分けるのヘタクソさんかな?
「うぅぅぅみわぁぁぁ、ひぃぃろいぞぉぉぉっ!」
「いよっ、でっかいぞー!」
真新しい6人乗り大型車(レンタカー)の窓をおもむろに開けたかと思えば、助手席の浮世絵師が無意味にばかでっかい大声で外に向かって手を振りながら叫び、それに対し後部座席からは華やかにして絢爛たる能楽師が打ち合わせもなしに即座に呼応して合いの手を入れる。
「……運転中だ。全員殺す気か阿呆」
「身内の恥晒すな馬鹿姉!」
しかししかし、そんな自由気ままこの上ない、もう少し直接的かつ悪く言えば唐突な奇行の代償は大きかった、と言えるだろう。いきなり叫びだした両者がそれぞれ背後から飛んできた文字通り金属のように固い拳骨と隣の席から放たれた最も幼く辛辣たる能楽師の蹴りを受けてその場にうずくまり、一時車内は大人しく……は、ならなかった。脛を蹴られた能楽師の方はそれで懲りたか涙目で大人しくなったが、即座に起き上がった浮世絵師は、よほど痛かったのか後頭部をさすりながらサイバーサングラス越しに隣の座席でハンドルを握る運転手……他でもないわらわが主である人形師へと食って掛かる。
「いっ……
「……当方とこいつは一心同体、当方の怒りはこいつの怒りだ。殴られたということは、それだけこいつを怒らせたのだろう」
「糸引っ張ったのはお前だろうが!」
わあわあと騒ぐ浮世絵師には運転中ということもあってか一瞥もくれず、返答代わりに主がかすかに右手の薬指、そして左手の小指をピクリと震わせる。ただそれだけの動きが申し訳ないと思いつつも後部座席から浮世絵師へと拳を振るったままの姿勢で硬直していたわらわの体の歯車へ、関節へと再度息を吹き込み、かすかな動きとその振動は巧みに連鎖してより大きな動きとなり、まさに生命が宿っているかのように―――――いや、実際わらわという自我がここにある以上それをように、と形容するのもいささか妙な話ではあるが―――――ともかくわらわの自力ではいまだ指一つ動かせぬこの絡繰り仕掛けの身体が滑らかに動き出し、元の席へと座りなおす姿勢をとった。
それにしても浮世絵師が真っ先に助手席に乗り込んだ瞬間物も言わずにわらわをその真後ろの座席に乗せた時にははてさて主もどうした気まぐれかと訝しんだが、もしや最初からこの男が何かしらの奇行を起こすことを想定したうえで、その場合最初からこうするつもりでこの位置取りを決めたのだろうか。だとすればそれはさすがの付き合いの長さである、と称してしまって良いものであるかどうか。ともあれそうこうしているうちに行儀良く手を膝に乗せた状態で座らされ、いささか憐憫の意味合いを乗せた視線を送るわらわの視界にも、真正面に広がる浮世絵師と能楽師の興奮の源……青空の下に広がる大海が堤防越しに入ってきた。
そうして主が日頃わらわの人形繰りで鍛えられた見事なハンドル捌きで堤防と平行になるよう車を横止めすると、車内の馬鹿騒ぎには我関せずを決め込んでいた雅楽師が、まるで本日の海面のように穏やかに凪いだ調子で口を開く。
「到着しましたね。では、くれぐれも海に落ちたりしないように。よろしいですね、皆さん?」
「応!なーにこの俺に任せとけ、今夜はマグロとカツオの踊り食いだ!」
真っ先に答えた浮世絵師が、一体どこに隠し持っていたのか巨大な棒を抱えて外へと飛び出していく。最初はわらわもかの男が愛用する仕事道具、伝統画材ギガイタチ……ものの本によると、もはやその名の由来が通常種のイタチに比べあまりに巨大な事から名付けられたのか、はたまた古くから戯画に使われてきたことからそう呼ばれているのかを知る者はもはやいないとされるほどに絵筆とは切っても切れない関係にある生物の毛が使われた、人っ子一人ほどの丈があるあまりにも巨大なそのサイバー絵筆を持ってきたのかと思ったが、よくよく見れば否であった。
