演算結果:
「いやー、助かったぜシュタイン殿。事務のお仕事手伝ってもらっちゃって」
特戦本部の事務室にて、ラヴェンが苦笑いしながら目の前の男──シュタインに頭を下げる。
対するシュタインは、デスクに山積みになった書類を片手に持ちつつ、淡々と端末へ入力作業を続けていた。
「構わない、スパロウから君の愚痴のことを聞いて、良かればと思ってやってるだけだ」
そう言いながらも、彼の指は驚くべき速さでキーボードを叩いている。 徐々にキーボードを叩く速度が上がり続けながら、正確な数値の入力、物資の確認、補給申請の承認処理──並の事務員が一時間かけて終わらせる作業をシュタインは五分で終わらせ、既に大量の紙の束を捌いていた。
「
「そうか」
「まあ、私の場合確かにコレは戦術分析よりは退屈だが……データを整理する作業自体は嫌いじゃない」
シュタインは画面を睨みながら淡々と答え、指を休めることなくキーボードを叩き続ける。
ラヴェンは手元の書類をパラパラとめくりながら、ふと呟く。
「案外、事務員向いてんじゃねぇの?」
「向いているかどうかは知らんが、効率を求めれば自然とこうなる」
シュタインはモニターを睨みつつ、次々とデータを入力していく。その手際の良さに、ラヴェンは改めて感心した。
「まあ、おかげで助かったぜ。これで今日の分は片付く───」
そう言いかけたところで、事務室の扉が勢いよく開いた。
「シュタイン、いるか?」
透き通った落ち着いた声。振り向けば、そこには隊長の姿があった。
腕を組み、いつものように黒いヘルメットを被ったままこちらを見ている。
「隊長、お疲れ様でーす」
「ああ、ラヴェン。そっちも大変そうだな」
ラヴェンが軽く敬礼しつつ声をかけ、隊長は敬礼で答えつつ、すぐにヘルメット越しの視線はまっすぐシュタインへ向けられる。
「ここに」
シュタインは端的に答えながらも、手を止めることなく最後のデータ入力を終える。エンターキーを押し、モニターに処理完了の表示が出るのを確認すると、ようやくキーボードから手を離した。
「昼飯だ。付き合え」
隊長の言葉に、シュタインはわずかに眉を上げた。
「……私と?」
「他に誰がいる?」
「ラヴェンが」
「あ、あーまあ、確かにな」
「え、いや、アタシはスパロウのお見舞い行くんだが」
「なら、お前しかいないな」
「そうですね」
「この会話要らねぇよな」
ラヴェンのツッコミを無視しつつ、シュタインは当然のように頷きながら席を立った。
隊長はそれを確認すると、何の迷いもなく踵を返す。そのまま事務室の扉を開けて廊下へと歩き出した。
その後をゆっくり追うシュタインの後ろ姿を眺めつつ、ラヴェンは上司と部下と言うより姉と弟のやり取りみたいだなと密かに感じた。
※
透き通った空の下、特戦の最高戦力の二人がデウスの街を歩きながら、どこで食事をするか考えていた。
「隊長殿、私は牛丼、カツ丼、焼肉、豚丼、チキンの何れかがある店を所望する」
「また肉か。お前は普段からタンパク質ばっかり摂りすぎだ」
「筋肉の成長には欠かせないものですので」
「私が言いたいのは栄養バランスの話だ……」
そんな他愛もない会話を交わしながら、二人は街を進んでいた。
デウスの昼は比較的静かだ。
街中がスーツを着た会社員や、制服を着ている学生達で賑わっているが、それは単に表向きの話であり、ちょっと路地裏を歩けば薬の販売、揺すり行為とありとあらゆる犯罪が蠢いている。
「逆に隊長殿は何を食べたいんです?」
「野菜」
「見事に真逆ですね」
「野菜の方が健康的だ────おっと」
そんな展開が進まない会話を続けていると、突如、隊長の腰に何かがぶつかった。
下を見ると、ボロ切れをまとった子どもが尻もちをついて倒れてしまった。
隊長は素早くバランスを取り直し、子どもの手を軽く掴んで支える。
