『転生したらフルフルベビーでした』in ダンジョン 作:食品サンプル
おれは人間をやめるぞ! ジョジョ──ッ!!
──目の前にいるのは、赤黒い甲殻を纏う群れ。
大きさは、一本角の兎三匹分。
対をなす鋭利な棘を備えた六本の脚が、無機質な岩肌を這い回る。
頭部から伸びる二本の触覚は絶え間なく震え、獲物の気配を探るように揺れている。
狂気を宿したかのような赤黒い眼光が爛々と輝き、口から覗く断絶の鎌が、ガチガチと不快な音を響かせていた。
群れの全てが、牙を剥く。
遂に相まみえた、堅牢な甲殻を持つ敵。
俺の牙はすでに鋭くなり、噛む力も増している。
だが、目の前の獲物を噛み砕けるかといえば、確信が持てない。不安が残る。
それを嘲笑うかのように、群れは一つ、また一つと増えていく。
甲殻を擦り合わせる不快な音。鋭い鎌のような顎が鳴らす威嚇の音。
こちらを包囲するように、じわじわと間合いを詰めてくる。
だが、
(……いい。これは、喰える)
込み上げるのは飢え。尽きることのない食欲が、全身を熱く滾らせる。
連戦に次ぐ連戦。絶え間なく続く戦闘の果てに、失った血と活力を取り戻すため、そしてさらなる成長へと手を伸ばすために、俺は喰らわなければならない。
邪魔をするというのなら、それすらも──喰らい尽くすだけ。
これは狩りではない。
生存のための闘争ですらない。
ただの、捕食だ。
目の前に広がるのは、ただの『餌』。
俺の内側で蠢く本能が、それを確信している。
群れは獲物。
倒し、喰らい、己の糧とする。
それを繰り返し、より強くなる。そして、生き延びる。
洞窟に生まれ落ちたその日から、俺はただ、そのために存在している。
震えるのは恐怖ではない。
昂ぶりだ。
(……始めるか)
帯電した身体が小さく揺れる。
火花が弾け、空気が震え、喉の奥が唸りを上げる。
──さあ、喰らい尽くせ。
食事の始まりだ。
=====
「──ギギィィィッッッ!!!」
甲殻を擦り合わせ、耳障りな音を響かせる。
号令と共に、数匹の蟻型モンスターが一斉に飛びかかってきた。
初動は悪くない。だが──
(遅い)
動きが単調すぎる。
知能が足りない。ただ、群れの本能に従い、一直線に突進するだけ。
読みやすい。だから──
回避は容易い。
半身に力を込め、しなやかに跳躍。
瞬間、俺がいた場所に数匹の蟻型生物が突っ込み、互いに激突する。
鈍い音と共に絡み合う甲殻。もがきながら立て直そうとする蟻たちを、俺は天井から見下ろしていた。
次の動きは、すでに決まっている。
天井を蹴る。
電撃が弾ける。
空を裂く軌跡を描きながら、一直線に急降下──
首元に牙を突き立てた。
だが──硬い。
予想していたとはいえ、思った以上の強度だ。
成長を遂げた俺の牙ですら、貫通には至らない。
(くそ……やっぱり甲殻が厄介か)
噛み砕けない。奴らもただの餌ではない。
獲物が捕食者に抵抗するのは当然。
突如、蟻型生物の全身が激しく震えた。
振り落とそうとするかのように、暴れて、暴れて、暴れる。
その振動は予想以上に激しく、このまましがみついていれば、逆に地面に叩きつけられる。
(チッ……!)
仕方なく、俺は蹴りを入れ、その場から跳躍して距離を取る。
だが、息つく間もなく、別の個体が俺へと殺到していた。
否──それは殺到ではない。
狙いはすでに定まっていた。
俺の動きを見越していたかのように、蟻型生物の大顎が異常なほどに開かれる。
まるで闇に口を開ける奈落のように、不気味に。
(……何をする気だ?)
一瞬の疑問。
その答えは、すぐに理解することとなった。
「────ギシィッッッ!!!」
次の瞬間──噴き出した。
透明な液体が、霧散するように撒き散らされる。
見えたのは一瞬。
だが、俺の本能は即座に危険を察知した。
(まずい──ッ!!)
反射的に跳躍。
直後、俺がいた場所に降り注いだ液体が、床をぐずぐずと溶かし始める。
そこから立ち上る刺激臭が鼻を突き、無いはずの目が焼けるような錯覚すら覚える。
酸だ。
しかも、その威力は洒落にならない。
洞窟の岩肌ですら融解させるこの液体に、俺が触れたらどうなるか──考えるまでもない。
即死。
背筋に冷たいものが走る。
だが、蟻型生物の方も様子を窺うように、動きを止めていた。
互いに睨み合う。
一瞬の膠着状態。
しかし、この沈黙が長く続くことはない。
(どうする……?)