浮世絵師が本日その手のうちに自慢げに抱えていたのは、釣り竿。それもサイバー絵筆と見紛う程の、一体どのような釣具屋に行けば手に入るのかも定かではないような超巨大な釣り竿をどどどどどっと助走をつけて堤防の端から振り回すと、呆れるほどに高い高い放物線を描いて飛んでいったその先端が呆れるほどに遠くの海面にざんぶ、と勢いよくしぶきを上げて潜り込む。
「……土木工事は他所でやって、娑楽斎」
さしもの浮世絵師といえども、さすがにそのサイズを片手で制御することは難しいのか。両手を使い逞しい二の腕に盛り上がった筋肉をうっすら浮かべ、その竿とも言い難いような馬鹿げた代物を抑え込みながらも、こちらを振り返ってどうだ!と言わんばかりの笑顔を見せるその背中に、黙ってそれを見ていた舞に愛されし幽玄たる能楽師のそれはそれは冷めた一言とじっとりとした視線が突き刺さる。
「そもそもこのあたりの海、マグロもカツオも出ないんですけどねえ」
呆れたように嘆息しつつこれまたバッサリと切り捨てた雅楽師が、それでは私も、と続いて車を降りる。時折油をさせばそれで特に不自由しないわらわのこの身体と違い、人の身は毎日飯を食わねば力が出ない。本日ここまでわらわたちを乗せてきたレンタカー、それにあの何をするにも派手好きな浮世絵師の釣竿とそれなりに痛い思わぬ出費が続いた今、ここで時間切れまでに母なる海の慈悲に縋って食卓に並べられるようなものをいかに用意できるかで、しばらくの主たちの食卓の彩りは大きく左右される。
細い目の奥にそれなりに強い意志の光を宿して魚籠だけ背負った手ぶらの雅楽師が向かったのは、海とは反対側に位置するここら一帯の防風林を兼ねた竹林。しばらくがさごそとその中を物色し、ややあって戻ってきたその手にはちょうど一般的な釣竿ほどの大きさで切り落とされた一本の竹があった。淀みない手つきで枝葉を落とし、先端に糸……それも釣り糸ではなく、日頃雅楽師が愛用している琴や三味線の弦と同じものを括り付け、さらにその糸の先端にはどこからともなく取り出した、よく使い込まれた疑似餌を結びつける。幾度か感触を確かめひとり頷いた雅楽師が浮世絵師からやや離れた位置にひょい、とその竿を投げ、一曲奏でるかの如く垂らした糸の根元を爪弾きわずかに揺らす。ただそれだけで竿を持ち上げると、恐るべきことにその先端には小さいが形のいいイワシが疑似餌に食らいついてぶら下がっていた。手早く外したそれを魚籠に入れて再び糸を垂らしてほんのわずかに爪弾くと、また持ち上げた竿の先にはイワシが一匹。
そしてこれが、わらわも久々に見る釣りに対し天性の才を持つ雅楽師の得意技である。それも難儀なことに、普通の釣り竿ではこうはいかないのだという。曰く、重要なのはいかにして疑似餌を生き餌のように水中の魚に見せかけるかであり、その細かい調整は釣り糸ではなくこの使い慣れた弦でなければやり難いのだという。
「どおおおおうりゃあああ!」
一方で反対側に目線を向ければアタリが無いと見るやあの糸を巻くにも難儀するほどに巨大な竿を早々に引き上げ、先ほど能楽師に土木工事なる感想を貰った遠投を無意味に大きな声で叫びながらも毎回助走付きで繰り返す浮世絵師。こちらを動とするならば、竿ですらない間に合わせの一品を最小限の動きでひょいひょいと止まることなく釣り上げ続ける雅楽師は静、といったところだろうか。対の釣り方と言えば聞こえはいいが、いまだ浮世絵師側にはその威勢のよさとは真逆に魚どころか海藻の切れっぱしすらかかっていないためご丁寧にその釣果まで正反対である。
「どうやら、ちょうどこの堤防に沿って回遊が来ているようですね。今なら釣りやすいと思いますよ」
あれよあれよという間に早くも二桁の大台に乗り出したイワシを疑似餌の先にある針から取り外しながら、その細い目つきで堤防下の水面をぐるり見渡した雅楽師がそう結論付ける。それを聞いてとてとてとその隣、堤防に直接腰を下ろしたのが、舞に愛されし幽玄たる能楽師だ。通常のものより二回りほど小ぶりな釣り竿を真下に落とすとその水面ではなく遥か向こう、水平線の彼方を目を細めて見つめ、表情の変化に乏しい端正な顔立ちを幾分気持ちよさそうに和ませる。
