マサムネの案内で、隊長とシュタインは教会のある区画へと足を踏み入れた。
廃墟同然の建物が立ち並ぶ一角──だが、その中心にそびえ立つ教会だけは異様なほどに手入れが行き届いていた。
壁にはひびひとつなく、古びたステンドグラスは不気味なまでに鮮やか。
まるでこの街の荒廃とは無関係であるかのように、そこだけが“異質な領域”として存在している。
まずは周囲の警備──巡回する信者たちの数と動きを観察する。
彼らは無造作に歩いているようでいて、不自然なまでに一定の距離を保っている。
「計算された巡回ルートです」
「適当に動いてるように見せかけてるが、死角はほとんどない」
シュタインは端末を操作し、巡回ルートのパターンを割り出す。
「一巡するのに、だいたい6分40秒……その間に教会正面の視界が開ける時間は、最長で12秒」
「私が少年を担げば、突破自体は容易ではあるが帰りのルートは子どもたちも一緒なのも考慮すると」
「得策ではありませんね」
隊長は腕を組み、厳しい表情で考え込む。
「正面から行くのはリスクが高いな……少年、裏口とかはあるかい?」
「え、えーと、あるよ。食べ物とかを教会に入れる時に使ってて、普段は閉じてるけど……」
二人はマサムネの指差した方向へ視線を向け、走り出す。
教会の裏手は高い塀に囲まれ、搬入口は分厚い金属扉でしっかりと閉ざされている。鍵を破壊すれば侵入は可能だろうが、音を立てれば警備の信者たちに即座に気付かれるだろう。
「正面よりはマシだが、ここも厳しいな……」
だが、その上方──教会の壁を見上げると、二階に細長い窓が並んでいた。
「……あそこなら」
シュタインが口元に手を添え、すぐに計算を始める。
「高さはおよそ4.5メートル……私ならギリギリ登れる。内部の様子を確認した後、ロープを使えば全員で侵入できます」
「よし、頼む」
隊長が頷くと、シュタインは腰の装備から細いワイヤーを取り出し、壁に取りついた。
建物の装飾部分に指をかけ、腕と脚の力を使いながら素早く上昇していく。
彼の動きには一切の無駄がなく、まるで計算されたかのような最適な軌道で登っていく。マサムネは息をのんでその光景を見つめていた。
数秒後、シュタインは窓枠に手をかけ、身を翻して静かに中へと侵入する。
内部の様子を確認し、問題がないことを合図すると、装備していた細いロープを下へ垂らした。
隊長がそれをしっかりと掴み、マサムネを抱え上げる。
「おっと……暴れないでくれよ」
「う、うん……」
少年の体を安定させると、隊長は壁を蹴って一気に登り始めた。
鍛え抜かれた腕力とバランス感覚でスムーズに上昇し、数秒後には窓枠に到達。
シュタインが手を伸ばし、二人を引き上げる。
「よし、無事成功だな」
隊長とマサムネが窓から中に入り、三人は静かに内部を見渡した。
廊下には、かすかに蝋燭の灯りが揺らめいていた。
古びた木の床は、慎重に歩かなければ軋みそうだ。壁には宗教画が並び、その中には異様に抽象的なものや、信仰とは関係なさそうな紋様が混じっている。
空気にはわずかに香の匂いが漂い、奥から微かに讃美歌のような音が聞こえてくる。
「……みんな、もう寝てるはず」
マサムネが小声で言う。
「なら、まず少年だけ行ってくれないか?知らない大人がいきなり現れるより、先に君が事情を説明したほうがいい……出来るかい?」
「分かった……」
マサムネは緊張した面持ちで頷くと、慎重に足を踏み出した。
彼は小さな影のように音を立てずに進み、廊下を曲がっていく。
シュタインは端末を操作し、彼の動きと周囲の異常を監視する。
「監視カメラは見当たりませんが……定期的に見回りがあるかもしれませんね」
「なら奴らが気付く前に終わらせるぞ」
隊長は短く言い、静かに周囲の気配を探る。
一方マサムネは、自分の部屋の前で足を止めた。
薄暗い廊下の中で、木製の扉だけが異様なほど静かに佇んでいる。
いつもなら、扉の向こうから仲間たちの寝息が聞こえるはずだった。
だが、今は──何の音もしない。
「……?」