考えろ。どうすれば、あの堅牢な甲殻を貫ける?
策はある。
だが、それが通じるかどうかはわからない。
──しかし、迷っている暇はなかった。
「ギギィィィッッ!!」
前方の蟻が、鋭い鳴き声を上げながら突進してくる。
速度はある。だが、それだけだ。
(試すか……!)
俺は瞬時に尾を地面へ突き刺し、そこから電撃を這わせる。
閃光の如き雷撃が走り、前方へと広がった。
「──ギッッッッ!!!?」
突進してきた蟻が、逃げる間もなく電流を浴びる。
瞬間、甲殻の表面で火花が弾け、体が痙攣する。
──だが、止まらない。
麻痺している。確実にダメージは通っている。
それでも、ヤモリや兎の時とは違い、完全に動きを止めることはできない。
(やはり……あの外殻が邪魔か)
雷撃すら弾く、まるで鉄壁の鎧。
しかし、完璧な防御など存在しない。
ならば──攻め方を変える。
俺は、迷いなく噛みついた。
──だが、ただの噛み付きではない。
先程のように牙を押し当てるだけでは、また跳ね返される。
だからこそ、俺は口内に溜まる涎を意図的に増やし、胃液と混ぜる。
まるで、目の前の蟻のように。
疑問だった。
俺はこれまで、数多の獲物を喰らい、消化してきた。
その中には強固な骨や角を持つものもいた。
だが、食い破り、腹の中で溶かし、栄養に変えてきた。
ならば、俺の胃液はどれほどの強度を持っている?
確かめるまでもなく、答えはすぐに現れた。
「ギィッッ!!?」
──酸に濡れた牙が、蟻の甲殻を侵食する。
僅かに、だが確実に装甲が崩れた瞬間。
俺は一気に顎へ力を込める。
(────ッッ!!)
堅牢だったはずの足の一本が、根元から砕ける。
噛み砕かれた肢節が転がり、紫色の体液が地に飛び散った。
「──ギギィィィィィッッ!!!?」
甲高い悲鳴が響く。
足を失ったことでバランスを崩し、よろめく蟻。
当然、その隙を見逃すはずがない。
素早く、うねる四肢、その一本を突き出す。
狙うは、甲殻の隙間から露出する柔らかい肉。
「────~~~~!!!?」
突き刺さる。
蟻が断末魔を上げ、悶え苦しむ。
その瞬間、別の個体が反応する。
仲間を救おうとしてか、それともただの本能か。
大顎を開き、粘性の高い液体を噴き出す。
──だが、遅い。
俺の四肢を通して電流が駆け巡る。
一瞬にして蟻の体内を焼き尽くし、甲殻の内側から爆発的に炸裂する。
「────────!!」
閃光と共に、肉片が弾け飛び、焦げた肉の匂いが鼻をつく。
だが、それで終わりではない。
上空から降り注ぐ酸。
無差別に空間を蝕む、腐食の雨。
──読めている。
瞬時に全身に雷を巡らせる。
帯電した電撃が、俺の周囲を円状に駆け巡る。
落ちてきた酸液は触れる前に蒸発し、毒霧となって散る。
焦げる異臭が辺りに立ち込めるが、そんなことはどうでもいい。
時間こそかかったが、殺し方は分かった。
次はもっと手早く、確実に仕留める。
ゆっくりと、俺は新たな標的へ大口を向ける。
「ギィィ……!」
周囲の個体が反応する。
怯えつつも、戦意を示すかのように甲殻を擦り合わせ、不快な音を響かせる。
いいぞ。
戦意を見せるのなら、それを折るまでだ。
瞬間、跳躍。
壁を蹴り、天井を駆けるように疾走する。
奴らの視界から消え、気配すら断つ。
(次の獲物は──)
電撃を纏う。
雷光が迸り、青白い閃光が空間を裂く。
俺は、一瞬で群れの背後へと回り込み、
そして──
=====
十匹、二十匹、三十を超えて、五十。
それを超えた時、俺は数えるのをやめた。
終わりがない。
どれだけ屠っても、どれだけ喰らっても、通路の奥から新たな蟻が湧き出し、絶え間なく押し寄せる。
まるで、俺を押し潰すために生まれてきたかのように。
だが、それでいい。
ヤモリ。兎。蝙蝠。黒の人形。
かつて仕留めた獲物たちまでもが乱入し、場はさらなる混沌へと沈む。
しかし、それらはすでに狩り尽くした敵。
かつての養分。今度もまた、俺の糧となるべき存在だ。
狩って、狩って、狩って。
噛み千切り、喰らい尽くし、血を啜り、己を癒す。
この場の支配者は、俺だ。
肉体はすでに限界を超えている。
それなのに、湧き上がる力。
この狂乱の闘争が、俺の中の何かを覚醒させようとしている。
喰らいたい。もっと喰らいたい。
積み上がる死骸の山に、滴る鮮血に、俺の涎が止まらない。
あれを全て喰らえば、俺は一体どこまで進化できる?
