悪いお姉さんに飼われる話 作:たぶんエタル
大きな洞穴に二人と一匹。焚き火を囲んでいた。もしかしたら、一人と二匹なのかもしれないけれど。
「ポチ」
「……はい」
「お手」
「……」
「おかわり」
「……」
「よし、おいで。撫でてあげる」
まるで犬猫のような扱いだった。言われるがまま差し出される手に手を重ね、お姉さんの側に寄る。顎の下をこしょこしょと指が這い、味わったことの無い感触にビクリと体が跳ねた。
「気持ちいい?」
「は、はい」
気持ちいいかと言われればそうではないような気がする。ただ私は必死にお姉さんの気分を損ねないように肯定を繰り返した。損ねれば、殺される。殺されるわけにはいかないのだ。それは身を挺して守ってくれた母の為でもある。そう言い訳をしながら、母の仇に尻尾を振った。
「ポチ」
「はい」
「──ポチは、はいしか喋れないの?」
「ッ……! あ、あ……あ、あ…………!」
撫でる指が滑らかにすっと私の首に添われる。ひたりと引っ付いた長い指はあっという間に私の首を覆い、冷たい体温を伝えてくる。冷やされた血が全身を巡り、身が凍えるようだった。
──間違えた
気分を損ねてしまった。透徹な眼差しが私を貫く。この人の目は何を考えているのか分からない。私を助けたときも、母を殺した事を告白したときも、そして今も、同じ目している。それがとても不気味で、どこか超然としていた。
言葉に詰まったからなのか、ゆっくりと、しかし確実に首を絞められていく。振り解ける程弱い力なのに、私は逃げ出すのではなく、ただ許しを願った。
「ご、ごめんなさ……いぃっ!」
けれど、それは悪手だったようで、首が強く絞められる。弁明の声は形にならず、瞳で許しを請う。お姉さんはただ何も言わず、ぎりぎりと首が絞め続けた。
「ぁ、がっ……あ……」
息が出来ない。呼吸をしようと必死に首を絞める手を剥がそうとするも、叶わなかった。
やがて手が動かなくなり、ぐったりと腕を垂れる。ぱちぱちと鳴る焚き火の音が遠くなった。死んでしまう。そう思った矢先、ぱっと手が離された。
無様に倒れ込みながら、無意識のうちに首を摩り、呼吸を荒げる。ぼーっとした思考が回復する頃には、涙が溢れていた。視界が滲み、火の光が乱反射する。なんで私がこんな目に合わなければいけないのか。私が何をしたというのか。有り余る理不尽に思わず声をあげて泣いた。
「ポチ」
そっと頭を撫でられる。弱った私にはその行為はとても心満たされるものだった。少しずつ落ち着いていく鼓動に自分が懐柔されている事を自覚しながらも、反抗の意思は湧かなかった。
しかし、萎んでいく敵対心とは真逆に罪悪感はどんどんと膨れ上がっていく。自分の過失ばかり気にして、死ぬ間際になって浅ましくも他人を想い、いざ生き残れたとなったら母を言い訳にして仇に媚を売り、あげく簡単に懐柔されかけている。これを薄情者と言わずなんと言うのか。私は家族が大好きだ。大好きな筈なのだ。でも今の状況は私を薄情者だと証明している。家族が好きという自分の気持ちが本当に正しいものなのかも、分からなくなってしまった。
私は母が身を挺して助ける程価値のある人間だったのだろうか。私はとても薄情で悪い子なのだろうか。だとすれば母の死は無駄死にになってしまうのだろうか。何も分からない。何も考えたくなかった。
「ポチは何も悪く無いよ。とてもいい子だ。ポチの村を燃やしたのは私だし、ポチは私について来たんじゃなくて、私がポチをついて来させたんだ。どこにもポチの意思は介在していない。これからも全て私の言う通りにすれば、ポチは何一つ悪くない」
頭上から声がかけられる。それは心を読んだかのような言葉で、とても甘美な誘惑だった。
「私は……悪く、ない……?」
「そう。ポチが自分で決めて行動しない限りはね。もし、それでもまだ胸が痛むなら、さっきみたいに罰をあげる」
そうだ、私は何も悪くない。全部、仕方のない事だったのだ。私は大きな波に飲まれて流されただけで、私は本当は家族の仇に尻尾をふるなんて事はしないのだ。これは全部、この人が悪い。私は尻尾を振らされているだけなんだから。
……こんなのただの言葉遊びだってことくらい私にも分かっている。けれど縋らずにはいられない。じゃないと罪悪感で壊れてしまいそうだから。
ああ、やっぱり私は悪い子だ。どれだけ罪悪感に苛まれようと、臆病な私は何も出来なかった。自死する事も、仇を取ろうと反抗する事も、何も。
また、首を絞めて欲しい。そうすれば、きっと少しはマシになる。この罪悪感に見合う苦痛を味わえば、罪悪感を忘れられる。私は悪くないとそう信じることが出来る。
示し合わせたかのように、また顎の下を撫でられる。答えは決まっていた。
「もう一度聞くけれど、気持ちいい?」
「……はい」
「嘘つき」
ぎりぎりと首を絞められる。とても苦しくて、とても楽だった。
♢♢♢♢♢♢
地獄のような景色だった。最低限の荷物を抱え、燃え盛る家々を背後に駆けていた。父は火元に対処しに行った。母は身重の身。だから、妹は私が守らなければいけなかった。リンは態度は大きいし、生意気だし、しっかり者だけれど、とても怖がりで、気が弱いのだ。
リンは震えていた。私と母で前後を挟み、リンが一人にならないように、不安にならないように、配慮していた。
突然響いた破裂音に体を強張らせて、後ろを振り向けば、私は一人になっていた。
思わず名前を叫んだ。喉が痛くなるほどに。返事は返って来なかった。
その時、やっと頭が理解した。母と妹は燃え盛る家屋に押し潰されて、死んだのだと。
私は誰一人守れなかったのだと。
意味が分からなかった。火はまだそこまで迫っていなかった筈だ。だからこそ、父は火元の対処に行ったのだから。これではまるで、誰かが燃やしているかのような……。
そこまで考えたところで見知らぬ女がいる事に気がついた。この惨状でにこやかな笑みを浮かべた気狂いの女が大きな狼を従え、燃え盛る家の中から姿を現した。
そのまま流し目で辺りを睥睨し、呆然と立ち尽くす私を見た。吸い込まれてしまいそうな瞳だった。何もかもを呑み込んでしまいそうな真っ黒の瞳。まるでアリでも見たかのようにふっと私から視線を逸らされなければ、きっとそのまま魅入られていただろう。
この場は完全に彼女に支配されていた。燃え盛る炎も、降り頻る雪も、月光までもが彼女に従っているようだった。
その予感は正しく、まるで生きているかのように炎が蠢き、家を、人を、私たちの全てを呑み込んだ。
再度目が合う。悪戯をして、反応を確かめるようなそれは酷く残酷で、醜悪だった。
あれは、悪魔だ。
腰が抜ける。口が震える。逃げなければ。その一心で這々の体で悪魔から逃げた。
背後から小さく、含むような笑い声が響く。同時に目の前に道が出来た。無様にみっともなく逃げてみろ。そんな声が聞こえるような気がした。私は心の中に抱いた昏い炎を燃料に奥歯を噛んで奴の娯楽に興じた。
嘲笑でもない無邪気な笑い声を背に、私は生き延びた。
身を焦がす程の復讐心と共に。