『転生したらフルフルベビーでした』in ダンジョン 作:食品サンプル
闘争こそが生命だ。
──雷撃が、魔石に触れた。
一瞬の静寂。
張り詰める空気。
時間が凍りついたかのような錯覚。
そして──『蒼』が弾けた。
爆音と共に、洞窟全体を覆い尽くす閃光。
雷鳴が洞窟の奥深くまで轟き、蒼白い電光が奔る。
空間が揺れる。地が震える。灼熱の波が岩壁を焦がしながら、あらゆるものを蹂躙していく。
爆発の衝撃で空気が弾け、耳鳴りが周囲を支配する。
石屑が吹き飛び、洞窟の天井が軋みを上げてひび割れる。
「──ッ!!」
レグが咄嗟に叫ぶが、声は雷鳴に飲まれ、無慈悲に掻き消された。
衝撃が、爆風が、襲いかかる。
爆撃の圧が胸を殴りつけ、肺が悲鳴を上げる。
風圧だけで体が浮いた。
視界が乱れ、天地が反転する。
岩屑が無差別に舞い、肌を切り裂く。
──次の瞬間、彼は背後へと吹き飛ばされた。
「──ッ、ぐっ……!!」
景色が荒れ狂い、何が起こったのかすら理解できない。
重力が崩壊したかのように、体が宙を舞う。
意識がもつれる。
轟音。衝撃。痛み。
次の瞬間、背中が岩壁に叩きつけられた。
鈍い音とともに、鋭い痛みが全身を貫く。
肺が強制的に空気を吐き出し、視界が白く瞬いた。
だが、それすらも一瞬。
意識が暗転しかけるが、何とか踏みとどまる。
脳が、戦場に引き戻した。
──
痛みなど、関係ない。
崩れる呼吸の中、荒く酸素を求める。
胃液がこみ上げ、口の端から滴り落ちるのを感じながらも、視線だけは前へ。
そして──最悪の光景が、そこにあった。
「……セレナ!!」
絶叫にも似た声が、喉から飛び出す。
爆発の中心にいたのは──
無事なのか? 生きているのか?
それとも……。
最悪の想定が脳裏をよぎる。
だが、それを振り払うように、目を限界まで見開き、濃密な煙の奥を見据える。
一刻も早く、状況を知りたいのに──見えない。
視界を支配するのは、黒く渦巻く土煙。
焦げた臭いと、硝煙の残滓が鼻をつく。
視力に優れたパルゥムの目をもってしても、霞む輪郭しか捉えられない。
心臓が痛いほどに脈打つ。
焦燥が指先を冷やし、背筋を伝う汗が止まらない。
頼む──いてくれ。
必死の祈りとともに、視界が徐々に晴れていく。
研ぎ澄まされた目が、ついに煙の向こうを捉えた瞬間──
息を呑んだ。
「………………っ」
金属が軋む、不快な音。
黒く焼け焦げた、無残な鎧。
深々と刻まれた、赤黒い裂傷。
鮮血が滲み、滴り落ちる。
庇護した者の背から、庇護された者へと、まるで紅い雨のように降り注ぐ。
目の前の存在が血に染まろうとも、誰一人として、それを咎める者はいなかった。
咎められるはずがなかった。
「カ、カインさん……!!?」
赤く染まった少女の声が震える。
涙が滲み、嗚咽が混じる。
彼女は──無傷だった。
あの身の毛もよだつ雷の爆撃の中で。
死んでいても、おかしくない光の奔流の只中で。
──なぜなら、老兵が、その身を盾にして守り抜いたから。
だが、その代償はあまりに重く。
鎧は、黒く焼け焦げ、炭のように砕けている。
肩から腹部にかけて、無惨に裂けた金属の隙間から覗くのは──赤黒く爛れた皮膚。
そこから滲み出す血と体液が混ざり合い、鈍く光る粘ついた液体となって流れ落ちていた。
「……ぶじ、で……よかっ……た……」
途切れ途切れの、掠れた声。
震える身体。
焦点の合わない目。
それでもなお、カインは唇を噛み締め、膝を折ることを許さない。
まるで、最後の意地を張るかのように。
血に染まったセレナの指先が、震えながら彼女の腕にしがみつく。
そして、触れて分かった。
経験の足りぬ身であっても、それが分かってしまっていた。
一撃で──致命傷。
今もなお、立っていることが奇跡と思えるほどに。
「──ッ! カインさん、今、回復を──!」
セレナが、焦燥に駆られながら腰のポーチへと手を伸ばす。
指先が震え、もどかしく試験管を掴む。
中には、輝く緑の液体。
これさえあれば、彼女は助かる──そう信じて、蓋を開けようとしたその時。
「駄目だ!! まずは防御だ!!」
鋭い叫びが、刃のように空気を裂く。
レグの声だった。
──次の瞬間。
空気が、震えた。
耳をつんざくような、低く、重い振動。
洞窟を圧迫するかのような、異質な圧力。
煙の向こう。
青白い閃光が脈打ち、奔る。
熱と殺意が混ざり合った電流が、空間を支配する。
そして、ゆっくりと、それは姿を現した。
──獲物を喰らう、獣の気配を携えて。
=====
──仕留め損ねた。
思考の第一声が、それだった。
土煙の奥。
鼻腔を満たすのは、焦げた肉の匂い。
焼け爛れた鎧の隙間から覗く、赤黒く染まった裂傷。
血が滲み、地に滴る。
銀の槍が、力なく指先を離れ、岩肌を打つ。
金属音が虚空に響き、静寂に沈んでいった。
──だが、違う。
狙ったのは、あの耳長だった。
けれど、俺の嗅覚は確かに捉えている。
傷ついたのは、満身創痍の年老いた人間。
──邪魔をしたな。
本来、あの雷撃は確実に、今もなお動けず、恐怖に震えている耳長へ届くはずだった。
届かないはずが、なかった。
だというのに──阻まれた。
(……間に合うはずが、なかった)
直前までの距離、タイミング、閃光の速度。
どれを取っても、阻止するには遅すぎたはず。
なのに、アイツは──あの
雷光が弾ける刹那、何を捨て、何を振り切り、どれほどの執念でその身を投げ出したのか。
考えるまでもない。
まるで、迷いがなかったかのように。
ただ、それが当然であるかのように。
──この人間、褐色の人間よりも、また
最初に感じた、あの息苦しい圧力。
まるで壁に押し潰されるような、異様な気配。
もしかすると……こいつこそが、その源だったのかもしれない。
──だが、それでいい。
その選択が間違ってはいないと、俺の認識が肯定する。
だって、そうだろう。
結果的には、最も厄介な存在を、戦えぬほどに叩き伏せた。
獲物を交わらせる事なく、一早くに。
強者は弱者を守り、そして自滅する。
あぁ、まったく。
実に、人間らしい。
それが人間の『強さ』でもあり、
そして──致命的な『弱さ』でもある。
今にも命の灯が消えそうなあの人間は、情に縛られた、哀れな犠牲者か?