不審に思いながら、マサムネはそっと扉に手をかけた。
慎重に押し開ける。
部屋の中は、薄明かりに照らされていた。
──そして、その光の下に広がっていた光景に、マサムネの心臓が凍りついた。
子どもたちが、糸のようなものでぐるぐる巻きにされている。
ベッドの上、床の上、至るところに拘束されたまま横たわる仲間たち。
彼らの口にも糸が巻かれ、呻き声すら出せない。
「カズヤ、ソウスケッ!みんな──!」
マサムネは息を呑み、反射的に駆け寄ろうとした。
その瞬間。
何かが、ギチギチと軋む音がした。
「──っ!?」
直感的に頭上を見上げる。
天井に、いた。
長い手足を折り曲げ、蜘蛛のように壁に張り付く“先生”の姿。
──人間の形をしているはずなのに、その存在は異質だった。
関節の曲がり方がどこかおかしく、長い指がゆっくりと蠢いている。
白衣が重力に逆らってぶら下がり、顔は影に隠れて見えない。
そして、天井から一直線にマサムネへと飛びかかってきた。
それと同時に飛び出してきたのは、粘り気のある白い糸。
それは瞬く間にマサムネの四肢を拘束し、抵抗する間もなく床へと押さえつける。
「わっ!!!」
必死に身をよじるが、糸は異様に強靭で、まるで鋼のワイヤーのように動きを封じ込める。
それだけではない。糸はじわじわと締まり、呼吸すら苦しくなっていく。
「……ふむ。まだ、生きていたとは」
痩せた頬、白く乾いた皮膚、そして異様に大きく開いた瞳。
その瞳は、まるで感情のないガラス玉のように光を反射していた。
先生は床へ降り立つと、ゆっくりと歩み寄ってきた。
靴音は妙に軽く、まるで地面を完全に捉えていないかのような足取りだ。
「どーやって、帰ってきたんだい?」
「いや、そんなことはどーでもいい」
「いつもみたいに金を稼ぐと思ったら、君の信号が停止。探しに行った同胞も行方知らず……てっきり、脱走した先でギャング同士の抗争にでも巻き込まれたとばかり思っていたよ」
先生は軽く片手を上げると、宙を舞うように手を振るった。
すると、部屋の中に漂う無数の糸が、まるで生き物のように蠢き始める。
「いいかい、マサムネ。神父はこの子たちを導くことを決めた」
「なっ…!!!」
「キミがまさか生きてるとは思ってなくてね。お布施を集めることさえ出来ない子たちには、光となって貰わねばならないのだよ。ついでに2回も脱走したキミも導こう」
先生が指先をわずかに動かす。
その瞬間──ぐるぐる巻きにされた子どもたちが、まるで見えない手に引きずられるかのように床を滑り始めた。
「やめ…ろ!!」
マサムネは必死に体をよじるが、白い糸はびくともしない。
仲間たちの目が恐怖に見開かれる。呻き声を上げることすら許されないまま、彼らは先生の足元へと寄せ集められていく。
「大丈夫。怖がることはない。神の光に導かれ、新しい存在へと生まれ変わるのだから──」
先生の口元が、不気味に歪む。
細く乾いた指がゆっくりと上がり、まるで指揮者のように空をなぞった。
「これから増やしていけばいい……光に導かれた子どもたちは、新たな世界の礎となる」
マサムネの顔が蒼白になる。
先生は、まだ何かを言おうとした。
──その刹那。
ドンッ!!
突然、廊下の外で爆音が響いた。
次の瞬間、木製の扉が弾け飛び、鋭い破片となって室内に降り注ぐ。
「ッ──!?」
予想外の事態に先生が驚愕の表情を浮かべる。
粉塵が舞う中、そこに立っていたのは──
「……計算完了」
扉を蹴破った勢いのまま、シュタインが一直線に飛び込む。
その腕はすでに振りかぶられていた。
その拳が、寸分の狂いもなく先生の喉元へと突き刺さる。
「──ガッ!!」
乾いた衝撃音とともに、先生の喉が潰れた。
その体が弓なりにのけ反り、白衣が激しく揺れる。
だが、シュタインは容赦なく手を離さない。
「その不快な声はもう出さなくていい」
無駄のない動きでさらに拳を押し込み、確実に声帯を破壊する。
先生の口が大きく開くが、声は出ない。
呼吸が詰まり、目が血走る。
シャッ───ン!!