彼女の釣りに対する姿勢は、わらわの見立てによるとそもそもやる気自体がさほどない。自分たちの食卓の今後がかかっているが故に手を抜きこそはしないものの、かといって一匹でも多く釣り上げる為に積極的に何かをするということもしない。ただ座って全身に海風を浴びてベージュ色の髪をそよがせ、太陽の光を浴びてのんびりぬくぬくしていられればそれでいいと思っている節がある。しかしそんな無欲な姿勢がかえっていい作用をもたらしているのか何もせずとも時折思い出したように竿がしなりだし、ふと持ち上げるとそこにはきっちりと魚がかかっていたりする。
ではこの集団において浮世絵師の次に騒がしい能楽師の長姉、華やかにして絢爛たる能楽師はどうだろうか。結論から言えば、彼女は釣りを行わない。もともと一つ所にじっとしていられない性分の能楽師には、腰を落ち着けての釣りはあまりにも向いていなかったのだ。しかし、ではこういう時にはやることがないのかと問われるとそんなこともなく。人懐っこい能楽師ならではの特異な才能は、間違いなくこの場において存分に活かされるものだった。そして今日も先ほどまでその才能を発揮するためこの場を離れていた彼女が、折よく戦果を引き連れて帰ってくる。
「はーい皆さん、こっちですよー……それっ!ワゴンさーん、連れてきましたよーっ!」
細い堤防の上でその体幹の強さと並外れたバランス感覚でぴょんぴょんと器用に飛び跳ね、どこか引率の先生やガイドを思わせる口調で溌溂とした笑みを浮かべてぶんぶんと手を振る能楽師。その手の中にはよく見れば、ここに来る前に寄った釣具屋のマークが入ったビニール袋が握られていた。そうして堤防上をひょいひょいと歩きながら時折海の方を向いては袋の中身を軽くばらまき、時に素早く時にゆっくりと緩急織り交ぜながら舞い踊るように近寄り、最終的に腰掛ける妹の所まで来たらひょいと身軽に堤防から陸地側へと飛び降りる。
「そのようですね。食いつきが変わりましたよ」
「おねえちゃんが戻ってくると、のんびりできなくなる」
「ふふーん、そうでしょうそうでしょう」
雅楽師と妹の言葉を受けて自慢げに笑う能楽師だが、実際彼らの言葉に嘘はない。能楽師がこの場所に戻ってきた途端、明らかに眼下の魚の量と食いつきが増えたのだ。
そしてそれは無論、偶然ではない。この能楽師は先ほどまで堤防上を駆けては餌を撒き、そのペースと位置を微調整する事で周辺一帯の魚を彼女のもとへとかき集め、しかもその後も巧みな誘導によりその魚群を維持したまま付き従えてここまで戻ってきたのだ。わらわの知るところによると釣り用語には、コマセ、という単語がある。簡単に言えば、魚をおびき寄せるために針も糸もなく単体でばら撒く餌のことだ。しかしそれは、あくまでその場にとどまる釣り人が手の届く範囲の魚に対して行うアプローチに過ぎない。一つの魚群を疑似的に作り、しかもそれを意のままの方向に動かす……そんな真似ができるのは、この能楽師くらいのものだろう。名もなき雑魚も多分に交じっている為タイやヒラメの舞い踊り、と呼ぶには少々魚の格が落ちはするが、それでも似たようなことは可能であると本人は豪語する。
もっともいくらその特技を自慢したところで彼女の下の妹、つまり最も幼く辛辣な能楽師に言わせれば、「おねえちゃんは頭のおめでたさが魚と同レベルだから仲間だと思って寄って来るんじゃないか?乙姫どころかいいとこボス魚だな」と切って捨てられるのがオチなのだが。
「じゃあ私は餌がなくなっちゃったから、こっちの子たち捌きはじめてるからね。いよっ、フレフレ頑張れ釣りリーダーたち!」