それとも、運悪く雷撃に巻き込まれた、不憫な被害者か?
──違う。
これは、ただの必然だ。
この結末に、偶然など存在しない。
誰かが守り、誰かが傷つく。
弱者は強者に依存し、強者は
ならば──
その弱点を、利用しない手はない。
俺は狩る。
今までも、これからも。
それが、『生きる』ということだから。
だから──この好機、貪らせてもらおう。
(……卑怯とは言うなよ)
お前たちが今も尚、その眼に瞋恚の炎を燃やし、死に抗おうとするように。
俺もまた──『生きる』ために、お前たちを『殺す』。
這い寄る。
ゆっくりと。だが、確実に。
四肢が地に沈み、湿った大地を這うように蠢く。
粘ついた空気の中、静かに雷光が瞬く。
青白い火花が弾け、身体を這い、地を這い、獲物へと触手のように伸びていく。
俺の狩りは、まだ終わっていない。
=====
白き異形が迫る。
決して逃がさぬと言わんばかりに、雷光が閃き、殺意を孕んだ大口からは、粘つく唾液が滴り落ちる。
それはまるで、獲物を捕らえた捕食者が、次の瞬間には噛み砕かんと確信しているかのように。
一歩。
また、一歩。
焦げた岩盤を這い砕きながら、じりじりと距離を詰めてくる。
雷撃が迸り、宙を裂く。
そして、今まさに跳躍し、襲いかからんとした──
──その刹那。
「──ぬぅんッッ!!」
野太い咆哮が轟いた。
土煙の向こうから、闇を切り裂くように巨大な戦斧が唸りを上げる。
振るわれたそれは、白き異形を討ち据えんと一直線に飛翔した。
──しかし、届かない。
刹那、異形の躰が滑るように翻る。
まるで最初からその一撃を予見していたかのように、戦斧の軌道を躱し、悠然と回避する。
そして──
再び、煙の中へと姿を溶かした。
「やはり……当たらんか……」
低く唸るような声が、戦場に沈む。
戦斧を振るった巨体が、忌々しげに息を吐いた。
「ガルド! 無事だった……か……?」
土煙の中から現れた仲間に、レグは安堵と驚きを滲ませながら声をかける。
──しかし、その言葉は途中で途切れた。
確かに、ガルドは立っていた。
意識もはっきりしている。
だが──何かがおかしい。
レグの視線が、自然とガルドの顔へと向かう。
次の瞬間、彼の表情が、凍りついた。
──顔が。
右顔の半分が、無惨に焼け爛れていた。
炭と化した皮膚が裂け、血の滲む肉が剥き出しになる。
傷口からは、血と体液がじわりと溢れ出し、焦げた皮膚の裂け目を伝って流れ落ちる。
閉じられた右目の端から、一筋の赤が頬を伝い、滴となって落ちた。
──凄惨。
その言葉が、脳裏を突き刺す。
「……お前……その怪我……」
かすれた声が漏れる。
尋ねるまでもない。
まともに動ける状態ではないのは明らかだった。
だが──
ガルドは笑った。
唇を吊り上げ、歯を剥き出しにしながら、涼しげに言い放つ。
「なぁに、大した傷じゃあないわい」
軽口を叩くその態度が、余計に痛ましく映る。
何が「大したことない」だ。
こんな傷を負っておいて、そんな台詞がよくも出るものか。
怒鳴りつけたかった。
「ふざけるな」「無理をするな」「お前が倒れたらどうする」
そんな言葉が喉までせり上がる。
だが──言葉を吐き出すよりも先に、異変が起こった。
視界が、赤く染まる。
「……っ?」
一瞬、何が起こったのか理解できなかった。
だが、次の瞬間、じわりと温かい感触が広がるのを感じた。
額から頬へ、頬から顎へ。
ゆっくりと流れ落ちる、鮮やかな紅。
──血だ。
自分のものだと気付くのに、そう時間はかからなかった。
頭がじくじくと痛む。
壁に激突したときの傷か。
それとも、今になって傷口が開いたのか──
どちらでもいい。
そんなことを気にしている場合ではない。
視界が赤く滲む。
額から流れた血が頬を伝い、顎先から滴る。
けれど、それすら意識の外に押しやる。
──それよりも。
頭の片隅にこびりつく、別の記憶が思考を支配する。
焼き付いた映像が、脳裏で再生される。
──あの女は?