どこまで強くなれる?
高揚が止まらない。
興奮が収まらない。
もう何でもいい。
止まらないのであれば、止まるまで喰らおう。
『俺』が俺でなくなるまで、喰らい尽くそう。
そう思った──その時だった。
風。
違う。
これは──敵意だ。
鋭く、獰猛で、空間そのものを切り裂くかのような威圧感。
骨の芯まで震え上がるほどの圧倒的な存在感。
『俺』の意識が、一瞬で覚醒する。
(……何だ?)
空間を揺るがすような、圧。
重圧のようにのしかかる異様な気配が、遠くから確かに俺を捉えている。
──これは、俺と同じ側の存在か?
否。
これは、ただ無意識に喰らう者ではない。
狩る意志を持ち、獲物を選び、確実に仕留める者の気配。
鋭い理性を伴った、獣とは異なる狩人の息遣い。
この場に、俺以外の捕食者がいる。
次の瞬間。
俺の戦場に、侵入者が現れた。
それは、槍を持っていた。
それは、鎧を纏っていた。
それは、二足でに立ち、理性ある
(……人間、か?)
驚きはあった。だが、黒き人影ほどの衝撃ではない。
俺はゆっくりと、静かにそちらへ大口を向ける。
通路の奥から、複数の気配がこちらを見据えていた。
五つ。
全て、違う動き。違う質の意識。
恐れ、困惑、興味、警戒──そして、殺気。
(……なるほど)
俺を獲物と認識している。
その敵意が何よりの証拠だ。
視界の端で蠢く蟻たちは、未だに俺を睨みつけている。
新たな侵入者が現れようと関係ない。
──俺が、この場の最も危険な存在だと、本能的に理解しているのだろう。
だが、そんなことは知ったことではない。
(……全部、邪魔だ)
俺の口元が、ゆらりと吊り上がる。
戦いを中断させるなど、愚行も甚だしい。
喰らうべき獲物が目の前にあるのに、何を邪魔される筋合いがある?
──俺の狩場に踏み込んだのなら、殺す。
その思考が、どこか遠くで響く。
今の俺は、何を考えている?
これは、生きるための戦いか?
それとも、ただ殺すための戦いか?
そんな疑問すら、どうでもよかった。
今はただ──
すべてを殺し、すべてを喰らいたかった。
=====
『──うあああああああああああぁぁっっ!!』
叫び声。
突っ込んでくる、褐色の肉塊。
しなやかな筋肉を纏い、血の匂いを漂わせながら、まっすぐに俺へ向かってくる。
──美味そうだ。
その瑞々しい肉体には、数多の血液が詰まっている。
一度噛み付けば、皮膚が裂け、肉が千切れ、温かな鉄の味が口内に広がるだろう。
だが、それは後回しだ。
俺の感覚の端、別の獲物。
背丈の低い人間がこちらを睨み、弓を構えている。
狙いは俺の身体か? それとも……。
次の瞬間、嗅覚が警鐘を鳴らした。
──矢尻に仕込まれた、異質な匂い。
(……毒か?)
口が、一瞬だけ矢に向く。
だが、それすらも獲物の策かもしれない。
──ならば、どうする?
だが、そんなものは関係ない。
届かなければ、意味をなさない。
全力の放電。
雷撃が俺の周囲を包み込む。
次の瞬間、放たれた矢は蒼白い閃光に飲み込まれ、消えた。
──弾いたのではない。
──蒸発させた。
狙い澄まされた一撃も、毒すらも、俺には届かない。
なぜなら、俺は
『……ッ!?』
人間どもが息を呑む気配がする。
理解したのだろう。
──狩られる側は、お前たちだ。
俺の口元が、不自然に吊り上がる。
今は、傷も、痛みも、どうでもいい。
血が流れようが、骨が軋もうが、どうでもいい。
なぜなら、この場には、俺を癒し、満たすための肉がある。
それだけで十分だ。
──故に、超える。
己の限界を、強制的に踏み越える。
矢を放った人間の目が、驚愕と恐怖に染まる。
いい顔だ。喰らい甲斐がある。
だが──
次の瞬間、地面が砕けた。
(……ッ!?)