そう言って日頃の演目で使い慣れた薙刀……ではなく包丁に得物を持ち替え、雅楽師たちの山盛りの釣果を見て目を輝かせる。その向こう側の浮世絵師が相も変わらず威勢よく、しかしよくよく聞けばその声の張りは一投目に比べ溜まり続ける疲労のせいかやや失われつつあり、相も変わらずビニールゴミすら入っていない魚籠を背負ってどどどどどっと駆けていく様子も一瞥したが、わずかに逡巡したものの結局そちらは見なかったふりをすることにしたようだ。どうせ何か言ったところで聞き入れやしない、というのもあるだろうが。
少なくとも、最後に景気よくかけていった応援の言葉である釣りリーダーたち、という称号の中に浮世絵師が入っていないことは間違いないだろう。
ではそうやって釣り部隊がわあわあと各自好きにしている間、最も幼く辛辣たる能楽師とわらわの主、そしてわらわ自身がどうしていたかというと。これまた結論から言えば、その時わらわたちはあれらの騒ぎからは離れたところにいた。正確には能楽師がそうしたがっていたので、主とついでにわらわがその付き添いを買って出た形である。
「……」
そして、その能楽師は。堤防の上で胡坐をかき、どっしりと海を前にして座り込んだきり真剣な眼差しで海面を見て動こうともしなかった。それ自体は見守る主も、そしてさらにそれを見ているわらわも心配はしない。わらわ自身が知るサンプルがそもそも主をはじめとしたこの混成集団、P.U.N.K.の連中くらいしか存在しないためそれが一般的なことなのかどうかは皆目見当もつかないが、少なくともわらわの知る芸術家にはよくあることだ。
体を動かすことも忘れ考えを巡らし、まだ形の淡いインスピレーションをくっきりとしたものに開眼させようとする過程。この壁を越えてしまえば、一皮剝ける。何かが起こる。浄瑠璃が
分野こそ違えど同じ芸術に身を捧ぐ者として、主とて無論それを邪魔するなどという気は毛頭ない。が、それとは別に見守り続けるその視線の先には懸念するところもあったようだ。しばらくそわそわとしていたが結局我慢できなかったのか、さすがに顔こそ隠してはいないものの今日もこの場に着てきていた黒子衣装の上着をおもむろに脱ぐ。そのまま集中しきっている能楽師へと近付くと、その背中にパサリと被せたのだ。
「っ!?な、ななな何だよ!?」
案の定主の接近にもまるで気が付いていなかったらしく、後ろから見てもわかりやすく飛び上がらんばかりに驚愕して振り返る能楽師。珍しく年齢相応の顔を見せた少女に、主が親指でくいと天を指差してみせる。
「……今日は日差しが強い、浴びすぎると日に焼ける。下手な焼け方をすると、セッションまでに元に戻らなくなる。当方のものだからサイズは合わないだろうが、せっかく武器になる白い肌なのだから守っておくことだ」
「あ、ありがとう……」
いまだ衝撃覚めやらぬのか、呆然としたように礼を言ってらしくもなく素直に大人しく被せられた黒子衣装の上を羽織る能楽師。
日焼け、か。言われてみればわらわも、この場所に来てからずっと日陰の位置に立て掛けられている。当然わらわ自身は暑さ寒さを感じる体ではないが、勝手に変質する木製部分や金属のわずかな変化も、よりスムーズな人形繰りの為には抑えたいのだろう。おそらく今日も帰ったら帰ったで、浴び続けた潮風による影響を取り除くための常時より入念なメンテナンスが始まることは想像に難くない。わらわの主は口下手でこそあるが……いや、これは比較対象があの浮世絵師や華やかにして絢爛たる能楽師だからだろうか?いやいやいや、それを抜きにしても無口な方だとは思う。ともかく、それを補って余りあるほどによく気が利くし、何かと他者に気を配る事の出来る御人である。今回のこれも、まさにそうした主の美徳が表に出た結果だろう。いやはや、こういうものを人間の間では確か後方理解者面、と称するのだったろうか。
暇にかまけてそんな詮無き思索を巡らせている間も、能楽師はなぜか石像のように固まったままだった。ただ気にかかるのは先ほどまでのように、海原を親の仇のごとく睨みつけているだけではない。ようやくその華奢な体が動いたかと思えば着せられた主の黒子衣装を見下ろし、次いで主が指差した快晴の空をさっと見上げ、またしばらく固まったのちに今一度背後の海を振り返る。