どこだ。
無事なのか。
さっきまで、あの異形に向かって拳を振るっていたはずの──
「──ミーナ!!」
レグの叫びが、洞窟に響き渡った。
荒い息遣いのまま、血走った視線を走らせる。
──どこだ。
目が血の滲んだ瞳孔を拡げ、焦点を必死に合わせる。
探す。探す。探し──
──いた。
視線の先。
爆雷の衝撃を受けたはずのその身体が、今もなお痙攣している。
──異形の雷撃は、直撃はしていない。
けれど、その事実は、何の慰めにもならなかった。
周囲に拡散した電流が、空気ごと焼き尽くしながら、彼女の体を貫いたのだろう。
肌には焦げ跡。指先は小刻みに震える。
目は開かれたまま、だが──焦点が合っていない。
「……ッ!」
喉が、ひゅっと詰まる。
駆け寄ろうとした足が、一瞬、動きを止める。
悪い予感が、脳裏に爪を立てた。
背筋が、氷の刃でなぞられたかのように凍りつく。
──反応がない。
戦える状態じゃない。
それどころか──
(……生きているのか?)
考えたくもない疑問が、頭をよぎる。
脳がそれを拒絶しようとする。
だが、現実は残酷で、目の前の光景が答えを突きつける。
「……クソッタレ!!」
怒りと焦燥が滲む叫びが、洞窟の空気を裂いた。
重く、荒々しく、抑えきれない感情が剥き出しになる。
『
──ここにいる最大戦力が、だ。
認めたくない。
だが、事実として、ミーナは近接戦闘において最強だった。
傷つこうが、倒れようが、彼女ならすぐに立ち上がるはずだった。
だというのに──今の彼女は、動かない。
カインも同じだ。
経験と技術こそ一級品だが、今の彼女は『かつての強者』にすぎない。
衰えた肉体、刻まれた傷跡、積み重なった年月が、否応なく『冒険者』という肩書きを蝕んでいた。
それでも、彼女は前に立った。
最後の最後まで、庇い続けた。
その命が砕けようとも、誰かを守るために。
──だからこそ、痛む。
だからこそ、どうしようもなく──悔しい。
馬鹿げている。
ふざけている。
これが、『冒険』と呼ばれるものの結末だというのか。
これが、何を意味するか、わかっているのか。
──
(……今、意識がはっきりしているのは……俺と、セレナと、ガルドだけ)
たった三人。
それも、全員『
──しかも、負傷者二名。
俺も、ガルドも。
痛みが刺すたびに、戦える時間が削られていくのがわかる。
これで、一体……何ができる?
──何も、できない。
さらに、もうひとりは新人だ。
駆け出しにも満たない、たったひとりの『見習い』。
戦力として──数えられるはずも、ない。
そして、最悪なのは、敵の雷撃。
あの白き異形の雷は、接触せずとも、範囲ごと薙ぎ払う。
地面すら焦がし、空気を焼き、肺の奥に電流を流し込む。
まるで──そこに存在することすら許さぬように。
逃げ場は、ない。
勝機も、ない。
……もう、自分だけでも逃げてしまおうか。
戦える者は倒れた。
残されたのは、負傷者と未熟者。
これが『逃亡の判断』なら、誰が責められる?
逃げることは、生き延びることだ。
ここで無理をすれば、死ぬのは確実。
死んでしまえば、何も守れない。
──だが。
その瞬間。
「……カインさん……カインさんっ……」
震える声が、耳を打った。
顔を上げた。
──恐怖に濡れた瞳。
──絶望に揺れる、幼い顔。
それは、まるで……
かつての俺を見ているようで。
(……クソッ!!)
奥歯を噛みしめる。
唇が切れたことにも気づかない。
──何もできないまま、見捨てるのか?
──今度こそ、守れないまま、逃げるのか?
違う。
そんなはずが、あるものか。
何もできない自分を変えたくて、ここに来たんだろう。
誰かを守るために、戦い続けてきたんだろう。
ならば、今こそ奮い立て。
俺は、『都市の憲兵』。
──ガネーシャ・ファミリアだ!!
