メメント・モリ   作:阪本葵

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第18話 マドカの真実、千冬の罪

――アメリカにはこんな噂が流れていた。

 

アメリカ政府は密かに過去の偉人の細胞を採集し、クローン技術によって蘇らせ世界のリーダーから支配者になるという計画。

 

その名も[project(プロジェクト) A・J]である。

 

A・Jはアメリカン・ジーザス(アメリカの救世主)の略という何ともストレートでありアメリカらしいネーミングである。

 

だがこの都市伝説のような噂、真実であり、実際各種の偉人の細胞を用いてクローン技術の研究を行っていたのだ。

そんな中で、ISに関する偉人[ザ・ワン]として第一回IS世界大会優勝者織斑千冬の細胞も搾取していた。

アメリカはISでも頂点を目指すべく研究を重ねていたのだ。

そんな研究を行っていた施設が、ある日襲撃を受けた。

そして施設は壊滅、研究スタッフは全員死亡、成果物となる数多のクローンも悉く使い物にならないように処理……つまり殺処分されていた。

そんな中で、織斑千冬のクローンの死体だけ見つからなかった。

 

襲撃したのは秘密結社[亡国機業(ファントム・タスク)]、第二次世界大戦前後に結成された比較的若い秘密結社であり、ISが世界を席巻し始めたあたりから活動が活発になった組織である。

組織自体はそれほど大きなものではなく、しかし各国の要人がメンバーとして在籍しているため影響力はそれなりに大きい。

行動理念が『恒久的平和』であった亡国機業が、ISの登場によって内部で穏健派と過激派に分かれてしまった。

穏健派はISの違法運用を監視、本来の宇宙開発使用を推進して恒久的平和を目指し、過激派はISを活用して世界の紛争や理不尽な思想を矯正し恒久的平和を目指すとし、やがて内部分裂を引き起こしかねない事態にまで陥った。

だが結果として、互いの終着点は恒久的平和という共通目的であるが故、穏健派、過激派共に互いの行動に口を挟まないと取り決め、しかし世界の裏側で暗躍していた。

ここで言っておきたいことがある。

亡国機業という秘密組織にISなどない。

そもそも、ISのコアにはコアナンバーというナンバリングが施されており、そのナンバーは世界で公開されている。

つまり、コアナンバーの何番の所有国はどこの国だという事は公にされているのだ。

そんなISコアを強奪し運用するなど「自分たちはどこの国のISコアを盗み扱う犯罪者ですよ」と公言するのに等しい。

しかし、機業の幹部として在籍する各国の要人がいろいろ裏に手を回し自国のISコアを合法的、時には非合法、非公式に亡国機業に貸し出しという建前で回るよう手配した。

そもそもISコアが少ないためそれほど多い分配はできなかったが。

そのため過激派の行動はIS運用が必要となるためそれほど大きな動きはなく、逆に穏健派は国の軋轢やしがらみで行くことが許されない紛争地帯の鎮圧、暴動仲裁など人道的支援を多く行った。

そんななかで過激派がアメリカの秘密プロジェクト[プロジェクト A・J]を嗅ぎ付け織斑千冬のクローンを拉致し教育、組織の構成員として働かせていた。

クローンは成長促進の処置を施されており、すでに10歳ほどの子供くらいにまで成長していたので教育がはかどりすぐに実戦投入できた。

そのクローンは名前を「マドカ」、コードネームをMと付けられ、過激派組織の命令のまま任務をこなしていたが、ある日世界に点在する亡国機業の拠点が同時襲撃を受けた。

襲撃をしたのはISだったのだが、それが全て無人機だった。

しかも、世界に配給されている467個のハズなのに、現れた無人機のISは世界同時発生で1000を超えていた。

その日、亡国機業のアジトだけでなく、幹部や息のかかった政府の人間なども悉くが暗殺や謎の事故によって死んだ。

世界中の要人達が多く、さらに同日に死亡するという事態に世界中のマスコミは騒いだが、しかしその要人達の死亡に関して各国の政府、軍、警察機関は情報開示をせ詳細不明ではあるが関連性は無いと発表した。