同時に、銀色の閃光が室内を駆け抜ける。
シュタインの後ろから飛び込んできた隊長が、鋭くレイピアを振るった。
その一閃は、部屋を埋め尽くしていた白い糸を一瞬で切断する。
スパァン!
束縛されていた子どもたちの体が一斉に解放される。
糸の切れ端が舞い散る中、床に倒れ込む子どもたち。
マサムネもまた、体を締め付けていた拘束が消えたことで、大きく息を吸い込んだ。
先生の体が、ぐらりと揺れる。
「……ッ……!!」
声にならない悲鳴を上げ、喉を押さえながら後ずさる。
シュタインは冷静に先生を見下ろし、拳をゆっくりと構え直した。
「声帯を破壊し、糸のコントロールを無力化。ついでに、このまま脳震盪を与えて戦闘不能にするのが──」
「最適解だ」
無駄な動きなく、次の一撃が振り下ろされる。
先生の意識が、そこで途絶えた。
「僅かに聞こえた君の声を聞いて、駆けつけたらまさか蜘蛛の怪物がいたとはな……」
「本当にすまなかった少年、君たちを危険な目に合わせてしまった」
「ええ、私にも計算外な自体だった。すまない」
全員の無事を確認した隊長とシュタインは、深々と頭を下げる。ようやく息を整えたマサムネは慌てた様子で両手を振る。
「大丈夫……みんなを助けてくれて、ありがとう」
マサムネはかすれた声で言った。
恐怖から来た涙を堪えるように唇を噛み、震える指で床を押しながらゆっくりと立ち上がる。
「皆、私たちは君たちの味方だ」
「急で悪いが、一緒についてきてくれ」
隊長が周囲を警戒しながら促す。子どもたちは直感なのか、はたまたあの
シュタインも素早く状況を確認し、侵入経路である窓の方へと視線を向けた。
「聞いていた通りの人数…はい、問題ありません隊長殿。このままロープのところまで行きましょう」
シュタインはそう言うと、子どもたちに目を向ける。
彼らは怯えた表情のまま、子ども部屋に出るのを躊躇う。
だが、隊長の落ち着いた声が響くと、少しずつ緊張が解けていった。
「大丈夫、私とあのメガネがどんな怪物が来てもやっつけてやるからな。もう安心してくれ」
そう言って膝をつき、幼い子の肩にそっと手を置く。
優しい声に導かれるように、子どもたちは次第に落ち着きを取り戻した。
「さあ、急ぐぞ」
隊長が先に窓へ向かう。
シュタインもすぐに後に続き、ロープをしっかりと固定した。
「私が一人ずつ抱えて降ろしますので、順番を守ってください」
「では、一人目を」
隊長が小柄な子どもを抱え、そっと窓から差し出す。
「しっかり掴まっててくれ」
「……うん」
子どもがシュタインの首に腕を回すと、彼は片腕で支えながら慎重に降りていく。
着地すると、すぐに優しく地面へ降ろし、上を見上げた。
「次」
頷きながら隊長が次の子どもを抱えて窓辺へ。
シュタインは同じ手順で、慎重かつ迅速に降ろしていく。
一人、また一人。
作業はスムーズに進み、やがて残るはマサムネのみとなった。
マサムネは最後に部屋の中を一瞥した。
糸が散らばった床、ぐったりと倒れた先生の姿、そして怯えながらも希望の光を宿し始めた仲間たちの目。
「──これから、どうするの?」
彼は隊長を見上げた。
まだ不安は拭えない。これが終わりではないことも、逃げた先に何があるのかも分からない。
隊長はしばらく黙ったまま、マサムネの瞳を見つめていた。
やがて、静かに口を開く。
「信頼できる奴に迎えに来てもらってる。そいつと合流して、安全な場所へ行く」
「安全な場所……?」
「ああ、君たちが怯えずに眠れる場所だ」
隊長の言葉は、どこか自信に満ちていた。
その言葉だけで、不思議とほんの少しだけ心が軽くなる。
「さあ、行くぞ」
隊長はそう言うと、マサムネの体を軽々と抱え上げた。
一瞬驚いたが、今は従うしかない。
隊長はそのまま窓から飛び降り、着地するとマサムネをそっと地面へ下ろした。
「全員、ついてきてくれ」
隊長の号令のもと、子どもたちは静かに歩き出した。