「すまない、大丈夫か?」
子どもは驚いたように隊長を見上げると、何も言わずに後ずさり、そのまま走り去っていった。
「なんだったんだ……?」
「ヘルメット外さないから怖がられたのでは?」
シュタインは目を細め、去っていく子どもの後ろ姿を見送った。
ヘルメット越しから頭を掻きつつ、ズボンのポケットを確認する隊長。その探る手が止まった後、小さく呟く。
「……成程な」
「どうしました?」
「財布がなくなってる」
「……」
二人は沈黙し、視線を交わした。
「デウスらしいですね」
「言ってる場合か」
シュタインがそう言うと同時に、隊長は迷わず駆け出した。
子どもの姿はすでに人混みに紛れつつあったが、特戦の二人が本気で追えば、並のスリが逃げ切れるはずがない。
「シュタイン、どっちだ?」
「少々、お待ちを」
シュタインは走りながら瞬時に街の構造を思い浮かべる。
(この人混みとはいえデウスのメインストリートは道幅が広く、逃げるには不向きだ)
(スリのような小回りの利く相手なら、自然と裏道へ向かうはず)
(加えて、先ほどの子どもの動きを分析すると、逃げ足は速いが、完全に無駄のない動きではなかった)
(つまり、経験はあれど
「この先の左の路地裏に向かう確率、91.1%です」
「了解」
即座に判断し、隊長が指示通り左へ折れる。
そこにはさっきの子どもが近くのゴミ箱などを倒しつつ、路地裏の先へと駆け出している姿が見えた。
「ターゲットを視界に捉えた」
隊長の脚力は圧倒的だった。一歩ごとに地面を蹴りつけ、まるで狼が獲物を追うかのような鋭さで駆け抜ける。
その速度に余裕でくらいつくシュタインはさらに冷静に分析を続ける。
(子どもの逃走ルートには二つの選択肢がある)
(一つは、細い路地を抜けて別の通りへ出ること)
(もう一つは、どこかの建物に逃げ込むこと)
「隊長殿、そのまま追ってください。私は先回りを試みます」
「任せる」
隊長は足を止めることなく、一直線に追跡を続ける。
シュタインは別の道を選び、最短ルートで回り込む。
「これが最適解だ」
シュタインは瞬時に距離と角度を計算し、適切な蹴り上げの力を込めて壁を蹴った。
まるで計算された軌道をなぞるかのように、一瞬でビルの壁面を蹴り渡り、狭い路地の上へと飛び上がる。さらにもう一度壁を蹴ると、そのまま反対側のビルの屋上へと軽やかに着地した。
隊長はそれをちらりと見上げ、呆れたように小さく息を吐く。
(───相変わらずだな)
あれほど正確に、そして躊躇なく行動できるのは、彼が長年の訓練と経験を積んだからこそだ。
筋肉を鍛えることに異常なまでのこだわりを持つシュタインだが、その強靭な肉体と理論的な思考が融合した時、こうした芸当が可能になる。かつて彼と共に数多の
しかし、そんな感傷に浸るのも一瞬だけだった。
「──隊長殿、目標の進行方向を補正。北側の建物に逃げ込もうとしています」
屋上から冷静な声が降ってくる。シュタインはすでに地形を把握し、逃走経路を完璧に読んでいた。
「了解」
隊長は一言だけ返し、速度をさらに上げる。
視界の先、子どもが狭い路地を抜け、ボロボロの建物の入り口へと飛び込もうとしていた。しかし、次の瞬間──
「通行止めだ」
静かに告げるように、シュタインの影が頭上から降り立つ。
子どもは驚いてブレーキをかけようとしたが、間に合わなかった。シュタインは計算し尽くされたタイミングで着地し、子どもの正面を塞ぐ形で立ちはだかる。
「相手が悪かったな少年」
淡々とそう言うと、子どもはぎゅっと財布を握りしめたまま、わなわなと肩を震わせた。布越しから覗かせるその顔が強張る。
隊長もすぐに追いつき、静かに近づく。
「悪いが、それを返してもらおう」
その瞬間、子どもは震える手で懐から何かを取り出した。
──ナイフだ。