と、そこで折よく凪いだ海に動きがあった。動きといっても、大したものではない。風にあおられふわり生まれたごく小さな波が、わずかな音を立てて堤防とじゃれ合うようにぶつかり合ったのだ。しかしそんなともすれば聞き逃してしまいそうな波音を聞いた瞬間に、能楽師の中では確かに何かが壊れたらしい。
「これだ……!」
喜色満面破顔一笑、普段はよほど見せない程にパアッとわかりやすく表情を綻ばせ、やおらメモ帳を取り出すと凄い勢いで何事かを書き殴り始める。その小さな肩の向こうから、ちらり覗いた最初の一文。記念すべき演目名となるべき題名は……。
絢爛にして混沌、先端にして混迷。ネオンサインが、サーチライトが眩いほどに踊り狂い、興奮の坩堝の最奥からは刹那の狂乱に身を任せた、そしてなぜだかどこか疲れたようにも聞こえる喧騒が、しかしそれでも昼夜を問わず絶え間ない。ここは、PONTシティ。この地に職を定め光と音の喧騒を乗りこなす都会人に、噂の眠らない摩天楼を一目見に来たのであろう観光客。護衛を引き連れ尊大に歩くのは、この街の生み出す美味い汁を吸う政治家か。老いも若きも男も女も、道行く人影だけでも百人百様のバラエティに富み、その全てを包括する大都会。
そう、この街は来るもの全てを最終的には受け入れる。例えそれが先天的にせよ後天的にせよ、常人には決して届かず手を伸ばすことすら許されない異能を持つに至った者……サイキッカーであろうとも。あまりにも早い時の流れによっていつしか人々の記憶からは忘れ去られ、年々様々な理由から一方的に減りゆく残存する資料と共に、確かにそこにあった証すら消え去ろうとしていた伝統技能であろうとも。もっとも、それにはこの街の産み出す爆発的な時代のうねりに逆に呑み込まれず、自分を貫くことができた者のみがという条件こそあるのだが。
この街はあらゆるものを受け入れるが、流れに付いていけない落伍者を救い上げるほどに優しくも甘くもない。しかしこの街で生き残ることができるのならば、その生き様は決して否定一辺倒では終わらせない。それが心地いいというものもいれば、残酷だと眉顰める者もいる。
そして生けたるその証拠がほら、今宵もどこからともなくこの街に表れた。とん、とんと車道の真ん中を琵琶弾き鳴らし涼しげな顔で練り歩くかの改造された和装が目を引く男が現れると、道行く車は皆一斉にピタリその足を止めた。極彩色の光の渦に照らされての演奏はともすればこの街の喧騒に呑み込まれてしまいそうなものだが、その男の存在に気が付いた人々は、皆一斉に押し黙っていく。
否、口をつぐんだだけではない。その男に気付き最初に車を止めたドライバーは、特等席を拾った思わぬ幸運にごくり固唾を吞んで。偶然近くのビルの学習塾で退屈な授業にぼんやり窓の外を横目で眺めていた学生は、耳を傾けるふりを続ける事すら放り出し窓に嚙り付かんばかりの勢いで期待に満ちて。道の端から足を止めた眼鏡の真面目そうなOLは、この街でもそうはない最推しとの遭遇に恋焦がれる視線を送りながら、その姿写真に収めようと自らの鞄を慌てて手探りに漁りだし。
この後何が起こるのかを、この町に住む人間は皆知っているのだ。いつからかこの街にすっかり馴染んだそれが起こるのを、ずっと心待ちにしていたのだ。
「パ……」
誰かが気を利かせて、ここら一帯を流れる音楽や広告の音量を落としたらしい。年中活気に満ち溢れたこの街では珍しいほどにしんと静まりただ男の琵琶の音と遠くの喧騒がかすかに聞こえるその中で、信じられないというような震え声で誰かがその名を口にした。その男の名ではない。その男が属する、その集団の名を。
「P.U.N.K.だあっっ!」