彼らの顔にはまだ不安が残っていたが、それでも一歩ずつ前へ進む。
シュタインは背後を警戒しながら、最後尾を歩いた。
夜の廃墟の街を、足音だけが響く。
壊れた建物、ひび割れた道路、消えかけたネオン──
闇の中、彼らの行く手に、一筋の光が差し込んだ。
遠くから、低く唸るようなエンジン音が聞こえてくる。
「来たな」
隊長が呟くと、廃墟の角を曲がり、一台のバスがゆっくりと姿を現した。
ボロボロの外装に、かつての広告がかすかに残る古びた車体。それでも、確かな力強さを感じさせるそのバスが、彼らの前で静かに停車した。
「乗ってくれ」
隊長が促すと、バスの扉が開く。
そして、運転席に座っていたのは──
「──ったく、
ラヴェンだった。
ハンドルを片手で回しながら、薄く笑う。
子どもたちは不安げに顔を見合わせたが、隊長の「大丈夫だ」の一言で、一人ずつ車内へと足を踏み入れた。
「隊長もシュタイン殿も午後の仕事ほったらかすから、全員パニックになってたんだぞ……」
「君に連絡入れたじゃないか」
「今から30分前の話だろッ!!!今何時だと思ってんだッ!!!」
そんな会話をしている内に子どもたちが全員バスの中に入った。
隊長はゆっくりとバスの車内に目を向ける。
子どもたちは怯えた顔をしながらも、誰一人声を上げずに座席に身を寄せ合っていた。
マサムネもまた、その隅に座りながら不安げに隊長を見つめている。
隊長は彼らに穏やかな声で告げた。
「これからは、
「え」
マサムネが戸惑いながらラヴェンの方を見やる。
運転席のラヴェンは面倒くさそうにため息をついた。
「……ということだ。おチビたち、後はラヴェン姉ちゃんに任せてくれ」
「ラヴェン、お前の仕事はこいつらを安全な場所まで送り届けることだ。誰一人欠けることなくな」
「了解了解。後で
「後、通報が来たら一応連絡してくれ。基本的な指揮とかは────」
「あーハイハイ、分かってますって。それよりアンタらは今やる事に集中すべきだろ」
ラヴェンは片手でハンドルを回しながら、不敵に笑った。
子どもたちが全員乗り込むのを見届けると、隊長はゆっくりと扉の横に立った。
何か違和感を感じたマサムネが、窓から身を乗り出す。
「お姉さん、お兄さん……あの……!」
彼の瞳は真っ直ぐだった。
「あなたたちは……どうするの……?」
隊長は短く息を吐き、口角を少し上げる。
「我々は残る」
「やり残した仕事があるからな」
その言葉の意味を理解するのに、マサムネは数秒かかった。
「ま、待ってッ!!」
マサムネは席から立ち上がろうとする。
だが、シュタインが無言のまま端末を操作すると、シートベルトが自動的に締まり、マサムネの動きを封じた。
「アレがある限り、君たちに危険が及ぶ可能性が極めて高い」
「だから、我々できっちり始末する」
「でも…でも………!!!」
「なら、約束しよう」
隊長は窓越しからマサムネと手を優しく掴む。シュタインもマサムネの手を力強く掴む。
「これが終わったら、皆でしゃぶしゃぶに行こう」
「………本当に?」
マサムネの頬から涙が落ち、それが隊長の額を濡らす。
「現在、我々の生存確率は71.5%です」
「でも、それを
「だから、また鍋をつつこう。今度は最適な出汁と肉を私が用意して鍋パ?をしようじゃないか」
「お兄さん……」
その言葉を聞いたマサムネは、大きく頷く。
たった一日の出会いでマサムネは確信していた。
今まで会ってきた大人の中で、この二人は一番信用出来る人たちであると、そして一番強い人たちであるということを。
「んじゃ、出発進行」
ゆっくりとエンジンが唸り始め、バスは動き出す。
子どもたちが窓を開けて、自分たちを救い出してくれた英雄に手を振る。
英雄たちはそれを確認すると、背を向けて教会へと歩み始める。
「本当にこの感じ久しぶりだな」
「そうですね
「ははっ、その名前で呼ばれるのも懐かしい………気合い入れるぞシュタイン」
「ええ、顔を知らぬ連中に