約束の時間より少し早く、赤松と青山は店に到着した。個室を予約していたが、まだ誰も来ていない。落ち着かない気持ちを紛らわすように、赤松は水の入ったグラスを揺らした。
「……お前が緊張してどうするんだよ。」
青山が小さく笑いながら言う。
「別に緊張してねぇよ。」
「顔に出てる。」
軽口を叩き合うが、二人とも気は張っていた。山崎の死の直前に会っていた高橋。そのことを問い詰めるつもりだったが、下手に刺激をすれば警戒されるかもしれない。どんな話の流れになるかは、蓋を開けてみなければわからない。
と、その時。
「久しぶり。」
ドアが開き、高橋が姿を見せた。黒のシンプルなワンピースに、小さなバッグを肩にかけている。派手さはないが、妙に落ち着いた雰囲気をまとっていた。
「ごめんね、少し遅れた?」
「いや、俺たちが早く着いただけだ。」
赤松が答えると、高橋はふっと微笑み、席に着いた。何気ない動作のひとつひとつが洗練されている。以前、会社の食堂で見かけた時とは違う印象だった。
「それで、話って?」
メニューも見ずに、高橋はまっすぐに青山を見た。
「単刀直入に聞く。山崎と最後に会ったのはいつだ?」
青山は探るような口調で問いかけた。
高橋は微かに目を細め、ゆっくりと口を開く。
「……亡くなる前日。」
「どこで?」
「会社の近くのカフェ。向こうから連絡があったの。」
「何の用件だった?」
「……借金のこと。」
言葉を選ぶようにして、高橋は答えた。
「『どうしても助けてほしい』って。でも、私にはどうすることもできなかった。」
「その後、山崎は?」
「カフェを出て、すぐに別れたわ。」
高橋の言葉は矛盾がなく、自然だった。だが、赤松はどこか腑に落ちないものを感じていた。
「……お前、本当にそれだけか?」
思わず赤松が問いただすと、高橋は一瞬、表情を曇らせた。
「……どういう意味?」
「お前、山崎のことをずっと気にかけてたよな?本当に何も知らないのか?」
高橋は一瞬だけ視線を逸らした。だが、すぐに赤松の目をまっすぐに見据え、静かに息を吐いた。
「……私が知ってるのはここまで。信じるかどうかはあなたたち次第。」
そう言った高橋の目には、どこか挑むような光が宿っていた。
赤松と青山は無言で顔を見合わせた。
――こいつ、何か隠している。
青山は素っ気ない口調で言った。
「そっか。最近、なんかお前、少し様子が変じゃないか?」
高橋はその言葉を受けて、少しだけ目を細めた。
「変?」
「うん。何か、他のこと考えてるみたいな感じ。特に、山崎が亡くなった後。」
高橋は少し黙ってから、視線を落としながら答えた。「……うーん、どうだろうね。でも、何かが変わったことは確か。」
赤松はその言葉にピンと来た。だが、今はあまり踏み込まない方がいいと思い、言葉を選んだ。
「……山崎、何か変わってたよな。あいつ、最近までギャンブルやるタイプじゃなかっただろ?」
高橋は少し微笑み、顔を上げた。
「そうだね。山崎がギャンブルをしてたなんて、誰も想像もしなかった。でも、何かに追い詰められてたんだろうね。」
その言葉に、赤松と青山は微かに違和感を覚えた。山崎がギャンブルをしていたこと自体が信じられないし、彼が追い詰められるようなことがあったとは考えにくい。
青山が思わず口を開いた。
「でも、山崎がギャンブルを始めた原因は何だったんだ?」
高橋は少し考え込みながら、眉を寄せた。
「……わからない。けど、何か変わったんだよ、明らかに。あの人は、以前と違ってまるで夢遊病者のような感じがしてた。」
その言葉に、赤松はふと何かを感じ取った。山崎が「夢遊病者のような感じ」とは一体どういう意味だ?
