「お疲れ様」
ピットに帰ると、そこには満面の笑みのユーリヤと、柔らかな微笑みを浮かべるスコールがいた。
はじめての実戦という事で、照秋達の顔には疲労の色が見えた。
短い時間での戦闘だったが相当神経をすり減らしのたのだろう。
実際照秋は大量の汗を流すほど疲労していた。
無理もない、無人機ISに対してピッタリ張り付いて攻撃を繰り出していたのだから、戦闘でのプレッシャーは箒とセシリアの比ではない。
「皆すごいです~」
ユーリヤは素直に賛辞し、パチパチと手を叩く。
照秋達の戦いを見て、相当興奮しているようだ。
「あ~! あんな戦いを見たから、すごく濡れてるわ~」
うっとりとした表情で股をモジモジさせるユーリヤ。
「オイちょっとこっち来いこの痴女!」
ユーリヤはマドカに首根っこを掴まれ退場した。
「お前キャラが定まってねーんだよ! 一体どうしたいんだお前は!!」
「え~、でもこれが私だし~。川の流れに身を任せるようにが信条だし~」
「今初めて聞いたよ! なんだその信条!? うぜえ! 超うぜえよこの教師!!」
そんな言い合いをしていたマドカをユーリアを、照秋たちはスルーした。
「……まあ、人間もいろいろいるのよ」
スコールが遠い目をして言う姿に、照秋たちは「実は普段ユーリ先生と一緒にいるのって、すごい大変なことなんじゃないだろうか」と、憐憫の目を向けるのだった。
「ま、まあとにかく、よくやったわね」
ニコリと微笑みかけるスコールは、照秋の頭を撫でる。
思ってもいなかったスコールの行動に、汗をかいているためスコールに不快な思いをさせると思い、照秋は驚きつつも体を引いた。
だが、それを見越したようにスコールは照秋の腕を掴み、自分の方へ引き寄せ今度はギュッと抱きしめた。
「あーーーっ!!」
箒とセシリアが叫ぶ。
それはそうだろう、自分の想い人が他の女に抱きしめられているのだから。
スコールの豊満な胸が照秋の分厚い胸板との間で押しつぶされ、その柔らかさに心臓がドキドキと跳ねる。
そしてスコールから香水のような人工的な匂いではない良い匂いがして、頭がぼーっとしてクラクラし始める照秋。
だがスコールはそんなこと気にするそぶりを見せず、抱き寄せた照秋の後頭部を優しく撫でた。
「本当に、すごいわ。初めての戦場で、100点満点の出来よ」
スコールは照秋の耳に囁くように褒める。
耳に息がかかり照秋はぶるっと震え逃げようとしたが、スコールは照秋の背中に腕を回し逃がそうとしない。
「照秋君、君は生徒たちの、皆の命を守ったのよ」
照秋はその言葉に固まった。
「誇りなさい。あなたは素晴らしいことをしたのよ」
スコールはそう言うと抱きしめていた照秋を離し、今度は箒を抱きしめ、同じく耳元でささやくように褒めていた。
この時箒はぎゃーぎゃー悲鳴を上げていたが、スコールはそんなことお構いなしだ。
情熱的な抱擁が終わると、箒は顔を真っ赤にしてあうあうと呟いていた。
そして、スコールはセシリアを見た。
セシリアは、まさか自分も!? と身構えるが、セシリアはニコリと微笑み優しい声音で話しかける。
「どうだった? 初めての試合ではない『命を懸けた戦い』は?」
セシリアは一変して真剣な表情へと変える。
「……正直なところ、恐怖は感じませんでしたわ」
「へえ」
意外といった顔でセシリアを見るスコール。
「マドカさんが私を遠距離攻撃のみに徹底させて敵ISに近付かず、恐怖心が少なかったのが一つ」
「うん」
「もう一つは、テルさんや箒さんたちと一緒に戦うという『安心感』でしょうか」
スコールは安心感という言葉に一層笑みを深めた。
「あなたはラッキーよ」
「ええ、理解しています」
セシリアは理解している。
初めて命を懸けた戦場で、こんなにも心強い仲間と戦い、無事生き延びたという値千金の経験を得たという事に。
戦場とは、この世で一番命の価値が軽い場所である。
それは、敵にも、味方にも平等で。
今回の戦いでは、敵が命を失い、自分たちが生き残った。ただ、それだけなのだ。
それに、今回の戦いはマドカの配慮によるところも大きい。
セシリアは照秋達と一緒に訓練をやりだして日が浅い。
だから、最初照秋たちの訓練の内容の濃さに驚いた。
あんな訓練を毎日行っていたら、体もISもいつ壊れてもおかしくない。
それほど濃密で、ギリギリの訓練を、箒は半年前から、照秋などは一年前から行っているという。
今まで代表候補生だからという事で、根拠のない自信を持っていたと痛感する。
根拠が無いのだ、自分が国を守れるという根拠が。
改めて痛感する。
今回は相手が無人機だからという事を差し引いても、自分たちは人の命を簡単に摘み取る力を持っているのだと。
この世界の代表候補生、又は国家代表の中で、どれだけ戦場を経験したものがいるだろうか?
