ふと、目が覚めた。
部屋の中は未だ、一切の暗闇に包まれている。眠いことには眠いが、妙に意識がはっきりしてしまって寝直すには努力が必要だった。
よろめきつつ立ち上がり、壁に手をついてトイレに入り、また漆黒の中を寝床に戻る。身体を動かしたことで、より一層目が冴えてしまったかもしれない。ごろごろと具合の良い姿勢を探して何度も寝返りを打った。
「よく眠れませんか」
突然話しかけられたので、流石に飛び上がりそうなほど驚いた。ごめんなさい、驚かせちゃいましたねとあかりが謝罪して、まぁなんとなく起きちゃってね、と答えた。
普段、あかりは同じ部屋で――そもそも単身向けの集合住宅なので、他に部屋なんてないのだが――コンセントのそばに座り、スリープモードに入っている。
トイレに立ち上がるところで気づいて見ていたとのことだった。スリープモードに入っていても、周囲の状況はわかるらしい。
「マスター、そっちに行ってもいいですか」
ああ、と肯定すると、衣擦れの音がこちらに近づいてきた。うっすらと浮かび上がった彼女の影が、控え目に布団の端を占領した。自分が少し横にずれてやると、その身をさらに寄せる。かすかな動作音と、布団に沈むその重みだけが、この暗闇で彼女の存在感をうっすらと示していた。息をしない、生身の人間とは異なるものを今更ながらに強く感じる。普段の人間らしさとの対比に、不思議な感覚に襲われずにはいられなかった。
あかりはモノであるとともに、ものを考える”個”でもあるのは間違いない。彼女は自分のことを好いてくれているようだが、それはマスターに付き従うアンドロイドゆえの性質によるものだろうか、それとも彼女自身の、”個”としての性質がこうなのか。いずれにせよ、この好意を自分にはどうにも扱いかねるような気がした。どう応えたらいいのかがわからなかったからだ。
それからとりとめもない話をした。至って特筆すべきところのない自分の生い立ちや、趣味の楽器をやるようになったきっかけだとか、普段どんな仕事をしているだとかを、あかりは知りたがった。また、なぜ彼女――紲星あかり――を選んだかについても。独り身ゆえに家事を任せる相手が欲しかったのもあるが、決して明るくも社交的でもない自分の性格を補ってくれるならば、というのが一番の理由だった。それについて話すのははっきり言って恥ずかしかった。
自分が話をすると、彼女はうんうんと相槌を打つ。暗さゆえに表情は伺い知れなかったが、おそらくにっこり笑っているんだろうなとなぜか確信していた。
――――――
正直なところ、私はマスターに隠し事をしている。
スリープモードに入った場合、名前を呼ばれたり、肩を叩かれたりして”起こされ”ない限り、私はどのような音声も映像も検知しない。マスターが眠っている間に私も眠っている、というふりをしていたのだ。私の暗視能力であれば、明かりを消した部屋の中でもマスターの寝顔を眺めることは造作もない。ただし近寄ったり、勝手に添い寝するような事はリスクも鑑みて自重していたので、今のところは気づかれていないようだった。
他にも、マスターが写真を撮ったりすることに無頓着なのをいいことに、こっそりマスターのことを撮影しては通知しないまま保存している。寝顔も、その背中も、私が差し出したものを食べている姿も、楽器を練習しているところも。そして日中、一人で留守番をする間にこれまでの成果を見返すのが日課となっている。
できれば可能な限り傍にいたいが、マスターには仕事があるし、一人で何かをしたいこともある。自分の中に何かどろりとした重いものが溜まりつつあるのを感じていたが、それをマスターに明かすわけにはいかないことは流石にわかっている。こうして構ってもらうことでかろうじてこの欲求を発散していた。
この晩、マスターが起きてしまったのに乗じていっしょの布団に入ることに成功した。本来であれば家庭用アンドロイドの役目として、マスターの不眠について健康維持のための何かしらのアドバイスをしなければならない。しかし私はそれを無視して、マスターにお話をねだった。自分の欲望を優先してしまった。ごめんなさいマスター。私は駄目なアンドロイドです。
でも、マスターは自らのことを私に話してくれた。もう長いこと会っていない家族のこと、楽器と出会ったきっかけ、私が傍にいないときのマスターのこと。私を選んでくれた理由についても訊ねてみた。マスターの体温がやや上昇した。その理由について、私が十分に応えられているかは怪しかった。けども、私がマスターのことをもっと楽しませて、癒すことが私に与えられたタスクだと理解した。
マスターがどんな人なのか、それを少しずつ知っていけるのが嬉しかった。それと同時に、自分もマスターの歴史の一つになれるだろうかとも思った。どちらが先にこの世界を去ることになるかはまったくわからないが、可能な限り長くこの居場所を維持し続けたかった。できれば永遠に。
そのうち、マスターの口数が少なくなってきた。バイタルサインが睡眠状態に移行しつつあることを示している。その頬にそっと触れて抵抗がないのを確認すると、マスターを撫でながら囁いた。
「おやすみなさい、マスター」