悪いお姉さんに飼われる話 作:たぶんエタル
がちゃりと音を立て、扉を開く。屋敷には誰の姿も無く、ぽつんと佇んだ私が酷く滑稽に思えた。
「……はぁ」
タロの散歩にでも行っているのだろう。いつも通りなら12時までには帰ってくる筈だ。しかし今すぐにでも確認したくてならない事があった。
(私以外にも居たんですね……)
それは先程出会った女性のことだ。口ぶりからして敵では無いであろう。つまりどのような関係性かは定かでは無いが、味方側である可能性が高い。
だがそれは喜ぶべきことではなかった。むしろ敵であって欲しかった。何故ならばご主人様の味方は私だけで私の味方もご主人様だけである筈だったのだから。
(私だけだって言ってたのに……)
嘘を吐かれていたのでは無いかという寂しさが猛烈に襲い掛かる。どんよりとした気分のまま、ポチは食材を冷蔵庫にも入れず適当に机に置くと、ご主人様が座っている木製の椅子に腰掛けた。
僅かに香ってくる主人の匂い。寂しさを埋めるようにすりすりと椅子に体を擦り付ける。
その程度で寂しさが埋まる事はなかった。物足りない。そこで少し悪いことを思いついてしまった。立ち上がり椅子を見る。視線の先にはいつもご主人様のお尻が触れている座面。食い入るように椅子の座面を見た。
そして吸い込まれるように座面に顔を近づけて……
(……だめっー!)
寸前で正気に戻った。
(か、間接的にでもそんなこと……い、いや、でも……やっぱりダメっ!)
煩悩塗れの頭を振り、思考を正す。椅子の匂いを嗅ぎまわるなんてそんな変態みたいな行為。ご主人様は優しいから許してくれるかもしれないけれど、私が許さない。
ちらりと懐中時計を見れば短針は十一時を指していた。
ご主人様が帰って来るまで恐らくあと一時間程。つまりはあと一時間この誘惑に耐え続けなければいけない。
(よし、昼食を作ろう。それで気は紛れるはず……!)
意を決して机の上の買い物袋を持つ。その時ふわりと何かが舞った。それは小さな埃だった。山積みになった本の隙間に残っていたのだろうか。ひらひらと揺れ、やがて椅子に落ちた。
「…………」
掃除はメイドの仕事だ。埃が見えたなら、それを除かなければならない。
買い物袋を下ろし、ゆっくりと埃へ手を伸ばした。
「……ち、小さくてよく見えない……かも……」
誰に向けたのかもよく分からない言い訳を口にして、おずおずと埃に……埃のある座面に顔を寄せた。
すん……と一嗅ぎ。いや、嗅いでなどいない。呼吸しているだけだ。だから何も問題はない。
埃は既に取っている。しかし、まだまだ他に埃がついているかもしれない。だから探さなければいけないのだ。
そんな屁理屈をこねくり回し、すんすんと強く鼻を鳴せばより濃い甘い香りがする。目を閉じればそこにご主人様がいるような気がして、ぎゅっと椅子を抱きしめた。
どれほどの間そうしていただろうか。ポチは突如としてばっと立ち上がると、脇目も振らずに階段を駆け上った。
(そ、掃除が足りてないかも……!)
そう思い向かうのは寝室。もちろん自分のでは無く、ご主人様の寝室だ。
ここに来た当初は全くと言っていいほど使われていなかった二階はポチの努力の結果見違える程綺麗になり、使われるようにもなった。
故にポチはこの屋敷の構造を熟知していた。二階に着くやいなや、最短ルートでご主人様の寝室へと駆け出す。
ポチは止まらない。暴走列車と化したポチは寝室の扉を開け広げ、躊躇する事なくベッドへダイブした。
濃厚な甘い香りがポチの全身を優しく包み込む。
(埃埃埃埃ほこりほこりほこり……!)
必死に埃を探す振りをしながらすんすんと鼻を鳴らす。一嗅ぎするだけで腰が砕けそうになる程の多幸感がポチを襲い、脳が蕩けた。
「ご主人様ぁ……!」
もはや埃を探す振りすらもやめて、一番匂いの濃い枕を抱きしめ顔を埋める。服に皺が出来ることも厭わず、激情を吐き出すようにごろごろと暴れ回った。
それでもポチは満たされなかった。ただ寂しさが増したようだった。
「とっても楽しそうだね」
だからその声が聞こえた時、ポチは凍りつくような緊張の裏にどこか満たされるものを感じた。
♢♢♢♢♢♢
「あ、あにょ……えと……」
「とりあえずご飯にしようか」
もうこんな時間だし、そう言ってご主人様が取り出した懐中時計は十二時を指していた。
「そ、その……まだ何も出来てなくて……」
「じゃあ一緒に作ろう」
「……へ?」
「それとも、私と一緒に作るのは嫌?」
「い、嫌じゃないですけど……い、いいんですか?」
その言葉は言外に今までの奇行についても問うている。それを分からない筈もないのに、ご主人様はにこりと微笑んだ。
「いいよ」
無条件の信頼に心がふわふわと浮き上がる。同時に胸がきゅっと締め付けられた。
もっと私のことを知って欲しかった。なんでこんな事をしたのかとか、どれくらい寂しかったのかとか、もっともっとお話しをして、その上で全てを受け入れて欲しかった。じゃないとご主人様のペットが私である価値が消えてしまいそうだから。
けれど結局、喉に詰まった寂寥感を吐き出す事は出来ずに顔に影を差す。私はただご主人様が察してくれるのを待った。優しいご主人はきっと気づいてくれる。そう信じて。
「ポチは本当に小賢しくなったね」
そんな姑息な作戦はいとも容易く看破された。
「……っ!あ、いや、その……」
「別に責めてるわけじゃないよ。そんなところも可愛いと思っている」
「うぅ……」
顔がどんどん熱をもっていく。姑息で卑怯な本当の私を知られている。恥ずかしい。けどそれ以上に嬉しかった。そんな私を受け入れてくれることが嬉しくて、もっと顔が熱くなっていく。
お互いの醜さを知り、晒け出し、全てを受け入れるこの関係性がとても心地よかった。ご主人様の前でだけはいい子でいなくてもいい。ご主人様は絶対に私を拒絶しない。
だから私もご主人様を受け入れる。例えどんなに悪くても、私だけは味方でありたい。その想いはずっと変わらない。むしろ大きくなっていく。
だって、ありのままの私を好きでいてくれるから。
「じゃあ聞かせてもらおうかな。何があったのか」
「はい……!」
ぐぅ〜〜、と腹の虫が鳴いた。
「……ふふっ、ご飯を作りながらにしようか」
「はぃ……」
また一つ、恥を晒す。私が受け入れられていく。
私はただこの日々が続くことを願った。