道場を出た照秋を追ったマドカとオルコットは、すぐに照秋を見つけた。
照秋は自分の身長ほどの地面から立てられた木の前に立っていた。
手には竹刀程の木の棒を持っている。
「……何をしてますの?」
オルコットは首をかしげる。
「立木打ちだ」
「タテギウチ?」
マドカが答え、聞き覚えのない言葉にまた首をかしげると、突然照秋が気合を吐く。
「えええぇぇぇーーーーーいっっ!!」
空気が震える程の気合いと共に、照秋は木の棒で立木に打ち込みを行った。
袈裟斬りの形で左から右から打ち込み、ガガガガガッと打撃音が響く。
「ひっ」
目にも止まらぬ打ち込みと照秋の気合いにオルコットは委縮してしまった。
照秋は一息打ち終わると後ろに下がり息を整える。
見れば大きく乱れる息と、額には大量の汗をかいていた。
「先ほどの稽古ではあんなに平然としていたのに……」
驚くオルコットなど気にせず、照秋は再び打ち込みを始める。
延々と、延々と。
いつまで経っても打ち込みを終える気配がない照秋を見て、オルコットは恐ろしいものを見るように表情をこわばらせた。
「……なんなんですの、この人……」
異常。
その一言だろう。
立木からは打ち込みにより煙が出ており、さらに打ち込んだ左右が削れてしまっている。
相当肚に力を入れて打ち込んでいるのが目に見えてわかる。
さらに延々と続く打ち込みに、オルコットは照秋の尋常ではないスタミナに驚く。
正直自分もスタミナには自信があったが、ここまで続けて打ち込みを行えるほどスタミナは無い。
そして、打ち込みを行っている照秋を見ている自分の心に変化が起こっていることに気付いた。
マドカに言われるまで照秋という人間に対し、会ったことはないが評価は最底辺だった。
なにせクラスメイトの織斑一夏があの体たらくぶりで、さらにその男がクズと言わしめる人間なのだ。
双子の弟も押して図るべくもないと思っていた。
だが、違った。
「テルはたしかに織斑一夏より要領が悪い。一を聞いて十を知るなんて出来ない。一を理解するのに十行動する奴だ」
オルコットは、マドカがそういうならそうなんだろうと思ったが、だがしかし今の立木打ちに臨んでいる照秋を見てそれを馬鹿に出来るような気分にはなれなかった。
「代表候補生という魔窟に踏み込んでいるお前ならわかるんじゃないか?」
オルコットはマドカの問いかけに答えることなく、ただ、照秋を見つめ続ける。
要領が悪いとかそんなこと関係ない。
照秋はそれを乗り越えれるだけの意志と忍耐を持ち合わせている。
周囲の人間から、姉と兄から馬鹿にされても継続する忍耐力、そして、こんな無茶な練習を毎日行う継続力と、それを可能にした無尽蔵の体力。
なにより自分の力量を正確に判断できる客観的視点と、それを受け入れれる度量。
そんな人間性が、一つの事を理解するのに十行動するという性質が、必然的に無尽蔵なスタミナを手にしたのだろう。
努力
一言で済ませていいものではない。
自分も血反吐を吐き今の地位を手に入れた。
それを努力というのならそうだろう。
照秋の立木打ちを行う姿をみて自身と通じるものがあると感じた。
だが、違う。
決定的に違う。
「……美しい……」
日も傾き、黄昏時の中、一心不乱に木の棒を振る姿。
ほとばしる汗。
空気が震えるほどの気合い。
まっすぐ目の前だけを見つめる引き締まった表情。
「……素敵……」
オルコットの頬は赤く染まっていた。
それは、夕日のためか、照秋の練習に感化されたためか。
やがてようやく打ち込みが終わり、木の棒を下す照秋は、マドカとオルコットが近くで見ていたことに今更気付く。
