悪いお姉さんに飼われる話 作:たぶんエタル
悪い人たちのアジトの扉を開けると、あの散らかった大広間があった。見慣れたわけでもないその風景に心からの安堵を感じる。
ほっと一息つくと、くすりとお姉さんが笑う。
「とりあえず、着替えようか」
「はぃ……」
びしょびしょに濡れた貫頭衣からはツンと鼻をつく臭いがする。この年になって粗相をするとは思わなかった。恥ずかしさから声が萎んでいく。
なるべく滴らないようにゆっくりと歩いているのに、ぴちょんぴちょんと音が鳴る。どうか聞こえていませんようにと願いながら、火が出そうな程熱い顔を俯かせ、埃を被った二階へと向かった。
「ポチにぴったりのお洋服があるんだ」
そう言って連れられたのは、二階を超えて屋根裏部屋。小さな部屋に小さなベッド。そしてお姉さんは小さなクローゼットの中から白と黒のお洋服を取り出した。
いわゆる、メイド服。昔、お母さんが話してくれたお話に出てきたメイドさんが着ていたお洋服だ。そのお話のメイドさんに憧れて、私は家事を練習していた。お母さんが奮発して似たような服を作ってくれたことがあったけれど、本物を見たのは……初めてだ。
メイド服を手に持ち感慨に耽る私にお姉さんが声をかける。
「手伝ってあげようか?」
着方が分からず固まっていた訳ではない。しかし、着方が分からないのも事実。私は小さくこくりと首を縦に振ると、お姉さんに身を委ねた。
「あの……」
メイド服を着させられる中、ずっと蟠っていたことを吐き出す。
「……ありがとうございます」
「どうしたの?」
「助けてくれて……」
もじもじと指先を弄びながら、感謝を述べる。あの時のお姉さんは、神さまのようであった。そんな訳がないと思う。それでも思わずにはいられないのだ。助けてくれない神さまよりも、お姉さんの方が……と。なんだかとても恥ずかしい。
「あぁ、それはいいよ。ポチは私のものなんだから」
そう言ってお姉さんは顎の下を摩る。
「それよりもポチに聞きたいことがあるんだ」
「なんですか?」
「逃げたの?」
「……え?」
「ポチが外にいたのは、逃げようとしていたの?」
変わらない口調に変わらない声色。にも関わらず、空気が数段重苦しくなるのを感じる。
「ち、違う!」
「なにが違うの?」
運動した訳でもないのに、息が切れる。私は回らない呂律で必死に否定を繰り返した。
「わ、わた、わたし……! わたし! に、逃げたわけじゃなくて……!」
「……」
「お姉さんを追いかけて……! だ、だから……!」
「……‥」
「だから……! だから……!」
──ひとりにしないで
願いが溢れる。寸前、背後から包み込むように、抱きつかれた。ひとりじゃないと、ひとりにしないと、言葉ではなく、その身で示すように。
「ごめんね。別に責めてる訳じゃないんだ」
「あ、う……」
「ただ、少し不安になったんだ」
「……不安」
お姉さんの口から漏れ出た弱音。あまりにも想像していなかったその言葉に私は思わず聞き返した。
「私には、君しか居ないんだよ。ポチ」
「私……だ、け……?」
「この広い屋敷を見て、不思議に思わなかった? なんで他に人がいないんだろうって」
「……それは」
確かに、思っていたことだ。と言うより、この屋敷には余りにも人の気配がない。あの大広間以外は廃墟のようであった。長らく人の手入れがされていないことくらい、容易に想像がついた。
「この部屋にだっていつかは持ち主がいたんだ」
「……」
「みんないなくなってしまったけれどね」
「私はひとりぼっちなんだ。だから、ポチは私をひとりぼっちにしないでほしい」
その言葉を聞いたとき、私は深い共感を感じた。仲間だと、感じたのだ。
(そっか……おんなじだったんだ……)
お姉さんは悪い人だ。でも、いや、だからこそと言うべきだろうか。周りには誰もいない。
