デウスにある〈肉菜庵〉は、鍋を囲むスタイルのしゃぶしゃぶ専門店だった。
店の奥のテーブル席に案内され、シュタインと隊長、それにマサムネの三人が腰を下ろす。
「肉と野菜の両立……やはりしゃぶしゃぶが最適解ですね」
満足そうに頷くシュタインに、隊長は半ば呆れながらメニューを開く。
「ほら、少年。好きなものを頼め。遠慮はいらない」
隊長がそう言うと、少年は戸惑いがちに視線を泳がせた。
「僕、こんな店、入ったことない……」
汚れた袖口をぎゅっと握りながら、小さく呟く。
空腹のはずなのに、どこか緊張した面持ちだった。
「……なら、まずはこの『特選盛り合わせ』からいくか」
「私もそれで」
「ぼ、僕もそれ!」
隊長がさっと注文を決めると、シュタインも賛同するように頷いた。マサムネも何を頼んだらいいのか分からず、反射的に二人と同じものを注文する。
やがて、店員が大皿に盛られた肉と野菜を運んできた。
牛肉、豚肉、鶏肉が美しく並び、隣には色鮮やかな野菜の盛り合わせが置かれる。
「……すごい」
思わず目を見開かせるマサムネ。
こんなにきちんとした食事を取るのは、久しくなかったのだろう。口から数滴のヨダレが垂れる。
「ほら、食べなさい」
隊長が鍋に火をつけると、スープがゆっくりと温まり始める。
シュタインは迷いなく箸を取り、さっそく牛肉を一枚、鍋にくぐらせた。
「ほら、私の真似をしてみるといい。この店の肉の質は既にデータにある。絶品だ」
シュタインの言葉に促され、おそるおそる肉を手に取る。
鍋の湯にさっとくぐらせると、薄切りの肉がほんのりと色づき、湯気とともに柔らかな香りが立ちのぼった。
「……おいしい……」
小さく呟くように言ったマサムネの顔には、どこか安堵の色が浮かんでいた。
隊長はその様子を見ながら、静かに口を開く。
「食事中に気乗りしないとは思うが」
「……話を聞かせてくれ」
マサムネは箸を持つ手を止め、また唇を噛んだあと、ぽつりぽつりと語り始めた。
「……僕は、宗教団体"
隊長が微かに目を細める。野菜を鍋に入れる手が止まった。
「保護、ね」
その言葉に含まれる意味を、マサムネは察したのか、曖昧に笑った。
「表向きはね。親のいない子とか、捨てられた子とか、そういうのを集めてる団体なんだ。僕も……行くところがなかったから」
そう言うと、マサムネは少し猫背になり、湯気の向こうに視線を落とした。
「そこでは、食べ物も寝る場所もある。先生たちは面倒見てくれるし、祈りの時間があって、みんなで一緒にお祈りする。『神様』が僕らを見守ってくれてるって言われてる」
「どこの神だ?」
隊長の問いに、マサムネは首を振った。
「分からない。ただ、『救済の光』とか『救い主』って呼ばれてる。ここにいる子たちはみんな、いつか光に導かれるって……」
「救済」
隊長が静かに繰り返す。
シュタインは肉を鍋から引き上げながら、表情一つ変えずに言った。
「ただ、そこで暮らすには何か条件があると」
マサムネはびくりと肩を揺らした。
「……お金がいるんだ」
その言葉が落ちた瞬間、鍋の煮える音だけが聞こえた。
「お金がないと、『光の導き』を受けないといけないって言われる。僕も、もうすぐ……」
マサムネは膝の上で小さく拳を握りしめた。
「『導き』ってのは、何をされるんだ?」
隊長の声は低く、静かだった。
「……消えるんだ。誰も、帰ってこない」
シュタインが鍋から肉を引き上げ、淡々とタレにつける音が響く。
隊長も箸を置き、じっとマサムネの言葉を待っていた。
マサムネはしばらく口を閉ざしていたが、意を決したように、小さく息を吐いた。
「……だから、僕は、必死でお金を稼いだんだ」
「どうやって?」
隊長の静かな問いに、マサムネは膝の上で拳を握ったまま、震える声で続ける。
「掃除とか、荷物運びとか……あと、裏路地に行って機械の部品とかを拾って、それを売ったり。でも、それだけじゃ全然足りないから……」
言葉を詰まらせる。
「……賭け事とか、ね。あの街には、子どもでも賭けに参加できる場所があるんだ」
その言葉を聞いた隊長が思わずため息を吐いた。デウスの日常に一々言いたくないが、まさかこんな子どもから聞きたくない言葉が聞こえてきた。
「ギャンブルか」
「……うん。でも、運が良くても長くは続かない。勝てば狙われるし、負けたら借金が出来る……」
マサムネは自嘲するように笑い、テーブルに置いた手を握りしめた。
「それでも、僕はなんとか頑張った。毎日、お金を集めて、先生に渡した。そうすれば『導き』を受けなくて済むから……」