その歓喜に満ちた叫びに呼応するかの如く、男の演奏の質が急激に変化した。伝統の重みによって裏打ちされたしっとりとした雅なものから、大幅にテンポを上げて強烈にして痛烈なアレンジを利かせた刺激的なもの、彼自身の音楽へ。よくよく見れば男の背後にはいつしか男自身が手にする琵琶のほかにも小太鼓、琴、横笛など様々な和楽器が吊る糸もなしにふわふわと浮かんでおり、しかもその全てがまるで見えない演奏者がいるかの如くひとりでに動いている。
その百鬼夜行の先頭に立つ人影はたったひとつでありながら、背後に引き連れるはオーケストラもかくやとばかりの超多重セッション。男……P.U.N.K.の雅楽師、ワゴンの最も得意とするサイキック。テレキネシスを駆使しての超精密動作のなせる業である。
次第にビートを上げていくアップテンポな音楽に導かれて歓声を上げる人々の頭の上を、おもむろに影が横切った。ビルの間を間を跳び渡り、身軽で滑らかで……しかし同時に人間にはおおよそ不可能な動きで、演奏するワゴンの前にすたり着地したのはこれまた和装に白塗りの女。そして、それに追従して密やかに目立たず物陰に降り立ち夜の闇に溶ける黒子衣装。黒子がすい、と腕を伸ばし残像すらも見えかねないほどに正確無比な素早さでその指先を揺らめかせると、それが生命を吹き込んだかのように女がゆらゆらと舞い踊りだす。人間よりも人間らしい、しかし人の身には成しえない緻密かつ物理法則を無視したような動きに圧倒される観衆の前で、おもむろに踊りをやめた女がその顔を袖で隠す。一拍の溜めののち再び露になったその顔は、つい先ほどまで見せていた白塗り顔におちょぼ口、小さな目はどこへやら。その目も口もまあるくまあるく開かれて……否、それは女の顔ではない。女の顔がパカリと開き、その内側に目も口もパッチリ開いた顔の絵が描かれていたのだ。
顔が開いた?その内側に顔の絵?そう、この女は生身の存在ではない。その後ろに影のごとく控え、今もなお正確無比な指捌きで両手両足から伸ばす無数の念力の糸を適切に操作する黒子の手によって動かされる絡繰り仕掛けの存在だ。P.U.N.K.の誇る人形浄瑠璃師とその最高傑作、ふたりでひとつの
「さあさ御用とお急ぎでない、それと警察のお方でも目こぼし下さるのでしたら是非にお立合い」
演奏のボリュームをやや落とし、ぐるりあたりを見渡して周辺の耳目が残さずこちらに向いている頃合いを見計らったワゴンがやおら口上を述べる。
「お集りの皆々様に一言申し上げますと、今宵のセッションの主役は我らではございません……」
そう断りを入れた時の反応は、まさに真っ二つに割れた。ひとつは先ほど彼の演奏を視認した眼鏡のOLのような雅楽師や人形師のファンによる、推しを前面に打ち出した演目ではない事に対するかすかな失望。そしてもうひとつが今なおこの場に姿を見せていない、浮世絵師や能楽師のファンによる一気に膨らんだ期待。
「ですが言葉は野暮でしょう、よってこれより私の語るはあくまでただの道標。こちらの彼女が示す光の先、何が起きるかゆめゆめお忘れなきように……」
意味深な言葉を残した刹那、タイミングを見計らった黒子がくい、と糸を引く。すると何たる摩訶不思議な機構によるものか、人形の開いた顔が眩いばかりのオレンジの光を放ち始めた。もし直視すれば目を傷めるほどの光量は人形の頭部をさながらサーチライトに変換したように感じるほどで、事実そこから放たれた光の道は夜の街をまっすぐに切り裂いてその顔が向いた上に飛び、近くのビルの屋上をくっきりと照らし出す。
「……」
その中心にいつの間にやらいたのはまだ幼い、剣呑な目つきの整った顔立ちにかすかな緊張の色を滲ませ、それでも堂々仁王立ちする一人の少女。
「セアミンちゃん……?」
「いや、ディアちゃんの方かも……」