「──聞けェッッ!!」
咆哮が洞窟を震わせる。
衝撃の余韻が壁を揺らし、砂が舞う。
血の滲む唇で、それでも叫ぶ。
全員に叩きつけるように。
この小さな身体のどこに、これほどの声量が秘められていたのか。
轟く怒声に、セレナとガルドが目を見開く。
そして、魂を奮い立たせる宣言が叩きつけられる。
「──全員、生きて帰るぞッッ!!!」
これは指示でもない。命令でもない。
──誓いだ。生存宣言。
決して誰一人欠けることなく、必ず帰還するという、絶対の宣誓。
その言葉に、空気が変わる。
妖精の口が、息を飲み、
矮人は、無骨な戦斧を担ぎ直し、
女戦士の指先は震えながらも、拳を固く握った。
そして──血まみれの老兵は、わずかに唇を歪ませ、静かに笑う。
──次の瞬間。
雷鳴が弾けた。
「……くるぞ!!」
警戒の声が響く。
同時に、空気が張り詰めた。
白き異形が煙を切り裂く。
雷光を纏い、四肢を滑らせるように疾走する。
狙いは──またしても、セレナ。
「──飛んでけオラァッッ!!」
叫びと共に、矢が疾る。
火線のように空を裂き、一直線に白き異形を貫かんとする。
だが──
異形は触腕を蠢かせた。
雷撃を纏った閃光が瞬き、矢は容易く弾かれる。
──わかっていた。
当然だ。
そんなことは、最初から織り込み済みだ。
この程度で足を止められる相手ではないことなど、百も承知。
だからこそ──その先を用意していた。
矢が弾かれた、その刹那。
白き異形の視界の隅で、銀の閃光が軌跡を描く。
『──ッ!?』
異形が、一瞬、動きを止めた。
微かな戸惑い。確かに、息を呑んだ気配が伝わる。
──見えたのだろう。気付いたのだろう。
矢に紛れ、ほぼ同時に放たれた
蠢く触腕が撃ち落とそうと閃くが、
──もう遅い。
銀刃が、異形の肉を抉った。
鈍く、嫌な音が響く。
白き異形の中心──確かに、突き刺さった。
『──……ッ!』
響くのは、悲鳴。
雷鳴のような咆哮ではない。
低く、絞り出された、苦痛の音。
鋭く、短く、それでいて、確かに響いた。
(──届いた……!)
これが、人間の『技』。
これが、人間の『駆け引き』。
ただの怪物には得られぬ、狡猾な一手。
それが、確かに異形の肉を裂いた。
──だが、浅い。
鋭く突き立ったはずの刃は、致命には至らず。
力の弱いパルゥムの投擲では、深く抉るには足りず。
解体用のナイフでは、鋭さが決定打にはならない。
刃は、白き異形の皮膚を僅かに裂き、そこから滲むのは、紅い滴。
──それだけだ。
「チィッ……!」
思わず、舌を打つ。
──瞬間。
異形が、動いた。
触腕が蠢き、鋭く弾けるようにナイフを引き抜く。
白き肢体が痙攣するように震え、次の瞬間、雷撃が奔る。
抜き去った刃を握り潰しながら──
触腕が雷の刃と化し、狙いを定める。
標的は、セレナ。
振り下ろされる。
致命の雷撃が、真っ向から襲いかかる──!
「甘ぃぞォッ!!」
轟音。
刹那、巨影が弾ける。
矮人の巨体が躍り、振り下ろされた雷刃へと真っ向から戦斧を叩きつける。
「──おおおおおッッ!!!」
稲妻の閃光が、戦場を裂いた。
血に染まったドワーフの姿が、雷光に照らし出される。
右目を焼かれ、顔面を血に濡らしながらも、彼は雄叫びを上げる。
雷を纏う触腕と、鋼鉄の戦斧が激突する。
爆ぜる火花。
炸裂する衝撃波。
大気すら歪む、剛と剛のぶつかり合い。
そして、轟音とともに──白き異形が弾き飛ばされた。
「はッ……ははァ!! 軽い軽い……ッ!!」
嘘だ。
軽いはずがない。
ドワーフの圧倒的な膂力と鍛え抜かれた腕が、
斧を握る手は、痺れで感覚を失いかけていた。
全身の血が煮えたぎるような感覚──焼けるような熱が、筋肉の奥深くまで染み渡っていく。
(──ッ、化け物め……!!)
痺れが這い上がる。
腕の感覚が、指先から溶け落ちるように消えていく。
たった一撃──それだけで、右腕が戦闘不能にされた。
握れない。力が入らない。
戦斧が、指の隙間から滑り落ちそうになる。
歯を食いしばり、踏ん張る。
──落とすな。ここで、膝をつくわけにはいかない。
雷の余波が、骨の奥で暴れ回る。
軋む関節、焼き切れそうな筋繊維。
耳鳴りが鼓膜を叩き、視界の端が霞む。
それでも──それでも、倒れるわけにはいかない。
(……今の一瞬で、このザマか……ッ!!)
怒りが込み上げる。
悔しさと痛みを飲み下し、ガルドは震える指で戦斧を握り直した。
だが、それでも──
今の一撃で、セレナを庇うには、十分だった。
「ガルド!! 後退しろ!!」
レグの怒声が飛ぶ。
舌打ちしながらも、ガルドは即座に後退した。
だが、その目はまだ異形を追っている。
──吹き飛ばされた先。
白き異形が、微かに身を震わせた。
生きている。
だが、苦痛を感じている。
(……効いてる……!)
