悪いお姉さんに飼われる話 作:たぶんエタル
私はきっと間違っている。だからこそ、神は決して赦さないだろう。
♢♢♢♢♢♢
「リン! ちょっとジェイおじさんから芋を貰ってきてくれ!」
「は〜い。何個?」
「一個でいい!」
ぱたぱたと軽快に音を立てて古びた小さな家から外に出る。しんしんと降り積もる雪ですっかり顔を隠した地面を踏みつけて、足跡を刻んだ。
「さむ〜」
白く染まった吐息でかじかんだ手を温めながら、道を歩く。小さな村だ。ジェイおじさんの家はすぐ近くにある。一分も歩いていないだろう内に目当ての木造の家に着いた。屋根から雪が落ちて来るのを心配しながら、さっと玄関前に飛び込んだ。
「こんにちわ〜! リンで〜す。お芋くださ〜い」
コンコンとドアを叩いて、声を出す。すぐに、はいよ〜、と気の抜けた声がドアの向こうから聞こえてきた。ガチャリとドアが開いて、暖かい空気が全身を包む。背の曲がった優しそうな老人──ジェイおじさんがぷるぷると震えながら杖を片手に立っていた。
「何個いるんだい?」
「二個ください!」
「二個だね。わかったよぉ〜」
大きな声を出しながら、左手でピースもして個数を伝える。ジェイおじさんも了承の意を伝えるように右手の親指と人差し指で丸を作ってにっこりと笑った。ジェイおじさんはドアの向こうに隠れ、ガサゴソと音がして少し経つと片手に芋を二個持って再び現れた。
「はい、どうぞ」
「わぁ〜! すっごくおっきい! ありがとう!」
「いいえ。リンちゃんもおっきくなったねぇ。いくつになったんだい?」
「十歳です! 今日が誕生日なの!」
「ありゃ〜そうかい。そりゃめでたい」
おめでとさん。そう告げた笑みに釣られてこちらもにまにまと頰を緩ませながら、カバンに芋をいれる。そのままの手でカバンを弄ると淡く光った赤い石を取り出した。父のコレクションの一つだが、眺めるばかりで使うことがないので別にいいだろう。
「これ、お返し! またね!」
「おぉ〜ありがとう。またねぇ」
ブンブンと手を振って帰路に着く。先程まであった自分の足跡が既に消え掛かっているのを見て、少し時間を食ってしまったと足早に駆けた。
「ただいま〜」
「おお、早かったじゃないか! ありがとうな!」
「はい、お芋」
「おう。ジェイおじさんにありがとうは言ったか?」
「言った〜。火の石もあげた〜」
「ひ、火の石!? ま、まぁいいか。いつも世話になってるしな、うん。いい子だ」
あからさまに狼狽えている父の姿に少しスッキリする。誕生日に働かせる方が悪いのだと調理場を後にすると、リビングへと向かう。
「お姉ちゃ〜ん!」
「うわっ、脅かさないでよ!」
編み物をしていた姉の背に飛びつき、全身で温もりを感じる。
「冷たいんだけど」
「お姉ちゃんがあったかいんだよ〜」
「離れて」
「あったかいのに冷たーい」
ぐいぐいと身を捩る姉に負けじと腕に力を込める。こうなったら意地でも離れない事を理解している姉──レーナはため息を一つ吐くと編み物を再開した。
「それ、プレゼント?」
「黙ってて」
「いいじゃ〜ん! 教えてよ!」
「サプライズだからダメ」
「つまりプレゼントってこと?」
「……ち、ちがう、けど、」
「そっかぁ」
「ふふ、リン。揶揄うのもそれくらいにしてあげて」
「はーい」
少し離れた場所から咎めの声がかかる。救いの手にレーナは安堵の息を漏らしているがそれが編み物がプレゼントである事を隠そうとしていた事実を肯定しているのに気づく様子はなかった。
姉は父によく似ている。顔立ちはカッコいいし、馬鹿っぽくて、取り繕うのが下手なところは瓜二つだ。
対して私は母によく似ている。声の方を向けば、母は可愛い顔にニンマリとした笑みを浮かべている。揶揄いたくてしょうがないといった顔だ。
「レーナ、プレゼントはもう出来そう?」
「うーん、もうちょっとかな。もうちょっと長い方が……、あ、いや、その、あ、ぷ、プレゼントっていう、編み物だから! 別に誕生日プレゼントじゃないから! ていうか今日誕生日だったのも今知ったし!」
「え……そうなの……、うぅ……悲しい」
「あ、えっと、知ってはいた、かもしれない」
「やったー!」
青くなったり赤くなったり忙しい姉を見て母と一緒に笑い合う。すると焦げ臭い臭いと共に丸焦げのポテトサラダと申し訳なさそうな父が出てきて一層笑い合った。
どうしてポテトサラダが焦げるのか。まるで理解できない。誕生日だが、仕方がない。カバンから予備の芋を取り出して、調理場へと向かった。
