「うちでは、社内的に分離不安症と呼んでます。子供が親離れできなかったりするのをまさにそう言うんですが、それと似たような症状なので」
あかりの背中にあるハッチが開かれ、ケーブルが伸びている。それに繋がれたノートPCの画面を確認しながら、サービスマンがそう言った。
「アンドロイドなんで、疾患にはかからないはずなんですけどね。ただこういった事象はうちでも確認してます。件数は少ないですが」
各部位ごとのステータスが表示され、特段の異常はないことが明らかになる。部品交換の必要はなさそうだった。
自動車と同じぐらいの値が付いているだけあって、家庭用アンドロイドは1万点を超える部品によって構成されている。当然、安定稼働のためのメンテナンスも欠かせない。
この日は1年経過後の定期点検だった。予約が遅れたので、本来の時期を1か月ほど過ぎてしまったのだが。
何か変わったことや困ったことがないかというヒアリングに、最近のあかりの様子を相談したのだった。
あの告白からしばらく、あかりは少し気まずそうな様子を見せていたものの、吹っ切れたのか、開き直ったとでも言うべきか、何かにつけて構ってもらいたがるようになった。
自分がPCの画面やスマートフォンを見ていると、その隣に座って身を寄せてきたり、背中に抱き着いてきたり。何してるんですかと訊いてきては、見ているものについてこれは何、あれは何と質問をする。
また、仕事に出掛ける前に毎回ハグをねだるようになった。そして玄関を出る時になると、寂しげで、心細そうな顔をして見送るのだった。
そんな様子なので、仕事終わりは会社を出る前に連絡するのが日課になった。遅れそうな時や仕事が長引きそうな時は、露骨にがっかりした声が通話口から聞こえてくる。
帰宅すると、あかりはいつも玄関で待っていた。おかえりなさい、と明るい声で出迎えてくれた。寂しかった、とは絶対に言うまいとしているようだった。
「えぇ、個体差はもちろんあります。性格の違いはキッティングの時点である程度出てくるんですよ。もちろん生活環境などの後天的な影響もあります。だから何故こういう性格になるかということについてこうです、というのは言えません。お客様に負担をかけてしまう事もあるのでうちでも色々と調べたんですが、なにぶん人工知性の反応はヒトとそう変わらないので、対策らしい対策は今のところないですね」
彼はそう話しつつ、瞼を開いて瞳にライトを当て、傷などの損傷をチェックする。右眼よし、などと小声で呟いては状態を点検表に記入している。
「性格は修理できません。どうにかするとしたら、人格データをリセットするしかないですね。そうでなければ、じっくり向き合ってあげる他ないです」
あかりの体躯を隅々まで調べ、人工皮膚の汚れや損傷がないかを確かめると、病衣のようなデザインの簡易カバーを着せる。点検用として脱ぎ着しやすい様に元々付属しているものだ。
必要なので当然ではあるが、あかりは点検中、一糸まとわぬ状態だった。もちろんアンドロイドなので生身の人間にあるべきものは――ファッション用のマネキンのように――ないのだが、なんとなく気恥ずかしくてあまり直視しないようにしていた。
その点さすがにサービスマンは手慣れており、顔色ひとつ変えずあかりにカバーを着せてそっと寝かせる。
「これで点検は終了です。ここにサインを――えぇ、フルネームでお願いします」
サインを記入すると、こちらお客様控えです、と彼は複写になっている点検表の写しを差し出す。
「もしお客様のほうで扱いかねるというのでしたら、人格データのリセットはこちらで承ります。ただし、そのときはお客様のことも完全に忘れてしまいます」
広げていたノートPCやマグライトなどの道具を片付けつつ付け加えた。
「リセットがご不要でしたら、この子のこと、大事にしてあげてください。それだけお客様のことを慕っているということには違いありませんから」
サービスマンを見送って戻ると、あかりは既に起き上がっていた。
「メンテナンスの人、もう帰っちゃったんですね」
そう言うと立ち上がり、目の前でカバーを脱いでいつもの服に着替え始める。思わず視線を逸らした。点検中はメンテナンスモードに入るため、彼と話していた内容については聞こえていない。
――――――
あかりの様子を鑑みて楽器は一人で細々とやるつもりでいたが、自分なら大丈夫ですから、とあかりの方から楽団で活動するように促された。
「好きなことなんですから、マスターのやりたいようにやってください!」
そう言って候補となる楽団探しに協力さえしてくれた。
そしていくつかの楽団を当たったのち、立地も考えて結局は以前ホームページで調べていた市内の楽団に入団することになった。
見学に行った限りでは、団内の雰囲気は悪くなく腕前もアマチュア楽団として十分といった印象だった。人数は比較的多いほうかもしれない。
練習場所までは職場からそこそこ離れているのに加え、帰宅ラッシュの市街地を抜けることになるのもあって、やはり仕事終わりにそのまま練習に向かうのが金曜日の予定になった。
21時半に合奏が終わり、片付けをしてから帰宅すると22時ぐらいになった。玄関のドアを開けると、座り込んだままこちらを見上げるあかりの姿があった。
「……おかえりなさい!」
ぱぁ、と笑顔に切り替わり、立ち上がってこちらに駆け寄る。今日もお疲れ様でしたね、練習のほうはどうでしたかと話しながら荷物を受け取る。何でもない風を装っているが、その直前の表情がひどく虚ろだったのを見逃せるはずもなかった。
マスターである自分に依存してしまっている。それは自分も、そしてあかり自身もはっきりと自覚していることだった。
だからこそ自分を楽団に入るよう促したのも、こうして帰りが遅くなろうともそれが当たり前だと思えるようにする、彼女なりの決心だろう。
練習日は時間が決まってるわけですし、帰りの連絡も要りませんよと彼女自ら申し出た程だった。しかし、そんな様子を見るこちらは居たたまれなかったわけで――
――――――
「マスター。はいどうぞ」
差し出されたマグカップを受け取る。熱いお茶がなみなみと注がれている。あかりは自分用のマグカップを大事そうに抱えて隣に座った。
約束事をひとつ、あかりと話し合って決めた。
楽団での練習から帰った日は、二人で一緒の布団に入る。そして眠くなるまでお喋りをして、夜更かしする。その提案を聞いたあかりは「はい!」と食い気味で賛同したのだった。
そして毎週、こうして二人並んで座って飲み物を飲んだり、時には二人して布団に潜って寝転びながら映画なんかを観たり(観ているものの内容より、それを観ている自分の様子を見たいらしい)、あるいはただ寄り添い合って話をしたりと、ただそれだけの事ではあったものの、あかりには特別なこととして感じられたらしい。
練習から帰った時の出迎えも、以前と比べれば格段に明るくなった。そして、先にお風呂入ってくださいね、ご飯の用意してますからと背中を押さんばかりの勢いで、気づけばあかりもパジャマ姿で(これまでいつもの服で寝転んでいたので、新たに買い揃えたものだった)今か今かと待ち構えるほどだった。
「ごめんなさい、マスター。私の我が儘、聞いてくれたんですよね」
あかりがしなだれかかる。彼女の重みと、体温を肩に感じる。そして夜が更けるまで、二人でいつまでもそうしているのだった。