確かに、奴に
だが、それだけじゃ足りない。
あんな一撃では、
ならば──
レグは、迷うことなく矢をつがえた。
無駄かもしれない。意味がないかもしれない。
それでも、撃たずにはいられない。
「──飛んでけ、オラァッ!!」
弓弦が悲鳴を上げ、空を切り裂く矢が放たれる。
そして、同時に叫んだ。
「クソ馬鹿女!! 起きてるんだろッッ!!」
届かせる。声を。
「テメェが、ここでくたばるわけがねェ!!」
響かせる。想いを。
「テメェが、これっぽっちで諦めるわけがねェだろうがッッ!!」
背中が熱い。
神の加護──刻まれたファルナが、まるで自ら燃え上がるように。
ならば、神にも誓え。
──
「──意地を見せろ、ミィィィナァァァッッッ!!」
そして──届いた。
仲間の信頼が。
瞬間、女が動いた。
白濁した瞳。
未だ焦点の定まらぬ意識。
それでも、微かに残る戦意が、くすぶる火種のように揺れる。
──だが、それだけでは終わらない。
これは、本能か。
それとも、仲間の期待に応えようとする意地か。
いや、そんなことはどうでもいい。
重要なのはただ一つ──
彼女の脚が、大地を砕いた。
誰もが、息を呑む。
それは、一瞬。刹那の閃光。
爆ぜる石片。響く轟音。
土煙が空間を裂くように舞い、そして──
その中心から、彼女が
──速い。
速すぎる。
まるで、疾風。
否──閃光そのもの。
白き異形の反応が、一瞬、遅れる。
それは致命的な遅れ。
本能が『死』を察知し、防御を選択。
瞬時に全身へ雷撃を巡らせ、絶対の障壁を形成する。
この雷の檻に触れたが最後、どんな獲物も炭と化す。
──だが、それすら、関係ない。
焦げる皮膚。焼き切れる神経。
だが、痛みなど、もはや只の情報に過ぎない。
彼女の脚が、
雷光を浴びながらも、その身体は止まらない。
稲妻の壁すら引き裂き、異形の中心へ。
「──いっけええええぇぇぇぇぇッッッ!!!」
男の絶叫が轟く。
そして──
必殺の一撃が、炸裂した。
『──────!!』
白き異形が、音にならぬ悲鳴を上げる。
刹那、轟音。
地響きが洞窟を震わせる。
壁が陥没するほどの衝撃とともに、異形の身体が、壁面へと叩きつけられた。
──崩壊する。
爆ぜる石片、舞い上がる土煙。
亀裂が走る洞窟の壁が、悲鳴をあげるように崩落する。
岩の塊が次々と砕け、無数の瓦礫が雨のように降り注ぐ。
そして──
ミーナの身体が、力なく崩れ落ちた。
そのまま膝を折り、硬い地面に倒れ伏す。
意識の灯火は、もはや尽きかけていた。
焼かれた肌。
焦げた衣服。
指先すら、もう微かにしか動かない。
──今度こそ、本当に限界だった。
それでも、彼女は最後の一撃を放った。
それでも、奴を叩き伏せた。
「──ッッ!! よくやったッッ!!」
レグの声が響く。
叫ぶよりも先に、身体が動いた。
即座に矢を番える。
狙いは、もう決まっている。
(視界を遮断……!!)
思考が研ぎ澄まされる。
呼吸が深くなる。
指先に宿る、極限の集中。
──今しかない。
この一瞬を逃せば、誰も生き残れない。
だから、撃つ。
躊躇いも、迷いも、全て振り払って。
「……カスがっ、消え失せろ!!」
弓が唸る。
放たれたのは、麻痺矢と──煙幕矢。
『……ッ!!』
瞬間、矢が突き刺さり、毒が白き異形の血管へと流れ込む。
麻痺の痺れが肉を締め付ける。
そして、黒煙が爆ぜた。
視界が、一瞬にして闇へと沈む。
だが──それだけでは終わらない。
「──セレナァッッ!!」
レグの叫びが、洞窟の暗闇を切り裂く。
その視線の先。
震える指先で短杖を握りしめる、ひとりの妖精。
駆け出しにも満たない、新米の少女。
けれど──彼は知っている。
確かに彼女は、未熟だ。
剣を握れば凡庸。体術もまだ拙い。
だが、それはあくまで──『冒険者』としての話だ。
迷宮に潜る『狩人』としての話だ。
本来の力、本来の『魔導士』としての彼女ならば──
──話は、別だ。
彼女は、この状況を覆す『鍵』になれる。
彼は、信じている。
彼は、それを疑わない。
──だから、届く。
その信頼に応えるように、
少女は、震える唇を開いた。
「──【喚び醒ませ、沈黙せし風】」
静寂が満ちる。
それはただの言葉ではない。
魂を震わせる、静かな『歌』が、始まった。
=====
『──クソ馬鹿女!! 起きてるんだろ!!』
喉が裂けるような怒声が、洞窟の壁に反響する。
小さな人間が、まるで全てを叩きつけるように叫ぶ。
『テメェが、ここでくたばるわけがねェ!!』
……何をそんなに必死になっている?
死ぬのが怖いのか?
それとも──仲間を失うのが、怖いのか?
『テメェが、これっぽっちで諦めるわけがねェ!!』
……笑わせる。
これは鼓舞か?
それとも、ただの独りよがりな願望か?
どちらにせよ、無意味だ。
『意地を見せろ、ミィィィナァァァッッッ!!』
……無駄だ。
あの褐色の人間は、もう終わっている。
電撃を浴びた瞬間から、何も感じていない。
焼け焦げた肌。焦点の合わない瞳。
もはや立つことすら叶わぬ抜け殻。
それでも叫ぶのか?
それでも──信じているのか?
──愚かだな。
電撃が身体を貫いた時点で、再起不能。
事実として、あの人間は一歩も動けていない。
だから、これはただの遠吠えに過ぎない。
どれだけ喚こうが、どれだけ足掻こうが──奇跡なんて起こるはずもない。
俺は、静かにその命を刈り取るだけだ。
この場の支配者は、俺なのだから。
そう思った。
──その瞬間。
空気が、震えた。
地盤が砕け、爆ぜるような衝撃が洞窟内を満たす。
耳をつんざく音が響き、
そして──
感覚の端、土煙の向こう。
気づけば、褐色の人間が、俺の真横にいた。
(……なんッ!!?)
