ける。

 しかし幸いなことに、そんな不安は杞憂で終わり、大名たちは日和と違って気楽に十年の月日を噛みしめた。

 

 

「あれからもう十年も経つのであるな……。日和姫も大きくなられた。このような世でなければ、国一番の美姫として世に名を轟かせたでござりましょうな」

 

「武人として傷を作るのも、はっきり言って某はもったいなく思ってしまいまする。……姫、くどいやもしれませぬが、せめて痕にならぬよう傷の手当はしっかりなさいますよう……」

 

「わかっています。あまりに面影がなくなってしまったら……十年後に帰ってくる兄上たちに気付いてもらえないかもしれませんから」

 

 

 話題が恐れた方向には進まなかったことに安堵しつつ、日和はそうおどけて見せる。が、しかし残念なことにその試みは失敗に終わった。

 自分で言ったことながら、それは日和の脳裏にあまり思い出したくないことを思い出させてしまったのだ。

 つまり母親、光月 トキと、その不思議な能力によって二十年後の未来に飛んだ兄たちのこと。彼ら彼女らは百獣海賊団に囚われている(・・・・・・)自分を見て、果たしてどう思うのだろう――と。

 

 しかしそんな思いはすぐさまかぶりを振って追い出して、日和はそもそもの本題の方へと眼を向けた。

 

 

「……とはいえ、今の私は“姫”ではいられないんです。だからおじ様方、今日もどうか……」

 

「無論、承知しておりますとも。日和殿()の決意を、我らは止めは致しますまい」

 

 

 すっと、音もなく大名の一人が立ち上がる。日和も腰から木刀を抜くと、お互いにそれまでの和やかな空気を消し去り戦意を研いで、構えを取った。

 そして、開始の口火を切る。

 

 

「では、いつものように組手とまいりましょう。……心なされよ、日和殿。流桜は……覇気は、極限状態にこそ開花するものであります故……!!」

 

 

 

 

 

 

 

 “姫”だった日和は、元々“武”というものに対する興味は強くなかった。

 強くなるためと鍛えていたのはもっぱら兄のモモの助であり、日和は父のような立派な侍となるため励む兄を眺めていたばかり。昔も今も、刀を振るより三味線でも弾いている方がよほど楽しいような性分だ。

 

 であるのに今、興味もなかった強さを求めて鍛えるのは、それがカイドウの教育方針であるから――では、もちろんない。

 日和が今、打倒カイドウに一番近い位置にいるからだ。

 

 カイドウの娘という立ち位置は、屈辱的だがしかし、カイドウの首を取るというその一点に於いては理想的だった。

 武器を持って堂々赴いても何ら問題ない。これ以上の環境はないだろう。

 そして自身の境遇含めて、今のワノ国の悲劇の元凶はカイドウだ。カイドウを倒しさえすれば、ワノ国に蔓延る闇はすべて払える。そうすれば、十年後に帰還する幼いまま(・・・・)の兄に、危険な橋を渡らせることもせずに済む。

 日和がカイドウを討ちとれば、万事が上手くいくのである。故にこそ、日和はカイドウに刃を届かせるために、こうして大名たちに乞い、修行に励んでいるのである。

 

 そんな確固たる意志を、日和は心に据えている。そのはずだ。が、しかし。

 

 

「――っあ……!!」

 

 

 カラン、と。日和の手から飛んだ木刀が宙を舞い、岩屋の地面に転がった。

 尻餅をつき、ビリビリと痺れる手を庇いながら、日和はじっと木刀を見下ろした。目の前で起きたその顛末を脳内で繰り返し、そして確かな事実に歯噛みする。

 

 打ちかかった木刀は覇気に染まった大名の腕に受けられ、そのまま跳ね返されていた。

 弾かれたとか叩き落とされたとかそういうわけではなく、大名の覇気の守りに対しただ歯が立たなかったという、その事実。それはつまるところ、やはり【覇気】の問題だ。

 超常たる意志の力が介在していなければ、木刀の一撃がその硬さと重さに於いて、不動で且つ肉体的に衰えた大名たちの肉に劣る道理はないだろう。まして、まるで城を支える巨大な礎石を打ったように、放った力がそのまま返ってきてしまうことなど、あり得るべくもないことだ。

 

 だからつまり、この結果は日和の【覇気】が弱かったから。――どころでなく、日和がその力を全く引き出せていなかったから、ということに他ならない。

 日和は大名の指導の下、長い修行によって剣術や体術を身につけたが、しかし、【覇気】だけはどういうわけか、未だに会得することができていないのだ。

 

 決心して以来、修行は欠かしたことがない。であるというのにこの有様。また今日もそれを思い知らされて、故に日和は転がる木刀に唇を引き結ぶ他なかった。

 そして相手をしていた大名も、構えを解いて難しげなため息を吐き出した。

 