料理ができるのは母と私だけ。私も大したものは出来ないけれど、母はお腹が大きくなっているし、無理はさせられない。
トントントンとまな板を叩く音に合わせて、体でリズムを刻む。
窓からは絶え間なく降る雪がすっかり暗くなった空に見える。さっきまでは明るかったのに、近頃はすぐに夜が来る。誕生日の終わりが近づいてきたのを感じて、少しだけ物悲しくなった。誕生日はどうしてこんなに短いのだろう。
けれど、私は知っている。きっと顔から火が出るほどいっぱいのおめでとうがまだリビングに待っている事を。お父さんは何をくれるのかな。お母さんは何をくれるのかな。お姉ちゃんは何をくれるのかな。それを想像するだけでほっぺたが言うことを聞かなくなって、必死に口元を戻そうとするけれど、余計に変な顔になってしまった。いつのまにか心は楽しい気持ちでいっぱいで、どんどん体のリズムが大きくなっていく。
来年の誕生日はどんなのだろう。そんなことまで考えてしまう。来年はわたしもお姉ちゃんになっていて、もっと忙しいかもしれないな。でも、なんだかいい気分だ。
大皿のポテトサラダと小さなパンを四つ。お肉なんてなくて、子供でも持てるくらいに少ない。とても豪勢とは言えないけれど、きっと幸せを料理したら、こうなると思う。重くもなく、軽くもない。小さな幸せの重さを感じながら、慎重にリビングへと運んで──
──バンッ
「わっ、な、なに?」
外から大きな音がした。何かが爆発したような音が。びくりと体が震えて、ころりとパンが一つ落ちた。
きょろきょろと慌ただしく周りを見渡す。しかし、調理場に特に変わった様子はなく、ホッと息を吐いた。
「なんだったんだろ……外かな……」
そっと窓を覗き込んだ。途端、息を飲む。降り頻る雪と舞い上がる火の粉。お互いが交差し、明るんだ夜空にはまるで星々のように火の粉がばら撒かれていた。その光景はとても非現実的で、幻想的だった。きれいだと思った。それはとても良くないことだと分かっているのに、その瞬間だけは、炎に魅了された。遅れて脳の賢いところが慌てふためいて、さっきまでの感動が無かったかのように、心臓が嫌な音を鳴らした。
「ッ……火事だ……火事! お父さん! 火事!」
いっぱい走った時みたいに心臓がキュっとしまって、足が言うことを聞かなくなる。
それでも一人でいるのが怖くて、何かしなければいけないと思って、その一心で叫びながら薄い扉を開いてリビングに駆け込んだ。料理はいつの間にか落としてしまっていた。
「ッ……どこだ!」
「調理場の窓の正面の方からひ、火の粉が舞って……」
「近いか」
「た、たぶん……」
「……俺は外行って見て来る! お前らは先に遠くへ避難しろ!」
父が出ていく。どこが燃えているのか、妙な確信があった。けれど、どこだと言われた時、その名を出すのを躊躇い、方向だけを父に伝えた。
言葉にすると現実になりそうだというきれいな理由ではなく、火事の原因が自分であると認めたくないからであり、怒られたくなかったからだ。
「リン、大丈夫」
姉が震える背に手を置いて撫でてくれる。言葉は少なく、しかし、その意図は明確に汲み取れる。姉はきっと私がこんな自己中心的な理由で震えているとは思っていないだろう。しかし、その力強い言葉と態度に私は厚かましくも安堵してしまった。
罪滅ぼしのように母の手を取りながら、家の外に逃げる。火元はジェイおじさんの家だった。
目を背けたくなって、一層速く駆けた。しっかりと握った手から私の罪が伝わっていやしないかと心配になった。
この雪があの火を、私の罪を覆い隠してはくれないかと願った。しかし、私を責めるように、雪は私の足をとるばかりで火は煌々と燃え盛っている。
きっと背には既に沢山の家々が燃えているのであろう。いくら走ってもぱちぱちと木の燃える音が追い縋り、夜空は明るみを増していくのだ。
女子供の悲鳴と男衆の怒号が突然掻き消える。それが大きな破裂音に上書きされていたのだと気がついた時には横合いの家の柱が眼前に迫っていた。
硬直する体を包み込むように母が私を抱きしめて、柱と私の間に割って入った。母にこんなに強く抱きしめられるのは久しぶりだ。お腹のことを気にせずにギュッと力を込める母に私は何故か心が軽くなった。そのまま柱が倒れて母と一緒に地面に横たわる。私を庇う母の胸に顔が埋もれて、その鼓動と温もりに背中の雪の冷たさとか、辺りを吹き荒ぶ熱風とかがどうでも良くなる。しかし母の鼓動が弱くなっていくにつれ、陶器のような安心感は崩れ去り、赤子のように行かないでとギュッと母の腕を掴むと小さくごめんねと言う声が聞こえた。