隊長とシュタインが黙って話を聞いている。
「でも、もう無理なんだ」
マサムネの声が震えた。
「この間、行きつけの賭場場も警察に
「デウスの街で、まともに金を稼げる子どもなんていない。ギャンブルだって、運が尽きたら終わり。だから、結局──」
「僕は、逃げようとしたんだ。でも……先生たちに見つかって」
野菜を口いっぱい頬張っていた隊長の口が止まった。
「何をされた?」
マサムネは顔を伏せ、顔の痣を優しく触る。
「──罰を受けたんだ」
テーブルの下で、小さく握られた拳が震えている。思い出してくると傷が痛み出すのか、片手で痣を何度も何度も撫で始める。
「他の子たちの前で、見せしめにされた。殴られたし……もう二度と逃げようなんて思わないようにって」
その肩が細かく震えていた。隊長は、そんなマサムネの肩を優しく撫でて落ち着かせる。
「でも、逃げたいんだろう?」
「それに現にこうして、我々と鍋をつついている。これは脱走にはならんのかね?」
シュタインの淡々とした声に、マサムネはゆっくりと顔を上げた。
「先生たちには、
「またこの街を出たら、酷い目に遭う……きっと、もっとひどい罰を受ける……」
隊長とシュタインは黙って彼の言葉を待っている。マサムネは拳をぎゅっと握り、続けた。
「それに……僕一人だけが逃げるわけにはいかないんだ」
「さっき、言ってた
マサムネは視線を落とし、躊躇いながらも言葉を紡ぐ。
「……僕には、友達がいる。みんな、同じように『導き』を受ける順番を待ってる……でも、みんな僕より歳下だし、お金の稼ぎ方なんて分かんない。ただ怯えて、お祈りをするしかなくて……」
湯気の向こうで、彼の瞳は不安と焦燥に揺れていた。
「1回脱走した時、聞かされたんだ」
「僕が逃げたら、きっと、代わりに誰かが『導き』を受けることになる……」
「それは嫌だ……僕は、自分だけ助かるなんてできない」
「だから……だから、僕は、どうしたらいいのか分からなくて……!」
そう言ったまま、彼は俯いた。それ故に高そうなスリに走った。
賭場の連中からやり方を教わっていたため、簡単に取れたそうだ。まあ、相手が特戦じゃなければ成功していただろうが。
しばしの沈黙。
隊長は無言で箸を取り、静かに鍋の中の肉をすくう。そして、それをタレにくぐらせながら、ゆっくりと口を開いた。
「話してくれてありがとう」
「そして、次の質問だ」
「ならば、どうしたい?」
マサムネはハッとして、隊長を見上げる。
「皆、助けたいんだよな?」
「………………うん」
その言葉を聞いた瞬間、シュタインが低く鼻を鳴らした。
「論理的に見れば、それは極めて困難な選択だな」
淡々とした口調のまま、彼は牛肉を鍋にくぐらせる。そして、タレにつけながら、続けた。
「子ども一人の脱出すら危険だというのに、集団での脱出となれば、さらにリスクは跳ね上がる。加えて、対象の保護を考慮すれば、単なる『逃亡』ではなく、安全な環境を用意する必要がある。つまり──」
そこで、シュタインはぴたりと箸を止め、マサムネをじっと見た。
「私たちが手を貸すしかない、という結論になる」
マサムネの目が見開かれる。
隊長は小さく笑い、シュタインを横目で見た。
「少年、こいつは見た目通り計算には厳しい男だ。理論上、任務でもない限りそれが可能性のない話なら、まず相手にしない」
「だが」
「筋肉で補えるのなら、話は別だがな」
「当然です。この話、場合によっては筋肉で補えると見た」
シュタインは腕を組み、得意げに言う。
「マサムネ少年の話を聞く限り、その『導き』とやらが何なのかを調べる価値もある。
「確率……」
マサムネが呟くと、隊長はマサムネの肩を掴み真剣な眼差しで言った。
「お前が『みんなを助けたい』と願うなら、我々はそれに応じる。だが、そのためには、まず確かな情報が必要だ」
「そのルミナ・オルビス…だったか?そこの施設の構造……地図だったり、先生とやらが何人いるとか、そういう情報を教えてくれないか?」
「本気、なの……?」
マサムネは信じられないような表情で二人を見つめた。
「僕は…貴方たちの財布をスったのに…お昼も食べさせてくれて……それに僕のために……そんな…………」
そんな言葉を聞いた隊長は静かに微笑みながら、湯気の向こうでマサムネの目を見据えた。
「お前はもう私の『
「……だち?」
「………………友人って意味だ」
「ドンマイです。隊長殿」
「うるさい」