だが、赤松も青山も、これ以上踏み込むわけにはいかなかった。高橋が何を知っているのか、まだわからないからだ。
「それって……どういう意味?」と青山が慎重に問いかける。
高橋はゆっくりとグラスを持ち、言葉を選ぶようにしてから答えた。
「あまり言いたくないけど、もしこれ以上問題を掘り返しても、君たちの身にも危険が及ぶかもしれないよ。」
その言葉に、赤松は内心で警戒心を強めた。青山も同じ気持ちだったが、冷静さを保ちながらも、どこかで高橋が何かを知っているのだという確信を抱きつつあった。
赤松は少し間を置いてから言った。
「高橋、俺たちに何か隠してるだろ?」
その言葉に、高橋は微かに息を呑んだ。しかし、すぐにその表情は落ち着きを取り戻し、少しだけ笑みを浮かべる。
「隠してるわけじゃない。ただ、君たちにはまだ話す時じゃないんだよ。」
赤松と青山はその言葉にただじっと耳を傾ける。高橋の言動に、何か深い意味が隠されていることを感じ取っていた。
その時、赤松はふと思った。
「高橋、もしかして、俺たちのことをずっと見てるんじゃないか?」
高橋の顔に微かな動揺が見えた。しかし、その表情はすぐに引き締まり、どこか冷徹なものが感じられた。
「君たちがどう思おうと、私は関係ない。ただ……これ以上無理に関わってくると、面倒なことになるだけ。」
その言葉に、赤松と青山は表情を変えずにただ黙っていた。しかし、その心の中には何かが引っかかっていることを感じていた。
高橋は立ち上がり、「また会いましょう。」とだけ言い残して、何も言わずに席を立った。
その背中を見送りながら、赤松はその後ろ姿に違和感を覚えつつ、青山と視線を交わした。
「……やっぱり、何かがおかしい。」
青山は静かに頷きながら答えた。「うん、あれだけ冷静な高橋が、何かを隠してるとしか思えない。」
赤松は深く息をつき、決意を固めた。「次は、必ずもっと突っ込んで聞き出す。」
青山もその決意に同意し、二人はその場を後にした。
三か月前
山崎は高橋の行動が不自然になり、何か隠しているような、そんな気がしていた。だが、最も引っかかっていたのは、彼女の過去についてだ。
彼女と交際していた頃、山崎は高橋にいくつかのことを聞いた。出身地、家族のこと、子供の頃の話… しかし、最近になって、何気ない会話の中で彼女が語った内容が徐々に矛盾していることに気づくようになった。あれほど話していたはずの家族について、以前とは異なることを言ったり、出身地についても以前とは異なる場所を名乗ったりしていた。
山崎はその違和感に耐えきれず、自分で調べ始めた。
まず、彼女が言っていた出身地を調べてみると、その地域の住民名簿には高橋という名前は登録されていなかった。最初は偶然だろうと思ったが、調べれば調べるほど、その名前が出てくることはなかった。
次に、彼女が言っていた家族について。高橋が言っていた名前で調べてみるが、その家族に関する記録は一切出てこなかった。彼女の父親、母親についても全く同様だった。すべてが矛盾していることに山崎は次第に気づき始め、恐怖に駆られた。
これが偶然の違いではないと確信した山崎は、さらに調査を進めた。そして、ついに衝撃的な事実を突き止めた。高橋は、少なくとも今使っている名前は偽名であり、以前の交際時に話していた情報もすべて嘘だった。彼女は自分が思っていた高橋ではなく、まったく別の人物である可能性が高い。
その日から、山崎は高橋のことを深く調べるようになった。彼女の過去、現在、そして彼女が一体何を目的としてこの場所にいるのか… その答えを探し続けた。
しかし、調査を進めるうちに、山崎はどこかで感じていた恐怖と不安をさらに強く感じるようになった。自分が掴んだ真実が、さらに暗い真実へと繋がっているのではないかと、次第に思い詰めるようになっていった。
そして、何度も高橋に問い詰めることを考えたが、いつも直感的にそれが自分にとって良くない結果を招くことを感じ取っていた。