衝撃が伝わる。
見れば、褐色の人間が、爆発的な踏み込みで間合いを詰めていた。
速い。想像以上に。
──不味い。
判断が一瞬遅れる。
電撃を巡らせる前の、わずかな隙。
そこに、一直線に突き込まれる、空間すら震わせる拳。
(──っ!!)
脳が揺れる。
感覚が一瞬、歪む。
身体の奥に、鈍く響く衝撃。
一瞬、意識が沈みかけ──
だが、戻る。
後から気付いたことだが、俺の身体は斬撃や貫通する攻撃には弱いが、打撃には比較的耐性がある。
肉厚で弾性のあるこの身体が、衝撃を拡散するのだ。
もしもこいつが鋭利な刃物を持っていたら、今ごろズタズタになっていただろう。
──命拾いした。
……だが、楽観視できる状況ではない。
たとえ打撃に強いとはいえ、今の一撃は身体の奥深くまで響いた。
圧倒的な膂力。経験の詰まった拳の重み。
それは、今まで狩ってきたどのモンスターとも違う。
この人間、この場にいるどの怪物よりも
『……ッ!?』
しかし、驚いているのは向こうの方だった。
粉々に粉砕するつもりだったのか。目の前の人間から、戸惑いの気配が漏れ出す。
──残念だったな。
だが、これでもう止まらない。
先に攻撃してきたのは、そっちだ。
正当防衛? ふざけるな。
こんなものは、ただの生存競争だ。
強い者が生き、弱い者が死ぬ。
勝った方が喰らい、負けた方が喰われる。
それだけのこと。
(──死ね)
俺の全身が、雷を纏う。
四肢の二本に電撃を流し、限界を超えた速度で褐色の人間の首へと襲いかかる。
──これは、戦いの中で見つけた『答え』のひとつだ。
電撃を肉体に流し込むことで、筋肉を強制的に駆動させ、通常の限界を超えた速度を実現する。
代償として、細胞が焼き切れる感覚が伴うが……今はそんなこと、どうでもいい。
この一撃で、首を捉え、締め上げ、絶命させる。
四肢が標的の首へと巻きつく──その直前だった。
褐色の人間が、それ以上の速さで跳躍する。
(やはり、速い)
俺の狙いを正確に察知し、間一髪で回避する判断力。
──だが。
(だろうと思ったよ)
コイツが速いのは、先ほどの打撃で十二分に理解した。
ならば──逃げられない攻撃を放てばいいだけのこと。
尾を地に突き刺し、全身の帯電を増幅。
瞬時に周囲へ雷撃を張り巡らせる。
空中にいようが、関係ない。
これなら──避けられない。
お前は、俺に近付きすぎた。
逃がさない。絶対に。
『────ぐッッ……!!?』
雷撃の網が、狙い通りに人間を捕らえる。
肉が軋み、痺れが四肢を貫く。
空中にいた人間の身体が、制御を失い、落下する。
瑞々しい肌に、焼け爛れた傷が走り、焦げた肉の臭いが鼻を刺した。
人間の口から短い悲鳴が漏れ出す。
だが、まだだ。
まだ、終わらせない。
『ミーナ!!』
奥から、切迫した叫び声が響く。
感覚の端に、四つの人影が映る。
──弓を構える、小柄な
──槍を手にした、年老いた
──戦斧を担ぐ、筋肉の塊のような
そして──杖を握る、長耳の
その瞬間、本能が警鐘を鳴らした。
(……いや、違う)
これは、本能ではない。
『俺』自身の、明確な危機感。
あの耳長の人間──魔法使い。
距離を取り、詠唱を始めるタイプ。
放たれれば、厄介極まりない。
潰すなら、真っ先に。
だから、動く。
獲物が増えたなら、順番を決めるだけだ。
目の前で痺れる
蟻が砕け散ったときに転がった──紫紺色の結晶。
そして、それを弾くように投げた。
狙うは、杖を構える長耳の人間。
衰えた
その表情が、すべてを物語っていた。
(……知らないのか?)
ならば、教えてやろう。
結晶──それは、怪物共の命の核。
小さな欠片だろうと、膨大なエネルギーを秘めた
そこに、雷撃を叩き込んだらどうなるか?
俺は既に知っている。体験済みだ。
尾を地に突き刺し、電流を這わせる。
ゆっくりと弧を描く結晶へ、雷の塊が迫る。
怪物のエネルギーと、俺の雷の力。
それが混ざり合った時、起こるのは──
(──
刹那、視界が雷撃に染まり、轟音が空間を揺るがした。