有り得ない。
速すぎる。
俺は、この
雷撃を浴び、全身を焼かれ、地に伏した姿を。
肉体が、動けるはずがない。
──否、
認識が追いつかない。
脳が、理解を拒む。
この速度は、もはや
まるで──
(……クソがッ!!)
現実が、俺の理解を置き去りにする。
理屈ではない。
脳が拒絶しても、本能が理解してしまう。
思考よりも速く、全身に雷撃を張り巡らせる。
ただの防御ではない。これは──殺意。
この瞬間に焼き尽くし、完全に
(……馬鹿が、自ら突っ込んできやがったッ!!)
故に。
今度こそ、確実に仕留める。
先ほどのような
だから、一瞬たりとも隙は与えない。
奴の身体が踏み込む前に、俺の雷が奴を貫く。
逃がさない。
絶対に、逃がさない。
──次こそは、確実に殺す。
そう、確信していた。
なのに。
(……っ?)
刹那。
雷撃すらも飛び越えて、『何か』が俺を貫いた。
理解が追いつかない。
何が起こった?
感覚が揺らぎ、思考が途切れる。
だが、理解する前に──
これは、
数瞬前に喰らった拳の比ではない。
冗談みたいな質量が、俺の腹を抉る。
(────────ッッッ!!!?)
内臓が悲鳴を上げる。
胃がひっくり返るような感覚。
熱いものがこみ上げ──口から、鮮血が噴き出した。
一瞬の浮遊感。
そして──轟音。
──棘のある岩壁へと、俺の身体が叩きつけられる。
いや、違う。
骨が軋み、壁が砕ける。
背中を貫く激痛。
──壁が陥没するほどの、ふざけた威力。
世界が、明滅する。
白黒がちらつき、脳が揺れる。
意識が沈む。浮かぶ。
何度も、何度も、際限なく繰り返す。
──動けない。
動こうとするも、身体が言うことを聞かない。
まるで、自分がただの肉塊に成り果てたかのように。
痛みすら、もはや遠のいていく。
熱が引き、冷たい何かが身体を侵食する。
泥の底へ、意識ごと沈んでいくような感覚。
その時。
(……ッ!!)
激痛。
矢が突き刺さる感触。
直後、全身が
毒だ。
体内に侵入する感覚がわかる。
冷たい何かが、血管を這い上がる。
触腕から身体、そして頭から尾へ。
次第に自分の身体が他人のものになっていくような感覚。
呼吸が、重い。
視界が、狭まる。
──今度こそ、本当に動かない。
そして、次の瞬間。
空間が、黒く霞んだ。
煙。
──いや、煙幕。
(……視界封じか)
すぐに理解する。
だが、それは無意味だ。
俺に『目』はない。
俺は『嗅覚』で獲物を狙う。
──黒煙ごときで、俺を封じられると思うな。
そう思った、その刹那。
『──【喚び醒ませ、沈黙せし風】』
──『音』が。
否。
新たに生まれた『歌』に、俺は意識を奪われた。
=====
昔から、何をやっても駄目だった。
駆けっこも、剣の素振りも、弓の扱いも。
どれもこれも、人並みにすら届かない。
魔法だって、まともに撃てやしない。
──そして今も。
ただの足手まといでしかない。
戦えない。
守れない。
それどころか、仲間の重荷になっている。
……でも。
本を読むのは、好きだった。
言葉を紡ぐのが、好きだった。
そして──
歌うことが、何よりも好きだった。
だから、何度も歌った。
喉が枯れるまで。
声が涸れても、なお、続けた。
身体が、頭が、魂が、覚えるまで。
それだけが、自分にできることだったから。
「──セレナァッッ!!」
名前が、叫ばれた。
自分を呼ぶ、懸命な声が聞こえる。
耳を刺すほどの必死な叫び。
──あの人が、私を見ている。
血を流し、身体を傷つけ、それでも。
こちらを信じて、名を呼んでくれている。
無価値で、ちっぽけで、弱いはずの私を。
──だから。
これだけは。
これだけは、絶対に失敗しない。
たとえ喉が裂けようと、声が枯れようと。
たとえこの身が砕けようとも。
この『歌』だけは、決して止めない。
「──【喚び醒ませ、沈黙せし風】」
震える声が、洞窟の暗闇に溶け込むように響いた。
掠れそうな喉から絞り出した、か細い声。
それでも、言葉は紡がれる。
「【
──轟音が鳴り響く。
爆ぜる雷鳴。
崩れる岩壁。
それでも、この声は消えない。
息が苦しい。
肺が軋み、喉が張り裂けそうだ。
──でも、止まるわけにはいかない。
横に目を向ける。
そこには、傷付き、血を流しながらも尚、死に抗おうとする恩人の姿があった。
もし、間に合わなかったら?
たった一秒でも遅れてしまったら?