それは、IS委員会が事態の仔細を隠ぺいしたからである。

亡国機業はIS委員会と繋がりがあり、その繋がりが公にされることを危惧したIS委員会がもみ消したのである。

ともかく、亡国機業という秘密組織は穏健派、過激派共にこの世から無くなったが、構成員はわずかに残った。

その中に、マドカとスコール、そしてオータムの三人がいた。

この三人はたまたま同じ任務を行っていたのだが、突如無人機が襲撃してきたとき返り討ちにしたのである。

だが亡国機業という屋台骨を無くし、途方に暮れていた時三人の目の前に現れたのだ。

 

篠ノ之束が。

 

そうしてなんやかやあって今三人は束が立ち上げた会社、ワールドエンブリオという会社の社員、テストパイロット、戦技教導といった立場を経て、スコールはIS学園の教師、マドカは照秋と箒の護衛としてIS学園生徒、オータムは亡国機業の残党狩りに世界各国を飛び回っていた。

 

 

 

照秋は一夏と別れるとすぐに箒たちと合流し、一緒に食事を採った。

そのとき、照秋は一切会話に参加することなく黙々と口に食事を運ぶ作業を行っていた。

 

部屋に帰っても照秋は無言で明日の授業の準備を行い、それが終わるとベッドに腰掛けISの参考書を見つめていた。

いつまでもページをめくることなくただ参考書を眺めている。

若干顔色が優れないようにも見える照秋の目は、どこか虚ろだった。

さすがに照秋に何かあったと感じた箒だったが、照秋の雰囲気に聞くに聞けずモヤモヤとしていた。

そんなとき、コンコンとノックの音が。

誰だろうかと箒がドアを開けると、そこには照秋の姉、織斑千冬がいた。

 

「織斑先生……」

 

箒の口から出た名前に、照秋はピクッと肩を震わせる。

 

「……照秋に話がある。入れてくれないか?」

 

千冬に、聞きたいことがあるなら直接照秋に聞けと言ったのは箒自身だ。

だからこの来訪は喜ぶべきなのだが、タイミングが悪い。

今の照秋に会わせるのは不味いと箒の勘が告げていた。

 

「すいませんが、今照秋は体調が悪く……」

 

「いいよ、箒」

 

いつの間にか箒の背後に照秋が立っていた。

その顔色はお世辞にもいいとは言えない。

 

「俺に話とは何ですか、織斑先生」

 

照秋の声に何か見えない壁を感じた千冬は、努めて穏やかに接する。

 

「少し……これまでの事の話を……な」

 

照秋は冷めた目で千冬を見て、部屋へ招いた。

そして、箒にしばらくマドカの部屋で時間をつぶしてもらうよう頼む。

一夏の時は一夏が何をするかわかったものではなかったため照秋の傍に居ると言ったが、千冬は一夏のような危険はないだろうと、箒は照秋の言うとおりマドカの部屋へと向かった。

 

「どうぞ」

 

照秋は千冬に椅子を勧め、湯呑にお茶を入れ渡す。

そして自分はベッドに腰掛ける。

 

「それで、何の用でしょうか織斑先生」

 

姉である自分に明らかに距離を取る照秋の態度に千冬は眉を顰めるが、そんなことを指摘したり怒るために来たわけじゃない。

千冬は照秋を見る。

改めて観察すると、一夏とは明らかに体つきが違うのが目に見えてわかる。

ピンと姿勢を伸ばし座る姿は、おもわず息を呑んでしまうほどの佇まいだ。

若干疲労の色が見えるのは、試合の後だからだろうか。

 

「その……今まで姉弟としてゆっくり話をしたこともないだろう? だから改めて、な」

 

若干言いにくそうに話すが、照秋からすれば、何を今更というところだろう。

少し間をおいて、千冬はゆっくりと口を開いた。

 

「ワールドエンブリオでは何をやっていた?」

 

「スコール教導官の元、箒とマドカと共にISの訓練に明け暮れていました」

 

まずは当たり障りない話題で入り込み、徐々に深い話をしようという魂胆の千冬は、ついでにワールドエンブリオの秘密を聞き出そうとも思っていた。

 

「訓練は厳しかったか?」

 

「いいえ」

 