 

「むぅ……なかなかうまくいきませぬな。気迫は十分であると思うのですが」

 

「……ヤマトもジャックもブラックマリアも、もう皆、習得しています。なのに、どうして私だけうまくいかないでしょう……ジャックとブラックマリアなんかは、誰かに師事しているわけでもないのに……」

 

 

 ヤマトはともかく、ジャックとブラックマリアに師匠はいない。少なくとも、日和のように付きっきりで指導を受けた経験はないだろう。

 にもかかわらず、そんな二人すらすでに習得してしまっている【覇気】を日和だけが習得できていないという事実は、その心をより深く蝕んでいく。

 カイドウの強靭な肉体を貫くには、ただの覇気ですら不十分だ。鍛え上げたさらにその先、【流桜】の極致にまで至ることが絶対条件だというのに、日和はそのスタートラインにすらたどり着けないでいる。これではカイドウの首を取るなど夢のまた夢でしかない。

 

 あるいは、自分の才能は元より同世代の子たちにも及ばない程度のものだったのかと、そんな絶望的な諦念すら浮かんでくるほどで、日和は内心打ちひしがれることしかできなかった。

 そしてだからこそ、見物していた大名たちが零した言葉は、日和を激しく動揺させた。

 

 

「これだけの修練を重ねてなお、覇気が目覚める気配もなし。となると……やはり、そういうこと(・・・・・・)なのではないか……?」

 

「拙者も同じことを考えていた。やはりもはや……そう(・・)するべきであるのでござろう」

 

「っ! おじ様方、何か心当たりが!? であれば、どんな些細なことでも構いません! お教えください!」

 

「うむ……そう、ですな」

 

 

 日和はすぐさま飛びついた。立つ間も惜しく四足で這い、覇気を扱えないことに何か原因があるのならそれがどれだけどれだけ困難な道のりであろうと克服してみせると、そんな熱い気概を以って大名たちに詰め寄った。

 

 が、そんな熱意に当てられたにもかかわらず、頷く大名の顔は奇妙なほどに渋い。何やら言い辛そうに口の中でため息をついており、おかげで日和も怪訝が表へと出て来るが――

 その直前に、大名が口を開いた。

 

 

「……単刀直入に申し上げる。日和殿、我らとの修行は今日限り、すっぱりやめてしまうべきでござろう」

 

「え……」

 

 

 怪訝も興奮も吹き飛んだ。大名が淡々と言ったその言葉に、日和は唖然とする他ない。

 何しろそれは、実質的なお手上げ宣言。大名たちに見限られた事実に日和の頭は追いつかず、その間に大名たちはさらに続けた。

 

 

「覇気の修行を始めてもう数年になりましょう。普通であれば、基礎は出来上がっていてしかるべき年月でござる。……にもかかわらずまるで成果が出ないということは、つまり我らの指導では日和殿の覇気を引き出すことは叶わぬということ。故に――」

 

「……ジャックやブラックマリアのように、我流で修行しろ、ということですか……?」

 

 

 未だ正常とは言い難い頭で反射的に言いながら、しかし日和はそうではないことを知っていた。

 大名たちが言わんとしていることは、それではない。ジャックとブラックマリアではなく、むしろ()

 

 

「……ヤマト(・・・)に師事するのがよろしかろう。やはりあれこそが、日和殿に最も適した指導者にござる」

 

 

 日和がカイドウに次いで忌み嫌う、ヤマトに師事すべきだと、大名たちはそう言った。

 

 

「………」

 

 

 心の内に静かに漂っていた隔意の思いが爆ぜたような、そんな感覚が日和を襲った。

 しかしそう愕然とする日和に大名たちが遠慮することはない。淡白な調子で、変わらず言葉を連ね続けた。

 

 

「まず、もはや日和殿には言うまでもないことであるが……覇気とは気合。つまり、意志の力でござる。そうである(・・・・・)という強い意志があって、初めて引き出すことが叶う力なのですな」

 

「今しているような纏う覇気も、あるいは見る覇気(・・・・)もそれは同じこと。何にせよ、意志を強く持たなければ始まらぬ」

 

「そして日和殿の場合、その意志(・・)はカイドウ打倒の決意に他ならぬ。カイドウの首を取るため、こうして強さを求めている。……そうであるなら、やはりヤマトがうってつけでござろう。なにせあ奴が目指す先も、日和殿と同じくカイドウの打倒。つまりは日和殿にとって、共に戦う同士であるのだから――」

 

「――あんなの、嘘に決まっているではないですか!!」

 

 

 続いた言葉――隔意の嵐に、日和の心がとうとう叫んだ。大名の声を力づくに遮って、その思いが溢れ出す。

 

 

「ヤマトが同士なんて、そんなことあり得ません!! カイドウに咬みついていることだって、単なるポーズだってわからないんですか、おじ様方には!!」

 