それを背後にいた隊長の方へ振り、距離を取らせる。
「こ、これは渡せない……!渡せないんだ…………!!!コレだけのお金があれば……………」
「酷い興奮状態だ…仕方ない」
息を軽く吐きつつ隊長は一歩踏み出し、驚くほど静かにナイフを握る子どもの腕を取った。
「落ち着け」
冷静で、しかしどこか温かみのある声だった。
子どもは息を呑み、一瞬だけ迷うような表情を見せたが、次の瞬間、思い切り腕を振り払おうとした。だが、それは叶わなかった。
隊長の手はまるで鋼のように動じず、しかし決して痛みを与えるような握り方ではない。
「……っ、離して……!」
「そんな危なっかしいものを振り回して、どうするつもりだ」
隊長の声は穏やかだったが、子どもが無謀な行動に出ないように注意深く見つめていた。
子どもは必死に抵抗しようとしたが、その力は隊長の腕には到底及ばない。やがて、焦りと恐怖の混ざった視線をこちらに向ける。
「……あんたたちには、関係ない……!」
そう叫んだ直後だった。
シュタインがわずかに動いたかと思うと、次の瞬間、ナイフの刃先がぽろりと落ちる。
子どもが持っていたナイフは、まるで細工でもされたかのように柄の部分だけを残して砕けていた。
「えっ……?」
子どもが呆然とする。シュタインはまるで大したことではないかのように、指の関節を軽く鳴らした。
「人に向けるには、あまりにも脆い武器だ」
「相変わらず離れ業を簡単にやってくれるな」
隊長には正確にナイフの刃の付け根をデコピンで弾き、破壊したシュタインの姿を認識しており、今日何度吐いたか分からないため息を零す。
子どもはその手の中の無力なナイフの残骸を見つめ、何かを悟ったかのように肩を落とした。
「………ゴメンなさい…ゴメンなさい」
何度も、何度も謝罪を続ける子どもを前に二人ともどうしていいか分からなくなる。
隊長はしばらく子どもを見つめたあと、ゆっくりと手を離した。
子どもは一瞬身を竦めたが、それ以上逃げようとはせず、ただ震えながら財布を握りしめていた。
「とりあえず、君の話を聞かせてくれないか?」
隊長がなるべく優しい声で言いながら、少し顔を近づける。
「……!」
しかし、子どもはビクリと肩を跳ね上げ、さらに一歩後ずさった。怯えた目で隊長を見つめる。
「隊長殿、
「………あぁ、そうだった」
隊長は自分がまだヘルメットをかぶったままだということに気づいた。
特殊部隊仕様の装備は、見る人によっては無機質で威圧感がある。ましてや犯罪の多いデウスでは、軍や警察関係者が直接関わることは、必ずしも「助けられる」という意味にはならない。
子どもが怯えるのも、無理はなかった。
ヘルメットのロックに指をかけ、カチリ──軽い電子音とともに固定が解除される。
ゆっくりと持ち上げると、内部にこもっていた空気がわずかに抜け、露わになったのは鋭くも落ち着いた瞳。
額に貼りついていた髪がふわりと揺れ、涼しい風が素肌に触れる。
ヘルメットを片手に抱えながら、隊長は静かに子どもを見つめた。
「ほら、これで怖くないだろ」
それまで警戒心を露わにしていた子どもは、素顔を見せた隊長の顔を見て、一瞬きょとんとした表情を浮かべた。
シュタインがその様子を見て、小さく笑う。
「どうやら、隊長殿が人間だと確認できたようですね」
「それはねぇだろ……」
隊長は軽く舌打ちしつつも、子どもの前にしゃがみ込み、視線を合わせるようにした。
「もう一度聞こう」
「君の話を聞かせてくれ」
子どもは隊長の目をじっと見つめ、唇を噛み締める。やがて、覚悟を決めたような目付きになると、布切れを外し、身体が痣だらけの薄着の姿を晒した。
しっかりと握られた財布を見つめながら、震えた声で叫んだ。
「
この少年〈マサムネ〉との出会いが、厄介な事件に巻き込んでいくことになっていく事を当然、この二人は知る由もない。