照秋の答えに千冬は意外そうな顔をした。

クラス代表決定戦でのあの動きから推測するに、相当厳しい訓練をしなければ一年という短期間ではたどり着けない領域だと理解していたからだ。

だが千冬は知らない。

照秋は訓練や練習において一切の妥協を許さない練習バカであり、体力バカであることを。

 

「あの[メメント・モリ]という機体はお前の専用機か?」

 

「そうです」

 

「ワールドエンブリオはどれほどの技術を有しているんだ?」

 

「企業秘密ですのでお答えしかねます」

 

ピクッと千冬の眉が動く。

 

「竜胆の新パッケージが開発中ということだが」

 

「企業秘密ですのでお答えしかねます」

 

「メメント・モリは第四世代なのか?」

 

「不明です」

 

「束が絡んでいるのか?」

 

「お答えしかねます」

 

段々企業への質疑応答のようになってきた。

そして照秋の応答が明らかに事務的になってきたので、千冬は話題を変える。

というか、こちらの方が本命なのだが話を切り出すのに勇気がいるのであえて最初に企業の話を持ち込んだのである。

 

「……お前は、この三年間、何故家に帰ってこなかった?」

 

「は?」

 

「いくら厳しい学校だったとはいえ、盆や年末年始くらいは帰ってこれただろう?」

 

何を言ってるのか、照秋はわからなかった。

だが、すぐに理解した。

千冬は知らないのだ。

 

「……一夏に家の鍵を没収されたから家に帰りたくても帰れなかったし、帰ってくるなと言われました」

 

「……っ!?」

 

照秋の言葉に驚く千冬。

あの一夏が?

そんなことを言ったのか?

……いや、まさか、一夏に限ってそんなこと言うはずがない。

これは照秋の思い違いだろう、きっとそうだ。

千冬は照秋の言葉を否定する。

 

「……それは、私たちと会いたくないと思った照秋の勘違いではないのか? わざわざ自分から全寮制の学校に通いたいと言うくらいだ。私たちと距離を取りお前は何がしたかったんだ?」

 

「何を言ってるんですか織斑先生?」

 

照秋と千冬に認識の喉語がある。

照秋はそう感じた。

そして、ああやっぱりなと落胆する。

彼女は自分の話を信じてくれない、と。

 

「織斑先生が僕をあの学校に入るよう言ったんじゃないですか。まあ、今では感謝してますが」

 

普段は「俺」と呼称するが、今は「僕」と言う。

これは目上の人間に対するマナーだと教えられた。

実際照秋はその学校に通うことになり、剣道で全国優勝を成し遂げた。

新風三太夫という偉大な指導者と出会い、最初こそ不満はあったが、今ではあの学校に行ってよかったと思っているのも事実だ。

だが、千冬はこの言い分を否定する。

 

「何を言っている。行きたいと言ったのは照秋ではないか」

 

やはり齟齬がある。

照秋は記憶を掘り返した。

そして、ある可能性にたどり着く。

 

「……そう、一夏が言ったんじゃないですか?」

 

千冬は思い出す。

確かに照秋からは聞いた覚えがない。

聞いたのは一夏経由だったはずだ。

しかし……

……いや、何かの思い違いだろう。

何処かで照秋から聞いているはずだ。

一夏の言葉を鵜呑みにしてそんな馬鹿な行動を起こすはずがない。

それに、なんなんだと千冬は憤る。

企業の質疑応答のような人間味のない態度で接してきたかと思えば、先程から一夏、一夏と、なにか事があるとすべて一夏のせいにするその姿勢が気に入らない。

 

「いい加減にしろよ照秋。お前は一夏になにか恨みがあるのか? そんなに一夏を悪者にしたいのか?」

 

千冬は怒りを込めて照秋を睨む。

それを見た照秋は、再びああ、やっぱりなと落胆した。

 

「織斑先生」

 

先程から照秋は決して千冬を名前で呼ばない。

千冬はそれも気に入らず、眉を顰める。

 

「やはり僕の言葉は信じてくれないんですね」

 

「それはお前が嘘を言うから……」

 

「そうですね。あなたは昔から僕の言葉を嘘だと切り捨てた」

 

千冬は見た。

照秋の千冬を見る目。

それは、明らかに失望の眼差しだった。

 

「昔僕が算数のテストで100点を採って帰ってきました。それをあなたに見せました。その時あなたはなんて言ったと思います?」

 

『どうせクラス全員が100点取れるようなテストだったんだろう。そんなもので喜ぶな馬鹿者』

 

千冬は目を見開く。

そんなことを言った覚えがない。

100点を採ったと見せに来たことは覚えているが、そんなやり取り覚えていない。

 

「僕は頑張って次の理科のテストでも100点を採りました。この時クラスでは3人しか100点を採ってないと言いました。するとあなたはこう言いました」

 

『どうせカンニングでもしたんだろう、情けない。お前がそんなに頭がいいわけないだろう』

 

言ってない!