瞳を閉じる。
父は生きているだろうか、姉は私達を置いて逃げてくれただろうか。死の間際になってやっと自分以外の誰かの為を思った。
♢♢♢♢♢♢
「バウッ! バウバウッ!」
「どうしたんだいタロ。そんなに吠えて」
遠くから声が聞こえてくる。途端に視界に光が差して、思わず目を細めた。生暖かいくて血生臭い吐息が頰にかかる。これはなんだと目を開ければ私を簡単に丸呑みしてしまいそうな程大きな狼が口を開け、その口腔を覗かせていた。
「ひっ!」
思わず悲鳴が漏れる。腕で咄嗟に顔を覆い、ジンとした痛みがやってきた。腕が痛くて堪らなかった。腕が噛まれたのとは違うその痛みは昔母に料理を教えてもらった時に味わった火傷をもっと酷くしたもののようだった。
痛みで顔を覆うことも十分に出来ず、半端に腕を上げるだけになった。
「待て」
不思議な声だった。妖艶で無邪気な声が空間を支配し、狼は犬のように大人しくなった。
「大丈夫かい?」
視線を上げれば烏の濡れたようなきれいな髪のお姉さんがにっこりと微笑んでいた。私がびっくりして声を失っていると、火傷を負った腕を見たお姉さんが何処からか軟膏を取り出してその細長い指でゆっくりと塗りだした。
「いたっ」
「じっとしてて」
包帯まで丁寧に巻かれて、乾いた地面が水を吸うように優しさが、お姉さんという存在がすっと私の心の中に入ってきた。
「あ、ありがとう、ございます……」
「いいよ。別に」
「あの、お、お母さん、知りませんか?」
すっかり信頼しきった私は私に覆い被さっていたはずの母の行方を尋ねた。私はてっきり母諸共あのまま死んでしまうものだと思っていたが両腕の火傷程度で済んだ上、辺りに死体らしきものもなく、疑問系ではあるものの、この人が助けてくれているという期待があった。
「お母さん? ……ああ、君の上にいた人かな?」
「……! はい! そうです! どこに──」
「その人ならさっきタロが食べちゃったよ」
余りにもなんでもないように言うものだから、本当に何を言っているのか理解が及ばなかった。にっこりとした微笑みを崩さずにすりすりと擦り寄って来たタロと呼ばれた狼を撫で、求めてもいない弁明を始めた。
「この子は食いしん坊でね。おまけにグルメだから焼いた肉しか食べないんだ」
君は生焼けだから、少し食べるのを躊躇っていたけどね。そう告げられた頃には、狼の口から私と同じく青い、けれど長い髪が数本垂れているのを見て吐き気がした。思わず口を押さえて、手が親の仇が巻いた包帯に包まれているに気づいた。途端に両腕がとても悍ましいものに思えて痛みを忘れて掻きむしった。
「ああ、もう君を食べるつもりはないよ。そこは安心して欲しい」
「…………」
「聞いてる?」
「……なんで……」
「ん?」
「なんで、助けたんですかッ! そのまま殺してしまえばよかったじゃないですか! 他のみんなと、お母さんと同じように!」
「じゃあ、そうする?」
「……」
狼が低く唸る。お姉さんの目と声色は優しいままで、しかし私は体が竦んでしまった。死ぬのが怖い。食べられるのが怖い。一度でもそう思ってしまえば、反抗する気など微塵も無くなってしまった。自暴自棄になって叫び続けることも出来ない自分がとても惨めに思えた。
「素直でいい子だ」
よしよしと頭を撫でられる。きっとここで振り払うべきなのだろう。しかし私はただ縮こまっているだけだった。母はこの姿を見て何を思うだろう。父や姉ならばここで払いのけるだろう。そう考えて、考えて、考えるだけだった。
「何故助けたのかという質問に答えるとすれば、君が可愛いからだ」
「……」
「ちょうど、新しいペットが欲しくてね。タロも寂しそうだし。どうかな。お世話はするよ」
「…………わ、わかり、ました」
「本当に素直でいい子だ」
一層微笑みを深くした様子を見て、気に入られたことにホッとする自分がいる。本当に惨めだ。そう分かっていて、何もせず、ただ時が過ぎるのを待つ私が嫌いだ。嫌いで、嫌いで、だからこそ、もう何もしたくなかったし、何も考えたくなかった。
「君はそうだな……ポチだ。今日から君の名前はポチ。今までの名前は要らないよ」
「……は、はい」
「ふふ、気に入ってくれたみたいだね。ハッピィバースデー、ポチ」
「……」
私は差し伸べられた手を握って焼け落ちた村を練り歩き、森の奥へと向う。もう戻れない日常に思いを馳せながら。
お姉さん「私が燃やしました」
犬「私が食べました」