戦場では、相手は絶対防御で守られているISばかりではない。
白兵戦を行う生身の兵士もいるのだ。
そんな人間に、自分たちIS乗りは平然と銃口を向け、命を蹂躙出来るだろうか?
もし、スコールが入学式当日にクラスで言っていた『ISの戦場投入』が本当に起こったら、どれだけの人間が正気を保てるだろうか?
セシリアは自分の振るう力に今日初めて恐れを抱いた。
だが、それを手放しはしない。
それは、自分の祖国を守るための力だから。
自分の大切な人を守るための力だから。
たとえ、この手を血に濡らしても、守るために。
「わたくしたちは、この力を恐れなければならない」
でなければ、世界は混沌と化すだろう。
ISで世界を蹂躙する。
人間が、世界が壊れる。
だからこそ、ISは平和的象徴としてスポーツに留めなければならない。
この力は戦争に使ってはいけない。
絶対にだ。
「素晴らしい」
スコールは満足そうに頷いた。
そして、未だに顔を真っ赤にして固まっている照秋と箒を見てパンパンと手を叩き、正気を取り戻させる。
「さあ、あなたたちはこれから聴取と報告書提出があるんだから、シャワーを浴びて汗を流してきなさい」
そう促され、三人はピットを出ていく。
その遠くなっていく姿を見て、スコールは先ほどまで浮かべていた笑みを潜め、真剣な表情になった。
「セシリア・オルコット、あなたはいずれイギリスの国家代表として、世界に名を馳せる人間になるわ」
――そのとき、あなたは選択出来るかしら?
――世界を救うか、一人の人間を救うか――
誰にも聞かれることのない呟きは、しかしスコールの心の内を表すかのように、悲しいものだった。
夕方になり、無人機ISの侵入事件の事情聴取は無事終わった。
幸い、無人機ISが侵入した時点でアリーナ内では土埃やアリーナを覆っていたバリアの破壊によるノイズなどによって観戦していた生徒達のほとんどが無人機ISを目撃した生徒がおらず、また照秋たちが突入するまでの間に生徒達の避難誘導が完了しており事情聴取はわずかな人数でスムーズに行われた。
だが関係者、目撃者すべてに聴取したので、もちろん一夏と凰も聴取した。
そして、この事は箝口令が敷かれた。
さらに契約書にまで署名させる徹底ぶりで。
聴取を取っている間、千冬はずっと浮かない顔だった。
聴取が終わり、その後の処理も山田先生が買ってでてくれたのでその後に予定が無くなりトボトボと一人廊下を歩く。
その姿は世界最強のブリュンヒルデと呼ばれた女性のかけらもなかった。
一夏が無事生きていてくれた、怪我をすることなく帰ってきてくれた。
それはとても喜ばしい事だ。
だが、と自分に問う。
何故自分は照秋に対しあんな言葉しか言えないのか。
照秋は家族であり、一夏との命を量ったとき優劣を決めれるものではない、そんな存在だ。
なのに、何故あのとき、一夏を助けてくれと頼んだとき自分は照秋に優しい言葉をかけれなかったのだろうか?