「なんだマドカ、ずっと見てたのか」
大量の汗と荒い息で近づこうとしたが、ハッとして近づくのをやめた。
自分の体が汗臭くなりマドカを不快な思いにさせると思ったのだ。
そんな考えが分かったのだろう、マドカは苦笑し、気にしないからこっちに来いと手招きした。
タオルで汗を拭きながら、マドカの隣でぼーっとしているオルコットが気になり聞いてみた。
「ああ、コイツは一組のセシリア・オルコットだ。イギリスの代表候補生だ」
「へえ、マドカも他のクラスの子と友達になれたんだな。よかったな!」
変な勘違いをしている照秋は嬉しそうだ。
「違う、友達じゃない。……おい、その子供を見守る老人みたいな雰囲気出すな! ムカつく!!」
照れ隠しだと勘違いした照秋は、マドカが何を言おうがニコニコ微笑んでいた。
マドカは、もうこいつはダメだと悟り、オルコットを肘で突いた。
「おい、お前からも言え。このまま勘違いされた状態なら夏雪の技術提供の話は無しだ」
「それは理不尽ですわ!?」
オルコットは慌てて照秋に自己紹介とマドカとの関係を説明した。
「改めて自己紹介を。わたくし、一年一組のイギリス代表候補生セシリア・オルコットです」
スカートの端をつかみ礼をするオルコットに、照秋は慌てて頭を下げた。
「あ、これはご丁寧に。一年三組の織斑照秋です」
ピシッと腰を30度に折る礼をする照秋。
オルコットは照秋の纏う空気とその姿勢正しい礼に、日本のワビサビを感じた。
「わたくしと、こちらの結淵マドカさんは今日会って話したばかりですし、特に友人という間柄ではありません」
「そうなんだ……」
「そうなんだよ。おい、その残念そうな顔やめろムカつく」
オルコットがマドカと友人ではないとわかると、残念そうな顔をする照秋に、その顔を見てイラつくマドカ。
「ああもう! 本題に移るぞ! このセシリア・オルコットが竜胆のパッケージ夏雪の技術提供を申し出てきたんだ。お前はどう思う?」
いきなりバラされて驚くオルコットだったが、二人の関係を思い出しすぐに納得した。
二人とも新進気鋭企業ワールドエンブリオ社のパイロットだったということを。
マドカは、オルコットが一週間後に織斑一夏とクラス代表決定戦を行うため、万全を期すために夏雪の技術提供を要請してきたと説明した。
「で、テルはどう思う? 提供してもいいと思うか?」
「え? なんで俺に聞くの? そう言う事は、た……社長に許可を得ないと……」
「実はな、IS学園に来る前にこういう事態を想定して、前もって社長に判断を仰いでいたんだ。で、社長はテルの判断に任せるって言ってたんだよ」
オルコットはその会話を聞いて驚いた。
ワールドエンブリオのIS技術提供に関しての一切を、まさか男性操縦者一人に一任しているとは。
それほど社長に信頼されているのか、それとも社内で相応の権力を持っているのか……会話からするに、恐らく前者だろう。
オルコットは照秋を見る。
照秋はウーンと悩み考えている。
織斑一夏の双子の弟、織斑照秋。
織斑一夏は好きになれない。
あの軽薄そうな笑みに、ISに関して多少の知識はあるものの付け焼刃なのが見え見えであるにも関わらず何故か威張り散らしている。
だが、その弟である照秋に関しては、自分の知る今までのどの男にも当てはまらない、自分の知る男という像とはかけ離れた姿に、オルコットは照秋という人間を判断できかねていた。
個人としては、とても魅力的で、セクシーだと思う。
……はっ!?
自分は何を考えているのだろうか!?