でも、私は知っている。お姉さんは悪い人だけれど、とても優しい人なのだ。私の首を絞めてくれたのだから。私を気遣ってくれたのだから。私を助けてくれたのだから。
こんな事を思ってしまう私はきっと悪い子なのだろう。神さまが救いの手を差し伸べないくらいに、悪い子なのだ。それはお姉さんも同じで、だから、私だけはお姉さんの味方でいたい。そう思ってしまった。
「ずっと私だけの言うことを聞いて、私だけの味方でいて、私だけの家族になってほしいんだ」
「なにがあっても、私の側にいてほしいんだ」
顔のすぐ側で囁きが聞こえる。鈴のような声は有無を言わさぬような圧倒的な存在感があった。世界中の音が消えて無くなり、ぽっかりと空いた空間にその声が流れ込んでくる。
「……はい」
気づけば私は肯定の言葉を返していた。
「ありがとう。とても嬉しいよ」
にこりと微笑むお姉さんの顔が見れなくて、ふいに姿見から目を逸らす。ばくばくと鳴る心音が聞こえていないかが心配だった。
しばらくして両肩に手が置かれる。
「出来たよ。見てごらん」
その言葉に顔を上げた。
「とっても可愛いよ」
「……あぅ」
クローゼットの姿見には立派な従者の姿が写っていた。その時初めて、リンではなく、ポチになったような気がした。
「戻ろうか」
手が伸ばされる。私は、私の意志で、その手を取り、歩き始めた。
♢♢♢♢♢♢
「ポチちゃん! 今日もいい野菜が入ってるよ!」
「は〜い!」
肩程までの青い髪を揺らして振り返り、満面の笑みを浮かべる少女。ポチという名の少女は五年程前にこの街に住み始めた。愛くるしい容姿に人懐っこい笑みを携えた彼女はすぐに街の人気者となり、以来、商店街のおじさんおばさんたちは皆娘のように可愛がっている。
「あれ、今日はウィルくんたちお休みなんですか?」
「いや〜それがさぁ、なんだか今日は聖騎士様がお見えになるらしくてねぇ。見たい見たいって煩いもんだから、今日はあたしとウェズだけだよ! ほら、あんたも照れてないで出ておいで!」
「照れてねぇよ! うるせぇなあ!」
店の奥から聞こえてくる快活な若々しい声と共に、店主ミルダの息子、ウェズが渋々と言った様子で出てくる。右手を首の後ろに回し、いかにもかったるそうな彼はポチから目を逸らし続けている。
「おはよう!」
「……うす」
にこにこと挨拶を投げかけるポチに対し、酷く素っ気ない対応。しかし、意味もなく世話しなく動く両の腕が彼のその心境を物語っていた。
「……そ、そういえば……」
「わっ、このトマトすごい美味しそう〜!」
「……」
意を決して、話題を振ろうと声をかける頃には、無念にもポチの意識は売り物に集中していた。
「だろう? 安くしとくよ。100ナールでどうだい?」
「いただきます!」
「毎度あり〜!」
「お、おい……」
「あっ、ウェズくんごめん。何か言おうとしてた……?」
ウェズの視線に気がついたポチが不安げに眉を困らせる。ウェズはぐいーっと首が折れるのではないかと思うくらいに顔を逸らせ、呟く。
「……いや、なんでもねぇ」
明らかに何かあるような気もするが、本人が詮索してほしくなさそうなのを気遣い、ポチは追及をやめた。
「そっかぁ。じゃあまたね! ミルダさんもまた!」
「あいよ〜! 気ぃつけてなぁ!」
「……す」
ウェズは、ぱたぱたとかけていく彼女の後ろ姿を目に穴が開くほど見つめ、信じられないくらい見つめ、そして何も言わず、満足げに店の奥へと戻っていく。
「それでいいのかいアンタ……」
息子のヘタレっぷりに酷く失望した母親だけがその場に残された。
「聖騎士様かぁー」
同時刻。ポチは先程得た情報を反芻し、口元に指先を当て、呟く。
「ご主人様の邪魔にならないといいけど……」
彼女の頭は主人のことでいっぱいだった。
お姉さん「ひとりぼっちなんだ……」
犬「……」