千冬はそう言いたかったが、声が出なかった。

照秋の瞳には、涙が浮かんでいたから。

 

「あなたは僕が何を言っても、何をしても認めなかった。出来るようになっても『一夏がすぐに出来たことにどれだけ時間をかけている』。できずに時間がかかっていると『何故こんなことも出来ない』。篠ノ之道場で同門や一夏からからかわれているのを見て『情けない』。そんなことばかりだ」

 

照秋の吐きだすような言葉が、千冬に突き刺さる。

 

「僕はあなたに褒められたことなど一度もない。一夏は褒めるのに、僕は怒られるばかりだ」

 

一夏は千冬に褒められ、照秋は叱責を受ける。

それを一夏はニヤニヤと笑って見る。

どんなに頑張っても、怒られる。

どんなに結果を残しても、評価をしてくれない。

そして決定的な言葉が言われた。

 

「ある日あまりに呆れ果てたあなたは僕にこう言いました。『お前は本当に私の弟か?』と」

 

千冬は胸が締め付けられるような感覚に陥り、動悸が激しくなる。

息苦しく、呼吸が浅く、早くなる。

確かにそう思ったことはあるし、否定もしない。

だが、まさか口に出して本人に言ったとは。

全く記憶にない。

先程から照秋の口にする記憶は、千冬には全く覚えがない。

確かに照秋には厳しく教育してきた。

だが、一夏にも厳しく接してきたつもりだし、そんな差別をするような接し方はしてきていないつもり(・・・)だった。

そう、つもり(・・・)だったのだ。

 

「そうか、僕はあなたに家族と思われていないのかと納得しました。だからあんなにきつい仕打ちを受けるのかと。一夏ばかり優遇するのかと。僕が一夏から暴力を受けているのを知っていながら見ないふりをするのかと」

 

違うと言いたかった。

でも声が出ない。

一夏から暴力を受けていたことなど知らなかった……いや、薄々は気付いていたが、それでも兄弟間の問題であって姉が関わることではないただの喧嘩だと放置していたし、その程度の事だと思っていたのだ。

だが、本人から暴力と言われ、それ程過酷な事だったのかと今更驚く。

 

「一年前、僕が誘拐されたときも、犯人から言われました。『織斑千冬が言っていた。照秋なんて弟はいない』と」

 

それは違うんだ!!

確かに言ったが、決して家族と思っていないことなどない!!

千冬は震える口を動かそうとしたが、うまく動かず、声が出ない。

 

「すべてがわかりました。あなたは初めから僕の言う事を信じない、聞こうとしない。そして僕を見捨てた……ああ、そもそも家族でもなんでもないから見捨てるって言葉はおかしいですね」

 

照秋の目から涙がこぼれる。

照秋は信じてたのだ。

千冬は自分を家族だと思ってくれていると。

だから言いたくなかったのだ。

口にすれば、認めてしまう、その通りになってしまう。

だがもういい。

期待するのは止めよう。

自分の抱いていた希望は所詮夢だったのだ。

 

千冬は照秋の涙を見てやっと気づく。

私は、私たちはこんなにも照秋を傷つけてきたのかと。

私は、照秋の発していたSOSに気付かずに無視していたのかと。

私は、自分でチャンスを潰してしまったのかと。

 

「ち、違うんだ。違うんだよ照秋! そうじゃないんだ!」

 

やっと声が出たとき、もう手遅れだった。

 

「織斑先生」

 

先程より一層冷たい声に、千冬はビクッと肩を震わせる。

明らかに見えない壁が目の前にある。

”他人”という越えようのない壁が、存在する。

もう、離れてしまった関係は戻らない。

 