その顔立ちは紛れもなく彼らの一員、男性人気も極めて高い通称セアミンズ、P.U.N.K.の美少女能楽姉妹。だが、ざわめく観衆の声には皆今一つ自信が無い。ただでさえ彼女ら二人は二卵性双生児、その顔立ちは瓜二つ。非公式ファンクラブの人数は結成以来右肩上がりに膨らめども実際その区別を、特にその演目中のトランス状態下で完璧に付けられるような者は皆無。だがしかし、それを差し引いて考えても、あそこにいるのは誰だろう。理論的に考えればそのどちらかであるはずなのだが、彼女たちのどちらとも類似しているようで、それでもやはりどこか違う気もする。
「やい、お前ら!」
困惑交じりに固唾を吞んで見上げる視線に晒されて、すうと息を吸った少女がキッと下々を睨みつけ声を張る。彼らは無論知る由もないが、高いビルの上から張り上げた声が苦も無く眼下の観客に届くのもまたサイキッカーとしての異能の力によるものである。人の鼓膜ではなく脳内に直接声や演奏を叩きこむ、高い感受性を持った能楽姉妹が得意とするテレパス能力の応用だ。
「ずうっと黙って見ていてやりゃあ、大の大人が雁首揃えて人の姉たちに向かって鼻の下伸ばしやがって……セッション終わったら壁に手ぇ付いてその場で並んで正座して反省してな、恥ずかしいったらありゃしねえ!」
元々無口で表情の変化に乏しい、言い方を変えればクール系のセアミンに、いつもニコニコ華やかで亊あるごとにファンサにも余念がないディア。そんな彼女らと酷似した顔から突然放たれた、これまでのセアミンズならば間違っても口にしないであろう毒気の籠った罵倒に呆気にとられたように、一瞬辺りはしんと静まり返り……その沈黙の余波も消えないうちに、一転爆発的な歓声が巻き起こった。ありがとうございます助かります、そう叫びだす輩まで出てくる始末で、これには少女もやや引き気味の目線を送り、しかしそれがかえって余計に歓声を爆発させる。
それはきっかけや思惑はどうあれ、セアミンズ第三のメンバーが観客に受け入れられた、その最初の瞬間であった。後日、彼女はその姉たち譲りの整った容姿と姉たちよりも一回り小さな体躯に似合わぬ歯に衣着せない辛辣な物言いと持ち前の頭の回転の早さを最大の差別点に、デビューの遅れという姉たちとのハンデをものともせずにセアミンズ内での姉妹間人気は綺麗に三分割されることになるのだが……それはまたもう少し未来の話であり、視点を此度のセッションへ戻そう。
「……ええい、もういい!始めるぞ、お前ら!」
このままでは埒が明かぬと踏んだのか、さっと気持ちを切り替えた能楽師が人形の放つ光に照らされて宙に舞い、大都会の絢爛へとさっとその身を躍らせる。そのあまりに素早く迷いがない身投げっぷりに、これには少々怪しい興奮に沸き立っていた一部の観客も思わず小さく悲鳴を漏らした。彼女が立っていたビルはここら一帯では比較的背の低いほうではあるが、それでも備えもなしに落下すれば人っ子一人程度見るも無残な肉片と成り果てるには十分な高さ。
だが無論、それが無策なはずがない。飛び降りたその足に履いた高下駄が、確かに何かを踏みしめた音をビルの谷間に響かせる。何もなかったはずの空中、能楽師のいたビルから大通りを挟んで向かいのもう一つ高いビルの屋上を繋ぐように無数の青い線が走り、そのうち一本に空中でくるり一回転し、見事なバランス感覚で飛び乗ったのだ。そうしている間にも青の線はその濃淡を変えながら複雑に絡み、重なり、時に打ち消し合いながらみるみる数を増していき、それが恐ろしく巨大な絵だと誰かが気が付いた時には既に、臨場感たっぷりの大河が彼らの頭上をごうごうと流れていた。
そう、それはただの絵ではない。時おり流れに逆らい泳ぐ鯉の背の鱗がちらりちらりとネオンサインの光を反射し、絶えずうねり、逆巻き、全てを押し流さんと頭上を荒れ狂う激流。立体的に浮かび上がり、世界を動く巨大な絵……そんな読んで字のごとくに『浮世絵』の制作者が、満を持してこの即席の急流の中腹から顔を見せた。筋骨隆々の逞しい体躯にV字型のサングラス、人ひとりほどの大きさを誇るサイバー絵筆。大胆な水色に染められた髪をつんと逆立たせ豪快に笑う浮世絵師、人呼んで娑楽斎。