「オルコットさん」
「はいっ」
突然呼ばれ、少し上ずった声を出してしまったオルコット。
「手を見せてくれるかな」
「手……ですか?」
照秋に言われ、良くわからなかったがとりあえず両手を差し出した。
照秋はその手をジッと見つめる。
オルコットは、自分の手を見て何を考えているのだろうかと訝しむ。
肌のケアは淑女のたしなみとしてしっかり行っているから手の甲は見苦しいものではないだろうが、それでも手のひらの無数のマメと硬くなった皮膚は隠しきれない。
泥をかぶり、体中を擦り傷だらけにして手に入れたISという力。
女としてはお世辞にも綺麗とは言えない手のひら。
しかし、自分の努力を積み重ねた証である手のひら。
やがて、照秋はうんと頷き、オルコットに笑顔を向けた。
「いいよ。マドカ、夏雪の技術……いや、竜胆のデータも提供してやってくれ」
「わかった」
マドカは照秋がそう言うとわかっていたのだろう、薄く笑い、よかったなとオルコットに声をかけていた。
だが、オルコットはわからなかった。
「何故ですか?」
「え?」
「何故、手を見て了承してくれたのですか?」
オルコットはまっすぐ照秋を見る。
もし、手を見てなんらかの情けや脅迫材料などと考えているのなら、申し出たこちらが言うのもなんだが、断らせてもらおう。
「オルコットさんの手が綺麗だったからね」
「……それはどういう意味での?」
タコの出来た手が綺麗だと皮肉を言ったのか、それとも……
「才能に胡坐をかいた人ではできない手だよね。うん、力強くて、綺麗だ」
「は……」
「生半可な努力を積み重ねてきていないのはわかるよ。なんせ代表候補生だものね。そんな人がプライドを捨ててまでマドカに頼ってきたんだから、それに応えるのは当然でしょ?」
何かおかしいかな、と首をかしげる照秋。
努力してる人だから。
そう言われてポカーンとしてしまうオルコット。
やがて、オルコットはツボに入ったのか、くっくっと笑い始めた。
手が綺麗などと言われたのは初めてだ。
こんな傷だらけで、ボコボコの手が綺麗だと言った。
突然笑い始めるオルコットに、照秋は焦り、マドカは変な奴を見るような目を向ける。
「おまえ急にどうした? 頭大丈夫か? 精神科行くか?」
「失礼ですわね結淵さん! わたくしは至ってまともですわ!!」
からかうマドカに、怒るオルコット。
なんだ、結構親しいじゃないかと微笑む照秋。
そしてその笑みに気付き、マドカは嫌そうに顔を歪める。
「だから、その孫を見るような顔やめろ!」
「……老成してますわねえ……」
何故かオルコットにまで呆れられた照秋は、首をかしげるしかなった。
「おい、オルコット、わかってると思うが……」
「わかってます。これはあくまでわたくし個人のわがまま。試合が終われば元に戻します。それに対してイギリス政府にデータ提供はしませんし、何も言わせません」
「ん、わかってるならいい」
第三世代機・竜胆・夏雪のデータや技術はあくまでワールドエンブリオの商品であって、本来こんな重要な事を国や企業を通さず譲渡することは許されない。
だからマドカは釘を刺したのだが、その辺やはりオルコットはキッチリ弁えていたようだ。
オルコットは潔癖と思うくらい不正が嫌いのようだ。
「まあ、技術提供をするという事で、これからしばらくは付き合いが増えると思うから、よろしくねオルコットさん」
照秋はそういい右手を差し出した。
「こちらこそ。あと、わたくしの事はセシリアでよろしいですわ、織斑さん」
ニコリと微笑み、照秋の手を取る。
オルコット――セシリアは照秋の手を取り驚く。
大きく、自分の手を包む手。
硬く、分厚くゴツゴツとしている手。
硬くなったマメ、無数の傷。
まさに『男の手』だった。
そんな男の手を意識してしまい、セシリアは急にドキドキしだした。
(これが……男の人の手……)
「じゃあ、俺の事も照秋でいいよ」
セシリアは照秋の笑顔に頬が赤くなるのを感じながらも、優雅にほほ笑む。
黄昏の空、傾く夕日に、握手をする二人のシルエットは影絵のように見え、しかし、二人の見つめ合う笑顔は絵画のようだった。
そんな握手を、木の影から憎々しげに睨む箒がいたのに気づいていたマドカは、あえて何も言わず二人を見守っていた。
(くっ……照秋め……なんなんだその金髪は! 握手などしおって軟弱な!! これは後で説教だな!!)
(……くくく、なかなか面白いことになってきたな。ま、頑張れよ箒ちゃん)