山崎はついにその真実を暴こうと決意し、高橋と再び向き合う日を待った。
ある日、山崎は耐えきれなくなり、高橋を呼び出した。彼の目は鋭く、焦燥感に満ちていた。
「……お前は誰なんだ!」
山崎の声は震えていたが、その裏には恐怖がにじみ出ていた。彼は高橋を見つめ、その存在に疑問を投げかけた。何か隠している。何かを知っている。でも、それが何なのか、彼自身でも分からなかった。
高橋はしばらく沈黙していた。だが、内心では冷静に、そして不安を感じていた。山崎がここまで追い詰めてきたのは、彼が何かを掴んだ証拠だった。しかし、もし山崎が何か真実に近づいてしまえば、彼にも危険が及ぶ。
「何を言ってるの?」
高橋は何気ないふりをして言ったが、その目にはわずかながら動揺が見えた。彼女は山崎がどこまで知っているのかを測りかねていた。しかし、すぐに気を取り直し、冷静さを取り戻すと、次の言葉を続けた。
「何言ってんの、私は変わってないよ。」
だが山崎の目は鋭く、何かを感じ取ったのだった。山崎は彼女の顔をじっと見つめ、心の中で確信を持っていた。それはただの直感だったが、彼女に何か隠されているという感覚は強くなっていた。
その後、山崎はどんどん追い詰められていった。高橋の言動がどんどん怪しくなり、彼の頭の中では「これはただの偶然じゃない」と思い始めていた。高橋がかつての恋人であったにもかかわらず、最近の態度は明らかに冷たい。そして、何よりもその存在が、どうしても自分の目の前で違和感を感じていた。
疑念を抱えた山崎は、高橋を追い詰めていくが、彼女の冷徹さが彼をさらに困惑させる。しかし、この状況が山崎の心にさらに強い圧力を与え、最終的に彼を追い詰める結果となった。
その日以降、山崎は自分が不安定になっていること、または誰かに操られている感覚があることを薄々感じていたが、それが高橋によるものだとは考えもしなかった。例えば、上司に対する態度が突然変わったり、物事に対する集中力が失われるようになったりした。しかし、彼はすぐにそれを自分の生活の中での小さな乱れだと片付け、気にしないようにしていた。
だが、それが次第に積み重なり、彼の行動に影響を与え始めた。
山崎は、その時点ではまだ気づいていなかった。最初はそれがただの思い付きだと思っていた。しかし、特に重要な仕事や決断を下さなければならない場面では、高橋からの「声」が心の中で響くようになった。山崎が自分の意思で選んだ行動だと感じさせる一方で、だんだんとその選択が歪んでいくことに気づかなかった。
山崎が借金を重ねてしまった背景も、実は高橋の影響だった。高橋は山崎にギャンブルへの興味を無意識のうちに植え付け、彼がその誘惑に取り込まれていく様子を操っていた。最初は少額で始めたものの、次第に金額が増えていき、借金が膨れ上がっていった。高橋が送り込んだ「声」によって、山崎は次第に自制心を失い、ギャンブルにのめり込んでいったのだ。
その頃、高橋は山崎の金銭的な問題が膨らむのを見越して、山崎が会社のお金や家庭の資金に手を出さないように操り続けた。実際、山崎は家計のことを気にかけていて、家族に迷惑をかけたくないという強い思いがあったため、その部分には手を出さなかった。しかし、高橋はそのギャンブルでの膨大な借金を隠すために、山崎が追い詰められる結果になるよう仕向けていた。
山崎が自分の問題に気づき始めたのは、あまりにも遅かった。高橋は彼に対して、より強い言葉や考えを送るようになり、山崎がそのことに疑念を抱くことを許さなかった。テレパシーを使い、山崎が「これ以上はどうしようもない」と思うまで追い込んだ。
その結果として、山崎は自分がどうしてこんなことに陥ってしまったのか理解できなくなり、精神的に追い詰められていった。そして、最終的に彼はその状況から逃れようとして、死を選ぶことになった。
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