──最悪の想像が、胸を締め付ける。
「【嗚呼、幾度も掬おうとした燦然たる
声が震えた。
喉の奥が詰まりそうになる。
嗚咽がこみ上げる。
だが、それを振り払うように、両手で杖を強く握りしめる。
──迷うな。
──止まるな。
「──【目覚めよ、無慈悲なる嵐の檻。
紡がれる言葉が、空気を軋ませる。
轟々と唸る風が、砂塵を巻き上げ、視界を塗り潰す。
大気が震え、洞窟そのものが呻くように揺らいだ。
──けれど、目を閉じることはできない。
できるわけがない。
視線の先には、未だ倒れ伏したままの女戦士。
傷つき、泥に塗れ、微動だにしない。
しかし──彼女は、まだ『終わって』いない。
「【彷徨い続けた我が心に応え、虚無へと徒に
魔力が暴風となって渦巻いている。
奔流するエネルギーが荒れ狂い、空間そのものを軋ませる。
洞窟の天井が震え、細かな石片が降り注ぐ。
彼女の足元に刻まれた
それは、まるで胎動する神威の如く。
ゆっくりと、確実に、圧倒的な力を孕んでいく。
けれど──焦燥が、胸を締め付ける。
「【吹き荒べ、
足が震える。
魔力が全身を駆け巡り、血管が灼かれるように熱い。
指先は痺れ、喉が焼けつくように乾く。
それでも、退くことは許されない。
──もし、ここで失敗すれば?
──もし、詠唱が間に合わなければ?
脳裏をよぎるのは、最悪の結末。
誰かが死ぬ。
それが自分であるかどうかは、もはや問題ではない。
彼女は知っている。
魔導士にとって、迷いは死を意味する。
恐怖に囚われ、声が震えた瞬間に、詠唱は砕ける。
魔力は不完全なまま爆散し、絶死の業火と成り果てる。
だから──
「【忌まわしき者を閉ざし、万刃の
震えそうになる声を、喉の奥から押し出す。
肺が焼けつくように痛む。
呼吸が荒くなる。
それでも、止めるわけにはいかない。
──これは、彼女にとっての『誓い』なのだから。
だが、それでも──まだ足りない。
この魔法を完成させるには、あと少しだけ……!
──その瞬間、空気が軋んだ。
白き異形が、微かに蠢いた。
ただの痙攣ではない。
それは、跳躍の予備動作。
まだ間に合うと言わんばかりに、狙いは変わらず、詠唱を続ける者。
獲物を捉えた狩人は、静かに、しかし確実に狙いを定める。
──絶望が、脳裏をよぎる。
「──復帰が速すぎんだろッッ!!?」
レグの絶叫が洞窟に響き渡る。
麻痺の効果が、想定よりも遥かに短い。
間に合わない。
この速度、この間合い、この距離──
「──ッッ!!?」
閃光。
目が焼かれるような眩い光の中、疾駆する異形の姿が視界いっぱいに広がる。
圧倒的な速さ。
轟く雷音とともに、白い影が空を裂いた。
──『歌』が、一瞬、途切れる。
だが、それを咎めるように、荒々しい声が飛んだ。
「気にせず『歌え』!! 儂とレグが死んでも通さんッ!!」
ガルドの怒声が、迷宮の壁を震わせる。
戦斧を振りかぶり、雷撃の直撃すら覚悟で前へと踏み込む。
レグもまた、矢を番え、呼吸を詰めながら狙いを定める。
──信じろ。
──信じて、詠唱を続けろ。
セレナは、奥歯を噛み締めた。
恐怖に縛られそうになる唇を、無理やり動かす。
震える喉から、声を搾り出す。
崩れかけた旋律を、もう一度繋ぎ直す。
今、この場で──
自分にできる、たった一つのことを果たすために。
「【もはや臆することはない、恐れるものもない。悉くを
雷鳴が轟く。
爆ぜる空気が鼓膜を打ち、洞窟全体が震えた。
そして、その轟音の中、ガルドが吼える。
巨躯が、咆哮とともに白き異形へと肉薄する。
──刹那。
雷撃が炸裂した。
空間が青白く染まり、瞬く間に影を呑み込む。
その中心。
戦斧と触腕が、衝突する。
凄絶な力のぶつかり合い。
轟く衝撃波が、岩壁を砕く。
だが──勝ったのは、ガルド。
雷撃を断ち切る咆哮が、迷宮を震わせた。
「ウオオオオオッッ!!!」
矮人の雄叫びが、大気を揺るがす。
怪物といえど、無尽蔵ではない。
限界は、ある。
異形の躯がぐらりと揺らぐ。
散る雷撃。痺れる空気。
──そこへ、狙い澄ました一矢が放たれる。
銀の閃光。
疾風のように飛来したのは、槍だった。
老兵が愛した、銀の槍。
小人の投擲が、異形の胸を正確に貫く。
そして、そのまま洞窟の壁へと縫い留めた。
──狙い通り。
「動けるとはいえ、まだその体の
『──────ッッッ!!?』
雷鳴が悲鳴に変わる。
雷撃の暴君が、地に縫い止められた。
「【いまや
だが、それでも。
白き異形は、もがく。
雷光を纏い、断末魔のごとく吠え猛る。
決して諦めぬ、生存本能が、尚もその身を突き動かす。
バチバチと弾ける雷撃が壁を焦がし、砕く。
槍が軋み、そして──引き抜かれた。
白き異形が、地へと落ちる。
それは、膝を折る動作ではない。
次の瞬間、跳躍するための予備動作。
──まだ、終わらない。
そう、白き異形が叫ぶが如く。
雷撃を纏い、膂力の限り跳躍せんとする。
しかし──その前に。