以前の三組クラス代表決定戦の戦いを見て、咄嗟にこう思ったのではないだろうか。
『あんなに強いんだから、大丈夫だろう』と。
無事に帰ってくる人間に激励などいらないと。
千冬は廊下の壁にゴンッと頭をぶつける。
――何と言う愚か者だ、私は!
いくら強いと言っても、照秋は一夏と同い年であり、生徒だ。
そんな事が霞んでしまうほどの強さを持っていたとしても、何故労う言葉一つもかけてあげられないんだ!
何故私はいつもいつもこうなんだ!!
ゴンッゴンッと頭をぶつけ続ける千冬の肩に、ポンと手が乗せられる。
虚ろな目で振り向くと、そこには困ったように眉をハの字に歪めたスコールがいた。
「……何の用ですか、ミューゼル先生」
疲れ果てたような声で千冬はスコールを見ず俯く。
スコールはフンと鼻でため息を吐き、ニコリと笑った。
「飲みに行きましょうか、織斑先生」
スコールに連れられるままに着いた場所は、居酒屋のチェーン店だった。
この居酒屋は全個室でプライベート空間が守られており、女性でも安心して飲みに来れる。
「いらっしゃいませー!」
威勢の良い店員の掛け声が響く店内に入ると、店員に案内されるままに個室へ案内される。
掘り炬燵式の個室に入ると、上着をハンガーにかけ座る。
しばらくして店員がおしぼりを持ってきたのでそれを受け取りスコールは手馴れているように注文していく。
「この塩ちゃんこコースを飲み放題で。織斑先生、最初は生でいいかしら?」
「え? あ、ああ」
「じゃあ、いつもの『男前ジョッキ』で生二つ」
「はいよろこんでー! 男前入りまーす!」
テキパキと店員に注文するスコールを、千冬は目を点にして見ていた。
注文を取り終えると店員が部屋を出ていく。
スコールは、おしぼりを袋からとりだし、手を拭く。
あまりにも手馴れている動きに、千冬はボーっとスコールを見ていたが、ハッとして自分もおしぼりで手を拭く。
「……手馴れているのだな」
「意外かしら?」
「あ、ああ、君ほどの人間ならバーや高級レストランばかり行くと思っていたんだが……」
「まあ、そういうところはおいしいけど、肩が凝るのよね。でもここなら肩ひじ張らなくていいし、何より安いし!」
信じられる!? コースに付く飲み放題が980円よ!
これで採算取れてるのかしら……
そうブツブツ呟くスコールを、珍獣でも見つけたような目で見る千冬。
「私ってそんなに堅いイメージあるかしら?」
スコールが首を傾げる。
そこで、千冬は自分の抱いていたスコールのイメージを思い出す。
いつもニコニコしているが、副担任の『クイーンオブ天然』の異名を持つユーリヤの扱いに少々困っていて、しかし生徒には厳しく指導しつつも授業以外では気さく。
ISの腕は確かであり、教師陣の中でもトップクラス。
「……堅いというより、真面目な人だと」
「私、知り合いから快楽主義の困った奴ってよく言われるんだけどな」
「そうなのか?」
そうは見えないが、と呟く千冬。
そのとき丁度店員が飲み物を持ってきた。
それを見て千冬は驚く。
ジョッキには生ビールが入っていたが、驚くのはそこじゃない。
「なんだこのジョッキ!?」
「え、男前ジョッキですけど?」
店員が千冬に至って普通に返す。
店員が千冬とスコールの前にジョッキを置き、次に”つきだし”を置いて出ていった。
千冬の驚く男前ジョッキとは、1リットル入る巨大なジョッキだった。
そんな巨大なジョッキに付けた名前が『男前』である。
「じゃあ、乾杯しましょうか」
スコールがそう言いジョッキを持ち上げる。
千冬もつられて持ち上げるが、ずっしり重いジョッキに軽く引いた。
「……これは、何に乾杯なんだ?」
