マスターとわたし   作:RIM_Standard

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初出:Pixiv 2023年11月19日


眠り

来週は出張で家を空ける――この言葉をどうにか搾り出した瞬間に、青い瞳がこちらに向き直った。

「そう、ですか。お仕事ですし、仕方ないですよね」

明らかに落胆した声。

これが生活のためであることは勿論あかりも理解しているだろう。それでも彼女の悲しげな視線には、心を貫かれるような痛みを覚えた。

今回の出張についても、可能なら断りたいぐらいだった。どだい無理な話だが。

出発は火曜日で、三泊して金曜日に帰る。その間は電話も掛けるし、出張終わりは早めに帰れるようにする。そうだな、次の週末はどこか出掛けようか。

そうした埋め合わせについて、彼女は渋々ながらうん、うんといった様子で聞いていた。

これが本当に彼女のことを考えての発言だという確信を持てなかった。自分のやっている事は、ただ徒にあかりの依存心を強めているだけかもしれない。そうなってしまったのも結局のところ全て、自分の責任に過ぎないのだ。彼女のために何かをしてやることは大して苦ではないが、いったい何をすれば彼女が本当に喜んでくれるのかについても、何があかりの為になるのかについても、最近はよくわからなくなりつつある。

「ごめんなさい。私のために気を遣わせてしまって」

彼女は俯きながらそう呟いた。

別に、あかりが謝ることなんてない。だから何をして欲しいかを聞かせてほしい。

……これも、その責任を果たしているつもりになるために言っているだけのことだ。薄っぺらい言葉。

「それなら」

自分があれこれ悩んでいるのをよそに、あかりが口を開いた。

「出発する日まで毎日、私を抱いて寝てくれますか」

わかった。

「明日も、明後日も、マスターに痕をつけていいですか」

好きなようにしてくれ。

「……出張のあいだ、シャットダウンして待ってます。だから電話は要りません」

あかりが抱き着いてくる。その細い腕に力が込められる。自分をいとも簡単に縛り付ける。

「マスターが帰ってきたら、貴方の手で私の電源を入れてください」

約束する。

自分の返事を聞いて、あかりはにっこりと笑った。

「スイッチの場所、教えますね」

そう言うと彼女はリボンを解き、ブラウスのボタンを上から一つ一つ外してゆく。そしてワンピースごと衣服を開けさせ、その白い肌を露わにした。

 

――――――

 

『……………………おかけになった電話は、電波の届かない場所にあるか、電源が入っていない為――』

スマートフォンをベッドに放り投げる。もしかしたら起きているかもと淡い期待を抱いたものの、やはり繋がらなかった。

自分がいない間にやる事もなく、一日のほんのわずかな時間しか声を聴かせ合うことができないとなれば、その時のためにずっと起きているのは苦痛でしかないだろう。

出張初日からドタバタと動きっぱなしで疲れた。明日は残りの設置工事を行って、その次は稼働開始に一日立ち会って、次の日にようやく帰れると思うとうんざりしてきた。

スーツを脱ぎ捨ててシャワーを済ませ、早々にベッドに倒れ込む。

仕事中に何度もあかりの事を考えた。小さな棘が刺さったように、彼女の存在が心の一部分をちくちくと刺激する。肩の傷が疼く。

この仕事が終われば帰れる。そうすればあかりに会えるし、いつまで考えていても仕方ない。

明日に障らないようにさっさと布団を被る。疲れていたからか、すぐ眠りに落ちることができたのは幸いだった。

 

 

 

  夢をみた。

 

 

子どもがひとりで立っている。眼に涙をいっぱい溜めながらも、それを零すまいと我慢している。

鼻をすすって必死に耐えたが、涙はとめどなく溢れてくる。それでも泣かないようにしているのは、本人がそう心に決めているからだということを、なぜか知っていた。

「どうしたの、――」

その子に声をかけて近寄る姿。腰を落として目線を合わせ、涙を指で拭ってやる。

子どもは、小さな拳をぎゅっと握って、しゃくりあげながら話した。

「けんか、したの」

「あらあら。駄目ですよ、そんな事したら」

「でも、あいつらがね、おかあさんのこと、ばかにしたんだ」

「それで喧嘩しちゃったの?」

「うん」

その子を抱き寄せ、優しく頭を撫でる。

「お母さんの悪口、言われて悔しかったのね」

「くやしくなって、たたいた。たたき返されて、もっとたたいた。おかあさんのこと、ばかにされたくなくて」

「そうなの。お友達を叩くのは悪いことだから、やったら駄目ですよ。悔しいだろうけど、言わせておけばいいんです。お母さん、気にしてないから。でも、お母さんのために、ありがとうね」

彼女がそう言うと、子どもは声を上げて泣き始めた。抱き締め返す、細い腕に力を入れて。

その子の髪をさらさらと撫でる彼女は、どこか嬉しそうな表情を浮かべていたような気がした。

 

 

 

差し込む朝日に眠りを邪魔されて、ようやくカーテンを閉め忘れていたことに気付く。殺風景なホテルの一室が、自分を現実に引き戻すのだった。

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