 

 大名たちは、日和をただ無言で見つめている。否定は、ない。

 日和はますます憤った。

 

 

「どうして……なぜおじ様方はあんな狂人を信用しているのです!? 奴の父はあのカイドウなのですよ!? 奴が私の父にそうしたように、ヤマトだって私たちを欺いているに決まっているではないですか!!」

 

 

 日和からすれば、ヤマトは敵以外の何者でもない。カイドウと共に討たねばならない怨敵の一人。それだけだ。

 普通に考えて、仲良しこよしできるわけがないだろう。が――

 

 

「それはまことに、日和殿の本心か?」

 

「っ――」

 

 

 大名が、一転して鋭く放ったその一言。射貫くようなそれに、日和はなぜか答えることができなかった。

 喉が張り付いたように開かない。「そうです」のたった一言、たったそれだけの言葉がどうしても言えない。

 

 故に、日和はまた(・・)目を逸らすしかなかった。

 大名たちへの隔意、懐疑を、その代わりに口に出す。

 

 

「……父上を、“おでん”を名乗るヤマトの戯言を、なぜ大名様方は信じられるのです」

 

「戯言、でござるか。……姫は、認められぬと?」

 

「当たり前でしょう!? ヤマトは他でもない、カイドウの実の子!! 父上と母上を殺し……ワノ国を滅茶苦茶にした、あの男の息子なのです……!! そんな者が父の名を騙るのを、どうして認めることができましょう!? 決して、許すわけにはまいりませんッ!!」

 

 

 ポロリと、日和の眼から涙がこぼれた。しかしそれも振り払い、日和は大名たちに縋るように、最後の頼みだと言うように、潤む声音を重ねて放った。

 

 

「百獣海賊団は、倒さないと……っ、仇は討たないと……!! でなければ、死んでいった人々も、今も苦しむ民たちも救われない。救えない……!! だから、だから……っ!!

 ――光月家の生き残りとして、私はみんな(・・・)のために戦わねばならないのですッ!! その義務(・・)が、私にはある……ッ!! ……それに背を向けてしまえば、私は両親に、十年後に帰還する兄たちに、顔向けできない……っ」

 

 

 故にこそ、日和はそれを認められない。例えそれが【覇気】という形で表れているのだとしても、認めるわけにはいかないのだ。

 

 ――だが、しかし。

 

 

「そのような義務など、姫にはございませぬ。……非情なようですが、申し上げる。もう恨みを言い訳にするのはおやめなされ。姫とてわかっておいででありましょう」

 

「確かに、百獣海賊団には悪辣な者が多い。だがそれだけではないのもまた事実であるのです。ならば恨みだけに囚われる必要はありますまい」

 

 

 大名たちから返ってきたのはそんな言葉。日和は胸に刀を突きたてられたような心地で、それを噛みしめる他なかった。

 引きずり出されそうな想いを、むしゃくしゃとした感情を、無理矢理心の奥底に押し込めて。

 

 

「……わかりません。そんなこと」

 

 

 大名たちは一様に、日和を憐れむかのように目を伏せた。しかしもはや、日和にはそんな憐憫すら、信用に値しない。

 

 

「……あなた方は、まだ大名なのですか? まだ……私の味方なのですか……?」

 

「姫……」

 

「味方であるなら、光月を真なる将軍家だと思っているのなら……せめて、私を逃がしてください。この場所から……」

 

 

 じゃらりと、日和の両手の爆発手錠が音を立てる。

 大名たちは悲しげに首を振った。

 

 

「……できませぬ。例えその手の錠を壊し、姫を鬼ヶ島から出したとて、我らではその先を守ることができませぬ故」

 

「ある意味、カイドウは姫を守っているのです。その庇護を捨て去れば、オロチとカイドウ両方から追われる身となりましょう。そうした末に捕らえられれば、次はこのような軟禁では――」

 

「――もう、いいです。修行も……今までのご指導、感謝いたします」

 

 

 日和は大名の言葉を断ち切った。隔意は、拒絶へと転じてしまう。

 か細く早口に別れの挨拶を言い捨てると、日和は返事も待たずに立ち上がった。唯一気を許せる味方だった大名たちに背を向けて、岩戸に開いた隙間に手をかける。

 

 

「日和姫」

 

 

 そこに、呼ばれた日和の名。思わずぴくりと日和の身体が反応し、一瞬、その場に立ち止まる。

 

 

「断ち切れぬ迷いなら、受け入れる以外に前へと進む道はありませぬぞ」

 

「………」

 

 

 送られた餞別の言葉に、日和はやはり無言を返した。

 

(……わかってますよ、そんな事)

 

 しかし、わかれない(・・・・・)のだ。内心そう苦悶しながら、日和は天岩戸を後にした。

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