『歌』が、すべてを凌駕した。
魔法の円が光を放つ。
緑と青の魔力が交錯し、臨界に達した暴風が空間を軋ませる。
まるで嵐が目を開いたかのように、空気が震える。
その中心。
少女の瞳に迷いはなかった。
指先は震えず、魔力の奔流がその身を包み込む。
揺るぎなき意志が、世界に刻まれる。
たとえ己が砕けようとも、この一撃で──
「【新たな私が──今ここに】!!」
──終わらせる。
「────【ヴォルテクス・エクシディウム】ッッ!!!」
繰り出されるは、
避けることなど、もはや叶わない。
断罪の風が、すべてを切り裂いた。
轟音が炸裂する。
空間そのものが震え、大気が悲鳴を上げる。
暴風が迷宮を蹂躙し、目に見えぬ刃が狂気のように舞う。
──世界が、悲鳴を上げる。
迷宮の壁が、天井が、耐えきれずにひび割れ、
空間を歪ませるほどの魔力が膨れ上がり、
巨大な圧力が岩盤を軋ませ、崩壊が始まる。
天井が、壁が、脆く崩れ去る。
足元の大地すら、不穏な震動に揺らぐ。
それは、まるで──神が振るう剣の如き嵐。
その暴威は、ただの攻撃ではない。
それは、裁きであり、審判であり、浄化である。
視界を奪う煙幕すら、一瞬で吹き飛ばされた。
黒の台風が猛り狂い、迷宮の奥深くまで浸食する。
音が消え、ただ暴風の唸りだけが響く世界。
崩壊は、止まらない。
天井を支えていた岩盤が、次々と崩れ落ちる。
地響きが鳴り響き、岩の瓦礫が雨のように降り注ぐ。
迷宮そのものが、沈黙しようとしていた。
──これで、もう動けまい。
誰もが、そう確信した。
戦いは終わったのだと。
だが、次の瞬間。
崩れ落ちる岩塊の影、その奥。
蠢く、白。
──まだ、終わっていない。
異形が、死んでいない。
(……こいつ、まだ動くのか……!?)
驚愕が、思考を凍りつかせる。
もはや執念という言葉すら、生ぬるい。
何が何でも生にしがみつこうとする、狂気の本能。
視界を奪われ、全身を裂かれ、肉がはみ出し、血に塗れてもなお──
それでも、異形は確かにこちらを
──目がないのに。
まるで、
違和感が、脳を掻き乱す。
こいつは、一体何を基準に
どうやって、俺たちを
戦慄が背筋を這い上がる。
何かが、おかしい。
何かが──
そして、その刹那。
閃いた。
ただ一つ、唯一の可能性。
「……だったら……これもだッ!!」
レグの手が、素早く通路の端へと伸びる。
瓦礫の隙間に吹き飛ばされていたバックパックを乱暴に引き寄せ、中身をかき回す。
そして、手にしたのは、小瓶。
蓋を捻った瞬間──
(……くせぇ……ッ!!)
刺すような悪臭が、瞬時に辺りへと広がった。
鼻を突く腐臭。胃の奥からせり上がる吐き気。
だが、そんなものに構っている余裕はない。
レグは歯を食いしばり、小瓶の中身を布袋に叩き込み──
それを、矢へと括りつけた。
『
レグは迷うことなく矢をつがえ、弓を引き絞る。
狙いは、目の前の白き異形。
「飛んでけェッ!!」
弦が震え、矢が閃光のように疾る。
次の瞬間──弾ける。
異形の目前で炸裂した小袋から、凶悪な腐臭が爆発的に広がった。
土埃とは違う、脳まで腐らせるような、地獄の瘴気。
──異形の動きが、止まる。
「……ッ!?」
雷撃も、蠢く触腕も、何もかもが静止した。
ピクリとも動かない。
まるで、自身の感覚が崩壊したかのように。
(……効いた、のか!?)
だが、確認している暇などない。
今が唯一の好機。
ここを逃せば、全滅──!!
「ガルド!! ミーナを抱えて行け!!」
「──おうッ!!」
巨躯のドワーフが即座に反応する。
倒れ伏すミーナを、まるで羽根のように豪快に抱え上げた。
片腕一本で軽々と担ぎ、重心を低く構える。
「セレナ!! ババアを背負え! 俺じゃ無理だッ!!」
「──分かりました!!」
セレナが駆ける。
肩で息をしながら、崩れかけたカインを懸命に支え上げた。
老兵の身体は重い。
けれど、立ち止まることは許されない。
「──急げッ!! このままじゃ全員、生き埋めになるッ!!」
誰もが、迷いなく駆け出した。
崩壊する迷宮の中、生き延びるために。
──そして、一斉に退却を開始する。
轟音が背後で炸裂する。
闇の迷宮を引き裂くように、岩盤が砕け、天井が崩れ落ちる。
レグはそれを聞きながら、最後尾を駆け、振り返った。
視界の端で、異形が蠢いていた。
小人の鋭い視力が、その不気味な動きを捉える。
──まだ、生きている。
白き怪物の裂かれた身体が、震えるように痙攣する。
削がれた触腕が、空を彷徨う。
探るように、名残惜しむように、だが確かに獲物を求めている。
雷光がちらつく。
かすかな稲妻が、闇を切り裂く。
そのたびに、空気が軋み、洞窟全体が鳴動する。
──だが、遅い。
もう、彼らの姿はそこにはない。
残されたのは、崩れ落ちる迷宮と、怒りに震える雷鳴のみ。
悔し気に轟くその音がだけが、空間には今も響いていた。
孤独な奴は弱いって遥か昔から決まってんだ。