「もう就寝時間です。今日は疲れて寝たいので出てもらえますか」

 

「待ってくれ照秋! 話そう! すれ違ってるんだ私たちは! だから……」

 

「織斑先生」

 

必死に食い下がる千冬に、再び冷たく呼ぶ”織斑先生”という拒絶の言葉。

 

「僕たちはすれ違っていませんよ。そもそも交わってもない。そうでしょう?」

 

だって”他人”なんだから――

 

ガラガラと崩れる千冬と照秋の関係。

守るべき弟から完全な拒絶をされた。

 

自業自得

 

なんと愚かなのだろうか。

まるで道化ではないか。

今更気付く。

全て、私が間違っていたのだと。

何もかも手遅れになってから気付いてしまう。

 

放心状態となって千冬は部屋を追い出される。

そして部屋の前には厳しい視線を送る箒とマドカがいた。

 

「千冬さん、あなたが聞きたかった事とは、照秋を傷つけるための口実だったんですか」

 

箒の厳しい叱責に、盗み聞きしていたのかと怒りを込めた視線を送るが、そこにマドカが追い打ちをかける。

 

「テルの抱える悩みを知ろうとせず、自分の都合の良い事しか覚えていない。それを今更修復しようなんて考え、甘すぎて笑える」

 

言うな!

今更気付いた自分より前から気付いていたんだぞと言わんばかりの、そのあざ笑うような目で私を見るな!!

千冬はマドカに掴みかかろうと手を伸ばすが、マドカは逆にその手を掴み返し関節技を決めるように後ろに回り込む。

千冬最強伝説を知る者がこの場面を見れば信じられないだろう。

それ程あっけなく拘束された千冬は、関節の激痛に顔を歪める。

その間に、マドカは箒に部屋に入るよう顎で指示し、箒は部屋に入って行った。

痛みに顔を歪める千冬に、マドカは構わず叱責する。

 

「お前みたいな人格破綻者が子育てなんて出来るはずがないだろうが」

 

両親が突如いなくなり、姉一人で小さな弟二人を育てなければならない苦労や悩みが並みの事ではないという事は容易に想像できる。

だが、そのストレスを育てるべき弟にぶつけるなど言語道断だ。

それに、千冬は照秋と一夏の表面上しか見ていない。

一夏が照秋に対し陰で暴力を振るっていることも気づいていながら兄弟喧嘩程度だと判断し放置していた。

照秋が一人でずっと素振りをしていたことも知らなかった。

照秋が千冬にSOSを送っていたことも気付かない。

照秋の心が完全に離れていることを理解せず、納得もしていない。

そんな人間が人を育てられるはずがない。

 

「アンタは自分で修復できる道を潰したんだよ」

 

マドカは千冬を前に突き出すように腕を離す。

よろめきながらも振り向きマドカを睨む千冬に対し、見下すように笑うマドカ。

 

「これ以上テルに近付かないでくださいね。他人のお・り・む・ら・せ・ん・せ・い」

 

手をヒラヒラさせ、マドカは自分の部屋に帰った。

そしてマドカは聞こえないような声でつぶやく。

 

「あの子の姉は……私だ」

 

廊下では、千冬が一人途方に暮れ佇んでいた。

 

 

 

箒は部屋に入り、照秋を見た。

照秋はベッドの隅で膝を抱えていた。

顔は見えない。

だが、その姿は、寂しく泣いている幼子のようで。

 

「照秋」

 

箒は照秋のベッドに乗り、膝を抱える照秋を背後から優しく抱きしめた。

 

「大丈夫」

 

優しく照秋の頭をゆっくり撫でる。

 

「照秋には私がいる」

 

優しく、髪をすくように撫でる。

 

「姉さんもいるし、マドカもいる。クロエも、スコールも、オータムも。セシリアだっているし、ユーリ先生も、クラスの皆もいる」

 

抱きしめる腕に力を込める。

 

「だから、大丈夫だ」

 

照秋の頭に頬を摺り寄せる。

そして呟く。

 

大丈夫だと。

 

私たちがお前の家族だと。

 

だから、大丈夫だと。

 

照秋の体は嗚咽と共に、しばらく震えていた。


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