「なんでもいいじゃない。こういうのは楽しく飲む口実なんだから」
なるほど快楽主義というのは本当らしい、と千冬は思った。
苦笑し、ジョッキを傾け一気に飲む。
急性アルコール中毒になる恐れがあるので一気飲みはダメなのだが、千冬は一気に飲みたい気分だった。
とはいえ、1リットルのビールなど一気飲み出来るはずもないので、そこそこ飲んでダンっとテーブルにジョッキを置く。
ぷはあっと息を吐き、千冬はビールの苦みにのどを潤す。
泡が髭のようになって口についているが、それを指摘するのも野暮であろう。
「……何故、急に飲みに誘った?」
千冬は疲労した体でビールを飲んだことで若干アルコールの回りが早く、酔いがいつもより早く入り気持ちに余裕が出来たのだろう。
そもそも千冬とスコールは同じ一年の担任ではあるものの、あまり接点が無い。
ISの合同授業にしても、一組は二組と、三組は四組と行う。
せいぜい職員室であいさつや、授業内容の進捗状況を話し合ったりする程度だ。
プライベートで親しくする間柄ではないのだ。
それに、千冬はワールドエンブリオという会社を目の敵にしている。
それに関わっていたスコールに対しても、あまりいい感情は抱いていないのは事実だ。
「正直、見ていられなかったのよね」
「なに?」
「不器用よね、あなたって」
苦笑しつつ、スコールは個室に備え付けの店員呼び出しボタンを押す。
すると、すぐに店員が来て、スコールはビールのお代わりを注文した。
驚くことに、スコールの男前ジョッキは空だった。
「今日は特別に、あなたが知りたいことを答えてあげるわ。あ、会社の機密はダメよ」
パチリとウィンクするスコール。
知りたいこと……
千冬はその言葉を反芻し、ぽつりとつぶやいた。
「……照秋の事を……」
「照秋君? 彼かわいいわよねー。もう食べちゃいたいくらいに」
「おい!」
スコールの発言が性的に聞こえ危機感を覚えた千冬は思わず立ち上がり怒るが、スコールはそれをひらりと躱す。
「冗談よ。だって私付き合ってる人いるし」
「そうなのか」
スコールが付き合っているという情報に、こんな美人なんだから当然かという考えと、逆にスコールに釣り合う男とはどんな人間なのかという興味も湧いた。
「オータムっていうんだけど、かわいい子よ。私が褒めるだけで尻尾を振るのよ、子犬みたいに」
まあ、今は世界を飛び回っててなかなか会えないんだけどー、と呟く。
千冬は意外そうな顔でスコールを見た。
てっきり出来る男を想像していたのだが、聞いてみるとカワイイ系の男のようだ。
「あ、その子、女の子だから」
「……君はソッチなのか」
ちょっとスコールと距離を取る千冬。
だが、同時にスコールがズイッと距離を縮める。
「ソッチ
にやりと笑うスコールに、千冬は一気にイメージが変わった。
「独り身で寂しいなら
「わ、私はノーマルだ!」
「女同士も良いものよ?」
「知りたくない!」
顔を真っ赤にして拒否する千冬。
それは、酔いから来るものなのか、羞恥からくるものなのか?
案外初心なのね、とカラカラ笑うスコールに、口では勝ち目がないと悟った千冬は強引に話題を変えることにした。
「そ、そんなことより照秋の事だ!」
「ああ、照秋君? 食べちゃいたいくらいかわいいわよね、彼」
「そ、それはもういいんだ!」
やはり勝てないようだ。
「で? 照秋君の何が知りたいの? ……って聞いても、まあどうせワールドエンブリオでのことでしょうけど」
スコールがそう言うと、千冬はこくりと頷きビールをグイッと飲み干す。
スコールは呼び出しボタンを押し、ビール追加注文をしながら何から話そうか考えていた。