またも湧き上がる感嘆交じりの歓声に手を振って応え、しかし今宵の主役が自分でないことを心得る浮世絵師は派手好きの彼には珍しく、またしてもひょいと自らの絵の中に引っ込んだ。眼下の車道でワゴン率いる百鬼夜行のオーケストラが繰り広げる、そのクライマックスに向けて次第に盛り上がりを増していく曲を伴奏に、頭上では能楽師が生まれたばかりの激流を、流れに逆らい上へ上へと舞い踊りながら跳び渡っていく。その表情はいつしか姉たちが演目中のピークに見せるトランス状態のそれへと近付いていき、この能楽師の小さな体に秘められた才が彼女らと比べてもなんら遜色のないことを伺わせる。
「ああっ!」
頃合いを見計らった人形師が糸をわずかに引くとそこは人にはできない動きを可能とする絡繰り仕掛けの本領か、首から下だけは雅楽に合わせ踊りながらもその見つめる頭の向きだけはずっと固定していた人形が、ここに来てとうとうすい、と頭の向きを変えた。必然その顔面の照らす先もその方向、能楽師が目指す上流の先。すなわち向かいのビルの屋上へと変化し、釣られてそちらに目を向けた観客の誰かが今日何度目かもわからぬ驚きの声を発する。
末の妹が向かう先にいつしか待ち構えていたのは、今度こそ彼らのよく知る能楽姉妹。人形の光に照らされたことを合図にゆっくりと舞い始めた彼女らは、しかしそのどちらも前を向いていない。姉妹が背中合わせに息を合わせて舞うその中央には、露骨な空白がぽっかりと空いている。そして、ここに来てその意味も分からぬPONTの住民ではない。今宵の趣向に気が付いた観客の目線がひとつまたひとつと、今まさにその場へ向かうもう一人の能楽師へと再び集まっていく。
「いいかお前ら、遠からん者は音に聞け!近くば寄って目にも見よ!」
そしてその渦中の人物、ひらりひらりと飛び渡り続けとうとう目指すビルまで数メートルを切った今宵の主役の能楽師がくるりくるりとその場で優美に回転し、激流の動きを巧みにいなしてみせながらも言い放つ。
「これが、これが私の……私の……!」
ぐ、と膝に力を込め、渾身の力で解き放たれた小さな能楽師の身体が跳んだ。激流渡り最後の数メートルを高く高く跳んでの大ジャンプで一気に距離を詰め、完璧な姿勢制御で着地を狙うは姉たちが待つその中央、空いていた演目の主役の位置。そしてそれを待っていたかのように、いくつもの極彩色の閃光が迸る。姿を隠して浮世絵師がひそかに描き進めていたもうひとつの浮世絵、無数の花火が同時に中空を彩ったのだ。
光の中を降り立って見事着地の衝撃を膝で吸収しポーズを決めると同時に、背後の姉たちもまたそれまでのゆったりとした舞からは打って変わった素早い動きで、背中合わせのままお互い確認もせずに完璧に合わせて同時に跳びあがり、この姉妹揃っての初の演目の始まりを告げる。無数の光に照らされる中で、能楽師はその演目名を大きく大きく夜空に叫んだ。
「ライジング・スケェェェーールッ!!」
街そのものを揺るがすかのようにすら感じられるほどの今夜一番の歓声が、その魂の叫びに答える。眠らない街の眠らない夜のセッションは、まだまだこれからが本番だった。
おまけ
釣りの日の夜の娑楽斎
「ほれ、とりあえずシンプルに天ぷらにしてみたぞ」
次の日
「今日はイワシのつみれ汁だぞー」
その次の日
「今日はイワシ入りトマトソースのスパゲティだ」
そのまた次の日
「ちょいと味付けて梅干しと一緒に煮込んだんだ、よしよししっかり染みてんな」
そのまたさらに次の日
「サバカレーがあるならイワシカレーがあっても文句ないよな?」
……何気に料理上手い枠の男。仕事柄鍛えられた色彩的センスもさることながら、停滞を好まない性格がいい方向に作用してあっちこっち手を出す上にどれもきっちりものにするため、和洋中は言うに及ばずレパートリーがやったら広い。なので同じ食材が続く時は大体食事当番を優先で回される。もっとも今回に関しては最後まで何一つ釣り上げられず何の役にも立っていなかったので、その責任を取らされている面もある。